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服部参考人 私は
立教大学の
原子力研究所に職を奉じております
服部でございます。私、
原子力の平和利用ということについて日夜研究を続けている人間でございますが、御存じのように、
日本の
原子力規制法によりますと、
原子炉を設置いたしました場合には、その運転の保安のために内閣総理大臣の認可を得て
原子炉主任技術者というものが必要になっております。私は
立教大学の
原子力研究所の
原子炉主任技術者をいたしております。その職責上
原子炉の安全性ということは最も関心を持っておることでございます。私はまた物理学者といたしまして
原子炉の安全性という問題についてこれまでも勉強して参りましたので、その立場から安全性の問題について
意見を述べさせていただきたいと思います。
私たちが
原子力の平和利用の研究をいたします場合、もちろん、先ほどいろいろと御
意見のございましたように、
原子力というものは平和のために用いますならば非常に大きな
可能性を持っている。
人類の幸福のために非常に大きな
可能性を持っているものであります。
日本の
原子力研究は平和利用に限るということははっきりいたしております。
日本の
原子力研究が始まりましたのは、ちょうど今から九年前の一九五四年だったと思います。この国会におきまして
原子力予算が初めて出されたときから始まるわけでございます。その時期というのは、まさにまたくしくもビキニで第五福龍丸が水爆実験の灰を浴びたその時期て一致しているわけであります。そして、その時期のことを思い起こしますと、当時、
世界の
原子力研究というものは、そのほとんどすべてが
軍事利用のための研究である。平和利用の研究というものは非常にわずかしか行なわれなかった時期に
日本の、
原子力研究というのが始められた。そして、その時期に
外国では
軍事利用をやっているけれども、
日本の
原子力の研究、開発利用というものはあくまで平和利用だけに限るのだということを宣言した。これが学術
会議で声明されました
原子力平和利用の三
原則というものでございます。その三
原則の
国内的な措置というものが
原子力基本法という形になって現われております。もちろん、基本法というのは
日本の法律でございますから、
日本の
国内だけに適用するというのは当然のことでございますが、私たちのこの
原子力を平和利用にだけ使いたいというのは、これは何も
日本だけのことではなく、
世界のすべての
原子力開発利用というものが
軍事利用はやめて平和利用の方向に進んでもらいたいという願いがあったわけでございます。そして、そのことによってこの
原子力という問題は国際緊張の中でも非常に大きな役割を占めてきております。この
原子力を平和のためのみに使うことによって、この国際緊張を幾らかでも緩和する方向に進みたいというのが私たち科学者の心からの願いであったわけであります。
ところで、この、
原子力潜水艦の問題でございますが、これは、先ほど
田村先生もおっしゃいましたように、
原子力潜水艦というものは、
原子炉を積んでいるから、
原子炉を備えつけているということによって、
軍艦という
性格には全く変わりはないんだということでございます。まさに、その
原子力潜水艦というのは、少なくとも
原子力の平和利用ではなくて、これを
潜水艦という
軍艦のために利用している
原子力の
軍事利用であるという点については、どなたも御異議のないところであると思います。
そして、簡単に申しますと、この
原子力潜水艦の
原子炉というものは、もちろん詳細な数字は発表されておりませんが、大体出力にいたしまして五万キロワット程度の
原子炉を推進
機関として積んでいる。五万キロワットの
原子炉と申しますと、これは、
日本で現在開発しております動力試験炉というのがちょうど五万キロワットの
原子炉でございます。要するに、
原子力潜水艦一隻が動いているということは、動力用の
原子炉が一台動いているということと同じことでございます。この
原子力潜水艦の寄港が問題になっております横須賀に私たちの
原子炉が置いてあるわけでありますが、その
立教大学の研究用の
原子炉というものは、出力百キロワット、
原子炉としては非常に小さい、いわばおもちゃのような
