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1962-10-29 第41回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    本小委員会昭和三十七年八月二十九日(水曜 日)委員会において設置することに決した。 八月二十九日  本小委員委員長指名で次の通り選任された。       上村千一郎君    坂田 道太君       田川 誠一君    中村庸一郎君       濱野 清吾君    小林 信一君       高津 正道君    山中 吾郎君 同日  中村庸一郎君が委員長指名で小委員長に選任  された。 ————————————————————— 昭和三十七年十月二十九日(月曜日)    午前十時三十一分開議  出席小委員    小委員長 中村庸一郎君       濱野 清吾君    高津 正道君       山中 吾郎君  小委員外出席者         文教委員長   床次 徳二君         文部事務官         (文化財保護委         員会事務局長) 清水 康平君         文 部 技 官         (文化財保護委         員会事務局美術         工芸課長)   松下 隆章君         専  門  員 丸山  稲君     ————————————— 本日の会議に付した案件  文化財保護に関する件      ————◇—————
  2. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 これより文化財保護に関する小委員会を開会いたします。  文化財保護に関する件について調査を進めます前に申し上げます。  奈良京都文化財視察を、衆議院文教委員会文化財保護小委員長の私と高津正道君の二人で、去る十月八日の朝から翌九日の夕方まで二日間にわたって、衆議院文教委員会調査室長丸山稲専門員、同石田幸男主任調査員文化財保護委員会松下隆章美術工芸課長等二名を帯同いたしまして、奈良県及び京都府の文化財視察いたしました。  奈良県においては、大東延和文化財保存課長案内で、和同三年元明天皇時代に唐の長安を模して造営されたと伝えられ、今日の文化史上きわめて価値の高い平城宮跡を初めとして、唐招提寺、薬師寺奈良国立博物館、同文化財研究所等を、京都府においては、中根金作文化財保護課長補佐案内で、元和六年後陽成天皇の弟君に当たる八条宮智仁親王が、その古典的教養と創意に満ちた感覚のもとに、桂川の清流を引いて経営されたという桂離宮を初めとして、西芳寺、天竜寺、大徳寺孤蓬庵角屋等をそれぞれ親しく視察し、いにしえを今に伝える文化財価値に、今さらながら感銘を新たにいたしました。  視察の途次、奈良県においては、県知事、県議会議長県教育長橋本薬師寺管主石田奈良国立博物館長等と、京都府においては、冨岡京都国立博物館次長藤田西芳寺住職戸上大徳寺宗務総長等と、その他各地それぞその当該責任者と懇談し、平城宮跡発掘調査桂離宮保存修理等、仏像、絵画に及ぶ各種古文化財保護管理、予算に関し、意見を交換いたしました。次いで、奈良をまもる会を代表して矢川敏雄君、平城宮跡特別史蹟地区指定解除促進委員会橋本萬治郎君等から、古文化財保護とその維持並びに文化財所在地における環境風致汚損俗化に関する防止策を、国の責任において積極的に行なわれたいこと、平城宮跡特別史蹟指定解除の一方針として、すみやかに国庫負担による当該地の買い上げを実施されたいこと、さらにまた奈良県の文化財保存事業に従事する宮大工、手伝等技術労務者の方々から、現在日々雇用の形をもって臨時に雇用されて、身分の保障が全くない、これらの従業員を県の定数内職員として採用し、正規の地方公務員としての身分待遇等を確立してほしい旨の陳情を聴取いたしました。  以上視察の御報告を申し上げて、各位の御参考にいたしたいと存じます。      ————◇—————
  3. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 続いて文化財保護に関する件について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、この際これを許します。高津正道君。
  4. 高津正道

    高津委員 前回の文教委員会において、清水事務局長は、何ゆえに森川勇氏から鑑定審査を申し込んできたのにそれを拒否したのかという問題を私が質問したのに対して、それを受けられない事情があるのだとしかじか答え、そのあと、文化財保護委員会の中にもまた文化財研究所もあるし、それから国立博物館もあるし、それらのところではその森川氏から申し出があってもなくても重大な問題はみんな調査検討をしておるのだ、こういうお答えを聞いたのでありますが、その検討の成果を御発表願いたいのです。
  5. 清水康平

    清水説明員 いわゆる佐野乾山については、その後、文化財保護委員会におきまする専門技官人たち研究職でありますが、研究員学者としてのそれぞれの専門立場からいろいろ調査いたしておるわけでございます。その後東京大阪でいわゆる佐野乾山展覧会もありましたので、各人よく調査をいたしておるわけでございます。しかしこれはあくまでもそれぞれ個人調査研究でございまして、文化財保護委員会全体の意見としてここで申し上げるところまではいっておりません。
  6. 高津正道

    高津委員 こういう大きな問題を調査される場合に、たとえばだれがその責任者でおやりになるのか、みんな個人々々ばらばらなんですか。たとえば佐野手控えについてはだれが主として研究する、研究のまとめはだれがやる、それからまた、初代乾山作品だという陶器そのものについてはだれが研究をする、そういう主任はきめておられないのですか。
  7. 清水康平

    清水説明員 ただいまの問題は、たとえば文化財保護委員会美術工芸課には、書籍、絵画、あるいは刀剣、工芸品というような方面のそれぞれの専門技官がおりまするので、それぞれの専門技官自分たちの長い学識と経験によりまして調査をいたしておるのでございます。もちろん調査いたす際には課長の了解を得て、また課長協議の上行なっておるのでございます。  ただここで申し上げたいと思いますのは、文化財保護委員会は御承知のごとく純司法的あるいは審判的な機関ではございません。合議制行政機関でございますので、国の機関である行政機関が裁判所のような白黒の判決をいたすのは適当でないという立場をとっておるのでございます。しかしもしこれが芸術的にも歴史的にも非常に重要な価値があるとすれば、将来はこれは指定ということにも関係してくることだろうと思います。そのこともありまするので、よきにつけ悪きにつけ、それぞれの専門立場から調査研究いたしておる次第でございます。
  8. 高津正道

    高津委員 専門技官がそれぞれの立場各人調査をしており、松下課長とこれを協議してやっておる、このように受け取ってけっこうですか。
  9. 清水康平

    清水説明員 課長協議の上、やはり席を立つことでございますので、服務の上からも、きょうはこういうことを研究したいから行ってくるというふうに連絡をとってやっておる次第でございます。
  10. 高津正道

    高津委員 その個人研究の結果は、まだ課長手元まで、あるいはあなたの手元まで出ていないのですか。
  11. 清水康平

    清水説明員 局長としては、各個人意見を聞き、また課長意見も聞いておりますけれども、先ほど申しましたような意味から、国の機関としてここで申し上げるところまではいっておりません。また申し上げるのは適当でないと今のところ考えております。
  12. 高津正道

    高津委員 ものには、人口調査でも中間発表ということがあるのですが、ここまではさまっておるが、それから先は文化財保護委員会のまとまった意見として発表するわけにはいかぬとか、すなわち中間発表ということがあり得るが、中間発表というものはどうですか。
  13. 清水康平

    清水説明員 中間発表意味でございますが、たとえば答申をするというような場合に、中間答申とか、あるいは発表すべきものだけれども中間発表するとかいう意味中間発表ということはないと思っております。
  14. 高津正道

    高津委員 個人でやっておるのでまだ発表する段階にない、こう言われますけれども、世論はにせものともうきまったくらいにまで識者の間ではもうきまっておるのだ、こういうように私は思うのです。にせもの説が圧倒的に強くなったのは、東京白木屋大阪大丸展覧会をやって、一般にも識者にも公開したから、その後に明治維新の際に勤皇の志士が八方からきそい起こったように、あれはにせものだという意見がどんどん出だしたことはすでに御承知通りであります。それより前には芦屋に住んでおる乾山研究家の山田多計治氏、根津美術館奥田直栄氏、画家で文字研究家である加瀬藤圃氏乾山会会長の相見香雨氏、独立美術小林和作氏、京都陶芸家加納白鴎氏、日本陶磁器協会梅浜彦太郎理事長、こういう人たちは以前にみな黒説発表しておるのであります。しかし以後になりますと、芸術院会員川端康成氏がそうだし、大阪陶磁文化研究所長保田憲司氏もそれだし、茶道雑誌に書かれた古賀勝夫氏という研究家のもそれだし、あるいは芸術院賞恩賜賞田中親美氏も黒説であるし、芸術院会員岩田藤七氏も黒説芸術院会員清水六兵衛氏も黒説芸術院会員ではないが、人々が非常に認めている河村蜻山氏もはっきり黒説、例の加藤唐九郎氏も黒説推理小説松本清張氏は、最近の芸術新潮で、佐野手控え初代乾山のものではない、それからむろんこの陶器乾山のものではない——芸術新潮展覧会主催者であって、今まで文化財保護委員会文部技官、たとえば東京国立博物館林屋晴三氏とか、あるいは京都国立博物館藤岡了一氏とか、あるいは東大の乾山先琳研究家で、第一の専門家のように認められている山根有三氏とか、そういう人々白説をじゃんじゃん書かしておった。宣伝しておった。その芸術新潮において今や——あれは二十枚の原稿か三十枚の原稿か相当長い文章ですが、松本清張氏がその中で手控えの方も作品の方も両方とも乾山のものではないという意見発表しているのであります。ただしこの手控え斎藤素輝氏のものではない。そこだけは違いますが、本物ではないという点ははっきり文章で書いている。それを芸術新潮が載せるに至っているのであります。だからこれに気をつけている人から見れば、もう白、黒はきまったのだというように思えるわけであります。役所の方は白だという意見をずっと言いっぱなしで、国立博物館というようなものを背景にして大宣伝したままにして、それから世間ではみんなこれは黒だ黒だと言い、識者はもう黒だと思い込んでいるというようなときに、まだあなたの方は発表段階でないというのは実にわからぬですが、何かあなた方の方で隠しておかねばならない事情があるのかどうか、それをお伺いします。あなたの説明ではどうしてもわからない。
  15. 清水康平

