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参考人(
青木義治君) 私
総武病院の
青木でございます。私はこの十年以来、いろいろな、たとえば
覚醒剤、あるいは
睡眠麻酔剤、あるいは
睡眠薬、
アルコールとか、それから
麻薬、そういう
中毒を扱っておりまして、ふだん私が
感じていることを二、三申し上げまして、何か
参考になれば非常に幸いと思うわけでございます。
大体その
中毒は、終戦後、初めこの
覚醒剤から
睡眠麻痺薬とか、あるいは
睡眠薬とか、だんだん移行して参りましたのです。そうしてその中に
アルコールが入ってみたり、あるいは
麻薬が入ってみたりしている。今までは
覚醒剤がずっと
日本中に広がったときに
覚醒剤の
対策を多くの方にやっていただいて、一時非常によくなったのですが、しかし、そういう
中毒者がまた次の
チクロパンとか、あるいは
バラミンとか、そういうほかの薬に入ってしまう。そういう
一つのものを退治すると、また次のものに入ってしまう、そういう
傾向が
多分にあったわけでございます。今問題になっております
麻薬もその
一つに私すぎない
ように
感じておるわけなんです。ですから、おそらく
麻薬を十分押えますと、またほかのものに移行するんじゃないか、そういう懸念は私
多分に
感じている。そういう点もやはり十分御配慮願いたいという
ような
感じが第一番にしているのであります。
大体、
麻薬といいましても、
医者が使っている
医薬品としての
麻薬と、それから今
密輸で入ってきます
ヘロインと二種類があります。
医者が使っているこの
モルヒネ類の
中毒と、それから
ヘロイン、つまり
密輸で入ってくる
ヘロイン中毒とは、だいぶ
患者の
病気になってくるなり方とか、それから病状だとか、あるいはそれをなおす場合、あるいは
家庭環境とか、いろいろな場合に差があるかと思います。そういう
医薬品の
麻薬で起こってくる
中毒と、それからその
ヘロインの
中毒とを同じに
考えていいか悪いかということは、やはり一応私は
考えていただきたいと思っております。それを今までややもしますと、単に
麻薬中毒とはこういうものだ、つまり
ヘロイン一点張りにお
考えにならない
ようにして、
医薬品の
中毒の場合と
ヘロイン中毒とは、やはり分けて
考えていただくべきものじゃないか、私はそのほうが適当じゃないかという
ような
感じがしております。
一般に
麻薬中毒は、少し打ちますと、またすぐ打ちたくなる。そうして薬が切れますと、いわゆる
禁断症状といいまして、非常に苦しみもがくことがあるわけなんです。で、従来
禁断症状をあまり強く
考えすぎたきらいが
多分にありはしないか。つまり
禁断症状というものは、いわゆる
植物神経のあらしと申しまして、
一過性に起こる体のバランスの
一つのくずれなんですから、ある時期を通ればすぐになおってしまう。私が知っている
患者なんかでも、相当
禁断症状の激しく出そうな
患者でも、
自分ががまんしますと出さずに済んでしまう、そういうことができるということもあり得るわけなんです。ですから、よく警察なんかにつかまった
ヘロイン中毒者が、非常に大げさな表現をする場合があります。それはやはりそういう
環境において
自分が
ペイを打っているのだという
ような
一つのみえのところも多少ある
ような気がします。ですから、
一般の方が大騒ぎされるほど
禁断症状というものはそう
自分で手加減ができるものだということも知っていただく必要が私ある
ような気がいたします。で、
禁断症状をわれわれがなおす場合に、いわゆるずっと
持続睡眠療法としてズルフォナールなど薬物を大量に与えまして、その上に現在はトランキライザーですか、
精神安定剤を相当飲ませまして、二、三週間寝かしてしまいます。そうしますと、大体その間にその苦しみの
禁断症状はとれます。ですから、
禁断症状をとるということは、そうむずかしいことではないと私思います。ですから、これはもう
一般のお
医者さんでもできないことはない
ような
感じがします。しかし、一番私
たちが困っていることは、
禁断症状がとれてから
あとです。とれますと、もうおれはなおったんだ、だから
治療を受ける必要がないという
ように簡単に
考えがちなんです。そういうところが非常にむずかしいのです。で、そう長年打っているそういう
麻薬が、
禁断症状がとれたからといって、頭の中からとか、あるいは肝臓とか、あるいは体全体の臓器からすぐ
麻薬が出てしまうというわけじゃないわけなんで、その影響が
多分に残っているわけですが、それが案外
患者自身が苦しみませんものですから気がつかない。
禁断症状さえとれればいいのだという
ように軽く
考えられがちであります。世間の
方々もそういう
ような
傾向が
多分にある。そういうところが
中毒をなおす上に非常にむずかしい点だと私は思います。で、
禁断症状をとってから、やはりああいう
気持がよくなるというものは、やはり何かの折にやってみたくなるのです。それが非常にむずかしいわけなんです。で、
自分がもう薬を打つちゃいけないと心に思っておっても、やはり何かの
機会に、たとえば不満があるとか、不愉快があるとか、あるいは友人が来て誘われますと、ふっとすぐ賛成して、一本ぐらいいいだろうということでずっといきますと、一本打ったら、またずるずると打ってしまう。そういう何かの