原子炉でございます。しかし、このような小さな
原子炉を設置する場合にでも、これまでの
日本の
原子炉というものは、設置する場合に、国産の
原子炉であっても、輸入の
原子炉であっても、すべて
政府の自主的な安全審査というものが行なわれております。それがすでに、主として
アメリカでございますが、
アメリカで長い間運転をして安全であったという
原子炉につきましても、これを
日本政府の自主的な立場から安全審査
専門部会で審査する、現在では安全審査会という名前になっておりますが、安全審査会において自主的な審査を行なう。その許可があって初めて
原子炉の設置ができる。そしてまた、私たちのような小さな
原子炉の場合でも、この
原子炉を運転するという場合には、やはり規制法に従って非常にきびしい規制を受けているわけでございます。これは、現在の段階において、
原子力というものについて、国民に少しでも悪い影響がないように放射線から守って、しかもその
原子力の大きな利益を求めていこうという場合に当然の措置であると私どもも考えております。
ところが、このたびの
原子力潜水艦の寄港につきましては、これまでの新聞報道その他国会の御
審議等を拝見いたしますと、どうも
日本政府の自主的な安全審査というものができないのではないかというふうに判断されるわけでございます。もし自主的な安全審査というものをやらないでこの五万キロワットの
原子炉が横須賀なり佐世保なりの港に入ってくる、つまり一時的にそこに大きな動力用の
原子炉が設置されるということが安全審査がなしに行なわれる、一方では平和利用のための小型の研究用
原子炉には非常にきびしい措置がとられているということになりますと、
日本の
原子力は平和利用にきびしく
軍事利用に甘いということにもなりかねないわけであります。これまでの
原子炉の安全審査というものは、施設自体の設計、
構造はもちろんでありますが、そればかりでなく、
原子炉が設置される周辺地域の状況、環境といったようなもの、それから、
原子炉施設の安全対策、さらに、万一の
事故が生じたときの緊急対策、
事故対策、こういった幾つかのものが不可欠の要素となっております。先ほども御
意見が出ましたけれども、今度の
原子力潜水艦の
原子炉が、
外国の港に百回以上入港して、それで
事故を起こさなかったから安全であろうといったようなことは、今までの
日本の平和利用の
原子力開発の場合はいまだかつて行なわれなかったことであります。ただ百回
外国の港に入港したから安全だというようなばかげた安全審査で今後
日本の
原子力が進められるということになると、これはゆゆしき問題であると私は考えるわけであります。
また、この際思い起こしていただきたいことは、先ほどほかの先生の御
意見にもございましたが、ウィンズケールというところで
原子炉が
事故を起こした。これは大
へん有名な
事故でございます。このウィンズケールの
事故が起こります前に、
イギリスの
原子力開発の
責任ある地位にあったソールズベリー卿が、ウィンズケールの
原子炉というものは本質的に安全な
原子炉である、
アメリカ型と違って安全性が高い、絶対
事故を起こすことがないと声明したまさにその直後に、このウィンズケールの
事故が起こったということ、これを思い出していただきたいということであります。この
原子炉の安全性ということは、たとえば、昼間のうちに走れとか、航路をきめろとか、あるいは港では
原子炉を運転していた方がいいのかとめておいた方がいいのかといった海難予防の措置、そういった枝葉のことでなく、もっと本質的な安全性、
原子炉施設自体の安全性というものがまず検討されなければならないと私は思うわけであります。
もちろん、先ほども申しましたように、
日本の
原子力基本法あるいは
原子力規制法というものは
日本の
国内法でございますから、これが
外国の
軍艦に適用できないということも私存じております。しかし、この
潜水艦の寄港する横須賀、佐世保という港は
日本の港でございます。この
原子力艦の停泊している回りに住んでいるのは
日本人でございます。万一の
事故で災害が起こった場合、その災害というものは、主権を越えて
日本人の側に振りかかってくる問題であります。もちろん、
日本でも
原子力船の計画というものが進められていること、これは事実でございます。だから、