    清水説明員 前から申し上げている通りでございますが、それは研究世界であり、学問の問題でございますので、それぞれの研究者学者がそれぞれの立場からじっくりとおもむろに調査研究していけばおのずから帰すべきところに帰するのではなかろうか、こういう考え方を持っているのでございまして、仄聞いたしますと、帰すべきところに帰しつつあるやにも聞いているわけでございます。文化財保護委員会といたしまして、すなわち国の機関として、これの真偽を発表するとかしないとかいうことは考えておりませんが、研究家がそれぞれの立場から権威ある学術雑誌でもって怯懦に陥ることなく、自信経験とに基づいて発表することは差しつかえないと思っておるのでございます。しかし、御承知のごとく私どもの局におりまする人たち国家公務員でありまするので、おのずからその良識に私どもは訴えておるのでございます。国といたしまして、鑑定所ではございませんので、国の機関が、これがいいとか悪いとかいうことまでは言っておりません。研究者学術雑誌その他において発表することは差しつかえないと思っておるわけでございます。ただし、くどいようでありますが、国家公務員でありますので、良識に従ってやってもらいたいというふうに考えておる次第でございます。
  16. 高津正道

    高津委員 しろうとが常識的に考えても、最近私も読んでみたのですが、なかなか読みにくい字があるので、それを学者に私の読める文字に書きかえてもらったわけです。それはたくさんのものを読みましたが、乾山を招いたパトロンでもあるし、弟子でもあるという大川顕道覚書を読んだのであります。これは非常に信用されておるものでありますが、その中に「元文弐年巳九月、乾山而佐野へ罷下り候節云々文字がはっきり書いてあるのです。しかし、今現われておる、新発見の佐野手控えを読んでみると、それより前の作品があるのです。元文元年だとかあるいは元文二年の九月どころか、まだ現われておらないときのことが書いてあるのです。この覚書が信頼すべきものであるから、一切の佐野手控えに書いてあることは全部おかしいということになってくるのでありまして、そういうように明瞭なことがあるのに、やはり林屋氏とか藤岡氏というものがそういう意見発表されたままになっておる。それを黙って見ておるという害毒はいよいよ広まる一方だ、ほんとうきめ手が出ておるのに、それを黙って文化財保護委員会は見ておる。これはどうしたのだろうかという疑いがあるんですよ。この大川顕道覚書には「元文弐年巳九月乾山而佐野へ罷下り候節云々と書いてあるのに、それより前のものがあるはずはないと思う。これがインチキだというのは、これ一つでもきめ手になると思うのだが、あなたはどうお考えでしょう。
  17. 清水康平

    清水説明員 専門的になりますと私としてお答えにくいのでございますが、確かに今先生のおっしゃいました林屋技官、それから京都博物館藤岡技官の特にいろいろなところへ出しておるものが、その後やはり論争があり、またそうすることによって学問発達もあるわけでございまして、自分経験研究の結果発表したものが、他の研究者学者から論争を受け批判を受けるということは、そこに一つのやはり学問発達があり、自分の説がもし社会的にも学問的にもいれられないことになれば、本人学問的な価値もやはり云々せられるのじゃないだろうか、かように思っております。あるいはそれに対して反論があれば反論するというところに、学問の進歩があるのじゃないかと思っておる次第であります。
  18. 高津正道

    高津委員 文化財保護委員会事務局長のあなたは、この問題は今から技官は黙っておれ、論争が始まっておるから黙っておれと箝口令をしいたはずです。それは京都国立博物館にも及んでいようと思う。東博へは言ったが、京博へは言わなかったのですか。そこをちょっと聞いておきたい。
  19. 清水康平

    清水説明員 今箝口令をしいたなんというお話がございましたが、さようなことはございませんです。いわゆる佐野乾山の問題が学問の領域からややはずれて、民間にいろいろな業者もあり、マス・コミにも載っている関係もあるので、もちろん学者研究者としては、おのれの信ずるところに向かって、怯懦に陥ることなく、正々堂々とりっぱな学術雑誌に出すことはいいが、しかし国家公務員であるから、おのずからそこには限度もあるので、良識に従ってやってもらいたいということを京都博物館館長を通じ、あるいは東京博物館館長を通じて、注意を促したことは事実でございます。決して学者に対して、事務的な問題ならば別でございますが、籍口令をしいたことはありません。ただ、あくまでも国家公務員であるからマス・コミに乗せられないように、もし出すならば学術雑誌に出すようにやるべきであろうということを、注意を喚起いたした次第であります。
  20. 高津正道

    高津委員 林屋晴三氏は本年二月中旬の十二、三日と思いますが、そのころにこれは永仁の瓶子とは全く違うケースである、すなわちにせものではないのだと、上下にわたって書いておられるのでありますが、べたぼめにいろいろな人の意見を持ってきてほめてあります。それから白木屋大丸の両展覧会で配られた図録ですね、百円かする、あの図録には藤岡了一氏が、これも手放しでほめまくってあるんですよ。こういうことは学術雑誌には書いていいと言われるが、そういう図録というものは営利行為でやっているもので、それの太鼓をたたくのですから、それは学術雑誌でないですよ。技官が盛んに雑誌でない新聞学芸欄へそれを書いて宣伝したということになりますね。それをあなたはどうお考えになりますか。
  21. 清水康平

    清水説明員 ただいまの林屋技官の論文は、三十七年二月十三日、東京新聞ではないかと思うのでございますが、これはちょうど問題が突発いたしたことでございまして、それがありましたので、私といたしましては直接監督している職員ではございませんが、付属機関であるそれぞれの館長を通じて注意を喚起したのでございます。それからその後藤岡技官の、東京大阪展覧会のこれでございますが——これでしょう。
  22. 高津正道

    高津委員 そうです。
  23. 清水康平

    清水説明員 これは注意を喚起して後の「佐野乾山」の「佐野時代」というものが載っておるわけでございます。この点、私は専門家でありませんが読んだのでありますが、本人としては学問的な立場から述べておるのでございますが、しかし反面非常に今マス・コミその他から問題になっておりますので、もっと出すならばりっぱな学術雑誌に出してもらえればよかったのではなかろうか、かように思っておる次第でございます。この点につきましては、先般京都博物館長ともいろいろと懇談いたしたような次第でございます。
  24. 高津正道

    高津委員 今の大川顕道覚書を私は言ったのですが、その次に今度の佐野手控えに書いてあるものと——絵もかいてある、俳句も歌もいろいろ書いてあるが、その作品と全く同じものが「陶器」にあるので、その二つは切っても切り離せぬというより同じものなんですよ。一つがだめになれば二つだめになる、両方だめになる。それは敵も味方もというか、自説も黒説もみんな認めておるところです。  ところで、その大川顕道覚書の件に次いで、その佐野手控えというものの紙はどうであろうか。日本一の、拓本をたくさん扱っている、北京にも支店を持っておったという文雅堂の主人がそれを見て、これは何というか、シナの習字の本というか、拓本裏紙を使っておるのだ、今の紙ではなかなか古い紙を模造するのはむずかしい、しかし拓本裏紙のりがあるのですから、虫食いのあともついているし、そこで拓本裏紙を使っているのだ、そう言ったが、一座の者がなるほどと言ったのであります。拓本裏紙を使う理由が何か乾山にあるかといえば、あの方面那須野ケ原那須紙という紙もある、ミツマタ、コウゾもたくさん出る。紙の名産地でいい紙があるわけです。拓本裏紙というのは悪い。日本で市販されていないけれども、向こうで黄色い紙でやって、その上へ今度また一番薄い紙を張って裏打ちした。裏紙にはのりがついていて虫食いの穴ができているから、ちょうどいいからそれを使ったので、悪意がある、こういうように見られておるのです。そんなのを一つ調べただけでもこれはにせものということがわかると思いますが、拓本裏紙研究はあなたの方の専門技官は全然触れないで、そこをよけて通ったのですか。その研究はやったのですか、どうですか。
  25. 清水康平

    清水説明員 その点私どもはまだ聞いておりません。ただし、今お話しのようなことは聞いておりますけれども、その点、文化財保護委員会のだれがどういうふうに研究したかということはまだ聞いておりません。
  26. 高津正道

