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1963-05-22 第43回国会 衆議院 農林水産委員会 第31号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十八年五月二十二日(水曜日)     午前十時十二分開議  出席委員    委員長 長谷川四郎君    理事 秋山 利恭君 理事 小山 長規君    理事 田口長治郎君 理事 丹羽 兵助君    理事 山中 貞則君 理事 足鹿  覺君    理事 片島  港君 理事 東海林 稔君       安倍晋太郎君    亀岡 高夫君       仮谷 忠男君    川村善八郎君       草野一郎平君    田邉 國男君       谷垣 專一君    綱島 正興君       寺島隆太郎君    中山 榮一君       野原 正勝君    松浦 東介君       米山 恒治君    有馬 輝武君       角屋堅次郎君    栗林 三郎君       中澤 茂一君    野口 忠夫君       安井 吉典君    湯山  勇君       玉置 一徳君  出席政府委員         農林事務官         (農林経済局         長)      松岡  亮君  委員外出席者         農林事務官         (農林経済局農         業保険課長)  岡安  誠君         参  考  人         (元農業災害補         償制度研究会座         長)      東畑 四郎君         参  考  人         (元農業災害補         償制度協議会議         長)      清井  正君         参  考  人         (大阪府立大学         農学部教授)  梅森 正行君         参  考  人         (千葉大学園芸         学部講師)   山内 豊二君     ————————————— 五月二十二日  委員楢崎弥之助辞任につき、その補欠として  有馬輝武君が議長指名委員に選任された。 同日  委員有馬輝武辞任につき、その補欠として楢  崎弥之助君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  農業災害補償法の一部を改正する法律案(内閣  提出第一三七号)      ————◇—————
  2. 長谷川四郎

    長谷川委員長 これより会議を開きます。  農業災害補償法の一部を改正する法律案を議題といたします。  去る十四日の委員会の決定に基づきまして、参考人から御意見を聴取することといたします。  本日お見えの参考人方々は、大阪府立大学農学部教授梅森正行君、元農業災害補償制度協議会議長清井正君、元農業災害補償制度研究会座長東畑四郎君、千葉大学園芸学部講師山内豊二君、以上の方々でございます。  参考人各位には、御多用中にもかかわらず当委員会に御出席をくだされまして、まことに御苦労さまでございます。主として農業災害補償制度のあり方並びに今回の改正案問題点等につきまして、忌憚のない御意見をお聞かせくださいますようお願いを申し上げます。  それでは東畑四郎君よりお願いをいたします。
  3. 東畑四郎

    東畑参考人 東畑四郎でございます。  農業災害補償制度問題は、多年各方面からずいぶん問題が提起されました。今日また現行制度について農民不満も相当聞いております。私、現役を離れましてだいぶたっておりますので、あまり具体的なことにつきましては参考人として十分な意見を申し述べることができないことを御了承願いたいと思います。  まず第一点で申し上げます点は、今日水稲作技術が相当伸びまして、安定してまいった地帯が非常に多うございます。そういう安定した地帯と不安定な地帯との格差も開いてまいりました。その間に安定した地帯水稲危険率というものと、それに対する農民負担掛け金率というものが一致いたさない。そのために掛け金が高いということが一部安定地域農民の非常な不満を招いておるのであります。このこと自体は、保険内部技術論であります。今日の制度は、皆さま承知のように、都道府県別標準被害率を算定いたしまして、その県内で十八の危険階級を分けて、それに配分をいたします。この配分の過程において、高被害地掛け金率が高くなるものでありますから、高被害地のほうを切りまして低被害地のほうに持っていくために、現実危険率掛け金率との間に非常に差ができます。これが低被害地における掛け金率が高いという農民不満であることは、皆さま承知のとおりであります。  今回の政府制度改正案では、協議会あるいは研究会等でずいぶん御議論のありました点に即応いたしまして、末端組合別危険率を出して、基準共済掛け金率危険率とをなるたけ一致させるということになっておるようでありまして、これは一部低被害地組合員不満を緩和するということにおいて私は非常にいい改正であるというように考えるのであります。  他面、高被害地危険率が非常に高いことが必然その市町村組合員掛け金率を非常に高くするという欠陥がございます。こういう問題につきましては、これは技術的にどうにもしようがない問題であります。何か制度では、それに対して掛け金負担以外の暫定的な補助金を出すということでございますが、こういう補助金というものはある過渡期一つ制度であります。率直に言いますと、こういう高被害地保険制度を適用していくということになりますと、これは非常にむずかしい問題で、今回の政府案では、その矛盾というものを補助政策によって解決していく、こういうことになりますが、制度論といたしましては、今後高被害地における掛け金負担が非常に多くなるのをどう考えるかという問題は、制度自体あるいは米作自体という保険制度以外の問題としてもまだまだ研究しなければならぬというように考えます。暫定的には、そういう制度によって解決をはかっていくということにおいて、一歩あるいは数歩いまの制度よりは現実に密着をしておる、こういうように私は考えて差しつかえないのじゃないかと思います。  第二点は、よく掛け捨て掛け捨てということが言われるのでありますが、保険制度でございますから、ある程度短期的には掛け捨てということもやむを得ないのであります。また危険災害というものを自分で評価するという一つ制度でありまして、これは農業でございますからなかなかむずかしい。これをどういうようにしていくかということについて研究会協議会でもずいぶん御研究になったのでありますが、私は結局、末端において、やはり一つ組合というものが自分責任を感じて、相互に調整をして、まじめにその組合を運営していくということがなければ、なかなかこの問題は解決しないというように考えるのであります。今回、従来の制度根本的に変えまして、末端自主責任を非常に強化するとともに、自主性を尊重いたしまして、いわゆる相互共済と申しますか、自分通常被害掛け金というものは、なるたけ自分の村、組合に置いておこうという一つ制度になりました。これが単に掛け捨てだけでなくて、道徳的な問題等にも一つチェックになりまして、組合員自体自主性的に共済というものを通常の場合は自分で始末するという一つの本来の考え方をもたらす非常に大事な点じゃないか。従来のように九割上に上げてしまうということは、俗にいう親方日の丸的になるのでありますが、今回は少なくとも掛け金的なものは自分の村にある。そうしてそこの組合全体がその金を、残った場合は無事戻しに使ってもいいし、あるいは全体のために使ってもいいという制度になったのは一つ進歩だと思います。やはり自分掛け金とい5のがどこにいくのかわからない、商被害地にいくのじゃないかというようなことよりも、自分らの生活をしている近間の相互農民の間でこれが運用されるという制度が、今後災害補償法といわゆる保険的な理屈というものとをかみ合わすために一番大事な点である。この点も協議会研究会等でずいぶん議論をしていただいた線に沿って解決をされておると思います。ただ、一つ市町村というものが非常に広域的になりまして、ことに水稲作生産の諸条件というものは必ずしも行政村と一致してない。水稲生産条件というものが村あるいは字、地区によって非常に違うために、一村を一本と見ることはなかなかやはり問題が多いのじゃないか。したがいまして、昔のように都道府県標準被害率を出し、それを配分したということが、今度は末端で、ある地域において、ある一町村内の地域においての配分という問題がやはり問題になる。もちろんこれは組合内部の問題でございますが、そういうところにどういう形で一組合内の地域的配分をするかというような問題は私わかりませんが、制度としてはそういう制度ももちろんあると思います。その運用においては、やはり相当慎重にやりませんと、同じ問題を巻き起こすのじゃないかということを懸念をいたします。  第三点は、これは皆さんたびたび言われますように完全てん補主義という保険制度理屈でございますが、掛け金が高くなるという一つマイナス面と、完全てん補制という一つ所得補てんというほうとは必ずしも一致をいたさないのであります。今回の制度改正では従来の農単という考え方を放棄いたしまして、一筆一筆の石建てといいますか、収量建てのいまの制度に一本にしたということでございますが、ただ従来のような七割という形を九割まで認める。三割足切り、こうなりますと、七、九、六三%くらいまではてん補いたしまして、従来のような約四九%よりは、よほど全損の場合におけるてん補によくなったと思う。農単保険というのは、どうしても経営の大きいほうが比較的損をするということになるのでありますが、農単二割足切りといいますか、むしろいいところは低被害地は一割足切りというくらいまでのずいぶん議論をしたのでありますが、その点について研究が足りませんし、事務的に毎筆やらなきゃならぬということ等も考えまして、どちらがいいかということは全く自信がないのでありますが、こういう制度は全然考慮余地がないという断定をするまでにまだ実は自信がございません。政府は、この案では、農単制度を放棄したということになっておるのであります。これはまだまだもっと研究する余地があるんじゃないかというふうに実は考えるのであります。  その他いろいろあるようでございますが、たとえば多年言われております病害虫問題等につきまして災害というのは明確にならなかったのでありますが、こういう問題も今度ははっきりといたしまして、病害虫の問題はむしろ助成補助政策において解決をするということ。幸い農薬の進歩等によって解決をするということになってまいりましたので、保険制度としては、こういう不明確な原因になるものを取り上げなかったことは賛成でございます。  最後に、保険制度運用にあたって付加保険料といいますか、事務費負担が非常に多い。過去において共済掛け金よりも事務費負担の方が多いというような組合があるという話も実は聞いておりました。本来共済制度といたしまして自主的な団体ではなくて、他の団体におんぶをして育ってきたものでありますので、従来とも自主性が比較的少なくて、ようやく制度が確立をしてまいりまして、だんだんと担当する人がふえて、たしか連合会には平均で五十人くらいおるのではないかと思います。単位組合でも五人くらい平均おるんじゃないかと思いますが、こういう方々人件費がだんだんと上がり、先ほどもお伺いしたら五十億近い政府補助があるというので、私の十年前にやっておりました二倍半にもなったように感じるのでありますが、それでも今後の動向を見ますると、付加保険料という問題が非常に大きな問題になりまして、何らか組合において付加保険料のふえることについて、掛け金率の何用にしますか、そういう何らかのチェック材料がありませんと、これがまたまたふえてはいかぬ。これをふやさないために事務能率をどう簡素化するか、制度運用をとう考えるかという問題を考えませんと、全額国庫負担といいましても、結局標準的な予算でございますから、必ずしも全額国庫負担にはならないということになりますと、またまた事務費負担を将来多くする。これを全部国が持つということは、かえって事務能率をどうするか、制度運用をどうするかという問題ともからみますので、何かそこに、今日は比較的上がっていないのは幸いでございますが、今後の問題として、こういう問題についての能率化といいますか、掛け金率に対する何らかの比率といいますか、そういう問題も研究してみてはどうかというような、これは思いつきでございますが気がいたします。  いずれにいたしましても、結論的に言いますると、農業災害補償制度は非常に問題になってから久しくして、ずいぶん議論の多い問題でありまして、末端に私はめったに参りませんが、この制度がどうなるかということによって、これを担当する人々にも非常に不安定感があるようであります。一つ政策というものはある程度妥協でできるのでございますが、ある段階にきました場合は、とにかく一応制度を安定をするということが、この制度を伸ばしあるいはこれに従事する人々を安定して働かせるゆえんだと思います。いつまでも不安定の形でこういう制度がありますこと自身、これはもうやはり考える段階であるし、ある段階のところで清新な気分で制度改正して次の段階に入るということが必要なことと思います。まさしく農業災害補償制度自体は非常に問題が多うございますけれども、そういう意味におきまして、今回の改正法案を私は一応賛成をいたしました。今後発展する日本の農業生産状況の変化というものと見比べて次の問題をまた考えていくというようにすべきでないかという意味におきまして、政府案賛成をいたすものでございます。(拍手)
  4. 長谷川四郎

