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正田参考人 九州大学の
正田でございます。
私、九州で仕事をしておる関係もございまして、この
失業対策事業の問題にどうしても取りかからなければならなくなったのが、およそいまから十年ぐらい前のことでございます。御
承知のように、
昭和二十八年以降九州の石炭産業に非常に深刻な不況が襲ってまいりました。そして炭鉱の
失業者が失対
事業に入っているけれ
ども、きわめて低劣な
条件に置かれている。さらに三十年、三十一年、景気は回復に向かい、神武景気というようなことがいわれましたけれ
ども、そういう情勢の中でも、
失業対策事業に入っておる
人たちは、ほとんど浮かばれないという実態にぶつかったからでございます。その後、石炭産業だけでなく、そのほかの産業についても若干勉強いたし、あるいは九州だけでなく、それ以外の地域についても勉強する機会を持ちまして、先ほど
近藤先生が文字どおり義憤を感じたとおっしゃいましたけれ
ども、私
どもも十年前に、このようなひどい失対
事業の現状というものについて義憤を禁じ得なかったのであります。それでは失対
事業をどうすればいいかということは、もちろんわれわれ学校の人間が、にわかにどうこう
意見を持つわけにはいかない問題がたくさんございましたけれ
ども、勉強している間にこのことがわかりました。それは、失対
事業がきわめてひどいものであり、まずいものである。けれ
ども、それは失対
事業を、この点を直す、あるいはこの点をこっちに向けるというふうな改善をますことで、どの
程度改良できるかという点が問題なのである。実はその点では、非常に限界が低いものだということを勉強させられました。たとえば特別失対
事業につきましても臨時
就労にいたしましても、あるいはその後の
炭鉱離職者の緊急
就労事業にいたしましても、
程度の違いはありますけれ
ども、みんなそれぞれ、失対
事業の現状がいろいろの点で思わしくないから、このような改良をしてみたらどうか、あるいは
雇用対策としてこのような方法を講じてみたらどうかという、いろいろな努力がされたのでありますけれ
ども、しかしこれは必ずしもいい成果をあげなくて、また当初予定されておりましただけの
事業量にも達しなくて、年々だんだん低下するというような実態を見ております。そこで、この十四年ないし十五年にわたります戦後の
日本の失対
事業の経過を勉強しました中から、私は次の四つくらいのことを教訓として学んでいるわけであります。
何かと言いますと、
日本の失対
事業が今日のような状況になっておる一番根本的な
理由は、第一が、
失業に対する社会的な保障が欠如しているために、あらゆる災いが生まれてきておる。これは何も私の発明ではなくて、皆さま方が十分指摘されておるところでありますが、それを
現地では特に強く教えられておるわけであります。
第二番目には、安定
雇用と申しますか、
雇用を安定させる
政策的な努力、この点がきわめて不十分である。不十分というよりも、
雇用の量なりあるいは
雇用の方法なりということはいろいろいわれるけれ
ども、
雇用を安定させるという点について、
政策としてはほとんど見るべきものがなかった。このことが、失対
事業を今日のような事態に持ち来たしていることの第二の
理由であるということであります。
それから第三番目の
理由は、これも指摘されておるところでありますけれ
ども、失対
事業で働いておる
人たちの状況を見ますと、
失業者であっても
労働者であることには違いありません。しかしこの
失業者が
労働者として持つべき基本的な諸権利、これが長年の
失業の間に、あるいは過酷な
労働や
生活の
条件の中で、きわめて深刻に侵害されている。そのことが、失対
事業が今日のようにきわめて低劣な、そしていろいろな点でまことにまずい問題をたくさんに持っているという事態を生み出しておるのだというふうに
考えております。
第四番目は、これも指摘されておることでございますが、
賃金あるいは
労働と
生活の関係につきまして、
失業者が家族扶養の負担を持っており、この家族扶養の負担に対してこたえるということがきわめて長い期間無視されている。最近は無視できない——あるいは今度の法
改正についてもその点が先ほ
ども強調されましたけれ
ども、しかし戦後の十四年間を見てみますと、基本的な
性格としては、家族を扶養する負担、これが
失業者には固有のものとしてくっついている、このことできわめてたびたび無視されてきた。大体この四つのことが、失対
