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門司委員 私が聞いておりますのは、大臣のいまのお
ことば、あるいは大臣としての立場からそういうことが言えるかと思います。しかし国民の受ける印象というものは、私は必ずしもそういうものではないと思います。素朴な国民の印象というものは、これだけ大きな失態が重なっておる、しかも事人命に関する問題じゃないかということが考えられる、
警察の処置いかんによっては、人命も——一方の
狭山の
事件はあるいはそれ以前に殺害されていたとすればそれで済むかもしれない、しかし一方の
吉展ちゃんの
事件については、あるいは
捜査が長引くことによって命を失うかもしれないというように、非常に国民としてはこの問題を重要視している。その際に、これが関係あるとかないとかいう法律上の問題、あるいは条文上の問題というようなことでなく、世間一般の受ける印象というものは、あれだけ
警察が大きな失態を重ねておりながら、一体その長官が勇退してよろしいのかどうかということについて、私は
警察官としての良識を実は疑うのである。私も柏村君とは長い間の知り合いでありますから、こういうことを言うのは私情としては忍びないのでありますが、私はもし今の大臣のような御答弁であるならば、これは踏みとどまって——そう長い間のことじゃないと思う、あるいはこれは迷宮入りするかもしれない、しかしそれにはおのずから限度があるはずである。私は少なくとも末端の
警察官あるいは中間の幹部がほんとうに自分の身を犠牲にして、
警察行政というものを全うし、
警察の威信を高めていくということが、自分たちの本来の使命である、
警察法の一条に書いてあるとおりだ、あるいは宣誓をする、三条に書いてあるとおりだ。ほんとうの
警察官としての誇り、
警察官としての使命を全うすることのためには、いささかも世間から
警察が軽侮されるようなことがあってはならないと私は思う。今度の長官の処置について、私はその点について実は非常に残念に考えておる。どうしてこれが踏みとどまることができなかったかということでございます。あるいはもしいまの大臣の御答弁で、長官がやめるような失態があるのならおれがやめるとおっしゃるなら、それでもよろしいと思う。何も大臣にやめていただきたいということではありませんけれども、そういう事態であるなら私はそれもよろしいと考える。少なくとも国民の受ける印象というものは、そう機械的なものでもなければ、いきさつだけで今日国民は割り切れないのじゃないか。国民はひとしくやはり
警察行政というものを見ておると私は思う。そうして
警察の威信が地に落ちれば、どんなに国民に
協力をしていただきたいといってもこれは
協力はしませんぞ。いわゆる
警察というものがほんとうに自分たちの味方である、ほんとうに自分たちの
生命、財産、社会の秩序を守ってくれるのだという威信と信頼があってこそ、初めて国民の
協力が得られるのである。威信も信用もないところにだれが
協力しますか。私はこの際、ほんとうに大臣としてはいろいろお考えもあろうし、言いにくいこともあろうかと思いますけれども、少なくとも
警察の威信だけは保ってもらいたい。そうして将来のこういう問題に対する
警察官の行動その他についても、ひとつ十二分にこういう間違いを起こさぬようにしてもらいたい。極論をすれば、さっき冒頭に申し上げましたように、
犯人の所在がわかっておるんだから、どんなに
自動車で来るからといっても、そこに張り込んでおったら、そこを縮小することは幾らでもできたはずである。そういうことができなかったというところに私はどう考えても割り切れないものがある。もし私のこの割り切れない気持が、
警察官の士気の弛緩である、あるいは
責任感の薄らいでおる
考え方であるということがかりに当たっておるとするならば、これは大きな問題だ。だから、その点についてもう少し突っ込んで、お互いこの
事件一切についての
責任の所在というものをもう少し国民の納得のいく、あるいは国民が安心して
警察を信頼し、あるいは
協力のできる態勢に私はこの際どうしても
警察を持っていってもらいたい。そうしなければ将来の
警察というものはもうどうにもならぬですよ。