    高津委員 徳川時代には拓本は高いものであって、それを、裏紙をとって、そういうもので乾山がやるということは全く考えられないことで、悪意があると見ておるのであります。松下課長はこの問題についてどうお考えでしょうか。
  27. 松下隆章

    松下説明員 先ほどから局長が御答弁のように、技官がそれぞれの立場研究しております。幸いに、二回にわたりまして作品が公開されましたので、作品にも接する機会がありました。その後、ことにその展覧会後、さまざまのそれに対する研究発表されておりますので、そういうものも含めまして技官がそれぞれの立場研究をしておると思うのであります。ただ、御承知のように、乾山と申しますのは非常に広いものでありまして、技官としましては——まだ私のところにははっきりしたそういう意見が参っておらないような状態でありますので、おそらく技官は、今度のいわゆる佐野乾山というものについてばかりではなくて、この際に前からもたくさんある乾山とも比較検討してやろうじゃないかというような気分でやっているではないかと思っております。もちろん、ただいまおっしゃいましたような手控えの用紙が拓本の裏打ちであるというようなことも、これは活字発表されておりますし、そういうことも考慮に入れまして技官はいろいろ各自で研究している、こう思っております。
  28. 高津正道

    高津委員 初代乾山の書いたものは、徳川時代でありますから旧暦になっておるのは言うまでもありません。新暦は明治四年に始まったものであって、今から二百年以上も前の乾山がつくったものに新暦が飛び出してきたら、これはおかしいということは言うまでもありません。その新暦旧暦の混淆という点が幾つも見えるのであります。それならもうこれ一つきめ手だ、こう主張してよいのでありますが、それでもまだ発表はできない、結論は言えない、根本的に研究しているのだ——何か仲間をかばうのではないですかね、藤岡林屋両君を。
  29. 清水康平

    清水説明員 そういうふうな仲間をかばうとかなんとか、それは全くございません。それぞれの立場からほんとうに真剣に研究いたしておりますが、先ほど先生からもお話がございました通り、落ちつくべきところに次第に落ちつきつつあるようにも聞いております。いろいろな学術雑誌もありますので、今後そういうような方面に大胆率直に自信を持って出るのならば非常にけっこうじゃないかと思っております。
  30. 高津正道

    高津委員 この土は市販されている。電話一本、はがき一本で一トンでも二トンでもどこへでも持って来れる、そういう混合された何にでも応用できるような土でできておるということをたくさんの人が言っているのです。一流陶芸家で、これは市販の土だというようなことを活字でアンケートに答えているような人が幾人もあるのです。加納白鴎氏は早くからそれを言い、安田憲司氏もそれを断言して書いておるわけです。土一つからでもこれは徳川時代のものではないということがわかるのに、役所の側でわれ誤てり、あるいは間違っておった、こういうことは言っていいのだと思うのですが、土のところだけでも研究はしていないのですかね。まだ結論が出ないというのがわからぬのですがね。それから、一流権威者というものがおのずからその世界々々にあるわけですよ。その人々が、この土は市販されておる土で、佐野の土でも、江戸の土でもないということを言っておるのだが、役所というものはほんとうに能率が悪い、ひまがかかるものだというふうに世間がきめてしまったら、役所は白い旗を持って逃げるというか、とうとう役所が負けたという形になるのです。われわれの方の研究が足りなかった、両君は間違っておったと早く言われた方が役所の顔がよくなるのだ、われわれはそう思うのですが、ずっとまだ結果は出そうにないですか。
  31. 清水康平

    清水説明員 先ほど来申し上げておりますが、行政機関である国として、これが黒であるか白であるかということを出すという考えは私どもは持っておらないわけです。しかし、私どもの方には研究者がおりますので、その人たちはその人たち立場から今日までずっと研究しておりますので、それぞれの立場からある方向に向かってすでに落ちつきつつあるのじゃないかと私は思うのでございますけれども、その人たちの良心によりて発表すべきものは発表してもらいたいと思っております。ただ私個人として懸念いたしますのは、まだ情勢が、自分としては結論に達しておりますけれども、これは私の杞憂であればいいと思うのでございますが、うっかりこれは自分の信念によって出しても、マス・コミにかえって利用されるのじゃなかろうかという気持があると、学者はまた出しにくいという気持があるのじゃなかろうか。これは私の想像でございますけれども、そういう気もいたすのでございます。ですから、じっと世間がこれにさわらないようにしておきますと、それぞれの立場から大胆に出てくるのじゃないかと思っております。私は個人立場からそれぞれもうある方向に向かって落ちつきつつあるのじゃないかと思っております。ただ国として、行政機関として、あれはうそであるとか、間違いであるとか、いいものであるとか言う考えは持っておらないのであります。
  32. 高津正道

    高津委員 どうしてもそう言われれば、ことに行政機関だと言われれば、それじゃ私ものをはっきりさせましょう。政府には国として筆跡鑑定をする機関というか手段というかそれがあると聞いております。幸いに民間の学者加瀬藤圃氏が、この新発見の佐野手控帖と佐野乾山文字斎藤素輝氏の手紙の文字と全く一致していると、二十カ所も指摘されたものが、雑誌「陶説」の九月号と「芸術生活」の十二月号に発表されておるのです。「陶説」の方にはこのように書いてあります。加瀬氏の書かれたものですが、「上述の如く数の比率、」——かなの文字やいろいろな数の比率、「字母数の相違、形体、筆順、書及画、どの角度からも、真乾山とは似ても似つかぬ下手物であることは明瞭である。しかも最近、偶然にも手控贋造に就いて兎角の噂さのあった、S氏の書翰の写真を入手することを得たので、手控及び白木屋図録芸術新潮三月号及五月号の文字と照合対校、つぶさに書体の考証をこころみた結果右の通りの答が出たのである。こんな風にならべてみると、」−こんなふうにというのはその斎藤氏の書簡と之れから手控え白木屋展の図録などに出ておる文字とこの字はずっと一致しているとこういうように拾い上げてあるのであります。それが二十カ所あります。「こんな風にならべてみると、火のないところに煙は上らない譬えの通り、全くS氏が手控及び作品を贋造したことはうごかすことの出来ぬ事実である。僕が八ツ橋絵皿を昭和廿七年以後と断定したのも当を得た観察であったことになる。この手控までこしらえて東西の大デパートに堂々と陳列させた贋物業者の宣伝振りは、今までにない強引ぶりであった。この大量生産の偽物も、始めから模造としてなら許せるが、真物の緒形乾山作として三点を数百万円でうるといった悪辣な商売をしたから問題になったと思う。猶問題になっても真物とみせようとした森川氏は、まず第一の明き盲で、これを絶賞して已まなかった美術史家の数氏は、尚一段の半鑒耳食の徒である。その愚劣低見論ずるに足らぬヘボ学者である。二世紀以前の作品と今窯から出たばかりの下劣醜陋なるものとを弁別が出来ぬとあっては、今までなにを勉強されていたかといいたい。それに自分が不明であったら、事実を事実として、ナゼ声明をして自分の鑒識の至らなかったことを天下にわびないのか。「自由な検討を期待し、なお識者の関心に応えたい」として公開された東西両地での展観に対しても官辺から何かの反応を示していただき世の疑惑を一掃してほしいものである。今後司直の手はこれにどう動くか、衆議院の文教委は政治的にどうさばくかが恐らく今後の課題となるであろうとおもう。」こういうように指摘しておるのであります。その上「芸術生活」の——ずいぶん早く出したもんですが、十二月号に、今の二十の一部、ここに写真が出ておりますが、二十カ所、筆跡くらい確かなものはないので、この字がここにある、この字がここにあると斎藤氏の手紙から出しておるのですが、斎藤氏の手紙というのはここに写真を持ってきましたが、こういう斎藤素輝氏の手紙なんですね。こういうように書いて出してあるわけです。みなで二十も指摘してあるのです。  そこで申し上げますが、「陶説」九月の分には今読んだようにS氏と書いてあるけれども、今度「芸術生活」の方には松島明倫氏もあるいは加瀬藤圃氏も、斎藤素輝氏と本名でこの問題を明らかにしておられるんですよ。このような鑑定が現われた以上は、文化財保護委員会はこれを、私のところは行政機関だと言われるから、国には国として筆跡鑑定機関があるわけだから、そこへあなた方で提出して、一日も早く白黒を明らかにして美術界における紛争に終止符を打つべきであろうと思います。私は資料をあなた方に提供してけっこうです。私はそういう鑑定をそこへ持っていけばいいじゃないか、科学的な鑑定が出るわけですから、それをなぜなさらないのか、これを聞きたいのです。
  33. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 速記をちょっととめて。   〔速記中止〕
  34. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 それでは速記を開始して下さい。
  35. 清水康平

    清水説明員 ただいま高津先生から、手控帖を中心にして、これを国の鑑定するところに持ち出して黒白をつけてみてはどうかというような意味お話がございましたが、御承知のごとく、この問題は国で指定してもございません。今一般の論議の対象になっておるものでございまして、文化財保護委員会がこれを、たとえば警視庁に何か鑑定するところがあるそうでございますが、そこへ持ち出して黒白をつけるのは適当でないと思っております。
  36. 高津正道

