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山内参考人 ただいま御紹介にあずかりました
山内でございます。
最初に
農業災害補償制度の今後のあり方をどう考えるかということをお話ししたいと思います。
第一の
問題点は、作物
災害というものが今日どういう動向をたどっているかという点でございますが、この点から実は話をしてみたいと思います。と申しますのは、この
制度が発足いたしました、先ほどのお話にありました当時の事情から考えますと、非常に安定化の傾向をたどっております。しかしながらその内容というものを見ていきますと、これはいろいろな作物によりまして
状況が変わってくるんじゃないか、そういった
意味から、まず最初、
災害というものを今日どういうふうに認識すべきであるかということから問題を発展さしていきたいと思います。
災害というものは、御
承知のように単に自然的な現象じゃございません。いわば経済現象でありますから、その社会における
技術段階なりあるいは国家の投資なり、そういった一切の社会経済的な諸現象とともに動くものだと思います。その
条件が今日、経済発展とともに、いろいろな側面から動いている。そうしてその結果としてマイナスの面が
災害として出ているんだ、こういうふうに見られるんじゃないかと思います。そういった側面から
災害というものをまず最初に分けてみますと、大体三つに分かれてくるように思います。
一つは、自然
災害を起こしますところの変動要因というものが社会的な抵抗を越えて起こるようなもの、いわば大
災害と申しますか、社会的な
技術的な抵抗を越えて起こるものでございますね、そういったものが
一つあると思います。
それからもう
一つの作物
災害は、その変動要因がもたらしますところの影響——
災害で、ございますね、それが
農業技術の水準いかんによって左右されるものというもの、これが第二の分類であります。
病虫害とかあるいはそういった
技術段階で左右されるものであります。
それから第三の分類は、自然の変動する要因が土地に結合しているものであります。これは特に水を中心といたしましたもので、たとえば水の過剰なりあるいは不足というものが土地に固定している、いわば常襲干ばつ地であり、あるいはまた常襲水害地であるというふうに言えると思います。
しかしこれは一般的な分類でございますけれ
ども、この三つに
災害を分けてみました場合に、今日これはどういうふうな形で動いているかという点でございます。私はここで稲作とそれからリンゴについて、二つの事例としてお話をいたしたいと思います。
稲作の場合は、最近の
技術進歩によりまして、第二に分類いたしましたところの変動要因の影響が
技術水準いかんによって変わるという
災害でございますが、これは御
承知のように
技術の発展とともに次第に安定化の傾向を見せております。と申しますのは、最も端的に申し得ますのが
病虫害あるいは冷害であります。あるいは早期作という
技術を伴いまして、台風の回避といったものが出ております。それから、三番目に申しました常襲
災害地でありますけれ
ども、これも実はこの数年間非常に安定化の傾向をたどっております。と申しますのは、国家の土地投資が非常に増大いたしましたことと、それから農家自身の土地利用がきわめて変わってきております。たとえば、
昭和二十五、六年のことでありますけれ
ども、私非常に兵庫県の干ばつ地を歩いたことがございます。これはまさに常襲干ばつ地でありますけれ
ども、今日これは田畑輪換作によりまして、橄欖と乳牛を主体とした経営に移行しております。こういった
意味で、あるいはまた山間部の冷水害を受ける
地帯といったものは早期作を導入する、あるいはまたいもち病がよく発生してくる
地帯というものにはセレサン石灰というものが非常に効果を発揮しだす、したがって、ここに肥料の増投が可能になるということで、いわゆる常襲
災害地と称されるものの内容が、実は今日非常に変わってきたのじゃないか。かつていろいろ
議論をされておりましたときに、常襲
災害地ということが固定化しているように考えられておりましたけれ
ども、今日実は常襲
災害地というものの固定性が解かれている、解消いたしているという
段階にあるのではないか。ただ、最初に申しましたところの大
災害、いわば非常に大きい自然の力によって起こってくる大
災害というものは、まだ相当な危険をはらんでいるのではないか。これが実は最近の稲作
災害の結果ではないかと思います。むしろ逆に稲作
災害の場合には、自然
災害というよりも経営的な
災害というものが実は出ています。と申しますのは、香川県等で晩期栽培をやりますと、実は無理におそく稲をつくる結果——一年間に三毛作をやりますから、稲作の収穫期がおくれますから、その結果、米に冷害が出てくるというふうな結果が出てまいります。これは経営というものが発展していくに従ってそこに摩擦として出てまいりますところの経営的な
災害ではないか、こういうふうに稲作の場合には実は安定化の方向をたどっているのではないか、こういうふうに考えられるのであります。
