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植村参考人 経緯を簡単に申し上げますが、一番初めに、
丸善の問題について私がこれは問題だぞと思いましたのは、おそらく去年の八月ごろであったかと思いますが、いろいろどうなんだろうというふうな、いいのかなというふうな話も多少耳に入ったわけです。それからそのうちに、今の
外国からの
借款、
ユニオンの
借款の問題に移ってきまして、それでこれをつくることがどうしても必要であるという
意味から、
和田さんからも伺ったし、それからまた
上枝さんからも伺ったわけであります。そういうようなことから始まったわけなんです。それでだんだん伺ってみますと、御
承知のような
金融の非常な逼迫している
緊縮状況でありまして、一方
ユニオンとの交渉というふうなものが、初めは、これは
和田さんの
お話でありましたが、
借款で三千万ドルという話であったのが、半分やはり株を持たないとなかなかいかない。半分株を持って、そしてそうなれば、今度はバンク・オブ・アメリカを
中心としたグループから、千五百万ドルが出るというような筋になってきたわけであります。それで株を持たれるということになりますと、また御
承知のように、
丸善は出光に次ぐいわゆる民族会社の大きなところであります。千五百万ドルということになりますと、いわば三分の一にほぼ当たるわけです。これは一体どういう条件であるかということが、非常な問題になるわけであります。会社の経営にはタッチしないということを言っておるというような
お話だったのですが、それだけで安心ができるものかどうかというようなことが問題になって、何度か
お話を伺ったことを記憶しております。そのうちに、これは
和田さんから、どうもこれを何とか一つ
つくりたい、そうしないと、当面の問題としてえらいことになってしまう。まあ私の方としてもせっかくここまでやってきているのであるが、ちょうどいろんなことが一緒に起きてしまって、一つは
石油の乱売といいますか、過当競争の結果、市価が下がってきている。売り値が下がってきている。それからちょうど
石油化学が一番大きなものの一つでありますが、いろんな面で積極的な手を打っているところへ、まだそれが実を結ぶ前に、
金融の非常な緊縮が起きてきているというようなことで、これはなかなかどうもむずかしいところにきているのです。どういう言葉を使われたか、そのときの表現をちょっと覚えておりませんけれ
ども、何とか一つこれはなりませんかというふうな
お話だったと思います。いわば
経済界の皆さんの協力で何とかできないだろうかというふうな話があり、そこでそうなってきますと、いわゆる再建というふうなところへ話がつながってくるわけであります。そう言われても、これはどうもそれは一つやりましょうと言うには、あまりに四囲の
状況がむずかしい
状況であります。それから一方、それにいたしましても、まず
ユニオンの三千万ドルの
借款ができませんと、なかなかこれはあとの方途が立たないんじゃないかというふうな点もありますし、それだけで困ってしまう。これを何とかつくらなくちゃならぬ。それで条件がどうなるかわからぬというふうなことで、
通産省もだいぶ心配をされたんでありましょう。大臣非常に心配されて、もしこれができないときには一体どうなるか。国内でそれをつまりファイナンスすることができないだろうかというふうなことも言われたのですが、さてあの
状況下で、私としましても、かりに走り回っても、なかなかむずかしいのではなかろうかということを申し上げたことも覚えておるわけであります。そうやってやっておりますうちに、
上枝さんも、何とかこれは一つ
ユニオンの
借款ができないと困るからというので、条件について、いろいろ民族資本のせっかくの会社を維持するという
意味からも
要請がありますし、そこのつり合わせといいますか、どうなるかということが、非常な重要な問題になってきました。そういうふうなことで、いわば再建と申しますかについて、
和田さんとしても何とか一つ考えてもらいたいということを覆われているうちに、今度は
通産省もだんだんときが迫ってきますし、結局外資
審議会の認可を受けないといけないので、それに対して、一方では外の条件、それからそれを借りることができれば会社はどうなっていくかについての大よその見通しもつかなくちゃならぬし、非常に心配したのでありましょう。次官から私にちょっと会いたいという話がありまして、ちょうど外務省でありましたか、こちらの
