○田中(織)
委員 ただいま
濱田委員より質問申し上げた
事件について、党の
立場と申しますか、私、問題になっておる
地区の
部落解放同盟の支部を統轄する
解放同盟の書記長という
立場にあるわけなんですが、きょうは実はそういう
立場を離れて質問をしたいと思います。
ただいま、
濱田委員の質問を伺っておりますと、出身の
高知県のことでございますし、この問題について、党派的な
立場を比較的離れた質問に敬意を表するものでありますが、しかしながら、述べられている事実については、遺憾ながら、私
どもの把握しておるものと違う点があるのを非常に残念に思うのであります。
できるだけ重複することを避けて伺いますが、
濱田君が指摘いたしました、昨年の九月にいわゆる四十八
項目の
部落の要求を
町長との間にこれを実行してもらいたいということを取り上げた中に、確かに
学力テストをやめてもらいたいという要求があることは事実です。
部落の要求は、差別
教育を助長する
学力テストを実施するなということなんです。しかし、それに対する
町長の答えは、
教育委員会とオルグの見解は根本的に相違しており、研究課題として善処方を講じたい。
町長は
教育委員会に直接指揮権を持っておらない
関係から、もちろんこの団体交渉には教組の
代表も加わったでありましょう。そこで、いろいろ
部落問題との関連で教組の
関係の諸君が出した要求については、確かに
教育委員会とそういう
解放同盟を支援しておるオルグ団との間に意見の食い違いがあるけれ
ども、それを善処するようにということをむしろ
町長が要望しておるので、この点は、国の方針をやるなということを、権限も何もない
町長に集団の力で強要したかのごとき発言は、事実の真相を突き詰める上において間違いになるので、ここに、その四十八
項目一々について
町長がどういうように応待したかということを私持って参っておりますが、
一つ感じましたので、この点は
濱田君の方においても理解していただきたい。
この問題が起こってから、私も伊与木
町長と、先月の二十三日でございましたが、約二時間にわたって
地区の
代表者とともに会見をいたしました。この四十八
項目の要求というものを
町長が善処を約束したのです。約束して、中には実行に移されたものもありますけれ
ども、そのうちにありました、たとえば
部落教育に熱心な教員を戻すという約束を実行していないということから、今度の
盟休事件も起こったわけでありますけれ
ども、その当時の
事情を伊与木
町長は私にこう
説明している。それは今までにない両方打ち解けた情勢の中で話したことなんで、今日もうそれはできることとできないこととは、田中代議士の言うように、自分もあると思うが、町でできることについては逐次やっていく考えだからということで確認をしておるので、何か
解放同盟が教組の諸君などと集団的な威力を加えて不当な要求をしておるような
——この四十八
項目というものは、日本国民に約束されている健康で文化的な最低生活というものを基準にして、現実に津川町の
小室の
部落の人たちが置かれておる
生活環境をよくするための具体的な要求なんで、私は、これはどこに出しても恥ずかしくない問題だし、当然やってもらわなければならぬと思う。ここに私持ってきておりますが、これは最近の「女性自身」です。これは八月二十九日号の「週刊女性」ですが、ともにこの問題を扱っておりますけれ
ども、
小室の百二十戸の
部落の中で、新聞をとっているのは二軒しかない。テレビは、先ほど三輪
局長が言うたように、
消防会館に一台入っておるだけなんです。先ほど月収は一万円以下だというのですけれ
ども、ここでは耕す土地をたくさん持っておるものでわずか三百坪です。イモ
部落というのです。お米を食べるのは、それこそ盆と正月、病人になったときくらいしかない。郷分とか裏分とかいう旧
興津村の二
部落にしても、この
小室の未
解放部落と大体似たり寄ったりの
部落です。
興津といえば、県立公園の
興津海洋のきわめて風光明媚なところで、かってはあそこから総理
大臣も出て、とにかく終戦後十年近くも日本の
政治をあずかった。その
高知県がいまだにこういう状態に置かれているというところに、
高知県の
政治家諸君の奮起を要求したいような気持に一番
最初に訪れたときになったような状況なんです。そういう中に、
部落の人たちが自分たちの生活にからんだところの
教育問題についての要求を
町長なり、町教委なり、そういうものに出していくということは、私はこれは当然のことだと思うのです。それをあたかも今度の七月四日の
事件などを考えれば、三輪
局長も言われた
通り、三日の晩には一切の武器を持って結集しろということを、他
部落に聞こえるような放送をしたという。
現地でもそういうことを言っております。三日の晩から二百五十名の警官が行っております。そのときには
高知地検の検事正もその付近に行ったようであります。近藤という公安検事が指揮をして、三日の晩から二百五十名の警官が行って、今、初中
局長が言ったように、
消防会館で
盟休派の
子供たちのいわゆる
授業が
——校長が
学校の教師を
派遣して、お前たちは
父兄の要求とからみ合って出てこないのなら、
消防会館で
授業を受けたらどうかと言って、机といすを三十脚持っていって、
学校から受け持ちの
先生を
派遣して
授業のめんどうを見て、
解決するためにいろいろな努力をやっておったのです。そういう中に、その三十脚ばかりの机といすを撤収する目的のために、二百五十名の警官を、地検の公安検事の指揮のもとに、百十戸の