日本でも
原子力船の計画を進めているくらいだから寄港を認めてもいいじゃないかという議論をこれまでちらほら私耳にいたしております。それから、
日本で
原子力船がつくられる場合、この
日本の
原子力船というものは、当然
日本政府の安全審査という段階を経るわけであります。そうしてまた、陸上の
原子炉と違って、船舶に積んだ
原子炉の安全審査のためにどういう措置が必要であるかということについては、これは
専門家が今後検討すべき問題として残っているわけでございます。
現在の
アメリカの
原子力潜水艦、もちろん発表された資料は少ないわけでございますが、得られた
範囲で、それではこの
原子力潜水艦の現在積んでいる
原子炉というものがどの程度安全性を確保しているものかどうかということを、得られた資料の中から考えてみますと、少なくとも私の立場からは、現在
原子力潜水艦の積んでいる
原子炉というものが、ほかの
原子力閥船、
サバンナ号であるとかそういった
原子力商船、あるいは
日本で計画されているような
原子力船に積む
原子炉に比べて、安全性というものの考慮が非常に欠けておるというふうに判断せざるを得ないのでございます。これにつきましては、私、先日、科学技術振興特別
委員会でございますか、あそこでも
意見を申し上げたわけでございますが、その後、先日、
日本学術
会議で放射能の海洋汚染に関るシンポジウムがございまして、その席で私が
原子力船と海洋汚染について御報告をいたしましたときに、
原子力局の方から、お前は
原子力潜水艦の
原子炉は安全でないと言っておるけれども、それはほんとうに根拠があるのかという御質問を受けました。私は科学者でございますから、根拠のないことは決して申し上げません。私が現在の
原子力潜水艦の
原子炉をほかの
サバンナ号その他に積んである
原子炉に比べて安全性が少ないと申し上げている根拠は
三つございます。
一つは、設計方針に、非常に航続距離を延ばすために超過反応度を大きくとっている。これは、平たい言葉で申しますと、
原子炉の中に余分な燃料を一ぺんに詰め込んでおく、そして航続距離を延ばそう、こういう考え方がとられております。もう
一つは、制御機構を簡単にするために制御棒の数を減らす設計にしている。これはそういう基本方針で設計したということが発表されております。そういう点は、ほかの
原子炉と比較いたしますと、SL1という
原子炉がございますが、これも一種の運用の動力炉であります。このSL1と、設計の基本的な考え方、設計方針というものが非常によく似ております。この点につきましては、これは私だけの判断ではございません。ちょうど現在
イギリスから大ぜいの
原子力関係の学者が来ておられますが、その中に
イギリスで
原子炉の安全性を特に研究しておられるファーマー博士という方がございます。このファーマーさんに昨晩ちょうど私が会う機会がございましたものですから、
原子力潜水艦の
原子炉の話を少しいたしました。実は
イギリスでも現在ドレッドノートという
原子力潜水艦がほとんど完成しております。これに積んでおります
原子炉は実は
アメリカの
原子力潜水艦に積んでおります
原子炉と全く同じものを積んでおります。ファーマーさんは、このS5Wという
原子炉につきまして、ある程度のことを御存じだったようでございます。そして、私とお話しいたしました結果、このS5Wという
原子炉は基本的な設計がSL1に似ているという点では私と全く
意見が一致いたしました。決して私の独断で申し上げていることではございません。
ところで、申し上げるのでございますが、このSL1という
原子炉は一昨年非常に大きな
事故を起こしました。
原子炉の
事故で人が三人死んだということは、この
原子炉が初めてでございます。そして、この
原子炉がなぜこういう
事故を起こしたかということにつきまして、
アメリカの
原子力委員会は非常に大規模な検討をいたしました。しかし、結局、なぜこのSL1が
事故を起こしたかということについてはきめ手がわからないということが最近発表されております。結局、平たい言葉で言いますと、原因不明の
事故だったわけでございます。このSL1に非常によく似た設計方針でつくられた
原子炉が
原子力潜水艦に現在積まれているのだということであります。