    長谷川委員長 次に清井正君。
  5. 清井正

    清井参考人 私は、かつて農業災害補償制度協議会政府部内につくられましたときにその議長という役を仰せつかりました関係上、本日この委員会にお呼び願ったものと存ずるのであります。したがって、ただいま政府において提出されております農業災害補償法改正法律案について御意見を申し上げる前に、農業災害補償制度協議会においていかなる審議が行なわれたかということにちょっと触れてみたいと思います。  農業災害補償制度協議会が農林省内に設置されましたのが昭和三十五年の三月二十五日でございます。二年以上前でございます。当時四十五人の委員が選ばれまして、その中には与党、野党のそれぞれの国会議員方々も、その権威者が選ばれまして参加しておられまして、現にこの委員会に御出席の各先生の中にも、その委員として御活躍になった方がおられるのでございます。三月二十五日に設置されました本会議がちょうど三十五年の四月一日に第一回の会議を開きまして、それ以後本会議を四回、六日間にわたって行ない、なお小委員会というものをその中に設けまして、小委員会において慎重、案を審議いたしたのでございますが、小委員会も六回、十日間にわたりまして、三十五年の五月からその十月の終わりまで実行いたしまして、その間、小委員会に至らざる非公式な打ち合わせ会は数知れないほど実は行なったのであります。そういった経過を経まして、非常に粒々辛苦の上、農業災害補償制度協議会結論を持ちましたのが三十六年の二月十三日でございます。したがって、ただいままでにもう二年数カ月を経ているという状況でございまして、当時、私ども関係者といたしましては、この協議会の答申が直ちにその次の国会法律案として成立するものと予測をいたしたのでございますが、自後二年間にわたってそのまま、現状のまま本法律案改正案が実現してない、こういう状況にあることは、私は関係者の一人といたしましてまことに残念なことであると考えておるのでございます。  そこで、この農業災害補償制度協議会結論については、いま詳しく申し上げる必要もないのでございまして、各委員におかれましては十分御承知なことでございますが、そのおもなものは今国会に提出されております法律案関係がございますので、おもなものについて概略申し上げてみたいと思います。  当時、社会党の方、民社党の方も、また与党の方はもちろんでございますが、それぞれの党の方々がこの協議会の中の委員として出席せられておったのでございますが、結局、長い間問題となっておりまする農業災害補償制度についての問題点をこの際抜本的に改正をしたいものだという非常な各委員の熱意が統合されまして、いわゆる小異を捨てて大同につくという考え方で、非常に御熱心な御議論があったのでございますが、それぞれのお立場もある程度捨てられまして、そして一本の案にまとめられたと私は存ずるのが、この農業災害補償制度協議会結論だと思うのであります。  そこで、その中の大きな問題として申し上げることは、すでに本農業災害補償制度の従来からの問題点といわれている点をほとんど全部解決をするという考え方に出発いたしておるわけでございます。  その第一点といたしましては、いわゆる共済関係成立についての問題点でございます。これは本制度国会に提出されております改正案においても実現を見ておりますので、そう詳しく申し上げる必要はございませんが、現行におきます非常に窮屈な共済関係成立関係をある程度緩和するということがその根幹になっておるわけでございます。当初自由加入という考え方も一部にあったのでございますが、やはり理想としてはそういうことが言えましても、実際問題として完全に自由加入ということは農業災害補償制度根本でありますので——かといって現行のごとき一反歩を限度とするがごとき非常な強制的色彩の強いものを緩和する必要があるということで、いろいろその間にくふうをこらしまして、現行の一反歩以上のものは全部強制加入、そしてまた事業もあらゆるものを総合的にやらなければならないということになっている点を緩和いたしておるわけでございます。その点が第一点でございます。  第二点といたしましては、補てん方式としての農家単位収量建ての問題でございます。この点は、当初私ども協議会が出発いたしましたときには、ほとんど農家単位収量建てで割り切るという考え方で進んでおったのでございますが、審議の進む段階において、直ちにそれを実施することができない場合もあるのではないかということが議論となりまして、結局、農単を原則とするけれども暫定的に一筆単位収量建てとすることができるという制度協議会結論としてはつけ加えたわけであります。むろん、農家単位収量建てを実行いたす場合には、いろいろそこに問題点があることは申すまでもないわけであります。農家個々にとってみますれば、あるいは一筆収量建てと比較いたしまして補償を受ける場合が少ないということもありましょうし、あるいは損害評価をする場合にいろいろ事務的に困難があるということもありましょう。いろいろ問題はあるけれども、長年の懸案の問題であるし、この際一筆単位にするということでなしに、農家単位にするということが、ほかの農業制度あるいは農業に対するあらゆる施策から見て、農家単位にこれを見るということが当然考うべきことであるということで、各委員の方の御意見が一致いたしまして、たてまえといたしまして農家単位収量建てということにいたしたのでございますが、結局最後になって、農家単位収量建てにすることが農業災害の実態なり事業運営の実情から見て困難であるというようなことが考えられる組合については、暫定的に一筆単位収量建てとしょうという考え方をとったのでございます。その場合におきましては大体足切りも三割であるとかいうことで、共済金額も大体現行どおりということで、現行ということがたてまえであります。もっとも農家単位収量建ての場合は、二割以上の被害があった場合には二割以上の減収量について共済金を支払うということにして、相当有利に被害者に対する考慮を払ったのでございますが、暫定的な一筆単位収量建ての場合は三割の足切りで行なうという、現行によって行なうということになったのが、最後結論でございます。  第三の問題の共済事故につきましては、いわゆる病虫害の問題でございますが、これは大体大かたの御意見が一致いたしまして、一部いろいろ御異論もありましたが、病虫害共済事故から除外するということと、防除事業制度の充実をはかるということは一致いたしたのでございます。  それから一番大きな問題として取り上げなければならぬ問題として次に申し上げることは、共済責任保険責任の問題でございます。協議会結論は、単位組合通常被害部分責任を負うということにいたしまして、通常被害をこえる部分につきましては農業共済保険事業団というものを設立いたしまして、いわゆる二段階制という制度に踏み切ったのでございます。この点は最後まで非常な問題として議論のあるところであり、現行制度を大きく改変する問題でありますので、いろいろ御熱心な御意見、これは非常に白熱した議論があったところでございます。しかしながら現行のごとくに単位組合がその九割を上に上げていくというようなことであっては、単位組合自主性というものが全然ないという、そこに問題の根源があるわけでございますから、その根底を修正いたしまして、単位組合にはっきりした責任を持たせ、単位組合自主性をはっきり持たして、農業者相互共済という思想をはっきりと打ち出すというところにこの制度改正根幹があるという考え方から出ますれば、通常被害部分についての責任単位組合が負う、それ以上の被害額についての責任農業共済保険事業団というものを設立いたしまして、いわゆる組合事業団というものの二段階制にするということが一番いいということに踏み切ったのでございます。もっともこの結論の出る前におきましては、いわゆる県の連合会というものの存在が強く主張されまして、連合会がいままでそれ相応の成績をあげておられることはいまさら申すまでもないことであるし、諸般の点からかんがみて、通常部分の一部の歩合保険連合会にかけたらどうであろうかという意見がありまして、最後結論に至る段階においては、単位組合はその手持ち責任部分の一部を連合会歩合保険に付することができるものとするという結論が一時出ておったわけでございます。しかしこれはよく考えてみますと、末端組合自主性を持たして責任を負わせるというたてまえに立った以上、その上部の連合会がいかなる責任を、保険設計上、単位組合あるいは国に対して持つべきであるかということにしばしば問題がありまして、いわゆる保険設計立場からいたしますと、組合通常保険責任部分を負えば連合会が負うべきものは何であるかということが非常に問題に相なったわけでございます。しかも途中段階結論としては、組合が負う通常責任部分の一部を歩合保険に付することができるという規定でございますので、これはしてもしなくてもいいということでありますし、保険制度からいきましてここに問題が非常に複雑になる、事務的にも非常に問題になるということで、議論としてなかなか単位組合連合会通常責任部分についてどう一体そのおのおのの責任を持つべきであるかということが議論されまして、結局保険制度根本の問題であるからこの際割り切るべきであるという意見が最終的に結論として出まして、単位組合農業共済保険事業団との二段階制ということになったわけでございます。したがって組合通常被害部分だけの責任を負う、それ以上の被害に相応する責任は全部農業共済保険事業団保険をかけるということに、はっきり割り切ったのでございます。したがって連合会はむろん実際問題としてはその職員なり責任の分担なりあるいは財務の状況等から考えて諸般の問題を全部農業保険事業団がこれを引き継ぐであろうとか、あるいは中央における法人その他の仕事も全部この事業団が引き継ぐという形になるのでありまして、相当思い切った改革ではございましたが、これ以外に保険設計上なし得べき問題はないというところでやったわけでございます。したがって全体を通して全部二段階制という考え方で全部の制度を割り切って書いてあるわけでございます。  なおその次の問題として、掛け金の問題であるとか国庫負担の問題であるとかにつきましては、すでに今度の改正案においても一部実現がされているようでございますが、主としていままではそれが実情に合わないということが問題になっておったわけでございますけれども、これをできるだけ細分化して、組合別あるいは組合の中の地域別によってそれぞれ被害の実態に応じたような掛け金率を計算をするというふうにするとか、あるいは国庫負担につきましても現在の負担方法をそのままやる、あるいは組合等に剰余金が生じたときにはその無事戻し等の制度を実行するというような、当時問題となっておりましたことについて一々回答を与えておるわけでございます。これ全くいまの二階級制によることによって初めてなし得ることであって、その点は今後問題となるところのこの段階制の問題についてきわめて問題点が残るのではないかという感じが、私としてはいたすわけでございます。  基準収量なり損害評価の問題につきましても、なるべく実情に即するような最近のデータをとること、それから現地評価を実際にする場合におきましても、できるだけ損害評価委員会のようなものを設けましてその意見を聞いて、いわゆるみんなの意見を聞いてきめて、頭から押しつけるような損害評価のしかたなりはしないということで、とにかくできるだけ新しい実地に即したきめのこまかいデータをとり、きめのこまかい制度をとることによって、基準収量の問題なり損害評価問題等解決しようというところに、この制度改正根本があったと思うのでございます。  その次の問題として事務費の問題、これは当時もいろいろ御議論のあったところでございますが、制度改正によって事務費がいたずらにふえるということであっては制度改正意味がないことでありますので、農家負担の軽減をはかり、事務の能率化を促進するとともに、その基幹的な部分は全額国が負担するということにいたしたのでございます。  以上、簡単に、皆さま承知のことでございますが、この農業災害補償制度協議会結論というものを盛ったわけでございますが、私どもといたしましてはせっかくこれは皆さんが非常に熱心に、長い間問題となっておった農業災害補償制度を、この際小異を捨てて大同につくの考え方で、とにかく結論に達したのだから、この結論こそはできるだけ早く法律改正によって実際にこれを実施したいということを非常に熱心に希望し、私もそういうふうに希望しておったのでございます。ところが、ただいま申し上げたとおりその間に期間を費やしておるということは、非常に私といたしましても残念に思うのでございます。  そこで今度提出されております改正案でございますが、ただいま申し上げた中にもちょっと触れておきましたけれども、重要な点が違っておるわけでございます。  その一つの問題は、農家単位の方式の問題でございますが、これも当時非常に実行問題として議論のあったところではあったのでございますが、この際一筆制度よりも農単制度に切りかえたほうがいい、いろいろ実行上は問題があっても、困難性はあっても、とにかくその困難性を乗り切って農家単位にいこうじゃないか、これが将来の農業共済制度の方向でもあり、農家単位に見るということは、すべて農業に対する施策の根本なのであるから、一筆ということはやめて、農家単位に見ようということで割り切って、暫定的というような考え方も一時とっておりますけれども、これはあくまでも暫定的であって、根本農家単位にするという考え方であるから、ぜひこれはやるべきであるということの結論によって、この協議会結論が出たわけでございますから、ぜひとも法律案改正におきましても、この点が実現さるべきであるというふうに、私議長立場としても十分この点を熱望をいたしておったのございますが、法律案改正案を見ますと、これは大体現行どおりのような制度になっておるようであります。一筆単位収量建て制で三割足切り、ただ単位当たりの共済金額がたしか九割でしたか引き上げられておるので、実際の共済金額は相当上がっておることになると思いまして、その点は若干の進歩は見ておるとは思いますけれども、しかし根本的に一筆単位というのが取り上げられて、農家単位制度というものがこの際案に出てこないということは、当時の制度審議の経過から見て、私といたしましては非常に残念に思っているところでございます。  第二点の問題といたしましては、先ほども触れました段階制の問題でございます。この点むろん制度協議会といたしましても、にわかに段階制に踏み切るということは、理屈としては言えても実際問題としてはなかなかむずかしいところでありますので、ずいぶん議論があったところでありますけれども、幾ら考えても、結局段階に踏み切る以外にこの制度改正根本改正はできないという結論で、段階制というものを出したのでございますから、この際新制度におきましてもぜひとも政府案として、この段階制が取り入れられてしかるべきであるというふうに考えるのでございますが、案を拝見いたしますと、その点は違ってはおりますけれども、大体現行制度根本的には維持するというやり方になっておるようであります。ただ現行の一割というものを相当引き上げるというふうに考えておられるようでございますし、その他若干の改変を行なっておられるようでありますけれども、結局これは農業災害補償制度協議会におきましても議論されました、末端組合通常責任を負わして、そして組合自主性責任を持たせるという立場に立てば、連合会に一体どの程度の責任を持たすかということが、なかなか保険設計上問題があるということでありましたので、その問題はあくまでも残ると思います。ただ現行制度よりもなるほど今回の政府改正のほうが進んでおるとは思いますけれども、肝心の問題点が今後に残さておることになっておると私は率直に申し上げざるを得ないのであります。  その他いろいろ問題はございますが、先ほどちょっと述べました共済関係成立の問題であるとか、共済目的の問題であるとか、共済事故の問題であるとかいうところは、相当この協議会結論の精神がくみ入れられていると思いますが、基準収量等につきましても、非常にきめのこまかい、いわば組合ごとのデータをとるということになっておるようであります。損害評価につきましても、同様非常にこまかい細目別にわたった、県単位というようなことでなしに、組合単位としたところのいろいろのデータをとることになっておりまして、現行よりも相当協議会の精神がくみ入れられておると思いますので、この点についてはたいして申し上げることはないのであります。  何と申しましても、一番大きな問題になるところは、農家単位制度の問題と、責任方式の問題、すなわち二段階制であるか三段階制であるか、この問題が根本の問題であると思います。  以上申し上げましたのが今回政府から提出されました改正案に対する問題点であると思うのでございますが、ただ私率直に申し上げさせていただきますると、この協議会結論が出てから二年以上たっておるのでありますが、いまだに制度としては、二年前に協議会において現行制度問題点として言われていることが、そのまま問題点として残っているわけであります。そこで結論が出てから二年間空費されているということは、農業災害補償制度の健全な発展から見て、はなはだ残念なことであると思います。したがって私は今回出されました法律案改正が、農業災害補償制度協議会結論とは重要な点において異なっておると思いますけれども、その他の点において相当入れられておると思うのでございますので、私どもはこの改正案がすみやかに成立をいたしまして、一日も早くこれが実施されまして、農業災害補償制度現行問題点解決するほうに一歩でも二歩でも進めていただきたいというふうに考えるのでございます。実は、私は昨年の四月にも本国会参考人としてお呼び出しを受けまして、同様なことを申し上げた記憶があるのでございますが、それからまた一年以上たっているという状況でございます。そのときにも私は同じようなことを申し上げまして、ことにこの法律案が一歩でも二歩でも現行法よりも進んでいるものならば、法律の改正案を通してもらいたいという希望を申し上げましたが、同じことを今回また申し上げることになります。しかも、それから一年以上たっておるわけでございますから、私といたしましては、とにかく問題点はあると思いますけれども現行制度より少なくとも協議会意見の中のある部分なり、相当部分が入れられておるのでありますから、その点をわれわれとしては強調いたしまして、できるだけ早くひとつ本制度を実施に移しまして、農業災害補償制度を一歩でも二歩でも前進させていただくということが、この場になってはきわめて有意義であると考えるのでありますが、率直に私の意見を申し上げます。  この制度の一日も早く成立されんことをお願い申し上げまして、私の意見開陳を終わらせていただきます。(拍手)
  6. 長谷川四郎