    高津委員 これは指定されていないからということが理由で今のような御意見が出ておるのでありますが、しかし永仁の壷の事件とこの事件を比べてみると、この事件の方が何十倍大きいかわからぬのですよ。そしてまた今出ておるにせ千円札が、きょうもまた出て、二百七十枚くらいになろうと思うのですが、これは二十七万円の金額なんです。その十倍出回っておっても二百七十万円なんです。しかし国はあれだけ動いておるのですよ。この問題は二百も三百も出たというので、二億、三億という数億円の問題で、非常に大きな問題になっておるのであるから、これは指定品でないからというが、指定品でなくてもこんなに大きな問題になった場合には、やはりそういうことの鑑定の一番よくできるところは文化財保護委員会だと思うので、あなたの方でもう少し動いてもらいたいと私は思います。  それから、なかなかお動きにならぬので、識者はどう見ておるかということを、「陶説」の九月号に十一人の第一流陶芸家にアンケートを求めております。そのアンケートの中でただ一人あいまいなことを言っておる。それからもう一人は名前を伏せてくれと言っておる。すなわちそれらの今二つ例をあげたのを除いて、あと十一人の中の九人までが全部黒説であります。  さきにちょっと触れた河村蜻山氏清水六兵衛氏を省いて、名前や特別の文句だけ御参考のためにちょっとだけ短く読みますと、新匠会という陶芸家の団体があります。その福田力三郎氏は、「轆轤、型共に職人が機械的に無感覚に造ったもので、乾山の成型とは較ぶ可くもありません。胎土は佐野地方の産出では無く、その色調、貫入等から見る土質は、瀬戸信楽の土と思はれます。」と本名を書いて福田力三郎というあの権威者が言っておるのですよ。それから京都の伝統工芸の方の三浦竹泉氏も同意見だし、瀬戸の大江文象氏、京都の新匠会の鈴木清氏、それから日展の宮之原謙氏、無所属ではあるが井高帰山氏、それから京都の日展の辻晋六氏——辻さんのを短いからちょっとだけ読ましてもらえば、「一、陶技、成形技法共に乾山自身が指導監督したものとは考えられない。仕入の素焼素地の様な平板で量感なく、絵との関連性が窺えない。一、胎土、佐野附近にあの白さの粘土があるとは考えられない。」というように、読めば際限がありませんが、十一人の中で九人黒説で、一名は匿名ではあるが黒説を強く言っておる、一人だけがおざなりの答弁、こういうようにアンケートが出ております。これが第一線の陶芸の実技家であって、このようにものが明らかになっておるのに、まだ文化財保護委員会一つも言わぬ。黙っておる。それは不可解なことだ。毒がどこに回ったというようなことは言いませんけれども、みんな世間は不可解に思っております。このように出ておれば近いうちに何とかするおつもりですか。どうして黙っておられるのか。金額もにせ札以上の大きな大きな事件なんです。指定されてないからわれわれの関知するところじゃございませんということはおかしいですよ。大きな大きな事件で、美術行政においてこんなに大きな事件はない。春峰庵事件よりももっともっと大きな事件であることは明らかですよ。堂々と白木屋大丸の両デパートにこれは本物なりと出ているのです。それを文部技官が、一番権威あると認められる人間が太鼓をたたいて、博物館を背景にこれは本物だ本物だと宣伝するんですよ。これは実に重大な問題です。指定品でないのだから、指定してないのだからと言われるが、しかし初代乾山のものが二百も三百も出て指定品が一つもないということは、本物なら指定せねばならぬだろうと思うのだ。だから新発見のこの品々は、あなたのところはどうしても逃げることのできない品物だと思います。何とか言いなさいよ。
  37. 清水康平

    清水説明員 文化財保護委員会として正式に白黒を鑑定するということはできないのですが、文化財保護委員会の事務局の技官が、専門職の研究職人たち学者立場から研究いたしておりますし、また他面委員以外の民間の学者、世論も次第に落ちつくべきところに落ちつきつつあるのでございます。また近いうちには専門技官があるいは権威ある学術雑誌発表するということもあるかと思うのでございます。落ちつくべきところに次第に落ちつきつつあると信じております。
  38. 高津正道

    高津委員 落ちつくべきところに落ちつきつつある、もう一つ近いうちに専門技官が権威ある国の機関雑誌意見発表するようになるだろう・こういうように私は聞き取ったのでありますが、技官意見発表するというのは、連合審査の結果の発表を近いうちにする、そういう意味ですか。
  39. 清水康平

    清水説明員 今、国の権威あるというふうに申した記憶がございませんが、もし技官発表するならば、そこに疑惑を受けるような発表の仕方ではなく、権威のある学術雑誌発表することを私ども局長として期待いたしておるのであります。しかし人によりましてはもうすでに落ちつくところに落ちついておるのだからというような気持がある人もあるかもしれませんが、しかしそういうことでなく、その学問的な立場から専門的な雑誌に載ることを期待しておるのであります。しかし学問の分野でありまするから、私としては命令するわけにいきませんが、気持としてはそういう方法で、もし発表するならばするのであって、文化財保護委員会鑑定所というような仕事はなかなか言うべくして行なわれない、困難、むしろ不適当と考えておる次第です。
  40. 高津正道

    高津委員 私だけ質問しても困りますが、私は時間の関係で読むものをこれでもずいぶん読めなかったのでありますが、松下課長学者でもあるし、自分課長さんとしての立場もあるわけで、松下個人学者個人としてのあなたの見解はどういうようになっておりますか。真か贋か。
  41. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 速記をとめて。   〔速記中止〕
  42. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 速記を始めて。
  43. 清水康平

    清水説明員 ただいま高津先生から、学者であり専門家である松下個人のこれについての意見はどうかという御質問がございましたが、国家公務員でもあり、それこそ他に影響を及ぼしてもなりませんし、誤解を生むおそれがありますので、個人としてはそれぞれ意見を持っておるかもしれませんが、ここで国の機関がというふうに誤解を受けられますので、その点一つお許しを得たいと思うのでございます。
  44. 高津正道

    高津委員 濱野委員からの発言がありますから、私の質問はここで一応終わります。
  45. 濱野清吾

    濱野委員 ただいま先輩からの質問中、清水局長が二つ御答弁されましたが、その答弁はなかなか重大な意味があると思う。その第一は、私ども意味がわからぬのでございます。ただいま、いずれ学者として、公務員として、権威ある雑誌にこれが本物であるということを発表する時期がある、こういうようにもとれますし、あるいは、にせ物に近い、論ずるに足らぬというような立場発表する場合もあるだろう、こういうような二つの意味を含めた、いずれ研究の結果が発表されるだろう、しかも権威ある雑誌発表されるだろう、さように私は受け取ったのですが、そうだとすれば、私はまず第一に、権威のある雑誌等に発表してもらいたいのは、藤岡了一君の図録に書いたこの趣旨に間違いのないという発表をするであろうということを予想できる。これは短かいから読んでみますけれども、非常にりっぱなものだということで、むしろ絶賛しているのですね。乾山というものはあるいは初代乾山、二代乾山、三代乾山、代理をもって代作をさせたようなもの、商業的につくらせたものさえある、こういうことを前提として、そしてそれぞれ乾山には基準とすべき第一資料が従来非常に乏しかった、こういうことをまず第一段に藤岡さんは書いているのですね。それを前提して、「この意味において、このたび新しく発見された「佐野乾山」の一群と、十点におよぶ乾山手控帳は、佐野における乾山晩年の芸域を如実に示して余りあるばかりでなく、乾山の全容を正確に理解する上にも極めて重要な資料とせねばならぬ。」もう藤岡さんは歴史的な大発見である、そう言っているのです。ですからこの人がもし、権威のある雑誌発表するとすれば、たとえば今世の中で批判されているもろもろの資料を反駁する義務があると思うのです。もうこの問題は私どもが行ってみてからすぐに議論になった問題で、相当期間がある、そしてしかも筆致、筆法、陶風その他いろいろ、たとえば先輩のおっしゃったように、粘土とか紙とか、資材関係まで科学的なメスを入れて、そして藤岡氏の絶賛している文書に反論を加えている。ですからこのことについての反論が藤岡氏から権威ある雑誌等に私は発表されなければならぬ、こう常識的に考えるのですが、局長もそうお考えになるのですか、それを一点承りたい。  第二点は、あなたは非常に含蓄のある言葉らしく、落ちつくところに落ちつく、もはやその時期が来るであろうとおっしゃっているが、一体落ちつくところに落ちつくというのは、あなたは学者であり、あるいは美術、芸術の価値判断をして、そうして文化財という決定をされる権能を持っている方だ。しかしそれにしても芸術や美術を取り扱っておる国家最高の機関であるあなたであっても、落ちつくところに落ちつくという意味は一体どういうことなのか。悪く考えれば人のうわさも七十五日、そういう意味の落ちつきを期待しているのか、それともあなたの部下である藤岡さんとか林屋さんとか、そういう人たちの主張が正しいという結論を心ひそかに期待して、やがてそういう方向に落ちつくというのか、一体どういう意味なのか、一つ解説を願えればけっこうだと思います。二つの問題についてお答えを願いたい。
  46. 清水康平

