○井堀
委員 たいへん時間も詰まっておるようでありますが、本
法案はわが党にとりましては重要な政策の
一つとして、かつて三十六年の十月に要綱を公にし、続いて昭和三十七年の三月二十日には
老人憲章、そして
老人福祉法の要旨などを公表いたしまして世論に問うたのであります。幸いにいたしまして今回、
政府提案というような形で世に出るようになりましたことは、まことに喜ばしい次第であります。ただ、手放しに歓迎できませんことは、
社会保障制度審議会からもきびしく
指摘されておりまするように、今日の段階においてかかる重要
法案が、きわめて主体性のみならず積極性を欠いておるという批判は、確かに適切な批判であると思うのであります。しかしながらわが党といたしましては、せっかく誕生いたしました本
法案が、最も近い将来に
内容も充実したものになることを念願しつつお尋ねをいたしてみたいと思うのであります。時間の制約がありまするから、重要だと思われる部分だけを取り上げてお尋ねをしてまいりたいと思います。したがいまして、質問の場合に十分私どもの
考え方を述べてお尋ねするのが当然であり、また親切な御答弁をいただくことになると思うのでありますが、残念ながら時間の制約を受けておりまするから、端折ってお尋ねいたしますが、御答弁はひとつぜひ急所に触れた御答弁を賜わりたいと、前もってお願いをいたしておきます。
政府案の基本理念というものは、私どもが八つの項目に分けて憲章を公にいたしましたものにかなり接近してきたものであると思うのでありますが、この基本理念の中について幾つかの疑問をわれわれは差しはさむものであります。全体をお尋ねする時間もございませんので、たとえばこの
法案の重要な
役割りともいうべきものは、
日本の家族
制度の大きく変化を遂げつつある現社会にこれが適応することであると思うのであります。でありますからわれわれは、遠き将来の希望については、この
法案にかなりの期待をかけることはできるのでありますが、現時点における
日本の家族
制度の大きな変革というものに対する十分な備えが、本
法案にはないのではないか。具体的に言いますならば、
日本の家族
制度は、
法律制度の上ではもうすでに終戦直後、憲法及びその他の
法律によりまして
老人は独立した生計を営まなければならないたてまえが強く要請されて、また現実の上にもそれがひしひしと迫っておるのであります。それに備える当然の
法律として、
老人福祉法というものが実は同時に立ち上がるべきものであったと私は思うのです。しかしこれは、その当時、
日本の国民経済なり国の
財政などから、これをささえるだけの力を持っていなかった時代でありまするからやむを得ないのでありますが、今日
政府が、昭和三十八年度の予算編成にあたりまして、経済の見通しなり
財政に対する基本的態度をわれわれに
示しておりますこのことからお尋ねをして、本
法案に触れていくのが当然であると思いますが、時間の都合がありますので、また厚生
大臣は閣僚の一人としてこの問題には参加されておる方でありますから、詳しくお尋ねをしなくてもお答えができると思いますので、ひとつそのつもりで御答弁願いたい。
概括してみますと、
日本の国民経済の規模、予算規模なり予算編成の
内容にあらわれているところからいたしますならば、いま
老人が家庭から社会へ激しい勢いで放出されておるのであります。それはある場合には就職を求めて、非常に悲惨な日雇い
労働者になり、あるいは病身をひっさげて
生活保護法の恩恵にすがらなければならぬというようなことは、私は国の責任を誤っていると思うのです。でありますから、これだけ経済力が伸び、
財政規模が拡大された現実においては、
老人に対しまして、何をおいても一番先に手を差し伸べなければならぬのは低所得層、それは
老人の責任じゃないのです。年をとれば、だれでも
労働能力を喪失することは当然であります。若い時代には
日本経済の再建、特に戦後、働き盛りに、
労働力はもちろんのこと、あらゆるエネルギーを社会の繁栄のために奉仕して、そしてその老後がいやされないというこの現実であります。このことは、私はひとり
老人に対する国の義務というよりは、
日本を新しく立て直す大きな原動力になるかいなかに問題があると思うのであります。本
法案は、ながめますと、消極的な
意味において
老人保護が考えられておる。しかし、いま国が要請しております時点はもっと積極的な意義を持ったもの、それは、わが党の
老人保護憲章と同様にこの基本理念の中に掲げてありますように、かつて社会の進展に寄与した者という短い文章でありますが、よく表現してあると思う。これは積極的な
意味において
日本の経済をささえて、
日本の社会の進展のために、あらゆるものをささげ尽くしてきたのであります。こういうものに国が適切な
措置を講ずるということは、言うまでもなく、その民族の繁栄の基礎をつくるのであります。いわゆる健全な思想を育成する具体的な政策でなければならぬと思うのであります。でありますから、少々の財源を惜しむことなく
——思い切った処置を講ずるというたてまえが基本理念の中に欠けておる。これは
社会保障制度審議会も
指摘しておるところであろうと思うのであります。こういう
立場から判断をいたしまして、この中で
法案を順次伺っていけばわかると思いますが、この基本理念の中の、いま申し上げた部分でたとえばこの
老人保護の中で、そういう
意味から一番先に取り上げなければなりませんのは、ここでは抽象的に社会活動に積極的に参加させようといっているのでありますけれども、
法律の
内容の中には具体性がないのであります。もしおありであるとするならば伺いたいと思うのですが、社会的活動というのは、かなり広い
意味があると思うのです。
一つには、長い間国のために奉仕してきた人が、いま言う、やむを得ず
労働能力あるいは社会活動から遠ざからなければならぬという、この事実を補うだけの
措置がなければならぬ。
老人にもできるよい仕事とか、あるいは
老人の経験とか、長い間奉仕してきたそういう人々に対して、社会活動の中で、どこにどう迎えるかということがこの
法案には欠けている。これがわが党の案と
政府案との非常に大きな違いであるのであります。この点について、将来芽が出るようなものであれば多少しんぼうしなければならぬと思いますが、それが欠けておるのです。いまこの
法案の中で、一番切実で、しかも適切な
措置として取り上げなければならぬものがどの条文で、どこで将来そういうものを育成していこうとされるのか、お答えを願いたいと思います。