  7. 梅森正行

    梅森参考人 実は、私はざっくばらんに申し上げますと、ここ数年、農業災害補償制度研究はやっておらない者でございます。五年前に一小論文を書きました。おそらくはきょう参考人として呼ばれたのも、その小論文、つまり私が五年前にまいた種を刈り取るために呼ばれたのではないか、こう思いますので、この論文の中で私が述べましたところのポイントを申し上げまして、御参考に供したいと思います。  大体農業保険法の場合でもそうですが、この災害補償制度の場合でも、要すれば食糧、特に米ですが、米の確保したいというためにできた制度だと考えております。ですから、一番悪いところ、限界生産地というようなところにおける生産をも確保したい、そして米の絶対量を確保したいというところからこの内容を見ますと、限界生産地保護的性格が非常に強いのでございます。ところが御承知のように、昭和三十三、四年ごろからわが国における米の需給体制というものは、ほぼ見通しがついてきたように考えられます。むしろ今後においては過剰化傾向すら生まれてくるというのが一般論ではないかと思うのです。こういうふうな食糧不足時代にできたこの制度が、食糧過剰時代になってきた今日においては、その意味も変わってきたのではないか。つまり、限界生産地保護的性格を脱却すべき段階ではないかというのが私の考え方であります。  それから、その制度の中の矛盾点につきまして二、三点述べております。その第一は、この制度がよってもって立っておりますところの共済精神というものに疑問を持っておるのです。これは隣保共助の精神とかうるわしい農村の純風美俗と称せられまして今日まできたわけですけれども、この共済精神は、大体昔の大字制度、部落の中におきましてお互いが助け合う、しかもそのときは労力を出し合うとかあるいは物を出し合うというふうな形においてお互いに助け合うという精神でございます。こういう精神が隣保共助の精神あるいは共済精神だろうと思うのであります。この考え方がいまでも農村にはございますけれど、その精神が作用する範囲はごく限られた小区域の中だろうと思うのです。その精神をもってだんだん大きくなってきた市町村というふうなものに押し及ぼせ、こういっているのがこの制度の行き方ではないか。ですからわりかた高い地帯被害率を低い地帯被害率にも加えるというふうな平均化が行なわれるわけでございますが、それは結局共済精神で納得してもらうという行き方だろうと思うのです。この行き方はいまの社会、農村ではすでにその神通力を失いつつあるのじゃないか、こう考えるのであります。ですから、私はよろしくこの共済精神を保険精神、危険のために共同準備財産をたくわえる、高い被害の人はよけい出す、低い被害の人は少なく出すという純然たる自分のための財産の共同準備という考え方に切りかえる必要があるのじゃないか、こう考えるものであります。  第二には、保険需要が農村にはない。保険欲望はあっても需要はない。要すれば、それは農家に経済力がないという議論がございますけれども、私はそうは考えないのでございます。最も農家に欠けておるものはお金ではなくて頭だろうと思うのであります。つまり、農業経営の中におけるところの計画的な配慮がない。これが一番の欠点だろうと思います。これがまた保険を生み出す需要の根源だろうと思うのです。私は保険需要の生まれてくるのはこの考え方、計画的配慮という精神から生まれてくるのではないか、こう思うのです。計画的配慮がないということの例を申し上げますと、たとえば負担能力がないとよくいわれますけれど、現在農村には百四万台の耕うん機が入っておるといわれます。その五分の四は過剰投資といわれておりますので、大ざっぱな計算でございますけれど、約一千六百億円の金は過剰投資されておる、こういえるかと思うのです。そういうふうな農家の経済において、保険料、共済掛け金ですかの負担能力がない、むしろそういう過剰投資を平気でやるというところに計画的配慮がない証明ができると思うのです。次に、第二の例といたしましては、農村に簿記がなかなか普及しないということ。これはやはり農家の経営の計画性がないということの一つの証明になるだろうと思うのであります。  第三には、この制度の中で、一番やかましい問題でありますところの無事戻し、この無事戻しに対する要求が非常に強うございます。この無事戻し要求の強いということは、一つは、それは掛け金が実態に沿うておらないということにも基づくものでございますけれど、結局私はこれは農家の保険的観念の欠除だ、こう考えるのです。大体損害保険におきまして、保険料というものは掛け捨てになるほうがむしろ実際としてはうれしいことであるわけです。保険料というものは安心料として、願わくは災害がないほうがよろしいはずでございます。ですから、もし無事であったならばこれに越したことがないわけですけれど、現状は非常に無事戻しを要求いたします。これはこの制度に農家が保険的観念をもって向かっていないという面をあらわしておると思います。  第四の例証といたしましては、一筆単位制度がなかなかやめられないという点にあるだろうと思います。ほんとうに農業経営の計画的な配慮をやっていく考えであるならば、いざ災害のとき補てん率の高い農家単位制度のほうを喜ぶはずであります。しかし現状は、農家単位が否定されまして一筆単位が非常に歓迎されておるということは、結局、災害があったときに補てんするという考えよりも、なるべくもらうチャンスが多いほうがよろしい、そういう考えからだろうと思います。計画的な観念からいけば、災害のあったときにはぜひ補償してもらいたいが、ない場合はいただかぬでもよろしいという考えになるはずだと思うのです。  以上四つの例証をあげまして、この保険需要がないという考え方に対して、私は、そうではなくて、それは金がなくて保険需要がないのではなくて、農業経営における計画的配慮がないからそこから保険需要が生まれてこないんだ、こういう考えでございます。  その次に問題は、機構上の問題でございます。これは頭のほうが官営になっております。そして足のほうが民営になっておるわけでございます。これはよくげたばき式とかあるいは人魚式とか言われるわけでございますが、ここにどうしてもこの制度は上と下がちぐはぐになる根本的な欠陥を持っていると私は考えております。足が右に行こうとすると頭が左に行く。最初のうち、この制度は大体足のほうで歩っておったように私には見受けられる。つまり、下のほうの活動で戦後動いておった。そのうちにだんだん態が整うに従って、官のほうが強くなってきて、今度は官に引きずり回されるというふうなぐあいになってきた、 こう考えております。この点もどちらかに——といってもおそらく全面的に民営ということは不可能ですから、私は頭の線に没って下まで一本化すべきだ、こう考えております。  それから、そういうふうなこの制度に対する考え方から、私は基本的な改革の方向はどうあるべきかということを考えまして、約数点について意見を持っておるのでございます。  第一点は、常襲災害地というものはこの制度から除くべきだ、こう考えております。これは偶発的事故というものが保険の要因でございますから、常襲的な経常的なということになれば、そこに保険の基礎がないわけでございます。こういう地帯は、常襲災害地でなくなるようなふうにほかの政策を講ずるべきである。保険のこの制度の中にはうり込んで解決しようというところに非常な無理があるのではないか、こう考えております。それから、最近だんだん安定地帯がふえてくるようでございますけれど、安定地帯は任意加入にすべきだ、こう考えております。そうでないところ、普通の安定地帯災害常襲地の間、この辺がまあこの制度の最も対象になるところではないか、こう考えております。  それから先ほども申しましたように、機構はやはり公営か国営に一本化すべきだ。そして引き受けの方はどうしてもこれは農単にせねばならない。一筆単位ということは保険制度という上からいったならば、一つの矛盾である、こう考えております。  さらに保険料率を部落単位程度にまで細分化していく必要がある。もちろん相当の手間がかかりますけれど、そういうところにはたとえ手間がかかっても金をかけるべきだと考えております。そして低災害が低掛け金に、高災害が高掛け金に、スムーズに反映するようにすべきではないか、こう考えております。  損害評価につきましては、これは非常にむずかしいと思いますけれど、なるべく可及的に下の段階損害評価の決定機関を移していくことが望ましい、そうして即決主義的な行き方が望ましい。なるべく最近の災害にウエートを置いて料率は出していく、そうして試行錯誤的にあとからどんどん変えていけばいい、こういう考えを持っております。二十年というふうななにを考えないで、どんどん最近の被害にウエートを置いて料率をきめていく。そうしますと大きな被害があってそのあとで災害がなくなりますと、すぐ大被害のときのなにが保険料に反映しなくなりまするけれど、そのくらいなことはしようがない、こう考えております。  以上が私が五年前に書きました小論文の中におけるところの考え方でございます。その後本制度についての勉強は一切やめておったのですけれど、あるときまたこの制度についてものを書かなければならぬはめになりまして、一つの反省をいたしました。というのは、これほど金を使ってみんなが一生懸命になってやっておって、これほど評判が悪いと言うと少し大げさですが、評判の悪い政策というものはない。一体これはどこかに大きな食い違いがあるのじゃないか、何だろうという反省をいたしました。その結果こういう結論に到達しました。結局、現制度農民の、つまり百姓の好みに合わないのだ、こういう考えになりました。百姓はあめ玉——われわれか小さいときにあった一銭でくる大きな黒いあめ玉が好きなんだ、ところがこの制度はキャラメルなんだ、あめ玉がほしいというのにこっちのほうが滋養がいいから、栄養が高いからといってキャラメルを与えようとしておるのじゃないか、子供はあめ玉がほしいというのに親はキャラメルをくれようとしておるのではないか、こういうふうな考え方を持ってきたのです。この制度も、いろいろ強制加入とか国がうんと銭を出しているといいますけれど、やはり百姓はお客さんなんですね。ですから、そのお客さんにサービスする、お客さんの気持をくむ、お客さんというものを大事にしなければいかぬということをよく考えねばいかぬと思ったのです。いまの農家の心情では貯金とか借金とかいうことはわかる、しかし保険ということはわからないんだ、こういうふうな結論になってきたのです。ですから、そういう、やはり保険にしましても、保険にはなるべく少なくかけておって、そうしてあと何か起きたときは自創資金とか災害融資法でまかなうようになるのだ、こんなふうにものを考えたのです。といって、それならば最初からまるきりもう政府が出している金を災害が起きたとき補助金として分けてやればいいという考えにはならなかった。そうなってはこれはあめ玉ではなくて黒砂糖になってしまう、こう思ったのです。ですからやはり農民の感覚——低い感覚にあると思います。しかしその低さに合わした制度でいかなければ要すればこの不評判ということは解消しないだろう、こう考えたのであります。  それで、いま出ております改正案に対する私の意見は、実はまだよく研究しておりませんので、申し上げる段階ではないと思いますけれど、まあ気のついたところを二、三申し上げますと、末端組合共済責任を拡充したということは、結局はこれは無事戻しのチャンスを多くするということがいままでよりも違うところだろうと思います。その点、無事戻しが好きな農家のあめ玉には非常に向いておるだろう、こう考えております。  それから、補てん内容を充実いたしました。しかしながら、もし農家に保険の意欲がなかったならば、やはりいままでと同じような——二十七円かかいままでの平均と聞いておりますけれども、そこからそう違わない保険金に落ちつくのではないだろうか。とにかく意欲がなくちゃ結果的にはそう変わらないのじゃないかという懸念を持っております。ちょうどプールを開きましても、泳ぐ意思がなければ、やはり端の方でジャブジャブするよりほかない、こういうふうな感じを持っております。それで本制度は、全国の農家にばらまかれるところの保険金の総額というものは大きなものであります。しかしながら、その個々の農家に分けられた金額というものは非常に少ない、こう思います。ですから、この補てんの方法をもっと力を入れるといいますか、多くするということをしないというと、保険の効果というものは、百億の金を使いましても、個々の農家における受けとめ方は、もしかりにゼロであったとしたならば、全部足しても保険効果はゼロになるのじゃないかという懸念を持っております。  共済掛け金率を新しく、県別を組合ごとにしたという点につきましては、大へん進歩だと私は考えております。また国庫負担の割合の超過累進方式、これも非常にけっこうだろうと思います。ただ、いままでよりも高くなるところに、ここ三年ほどですか、国庫補助をするというところがありますけれども、この点につきましては、それでけっこうなんですけれど、私の考え方からまいりますと、高被害地、非常に災害の多いところ、あるいは常襲災害地で収量の少ないところは、これからの段階においてはだんだん米作から離れるべきだろう、こう考えております。ですから、非常にその被害の高いところは、今後の農政としては、そういうところで米をつくらないで、酪農を振興するなりなんなりしていくべきじゃないか、だから、この差額国庫負担も将来検討すべき段階がくると思います。  画一的な強制方式を緩和したということは大へんけっこうだと思っております。  それから、水稲病害虫防除を事故からはずした、これももっともなことだと思います。ただ現在共同防除でないといかぬ、こういう点がありまして、この分の国庫の負担というものは一億かそこら辺に聞いておりますけれど、これから水稲の防除というようなことは、おそらくはほとんどヘリコプターその他の大型の防除機具でやられるようになりますから、将来はこの国庫補助というものは全面的に防除費を背負うようなことにならぬとも限らぬだろうと思っています。  あとは、げたばき機構は従来どおりです。これは未解決だと私は考えています。農単にしないというのも、これもやはりあめ玉政策でしかたがないと思っております。やはりあめ玉からだんだんキャラメルにしなければいかぬという結論をいまは持っております。  最後結論を申し上げますと、結局農家が零細で、そうして企業的な感覚がないというところから、保険というものの成立の要因が薄れておる、こう考えます。ですから、やはり今後の農家の育成としましては、例の基本法にある自立農家の育成とか、あるいは協業化、法人化というふうなことをして、農業経営の近代化をはかるということがまず一番前提になるんじゃないか、こう考えております。それがなければ、なかなかいまのあめ玉の好きな農家に合う政策はむずかしい。あめ玉とキャラメルをチャンポンでいかなくちゃならぬ、こう思うのです。どうしても農家自身を、保険を受け入れるようなそういう近代的農家にしていかなければいかぬ。さらに、これからの日本農業の方向が選択的拡大の方向にあるといわれております。そうしますと、この選択的拡大の方向というのは大規模経営であり、また多頭羽飼育というような線だろうと思うのです。そうするとこの経営はみな企業的な経営になります。この企業経営を損害から保障するということは、今後の日本農業の発展の方向からいって最も大切なことだろうと思うのです。その意味において、水稲、麦等に低迷しておられないで、新しく伸びる農業、しかもその近代的な経営に対しても、本制度が手を伸べていかれることを期待したいと思うものであります。  以上で私の意見を終わりたいと思います。(拍手)
  8. 長谷川四郎

