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中村(重)
委員 簡単に質問いたしますが、
石炭の問題は非常に重要な、かつまた深刻な問題であるわけです。先ほど
大蔵大臣が、この問題は与野党を問わず、日本人として真剣に取り組んでいかなくちゃならぬ問題だ。全くその
通りだと私も
考えるわけであります。ところが、午前中から各同僚
委員から、この問題に対しましていろいろ
質疑が行なわれ、
総理を初め、それぞれ
関係大臣から御
答弁がありましたが、非常に問題のポイントというような点に対しては、
検討する、
研究中とか、あるいは御趣旨はごもっともであるといったような、全くつかみどころがない、という言葉は言い過ぎになるかもしれませんが、
臨時国会、続いてはこの通常
国会において、再開
国会ではいわゆる正常化の問題をめぐって、この
石炭の問題に対して
政府の態度が明らかにならなければならない、こういうことで数日を費やして、いわゆる前向きの姿勢をもって自民党と社会党との間に、
臨時国会の会期中において懸案であった
三つの了解事項に対しては一致点を見出して審議に入ったということは、これは
関係大臣御
承知のところであります。従って、この
石炭の特別
委員会においては、この
三つの問題を
中心として貴重な地下資源、
エネルギー資源である
石炭産業の問題に対して前向きの論議が行なわれるであろうし、
政府の
石炭政策に対する抜本的な
答弁が明らかにされるであろうという
期待を持っておる人たちは、単に
炭鉱の経営者、あるいは
炭鉱の
労働者だけではなく、田中
大蔵大臣が言われたように、日本人がひとしく
考えておったところであろう、こう私は思うのであります。
しかしながら、きょうの論議の中に、六千万トンあるいは五千五百万トン、この
需要の問題に対しましても、福田通産大臣の
答弁は、かつての佐藤通産大臣が
委員会において明らかにしておった、五千五百万トンの
需要の
確保は、もし
消費者においてこれを引き取らなかった場合、
政府が貯炭をしてでもこれに対しては責任を持つという
答弁が、伊藤
委員の質問の中に明らかにされておったのであります。しかし、きょうの
政府の
答弁は、むしろ後退をした態度である、このように
考えられなければなりません。六千万トンの問題にいたしましても、五千五百万トンの
需要を
確保することは非常に困難だ、けれども
努力はしなくてはならぬが、四十二年度のことであるから、といったような
答弁でありました。
政府は、政党内閣の中において与党と同じ立場の上に立つということは間違いありません。しからば、この六千万トンの問題を自社の了解事項として決定をし、前向きの姿勢で取り組んだということは、五千五百万トンではいけないのだ、五千五百万トンの
需要では
産炭地が
疲弊をする、たくさんの
石炭労働者が山から追放されるのだ、これを何とか食いとめていかなくてはならぬのだ、この
考え方の上に立って六千万トンの
需要の
確保をはかる、こういう
考え方の上に立って了解事項はでき上がっておると私は思うのであります。それならば、四十二年度になって六千万トンを
確保する、そのことは三十八年度よりも三十九年度に、あるいは四十年度に、四十一年度にと
生産をふやし、
需要を
確保していくという姿勢がなければならない、そういう態度でもって取り組んでいくということが私は大切であろうと思うのであります。しかし、繰り返された論議の中におきましては、そうした積極的な前向きの姿勢というものがありません。
国会において六千万トンの
需要に対して
努力をするんだ、そういう
答弁をしたから、それに合わせていかなければならぬという、単に体裁をつくるといったような感じをもって私は受け取りました。私はそういうことであってはならぬと思うのであります
かつて、
炭鉱の
労働者が山から追放される、能率を上げれば上げるほど仲間が次から次へ首切られていくのだ、これではいけないのだということで
石炭の政策転換の戦いを続けて、そして御
承知の
通り、四月六日に
池田総理の回答としてもたらされた、
雇用を第一とする、
エネルギーの
安全保障をはかるのだ、さらに
国際収支を
考えるのだ、この
三つの問題を
中心として権威ある
調査団に委嘱をして、
石炭政策を打ち出すのだ。このことは、
三つの問題はすべて関連性があるものである。
雇用を第一とすることは、申し上げるまでもなく炭をたくさん掘るということであり、
エネルギーの
安全保障ということは、これまた私が貴重な時間に多くを費やして申し上げる必要もありませんが、輸入
石油に依存するのではなくて、国内資源である
石炭をできるだけ掘っていかなければならぬのだ。いかに千円札を山のように積んでも買えない、
石油でなくて
石炭を
生産する、これを
需要するということが外貨の節約であり、
国際収支にとって有利である。この
総理の
考え方は、五千五百万トンではいけない、五千五百万トンの
需要を行なうことによって自分たちは山から追い出されてしまう、このことが
総理の回答によって解決をしたのだ、前向きによる
石炭政策というものが抜本的に打ち出されてくるのだ、という
期待感を持って山の
労働者は山に帰っていったと、私はこのように
考えております。
そのことを
考えてみますとき、少なくとも私は、田中
大蔵大臣が
熱意ある態度をもって
答弁したような姿勢というものが
政府においては打ち出されなければならぬと思う。しかし、その言葉、その態度は
熱意があるようでありますけれども、形式であります。しかも、
政府は議員とは違います。具体的な計画というものがなければなりません。ただ
熱意、それだけでは
政府の態度としては私は了解はできないのであります。そのような
考え方からこの問題に取り組んで参ります場合、どうして五千五百万トンの
需要というものが、もっと
拡大をするという態度というものが、
政府においてはっきり具体的に打ち出されてこないのかということであります。従来の出炭あるいは
需要の実績、そういうことから見るならば、六千万トンあるいは七千万トンということは無理であろうという
考え方は出てくると思う。また、資本主義
経済の中において、
経済合理主義、企業合理主義といったものを一擲しろということも、これは無理ではありましょう。しかしながら、
経済の合理主義というものは、ただ単に企業合理主義という狭い範囲において
考えるべきものじゃない。
国民経済的な上に立って
経済の合理主義というものは打ち出されてこなければならないのではないか。そういうことを
考えてみますとき、同じ資本主義
経済の中における西ドイツが、日本と同じく
石油資源を持たない西ドイツが、
石炭の地位というものを非常に高く見ておる。西ドイツができることが、どうして日本においてできないのか。またそれを実現するように
努力をしないのか。福田通産大臣は、
経済合理主義、これを無視してはできないのだ、そういったような
答弁に終始しておるようであります。
そこで私は具体的に通産大臣にお尋ねをいたしますが、
電力用炭に
石炭をもっとたくさん使わせるという場合、一キロワット・アワーの
電力を、
石油でなくて
石炭を使うという場合、その差額はどれだけになるのか。三百万トンの
石炭を多く消費させるという場合に、それではどれほどのコスト高になるのか。その点をどう
考えて、
経済の合理主義というものを無視して
石炭を使うわけにはいかないのだといったようなことに終始しておられるのか。まずそれらの点を明らかにしていただきたいと思います。