○
村山委員 そういたしますと、十二月九日の毎日新聞の記事によりますと、公立の
高等学校の競争率だけですが、
北海道、埼玉、東京、これは一・七倍、それから一・五倍以上のところが茨城、神奈川、福岡、一・三倍以上が岩手、栃木、群馬、新潟、大阪、岡山、広島、山口、鹿児島、一・二倍が青森、秋田、千葉、山梨、滋賀、徳島、高知、一・二倍以下は、わずかに静岡と島根と長崎だけ、こういうような数字が出されておる。これにはもちろん私立学校が含まっておりませんから、私立学校を入れますと競争率は低下すると思いますけれども、このような状態の中において、はたして
大臣が言われたように、九六%の入学率を保持することができるだろうか、私はその点を非常に懸念をするわけです。その点は
心配はないかどうかということを、初中
局長からでもけっこうですが、承っておきます。
それから、百二十三万のうち三分の一は私立学校において救済をするんだということになっております。六日の新聞の伝えるところでは、東京部内の私立
高校は、授業料を平均三百円から四百円上げる、入学金も二千円から五千円上げなければならない、こういっておる。そうするならば東京都の場合には、公立と同じように私学に対しましても非常に優遇
措置をやっておりまして、施設設備についてまで
措置をして、二十七億も三十七年度においては助成をしておる。二十七億円という大へんな助成をしながら、東京都においてそういう
高等学校の授業料が値上がりをせざるを得ない。こういうことになって参りますと
——国民の期待というものは、できるだけ安い金で
高等学校の
教育を受けたいのだという
希望が出ておるわけです。私立学校の経営の苦しいという点もよくわかります。そういうような点から人件費等の値上がりによってやむなく授業料を値上げをするのであろうとは思います。しかしながら、片方において公立
高校の競争率というものが、ひどいところになると一・七倍以上、私立の場合を含めたら何とかはいれるけれども、その場合には入学金を五万円も出さなければならぬ。こういう事態が出ておるということは、この全体
計画の六、四、いわゆる三分の二が公立で三分の一が私立という、その
計画を
改定をするか、あるいは私学に対するところの何らかの方法をとることによって、この入学金なり授業料を公立の場合とつり合いのとれたような形において現在よりもさらに大きく拡大をするというのではなくて、もっとそこに何らかの方法を
考えて、全体の
計画というものをおつくりになる必要があるのじゃないかと思うのですが、その私学の値上がり、これに対するところの対応策、それと公立
高等学校の競争率、これとの問題をどういうふうにとらえておられるかということをお尋ねしておきたいと思うのです。
それともう一つは、これは厚生省の方からも
見えておりますが、いわゆる僻地、それから働く青少年
対策というものが
文部省においては全然
考えられていないのじゃないか。
都道府県の
地方計画の中では、定時制の
教育振興というのに七億円の設備計上がなされております。ところが、
文部省のにはそういう定時制の
教育の振興という点は全然
考えられておりません。ところが、今、定時制に学ぶ青少年がだんだんふえている。しかも僻地から大都会に行って、そして働きながら学んでいく、こういう実情が出ているわけです。第一次産業の中心になっているところの
都道府県の子弟は
高等学校になかなか行けないので、中学を卒業して都会に出てくる。ところが、その場合においてはすでにもう定時制の試験は済んでおる。一年間遊ばなければならない。こういうような状態が現実に出ているじゃありませんか。そういうようないわゆる働きながら学ぶところの青少年の立場というものは、
文部省自体は全然
高校急増対策の中においては
考えられていない。しかも僻地になればなるほど
高等学校の
進学率が悪いのです。それは僻地に
高等学校がないからです。僻地に
高等学校をつくれということは言いません。これはある程度の学校の規模というものが必要であります。しかし僻地に住んでおればおるほど、その子弟を
教育をさせるのには
高等学校の寄宿舎というものが必要になるでしょう。ところがその寄宿舎も全然
考えられていない。しかも育英
資金をもらう能力を持っておりましても、あれは自宅通学ということから計算をされております。ところが、寄宿舎でもありました場合は別でありますが、島から下宿でもさして
高等学校に行かせるということになると一万円要る。そういうような僻地の場合においては、育英
資金というようなものは、それを特殊なものとして
考えられていないのです。だから僻地になればなるほど
高等学校にも行けない。そうして大都会にいわゆる働く青少年として行った場合には、かたく定時制の門戸は閉ざされておる。こういうような形の中において大都会中心の、しかも金持ち中心のものは能力がなくても私学にはいれる。一方、優秀な能力を持ちながら、僻地に生まれたがゆえに取り残されていく。こういうような状態の中に
文部省が
高等学校の
教育というものを置いておるということは間違いじゃないかと思う。
それと、厚生省の方にお尋ねをしたいのは、いわゆる生活保護を受けるところの家庭の子弟の問題であります。その場合には、将来生活保護を受けないで自立し得ると思った場合には、世帯を分離して、その
子供は別世帯で奨学
資金か何か受けながら
高等学校に行けるのだというようにする方法をとられているようです。ところが、この取り扱いをめぐってやはり問題が出ております。一体これは、
高等学校に入れることによって、この
子供たちには将来親が生活保護を受けるのを救済ができるかどうか、これらの解釈は一定の基準というものがなければならないと思う。それから、働きながら定時制に通う
子供が一定の収入以上になった場合には、今度は親を扶養しているということで、そちらの方から生活収入があるのだという認定をする。そうすることによって、両面から学習をしようという青少年の意欲を阻害をしているという事実が出ているじゃないですか。とするならば、今日都会においてその青少年が一人前の生活をしていくのには、収入の繰り入れをするしないをきめる場合には、一体どれだけの基準というものをあなた方は設定をしているのか、こういう点を明らかにしてもらわないと、今後の働く青少年の
高等学校教育に対する熱意に報いる体制というものが十分でないのではないかということを
国民に印象づけると思うのです。その点も明らかにしていただきたいと思うのであります。