それから、もう
一つ、
原子力商船の
サバンナ号といったもの、これは確かにいろいろなデータが公表されております。そして、それを拝見いたします限り、確かに安全性ということに非常に留意しておるように見受けられます。その
サバンナ号の安全性を強調した論文と申しますか文書があります。ニュークレオニクス・ウィークという、かなり正確な情報を伝えてくれる雑誌がございますが、これの一九六二年の七月五日号に載っている記事でございますが、
サバンナ号の
原子炉は、
原子炉にコンテナがついている、しかも、そのコンテナの外側にもう
一つ炉室がある、何重にも外側が囲まれているのだ、それで非常に安全性が高められている、ところが、
海軍の
原子炉はコンテナがないではないか、この
海軍のコンテナのない
原子炉が走り回っているくらいだから、より非常に安全な
サバンナ号は走り回っても大丈夫だろうという記事でございます。逆に申しますと、
サバンナ号に比べて、
原子力潜水艦の
原子炉というものは安全性に対する考慮が足りないということが
アメリカの雑誌自身にも書いてあるわけでございます。私は決して私だけの勝手な推測を申し上げているのではなくて、
アメリカ側で発表された資料に基づきましてこういうことを申しているわけでございます。
先ほど林先生からもお話がありましたように、
潜水艦というのは
軍艦でございます。しかも、相手の
軍艦を沈めるというような
目的のための
攻撃用潜水艦というような場合には、少なくとも戦時にはそれが沈むということは当然考えておかなければならないと思います。また、そういった戦時でなくても、
原子炉というものは当然
事故対策というものを絶えず考えておかなければならない。
事故につきましては、先ほど交通
事故に比べて
原子炉の
事故は少ないのじゃないかというお話がありましたけれども、私は、むしろ、現在の段階では、
原子炉の
事故というものはほかのものよりも多いと考えております。と申しますのは、現在
世界にあります
原子炉というものは、まだ多分五百台をこえていないと思うのです。その中で
三つも四つも
事故が起こっております。先ほど
田村先生ですか指摘されました、ウィンズケールの
事故、それからユーゴのビンカ、これは
原子炉の少し小さいものでございます。それからアイダホ、これはEBRのことをおっしゃったと思います。そのあとでも先ほど言ったSL1という大
事故が起こっております。東京の町を何十万台の自動車が走っているか知りませんけれども、それと比べて、数百台の
原子炉の中でもうこれだけの
事故が起こっているということは、
原子炉の
事故というものは決してそれほど少ないものではないというふうに私は考えるわけであります。
そしてまた、この
原子炉の
事故というもので起こった特に放射能による影響というものは、非常に
範囲が広まるおそれがあるということです。これはほかの交通
事故あるいは火事といったような
事故とは
性格が違うわけでございます。そういった
事故が起こらなくても、平常時の放射能の問題は当然考えておかなければならない問題でございます。現在
原子力潜水艦がいろいろ放射性の廃棄物を出しておりますけれども、それのおもなものは、
原子炉の冷却水と、それから、冷却水の放射能をとるために使ったイオン交換樹脂の二
種類であるということが、これは
アメリカの上下両院合同
原子力委員会に提出された資料がありまして、数量その他がかなり古い数字ではございますけれども、発表された資料がございます。それによりますと、
アメリカの
原子力潜水艦は、現在沿岸から十二海里以上離れたところではほとんど制限をつけずに冷却水及びイオン交換樹脂を直接海洋投棄いたしております。先ほど
安藤先生の御質問でございましたか、そういうものを完全に包装して捨てる
方法はないのかというお話がございましたけれども、
アメリカの
原子力潜水艦はこれを直接海洋投棄しております。イオン交換樹脂等も、これは固体のものでございますが、これを直接海洋投棄しております。また、いろいろな包装をいたしましてこれを海中に投棄いたしました場合でも、先ほど申しました先日の学術
会議の放射能による海洋汚染のシンポジウムで三宅先生が御報告されたところによりますと、せいぜい二十年から三十年しか寿命がないということが報告されております。先ほど申しましたように、十二海里以上ではイオン交換樹脂あるいは冷却水はかなりの放射能を帯びております。もちろん、そのほかの陸上の
