○
滝山説明員 御
説明申し上げます。
大へん御迷惑をおかけして申しわけありませんが、お
手元に日本国有
鉄道といたしまして「北陸、上信越線の
雪害状況について」というパンフレットがございます。これは実は昨日の夕刻にまとめたものでございますので、その後若干の情勢の変化もございますし、またこれ全部読みますと長うございますから、主としてグラフについて申し上げ、
あと輸送問題について補足したいと思います。
最初に、
資料の七ページの折り込みのグラフをごらんになって下さい。これが今度の雪の模様でございまして、左が
金沢の雪、右が
新潟の支社でございますが、代表的なところ、今庄、
富山、それから
新潟の場合には、
長岡、直江津というようなところの雪の降り方が出ております。いずれ詳しくは
気象庁からお話があると思いますが、今度の雪は十一日ごろから降り出しまして、非常に長期にわたっております。従来の雪というのはたいがい四、五日で終わっておるのでございますが、今度は非常に長かったことと、二十三日ごろからまた急激に雪の量がふえ、しかも風を伴いまして、温度も低かったために雪が粉雪であったというようなことで、非常に雪の降り方としては悪条件が重なっておったということは言えると思います。
その次に、こういう
状態でございましたので、十一日から二十二日ごろまではあらゆる
努力を払いまして
輸送の確保に努めておったのでございますが、二十三日ごろから急激に
状態が悪くなったわけでございます。その模様は、その次の九ページをごらん願いたいと思います。九ページに、
新潟支社管内のおもな線区の
不通状態が出ておりますが、十一日から二十三日ごろまでに、只見線という、小出から入っておる山奥の線でございますが、この線は有名な
豪雪地帯でございまして、いち早くとまったのでございます。そのほかの線区は、二十三日までは
輸送を確保しておったのでありますが、二十三日ごろからがたがた参りまして、ここにございます重要な信越本線
長岡−直江津間、
長岡−新津間が
不通になりまして、今日どうにか動き出したわけでございますが、非常に長期にわたって御迷惑をおかけしたような
格好になっております。
それからその次の十一ページをお開き願いますと、これが
金沢管内でございます。
金沢の
管内も同じように、越美北線あるいは柳ケ瀬線というような線はちょっと早くから参っておりましたが、ほかの主要線区は二十二日、二十三日ごろまではどうにか
輸送を確保しておったのでありますが、二十四日ごろからは急激に悪くなりまして、二十六、七、八日、このころにわたって、
あとで申し上げますが、本格的な
除雪体制に切りかえましたために、
列車の
運行がとまるというようなことになったわけでございます。
なおその次に、ちょっと飛んで恐縮でございますが、十九ページをごらん願いたいと思います。縦にごらん願いますと、これが
列車の
運行の模様でございます。十九ページの別表6の(イ)というのは、
新潟支社の日別の
列車キロと、どういう工合に
列車が
運行されておったかという模様が出ております。一番上が
旅客列車でございまして、十一日ごろから雪が降り出しましたが、二十一日、二日ごろまでは旅客魂車はほとんど九〇%くらいまでは確保しておったわけでございます。
貨物につきましては、若干の波動はございましたが、これもまた二十三日ごろまで扇車を動かしたわけでありますが、先ほど申し上げましたように、二十三日ごろから急激に
状態が悪くなっております。御参考までに一番下に排雪
列車、これは主として
除雪のためのラッセル、ロータリーというものの運転でございますが、その
状況が出ております。これと比較いたしますために、二年前の三十五年の暮れの
豪雪のときのラッセルの模様が出ております。これをごらんになるとわかるように、いかに今度の雪が二年前の暮れの雪に比べて問題にならないほどの
状態であったか、今度の方が非常に長期にわたり
除雪に苦労しておるという模様がおわかりだと思います。こういうわけで、ずっと
除雪を続けながら、二十四、五日ごろから
状態が悪くなっているのが
新潟の
状態であります。同じように、
金沢は二十一ページにございますが、
金沢の方は、
旅客列車の押え方が
