○原参考人 今、
委員長から御紹介のありました
日本紡績協会の
委員長をしております原吉平でございます。
本日は、わざわざ当商工
委員会におきまして、わが国綿業の
実情についてお聞き下さる機会をお与え下さいましたことに対しまして、厚くお礼を申します。
私が本日申し上げようといたします趣旨は、日本の綿
紡績業はわが国の最も重要な輸出産業としまして、戦後の日本経済復興の上に大きな役割を果たしてきたばかりでなく、今後におきましてもわが国の貿易拡大のために貢献する重要な輸出産業であるということでございます。それにもかかわりませず、今日の綿
紡績業は、昨年の下半期以降の深刻な不況によりまして、大きな困難に見舞われました。もしこのままの状態に放置しておきますならば、ひいては日本の経済を混乱に陥れ、やがては輸出産業の根幹であり、また自由化に最も強い産業といわれておりますところの日本の綿業が、だんだんと衰微して参りまして、長期的に見ますならば、いわゆる第二のマンチェスター、または第二の石炭産業になるおそれがあるのではないかということを憂えるものでございます。
もちろん昨年以来の不況は、ひとり綿
紡績業だけではございません。他の多くの産業に対しまして、また国民生活の多くの面におきましても、非常な深刻な影響を与えておるのでございます。そのために
政府におかれましても、これが打開策につきましていろいろな政策がとられておりまして、日銀公定歩合の引き下げを初めといたしまして、景気回復策をおとりになっておるようなわけでありまして、私は、それらの政策が効果的に行なわれて、景気回復の成果を一日も早くおさめられることを期待しておるものであります。しかし、これから私が御提出申し上げるところの「構造的不況下の綿
紡績業について」というパンフレットがございますが、この資料に詳しく述べておりますように、今日の綿業界の不況は単に周期的な景気循環であるばかりでなくて、綿業自体あるいは繊維産業自体の中に内在するところの幾つかの構造的な要因によりまして、より大きく、より深く影響せられておるということを私は特に申し上げたいわけであります。一般景気の回復とともに、綿業における不況もある程度は改善せられるでありましょうが、それらの構造的不況要因は、景気の変動にかかわらず、いつまでも綿業界の内部に介在いたしまして、そのために綿業界は今後一般景気のいかんに
関係がなく、常に不安定な状態に置かれまして、輸出産業としての使命を達成する上にも、大きな困難を生ずるであろうことを心配するわけでございます。
時たまたま繊維工業設備臨時措置法の改廃が問題となっておりまして、
政府におかれましても、繊維工業設備審議会におきまして、この臨時措置法改正の問題のために小
委員会が設けられ、私自身といたしましてもこの小
委員会に
委員といたしまして、それに私の私案を提出して御
検討を願っておるようなわけであります。問題はもちろん多くの異なった見地から
検討されなければならないことでございますが、私の考えによりますと、この際繊維産業安定振興法ともいうべき基本的な事業法をもって現行の臨時措置法にかえていただいて、それによってひとり設備の規制だけでなく、繊維産業構造の合理化とかまた輸出振興体制の確立というような根本的な問題を解決してもらいたい、こういうふうな考えであるわけであります。
従来、綿製品は戦前わが国最大の輸出商品でありましたばかりでなく、昭和八年から第二次大戦にかけましてわが国は世界最大の綿織物の輸出国でございました。戦争の結果、われわれが多年開拓して参りましたところの世界各地の市場はすべて失われて、特にインドとかパキスタンの綿業が戦争中に発達し、また中国におきましては革命が起こりまして、これらの大市場が永久に失われてしまったわけでございまして、これはわが業界に非常に大きな打撃をこうむったわけでございます。しかし、戦後におきますところの官民の努力によりまして、綿製品の輸出は最も早く回復いたしまして、特に昭和二十六年からはわが国は再び世界最大の輸出国となったのでございます。
綿業が戦後におきます経済の復興、発展にいかに貢献したかということは、今提出します資料によりましてごらん願いたいのでございますが、これを一口に申しますならば、昨年一年間の綿製品の輸出は約四億六千万ドルで、総輸出四十二億ドルのうちの実に一一%を占めております。単一種類の商品グループといたしましては最大のウエートを占めておるわけでございます。
綿製品輸出の将来につきましては、いろいろな悲観論も行なわれております。その
