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大竹平八郎君 私は、
質問をいたす前に、一言前提的に申し上げたいのでございますが、
終戦後
国会が開かれまして今回は四十一回を迎えておるわけでございますが、その四十一回の
国会を通じて見まして、この法案とうらはらなものでございます
ガリオア・エロア
協定問題ほど、おそらく
国会始まって以来といっても私は過言でないところの議論が集中せられた
協定というものは他に見ないのでございます。おそらく、私の知る範囲におきましては、あらゆる機会におきまして百数十回くらいの議論というものは、いろいろな場合において
論議がされていたと。事ほどさように重大なこの問題につきまして、その一体基本というものはどこにあるのかということを私
どもは考えますと、どうしても
終戦並びに
終戦後の一つの悪夢をおのおのの
立場で追うというようなことに私
どもは尽きておるのではないかと、かように考えておる次第でございます。
そういう意味におきまして、私は
ガリオア・エロアの
協定に賛成をいたしましたもの
——私自身も賛成をいたしました。また、その裏づけ法案でございまするこの産投の問題につきましても、
政府の主張をいたしまする
債務一点張りのその主張というものに対しては賛成をしておるものの、従来の
経過と
終戦直後のいろいろな状況等を見ると、必ずしも私は全面的に賛成をしておるものでなく、何かそこに割り切れないものがある、かように考えておる次第でございます。これを保守党の
立場から申し上げましても、ただ飢餓が救われたということに対しまする
アメリカへの感謝の感じは、これはもう申すまでもないと思うのでございますが、またその反面におきまして、
終戦後は、御
承知のとおり、ほとんど
日本人全体が、上は総理から全国民に至りますまで、全く自主権というものはないのであります。そういう意味におきまして、極端に申し上げまするなら、連合軍の生殺与奪の権がそこにあったというように、こういうように考えられるのでございまして、その間に結ばれましたこの
ガリオア・エロアの
協定の問題ということに対しましていろいろな議論というものが出てくるということは当然だ、かように考えておる次第でございます。それからまた、反対をいたしまする
立場から申しまするならば、そういう
日本の国民全体が自主権を奪われておるというようなさなかになされた
援助物資というものは、これは当然
贈与でないかという感じをお持ちになるというのも一面のまた理があると、かように考える次第でございまして、そういう意味におきまして、この問題に対するところの議論というものが非常に広く深いものであることは言うまでもない、かように考えておる次第でございます。
そういう意味で、今まで
衆議院におきましても、また本院におきましても、ずいぶん意見が戦わされて今日まで来ております。したがって、私は両院の速記録は全く見ておりませんので、私がこれから
質問をいたす問題も、そういう意味において、ただ産投法案それ自体といたしましては必ずしもそうむずかしい問題ではないと思うのでございますが、その表紙になりまするどうしてもこの処理
協定の問題に言及をしませんと昭然といたさない面というものが非常に多くなってきておるのではないか。こういう意味で、あるいは御列席の
大臣を初めといたしまして
政府委員の諸君におきましても、もうその
質問はたびたびわれわれは聞いておるのだというようにお思いになるかと思いますが、私もできるだけ整理をいたしまして申し上げるわけでございますが、何回もあるいは繰り返して御
答弁になったという筋もあると思うのでございまするが、どうかひとつその点は懇切に御
答弁を願いたい。前段が長くなりましたが、そういうことを前提にいたしまして、私は若干の
質問をいたしたいと思うのであります。
まず、この
援助処理
協定の問題から移りたいと思うのでありますが、われわれに
政府がいろいろ
資料をたくさん出していただいております。ことに、この論争の中心をしぼってみまするならば、
政府側はあくまでもこれは
債務と心得ておるのだという主張の一点張りできておるわけでございます。そこで、その主張をしておりまするところの
資料に基づきまして、まず伺いたいと思うのでございまする。
第一に、
米国政府は戦後
日本に提供した
援助に対して
贈与をしたと言明したことはない、こういうことをその
資料の一つとして、いわゆる
債務問題の第一としてあげられておるのでございますが、私の知る範囲におきましては、たしか二十四年と記憶いたしておりますが、当時総司令官でございました
マッカーサー元帥が
アメリカ国会に
証言をせられておる中に、
日本人は慈善は求めないということをはっきり言っておるようでございまして、私はそういう点を根拠にして
政府側がこういう解釈をしておるのではないかと、かように考えておるのでありますが、しかし、当時は、皆さんも想起をせられるでありましょうが、
マッカーサー元帥自身といたしまして、
日本人はまだ十二才の子供だということを世界に向けて
声明をいたしておることは私
どもが忘れることのできない言辞でございます。そういうような
立場に立って、これが
贈与であるとかあるいは
債務であるとかいうような判断というものは、当時の
日本政府として私はあり得ないのじゃないか。こういう点にかんがみまして、
贈与と言明したことはないというこの点につきまして、まずひとつ伺いたいと思うのであります。