    長谷川委員長 次に山内豊二さんに願います。
  9. 山内豊二

    山内参考人 ただいま御紹介にあずかりました山内でございます。  最初に農業災害補償制度の今後のあり方をどう考えるかということをお話ししたいと思います。  第一の問題点は、作物災害というものが今日どういう動向をたどっているかという点でございますが、この点から実は話をしてみたいと思います。と申しますのは、この制度が発足いたしました、先ほどのお話にありました当時の事情から考えますと、非常に安定化の傾向をたどっております。しかしながらその内容というものを見ていきますと、これはいろいろな作物によりまして状況が変わってくるんじゃないか、そういった意味から、まず最初、災害というものを今日どういうふうに認識すべきであるかということから問題を発展さしていきたいと思います。  災害というものは、御承知のように単に自然的な現象じゃございません。いわば経済現象でありますから、その社会における技術段階なりあるいは国家の投資なり、そういった一切の社会経済的な諸現象とともに動くものだと思います。その条件が今日、経済発展とともに、いろいろな側面から動いている。そうしてその結果としてマイナスの面が災害として出ているんだ、こういうふうに見られるんじゃないかと思います。そういった側面から災害というものをまず最初に分けてみますと、大体三つに分かれてくるように思います。  一つは、自然災害を起こしますところの変動要因というものが社会的な抵抗を越えて起こるようなもの、いわば大災害と申しますか、社会的な技術的な抵抗を越えて起こるものでございますね、そういったものが一つあると思います。  それからもう一つの作物災害は、その変動要因がもたらしますところの影響——災害で、ございますね、それが農業技術の水準いかんによって左右されるものというもの、これが第二の分類であります。病虫害とかあるいはそういった技術段階で左右されるものであります。  それから第三の分類は、自然の変動する要因が土地に結合しているものであります。これは特に水を中心といたしましたもので、たとえば水の過剰なりあるいは不足というものが土地に固定している、いわば常襲干ばつ地であり、あるいはまた常襲水害地であるというふうに言えると思います。  しかしこれは一般的な分類でございますけれども、この三つに災害を分けてみました場合に、今日これはどういうふうな形で動いているかという点でございます。私はここで稲作とそれからリンゴについて、二つの事例としてお話をいたしたいと思います。  稲作の場合は、最近の技術進歩によりまして、第二に分類いたしましたところの変動要因の影響が技術水準いかんによって変わるという災害でございますが、これは御承知のように技術の発展とともに次第に安定化の傾向を見せております。と申しますのは、最も端的に申し得ますのが病虫害あるいは冷害であります。あるいは早期作という技術を伴いまして、台風の回避といったものが出ております。それから、三番目に申しました常襲災害地でありますけれども、これも実はこの数年間非常に安定化の傾向をたどっております。と申しますのは、国家の土地投資が非常に増大いたしましたことと、それから農家自身の土地利用がきわめて変わってきております。たとえば、昭和二十五、六年のことでありますけれども、私非常に兵庫県の干ばつ地を歩いたことがございます。これはまさに常襲干ばつ地でありますけれども、今日これは田畑輪換作によりまして、橄欖と乳牛を主体とした経営に移行しております。こういった意味で、あるいはまた山間部の冷水害を受ける地帯といったものは早期作を導入する、あるいはまたいもち病がよく発生してくる地帯というものにはセレサン石灰というものが非常に効果を発揮しだす、したがって、ここに肥料の増投が可能になるということで、いわゆる常襲災害地と称されるものの内容が、実は今日非常に変わってきたのじゃないか。かつていろいろ議論をされておりましたときに、常襲災害地ということが固定化しているように考えられておりましたけれども、今日実は常襲災害地というものの固定性が解かれている、解消いたしているという段階にあるのではないか。ただ、最初に申しましたところの大災害、いわば非常に大きい自然の力によって起こってくる大災害というものは、まだ相当な危険をはらんでいるのではないか。これが実は最近の稲作災害の結果ではないかと思います。むしろ逆に稲作災害の場合には、自然災害というよりも経営的な災害というものが実は出ています。と申しますのは、香川県等で晩期栽培をやりますと、実は無理におそく稲をつくる結果——一年間に三毛作をやりますから、稲作の収穫期がおくれますから、その結果、米に冷害が出てくるというふうな結果が出てまいります。これは経営というものが発展していくに従ってそこに摩擦として出てまいりますところの経営的な災害ではないか、こういうふうに稲作の場合には実は安定化の方向をたどっているのではないか、こういうふうに考えられるのであります。  これに対しまして、それでは他の作物についてはどうかということでありますけども、私、ここでひとつ果樹のリンゴの場合を例として考えてみますと、リンゴの栽培技術というものも水稲と同じように確かに著しい進歩を遂げているわけでありますけれども、栽培技術で克服し得る範囲というものは水稲よりもずっと狭いように思われます。したがって、その被害がもたらしますところの深さも実は水稲に比してずっとはなはだしい、大きいものがあるのではないか、こういうふうに思います。それからなお、果樹の場合は、今日果樹をめぐりますところの諸条件が非常にいいものですから、農家が強気になりまして、どんどんと栽培面積を拡大いたしております。これは必ずしも適地でないところにも実は果樹が植えられていくという現象でありまして、この意味においては不安定栽培と申しますか、それが実は拡大をしていく傾向がある。この意味において、実は稲作とある意味においては対照的な面を持っております。  このように、作物がいかなる経済的な意味を持っているかによりまして災害の性質というものは実は変わっているように考えられるわけであります。したがいまして、こういうふうに、作物をめぐりますところの社会的な条件の変化に伴いまして、それをめぐってくるところの、その結果として起こるところの災害というものも変わるわけでありますから、農家の作物災害に対する考え方あるいは評価というものは実は変わってこざるを得ないわけであります。  こういうふうに最初に実は作物災害というものの今日の現状を考えてみたわけでありますけれども、そういたしますと、農家は作物災害に対して危険の意識があるかということと、それから農家が危険な安定作を必要としているかどうか、必要としているならばいかなるものに対して必要とするのかということが、災害補償法を考える場合の第二の基本点になってくるわけであります。  私、昨年の四月この参考人に呼ばれまして、農家の経営意識、危険意識についてはお話し申し上げたわけでございますが、その意味で若干ダブるかと思いますけれども、もう一度、果樹を加えました範囲で農家の作物災害というものに対する不安定感というものを考えてみたいわけであります。結論的に申し得ますことは、実は、作物災害というものと、それから農産物の価格の下落というものと、それから家畜の死亡というものと、それから家屋の火災、農具の破損、肥料価格の低落といいますか、経営をめぐる一切の不安定要因というものに対しまして、農家の不安定感の順位を実はつけてもらったことがあります。これは一番安定地帯でありますところの山形県の藤島町とそれから青森県の黒石市、すなわちそれはリンゴ地帯でございますけれども、ここで同じ質問をやってみたわけであります。その結果出てまいりましたことは、さしあたって農家が不安定として考えることは、やはり第一順位として作物災害という点に集中するのと、それから農産物の価格の下落というものが第二の順位に入ってまいります。これはリンゴ地帯ではやはり同じ結果を得ております。それから第三の不安定要因としては、生産資材としての肥料の低落ということで、資本財に対する不安定感というもの、たとえば家畜あるいは家屋、農具といったものに対する不安定感は、ウエートが非常に軽くなってきております。  ただここで一つ問題点があるわけでございますけれども、農家の不安定意識というものと危険安定作を必要とするかどうかということは、実は問題は別になってくるわけであります。と申しますのは、たとえばここで家畜の死亡なりあるいは家屋の火災といったものの不安定感としての順位というものは、非常に低いわけでありますけれども、一方保険の側面から見てみますと、家畜保険あるいは建物保険として任意保険が実は成立をしているわけであります。なぜここで農家の言いますところの不安定感あるいは危険意識というものが高いのにもかかわらず、逆に申しますと、低いものに任意保険成立しているのか、いわば保険需要がどうしてそういった危険意識の低いものに生まれてくるのかという点が、問題になってくるわけであります。これは危険というものが、農家にどれほどの経済的な損害を与えるかということによって変わってくるわけでありまして、農家がいま答えました不安定感というものは、身近に感じる、先ほど申しましたアンケートで出てきますものは、常に身近に感ずる不安感といいますか、そういったものでありますけれども、ほんとうに農家が経済的に、個別経済自身に非常に深刻な危険を与えるというものに対しましては、実は単に危険の頻度と申しますか、そうじゃなくて、危険の深さとの関係において、保険に対する考え方というものが頭を持ち上げているわけであります。普通は保険の対象としております危険は、一般に言われておりますことは、その発生によりまして、経済上の損失というものが私経済というものを窮乏におとしいれるものだということを言っております。したがいまして資本財の損失というものは、資本財価額が高いわけでありますから、農家の所得に対しまして非常に大きなウエートを持ってまいります。