これに対しまして、それでは他の作物についてはどうかということでありますけ
ども、私、ここでひとつ果樹のリンゴの場合を例として考えてみますと、リンゴの栽培
技術というものも
水稲と同じように確かに著しい
進歩を遂げているわけでありますけれ
ども、栽培
技術で克服し得る範囲というものは
水稲よりもずっと狭いように思われます。したがって、その
被害がもたらしますところの深さも実は
水稲に比してずっとはなはだしい、大きいものがあるのではないか、こういうふうに思います。それからなお、果樹の場合は、今日果樹をめぐりますところの諸
条件が非常にいいものですから、農家が強気になりまして、どんどんと栽培面積を拡大いたしております。これは必ずしも適地でないところにも実は果樹が植えられていくという現象でありまして、この
意味においては不安定栽培と申しますか、それが実は拡大をしていく傾向がある。この
意味において、実は稲作とある
意味においては対照的な面を持っております。
このように、作物がいかなる経済的な
意味を持っているかによりまして
災害の性質というものは実は変わっているように考えられるわけであります。したがいまして、こういうふうに、作物をめぐりますところの社会的な
条件の変化に伴いまして、それをめぐってくるところの、その結果として起こるところの
災害というものも変わるわけでありますから、農家の作物
災害に対する
考え方あるいは評価というものは実は変わってこざるを得ないわけであります。
こういうふうに最初に実は作物
災害というものの今日の現状を考えてみたわけでありますけれ
ども、そういたしますと、農家は作物
災害に対して危険の意識があるかということと、それから農家が危険な安定作を必要としているかどうか、必要としているならばいかなるものに対して必要とするのかということが、
災害補償法を考える場合の第二の基本点になってくるわけであります。
私、昨年の四月この
参考人に呼ばれまして、農家の経営意識、危険意識についてはお話し申し上げたわけでございますが、その
意味で若干ダブるかと思いますけれ
ども、もう一度、果樹を加えました範囲で農家の作物
災害というものに対する
不安定感というものを考えてみたいわけであります。
結論的に申し得ますことは、実は、作物
災害というものと、それから農産物の価格の下落というものと、それから家畜の死亡というものと、それから家屋の火災、農具の破損、肥料価格の低落といいますか、経営をめぐる一切の不安定要因というものに対しまして、農家の
不安定感の順位を実はつけてもらったことがあります。これは一番安定
地帯でありますところの山形県の藤島町とそれから青森県の黒石市、すなわちそれはリンゴ
地帯でございますけれ
ども、ここで同じ質問をやってみたわけであります。その結果出てまいりましたことは、さしあたって農家が不安定として考えることは、やはり第一順位として作物
災害という点に集中するのと、それから農産物の価格の下落というものが第二の順位に入ってまいります。これはリンゴ
地帯ではやはり同じ結果を得ております。それから第三の不安定要因としては、
生産資材としての肥料の低落ということで、資本財に対する
不安定感というもの、たとえば家畜あるいは家屋、農具といったものに対する
不安定感は、ウエートが非常に軽くなってきております。
ただここで
一つ問題点があるわけでございますけれ
ども、農家の不安定意識というものと危険安定作を必要とするかどうかということは、実は問題は別になってくるわけであります。と申しますのは、たとえばここで家畜の死亡なりあるいは家屋の火災といったものの
不安定感としての順位というものは、非常に低いわけでありますけれ
ども、一方
保険の側面から見てみますと、家畜
保険あるいは建物
保険として任意
保険が実は
成立をしているわけであります。なぜここで農家の言いますところの
不安定感あるいは危険意識というものが高いのにもかかわらず、逆に申しますと、低いものに任意
保険が
成立しているのか、いわば
保険需要がどうしてそういった危険意識の低いものに生まれてくるのかという点が、問題になってくるわけであります。これは危険というものが、農家にどれほどの経済的な損害を与えるかということによって変わってくるわけでありまして、農家がいま答えました
不安定感というものは、身近に感じる、先ほど申しましたアンケートで出てきますものは、常に身近に感ずる不安感といいますか、そういったものでありますけれ
ども、ほんとうに農家が経済的に、個別経済自身に非常に深刻な危険を与えるというものに対しましては、実は単に危険の頻度と申しますか、そうじゃなくて、危険の深さとの
関係において、
保険に対する
考え方というものが頭を持ち上げているわけであります。普通は
保険の対象としております危険は、一般に言われておりますことは、その発生によりまして、経済上の損失というものが私経済というものを窮乏におとしいれるものだということを言っております。したがいまして資本財の損失というものは、資本財価額が高いわけでありますから、農家の所得に対しまして非常に大きなウエートを持ってまいります。あるいはまた経営上相当な打撃を与えます。この