    清水説明員 藤岡技官が、東京大阪でいわゆる佐野乾山を展覧する場合の解説と申しまするか学説と申しまするかを出しました。それに対して各方面から反駁が、論争がございます。従いまして、その論争に、自分の学説は間違いであったという意味の論文と申しますか、そういうことが一つ考えられます。もう一つは、世論が批判しましたが、それに対する再反論と申しますか、そういうこともあるだろうと思います。どちらか二つだろうと思うのでございますが、それが出ましたあと、技法上からもあるいは粕薬の点、あるいは字句、各方面から論駁が出ておりまするから、それに対する藤岡技官気持はここで窺知することはできませんが、何らかの方法で、自分がもし間違いであれば間違いであった、より一そう早く反論に対する説明が出てくるのが正しいのじゃなかろうかと私は思うのでございます。  それから二番目の、落ちつくべきところに落ちつきつつあるのではなかろうかという問題は、もちろん人のうわさは云々とかいう意味じゃございません。いわゆる佐野乾山が、学問的にも芸術的にも、その他見て是か非か、結論が次第に各方面研究者学者によって論難、研究されておりますので、結論がおもむろにじっくりと落ちついてくるのじゃなかろうか、こういう意味合いでございまして、決してうわさも何とかという意味じゃございません。結論が落ちつくべきところに次第に落ちつきつつあるのじゃなかろうかという意味でございます。
  47. 濱野清吾

    濱野委員 私、あなたの言うことがよくわからないのですが、私は、もし藤岡さんが良心のある学者であるとするならば、今日もはや権威のある見解というものを発表していなくちゃならぬはずだと思うのです。そしてまた、役人としても責任を重んずるならば、これだけ大きな世論を引き起こしているのですから、これはもうとうに自分の見解が正しかったということについての良心があるべきだと思う。学者としての権威、役人としての良心、この二つは、これは今日まで待つべきではない。研究に名をかりて、半年、一年を待つかもしれぬけれども、私は、諸般の事情から見て、待つべきものではない。ですから、これは、この機会に、自分の見解の正しかったことかあるいは間違ったことかすみやかに出すべきだ。学者としてもそうだし、それから役人としてもそうだ、私はそう考えているのですが、局長は、その点についてどう考えるのですか。  それからもう一点、落ちつくべきところへ落ちつく段階、これは違うと思う。これで藤岡さんが自分の主張は正しい、私の説が正しかった、こういうような主張をすれば、これは今まで佐野乾山にせものであったという世論が大きいものですから、落ちつくどころか、これからますます火が燃えてくると思う、落ちつくどころじゃない。それから、僕は負けた、藤岡誤てり、こういう論文を書けば、それで落ちつくかもしれぬ。一体常識的に見て、局長はどっち方向を考えているかちょっと聞きたい。そんなわけのわからぬことを言われたんじゃ困る。
  48. 清水康平

    清水説明員 最初のもう学者的な立場から公務員の立場から自分がそういうものを出す。それに対して各界からいろいろな非難が出ていますから、とうに自分の見解を発表すべきであったという意味の御意見については私も全く同感でございます。先般数日前に博物館長と会いました際にも、私個人としてそういう意見を申した次第でございます。  二番目の落ちつくべきところへ落ちつくという意味は、かりに藤岡氏が反論に対してまた反論を出した際に、結局学説というものはいろいろありますから、やはり一般学者がどう見るか、一般文化人あるいは社会がどう見るか、通説というところへ自然に落ちついてくるのではなかろうかという意味も含んでおりますし、いわんや自分の学説に対する反駁があって、なるほど自分の学説誤てりということになったら、これまた先生のおっしゃる通り、全くこれは落ちつくよりも静まったということに相なるのではなかろうかと思います。
  49. 濱野清吾

    濱野委員 また反論の反論を清水局長にやるわけではないのですが、われ誤てりという藤岡了一さんの見解が出れば、これは落ちついてしまいます。しかし藤岡さんの見解として反論が出てくれば、これは君の言う定説というようなものは当分私は尾を引いてくる。なぜ尾を引くか、私が申し上げます。それはこうした古美術に対する価値というものは相当なものがある。中村先生は明治時代に高かった物は今非常に安くなっている場合もあるから、こういうお話もございます。その通りだと思いますけれども、しかしこれだけの問題になった品物は、そう半年や一年で片づくものじゃない、価値の落ちるものではありません。従いまして、経済的に見れば今日の段階では相当膨大な価値というものを予想できる。学者の刑法の学説とか商法上の学説とかいうのなら、それは世の中にあまり被害はありませんし、またたとえば山岡萬之助の刑法論とか上杉愼吉の天皇機関説とかいうものだったら、これはがんがん言ってもあまり実害はなかった、またない。そういう学問上の学説ならともかく、この品物に対してこの物が本物かにせものか、本物であったら何億という総括的な価値が生まれる。こういう問題はあなたのおっしゃっているように、普通の学者の学説とは違う。経済的なそういう裏づけがこの品物にはすぐくっついている。簡単にたばこの煙のように、落ちつくところへ落ちつくというようにお考えになるのは、これは少し局長、あなたは経済ということをお考えにならない説明ではないでしょうか。従って私の見解は、藤岡さんが再び反論をして、自分の説が間違いなかったということになれば、これは落ちつくところへ落ちつくどころの騒ぎではない。つかまされた人は憤慨するし、えらい問題が起きるのではないか、こう思っているので、あなたの説、落ちつくところへ落ちつくという説は、いささか私どもには承服できないところがあるのですが、それはいかがですか。
  50. 清水康平

    清水説明員 同じ学問研究でも、普通の自然科学その他のあれと違いまして、経済的な関係がつきやすい、また疑われやすいという点がここに問題になってくるのではないかと思います。さればこそ、私どもといたしましてはより一そう国家公務員良識に訴えてやらなければならぬという注意を喚起いたしたのであります。落ちつくべきところへ落ちつくというのは、今いろいろな問題が生ずるおそれがあるということの御注意がございましたので、深く肝に銘じて万々誤解のないようにいたして参りたいと思います。
  51. 濱野清吾

    濱野委員 私が落ちつくところに落ちつくというような言葉を執拗にとらえているゆえんのものは、今の政府機関責任を回避してその責任の所在を明らかにしない、そういうことが今の役所側には相当私はびまんしていると思うのです。過般行政管理庁が役所の規律というようなもの、あるいは機構というようなものについていろいろ注意を喚起しているようであります。ですから、先ほど来その学者とかあるいは行政官とかあるいは政府機関とかいろいろな論議が論議のうちにございましたけれども、やはり責任の所在というものをはっきりさせてもらいたいというのが、僕の落ちつくところに落ちつくという問題についてのお尋ねをした理由なのでありますから、局長初め文化財の関係官はもう少し真剣に取り組むべきだ。これだけ文教委員会等も再三にわたって日本文化財等については民族の将来にかけてというような気持で、また民族の興隆のためにというような大きな見地から立っていろいろと同僚が論議しているのですから、清水局長初め関係官はとかく物事はあせっちゃいかぬ、落ちつくところに自然に落ちつくんだというようなゆうゆうとして無責任に逃避するような印象を与える、そういう態度は私は改むべきではないかと思う。ですから、問題の多いところで御苦労の多いところであることもわれわれよく承知しております。しかし、やはり権威と責任だけははっきりさせて今後一つ臨んでもらいたい。  私の質問はこれで終わります。
  52. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 両委員の御質問はごもっともであるし、林屋藤岡両氏の行動は全く遺憾に考えますが、将来こういうことを再び繰り返さないように、何か当局の方で考えられていることでもありましたら発表願いたいと思います。
  53. 清水康平

    清水説明員 先般来高津先生、ただいまは前委員長お話がございましたように、この種の問題についての責任の所在、権威を高めるという点から、今後私ども反省すべきは反省し、改善すべきところは改善して参りたいと思っております。この問題につきまして、付属機関である博物館の一、二の技官がややもするとマス・コミあるいは業者との関係についていろいろと疑いの持たれることのないようにいたしたいという意味合いから、この前私は事務局長といたしまして付属機関館長を通じそれぞれの館におりまする専門技官にこの種の問題が今後出てくるであろうが、やはり学者としては正々堂々と自分研究経験発表するのもよいが、どうか権威ある学術雑誌発表すると同時に、やはり何といっても国家公務員であるから良識によって行動してもらいたいということを深く注意を喚起いたしました。それぞれの博物館長はそれぞれの技官にそれを通知し、また会議もして検討をいたしたという報告を受けておる次第でございます。  しかしながら、今後どうするかという問題につきましていろいろ検討いたしておるわけでございますが、東京国立博物館におきましては、この種のような問題あるいは発表というような問題は、今後非常に慎重にやらなければならぬというので、どうしてもやらなければならぬ場合は、やりたいと思うような専門技官がおります際は、それぞれの課長と相談をし打ち合わせをし、また学芸部長を中心にして打ち合わせて、そうしてこれなら差しつかえないというならば博物館として発表するのもよかろうというふうにきめて今日までやっておる次第でございます。京都におきましては、先般私館長に会いまして、先ほど濱野先生がおっしゃいましたようなことも申し上げ、今後どうするつもりであるかと申しましたところが、やはり学者としての意見発表は正々堂々と、堅実なりっぱな雑誌発表するのはよいが、発表の仕方については国家公務員であるからいかに慎重にやってもし切れることはないが、やはりこういうような問題が出た場合には、普通の技官ならば課長と打ち合わせ、また場合によっては自分も中に入って館としての意見をきめて発表するように努力いたしたい、かようなふうにも言っております。私どももそれについては今後そういう方法でより一そう慎重にやってもらいたいということを注意を喚起したような次第でございます。
  54. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 次に、だいぶ時間も経過いたしましたが、山中吾郎君から質疑の通告がありますからこれを許します。山中吾郎君。
  55. 山中吾郎