事業を今日のような状況にした最大の
理由であるというふうに
考えております。
そこで、失対
事業についてさまざまな改善
意見が出されており、賛否両論がございますけれ
ども、私
どもが勉強いたしましたところでは、失対
事業を失対
事業だけとして技術的にいろいろ改善をする、あるいは技術的に
雇用対策あるいは
社会保障というようなことを部分的に取り上げるいろいろな努力がされておりますけれ
ども、失対
事業がまともなものになるか、あるいは先ほどから言われておるように、もう失対
事業のように時代おくれのものは必要でなくなるというような事態になるかどうかというのは、いま申し上げたような四つの点がどれだけ充実されるか、どれだけ発展をするかということによって規定されるのだ。逆にこの四つの
条件が少しも前進しないならば、あるいは非常に重要な点でこれが無視されるならば、失対
事業というものは解消することができない、こういう
性格を持っておるというふうに理解しております。そしてその結果として、どういうことが結論として出てくるかというと、いまのような四つの
条件が欠けており、きわめて低劣であったことの結果として、失対
労働者の実態というのは
失業を何度も何度も繰り返し、そうしてその
失業のたびごとに段階的に転落していく、これは仕事の面でも転落していきます。
生活の面でも転落していきます。また次の再
就職のための
条件を封じられていきます。そうしてその結果として滞留する。こういう
一つのかなり特殊な
失業の型をつくり出してきておる。そうして
失業対策事業における
一つの難点として、いろいろな点で滞留的な現象が根強いということがいわれますけれ
ども、それは失対
事業を取り巻く、
日本の
失業状態が、段階的に転落し、滞留せしめるような事態を少しも改めていない。そうして改めないだけでなくて、高度成長といわれ、経済の
拡大といわれておる中で、段階的に転落させるその力むしろ強化しておる。その結果が、今日の
失業情勢についてきわめて
解決の困難な問題を生み出しておるのだ、このように理解しているわけであります。
そこで
失業対策事業及び
職業安定法の今般の
改正意見につきましても申し上げたいことは、これらの点からして、第二の問題としまして、
雇用や
失業の情勢についてどういうふうに問題を取り上げるかという点で、もっと問題を明らかにする必要があるのじゃないかというふうに
考えております。どういうことかと申しますと、すでにこれまで触れられましたことでございますけれ
ども、経済の
拡大、
雇用の
拡大の反面において、後退産業や後退地域、ここでは
失業の問題は一そう深刻化しておることはみなよく
承知しておるところでありますが、それだけでなくて、成長産業やあるいは前進地域においても
合理化、それから集中化、過剰生産、こういった
条件が表面化いたしまして、過剰
労働力の排出というものがきわめて強力に行なわれるようになってきております。私
どもは抽象的な人間でございますから、こういうことを言ってしかられるかもしれませんが、
失業対策の勉強をいたしますと、古典的に、
失業対策について一番大切なことは何かと言うと、
失業者をなるべく出さないようにすることだということを私
どもは学生のころから勉強してきておるのでありますけれ
ども、今日、あるいは
合理化といわれ、あるいは自由化に対応する態勢といわれて、
失業者をどのように出すか、これを規制するかという点については全然その規制が行なわれておりません。けれ
ども、やはり今日のこの
失業情勢、
雇用情勢を見ますと、わが国においても
労働力を排出する、これを全く手放しにしていいのかどうかという問題が、この
失業雇用問題について
一つ出てくるわけであります。
それから第二番目の問題といたしましては、今般の
改正案におきまして
雇用促進あるいは
訓練手当、あるいは求職活動に対する
手当といったような点で、いろいろな
手当が考慮されております。先ほどの御
意見では、これは十分ではないかもしれないけれ
ども、やはり
失業手当法というものに結びつくべき、あるいはそちらの
方向に進むべき画期的な措置だという御指摘がございましたけれ
ども、この点がどうであるかは
あとで触れるといたしまして、このような
失業手当法等々によりまして
失業者がはっきりと表面にあらわれ、そうしてまた、それがたとえば
失業保険の期間が切れるとどこかに消えてしまうというのではなくて、もっと長く
労働市場の中に