新潟よりだんだん減ってきております。現在
福井−
金沢間に問題がございますけれども、全般としてはこの二、三日
新潟の
状態よりもややよかったのではないかと思います。いずれにいたしましても、二十三、四日ごろから急激に
列車が減っておる。それから同じように排雪
列車の模様も、二年前とは比較にならないほど大量の排雪
列車を運転しておるわけであります。
なお、この機会に
除雪の内容についてちょっと触れますと、一番最後の二十五ページに絵がかいてございます。参考として
除雪の方法や順序というのがございますので、この漫画のような絵をごらん願いたいと思います。
除雪と申しますのは、
最初に、雪が降り出しますと、初期
除雪と申しまして、蒸気機関車——電気機関車のところは電気機関車を使いますが、機関車でラッセルを押すわけでございます。ラッセルというのは、幅四メートル半の翼を広げまして、これでもって雪を吹き飛ばすわけでございます。普通の場合、この
列車速度は時速四十キロくらいで走りまして、雪を飛ばしながら線路をあけていく、これが初期の
除雪でございます。ところが、ある
程度雪がはね飛ばされまして側雪が積もりますと、その次の二次
除雪というのが始まりまして、いわゆる段切りといっておりますが、雪を排除して空間をつくるわけでありますが、普通の雪の場合は四、五日で雪が終わりますので、終わったときに段切りをやりましてその次の雪に備える、こういうことを繰り返しまして冬季の
輸送を確保するわけでございますが、今回の場合には、先ほど申し上げましたような雪の降り方のために、こういう段切りをする機会がなく、どんどん雪は降る一方で、
列車を何とか確保しようということを続けておりますうちに、だんだん雪が積もって参りまして、絵の上から三段目の右のような
格好でございますが、
列車の窓すれすれまで雪が積もりまして、しかも排除されたものが積み重なっておりますので、三メートルから四メートルくらいの高さの壁ができてしまったのでございます。その
あとにまた雪が積もるような
状態でありまして、ラッセルではとうていやっていけないということで、二十六日ごろから腹をきめまして本格的な
除雪を主体とする運転に切りかえたわけでございます。このやり方は、その次にございますキマロキ運転、これは
最初に機関車が参りまして、その次にマックレーという特殊の
除雪機械でもって、側の黒いハッチの
部分の雪を線路の中へかき込むわけでございます。その次に、ロータリーと申します強力な翼ではね飛ばす機械でございますが、これでもって線路内に入りました雪をはね飛ばす、これがキマロキであります。これでやりますと、幅七メートルから七・三〇メートルくらいの雪が排除されますから、
あとをラッセルで雪をのけることができますので、ある
程度安定した
状態ができます。これに二十六日から踏み切ったわけであります。ところが、最悪の場合は、機関車の走る前に雪が積もっておるという
状態でございます。これに対しては、一番最後に異常時
除雪と申しまして、男頭からロータリーを持っていきまして線路の前の雪に穴をあけるということをやるのであります。今回は信越線の一部あるいは
上越線あるいは
北陸線においてやったわけでございますが、こういうような
除雪方法がございまして、初期
除雪の場合は、
列車がどんどん順調に数を減らしながら入れますけれども、キマロキをやります場合には、速度が落ちまして、順調にいって五キロ、今回の場合は平均二、三キロの速度になりますので、大幅に
列車を消しませんとこのキマロキの運転ができません。そのかわり、キマロキをやった場合はかなり雪の
状態がよくなる、こういう次第でございます。
次に十七ページに戻っていただきまして、十七ページに、今回の従事員の模様が出ております。この十七ページの別表四に、
除雪従事員というのが出ております。左の方に
新潟、右の方に
金沢、職員の自局、助勤、人夫——人夫というのは非常に失礼でございますが、
地元の方に
協力を願うのが人夫、それから
自衛隊の出動をお願いしまして、こういうような順序でやったわけであります。これは御承知のように、今御
説明しましたように、大体二十二日ころまでは、
新潟におきましては従来の自局の職員と
除雪人夫によって、