あるいはまた経営上相当な打撃を与えます。この意味におきまして危険の発生の頻度は低くても、やはりそれが起こった場合の打撃というものを農家は考えまして、かりに危険の発生の頻度は低くても保険に入ってくるといった実情であります。  そこで問題は、農家が危険の安定作というものを選択していく場合には、単に危険意識というだけじゃなくて、危険の深さというものに実は問題がくるのではないか。たとえばしばしば作物災害というものを見てみますと、非常に低度の被害というものは、常に農家の周辺に起こっております。したがってその意味では、確かに私たちの月給がかりに一カ月千円減りましてもつまらぬという感覚があるのと同じの不安感を実は農家が持っておる。したがいましてそうした浅い危険に対しては、農家自身としてはつまらぬと思うけれども、農家自身の持つ経済的な抵抗力によって実は対応ができるわけであります。それからやや程度が上がった場合にでもみずからの財力といいますか、そういったものあるいはまた金融的な手段の範囲内において、その危険に十分対応できる自信もある。しかしながら災害というものは、非常に深くなってまいりますと、単に金融あるいはみずからの財力としてはいかんともしがたい、このときには、実は保険的な措置というものを要望するのじゃないか。だから農家が災害を受けてどういうときに最も困るかといえば、実は保険というものとの関連において大きい問題になるのじゃないか、こういうふうに思います。  そこでそういった側面から今後の作物保険政策というものをどう戦略的に考え、あるいは運営していくかということが実は問題になってくると思います。  まず最初に考えなければいけないことは、先ほど申しましたように、危険意識というものは、調査の結果としては非常に大きく出るわけでありますけれども、なぜ作物保険は農家に歓迎されないのかということからここで考えてまいりますと、その一つは作物保険の用役というもの、農家にもたらしておりますところの保険の効用という問題であります。それは、その農家にとりましては、少なくも出しました農家の考え方から見まして、保険料を支出したものよりも見返ってくるところの保険の効用が高いという範囲内においては、農家は保険というものを見直すだろうと思います。しかしそういった場合にその保険の効用を高くするということは、実はどういうことであるかということになってまいります。それはその保険料を安くするということと、それから保険の効用が、農家が必要とするときにきわめて大きく作用するということになってくると思います。したがってそういう二つの条件を考えてみますと、これを充足するためには結局危険の深さというものに注目せざるを得なくなってまいります。ということは、深い災害、いわば非常に強い災害であります。農家の経済的な再生産を非常に困難にするような災害というものは、頻度も実は小さくなってまいります。したがいまして保険料も実に安くなってくる。したがってこれは農家の支出保険料というものを非常に下げる結果をもたらします。それと同時に、これに対しまして十分な補てんをやることによりまして、保険の効用というものが増大をしてくるわけであります。従来確かにたくさんな保険金が農家に払われておりますけれども、先ほど梅森さんのお話がありましたように、実は散布されたにすぎない。保険の効用というものを実はもたらしていないじゃないかというふうに思われるわけなんです。しかも付加保険料というものが非常に高いということでありますから、どうしても農家としては、これはかなわぬという結果になるのじゃないか。したがいまして、従来の制度というものは実は労多くして効が少ないのだ。農家がこれはかなわぬという。実はその農家自身に決定的な打撃を与える危険をいかにしてとらえるか、そしてそれをどう保険でもってカバーしていく、あるいは補てんしていくかということになってまいりますと、いま農家の考えておりますところの災害補償制度に対する感覚は変わってくるのではないか。いままでの保険に対する農家の考え方というものは、実はきわめて保険効用の低いものに対して、むしろより高い保険料を支払っているような感覚を持っているわけですから、結局もっと災害をしぼりまして、災害の深さに目を合わせまして、その点に戦略的に保険を運営していくという点が今後の一つの方向ではないか。そしてまた、先ほど申しましたように、作物災害の性格というものが、その時代によって変わってまいりますけれども、少なくとも安定化の方向をたどる。常襲災害地あるいは技術との函数であるところの災害というものを克服していく条件が、着々出てくる段階でありますから、そうなってきますと、どうしてもこれからの方策としますと、そういったものは技術なりあるいは生産政策に譲りまして、最も農家に打撃を与えるところに保険の運営というものが戦略的に適用さるべきではないかというふうに思います。  それからもう一つは、先ほど申しましたように、作物の災害は従来米麦作に限定されておりまして、それに対する感覚でもってながめられておりますけれども、もう少し視野を広げてまいりますと、作物災害の性格なり、あるいは発生の構造というものは、それぞれ違った問題が出てくるだろうと思います。したがいまして、従来の限定せられた対象というものを拡大していくということが、今日の保険政策を脱皮せしめていくのでないかということが考えられます。と同時にもう一つは、保険自体が単に一つの特殊部落的な形で独立することなくして、もっと農政の体系の中に位置づけられていくことが必要ではないか。いわば金融政策なりあるいは生産政策とともに、保険政策というものの意味を本質的に考えまして、そしてこれを戦略的に使っていくということが、実は重要な問題じゃないかというふうに考えます。  それからこれは今後のあり方でありますけれども、なお最近の農業構造の変革との関連で見通してみますと、やはり経営規模が拡大していくということも一つの方向であるでしょうし、したがいまして構造的な抵抗性も実は出てくるだろう。そういった側面からいたしましても、やはり先ほど申しましたような深い損失を与える災害というものに対して危険政策というものを適用していくことは、その意味から見ても妥当するのじゃないかというふうに思われます。  それから今度の改正法案でございますけれども、この内容を拝見いたしますと、今日保険対象作物というものが安定化をしているという事実を認識して、それからまた農業構造の変革というものが過渡期にあるんだという二つの認識の上に立って、実はドラスティックな改革が困難だということで出されたものと私は了解をいたしました。その意味から見ますと、現在の問題点に対しましては、従来に比して一歩前進をしたように考えられます。  ただ若干問題点を申しますと、農業共済組合共済事業の拡充という点でございますけれども、これはディセントラリゼーションといいますか、集中化に対しまして分散化の傾向であるというように、保険責任に対する分散化の強化だろうと思います。これは農家の現実的な欲求に立ったものであり、そしてまたこの中に備荒貯蓄的な考え方を持っていこうというふうにも理解できるわけであります。  この点を二つの側面から考えてみまして、一つ保険という側面から考えますと、ディセントラリゼーションすることがはたして保険運営上、コストを下げていき得るかどうかという点が問題になってきますのと、それから従来から申しますと、危険集団が拡大をすることが、一つ保険の歴史的な発展でありますけれども保険それ自身からながめていきますと、実は逆の形であるのではないか。というのは、共済組合自身が十分その運営にたえていけるかどうかという点が問題になってまいります。したがいまして、これに対しては十分な金融的な措置なり、別の補強が必要ではないかというふうに思います。  それから、なおこの中に読み取れることがございます。一つ災害ということが——この制度の中に備荒貯蓄的な形で対処し得るもの、私が先ほど申しました保険の適用をしなくてもいき得るような深さの災害というものと、それから保険によりまして、ドラスティックな災害補償していこうというふうな二つの思想があるのではないかというふうに、この中で私は見取りました。したがいましてこの点は問題点と申しますよりも、これが将来どういうふうな方向に動くかということが、やはり保険のこれからの動向を示すのではないかというふうに感じ取られます。  それから一筆収量建ての問題でございますけれども、これは実は私の独断かもしれませんけれども、不安定地、特に常襲災害地というものが今日実は非常にゆるやかになってきつつある、解消しつつある段階ではないか、そうしますと、農単制度というものは実は理論的に申しまして、当然そうあるべきものだと思うのでありますけれども、常襲災害地が次第に解消している段階、それからまた農業技術によって克服し得る災害というものが、次第に安定化しつつある段階におきましては、一筆収量建てをとっても、それほど悪い影響というものはないのではないか、もちろん常襲災害地は残っておりますから、やはり完全には解消しておりませんから、その意味においては確かに共済金てん補の偏在性というものは出てくると思いますけれども、しかしながら従来に比してこの点は緩和されたんじゃないか。今日の災害構造からながめましてそういうふうに思います。  それからもう一つ、今日の損害評価技術という側面あるいはそれの効率を高める面から申しますと、いまの段階では一筆収量建て、やむを得ないじゃないかという私は感じがいたします。  それから第三番目に画一的強制保険の緩和でございますけれども、これは当然一つの自然の道であります。しかしながら、単に今日対象にいたしておりますところの米麦作といったものの画一的な緩和をはかる、かたわら新しく保険の開発というものがあわせ行なわるべきではないかという点を感じました。  以上、簡単でございますけれども、私の意見を終わります。(拍手)
  10. 長谷川四郎