機会にまた打ってしまう
傾向がある。そういう薬のくせとか、いわゆる嗜癖と申しまして、そのくせが非常にむずかしい。そのくせをどうやってなおすかということに
中毒の
治療の面ではヤマがある。そういうくせをなおすということと、それから、そういう
中毒者は大体
中毒になる前から普通の
仕事をしてないので、あるいは多少ともゆがんだ
社会、あるいは遊び人だとかやくざだとか、ああいうグルーブに入りがちな
傾向がある。そういう
仲間の片一方のものが打てば
自分も打ってしまう。そういう
環境的な
条件も悪いし、そういうグループに入りがちな人間が、そしてまた打ちますから、
よけいに
人格がくずれてくる。そういう点でもって、この
病気をなおす場合には、その
中毒者の人柄をなおさなくちゃいかぬ。いわゆるまともな
仕事をして、まともな
生活をするという
ような、着実な
生活ができる
ようにするということが
治療の中心だと私は思います。そういう点で非常に
中毒者の
治療がむずかしいわけなんです。そういう
期間が、相当私なんかが
考えましても、まあ少なくとも六カ月とか、あるいは一年以上かかると思うのです。そういう
期間が非常にむずかしいし、そういう
治療施設なり、そういう態勢を整えるということが非常に問題になってくるわけです。しかし、実際今まで私
たちの
病院で取り扱った
患者などは、もう
お金に少しでも余裕があれば、まさか
病院に来るなどという
気持は起こらないのです。
自分はもう
ペイを打って
中毒になった、だから多少何とかなおしたいという
気持はあるわけなんです。なおしたい
気持はあるのだけれ
ども、やはりここに何がしかの金があると、その金で
病院に行くよりも
ペイを打ったほうがいいということで、そっちへいってしまいます。それでなかなか
自分の
お金で入ってくるという
患者は非常に少ないわけなんであります。しかし、私
どもの
病院では、今まで十年間大体八八%は
自分の
費用、つまり
自分の
費用というよりも、お母さんとかお父さんとか、あるいは親戚の
お金、あるいは親分から金を借りてもらうとか貸すとか、そして
入院した
患者でありまして、もう
あとの残り少ないものは一部
生活保護法の
医療券でもって入ってくるものとか、
健康保険で入ってくる
患者というもので、ごく少ない。なぜ少ないかというと、
健康保険を使える
ようなそういう方は行かないわけです。つまりまともな
職業に従事しているとか、
健康保険が使える
ような職についていないということです。それから
生活保護法の
医療券が使えないということは、やはり住所が定まらない。そして
医療券をもらえる、あるいはもらいにいくということは少し気がかりだ、そういう点があって、やはり
自分からそういう
社会保障的なものでもって入ってくる
患者が少ないということ。実際私
どもの
病院は、今まで
強制入院で、いわゆる
精神衛生法の二十九条によるところの
強制入院の
患者を収容しろというのでもって、この十年前にそういうお達しがありまして、毎月十五名以上入ることになっておりますけれ
ども、いまだに十年間に一人も来なかったという
ような、そういう現状であります。そういうところに、やはり現在の
精神衛生法で言うところの
措置入院の仕方というものに非常に欠点があるということがあり得る。ですから、法規上にはそういうルートができても、実際は何も使ってない。使えなかったという状況です。そこにやはり何とか今度のこの規則を直していただくときに、それを御配慮願いたいと私は思っております。しかし、そういう
患者を今度は
強制して
入院させる場合の
一つの
条件がはなはだむずかしいのであります。一体ああいう禁止している薬を
自分がああいうやみの男からそれを買って、そして
自分で打ちます。打つその
行為は、やはり私は正当な
一つの
行為とは
考えられないと思います。そういう違法な
行為を繰り返して、またその
行為そのものは違反でありますけれ
ども、その結果からなった
中毒というのは、つまり
ヘロイン中毒そのものは、これは
一つの犯罪でもなければ、ただ
一つの疾病である、
病気であると、そう私は
考えるのです。そういうために、今度は
一般の
精神病の場合には、たとえば衝動的に乱暴して他人に危害を加えるとか、あるいは町をうろついて非常に困るとか、大声をあげてどなるとか、
社会的に非常に問題が起こる。直接に被害をこうむるのですが、
麻薬中毒の場合はそういうことはないので、むしろ注射をしますと静かに休んでいる。むしろ非常におとなしくすわっているとか、あるいはテレビを見てぼうっとしているとか、あるいは周囲でもって何が起ころうが、平然としているわけです。つまり
自分を静かなそういう
気持のいい
状態に置けば、他に何が起ころうが、そういうことは無関心なんです。ですから、そういう点では、
社会的にその
中毒者は、じかにそんなに他に害を及ぼさないわけです。そういうところにやはり非常にむずかしい点が私はある
ような気がしますし、それから激しい
精神症状が出てこないのです。そういう点で、
強制して入れるという場合の
強制のワクが私は非常にむずかしいのじゃないか。こういう点もやはり本で読みましたのですが、アメリカのほうでも、
