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荒木国務大臣 今の
勝澤さんの説は私も同感の節もございますが、必ずしも全部御賛成できかねるような気持もいたします。と申しますのは、元来
育英資金というものは国民の血税によってまかなわれる、その貴重な金を全国民の名において貸し付けてもらうという一種の感謝の念というか、あるいは
育英資金をもらう約束というか、そのことを本人が厳粛に
考えるかいなかに、返済が遅滞するかいなかのけじめがあろうかと思います。根本はその点にあると思うので、必ずしも
金額が少ないから忘れてしまうなどということで律すべきじゃないのではなかろうかというふうに思うわけであります。しからば
一般奨学金の高校生に対する一千円などという
金額が、今の貨幣価値から見まして、
現実の高校卒業までの実態ににらみ合わせて、家庭が貧乏だから
奨学金を支給するんだという
金額として適切であるかどうかは、おのずから
批判があると思います。私も千円じゃ少し少な過ぎる、終戦直後貨幣価値が違っておった時代ならいざ知らず、今日の
状態におきましては、もう少しふやしてしかるべしということで大蔵省とも折衝したわけですが、ようやく明
年度わずかに千円プラス五百円、千五百円までこぎつけるという実情でございまして、それはそれなりにもつと
努力しなければならぬ課題は残りますけれ
ども、このことについて
文部省内で雑談したことがございます。千円ぽっちなら、
勝澤さんじゃないけれ
ども、こんなものはやめてしまったらどうだと言ったことがございます。ところが、たとえば
文部省に勤めておる人にいたしましても、
課長になるかならないかくらいのところまででは、千円でもいいから
育英資金をもらう、もらわないということはずいぶん違うということを、身にしみた話として聞かされたことがございます。ですから千円だからやめてしまうというのじゃなく、今申し上げましたように幾らかでもふやして実情に合うように
努力をして続けていくところに、
一般奨学
制度の意義があるのじゃないか、かように思うわけであります。
それからさらに御
指摘の、会社に入ったら初任給が一万五千円とか一万八千円だから、半年据え置いて月賦なり年賦で払うということについては、
職場で立てかえる、あるいは本人が銀行から借りてでも立てかえる、一ぺんに払ってしまって、それを月賦でなしくずすようにしたらどうだという意味のお説でありますが、それも
一つの
方法だと思います。ですけれ
ども、そういうことを
制度化するそのことに、いろいろと論議が従来もあったようでありまして、そこら辺に実施しかねる原因があったように思います。しかし、だからといってそういう御提案のようなことを
育英会としても
文部省としても全然考慮の余地なし、
考える値打なしと
考えているわけでは毛頭ございません。そういうこともまさにお説であって考うべき
一つの課題だと思います。できれば立法
措置を講じてでもそういう
措置を
考えたらどうであろうということは、まさに一考を要する値打のある課題だと思うわけであります。早い話が、電気洗濯機だの何だの月賦金は勤め先で俸給から天引きして商人に払うという便宜も講じておるくらいだとするならば、この
育英資金は国民の血税で、
返還されるに従って次々と後輩がその恩恵を受け得る性質のものですから、月賦金を毎月俸給から差し引く手はずすらもやってやるくらいの親切がある
職場ならば、
育英資金の月賦返済についても
協力してもらえそうな気持もいたしますから、それを例外なしに
制度化するというのも一案かとも思います。しかしながら従来は、それほとまですることは——
育英制度の根本の趣旨が本人の心がまえに依存するというところに、いわば社会的な意義も見出せるという点に重点が置かれて、おっしゃるようなことにまで及んでいなかったろうと想像いたしますが、それらも含めましてもっと
考える課題があろうかと思います。