一つは、わが国の綿製品輸出の六割以上を占めておるところの後進地域市場においては新興綿業国との競争が激化し、あるいはそれら諸国の自給度が向上していることを
指摘する人もございます。また他の
一つは、米国、欧州、大洋州などの先進国市場では、それらの諸国にある既成綿業との競合によってあるいは輸入制限を受け、あるいは輸出の自主規制をしなければならないことを言う人もあります。それらの理由は確かに日本綿製品の将来の輸出が数量的に見て大幅に伸びることは困難だということを物語っております。
しかし、国際競争力強化のためにわれわれが不断に続けておりますところの努力の結果、われわれの輸出しますところの綿製品は、はるかに労働条件の低い新興綿業国の製品と競争して市場を維持しておるわけでございます。また先進国市場向けの輸出につきましては、先般成立しました長期の国際繊維
協定によりまして、われわれが秩序ある輸出を維持する限り、輸入国はその輸入制限を漸次廃止しまして、また輸入数量を漸増することになっております。その成果はすでに西欧諸国の対日綿製品の輸入ワクの拡大となって現われておるわけでございます。しかも今日までの輸出振興の努力の結果、資料に示しますごとく、輸出綿製品の加工度は年々向上し、その単価は上昇しております。
今や世界の貿易はEECの発展、米国の
通商拡大法の成立、日本の自由化などによりまして見られるごとく、拡大かつ国際分業の方向に向かっておることは御
承知の
通りでございます。ただ、この際注目しなければならないのは、英国その他EEC諸国の先進国におきます綿業の著しい合理化の進捗でございます。英国について申し上げますならば、英国は一九五九年に綿業法という法律を制定いたしまして過大設備を処理縮小し、残存設備の近代化、合理化を補助する。そうして第一段階といたしまして一九五九年の四月二十四日より一九六〇年の三月三十一日までにスクラップにしましたものは実に紡機四九%、一千二百四十四万錘、より糸が三六%、五十七万錘、織機四〇%、十万四千台、こういうような膨大なものが処分されました。もちろんこれには
政府の補助がございまして、約千百八十四万ポンド、約百十八億円の補助をして、かくのごとく過剰設備が処理されております。そして第二段階といたしましては、再設備の合理化に関するものでございまして、五九年の四月二十四日より六四年の七月八日までに行なうものにつきましては、機械設備価格の二五%までを
政府より補助するということになっております。去る七月七日に締め切られましたところの再設備補助申請は約一億ポンドに上ったということが伝えられております。その他機械だけではありません。いろいろな会社の統合等が活発に行なわれておるということが新聞紙上にも報じられております。
またフランスにおきましても、一九五四年以降五カ年間の計画として据付紡機の五四%に当たる四百六十万錘を
廃棄、織機は六二%に当たる十万五千台を
廃棄、その半数を新規機械に置きかえようという計画がございます。費用は、新規紡機一錘二万一千五百フラン、織機一台九十万フランとして、新設のみで一千億フラン、その他の経費を含めて千二百億フランと推定されておるわけでございまして、資金は自己資金、銀行の中期融資、
国家の長期貸付等で調達するというようなことを言っております。さらに一九五三年三月には、フランス綿業連合会内に転業あっせん部が設けられて、銀行協会協力のもとに一九五五年末現在で百七十二工場が閉鎖されております。また最近では七つの銀行及び綿業連合会の出資で綿業構造改革
研究会社というものが発足いたしまして、合理化に助成しょうとしております。
それからオランダにおきましては、企業の大幅な統合が行なわれておりまして、現に一九五八年に二社が合併、さらにその後多くの会社を合併しまして、非常に大きなニイベルダン・ペンカートという会社ができております。それから一九六二年の六月には四つの
紡績と三つの織布会社が合併して、ネーデルランド・テキスタイル社というものができております。そのほかアフリカ向け織物のために二つの会社が合同して、汎プリゲェン・アングロシュミット・エクスポート社、こういうような会社ができておる。こういうふうに欧米の先進綿業国におきまして非常に顕著な合理化が進んでおるわけでございます。
従いまして、このような客観的な条件のもとにおきまして引き続き綿製品の王座を維持していくというためには、企業個々の努力だけではなかなか不十分でございまして、この際どうしても法律または税制の改正によりましてこの構造的合理化をはかる必要があるのではないかと考えておる次第でございます。