強制するための
一つの
措置というものが、州によって非常に違う
ようなことを書いてありますけれ
ども、そういう点が非常にむずかしいのじゃないかという
ような気がしますし、一番初めに申し上げた
ような、つまり
医薬品としてお
医者さんが使っている
モルヒネ等の薬で
中毒になった場合と、
不正麻薬の
ヘロイン等を使用して
中毒になった場合とは、これは同じ
ように
考えていいかどうかという
ようなことは、非常に私はむずかしいのじゃないかという
ような
感じがします。
そういう点と、それから、いざ
患者が
病院に入りましてから
あとの
患者自身の態度といいますか、非常に落ち着きがなくてそわそわして、それから
自分の思ったことをすぐ通さなければ気が済まないという
ような、そういう点から、非常に
医者とか
看護婦とかが、もちろん
禁断症状をとるときになかなか薬がきかないのです。普通の方が
睡眠治療のために飲む
持続睡眠の薬を飲めば、ほとんど死んでしまう
ような相当の量でもってやっても、
患者さんはなかなか
睡眠に入っていかないのです。その点が非常に困るのですが、二、三日は非常に苦しみますので、その間にいろいろなことを
患者が訴えるわけです。とにかく何か不安な
状態も非常に激しいし、
医者が一晩中ついていないと、始終ああしてくれとか、いろいろなことを
要求をされるわけです。それから
看護婦さんにも非常にいろいろな
無理難題なことを言うわけなんですね。
看護上、あるいは
治療上非常にむずかしいわけなんです。で、私
たちがその
患者さんに言いますと、すぐ納得するのです。一応納得するのですけれ
ども、私
たちが横へ行くと、その
要求を何回もしつつこく言うし、それからその反対をやるし、それから
仲間と一緒になってささいなことを大きく扇動してしまう
傾向がある。つまり非常に取り扱いにくかった。しかも、私なんか、少なくとも六カ月以上そういう
施設に置いておけば何とかもう少し回復する
可能性があると思ったのですが、残念ながら、今まではそういう
自分の
費用とか、貸してもらった金でもって入ってきますので、大体一カ月くらいで退院してしまうのが大体私のところでは今まで五〇%くらい、約半数の
患者は一カ月くらいで退院してしまうのです。ですから、非常に
治療が不十分でもって退院してしまうし、不十分でもって退院してしまうから、
よけいに再びまたすぐ元に返って打ってしまうという
ような、なかなか
治療成績が上がってこないのです。そういうことで私悩んでおります。
患者が
病院の中で薬の癖を抜くためには、いろいろな
仕事をやらしてみたり、あるいは運動さしたり、そして薬がなくても非常に健康な
生活ができるのだということを
自分で自覚させるのです。そういう
一つの
生活指導と申しますか、
生活指導療法を
ほんとうにやらなければならぬ、これを本式にやらなければ
施設の価値がないのです。ところが、
生活指導療法をやるためには、現在残念ながら
医療の点数に入っていないのです。ですから、われわれの
病院でもそういう
生活指導を十分やらなければならない、やればある程度効果が上がることは十分わかっております。しかし、それができないのです、現在は。その
生活指導をやるためには、
専門の
職員だとか
施設がだいぶ要るのです。そういう
病院、つまり
麻薬中毒をなおすための
施設について、単なる普通の
病院を作っても、これは
意味がないのです。そういった点もやはり非常に考慮していただきたいと私は思うのです。単なる
病室を作ったってだめなんです、
病院を作っても
意味がない。その
病院の中に、必ず
生活指導療法を行なうためのいろいろな
施設を作る、それから、その
専門職をそこに作って、そういう
一つの体系を整えなければ、これはまだ
中毒をなおすという
一つの方法を全然やってないのと等しいのじゃないかと私は思います。ですから、私が今までやりました十年間の経験も非常に乏しい、乏しいというよりも、私はやらなければならない、ごうすれば必ずいいと思っても、実際できなかったのです。できないというのは、その経費がなくて
施設ができないのです。実際、私、情ないと思うのは、私
たちの力も足りないと思いますけれ
ども、現在
神戸にある私
どものところの分院などは、そういう
病室だけはできたのです。ところが、今申し上げた
ような
生活指導を行なうための
施設が
一つもできないのです。できないというのは、実際
お金がないのです。その
施設ができなければ
中毒者をなおす
施設じゃないと私は思っておりますが、残念ながらそれができていない、そういう点で、やはりわれわれの
ような小さな
財団じゃおそらく私は不可能じゃないかと思います。これはやっぱり国家の
施設でもって十分な
施設を作ってもらって、そして作る以上は、
病室はともかくも、
人格を訓練し、そして
社会生活に適応できる
ような
生活指導療法を十分にできるだけの
施設を作っていただきたい、そういったところがやはり
治療を完備する大きな問題じゃないか、そう思っておるのですが、すこし時間が長くなりましたので、一応この辺でもって私の話は終わりたいと思います。
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