原子力施設、たとえば、燃料の精錬の工場であるとか、あるいは使用済み燃料の再処理プラントといったようなところから海洋に投棄されている。現在
アメリカ、
イギリスというようなところではかなりの放射性物質を海洋に排出いたしておりますが、それと比べますと確かに量や濃度も少ないかもしれませんけれども、
日本で現在私たちが適用を受けております放射性物質の海洋投棄に関する基準と比べますと、この
原子力潜水艦が実際に投棄している放射性物質の濃度というものは、大体百万倍から千万倍濃い濃度のものを投棄いたしております。数字で申しますならば、大体十のマイナス一乗マイクロキューリー・パー・ミリリッターという程度のものをこの
原子力潜水艦は投棄いたしております。それに比べて、私ども
立教大学の
原子力研究所では十のマイナス八乗マイクロキューリー・パー・ミリリッター程度のものしか流しておりませんし、また東海村の場合でも十のマイナス七乗マイクロキューリー・パー・ミリリッターで、百万倍から千万倍濃い濃度のものを直接海洋に投棄しているということは、
日本でものを考える場合には当然問題にしなければならない点ではないかと思います。それから、十二海里以内の場合には、イオン交換樹脂は投棄してはならないことになっております。しかし、冷却水につきましてはある程度の条件をつけて海洋に直接投棄をしてもよいということが、
アメリカ海軍省の訓令で出ております。そういった、平常時でも、放射能のたれ流しと申しますか、平たい言葉で言うとたれ流しという問題が、
日本の基準で考えれば非常に問題があるのだということでございます。
それから、もう
一つここの席で私が申し上げたいことは、これまでの
日本の
原子力の平和利用の場合の安全性については、すべて
専門家の判断というものにゆだねられてきたわけです。安全審査につきましても、初めは
原子力委員会の下部機構でございました安全審査
専門部会というものがこれに当たって参ったわけでございますが、この国会におきまして、
原子力利用を推進する立場と国民を放射線から守る立場とは分けるのが望ましいということで、しかも安全審査の地位を確立せよという国会の決議に基づきまして、安全審査
専門部会が現在では安全審査会という機構になっております。ところが、こういった安全審査会その他の
専門家に今度の問題が全然知らされていないという点に問題がある。私たちもこの
原子力潜水艦の問題は新聞を通じてしか知ることができない。まるで韓国の政治の情勢でも見ているようなものです。
日本の
専門家というものがある意味でつんぼさじきに置かれているという点に問題があるのではないか。
先日、大学関係のおもな
原子力関係の研究所の所長さん方の連名になった、湯川先生その他の声明が出されたわけです。これは新聞紙上等ではごく簡単にしか伝えられておらないようでございます。あまり長い声明ではございませんので、ちょっと時間を拝借してここに
紹介させていただきたいと思います。「声明、わが国の
原子力研究開発および利用は、国民の将来に少なからぬ福祉をもたらすとの確信のもとに進められて来た。唯一の原爆被災国であり、またビキニ水爆実験の際にも犠牲者を出したわが国の場合、放射能災害に対する国民感情には極めて厳しいものがある。そのなかにあって今日までわが国の
原子力研究開発および利用を進めえたのは、
原子力基本法のもとにその
目的を明らかに平和利用に限定し、さらにまた
原子力施設に対する審査と規制を実施して、公衆の安全保持に努力して来たからにほかならない。このたび米国
原子力潜水艦の寄港問題に関し、国会において明らかにされつつある
政府の態度を見るとき、われわれはつぎの事柄についてとくに憂慮せざるをえない。そもそも
原子力の安全性は、施設自体の資金性の確保、
事故時の緊急対策、およびそれらの努力にもかかわらず万一にも公衆災害を生じた場合の補償措置の確立により、はじめて十分の保証がえられるものであるが、そのいずれに関しても、対象とする施設の安全性の検討を行なうことが不可欠の要件であり、それなしには上述の諸措置の適正を期することはできないものと考えられる。その故にこそ、これまで