意味におきまして危険の発生の頻度は低くても、やはりそれが起こった場合の打撃というものを農家は考えまして、かりに危険の発生の頻度は低くても
保険に入ってくるといった実情であります。
そこで問題は、農家が危険の安定作というものを選択していく場合には、単に危険意識というだけじゃなくて、危険の深さというものに実は問題がくるのではないか。たとえばしばしば作物
災害というものを見てみますと、非常に低度の
被害というものは、常に農家の周辺に起こっております。したがってその
意味では、確かに私たちの月給がかりに一カ月千円減りましてもつまらぬという感覚があるのと同じの不安感を実は農家が持っておる。したがいましてそうした浅い危険に対しては、農家自身としてはつまらぬと思うけれ
ども、農家自身の持つ経済的な抵抗力によって実は対応ができるわけであります。それからやや程度が上がった場合にでもみずからの財力といいますか、そういったものあるいはまた金融的な手段の範囲内において、その危険に十分対応できる
自信もある。しかしながら
災害というものは、非常に深くなってまいりますと、単に金融あるいはみずからの財力としてはいかんともしがたい、このときには、実は
保険的な措置というものを要望するのじゃないか。だから農家が
災害を受けてどういうときに最も困るかといえば、実は
保険というものとの関連において大きい問題になるのじゃないか、こういうふうに思います。
そこでそういった側面から今後の作物
保険政策というものをどう戦略的に考え、あるいは運営していくかということが実は問題になってくると思います。
まず最初に考えなければいけないことは、先ほど申しましたように、危険意識というものは、調査の結果としては非常に大きく出るわけでありますけれ
ども、なぜ作物
保険は農家に歓迎されないのかということからここで考えてまいりますと、その
一つは作物
保険の用役というもの、農家にもたらしておりますところの
保険の効用という問題であります。それは、その農家にとりましては、少なくも出しました農家の
考え方から見まして、
保険料を支出したものよりも見返ってくるところの
保険の効用が高いという範囲内においては、農家は
保険というものを見直すだろうと思います。しかしそういった場合にその
保険の効用を高くするということは、実はどういうことであるかということになってまいります。それはその
保険料を安くするということと、それから
保険の効用が、農家が必要とするときにきわめて大きく作用するということになってくると思います。したがってそういう二つの
条件を考えてみますと、これを充足するためには結局危険の深さというものに注目せざるを得なくなってまいります。ということは、深い
災害、いわば非常に強い
災害であります。農家の経済的な再
生産を非常に困難にするような
災害というものは、頻度も実は小さくなってまいります。したがいまして
保険料も実に安くなってくる。したがってこれは農家の支出
保険料というものを非常に下げる結果をもたらします。それと同時に、これに対しまして十分な補てんをやることによりまして、
保険の効用というものが増大をしてくるわけであります。従来確かにたくさんな
保険金が農家に払われておりますけれ
ども、先ほど
梅森さんのお話がありましたように、実は散布されたにすぎない。
保険の効用というものを実はもたらしていないじゃないかというふうに思われるわけなんです。しかも
付加保険料というものが非常に高いということでありますから、どうしても農家としては、これはかなわぬという結果になるのじゃないか。したがいまして、従来の
制度というものは実は労多くして効が少ないのだ。農家がこれはかなわぬという。実はその農家自身に決定的な打撃を与える危険をいかにしてとらえるか、そしてそれをどう
保険でもってカバーしていく、あるいは補てんしていくかということになってまいりますと、いま農家の考えておりますところの
災害補償制度に対する感覚は変わってくるのではないか。いままでの
保険に対する農家の
考え方というものは、実はきわめて
保険効用の低いものに対して、むしろより高い
保険料を支払っているような感覚を持っているわけですから、結局もっと
災害をしぼりまして、
災害の深さに目を合わせまして、その点に戦略的に
保険を運営していくという点が今後の
一つの方向ではないか。そしてまた、先ほど申しましたように、作物
災害の性格というものが、その時代によって変わってまいりますけれ
ども、少なくとも安定化の方向をたどる。常襲
災害地あるいは
技術との函数であるところの
災害というものを克服していく
条件が、着々出てくる
段階でありますから、そうなってきますと、どうしてもこれからの方策としますと、そういったものは
技術なりあるいは
生産政策に譲りまして、最も農家に打撃を与えるところに
保険の運営というものが戦略的に適用さるべきではないかというふうに思います。
それからもう
一つは、先ほど申しましたように、作物の
