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田中(幾)
委員 ですから、議員立法でも、そういう予算を組んでも、大蔵省は費用がないからといって非常に抵抗する。ですから、私は政治問題から責めては、いかに責めても、ないそでは振れないということで、こういう予防のできるところを予防しないでおく。ですから、私は多年
——といっては語弊がありますけれ
ども、長い間
国家賠償の点から、
政府に
法律的責任はあるのだということを私は主張してきておるわけです。法務
委員会でも、先の先の国会におきまして民事局長に質問いたしましたところが、天災といえ
ども、損害の生じたことと、その
災害との間に因果
関係があれば、責任を負わなければならぬこともあり得るのだという答弁を得ておるわけです。私はそれを確信しておるわけです。たとえば
——きょうは企画庁来ていませんからあれですけれ
ども、昭和三十三年四月二十二日に公布されたもので、台風常襲地帯における
災害の防除に関する
法律というものがあります。これは時限法で四月に切れておるのではないかと思うのです。前の建設
委員会で私はこの点を企画庁の係の方にも来ていただいて、一体台風常襲地帯における
災害防除の調査並びに
施設というものはいかに進行しておるのかとお尋ねをしたところが、各省からまだ
資料が集まっていないのだ、その
資料が集まってから、それを集計して今後の施策を立てるということであったわけです。ところが、五年の間にこの
法律は何にもなさずに、生まれたままで無為にしてこれも死んでしまったわけです。これを起こすのには、どうして起こしたらいいかということは、
法律技術になりますけれ
ども、おそらく台風常襲地帯における
砂防工事等を含めて、あるいは海岸堤防等を含めてやっておれば、被害がなかったという
地点も非常に多かったろうと思う。しかもそういうことを
法律で
義務づけておるにもかかわらず、責任を果たさないでこの
法律を少しも活用していないというのが現状である。そうしますと、そういうことによって
災害が生じた場合には、
法律によって
政府に命じてあることを、もしくは
公共団体がすべきことをしないがために、
災害が起こって、防止し得られたものが、施策がなかったために、
災害というみじめな目にあっておるという事実があります。ですからこれは、
建設省だけの
関係ではないから、このことについては、私は後に質問いたしますけれ
ども、そこで
法律的に、
災害が起こった場合に、そこに強固なる防除
施設をしておれば
災害がなかった。たとえば道路においても、路肩を完全に直してやっておれば、バスなり自動車なりが落ちないのですけれ
ども、雨が降っても何らそこに危険信号がない。自動車などは知らずに行って、ふだんならば通れるものが、通って落ちた場合には、自動車の運転手の責任であって、道路の
管理者の責任ではない。ところが裁判所の判例によりますと、幼稚園でも学校でも、遊動円木なら遊動円木の運動の
施設をした場合に、
管理もしないでほうっておいて、腐って子供が落ちた場合には責任をとるわけです。この前にもここの
委員会でも言ったのですが、道路に穴があいているのを市長がほうっておいて、スクーターか何か走ってきて落ちてしまったために、仙台の市長が責任をとったという判例があります。ですから、やはり道路なり
河川の
管理者なりが、十分注意すべきことを注意しない、
施設すべきところを
施設をしない。そのために水害があっても、防除できたものが防除できなかったという結果に対しては、私は、金がなかったからできなかったという、そういう政治的な逃げ口ではなくて、
国家賠償法によって、そういう因果
関係が明らかになったならば、国家もしくは
公共団体において損害賠償の責任があると思いますが、この点はいかがですか。