原子炉を輸入するに当っては、輸入に先だってその都度、わが国において独自の立場に立って安全審査を実施して来たのであり、そのような努力を積み重ねることによって、近い将来に
原子力発電を大規模に利用しうる社会的素地がつちかわれると期待されて来たのである。
原子力潜水盤の寄港は、わが国の
国内法の適用外であるとしても、この問題に関連して国民の安全を確保すべき
原子力委員会の
責任は、
国内の
原子炉施設の場合と何ら異なるところはないと考える。仮りにも、この点に関し、わが国において自主的な立場に立った安全性の検討と確認を行なうことなく、しかも不幸にして将来公衆災害が発生した場合を思えば、
原子力委員会に寄せる国民の信頼は全く失墜し、その後のわが国の
原子力平和利用の発展に著しい障害となるであろう。このような考え方に立って、われわれは、去る三月十一日、
日本学術
会議が、
原子力潜水艦の
日本港湾寄港問題について
政府に申し入れた勧告の重要性を認め、その申入れの
内容を強く支持するものである。」、これに署名しておられますのは、もと
原子力委員をしておられました京都大学の基礎物理学研究所長の湯川先生、それから、同じ京都大学で関西炉をつくっておる
原子炉建築本部長の木村先生、東京大学の原子核研究所長の野中先生、名古屋大学教授のプラズマ研究所長の伏見先生、
立教大学の
原子力研究所長の中川先生、そういった各大学のまさに平和利用を推進しておられる
原子力関係の研究所の各所長の先生方、それに加えまして、この点私大事だと思うのでございますが、安全審査会の会長をしておられる山崎先生、それから、放射線
審議会その他でやはり
政府のこの問題の関係するいろいろな
委員を勤めておられます檜山先生、田島先生あるいは三宅先生、こういった方々が名前を連ねておられるわけであります。つまり、こういった本来なら安全性について最も
責任ある立場に置かれている先生方が全くつんぼさじきに置かれているというところに、この
原子力潜水艦の今度の寄港問題についての大きな問題があるのではないかと私考えるわけであります。さらに、この声明を出されました二日あとの三月二十七日には、百五十三名の原子科学者の連名による声明というものも出されております。この声明は現在非常に急速に署名者の数がふえているという事実もあわせて御報告いたしておきたいと思うわけでございます。せっかくこれまで
日本の
原子力というものが秘密をなしにしてすべてを明らかにするということで短時間の間にとにかく一応ここまで成果をあげてきたのに、この
原子力潜水艦の問題を契機として、何か
原子力委員会だけで秘密に事を行なうというようなことがあっては困るというふうに私たちは心配するわけでございます。
それから、安全性の問題と同時に、補償の問題というのがやはり論議になっているようでございますが、補償の問題と安全性の問題というのは当然全く別な問題でございます。補償を十分にするからといったところで、安全性というものは決して高まるものではございません。それから、この際もう
一つ指摘しておきたいことは、放射能に関する災害というものには補償という考え方が非常にむずかしくなってくるという点でございます。現在の平和利用の場合につきましても、
日本では、
原子力損害補償法、——正確な名前を私覚えておりませんが、補償法という法律がございます。しかし、この法律に従って実際に
被害を受けた人がいざ補償をもらおうという場合には、これはみずから立証しなければならないということになっています。
原子力災害、ことに放射能の災害というものは、その原因と結果というものが非常に不明確であるということが特徴でございます。例を申しますならば、広島で放射能を浴びた方が最近になってその後遺症が現われるという例が今でも出ております。たとえば、私横須賀の住民の一人でございますが、私が十年先に白血病になったといたします。そのときに、これは
原子力潜水艦が横須賀に出港したためなのか、あるいは私が
原子力研究所に勤めているためなのか、その辺の原因というものは、十年あとになって白血病になったからといってこれを確かめる
方法はないわけであります。そういう点で、補償すればいいじゃないか、
事故が起こったら補償するのだという議論は全く成り立たないのではないかという点であります。
だいぶ時間もたったようでございますが……。