失業者としてあらわれておる。
失業がこれまでよりももっと明らかに出てくる、またもっと大量に出てくる、また
失業の持っておる
性格がもっと鋭く出てくる、こういう問題があるわけでありましょう。そこでそういう
意味からいたしますと、よく指摘されておりますように、先ほ
ども小川さんから
お話がございましたが、統計でいっても、求人の窮迫しているところでは求人対求職の割合が一対一だ、あるいは実際の企業では三割
程度しか求人を充足することができない、絶対的な
労働力不足というようなことになって、これは十数年前の緊急失対が行なわれた時代とすっかり
条件が違ってきているんだというふうに言われますけれ
ども、これは部分的でございますが、産業をとりまして企業別あるいは職種別に若干の調べを見てみますと、やはり比較的に社会的に見て位置の高い職種や、あるいは
条件のいいところに対して殺到率は非常に高いのが現状であります。したがって、
失業者にもしこのような安定した
雇用に適応できるような方法を与えて、そうして本格的な技能
労働者として働くことができるような、そういう方法を講じたならば、おそらく殺到率一対一というようなことではなくて、非常にたくさんの求職率があらわれることは明らかであります。だからその点で統計ももちろん重要であります。また長年にわたる変化について、御専門の
方々が十分検討されているとは
考えますけれ
ども、なお一そうここに
失業がどのようにあらわれるか。また
失業者が職業とどう結合するか、今日の
条件のもとではそれがきわめて制限されておる、きわめて結びつきにくい、こういう点をもっと現実に即してつかまえて、その上で今日の
雇用、
失業情勢を十分に論議していただきたい、こういう希望を持つのであります。
それから三番目の問題といたしまして、先ほ
ども申しましたけれ
ども、今日の
失業対策事業について指摘されておりますような
失業対策事業に固定化する、あるいは
失業者の
就職希望をとってみるときわめて低い、きわめて不活発だ、このような
雇用情勢のもとで、このような
労働情勢のもとで固定化したり
就職希望が低いのは、これは何かほかに
原因があるのじゃないかというような指摘がございますけれ
ども、私
ども若干勉強した限りでは、それはこのように理解されます。何かと言いますと、今日の
失業対策事業の
就労が、決して安定したものでないことは言うまでもありません。またその
条件がきわめて低劣なものであることも言うまでもありません。にもかかわらず、それよりももっと不安定な零細企業やあるいは拾い仕事のような、あるいは全くのあてがいぶちのような、そういう不安定な
労働のまっただ中にさらされておる、
失業状態、半
失業状態の中にさらされておる、そしてその中であるいは
生活保護あるいは失対
事業、こういうものにやむを得ずしてしがみつかざるを得ない、こういった事態があらわれているわけであります。これは安定
雇用政策、
雇用をもっと安定させ、あるいは安定した職場というものについて、これを
政策、努力をもってもっとこちらの
方向に充足するということをやるならば、このような滞留性というものは非常に大きく改善されるわけであります。しかしそれをやらないなら、いまのような客観的な
条件として、もっともっと不安定な、もっともっと無権利な事態があるとしますと、これはにわかに
解決できるものではない、こういうことがわかるわけであります。
以上によりまして
雇用、
失業情勢の評価につきまして、全般的に見まして
雇用は
拡大し、あるいは近代化しておることは、私は決して
否定するものではございません。しかし、
失業対策また職業安定は、その中のまずい点、その中の難点をあやまつことなく十分な把握をして、その上に問題が立てられることを必要とする、その
意味では
雇用、
失業情勢はきわめて深刻な問題を、いま申しましたような三つ、四つの点で持っておる、これは決して楽観を許されないのじゃないかというふうな判断を持っておるわけであります。
三番目の問題といたしましては、
失業滞留の問題の中で中年層、高年層の問題が取り上げられております。そしてこれが最大の問題だというふうにいわれるわけだし、また事実そうなのでありますけれ
ども、先ほど申しましたように十年ぐらい前からこの問題にぶつかって、その後の経過を見てみますと、さっきもちょっと申しましたけれ
ども、一人一人の——全部ではございません。もちろん全部当たる能力はございませんが、できるだけの失対