除雪をやりながらラッセルを動かしておったわけでございますが、二十三日以降
状態が悪くなりましたので、
自衛隊の御出動をお願いいたし、また他の
管内からも線路工手の助勤を投入したわけでございます。
金沢の方は、近接の局から助勤を早く手を打っておりまして、現在の時点では、ここにございますように、二十八日では一日二万五千人の労働力を投入してやったようでございます。
今回は雪が非常に多かったこと、また自分の家があぶないというようなことから、自局の人夫の出動にはある
程度限界がございましたので、現在では
自衛隊の戦力というものが非常な大きな力になっておるようなわけでございます。この際に、これから
あとのことについて、先ほど防衛庁の方からお話がございましたが、これ以後に、きのう、きょうにおきまして手を打ちまして、さらに線路工手を四百名関東
地区から
新潟に投入する計画を今進めております。それからなお中国、四国、九州からも三百名の助勤者を
金沢へ投入することを今進めております。それからそのほかに、具体的に今日現在におきまして約千名の
自衛隊の方が大阪から
金沢の局にきょうの午後に到着して
除雪に当たっていただくことになっております。
それからその次に、もう一ぺん裏をお願いいたしまして十八ページでございますが、十八ページに雪かき車の運転
状況というのが出ております。左に
新潟、右に
金沢、ラッセルというのは、先ほど申し上げました機関車で押していくもの、ロータリーというのは、回転して雪をはくわけでございますが、こういう工合にだんだん
除雪をロータリーに重点を置きまして、二十六日ころから、先ほど申し上げましたキマロキというものを主体にして本線の
除雪に当たったわけでございます。なお、このロータリーにつきまして、これは非常に強力なものでございますが、めったに本線で使う道具ではないのでございますが、これは実は
金沢に二台、それから
新潟に四台あるわけでございます。これに対しまして、二十六日から本州に残っております三台のうち、長野の一台、仙台の一台を
新潟に投入いたしまして戦力を加えたわけでございますが、さらに二十七日、二十八日に、北海道にございます六台のうち二台を
新潟に投入するということで、今
手配を完了いたしまして、ロータリーを
新潟に集めております。こういう工合に、
全力を傾到いたしまして
除雪に当たっているわけでございます。
除雪についてはそういう事情でございますが、なお、線路が今どうなっているかということについて、十三ページをごらん願いたい。十三ページに、これは昨日の
状態を示しているのでございますが、
新潟支社管内、別表3(イ)という地図が書いてございます。昨日は、ここに書いてございます
不通区間があったのでございます。実は昨日まで、
上越線の新津から小出までの間に
旅客列車をたくさんとめておりまして、
新潟では十二本の
旅客列車がここで
抑留され、
あとで申し上げますが、三千四、五百名という
お客様をここでとめておったのでございます。これの排除に
全力をあげまして、
あと本腰を入れましてキマロキ運転というものをずっと続けたわけでございます。その結果どうにか通るようになりまして、この
抑留列車の処理はけさまでに全部完了いたしまして、乗っておる
お客様は全部はいたわけでございます。引き続きましてキマロキ運転を続けて線路の
状態を確保するとともに、その余力に
旅客列車の運転をやりたい。今日の計画では、東
三条から小出までの
不通区間について
旅客列車を通し得るというような見通しでございます。同じように、宮内から柏崎も
不通のしるしがございます。ここの区間にもラッセルを使いながら、ロータリーを使いながら
旅客列車を一、二本通したい、あわせまして、
貨物列車も緊急なものを一本くらいは通せるのじゃないか、こういうような見通しに今なっております。
その次に、次のページをごらん願います。これは
金沢でございますが、
金沢につきましては、問題は、きのう雪が
相当降ったために、南の方の
金沢と敦賀の間が非常に悪い
状態になったわけでございます。
金沢から東の方につきましては、キマロキ運転をやって線路の
状態がよくなりまして、今どうにか通れるようになっております。今
金沢の南は
小松まで