部落に対して八トン単のトラックをバックで一方通行の道路に向いて押し込んで、朝六町、八時、午後二時と三回にわたっていわゆる周波的な攻撃を加えて、三十脚のいすを撤収するというような
事件は、
部落民が暴力団か何か、それこそ革命の指導者の集団か何かでなっているのだというような想定の上にあなたたちがやった
事件というよりほかにこの問題は考えられないところに、われわれがこれを国会の問題として取り上げなければならぬゆえんのものがあるのです。そういうような観点で、この問題を私は答弁をしていただかなければならないと思うのです。ことに荒木
文部大臣は、過ぐる参議院の選挙のときに、
高知県に自民党の候補者の応援に行かれて、
教育行政の問題について
高知県知事や
高知県教委の諸君を激励した。その結果、
解決寸前にありましたこの
盟休事件が逆転をしたということすら言われている。初中
局長の先ほどの
濱田委員の質問に対する答弁の中で、あなたは非常に重要な点をわざと落としているのであります。それは、問題の六月二十三日から六月一ぱいは、
学校は町教委によって臨時休校をやったじゃないですか。これは何ですか。六月十九日の日の紛争がありまして、そこで社会党の井上泉県
会議員等が中へ入って、県教委の指導課長等が町教委との間で話し合いをつけるということで、片一方は
盟休して
消防会館で自習をやっている。それ以外の
子供たちは
学校に来ているというような対立した状態の中で、問題の
解決にはならないというところに、町教委が臨時休校という処置をとって、六月の二十四日の日に、
現地の
窪川町で、県教委、それから社会党県議団、それから
解放同盟というような三者が寄って
盟休問題の
解決をするということで打ち合わせができていたのが、県教委側の一方的な破棄によってこの問題がついに月末まで
解決に至らず、一日の日になって、
校長がおるにもかかわらず、
教育委員会の名において、一片の文書で三十脚余りの机、いすを返還しろという通達が出たことは事実であります。
しかし、ここに私は申し上げますけれ
ども、これは七月二日の日、問題が起こる前々日に、寒川町の
教育委員会の前で拾った文書なんです。これには一日、二日、三日、四日、五日、三日の日に
警察の出動要請は文書でやる、四日の日にどういうビラをまいて、マイクでどういうように呼びかけてやるかということを、町教委と
警察側とが打ち合わせた
教育委員会側のこまかいメモなんです。これは今
事件になっている。もし起訴者が出て裁判に係属するということになれば、刑事裁判の証拠資料として出るけれ
ども、問題はいわゆる
部落問題に端を発した
事件でありますけれ
ども、七月の四日に二百五十名の警官を動員して、この問題の、いわゆる
教育行政を
正常化するということに乗り出した
高知県警の
態度、あるいは県教委の問題、私はこの問題については、やはり
文部大臣も選挙時に行かれた
関係もあって、
事件の概要も知っておられるし、
事件が起こる前から
文部省は何らかの連絡を受けておったと思うのですよ。まずその点から伺いますが、あなたたちは
事件が起こるまではそのことの推移は知らなかったのですか、どうですか。
それから初中
局長に伺いますが、あなたは今私が申し上げた六月の二十三日以降において、県
会議員が中へ入って、
盟休事件は
解決するというようなことで、第三者のあっせんがあって話し合いの道が開かれたものを、教委側の一方的な
態度によってそれが打ち切られておる。このメモの裏には、たまたまその打ち切られたことについての声明書の下書きみたいなものが書いてある。「私共、誠心誠意
事態の円満
解決に努力し
教育の
正常化の一日も早きを期待いたしていましたが、今回県議団斡旋による
解決案も
同盟側の了解を得ること能わず、洵に遺憾に堪えません。」約束の日に県教委、町教委から一人も出てこないで、県議団をボイコットしておいて、それでいて、こんな一方的な声明を出す下書きがたまたまこの裏に書いてある。今私が申し上げたように、
警察がどう行動するかということについてまで細部の打ち合わせをしたメモが書いてあるのです。私は、これは今までも問題になったけれ
ども、菅生の交番爆破
事件だとか何かというようなことと同じことで、三輪
局長にも伺いますが、こういうメモがあって、大量の警官が入ってくるということで、下手すると騒擾罪にひっかけられるかもわからぬから抵抗するなということを、三日の晩に
部落の集会所で話し合っているのです。あなた方は何の根拠をもって、一切の武器、かまだとかそういうようなものを持って集まれという放送を、
警察の
関係者も聞いた、県警本部の土居警備部長も私にそう言いました。土居君、君は現場にいなかったか、現場にいたのです。現場にいて、他
部落へも聞こえるような
小室部落の備付の放送でやっているのだから、土居君、君は聞かないわけはないだろうと言ったら、私は聞いておらないと、こう言う。私は、そういうところに、やはりこの
事件がどう考えましても、昔、徳川時代に権力的にえた狩りというものをやった、そういう昭和のえた狩りと同じことだと思うのです。あたかも暴力団の巣くつのような形で、権力をもって臨めばいいという。現在未成年者三名を含めて十五名検挙したけれ
ども、
高知地検はいまだに処分
決定できないというじゃないですか。犯罪になるかならないかというはっきりとしたきめ手がないからじゃないですか。この点については
刑事局長から御答弁願います。