    長谷川委員長 以上で参考人の御意見陳述は終わりました。  これより質疑に入ります。  質疑の通告があります。これを許します。足鹿
  11. 足鹿覺

    足鹿委員 大へん貴重な御意見を各参考人からお聞きいたしまして、厚く感謝をいたしておる次第であります。  最初に東畑さんに伺っておきたいのでありますが、あなたは農業災害補償制度研究会の会長として、昭和三十五年三月十六日に「農業災害補償制度改正考え方」というものを取りまとめられて、政府に御提出になっております。その内容は私ども当時拝見をいたしまして、非常に示唆に富んだ、また相当突っ込んだ御検討をなされ、それらが大きく参考とされて、制度改正協議会等においても議論されたことは、先ほど清井制度改正協議会長のお話の中にも伺えたと思います。にもかかわらず、先ほどは全くきわめて簡単に、今回の改正には賛成だというように割り切っておられます。そして最後に、次の段階に備えなければならないという趣旨の御発言があったと思うのであります。そこで伺いたいのは、今回の参考人の御出頭をわずらわして伺いたかったのは、制度改正根本的なあり方はどうか、農業構造の変化等、日本の農業が大きく変貌しつつある中にあって、水稲のみにとらわれた部分的な手直し程度にすぎないではないか。したがってこの問題はこの問題として論議をするとして、制度の本来のあり方、また今後の拡充強化の方向はどうか、そういったような点についてあらかじめ御案内を申し上げて、御意見を承ることを期待しておったのでありますが、先ほどのお話では、改正案問題点に若干触れられ、そして一応やむを得ぬから賛成だという、きわめて簡単に割り切っておられますが、それはそれとして、あなたのお考えですからやむを得ないといたしまして、次の段階に備えるということは、つまり今後の制度のあり方についてのお気持ちのあらわれであろうと思うのでありますが、そういう点から今後どう考えておられるかということが一つ。  それから、三十五年の三月十六日に結論をお出しになった「農業災害補償制度改正考え方」というもののおもなる条項が七つばかりございます。それは相当思い切った対策を打ち出しておられますが、その考え方に対して、現在は、あの研究会考え方は間違っておった、これはいたし方ない。で、現状でいいというお考えでありますか。その辺の関係を明らかにしていただきたいと思います。
  12. 東畑四郎

    東畑参考人 農業災害補償制度研究会、私、座長をいたしましたが、研究会は公の制度ではございませんで、農林省の、当時の保険関係一つ研究として取りまとめたものでございます。したがいまして、現実制度をすぐ政策化するというよりも、むしろあるだけの問題点をはっきりと出したほうがいいというたてまえで、相当ある面においては割り切れないものまで割り切ったような考え方で実は出しております。具体的に申し上げますと、たとえば、先ほど山内さんから常襲被害地帯はなくなったというお話がありましたが、この当時はいわゆる常襲災害地というものが相当ございまして、そういうことからこれは保険制度には乗らないのではないか。むしろ高被害地あるいは常襲災害地的な水田作は農政全体で考える問題でありまするが、現地としては、これはむしろ社会補償といいますか、そこで米をつくっている人の少なくとも労働だけはてん補するという制度にしないと、保険共済制度に乗らないのではないか。そこを割り切って、いわゆる高被害地域はこの制度からはみ出してしまうという考え方をとったわけであります。この点が、これを現実化する場合にどうかという問題になってまいりますと、非常にむずかしいのでありますが、研究会としては、これをすっきりと高被害地の仕組みと、低被害地の仕組みと、なかなか問題でありますが、割り切った、こういうところが一つございます。  その他の点につきましては、今回の制度改正でずいぶん取り入れられている点が多いのでありますが、もう一つは、何らか産業政策というので、農家の中でも米をつくって所得をあげていきたい、いわゆる専業、第一種兼業と、米以外のものに所得を置いて米をつくっておるという、いわゆる第二種兼業というものとで若干違うのではないか。そこで、いわゆる第二種兼業的な人にまで、強制加入をやられる必要はないのじゃないかというようなことから、いろいろ議論がありまして、一応たてまえとしては自由加入制でありますけれども、それはいろいろ御議論がございまして、完全な意味自由加入の案をつくらなかったのでありますが、そこに何らか、農民層の中で米に生活を依存しておる人とそうでない人に区別しようではないか、これがまた農業政策といいますか、産業政策としての保険制度をその中で守っていきたいということを割り切りまして、それを相当はっきり出したつもりでございます。  その他末端における共済組合を充実していく、いわゆる分散してそこに充実をすることによって、なるたけ被害をまじめに出し合って組合の経営をやることが一つの行き方じゃないかというふうなことも出ておるのでありますが、その点は今回の制度にそのまま取り入れられております。  機構そのものについても内部ではいろいろ御議論があったのでございますけれども研究会という一つのワク内においてそういう問題は避けたらよかろうというので、これは議論はございましたが、そういう問題は出さなかったのであります。  それからもう一つは、災害金融という諸制度が、天災融資法その他どんどん出てまいりまして、そういう制度とこの保険制度との調整をどうするかということについて、当時具体的にこうせいということはなかったのでありますが、こういう制度でどんどん進んでまいりますと、個別農家の所得を維持していくという制度と衝突をするのじゃないか、むしろこの研究会では農業災害補償制度というものをかっちりして、それができた上はそれを補完するという意味において天災融資その他を矛盾なく運用すべきじゃないか、これは保険制度研究会でございましたので、そういうところが違うようでございます。  今後の農業の方向ということになりますと、これは非常にむずかしい問題であるし、米自体を見ましても、今日、米の需要は相当ふえておるし、過剰という形のものは今日ない。しかし遠い将来を考えるとやはり生産性の高いところに米をつくること自体が非常に大事である。今日の制度から言えば、どういう災害についても農家の所得を補てんするという一つのたてまえでございますけれども農業政策からいえば、ほんとうに米をつくる、あるいはりっぱな経営をやっていく、あるいは協業でやっていくという一つの形のものに重点を置いた保険共済制度運用すべきであって、それ以外の農家というものは、こういう一つ制度の中にこれを包摂する、一律一体でやること自体なかなかむずかしいのじゃないかと考えるのでございます。また常襲被害地的なものにつきましては、むしろこれは農業政策全体を考えて、先ほども申されたように、もっと能率のいい農業に持っていって、単に保険制度でそういう事態を救うということだけでは私はあまり解決し得ないのじゃないかという考え方を持っております。日本農業の全体のことから言えば、結局個あるいは個の集団が強くなってまいりますし、こういう災害制度でも個と結びついた制度で危険を分散するのがよろしいというような行き方じゃないか、これはある意味において国と農民ということになるかもしれません。そういう方向にやること自体掛け金が少なくなるし、危険も分散される。今日の現状からまいりますとなかなかそうはいかない、しかしそういう方向に一歩一歩と進むというのが今回の改正案でございましたので、賛成をいたしたわけでございます。
  13. 足鹿覺

    足鹿委員 部分的には東畑さんの研究会考え方が反映しておられないと私ども考えておりません。だが問題は、これを積み上げていけば完ぺきなものになるのかならないのかという点で矛盾をお感じにならないかどうかということを聞いておるのです。内容は部分論になりますからお尋ねするのが妥当でないと思いますし、またそういうことは参考人に対してこまかくお尋ねすべきでないと私は思うのでありますが、いまおっしゃるように次の段階にわれわれは備えなければならぬ、われわれの認識は、審議の基本というものは、このような部分的な改正をやる、重要な点にも若干触れた程度でこういうものを積み上げて、日本農業の変貌しつつある現在の状況とまた将来の判断の上に立ってはたして対応できるであろうかという点が——法案の問題点等については相当掘り下げた検討をいたしております。いたしておりますが、私どもとしてはそういう考え方を率直に承りたかったわけであります。そういう点ではあなたの出しておられる研究会考え方、たとえばその6に「保険方式にともなう事務量を大幅に縮減し、農家負担を軽減するため、制度の簡素化を図ること。」ということをいっておられる。これが協議会でも論議検討されまして、先ほど清井さんがお話しになったようにいろいろな経緯はありましたが、二段階に踏み切った。ところが今回は二段階——事業団の適否は別でありますよ。考え方として二段階でいくべきだということに踏み切ったのです。あなたの6の制度の簡素化の趣旨というものはそこにあると思う、あなたも委員として参加され。そういう点から、根本的な問題については手を触れながら、かゆいところへ手を届かさず、部分的に手直ししたというふうに今回の改正を受け取るべきじゃないか。でありますから、いまあなたがおっしゃるように、これを基礎として積み上げていけば日本農業が近代化されたときに対応し得るという考え方からこれに御賛成——特に賛否を私どもはとっておるつもりではございませんが、あえてあなたが賛成と言われたので、私もいささかそれにとらわれておるわけでありますが、そういう点で御賛成でありますか。部分的な若干の進歩はわわわれも否定するものではありません。そういう意味で御賛成でありますか、その点を明らかにしておいていただきたいと思います。
  14. 東畑四郎

    東畑参考人 言葉の問題は別といたしまして、今回の改正というものは単に平面的な改正じゃなしに、相当研究会協議会議論しました非常に重要な部分改正をされた、また先ほど申されましたような二段階制という問題につきましては改革がなかった、私自身は、この研究会でも、簡素化するというのは、足鹿先生の申されましたように、そういうくくり方をなるたけ少なくすればするほど農民負担が少なくなるというように実は考えておったのであります。今回の改正案は、その点は歩合共済といいますか、保険という形で残っておる、これは残念でありますが、それが残っておるがゆえに平面的な改正であるというように私はとらないので、これは一歩いい制度へもたらす一つの大きな足がかりになっておる、そう簡単な解釈でなくして、相当の内容を持った改正である。それでは満足かと言われますとまだまだ問題が多いという意味において賛成をいたしたということでございます。
  15. 足鹿覺

    足鹿委員 議論をしてもいたし方ありませんから、その程度にしておきましょう。  ただ一つだけ聞いておきたいことは、将来これをあなたとしては、どういう方向へ持っていくことが抜本改正の趣旨に合致するとお考えになっておるか、いま御指摘になった二段階制だけの点でありますが、たとえばもっと——金融制度との関連等はここにも述べておりますけれども、あれから相当の年月がたっておるわけであります。今回の改正水稲を中心にした改正である。ところが、実態においては市町村営はぐんぐん進んで、さらに拡大の傾向を強くしておる。農業経営の実態は、政府の施策も伴って選択的拡大の方向が打ち出され、畜産の多頭羽飼育の問題、果樹の増植の問題、あるいはその他の需要に見合う農業経営が変わってきておる。そしてあなたの出された案によりますと、専業農家を中心とした対策、制度にすべきであるという趣旨の研究会の御答申があるわけでありますが、そういう点から見ますと、農業就業構造というものも、専業農家が激減して、第一種、第二種兼業農家が減っておる。いわゆる保険需要も保険欲求もともに減退しつつある農家が減っておるということはいなめないと思うのです。そういった点で、この改正案を今後手直しをしていけば抜本改正の線に沿うかどうか、そういったことを私はこの際一つ伺っておきたい、こういうことをお尋ねをしておるわけでありますが、御答弁をいただければ、その辺もひとつ明らかにしておいていただきたいと思うわけであります。
  16. 東畑四郎

    東畑参考人 農民はこの近代的な保険制度になじめないのだとよく言われるのでありますが、私、これは個人の意見でございますが、何とかしてこの都市で発展しておる制度を日本の農民にも、修正を加えて適用していくということがやはり必要ではないか。将来となりますと、これは非常にむずかしいのでございますが、一番大事なことは、やはり個別の農家自体がだんだん生産力を拡大していく。それが一つ災害というものに対しても、技術的にも対応するし、しからざるものについては制度でこれを補てんしていくということがどうしても必要ではないか。今日の段階においては、農家といいましてもいろいろあるし、専業農家一本にこの制度運用するということは、もちろんこれは無理でございましょう。やはり個々を強くするということが必要でありましょうが、農業政策というものはどうしても中央で平均的な話になりますので、事中央というものをどういうふうに結びつけていくかということに、ある一つ段階が必要である。アメリカ的な国と農民のようにはいかない。私の考え方としては、農民の結合というものがどうしても必要ではないか、それが時代とともに、だんだん広域的になっていくということは、これはわかるのでありますが、ある意味においての農民のそういう組織というものが責任を持ち、保険をしていくというのが、相当長期に見てもいいのではないかというので、末端といいますか、末端の組織の強化、保険自主性というものがどうしても基盤になることが個々も強くするゆえんではないかという考え方は、いまでも実はとっておるわけでございます。
  17. 足鹿覺

