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門司委員 私がもう
一つこの
法律で解せないのは、いま
お話のありましたような
政府の
考え方はかりにあるとしても、この
高等学校自体の問題は
永久にはないのであります。いまは足りないですが、これで五、六年か十年たつと余ります。人間の数もだんだん減ってくると思います。そういう時限的な要素を
多分に含んでいる。
警察なんというのは、これは
永久のものであって時限的なものでないと私は思う。ことに時限的なものについて特に
法律をこしらえるなら、この
財政法の
改正でなくして
特別法をこしらえたほうがまだいいと思う。そのほうがものがすっきりすると思う。こういう形で
法律が直されたのでは、次々どこまで直していかなければならないかわからないようなものが冒頭に申しましたように出てくる。だから、いま申し上げましたように、三つの形からいって
最後に申し上げましたようなことで、事業の性質あるいはその事柄によって
法律を
改正する必要があるなら
改正すべきであり、また
単独法が必要なら
単独法を制定すべきであるというように
考えます。ただ、この中の
炭鉱離職者の
問題等については、そう簡単にいかないかもしれない。これはいつごろになったらこういう
状態がなくなるかということについては
見通しがかなり困難であろうと思う。
駐留軍離職者についても、最初は五年でこしらえたものを、この間衆議院を通してさらに五年を延長するということになっておる。だから、私はどう
考えても、ここでこういう問題を出さなければならないようなことが
考えられない、というより、むしろ
法律にこういう問題を書かれた真意がいまのようなお
ざなりな答弁だけじゃわからないから、何かもう少し深い話がありはしないかということ。それで、きょういただいたものをちょっと一枚だけ見ても、今までのことがかなりずっと書いてあります。だから、これは問題として取り上げようとするなら、さっき言いましたようなことでそう長い間の問題でもないのであって、特別に
財政法に織り込むだけのものはなかったのじゃないかという気がするのです。
それで、ここでもう
一つ聞いておきたいと思いますことは、元来こういうものについて、各
市町村でどのくらいの
財源を大体県に
負担しておったかということ。
それからもう
一つ文部省の諸君が
おいでになるならば聞きたいと思うのですが、
地元の要求と、県の
考え方とが食い違ったような場合がかなりありはしないかと思う。従来のいき方からいけば、とにかく
地元で
要望があるなら、
敷地を見つけてこい、そうすれば県の方は建てる。それから実際の
県会の
状態を見てまいりますと、総括的に五校なら五校、あるいは十校なら十校不足だから、それだけは建てる
予算はとる。しかしそれをどの
地域に建てるかということは後日の問題に残されておる。こういう
法律をこしらえようとすれば、その点は一体どう
考えておるかということ。どの県でも見てごらんなさい、当初
予算には、ただ四校あるいは五校必要だから、それについては幾らの
費用が要るということだけはわかる。しかし、それから先の問題は
地元との
関係が出てきて、
設置場所が明らかになっておらない。これは
地方の
自治体の紛争を巻き起こす
一つの
原因にもなっておる。こういうことを
考えると、むしろこういう問題を
法律できめる以上は、
県会で
議決の場合に、はっきりした
県会の態度をとらないと、より以上紛糾を求めることになりはしないか、
地元の
要望に沿わない形が出てきはしないかというようなことが
現実問題として
考えられる。そういう点について当局はどうお
考えになっておるか。そういう
心配は要らないんだということになると、
地元の意向が入れられないで、県が独自の
立場でかってなところに建てるということになりはしないかという気が、
現実の姿を見ていたします。どこの県を見てもそうなっておると思う。当初
予算で、五校を建てるなら五校の
予算はとるが、それをどことどこに建てるか明示してないと思う。その後の問題にゆだねられておる。あるいはそれ以前にそういう契約が行なわれ、ここへ
高等学校を建ててくれるならば
敷地は
寄付しましょうというようなことで県の
予算の上にあらわれておる。そのどっちかだと思う。その辺、
自治体相互の間の協調といいますか、
実態に沿うようにしていこうとすれば、この
一片の
法律だけではあまり芳しくないものが出てきはしないかというように
考えるのですが、その点はどうですか。話し合って
寄付をするというようなことは悪いことではあるけれども、やはり
現実問題としてある
程度話し合う必要が生まれるということは
考えられるのですが、その辺の問題をどう解決されようとするか、この機会に一応聞いておきたいと思います。
奥野政府委員 第一点は、
高等学校の
負担転嫁の問題はさしあたっての問題であって、将来においては
ウエートの低い問題ではないかというような
お話でございます。こういう
負担転嫁の問題を起こします根本は、
地方財政法においても
原因があるわけでございます。
府県が
施設を設ける場合には、利益のある
市町村にその
経費の一部を
負担させることができる、こう書いてあるわけでございます。そのような
関係からこういうような
負担転嫁が起こってまいるわけでございますので、先年来若干のものについて、
禁止規定を設けてまいったわけでございます。そういうような点からいいますと、
高等学校は、
府県の設けております
施設として非常に数が多い。数が多うございますので、
自然老朽、
改築というような問題も、恒久的にかなり大きな
ウエートを占めてくるわけでございます。現在御
指摘のように、非常に大きな
市町村の悩みになっておる問題でもございますので、将来についてそういう
考え方も持ちまして、
地方財政法に今回の
規定を設けたわけでございます。
第二番目は金額の問題でございますが、提出しております
参考資料に記載いたしておりますように、
昭和三十六年度におきまして
市町村に転嫁いたしましたのが二十七億七千万円、
住民に転嫁いたしましたのが四十七億八千万円、合わせまして七十五億五千万円ということになっておるわけでございます。
第三の問題は、
一片の
法律で禁止するだけで問題は解決しないんじゃないかということでございます。これもごもっともな点だと思います。ただ、
市町村が
府県に
協力をする場合に、すぐ
金銭による
協力という形がとられているのが
一般のようでございます。元来
高等学校を
設置します場合には、
府県全体を
見通しまして、どこに
高等学校を
設置することが最も適当であるかということよりも、
地元のほうからたくさん
寄付を出してくれれば、
寄付をたくさん出したところへ
設置するというような形において行なわれているのが通例のようでございます。このことはやはり
教育上問題があるのではなかろうかと
考えます。同時にまた、
協力ということは
金銭提供だけのことではないのであって、用地の
購入あっせん、その他いろいろな
協力の余地があるわけでございますので、そういう形において熱意のある
協力を
府県は求めていくべきである。
財政の乏しい貧困な
市町村に対しまして、
金銭的な
負担を第一義的に
考えていくようなやり方には、確かに今日問題があるじゃなかろうか、こう
考えているわけでございます。
市町村の
協力ということは、もちろん将来とも
府県として大きく
期待して差しつかえないことだと思います。しかし、その
協力は
金銭の形であってはならないというような
考え方を持っているわけであります。