就労者の人について、ただ単なる統計的な調査じゃなくて、少し詳しく身上調査のようなものを聞かしてもらっていろいろな勉強をいたしますと、この
人たちが実にたびたびの
失業をしております。そして実にいろいろな
就労の機会を求め、何とかして
雇用と
生活を安定させたいという個人的な努力の歴史を持っております。三回、五回、十回というような
失業と半ば
失業したような状況、そういう
生活の歴史を持っております。そしてその結果として滞留をしてきておる、そういう問題があるわけであります。そこから出てまいります問題は、これから先の中年層、高年層に対する対策の問題と、それからこれまですでに戦後十八年といってもよろしいのですが、
昭和二十四年以来の十四年をとってみましても、すでにこの十四年の間にこれだけの
生活の歴史を持って沈んでいき、これだけの
失業と苦難の歴史を持っておるそういう中年層、高年層の問題というのは、にわかに
解決できない非常にたくさんの問題を持っておるのだということをまず念頭に置いてかかる必要があるように
考えるのであります。
その点からいきますと、
就職促進の措置はもちろん必要なのでありますけれ
ども、言われておりますような
就職促進の措置が、それがどの
程度の
生活水準であるかというような、家族の収入
水準というようなことである
程度の目安をつけてはかり、あるいは
職業訓練、
就職訓練等々につきまして財政的な措置がとられましていろいろな用意が
考えられておるようでありますけれ
ども、このようなもので処置できるものは、おそらく今後あらわれていく中高年層
労働の中で比較的に
職業訓練やあるいは新しい職種に対して適応性の高い
人たちに限られるわけでありまして、これまでの既存の滞留をしておる中高年層については、ほとんど
解決の方法にならないということは明らかであります。また今後あらわれる中高年層の
失業者についても、そのような適応性が必ずしも十分でないというもの、これは先ほどからいろいろ論議されておりますように、相当に
考えておかなければならない問題であるわけであります。
それでもう
一つ角度を変えますと、このような点で心配する必要はないと言われるかもしれません。しかし問題の
解決はきわめて困難だといたしますと、現在まで行なわれておるこのような
解決困難な層がどこのところに落ちついていくかというと、その基準線は
生活保護基準線であります。その
意味で、
生活保護基準線にこれが収斂するという危惧は決して思い過ごしではないのであります。もし思い過ごしであるとすれば、それを明らかにもっと高いところ、それは
生活保護基準を上げるのでもけっこうですし、あるいは
生活保護基準をうんと上回るようなちゃんとした基準というものを設定するのでもけっこうでございますが、その危惧をなくするためならば、その点は明確な、そして相当高度な基準線が、すなわち
失業を保障する基準線が明らかにさるべきではないのかというふうな
考え方を持ちます。その
意味では、なるほどいろいろな御
意見がございまして、御趣旨はけっこうだ、
就職促進や
職業訓練や
就職手当についての御趣旨だけはけっこうだと申し上げたいのでございますが、私がいま申しましたような
意見の結論としましては、御趣旨はけっこうというふうに申し上げられないのであります。むしろ現在の状況、今後の展望といたしまして、
生活保護基準への収斂ということをどのようにして
解決していくのかという点が明らかにさるべきではないかというふうに
考えます。
〔
委員長退席、柳谷
委員長代理着席〕
中高年層の第三の問題といたしまして、やや角度を変えまして、今度は
失業の層を少しくとらえておく必要があるかもしれません。それはこれまで
雇用労働者であった
人たちが
失業する場合、あるいは自営の
業者の
人たちがその業を失う場合、あるいは農山漁民、農林水産関係といったような
人たちが業を失う場合、あるいは自立営業の
人たちの
失業という場合には、またもう
一つ解決の困難な問題が出てくるのであります。そしてまた適応の困難な問題が出てくるのであります。こういう点も
一つ考えておく必要があるのではなかろうか。そしてそれらの最も
解決困難な問題が老年層の
失業という形で出てくることは、
皆さんも御指摘のとおりであります。したがって、いまの中高年層の問題の最後の問題としては、さまざまな
失業対策が
考えられますけれ
ども、それにもかかわらず、やはりここには、この中年層、高年層の
人たちの世代では
解決ができないような部分、そういう
失業層が残る。このことを、われわれは非常に残念だけれ
ども、やはり