旅客列車が入るようになりましたけれども、
小松から敦賀の間についてはまだ
旅客列車を通すところまでに参りませんので、キマロキをきょうじゅうかかって通すという計画でございます。実はこの間は雪が凍りまして、キマロキを持って参りましても、脱線するということになって参りましたので、労働力をこの
地区に結集いたしまして、今線路に凍りついておる雪を排除しながらキマロキをきょうじゅうかかって敦賀まで抜かしたい。これが抜けますと、明日からでも
金沢から南は通れるようになるんじゃないか、こういうような考えでございます。しかし先ほど申し上げましたように、キマロキを通しましても、まだ両側の側雪が非常に壁になって残っておりますし、これに対してある
程度人力によりまして段切りをしたい。幅広く排除しますれば、
あと安定いたしますので、そのために、先ほど申し上げました
自衛隊の御
協力を得まして、
全力を傾到して段切りを完了しますれば、
あと多少雪があっても線路を確保できますので、その
状態になるまでの間は遠距離
列車を平常に戻すことは困難ではないか、こういう見通しでございます。なお、ここで
高山線が非常に順調に参りまして、現在の段階では
富山まで入っておりまして、これが一つの大きな補給の役割を果たしております。
富山から東につきましては、今までラッセルを通しながらどうにか確保できる態勢が続いておりますので、これまた長野から直江津を通じまして
富山までの補給は可能なわけでございます。こういう
状態でございますので、きょうじゅうに敦賀まで抜けますと、敦賀以南はしっかりしておりますので、北陸については
相当明るい見通しがつくのではないか、しかし、数日後にまた寒波がくるようなことを聞いておりますので、非常に大事をとった考えを私どもとっておるわけでございます。
ちょっと前後して恐縮でございますが、もう一度十三ページの地図で補足させていただきますと、
新潟の場合には、実は新津−
新潟間というものは今回割合に
状態はよかったわけでございます。
新潟の市内も雪が少ないわけでございますから、どちらかと申しますと、
上越線はこんなにひどいことになっていないのじゃないかということで、
新潟では、
上越線は何ぼやぼやしているのかということで、非常に強い御要望がございまして、
現地ではかなり無理をして急行
列車を出した、この急行
列車がむしろ非常にあだになりまして、このために
お客さんには御迷惑をおかけしましたし、
国鉄も旅客の
救出のために今まで非常に精力を消耗したわけでございまして、今回これが済みましたから、今後は
除雪に
全力をあげられると思います。なお、新津から下の方に書いてある野沢という、
磐越西線でございますが、
磐越西線が実はどうにか
輸送は確保できておるのでございますが、この
地区が非常にまた近来にない
豪雪のことと、
なだれが非常に多い
地区でございますので、あまり安心してというわけに参りませんので、最小限度のローカル旅客、それから救援物資を磐越線を通して入れておるようなわけでございます。新津から北の方、羽越線もどうにか確保されておりますので、本線が開通しますれば、北からの
輸送は
回復できる見通しでございます。
こういうような
状態でございますが、
輸送につきまして、問題が重要でございますので、本文の
輸送の問題だけちょっと読みながら
説明をいたしたいと思います。四ページに戻っていただきたいと思います。
ちょっと
輸送概況について
説明いたします。「
関係線区の運転概況」「一月十二日から二十二日までの間に雪雲の
影響が大きかった北陸、信越線稲井−新津間においてはかなりの
降雪にもかかわらず
旅客列車八〇%、
貨物列車四五%を、
上越線では
旅客列車九〇%、
貨物列車七〇%の
列車運転を確保していた。累積された線路脇の
積雪の上に更に二十三日以降の
豪雪が襲い優等
列車を始め直通
列車は同日の夜行から全面的に運転休止のやむなきに至った。」これは二年前の経験にかんがみまして思い切って
措置をしたわけでありますが、これが一部漏れた点に問題が残ったわけであります。「しかしながら通勤、通学
列車、生活必需品、救援物資
輸送用
貨物列車を確保するよう
努力した結果、次の如き運転実績となっている。」これは問題の二十三日以降でございまして、