方面に来ておったものですから、それなら私帰りに寄ろうということで、それが幾日だったか、ちょっと帳面を調べたのですけれ
ども、そういうふうなあれではっきりしないのですけれ
ども、次官室でお目にかかったのです。大臣も非常に心配しておられたので、大臣の意を受けて言ってこられたのだと思いますけれ
ども、何か一つ何人かの方で
丸善の世話をやいていただくというふうなことはできないだろうかということを言われたのが、今の
通産省との
関係のきっかけであります。そこで私考えまして、だんだんそれまでに幾らか
丸善についての知識ができてきたわけです。そこで、すでに先ほど申し上げたように、民族資本と称する会社の一つの大きなものである、これを何とか維持していきたいということ、まただんだん伺うと、すでに三千万ドルでありましたか、三千万ドル足らずくらいの長期融資も
外国から受けておるわけであります。短期融資はもちろんというので、私自身の脳裏に浮かびましたことは、これは何とか一つ工合よく再建ができていかないと、海外に対して何か迷惑をかけるようなことになると、相当の信用のある大きな会社なんだから、これはほかの会社とアメリカとの
関係のその種の問題にも悪影響があっては困るし、将来やはり外資は相当使っていかなければならない。
石油業界といわず、全般にあるわけでありますから、これは一つ、何かできるものならば工合よく再建ができるように努力すべきじゃないだろうかと思ったわけであります。しかし、問題は一つの私企業の問題でございますから、結局その会社の責任者として頼まれるのでなければ、こっちから押しつける問題でありませんので、かねがね
和田さんとしても、いわば明確な形ではありませんけれ
ども、何とかならぬかということで頼んでおられたと私は了解しておるわけであります。そこで私の考えましたことは、まずそれはほんとうに
和田さんがその気で一つ何とかということでなければいけないということが一つと、それからもう一つは、
三和銀行が主
銀行でありますから、
三和銀行としても、再建についていわばとことんまでの協力をしていただくということでないと、これはいけない。それからまた、両者の意見がほんとうに一致して再建をやるということでないといけない。そこで一方たまたま東京側としますと、小林君、水野君というようなところが——私は、
和田さんには、あいさつはしますけれ
ども、あまり特別なあれはないのです。両氏は、私よりは知っているらしいのです。たまたまどうだろうか、こういうふうになっておるという話をしました。それから
太田垣さんは、あるいは相談役であったことが一ぺんあられるんじゃないか。
丸善会社とはもとから
関係が深い。それから友人でもあるし、
太田垣さんにも、こういうことになっておるが、これば本来大阪の問題だし、あなたとしたって加わらなければいけないというようなところから、
太田垣さん。それから
太田垣さんの
お話で、大阪側からも、一人だれかというので、松原さんというようなところがきまってきたわけです。
それで、先ほどの
お話の続きになりますが、個々に、もちろん
和田さんにも一応の話をし、
上枝さんにもだんだん話をして、こうなってきているが、一体あなた方としてほんとうにいいんですかということを念押しをし、かなり世間の話題にもなっておりますしするんで、今の五人そろったところで、
和田さん、それから三和の代表として
上枝さん、渡辺さんに
おいでいただこう。まあお互いに個々の話はしておりますけれ
ども、一堂に会したところで一つ何とか頼みますということを言っていただいてスタートをしたい、こう私が考えたのです。
そこで、スタートをして、第一回でどういうふうな問題が起きたか。結局、
ユニオンとの
関係、株の問題、
借款の問題ができませんと、
後任社長とか何とかいいましても困るし、だれがやったって、あれができないとスタートできないわけです。それにはやはり外資
審議会の
関係もありますし、これは
通産省としては職責上当然やるべきことではありましょうけれ
ども、一つ
通産省の
関係の次官、それから
鉱山局長、
企業局長で都合のついた方は来ていただいて、そこで立ち会ってもらいたい、こう思って——こうしたらどうかと思うというのはむしろ私の発意で、ここまできましたから、これでいわばセレモニーをやるわけなんだけれ
ども、ぜひ立ち会っていただきたい。それで立ち会っていただいたのが、この
内容です。それで
鉱山局長は国会に呼ばれておるのでどうしても行かれないからというので、次官と佐橋局長が見えたわけです。
経緯としてはそんなことでございます。