    山中(吾)小委員 今の問題について私委員長に提案したいと思いますが、局長がそういう趣旨の説明をされましたけれども、小委員会としてはやはり文書で今後そういうことのないように要望されてはどうかと思うので、あとでお諮り願いたいと思います。それは文化財保護委員会並びに付属機関における専門職の職にある者が絵画、彫刻その他美術関係の作品指定に影響あるような場合、同一人の特定の作品指定がある、そういうふうな場合においては、刊行物に発表する場合は関係機関の合議によるべきであるというくらいのことは、私は文書で文化財委員会から要望すべきじゃないかと思いますので、あとで一つ諮っていただきたい。そういうことをしておかないと、あとでまたその人をやめさせろという論が出て、逆に専門員を犠牲にするような場合が出てくると思うので、むしろ専門員を守る立場においても明確に——永仁のつぼもあったから、あとへあとへ出てくると思うのです。これは数学のような明確に結論が出る問題でないので、そういうことを要望いたしておきます。  私はこの問題については乾山の問題でも、永仁のつぼにしても、文化財保護委員会の公務員としてのあり方の問題であって、文化財保護一般の主流の問題ではないと思うのです。ジャーナリズムのいろいろな問題にはなっても、日本文化財保護のいわゆる主流の問題でない。個々の作品についての指定の仕方には関連をするけれども日本文化財保護という問題についてはもっともっと現在重要な曲がりかどにきていると思うのです。そういう意味において、これはこれとしてお聞きいたしたいので、その点について今後の対策というものを含んでお答え願いたいと思うのです。  その前に特殊な問題でありますけれども、今まで文教委員会において国内の危機に瀕しておる文化財保護のために二回視察に行っております。その一つは前々文教委員長濱野さんを先頭として平泉を視察したことがあり、前の櫻内文教委員長のときには奈良の平城京を中心に視察をしたので、これは国会の権威に基づいて視察をしたのでありますから、その後の処置について清水局長からお聞きしておきたいと思います。  第一に、平泉については金色堂がこのまま捨てておくと腐敗をするという状況になっておるので、その点について計画的に永久的な保存措置をとるということを、あの視察の結果、文化財保護委員会では具体的に計画をされたということを聞いておりますが、その後の経過について、その当時の濱野委員長もおられますから、ここで簡潔でけっこうですからお答え願いたい。
  56. 清水康平

    清水説明員 昨年濱野文教委員長を中心に、数名の委員先生方が平泉を中心にして御視察、その後日光の薬師堂の焼けましたことに伴う善後処置について御視察、そのあといわゆる大谷の麿崖仏について視察を願ったわけでございます。その際まことに適切な御意見、御要望がございまして、その線に沿いまして私ども文化財保護委員会といたしましても努力して参ったのでございます。要点だけ申し上げたいと思います。  御承知のごとく、ごらんになりまして中尊寺の金色堂が非常に腐りかけておるということは、行ってみましてびっくりいたしたような次第でございます。極端な例を申しますと、ものさしを柱にまっすぐ入れると、ずっと中に入ってしまう。しかしあれは全部ウルシで螺鈿をどういうふうにするか、解体修理にしても、できるかできないかというようなことを検討いたしたわけでございますが、その後専門技官も参り数次にわたる調査をいたしました。その結果、今年度から向こう四カ年計画で、あの金色堂を根本的な解体修理をいたすことになりまして、本年はあの上に仮小屋をつくり、そして現在重要文化財指定せられております覆屋を取りこわしたいということにいたしたいと思っておる次第でございます。全体の経費といたしましては、まだ細部にわたって検討する必要がありますが、大体八千万円くらいに達するのではなかろうかと思っておる次第でございます。しかしあれは最もむずかしい、最も大切な昭和の大修理の一つでございますが、金色堂の専門修理委員会を置きまして、藤島亥治郎東大名誉教授を中心にいたしまして、これからの解体方法、それからその後どういうふうに修復してウルシを塗って、螺鈿の問題がありますので、これは単に建造物の問題だけではなく、美術工芸関係も非常に密接な関係がありますので、最も慎重に今後進めて参りたいと思っておる次第でございます。本年から始まりまして四カ年計画でこれをやって参りたいと思っておる次第でございます。  それから大谷の磨崖仏の問題でございますが、これは御承知のごとくまことにりっぱなものでございまして、西に臼杵の磨崖仏あり、東に大谷の磨崖仏ありと言われるくらいりっぱな大きな作のもので、また内容のきわめて優秀なものでございましたが、御視察の結果、塑土が落ちており、また石がぼろぼろにこわれかけておる。これをどういうふうに修理して参るかということにつきまして、これもやはり東大名誉教授の辻村博士以下数名をもちまして修理専門委員会をつくりまして、われわれも入りましてこれを修理して参りたいと思っております。これは三十七年度から三カ年計画でもってやりたいと思っておる次第でございます。総経費といたしましては一千万円近くかかるのではないかと思っておる次第でございます。  なお、ここでつけ加えておきたいと思いますことは、行って御指摘のありましたあの辺は、いわゆる大谷石の産地でありまして、地下何百メートルの大谷石を掘っておりますので、それが大谷の磨崖仏に影響があるかどうかということが非常に心配だったのでありますが、地元の熱意と大谷石採掘の会社の理解によりまして、大谷の磨崖仏に影響のないように、そこに近いところは掘らないということに相なったのであります。  次は、日光の薬師堂の問題でありますが、濱野委員長以下御視察を願いまして、この貴重な国民的財産を焼けっぱなしでどうするのか、所有者がいまだにきまらないということはまことに遺憾である、東照宮と輪王寺側がよく話し合って、そうして所有権の所在をはっきりして一日も早く復旧することが日光にとっての最大の急務ではないかということをこんこんとさとし願い、どうしても二者で話し合いがつかなかったならば、知事が乗り出してあっせんして一日も早くこれの保存修理に着手すべきであるという適切な御意見がございました。その後紆余曲折がございましたが、結論的に申しますと、委員長の御意図を体しまして、栃木県知事が中に入りまして、当初いろいろ問題がありましたが、輪王寺側も東照宮側もすべて知事に一任いたし、とにかく私どもは所有権については、一時的に解決はするが、そう急に解決はできないから、栃木県としてこれを管理していただきたいという申し出が両者からございました。それに基づきまして知事は文化財保護委員会に来られまして、どうしてもこれは一日もゆるがせにできない、両者の依頼もあるので栃木県が管理団体となって、そうしてこれを保存していきたい、管理団体になると保存管理する責任があるので、従って修理も何とかいたさなければならないと思うがというお話がございました。その点を検討中でありまして、輪王寺も東照宮も知事に一任し、知事も責任を持って保存して参りたい、管理団体になるという御意見がございましたので、その線に沿うて現在事務は進行中でございます。この調子で参りますと、今月の下旬か来月の上旬には焼けました薬師堂について、これは金色堂とも申しますが、その管理団体が栃木県に相なるのではないかと思っております。そうして一日も早くこれを保存し、修理に着手しなければならないと思っておる次第であります。  この日光と大谷の磨崖仏、それから中尊寺の御視察についての私どもがとりました今日までの要点だけを、十分ではありませんが御礼かたがた御報告申し上げたような次第でございます。
  57. 山中吾郎

    山中(吾)小委員 委員会視察後の処理について、十分責任を持ってやられておることに敬意を表します。ただ中尊寺の場合に、大体総額の見込み、それから国庫補助、国の負担率、地元負担率、その点を数字だけでけっこうですから簡単にお答え願いたい。
  58. 清水康平

    清水説明員 これは全体計画としては、今のところは七千八百万円くらいかかると思っておりますが、実際やってみまするというと、もっとかかるだろうと思っておじます。地元負担と国の補助率との関係でございますけれども、三十七年度は素屋根などの架設物を建設すると同時に、重要文化財指定しております覆屋をわきへ持っていくための解体作業を行ないますが、それに要する経費が五百三十三万五千円かかる予定になっております。うち、国庫補助が三百二十万円、補助率は六〇%になっておりますが、率直に申しまして、地元の負担能力等を考えまするというと、六〇%でいいかどうか検討いたしております。その際は、全体計画として補助率も考えて参りたいと思っておる次第でございます。
  59. 山中吾郎