考えなければならないと思うのであります。その
意味で、中高年層の問題に対してさまざまな御
意見がございますけれ
ども、この点では、おそらく問題のほんの一部分を取り上げるにすぎないことになるのであるというふうに
考えるわけであります。
第四番目に、もう締めくくりでけっこうなんですけれ
ども、これまで申し上げましたことを締めくくりまして、私はこの職安法の
改正と失対法の
改正につきまして、このような理解を持ちます。
一つは、職安法の
改正によりまして
就職を促進する、
職業訓練をする、また求職活動を活発にする、さまざまな方法をとりまして
失業労働者の動員をはかる、あるいは流動化をはかる、こういう
方向が
一つとられる、これが特色だというふうに
考えられます。しかしその流動化が、たださまざまな指導や、職安あるいは
労働者等の認定権や、あるいは課程の設定やといったようなこと、指定や指示や、そういうことで十分に成果をあげ得るかどうかといえば、これはもうおわかりのように、それを成立させるかどうかの一番根本は、
失業を保障する
制度というものと安定
雇用を確保し、
拡大する
政策、この二つが前提になるわけでありまして、このことを前提としてもっと明確に出すことが、今日の重要な問題ではないかというふうに
考えます。
それから失対
事業法につきまして、これを分割して、一方では
雇用対策としてはっきりと割り切ったものにする——もちろんここにも問題はありますが……。それからもう
一つは、
社会保障の領域にこれを適用する、こういうふうに
政府原案では示されておるようでありますが、その
雇用対策といわれる場合に、これが安定
雇用という名に値するかどうか。耳なれないことばでありますが、通常
雇用あるいは通常
就労ということばが使われておりますけれ
ども、これは私はどうも
意味がわからないのであります。やはり普通のこういう
法律などでやる場合、
意味を通そうとすれば、それは安定
雇用でなければならない、安定
就労でなければならないということは明らかであろうかと思いますが、ここでいわれております
雇用対策としてこれを実施するという場合に、これが安定
雇用の名に値するかどうか、この点はもっと十分に検討する必要があるのではないかというふうに
考えるわけであります。
以上のような問題がございます。それで先ほどから御
意見が出ておりますように、もちろん一挙にすべてがよくなるというわけにはいかないから、漸次改善していくという
意味で、たとえば
手当制度というものを改善する、あるいは
労働省の努力あるいは
一般の
民間の協力あるいは
失業者本人の活動、こういうことを通じて、みんなが一体になって問題の
解決に向かっていくんだというふうに主張がされておりますけれ
ども、私は、その
手当制度が決して無
意味だというのではなくて、これはもちろんあったほうがよろしいでしょう。しかしそれにもかかわらず、このような部分的な
手当制度によって、先ほどから繰り返し申し上げておりますような
失業の保障あるいは安定
雇用ということを、きわめて不十分なままで失対
事業を大幅に転換するということは、非常に大きな破局的なアンバランスを起こすことは明らかでありまして、それを実際の
雇用と
失業と
賃金との関係を通じていきますと、おそらくこれまでよりもはるかに直接的に、直線的に低
賃金労働、あるいは
就労とは言えないような不完全な
就労、こういうところにこれを結合することになって、その
意味では非常にゆゆしい事態を惹起するんだということが言えるのではないかと
考えます。
以上によりまして、私はこの
法案の
改正案につきましては、どういうふうに勉強してみましても、
賛成いたしかねるのでございます。そして今日の情勢で失対
事業というような時代おくれのものという主張がされますけれ
ども、なるほど失対
事業は決して時代の先端を切っているものじゃなくて、時代おくれであります。それじゃなぜ失対
事業がこのような時代おくれの事態であらわれてきておるか、そして
労働者が苦しんでおるかというと、それは
失業保障や安定
雇用政策、これが欠除しておる。この非常な時代おくれ、これが最大の
原因であるんだということ、そこから
考えますと、
失業を保障する法制的な措置ということを、これを国際
水準などを勘案いたしまして、もっと明確な形でぜひとも提起すべき段階に、
日本の
雇用や
失業対策の情勢は、そういう段階にあるのではないかという
意見を持っておるのであります。(拍手)
〔柳谷
委員長代理退席、
委員長着席〕