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村山道雄君
議員松村秀逸君は、去る九月七日、病のため逝去されました。
同僚議員としてまことに
痛惜哀悼にたえません。
松村君は、明治三十三年
熊本県に生まれ、早くより俊敏の才をうたわれ、長じて
陸軍士官学校に入学、さらに
陸軍大
学校を卒えられて、
大本営報道部長を初め、幾多の
要職を歴任されたのであります。たまたま
中国軍管区参謀長に在任中、原爆により重傷を受け、かろうじて一命をとりとめたのであります。
終戦後、
同君は、野にあること十年、その間、数多くの著述によって、貴重な史実を世に紹介するとともに、
戦争の惨禍と戦災の苦悩の切実な体験に基づき、
戦争犠牲者の
援護、旧
軍人の
処遇改善を念願され、推されて
軍恩連会長として旧
軍人恩給問題の解決に精進されたのであります。
昭和三十一年、
松村君は、衆望をになって
参議院議員に
当選、自来、として
国政審議に尽瘁せられたのであります。
松村君は、本院においては、長い間、
内閣委員会の理事あるいは
社会労働委員として、その豊富な
経験と卓越した識見をもって議案の
審議に当たられ、また、その間、
法務委員長の
要職にもつかれ、
政治的暴力行為防止法案を初めとする
重要法案の
審議の運営に当たられたのでありますが、あの
議事混乱の際に示された、君の、
従容自若、きぜんたる態度は、今もなおわれわれの顔前にほうふつたるものがあります。
特に、ここに申し述べたいと存じますことは、
同君が、国の防衛問題、
戦争犠牲者の
援護、旧
軍人の
処遇改善について、非常な熱情を傾けられたことでありまして、その御功績は実に著しいものがありますことは、各位のひとしく御承知のとおりであります。
松村君は、本年七月、再度
議員に
当選し、倍旧の
活躍を期待せられ、みずからも深く期せられていたのでありますが、不幸、病の侵すところとなり、
幽明境を異にせられ、もはやその温顔を親しく拝見することのできなくなりましたことは、まことに
悲しみにたえません。
松村君の口もとにたくわえられた美髯は、君の、温情に富み、友誼に厚く、すべての人から敬愛せられ、信頼せられる
人柄を象徴するがごとくでありました。また、時あってか君の発せられた、
れいろうたる美声は、君の胸中深く蔵せられた情熱のひらめきと感ぜられたのであります。
松村君のごとき
有能円熟の士を失いましたことは、
国家のため、本院のため、惜しみても余りある次第であります。
ここに、
同君の御逝去に対し、つつしみて
哀悼の辞をささげますとともに、衷心より御冥福をお祈りする次第であります。(
拍手)
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