    山中(吾)小委員 もう少し明確に言って下さい。これは補助というのか、国庫負担というのか、国の責任でやるのかどうか。法律性格は別にして、総予算に対して地元では、最小限七五%以上国が持ってくれないと負担はできないのだ、負担能力から言ってそういう要望があり、その点については文化財保護委員会も、努力するということは事務的には聞いておる。七割五分以上の国の負担というものを前提としてこの計画を推進するということについて、明確にお答え願いたい。
  60. 清水康平

    清水説明員 本年度の国庫補助は六〇%になっておりますが、私どもほんとう気持から申しますというと、この補助率がやや低いのじゃないか。やはり全体としては、七五%を考えていかなければならないのじゃないだろうか。もし本年度六〇%になり、次年度は平均して七五%になるとすれば、その線に沿って全体を考えていくことになるだろうと思います。地元の負担能力を考えまするというと、六〇%ではちょっと無理ではないだろうかと思っております。七五%くらいに努力いたしたいと思っております。
  61. 山中吾郎

    山中(吾)小委員 ぜひその線で努力されんことを希望いたします。時間がないので、こまかい意見は次の機会に譲ります。  次に平城京のことですが、これもこの委員会視察に行っておるので、その後聞くところによると、国が買い上げるという方向で、文化財保護委員会が予算要求をしておると聞いておるのですが、それが事実であるのかどうか。それから大蔵省との関係において、大体どういう見通しなのか。閣議においては池田総理大臣が、直接平城京の保存について、国が買い上げ措置をとるべきであるということを発言したということも聞いておるのであります。そういう背景があるので、その点は既定の方針通りいっておると思うのですけれども、それはいかがですか。これも事実を述べてもらえばけっこうです。深い説明は要りません。国の買い上げ方針の見通しです。
  62. 清水康平

    清水説明員 平城宮跡の問題についてお答え申し上げます。この平城宮跡は、申し上げるまでもなく日本の遺跡のうちでは、表現はちょっとよくないのですが、横綱級の横綱で、最も貴重な遺跡であり、しかも非常に史跡が広い。しかも国で掘っておるというような立場から、従来はこの史跡の買い上げについては都道府県が買いまして、それに対して国が補助して参ったのでございますが、国が掘っておるということを、それから史跡の重要性と、あまりに広過ぎる。これを府県で買って国が補助するというのでは、どういうものであろうかという意味もあり、かつまたただいま山中先生御指摘がございましたような話もあり、またそれよりも私ども考えさせられたことは、建築学界、歴史学界、考古学界各種の学界の人たちはもちろん、各方面の文化人、それから一般国民がこれに対する熱意と関心が非常に高く、先般の国会に対する請願の数など見ましても二万件に達している。これは全く各方面の人でございます。それなどを考えまして、私ども事務局といたしましても深く思いをここにいたし、国でもって指定してあります土地十七万坪、未指定の土地約十四万坪、もちろんその中には県道もあり、それから近鉄も通っておりますし、あるいは人家の密集したところもございますが、そういう道路、近鉄の線などは一応除きまして、民有地全部を国で買い上げたいという予算を要求いたしておるのでございます。三十八年度概算要求といたしましては、未指定地全部を買う予定で、その金額が約十億、それから指定地の中には約三万六千坪が現在国有地でございますが、それを除きました約十二万坪、これを年次計画で買って参りたい、それが約九千万円、合わせて十一億要求いたしておる次第でございます。大蔵省ともただいま折衝中でございまして、今ここで結論的なものは、申し上げることは困難でございますが、事務的には必ずしも容易な問題ではございません。私ども事務当局といたしましても最大の努力をもって、今折衝中のところでいござます。
  63. 山中吾郎

    山中(吾)小委員 その線で実現することを期待しておるわけですが、ただこういう場合に文化財保護委員会として、平城京を保護するという総合計画を発表する責任があると私は思うのです。それで未指定指定、これは当然やらなければならぬでしょうから、未指定指定についての方針、それからこれを国が買い上げたあとで、文化財公園あるいは史跡公園として、緑地帯として全部保護するという方針を持っているのか、あるいは都市計画との関係において、旧坊条を都市計画と合わせて、昔の都の道路を残すような計画をみな含んで、全体としての総合計画を発表する責任があると思うのです。ただ買い上げるだけではなしに、そういうものなんかはお立てになっているのですか。
  64. 清水康平

    清水説明員 ごもっともなお話でございます。申し上げるまでもなく、買うこと自体が実は目的じゃないのでございます。法律的にいうと、買わなくても指定はできるのでありますが、これは言うべくして不可能でございます。所有権その他の財産権を尊重しなければならぬということになりますと、買って指定しなければ、三百何十人、四百人もの人の同意を得てやるということは、言うべくして困難であります。従いまして、どうしても国で買い上げまして指定するということが、第一段階であろうかと考えます。  それから、先ほど申し上げました通り国で発掘しているわけでございますが、本年までの計画は、大体年に三千坪しか掘れないのです。そうすると、この調子で参りますと、三十一万坪ですから、計算してみますと、十年かと思ったら、あにはからんや百年ということになります。百年間もあの奈良の平野のまん中を掘っていていいだろうか。もちろん学問でございますから、いいと言えばいいかもしれませんが、それではどういうものだろうかというので、来年度からは発掘の専門技官を増員いたしまして、大体今十人要求いたしておるのでございますが、十人要求して増員いたしまして、そしてこれを大体三十カ年計画で掘りたい。一部の地元の人たちは、五、六年で掘れぬかというお話がございますが、これは専門家意見を聞きましたり、各方面の今日までの経験などを総合いたしますと、五、六年でやるということは、発掘技術、発掘者の関係その他からいってむしろ不可能でございます。どうしても五、六年ではできない。ただいまのところは三十カ年計画でもって発掘いたしたいと思っている次第でございます。  それであとどうするかという問題でございますが、どことどこまでを——もちろん掘ってみないと、どこに出てくるかわかりませんけれども、しかし三十万坪がすべて大切な平城京旧跡であることは間違いない、大切なところは少なくとも緑地帯にするなり史跡公園としていかなければならないと思うのであります。この点につきましては、地元の県といたしましても、将来史跡公園あるいは緑地帯として参りたいという強い意向があるようでございます。その線に沿いまして、適当なときにわれわれの方針を発表いたしたいと思っている次第でございます。
  65. 山中吾郎

    山中(吾)小委員 僕は早く発表した方がいいんじゃないかと思うのです。予算要求するときに、国に買い上げて調査したあとは史跡公園として緑地帯にして全地域を保護する計画であるくらいは出すべきじゃないのですか。乾山などはそのうち落ちつくところへ落ちつくなんということは、これは私はあまり知らないからなんだけれども、こういうやつはもっと雄大な計画を先に先手を打ってさっと出して、そして一方に買い上げるという予算要求をして、そのバック・ボーンにするようなやり方を私はすべきでないかと思います。ただ調査を三十年したあと、ぼちぼち発表するなんということでは、そのうちまた同じような企業が入り込んで同じ問題を起こすのじゃないですか。私は、もっと一般の国民にも文化財についての認識を啓蒙するという意味も、これは現在の文化財行政の重要な課題だと思うのです。ことに現在のように埋没文化財について一々問題を起こしているのは、まず文化財に対する認識が不足で、啓蒙運動が文化財行政の中に足らぬということが一つ。さらに他の法令との関係が整理されていないということ。ここに、あとで聞こうと思ったのですが、難波宮の関係で陳情が各委員の方にきておると思うのですけれども、これを見ても、そこに合同庁舎を建てるとしますね。私は大極殿跡の現在を見たことがないから知らないけれども、各省、各官庁あるいはその他の法令との関係も未整理がある。民間の企業に対して文句を言うよりも、国家自体の中にあるいは地方自治体の中に、それを踏みつぶしていこうということがあるので、他の諸法令の整理ということが欠けておるのじゃないか。それと最後に、個々の文化財だけを保護して、地域の保護、総合的な保護法が現行法に足らないであろうと思うので、そういうことを含めてみると、こういう機会にもっと先手を打って総合的な保護計画を文化財保護委員会発表するということが大事で、調査したあと発表するとか、あとで地元の人の要望にこたえて、それに乗っていくということは手おくれになるのじゃないか。この平城宮の保存特集の「飛鳥」という本の中の平城宮跡をめぐる座談会の中でも、地方の人が上京して清水局長に会うと、とにかくみんなの世論を待っているんだ、みんなの上に乗ってやるんだ、あなた方はおそいということばかりを言って、いつも民衆の世論をわかしたあとでついていく、そういう状況というようなものが書いてあります。もっとこっちの方からどんどん出したらどうですかという感じがする。
  66. 清水康平

    清水説明員 おっしゃる通りでございます。この点私の方の舌足らずでありましたが、今私が申しましたようなことは新聞にも発表し、新聞にも出ておるわけでございます。ただ私がつけ加えたいのは、発掘計画が三十年でございますけれども、来年度予算をとりまして、どこからどういうふうに掘っていくかという問題はまだ発表しておりません。ただ私の考えといたしましては、この方八丁の門は何としても掘らなければならない、それから県道の南側、北側などはどうしても早くやらなければならぬというふうに考えておりますが、今申しましたような計画は発表いたしておるわけであります。ただ発掘の順序、方法についてはいまだ決定いたしておりませんが、これはできるだけ早い機会に専門家意見を聞いてやりたいと思っております。
  67. 山中吾郎