災害は従来米麦作に限定されておりまして、それに対する感覚でもってながめられておりますけれ
ども、もう少し視野を広げてまいりますと、作物
災害の性格なり、あるいは発生の構造というものは、それぞれ違った問題が出てくるだろうと思います。したがいまして、従来の限定せられた対象というものを拡大していくということが、今日の
保険政策を脱皮せしめていくのでないかということが考えられます。と同時にもう
一つは、
保険自体が単に
一つの特殊部落的な形で独立することなくして、もっと農政の体系の中に位置づけられていくことが必要ではないか。いわば金融
政策なりあるいは
生産政策とともに、
保険政策というものの
意味を本質的に考えまして、そしてこれを戦略的に使っていくということが、実は重要な問題じゃないかというふうに考えます。
それからこれは今後のあり方でありますけれ
ども、なお最近の
農業構造の変革との関連で見通してみますと、やはり経営規模が拡大していくということも
一つの方向であるでしょうし、したがいまして構造的な抵抗性も実は出てくるだろう。そういった側面からいたしましても、やはり先ほど申しましたような深い損失を与える
災害というものに対して危険
政策というものを適用していくことは、その
意味から見ても妥当するのじゃないかというふうに思われます。
それから今度の
改正法案でございますけれ
ども、この内容を拝見いたしますと、今日
保険対象作物というものが安定化をしているという事実を認識して、それからまた
農業構造の変革というものが
過渡期にあるんだという二つの認識の上に立って、実はドラスティックな改革が困難だということで出されたものと私は了解をいたしました。その
意味から見ますと、現在の
問題点に対しましては、従来に比して一歩前進をしたように考えられます。
ただ若干
問題点を申しますと、
農業共済組合の
共済事業の拡充という点でございますけれ
ども、これはディセントラリゼーションといいますか、集中化に対しまして分散化の傾向であるというように、
保険の
責任に対する分散化の強化だろうと思います。これは農家の
現実的な欲求に立ったものであり、そしてまたこの中に備荒貯蓄的な
考え方を持っていこうというふうにも理解できるわけであります。
この点を二つの側面から考えてみまして、
一つは
保険という側面から考えますと、ディセントラリゼーションすることがはたして
保険運営上、コストを下げていき得るかどうかという点が問題になってきますのと、それから従来から申しますと、危険集団が拡大をすることが、
一つの
保険の歴史的な発展でありますけれ
ども、
保険それ自身からながめていきますと、実は逆の形であるのではないか。というのは、
共済組合自身が十分その運営にたえていけるかどうかという点が問題になってまいります。したがいまして、これに対しては十分な金融的な措置なり、別の補強が必要ではないかというふうに思います。
それから、なおこの中に読み取れることがございます。
一つは
災害ということが——この
制度の中に備荒貯蓄的な形で対処し得るもの、私が先ほど申しました
保険の適用をしなくてもいき得るような深さの
災害というものと、それから
保険によりまして、ドラスティックな
災害を
補償していこうというふうな二つの思想があるのではないかというふうに、この中で私は見取りました。したがいましてこの点は
問題点と申しますよりも、これが将来どういうふうな方向に動くかということが、やはり
保険のこれからの動向を示すのではないかというふうに感じ取られます。
それから
一筆収量建ての問題でございますけれ
ども、これは実は私の独断かもしれませんけれ
ども、不安定地、特に常襲
災害地というものが今日実は非常にゆるやかになってきつつある、解消しつつある
段階ではないか、そうしますと、
農単制度というものは実は理論的に申しまして、当然そうあるべきものだと思うのでありますけれ
ども、常襲
災害地が次第に解消している
段階、それからまた
農業技術によって克服し得る
災害というものが、次第に安定化しつつある
段階におきましては、
一筆収量建てをとっても、それほど悪い影響というものはないのではないか、もちろん常襲
災害地は残っておりますから、やはり完全には解消しておりませんから、その
意味においては確かに
共済金てん補の偏在性というものは出てくると思いますけれ
ども、しかしながら従来に比してこの点は緩和されたんじゃないか。今日の
災害構造からながめましてそういうふうに思います。
それからもう
一つ、今日の
損害評価技術という側面あるいはそれの効率を高める面から申しますと、いまの
段階では
一筆収量建て、やむを得ないじゃないかという私は感じがいたします。
それから第三番目に画一的強制
保険の緩和でございますけれ
ども、これは当然
一つの自然の道であります。しかしながら、単に今日対象にいたしておりますところの米麦作といったものの画一的な緩和をはかる、かたわら新しく
保険の開発というものがあわせ行なわるべきではないかという点を感じました。
以上、簡単でございますけれ
ども、私の
意見を終わります。(拍手)