    足鹿委員 要するにあなたのは保険論ですね、保険という筋を通していく。制度改正研究会考え方の2にある、「制度の対象となる農業者は、主として農業所得に依存する者とし、このような農業者が積極的に加入しうるよう考慮すること。」というこの考え方ですね、この考え方はいまも変わってない。だから保険方式を貫いていく。要するにそれを拡大していきまして、末端自主性を認めて個別化していくということになりますと、大体の方向は任意ということになりますね。それをやるかやらぬかということは別として、考え方としては——保険だったらきわめて利己的なものでありますから、任意が原則なんです。下は共済、中間と上は保険、国では再保険という国家補償的なもの、こう三つ組み合わせて現在あるわけでございます。これはやむを得なかったと思いますね、その発生の歴史から見まして。ですから、それをここで功罪を論ずるということではなしに、一体保険考え方で貫いていくならば、近代的な保険の方向で貫いていかなければならぬ。そういたしますと、現在出ておる改正案の手直しではなかなかむずかしいという感じを私どもは持っておるわけでありまして、私は、保険的な線で貫くんだというお考えの点については、首肯しておられるわけでありますので、これ以上申し上げません。現在もこの研究会考え方としては変わっておらない、こういうことでありますね。  それでは、その程度で終わりまして、梅森先生に二、三伺いたいのでありますが、先ほどの四、五年前の小論——とおっしゃいますが、決して小論ではない。私どもは非常に敬意を表して拝読しておるわけでありまして、そういう趣旨から本日御足労願ったわけでございます。要するに梅森先生のお考えは、先ほども御公述になりましたように、共済精神というもの、特に現行法に基づく共済精神というものは、末端共済、県、国段階保険、再保険というものがつながれておる。これをどう運用の面で妙味を発揮するかという点にあるわけであります。そこからいろいろまた問題も出てくる。したがって、共助精神の範囲というものは限界があるという御説、私も全く同感でございます。今日のような、先ほど来東畑さんにお尋ねをいたしましたような諸情勢のもとにあって、先生のお考え方は、上は官営、下は民営というようなもののつぎはぎではなくして、一本に貫くという御趣旨であったように思うのですが、その構想というものは公営論ですね。大体公営的なものとして、災害の頻発地帯というものは別途な対策を講じていく、こういう考え方のようでありますが、その辺で、研究会考え方あたりとはちょっと異色のある考えだと私は拝聴したわけでありますが、その点について、先生の、頭と足を一本化していくということについて、もう少し掘り下げた御見解を承ってみたいと思うわけでありますか、いかがでしょう。
  18. 梅森正行

    梅森参考人 私は学者でございまして、ある意味では非常に無責任立場におると思うのですけれども、とにかくああいう異質なものがつながるということは、そこに非常な無理がある。どっちかに一本化しなければいかぬ。しかし、いまのように保険料の六割も国が負担する、異常災害になればどこまでも払っていかなければならぬという内容では民営ということはとうてい不可能だ。そうすればこれは当然国営ないし公営ということになります。しかしいまの日本のほかの関係をいろいろ考えるとやはり公営の線に落ち着くのじゃないか、こう私としては考えております。最近は下部のほうにおきまして市町村営になっておるものが六百幾つかあると聞いております。おそらくこれは、先ほど足鹿先生がお話しになられたように、今後ますます増加するだろうと思います。そうしますと、今度は下と上からまん中をはさみ打ちしていくようなかっこうになって、自然の成り行きでも公営化の線に沿う色がだんだん濃くならざるを得ないのじゃないか、私はこう考えております。具体的にどういうふうな段階で公営のなにをするかということは、そうたいして考えておりませんけれども保険として成り立つためには相当の面積が要るのですが、なるべくならばこれは農民の意思を尊重して任意加入の線が望ましい。しかし保険経理の上からそれがなかなかむずかしいという場合において、そこにある程度のワクをはめていくのはしかたがないじゃないか、こういうふうに考えております。
  19. 足鹿覺

    足鹿委員 保険方式であれ、あるいは備荒貯蓄的な損害補てん、見舞い制度であれ、いずれにいたしましても、国の介入なくして民営的な性格のこの制度の運営というものはおそらくむずかしいのではないかと私どもは考えておるわけなんです。したがって私ども考え方としては、病虫害をはずしていきますと通常災害というものはそう大きく考えるべきではない。したがって共済保険金の受け取る機会が少なくなる農家が多く出てくることはやむを得ないが、いざ災害というときにはまとまった金が農家単位で出ることが、ほんとうの収穫保険ないしは所得保険に近づいていくゆえんではないかというので踏み切ったわけであります。ところが制度改正協議会のこの考え方が現状のもとにおいてはなかなか困難となって、また一筆石建てへ戻ってしまった。こういうところに今後非常に問題が発生してくると思う。現に掛け金率の問題で当委員会では非常な論議を呼んでおる。組合別被害率を出してそこから掛け金率を算定していくと、上がる組合と下がる組合が出てくる。下がる組合はけっこうでありますが、上がる組合に対しては当分の間補助金を出すという形で——しかしそれはいつまでも責任は負えないと政府が言っておるというような点で、審議上非常にむずかしい問題である。しかし一面では解決しなければならぬ問題になってきておるわけであります。この問題はどこからきたかというと、もともと協議会の答申を基礎として農単方式で出発したものをまたもとへ戻したところからくる大きな矛盾じゃないかと思うのです。それについて農単方式というものを進めていく上においては、被害調査等も個々の筆を当たった上で初めて被害率というものが出るではないか、そうすれば現在の機構、体制下にあっては事務的になかなか困難だという理由でとうとうこういうことになった。表向きの理由はそういうことになっておりますが、やはり農単というものに基本を貫いていくことが制度改正一つの方向ではないか。そうしなければ、農業経営が複雑多岐にわたり、そうして規模が拡大されていき、協業、共同化が進んでいく場合、なかなかむずかしい問題が起きてくるのではないかという考え方を持っておるわけでありますが、その農単方式をとった場合、学者の立場から、何か奇跡を求めるわけではありませんが、何かいい方法はないものでしょうか。具体論は別として考え方として、農単でやってもやり得るという何か一つの示唆をお与えいただくというようなことはできないものかどうか、いかがなものでしょうか。一筆石建てが是か、農単が是か。農単が是とするならばどういうふうに持っていくべきかというような点ですね。
  20. 梅森正行

    梅森参考人 私の議論農単議論でございますけれども、お説のようにだんだん被害率が下がって参りますが、しかし大きな被害がきたとき補償してもらいたいという欲望はだんだん出てきていると思うのです。そうなりますと、やはりどうしても農単のほうがより高い補償になります。これはさっきも申し上げましたように、いまの方法では保険効果が非常に薄い。私の考えでは、充てん率ももっと高くあってしかるべきだという考えを持っていますけれども。それから農単が非常にむずかしいとおっしゃられますが、前に農単で試験的にいろいろやってみたことがありますね。そのとき私は、農単は非常に計算しにくくて試験もできないという話は聞いておらないのです。ですから農単でもやる気になれば、事務的には少し複雑かもしれぬが、やれないことはないと考えております。そうしてなお現在農家が非常に分解してまいりまして、第二種兼業農家というものがどんどんふえてまいりまして、農家であって中身は農家でないというような農家は、農単の線でまいりますと、簡単に言いますと消えていくわけですね、面積が非常に小さいわけですから。残る第一種兼業と専業というものはかなり面積がある。そうなって対象となるものが整理されてくれば、事務的にもわりかた簡単になるのじゃないか、こう私は考えております。
  21. 足鹿覺

    足鹿委員 もう一、二点伺っておきたいのですが、この評価の問題について下の段階に決定権を与えて即決主義でいけという御主張、全く私ども同感なんです。この点はずいぶん議論をいたしました。そうして答申にも協議会としてまとめた意見を出しましたが、今度の改正案では中身のある方法がとられておりません。私ども非常に残念に思いますが、たとえば決定権を末端に付与していく場合に、損害評価会の現行法のもとにおけるこの機構は全く機能を発揮しておらない状態にある。農民から出てきたものが、村ではある程度共吟味で通過をし、県連段階を経て中央へいくということになりますと、それには相当の日時がかかる。そうしてまた相当の査定が行なわれる。この間長野県のほうへ参りましていろいろ聞きました。ところが村でこれは三割以上、だとしたものを、上へ上げて上で切られた。しかしいまさら、懸命になってやった評価を、おまえのだけは削られたというわけにいかぬから、もらった保険金を案分していくんだということを言っておりました。私は、農家としては、適法の処置とは言えぬかもしれませんが、やむを得ない問題だと思うのです。農家は農家なりに、末端末端なりに、現行法の矛盾をそういう方法によって解決しておる。これは事態は明らかである。したがって、評価というものは末端における権威を高め、たとえば農家から申告のあったものを検見をし、悉皆調査をし、そして村の損害評価会というものに提出をして、そこで自分の評価が気に入らぬ、そこで裁定を下す。その下したものは中央も認めるというような形が末端への決定権のあり方じゃないか、また即決主義のあり方ではないかというふうに私なりに解釈しておるわけであります。そういう点で、先生に評価方法について何かいい御示唆をいただくことはできないものかどうかという点。あともう一つ伺いたいので、よろしくお願いいたします。
  22. 梅森正行

    梅森参考人 これはなかなかむずかしい問題ですし、非常に金のかかる話になるのですけれども、私の考えておりますのは、いまの統計調査機構を、ことに各郡段階と申しますか、下部段階の統計調査機構を相当充実して、そこできめたことを大体最終決定にし得る、もちろん評価委員がやりますけれども、しかし大体の大ワクはそこできめるようにしていったらいいのではないか。しかしそのためには相当拡充強化しなければいかぬ。そうして保険料率のほうは、たくさんもらいますと、なるべく近いところの被害率をウエートを高く見て、そうして五年に一ぺんぐらいずつ料率を改定していくという方式をとれば、たくさんもらったやつはあとの二年、三年の間にもらった分を返していく、料率が高くなりますから返していくというふうな考えでいけば、被害が高ければもう高い保険金がすぐ響いてくるというふうにしていけば、保険というよりもむしろもらっていたものを返すという形にもなりますけれども、そういうふうにしていけば、短い期間でどんどん改定していきますから、もらうものと被害とがコンビネートしていくのではないか。しかし、あと被害がなければ、数年たつとその高被害が、だんだん消えていくというふうにしていったならば、わりかた納得のいく損害評価及び料率の動かし方ができるのじゃないか、こう考えております。
  23. 足鹿覺

    足鹿委員 もう一つだけ伺いたいのですが、好むと好まざるを問わず、強制加入緩和の方向がすでに打ち出され、それが公営たるとあるいは組合営たるとを問わず、一つの大勢であろうと思うわけであります。そうした場合に、従来から一つの定説がありまして、強制加入だから国が補助金を出すんだ、また強制加入だから災害度に応じた財政需要を自動的に国庫が再保険という形で支出し得るのだ、こういう定説があった。私ども長い間それをばか正直に、自動制がくずれるようなことでは困る、この制度の一番いいところだというので、この制度の健全な発展のためにはこの大本をくずすようなことがあってはならないというので、慎重の上にも慎重を期して今日まで参りました。ところが、制度改正協議会において、清井さんもおられますが、河野元大蔵事務次官は、任意になったから別に国が再保険の自動的支出を拒否したりあるいは補助金の支出を云々するという筋のものではない。政策として筋が通り必要なものに対しては、国がやはり現状の制度を裏づけして一向差しつかえないというまことに妥当な、従来の私どもが聞いておった定説とはきわめて懸隔のある御意見が出まして、私どもそういう点に、あまり政府がそう言うものですから、そういうことがくずれたのでは困るというのが私どもの心配の一つで、今日まで来ましたが、私は、そういう仕組みにすればなるのだし、制度としてのあり方が任意であれ何であれ、一つの国策として必要を認めてやり、進めていく以上は、やはり再保険措置を講じていかなければこの制度は成り立たないと考えております。たとえば果樹をやるにいたしましても、同じく長野県に先般行ってみました。積み立て制による互助組織をやっておりますし、各地でもうそれぞれ自衛手段を講じております。多頭羽飼育に対する要求はまだ出ておりません。集団飼育の問題だとかいろいろまだ未解決の問題がありますから出ておりませんでしたが、気持ちはある。ただそれに先手を打ってどうこたえていくかというようなことが一番好ましいのでありますけれども、現状ではなかなかそうもいかない、こういう脳みを持っておるわけでありますが、たとえば畜産の場合にしろ果樹にしろ、あるいは他の畑作物に対する任意共済制度を思いついた場合に国が再保険をし、災害度に応じて自動的に共済金の支払いが行なわれ、かつ事務費等の補助が必要になってくると思いますが、そうするためには、先ほど私が述べたような、任意になったならばそういうことはできないのだという議論が一部にまだあるようでありますが、これについての先生の一つの学者としての考え方がございましたら、この際伺っておきたいと思います。
  24. 梅森正行