    山中(吾)小委員 結論を急ぎます。こういうことを申し上げるのは、現在現行法の文化財保護法について再検討すべき段階じゃないかと実は私は思うので、それで文化財保護委員会が現在の文化財保護法の改革に関する、あるいは再検討に関する見解を天下に発表されることを私は要望したいわけです。これは埋没文化財の地域保護の問題あるいは全国至るところに起こっておる重要文化財の火災の問題、あるいは個人所有の場合についての国の保護の方法の改善、相続の場合の相続税の減免であるとか、あるいは一方にこういう乾山その他の指定の中に投機的な経済的な行為が入って、指定が曲がってくるというような事例もあるので、一体総合的に現在の文化財保護の白書——このごろ白書が流行しておりますが、白書を出して、もう少し総合的な識見を白書の形でもけっこうですから、お出しになるべきじゃないか。各省はよくそういうふうにやっておりますけれども、どうも文化財保護の方は人の世論を待って、そのベースに乗って、あとで何とかしょうというふうな意識が多いのじゃないかと思うので、そういう総合的な白書あるいは保護法の改革案というようなものをお出しになるべき段階じゃないかと思うのです。私はお出しになることを要望したいわけですが、いかがですか。
  68. 清水康平

    清水説明員 ごもっともなお考えと思い、私も全く同感でございます。実は文化財白書と言っていいのかどうかわかりませんが、いわば白書でございましょうが、文化財の現状をそのまま訴えて、そして私どもの足らざるところを御議論を願う意味におけるところのいわば白書的なものを出したいと思っておったわけでございます。ところが言いわけがましくおとり下さるとまことに困るのですが、埋蔵文化財の全国の所在調査を今いたしております。それができますと、先ほどおっしゃいました学術発掘に対する、あるいは土木工事に対する発掘を現在の届出制を許可制にするかという問題がございますので、全国の史跡台帳をつくりましたならば、こういうところにこういう史跡があるのだということを載せる必要があるので、それまで待とうということで延びておったような次第でございます。いずれにいたしましても文化財の実情を白書的に記載いたしまして、世に訴え、またわれわれの足らざるところを御議論を願いたいという考えを持っておるわけでございます。一年おくれてまことに私どもとして残念に思う次第でございます。  それから文化財保護法の改正の意思があるかないかという問題でございますが、これは二つに分けて考えることができるのじゃないかと思っております。大きな機構的な問題はしばらくおきまして、現在文化財保護法は国会の議員立法でできたのでありますが、その精神の範囲内におきましてどういうふうに私ども考えていったらいいだろうか。現在与えられておる範囲内におきましてまず第一に考えなければならない問題は、例の発掘を許可制にするかしないかという問題であります。発掘が学術調査のための発掘とそれから土木事業による発掘と二色ございますが、ユネスコの勧告は、御承知のごとく学術調査の場合は届出制を許可制にせよという勧告がございます。それに土木の方をどうするかという問題もございますので、これも許可制にする場合には、どこそこにどういう古墳がある  日本に大体二十万近くあるのでありますが、どこそこにどういうものがあるかという所在調査をしませんと、たとい法理論的に許可制にするにしても、しにくいという関係がありますので、来年一ぱいで整理がつくだろうと思っております。そしたならば、やはりこれは改正したらいいじゃないかと考えております。あるいは史跡、名勝、天然記念物その他の現状変更がございますが、これを無断でやった場合どうするかというと、これに対しては、もちろん罰則がございます。ございますけれども、現在進行中の現状変更に対して停止命令の規定がない。これでいいだろうかどうだろうかというようなことも検討いたしております。罰則をもう少し強化すべきじゃなかろうか。しかし文化に関する法律にきつい罰則がなければ守れないということは、まことに私どもとしては残念でありますけれども、そういうようなことも検討いたしておるわけでございます。その他二、三、現在与えられておる範囲内におきましては考えておる次第でございます。あるいは都道府県との関係をどうするかという問題があります。それが現在与えられた法律の範囲内でございますが、機構の問題になりますと、これは重要な問題でありますので、もし御質問があればお答えいたしますが、以上で私のお答えといたしたいと思います。
  69. 山中吾郎

    山中(吾)小委員 そのうち白書を発表するというので期待いたしております。ただ今お聞きしているだけで心配なことが一つあるのです。それは文化財保護と観光行政の関係において、文化財のあり方の中に矛盾が出てくる。指定を受けることをきらっている人がある。それから逆に指定を受けることによって金もうけしようとして、すぐ旅館か何か建てるつもりで指定運動をする人と、指定を拒否する人と二つあると思うのです。中間がないのですね、正当な指定を希望する人が。その中に、理屈でなしに、文化財保護する立場から、観光行政と調和をとる必要がある。私は、現在も将来も、必ず理屈でなしに考えなければならぬ問題があると思う。だからそういう計画を立てるときは、企業の立場に立つ人と、観光行政の立場に立つ人、そういう人と、こういう文化財保護学者の人と合わせた審議会かなにかやはり持って、最初に間違いのないようにすべきじゃないか。どんなに苦しい論議があっても——たとえば、岩手の例を引いても、いつか局長に話したけれども、いわゆる鐘乳洞、これは学者ばかりに頼んでいるのですね。そして何キロという深さがあるのだけれども指定を受けると、今度は中に入っていく穴をあけるにしても、絶対きかない。保存の立場というだけで、現形変更ですから……。そこで町長にしても、自然の形を残すためにあらゆる苦心はしておるけれども、中に入っていく穴をあけなければ入れないという場合でも、文化財保護だけの学者が、理屈なしに押えていく。だから指定を延ばすわけですね。指定を延ばして、大体観光行政と自分の地域における文化財保護というものが成り立つように、先に工事をしたあとで指定を受ける、こういうことをやらざるを得ないような状況にあって、これは理屈でなしに、文化財保護と観光行政というものを総合的に考えなければ、結局は、指定しないうちに、今度は逆に、どうすることもできないような不良文化財が周辺に集まるということになるわけですね。そういう点は真剣に考えてもらいたい。これは現実にあるのです。そして、罰則ということがさつき出ましたけれども、この罰則というのは、かえって文化財保護をつぶすと思うのです。そういうことを考えないと、奈良の付近にいろいろの宿泊施設ができると同じですから。そういうものをもう少し総合的に考えて、本年度ぐらいの間に、今の白書の問題と保護法の改革の問題について考えるべきだと思う。そういうことを考えるので、観光行政の資源としての文化財という位置を考えるべきで、文化財行政と観光行政を二元的に考えないで、むしろそういう意味においては統一的に考えて先手を打つべきだ、そういうことで御検討願うべきじゃないかと思うので、申し上げたわけです。  防火の関係その他のことについても申し上げたいけれども、だいぶ委員長、早くやめたいような顔をしているからやめますけれども、とにかく河原委員長が、この論壇の「日本文化財」という中に書いているのを見ると、委員長は、文化財は大事だ、保護しなければならぬと書いているが、対策とかには少しも触れていない。今後どうするかという識見はどこにもなく、大事だということを説いているだけですね。だから行政庁として、最高責任の官庁ですから、——国務大臣が委員長でないので、将来に対する責任のある対策を含んだものを出さなければならぬのであって、文化財関係の人たちは過去のものを指定するかしないかということだけで、そうして委員長その他は大事だということだけを説いて、行政的に将来どうするかというようなことがどこにも文章に出てこないということでは、私は解決は永久にないんだと思うので、清水局長も少し識見を出して——あまり遠慮ばかりしないで、用心深い答弁ばかりで苦しまないで、こういうことでないときに、私はどっと大胆な、雄大なやつを出して、そうして批判を受けるなら頼もしいと思うのですね。しかし、言われても、予算要求の資料というようなことになるとめんどうだから、そうでないときに、一つ大上段に保護法の大改革案を、五カ年計画でもいいし、本年度中に出すことを期待したいと思います。そういう一つの、私の言ったものも含んで——白書というのは事実を分析するだけだから、白書にプラス・エックスをしたものを、今後の総合的な、行政的な見解を含んだ一つ保護改革案ぐらいなものをお出しになるべきだ、その点委員長にも進言をしていただきたい。
  70. 清水康平

    清水説明員 だんだんと、まことに貴重な御意見を拝聴いたしました。  機構の問題につきましては、きょうここでちょっと申し上げられないと思っております。  それから今後の対策その他の問題につきましては、いろいろ意見を持っておりますが、今後いろいろ御鞭撻をいただいてやりたいと思っております。  それから白書の問題につきましては、私先ほど申しましたように、今所在調査をやっている関係がありますので、それが済みましたならばやりたい、その時期は来年の春ごろになるか、あるいは七月ごろになると思いますが、そのつもりでいる次第であります。
  71. 中村庸一郎

    ○中村小委員長 先ほど山中委員より、各技官の行動に対して文書をもって申し入れをしろという御提案がございましたが、それは本委員会でないとできませんで、小委員会ではできませんので、本日は承っておくことにいたします。  それでは、本日はこの程度にとどめまして、これにて散会いたします。    午後零時五十九分散会