次に、
紡績の構造的不況要因について御説明申し上げますと、戦後におきます綿業の不況は、すでに二十七年、三十年、三十二、三年に次いで今回の不況で第四回目でございます。これらの不況の推移及びその影響が漸次深刻さを増してきた事情につきましては資料の中に詳しく説明しておりますが、これらの不況の経験を通じましてわれわれが特に痛感いたしますことは、綿業の不況はもとより一般景気変動の一環ではございますが、他方幾つかの綿業独自の不況要因を持っており、しかもそれらの不況要因は日本綿業の構造自体の中に深く根ざしておるということでございます。その根本的な問題は、近年におきます綿業の不況は、需要の減退によって供給過剰が起こるのではなくて、輸出内需の需要は、むしろ増加しており、あるいは横ばいであるにかかわりませず、供給力そのものが生産性の著しい向上と相待って、絶対的に過剰であるということ、すなわち綿
紡績業の過剰設備は構造的なものであるということでございます。これを今回の不況について申しますと、昨年秋に不況が始まって以来、相場の低落や在庫の増加は著しく、昨年の十二月には二十番手綿糸の三品当限相場は百二十四円、三十番手の当限が百四十円というような戦後最安値を記録いたしまして、本年五月末には綿糸布の在庫が七十九万八千コリというような記録的な滞貨が生じました。これは昨年八月末の在庫に比べますと十万コリの激増でございます。しかし、昨年じゅうの輸出内需の合計は二百九十四万コリで、一昨年の二百八十八万コリに比べまして明らかに増加しております。この在庫増加の主要な原因は、本年一月に操短の強化を行ないますまで、三十三年以来綿糸の生産が一貫して増加し、特に、一昨年は二百九十九万コリ、昨年は三百四万コリと戦後の記録をつくっているからでございます。しかしながら、このような過剰供給力や過剰生産は、決して
政府や業界の自由放任によって生じたものではないことを御記憶願いたいと思うのでございます。日本の
紡績業の生産設備の過剰が初めて問題となりましたのは、昭和二十七年の不況時のことでございますし、
政府の綿紡増設に対します確認打ち切りは二十七年末でございます。そして昭和三十一年の十月一日からは、繊維工業設備臨時措置法による設備規則が行なわれております。過剰生産の著しかった昨年じゅうにも、臨時措置法に基づいて、長期、短期を含めまして二四・五、輸出用別ワク生産を差し引きましても一実質一四・八%ないし一七・二%の格納を行なってきたのでございまして、他産業の場合のごとく設備投資の過剰が今日の不況を招来したというような事実は、綿
紡績業界には全くないわけでございます。しかし、貿易の自由化に備えまして行なわれました各企業の合理化努力は、需要の増加を上回る生産性の向上をもたらし、その結果、供給力の過剰、在庫の増加となったわけでございます。
近年におきます生産性の向上がいかに目ざましいものであるかということは、この一年間に二十番手一日一錘当たり出来高が〇・七七ポンドから〇・九六ポンドへと、約二割五分方増加、同じく一コリあたりの所要人員が六・六九人から五・九二人へと一二%方減っておることからも知ることができるわけでございます。このような生産性の向上は、自由化に対処するわが国の綿業としてはもちろん望ましいことには相達ありませんが、
紡績業における過剰生産力を構造的なものとして固定したことになっております。
以上の事態に対処いたしまして、われわれは現在三六・三%という高率の格納によりまして、ようやく需給の均衡を維持し、在庫も九月末現在では七十一万コリ台に低下して参りましたが、このような高率操短を長期にわたって継続することは、自由化後におきまする国際競争力を維持するゆえんではないし、特に金融的に薄弱な
中小企業にとっては、大きな負担となるわけでございますので、この構造的な過剰設備に対しましては、単に当面の糊塗策だけではなくて、根本的な対策を考えなければならないわけでございます。綿
紡績業の過剰設備は、単に登録精紡機九百二万錘のうち、長期格納が百万錘、短期格納が二百八十万錘に上っておるという量的な問題だけではございません。この過剰紡機が少数の大企業と並んで、多数の
中小企業によって保有せられておるということは、きわめて重要な問題だろうと思います。
紡績業は
通常大企業が中心となっているというようなふうに考えられておるわけでございます。しかし、綿
紡績工場の経済単位は大体五万錘というのが常識でございますが、現在の綿