    梅森参考人 私は大体行く行くは任意ということが最後の到達線であるべきだと思っています。しかし、それは任意加入にしておいても、強制加入と同様に、みんなの人が、そういう需要のある人がみな入るような、最後の状態は同じになるということが望ましい。ということは、そういうふうにだれでもが、入らなかったならば損だ、入りたいという保険に仕立てあげていかなくちゃならぬ、こう思うのです。その点においては、さっきも申し上げましたように、農家もお客さんなんです。そういう考えで農家の欲望を見ていかなくちゃならぬ。そこに私はこのごろ自説をだいぶ緩和してきたと申しますか、あめ玉のほうにだいぶ近くしてきておるわけですけれども、やはりお客があめ玉をほしがっているのにこっちがいいというてキャラメルを出してもだめなんで、だんだんお客を教育してそうしてキャラメルを売るようにしていかなくちゃならぬ、こう考えております。ですから、任意加入であっても、みんなが喜んで全部入るというような方向にこの制度の機能を発揮していくようにせねばいかぬと思っております。しかしながら、と申しましても、農家がいま五百六十万戸とかあるそうですけれども、私の考えでは、この農家全部をひっくるめていくことはむずかしかろう。日本農業の曲がりかどといいますけれども、ほんとうに曲がりかどの上に立っているという意識を持っている農家は半分もないんじゃないか、こう考えております。曲がりかどの前に曲がってしまいまして、そうして農外のほうにみんな流れていっているわけなんです。ですから、これから農業でほんとに食っていこう——水稲ばかりでなくて、さっきの選択的拡大の線も入れて新しい農業で食っていこうという、そういう農家が全部喜んで加入したくなるような制度にしなくちゃいかぬ、そういうふうな考えを持っております。それでさっきの新しい線、選択的拡大の線、これなどについても、これは大体方向として協業あるいは法人化、そういう近代的経営を持たなければこの線の経営というものは成り立たないのです。ですからそういうふうな近代的な経営が、私はもっと保険需要を持ち得ると思っております。ですから、これらを今後どう包摂していくかということは十分考えなければいかぬ。日本農業が少しずつずれていく、そのずれにしたがって保険制度を考えるアングルを変えていかなくちゃならぬじゃないかという考えを持っております。
  25. 長谷川四郎

  26. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 時間の関係もありますので、各参考人方々からそれぞれ御意見を数点お伺いいたしたいと思いましたが、問題を数点にしぼってお伺いをするにとどめます。ただこの農業災害補償制度の一部改正の問題の受けとめ方という点では先ほど足鹿委員から質問がありましたけれども、これはやはり私どもの党内でもいろいろ取り扱い、あるいは当面の段階としてどうするかという点では議論のあるところでありまして、それらの点について別の角度からいろいろお伺いをするということを考えておりましたが、この経緯はそれは避けたいと思います。いずれにいたしましても農業災害補償制度の問題についてきょう四人の参考人意見を求めたわけでありますが、それぞれたいへん貴重な意見をお聞かせ願いまして、今後の審議にたいへん参考になりましたが、農業災害補償法の法案が出てまいりましてから紛糾した背景の中に、建物共済農業共済あるいは農業協同組合関係との競合問題、こういう問題が背景の中にありまして、ある意味ではこれがかえって問題の紛糾をもたらしたという経緯がございます。この際やはりこの点についてはむしろ溝井さんや東畑さんに対する、この問題の当面の両団体間でまとめた結果についての御意見というものは避けまして、農業災害補償法の中に、強制にしろ任意にしろ、包括されるべき範疇の中に建物共済の問題あるいは農機具その他の問題も含めて農業災害補償の制度として運営するというふうにお考えになるかどうかという角度から、梅森先生と山内先生——山内先生は園芸のほうでありまして、あるいはどうかわかりませんが、両先生のほうから、経緯を十分御承知だと思いますが、お考えがあればお伺いしたいと思います。
  27. 山内豊二

    山内参考人 農業保険の歴史を見ていただきますとこの点はよくわかると思いますけれども、作物保険というものは本来政策なんであります。保険では私は——特にオール・リスク・インシュアランスですね、損害保険というものは会社営あるいは民営ということが可能なんです。したがいまして農業保険といいましても、いまおっしゃいましたように資本財の保険から作物の収穫全部ございます。けれどもそれが持っている保険として乗り得るかどうかということが、実は問題をきめていくわけなんです。したがいまして作物の場合にはどうしてもパブリックな機関が入ら、ざるを得ない、特にオール・リスク・インシュアランスをやる場合。けれどもほかの場合には全部プライベートな機関でもってやり得る可能性は十分あるわけです。したがって災害補償法というものを今後どういうふうな方向に政策として持っていくかとということによりまして、その点は変わっていくの、だというように私は思います。
  28. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 次に、せっかくお答えになりましたので山内先生に、専門の立場であろうと思いますので、さらに果樹共済の問題についてお伺いいたしたいと思います。これは御承知の、数年来の台風あるいは豪雪、いろいろな災害のたびごとに果樹共済の問題が議論の対象に非常に強くなるわけですけれども、農林省といたしまして、先生御承知だと思いますが、数年来試験的にやってまいりまして、これから三カ年、四つの方式に基づいて指定した県、指定した果樹品目についてのからの共済の実施をやってみて、その実績を見て次の段取りにいこうという、そういうふうに質疑の段階を通じてお伺いしているわけですけれども、しかし今日の災害に対する果樹方面の需要からいたしますと、速急に態勢を整備してかかるということが政治上要請されているわけですが、果樹共済のあり方、今後の方向の問題について、特に具体的に触れられませんでしたので、この機会に若干お伺いしておきたいと思います。
  29. 山内豊二

    山内参考人 果樹共済は、従来の作物の場合と災害の性質がだいぶ変わってまいります。ただ言い得ることは、先ほども申し上げましたように、稲作に比べまして不安定度がまだ相当高いということは事実なんです。しかしながら災害の発生の構造というものを見ていきますと、実は技術水準というものが相当大きく作用する面も強いわけです。そこで果樹共済の場合の危険の深さというものに問題を置いていかないと失敗をするだろう、したがって相当大きく被害を受ける、果樹栽培者が相当な危険を受けたというときに十分なてん補をやる、小さいことはあまり気にしないという、むしろ果樹農家というものはそれなりに貯蓄もありますから、もちろん全部とは申しませんけれども平均いたしまして。むしろ果樹共済をやる場合にはやはり重点的に戦略的に作物保険、果樹保険というものは運営すべきだろう。この点は作物保険の経過がわれわれに教えてくれるのではないかというふうに思います。
  30. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 一般論としてお答えになりましたが、時間の関係もありますのでその程度でけっこうでございます。先ほど梅森先生の損害評価に基づく第一線の即決主義というお話について足鹿委員からも御質問があったわけですけれども、これは先生のさらに具体的なお話では、一方の側で統計調査機構の整備によっていま県段階を推計単位とする被害の出てくる形から、郡市別段階までの統計の整備という形で言われたのだろうと思いますが、そういう別の角度は角度として、考えなければならぬ一つ問題点だと思いますが、今日の実際の第一線の組合の情勢の中で、たとえば損害評価委員あるいは損害評価員というふうな形を整備することによって、はたして第一線の損害評価というものが適正に行なわれるという事態にまで第一線の状況があるのかどうか。これは特に家が倒れたとか、あるいは焼けたとか、あるいは人間が死んだとかいうふうな意味保険の場合は別として、特に農作物の損害評価という問題は、先生も御承知のとおりなかなか現実の問題としては、検見でやるにしろ、あるいは坪刈りでやるにしろ、あるいは今後の新しい科学的な方向をさらに前進させるにいたしましても、実際問題としてむずかしい問題を含んでおる。したがって第一線主義によって問題を即決できると、そこに弊害が生じないという見通しが十分あれば別ですけれども、はたして今日の段階ではそこまでいけるかどうか、あるいは委員会審議の中でも、第一線の共済組合等に被害率その他をおろしていくという考え方そのものについては、賛成の方向で受けとめておるわけですけれども、さて第一線の組合被害率というものを考える場合に、今日までの統計整備の状況から見て、実情に即しておるかどうかという議論も、別の観点から出ておるわけですけれども、これはさらにお伺いをするわけですが、私は今日の段階においては、やはり考え方としてそういう方向に持っていくにしても、一挙にそういう方向を打ち出すという現状には率直に言ってないのじゃないか、こう思うわけですが、再度この点についてお伺いいたします。
  31. 梅森正行

    梅森参考人 お説のとおりであろうと思うのです。理想といたしまして私はそういうふうになることが望ましいと思っておるわけです。結局これは神さまでないのですから、お説のようにはっきりしたなには出てこないと思うのです。ですからそれが結果として保険金受領ということになりますと、その受領した保険金を、そのあとの年の保険料の中に反映するようなシステムで、自分で自己調整するというような方法も盛り込んでおく必要があるのじゃないか、こう考えておるのです。
  32. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 最後に一点、せっかくおいでになったのですから、東畑さんにお聞きしたいと思います。  これはここに書いてあります農業災害補償制度研究会座長としての見解でなくてけっこうだと思うのですけれども市町村移譲というふうな問題が、大体最近の統計を見てみますと、年に百くらいずつふえてきておるわけであります。当初出発をしたときには、共済組合という形で第一線は出発をしたわけですけれども、最近の市町村移譲の状況あるいはそういう点から見て、第一線の共済事業を行なう組織の今後のあり方というものについて、基本的にどういうふうに受けとめ、考えておられるかという点を最後にお伺いしておきたいと思います。
  33. 東畑四郎

    東畑参考人 先ほど足鹿先生の御質問にも若干触れたのでございますが、私はやはり農業災害制度末端は、これは個人の意見でございますが、組合といいますか、民主的な農民の組織でいまのところやるべきでないかという考えを実は持っております。そして自分責任を持ち、掛け金が足るということによって、ただいま御質問のございました損害評価等の問題も、自主的に調整ができる。今回の政府の案は、その一部をとられまして、九割補てんをするということになり、しかも通常災害のほうは組合に大体掛け金が残るという建て前になったものですから、その点は喜んでおるわけであります。  それから最近市町村に移譲をしている例が多いのであります。これは一つの現象として慎重に考えるべきでありまして、ほんとうによく考えて、保険制度掛け金の徴収その他で市町村に移譲をするということであればいいのでありますが、これはむずかしいから、ひとつ市町村にまかすのだという形の移譲というものでは、私は問題の解決にならないのではないかと思います。どうしても末端においては農民の組織——市町村というと、どうしてもお役所式になる、ことに広域的になればなるほどお役所式になりますから、そこにやはり自分らの組織で、自分らの被害というものの所得を補てんしていくのだという精神というものを、どうしても連合会、中央においてもそういう指導宣伝と申しますか、そういうことをやるのが農民のためではないかというのでありまして、この点は研究会の答申と違いまして、私個人の意見としてそういう考え方を持っておりますことを申し上げます。
  34. 長谷川四郎

    長谷川委員長 以上で質問は終了いたしました。  参考人各位には、長時間にわたりましてまことに貴重な御意見を承り、ありがとうございました。  次会は明二十三日午前十時から理事会、十時三十分から委員会を開会することにいたします。  これにて散会をいたします。    午後一時八分散会