北陸線の
福井−
金沢は、細々ではございますが、救援物資をこの
部分については運転しておるわけでございます。同じく
金沢−
富山については、細々ではございますが、キマロキ運転の合間を縫いましてこういう運転を確保したわけでございますが、信越、
上越線は、先ほど申し上げましたような事情でございまして、
旅客列車の
救出が非常に手間取り、ほとんどこの間は
輸送がとまっております。しかし、急激にきのう、きょうからは
回復し出してきておるようなわけでございます。
それから旅客
関係としましては、その次に、(イ)として、「途中に抑止せざるを得なかった
列車は延十二本三千四百九十人となった。給食、
暖房等について出来得る限りの緊急
措置を講じて万全を期するとともに、長時間滞留した
列車の旅客は努めて旅館及び民家に収容した。」これは三千四百九十人の
お客が、最高の場合にとまったわけでございますが、これに対して、二千百六人宿におとめしております。「なお之等の旅客については二十六日から
輸送を開始し、二十八日十二時現在
残り百二十一人、」これは今申し上げましたように、今日では全部一掃したわけでございます。
なお、次の区間が切符発売取り扱いの面で
不通になっております。
北陸線につきましては、今庄から糸魚川の間につきまして東京からの通し切符を売っておりませんけれども、しかし、今申し上げましたように、ローカル
列車は二、三本通っておりますので、東京側から申し上げますと、糸魚川から、現在の段階では
小松までは
列車が入っております。それから信越線は、直江津−新津間、これは切符を売っておりませんが、現在の見通しでは、ローカル
列車が一、二本は通る見通しでございます。それから
上越線の石打−宮内間、これまた今日からどうにか
旅客列車を通し得るのじゃないか、こういう見通しでございます。
高山線は今ここに書いてございますが、実際には今日から
富山までは通るように考えております。こんなような事情でございまして、
除雪の
状態がだんだんよくなれば、ローカル
列車はどんどん入れ、それからできれば直通
列車を入れたいのでございますが、急行
列車を全面的に入れる時期は、雪の
状態がある
程度安定するところまでは無理じゃないかと思っております。
次に
貨物について申し上げますと、六ページに、(2)
貨物関係といたしまして、「一月十二日以降の
雪害により
貨物輸送は大きな
影響を受け、二十七日までの減送トン数は、約百十三万トンに達しており、うち
金沢、
新潟発は約三十一万トンとなっている。これを到着面からみると、
金沢、
新潟に到着するものは、発送トン数の減とほぼ同
程度の減少と推定される。」これが
輸送全体でございまして、(ロ)が、「野菜、魚、
食料品、家庭
燃料等の
生活必需物資については、その
輸送を最優先に実施することとし、発着荷主、県、市等の公共機関の希望を具体的に
調査し専用
列車の運転を実施する等、適切な
措置を講じている。」これは
除雪の合間にも緊急の
生活必需物資については
輸送することを考えておりまして、具体的にどの
地区からどういう工合にどういう貨車がほしいという案がお示し願えれば、これに対して最大の力を入れたい、こう考えておるわけでございますが、今まで急激に
輸送経路なり、販売の取引が変わりますために、まだ具体化していない面があるように聞いております。(ハ)が「現在までの
輸送制限としては、
金沢、
新潟管内に発着または通過する
貨物に対しは、」全面的に停止をしております。それからなお、
雪害地帯を通過する
貨物は、ほかの線区を
輸送するような
手配をいたしておるわけでございます。今後につきましては、今申しましたように、
除雪に主体を置いておりますけれども、この余力を見ながら、緊急
生活必需物資というようなものを優先に入れ、ローカルの旅客菊車をだんだんふやしまして、そうして本格的に
除雪の体制が完了いたしましたときに、急行
列車を初め、全面的な
輸送の復元をしたいと思っておりますが、まだこれには
相当の日にちがかかるのじゃないか、こう思っておるような次第でございます。
はなはだ
説明が不十分でございましたけれども、一応御
説明を申し上げた次第であります。