紡績会社百三十九社のうちの百七社、約七七%はこの五万錘未満の企業でございます。特にそのうち一万錘未満の小規模の会社が四十三社、すなわち全体の三一%にも達しておるわけでございます。このほかにいわゆる特綿とか特繊
紡績とかいうような専業が百十四社でございます。さらに綿スフ織布専業者一万三千、縫製業者約八千、メリヤス製造四千六百、こういうような多くの企業は全部が従業員百人未満の小企業でございます。このような多数の中小件業を主体とする綿業の構造が、金融引き締めの当初におきまして、綿糸布が換金材料として投げ売りせられて、綿業不況を促進した原因でございます。綿業におきます需給調整がとかく乱れがちな原因でもあるのでございます。また労働者に対する不当な労働条件も、これら小規模企業において起こりがちなのは自然の傾向であろうと思います。もちろん
中小企業の中には、その製品もりっぱで、その経営においても大企業に比べて少しも遜色のない企業も少なくありません。しかもこれらの多数の
中小企業の存在は、日本綿業の現実でありますので、この構造を無理に変更するということは困難でありましょう。また一部業界の中には、現在の不況を克服し産業の合理化をやるためには、経済の原則に基づいて自由競争をこのまま続けたらいいじゃないか、こういうような議論をする人もございますが、もしもこれをそのまま放置いたしますならば、まっ先に犠牲をこうむるのは、これら幾多
中小企業であろうと思います。また世界的に経済変動が激しい現在におきまして、そのままに放置しますならば、多大の整理に時間を要するということは明らかであろうと思うのであります。そして貿易自由化後の日本の綿業にとりましては、どうしてもこの際はまず過剰設備というものを処理して業界を安定せしめて、そうして国際競争力を維持し、合理化を進めていきつつ、また企業規模も統合ないしは系列化によってだんだんとこれを合理化していき、さらに激しい競争力に耐え得るように育成指導していくことが、日本綿業全体のためであろうと考えております。
私は、また特に日本綿
紡績業の持つ構造的不況要因、中でも設備の構造的過剰の問題を解決し、
紡績業界の安全合理化をはかることは、同時に
紡績業につながるところの幾多の織布業者を初めとする
中小企業者の経営安定をもたらすものであろうということを、特にこの際強調したいわけでございます。
次に、綿
紡績業の設備過剰を一そうはなはだしくしておるものとしまして、多数の無登録精紡機が存在し、そのうちに繊維工業設備臨時措置法の制限に達反して、綿糸のやみ生産を行なっておるものがはなはだ多いということを申し上げたいわけでございます。それらのやみ紡機は
通産省の取り締まりにもかかわりませず、毎月約三万コリ正規の生産の約一割五分にあたる三万コリがやみ紡機で生産せられておると推定せられておるわけでございまして、法に従って正直に設備規制を行なっておる業者の需給調整を混乱せしめておるわけでございます。このようにやみ
紡績の弊害が増大しておりますのは、
通産省の取り締まりが徹底しないからだとの非難もありますが、根本的には現行の臨時措置法が事業法でなくて、単なる物の法律でありまして、無登録設備の設置そのものを禁止してないからでありまして、この点を改めることなしには、やみ
紡績の問題はなかなか解決できにくいのではないかと考えております。
次に臨時措置法の問題に移りますと、繊維工業設備臨時措置法の改廃が問題になりましたのは、このような背景のもとに生じたわけでございまして、臨時措置法の期限が切れますのは昭和四十年六月でございますが、昨年の秋以来の客観情勢は、それに先だって、この法律の改廃を
検討することを必要ならしめておるわけでございます。そのために、先ほど申しました繊維局におかれては小
委員会を設けて、本年の三月以来種々
検討されまして、この十一月十二日をもって第九回目の小
委員会を迎えることになっておりまして、この小
委員会におきまして、いわゆる原私案、土屋私案というようなものを基礎として
検討を行なっております。私の提出いたしました原私案は、貿易自由化後の日本繊維産業のあり方を想定しまして、これに対処するために多年にわたる私の理想を描いたものでございまして、具体的な問題やこまかい点につきましてはさらにさらに
検討、調整しなければならないと考えておりますが、この際繊維産業ないし綿
紡績業の現在の状況から申しまして、少なくとも次のような諸点だけはぜひとも実現していただかなければならないと思う次第でございます。