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板川委員 まあ、公取としては、とても今の人員、権能等では、こういう
産業秩序のような問題にとり組むわけにはいかないでしょう。しかし、本来からいえば、公取が主導権を握って
産業秩序というものを
考えるというのが筋道だと思うのです。これは私の
意見ですから、それはそれとしておきましょう。
産業秩序を
考えた場合に、私はさっき
宮澤長官も言われましたように、公的な、公共事業的なものと
私企業的なものとが
日本の
産業ではお互いに入り乱れておる。たとえば、公共的な事業である鉄道が、私的な事業である観光事業あるいは旅館、ホテルその他もろもろな私的事業を兼業しておるというふうなこと、あるいは非常に公共性の強く要求されておる電力等が、これまた
私企業的な原則の上にある。こういうところに私は今の
産業秩序の面からいって、どうもすっきりしないものがあると思う。本来ならば、
産業秩序というのは、これは社会党の
考える社会主義社会であればまた別ですが、今の自由主義
経済の中で
考えた場合に、公共性を持つ部門、ここには私はもっと
政府の意思なり、国民の意思というものを
政府を通じて出して、公共的な事業を規制するということは当然であろうと思う。これはもっと強くなっていいと思う。そういう
意味でこの公共事業部門における二重
投資あるいは不要な
競争、こういうことを避ける
意味においても、
政府干渉というものがもっと強化されてもいいのではないか。しかし、私的な
企業、ここにはいわゆる
自由経済の原則というものをやはりきびしく行なっていくべきじゃないか。しかし、これは
経済の民主化を原則としての話でありまして、
自由経済で大資本がどんどん強くなっていいという
意味ではないのです。結局、公共的な事業の面には社会主義的な要素をもっと取り入れてよろしい。そういう場合には
計画性を持つことになる。従って、
政府の干渉も強くなり、
政府のこれに対するいろいろな援助も当然それに結びついてくる。しかし、他の一般の
企業になりますと、これは
自由経済の原則の中で、いわゆる
独禁法の精神なりを保ち、そうして
競争の中で
国際競争力なりをつくっていく、そこへ
政府があまり干渉をするということは、新しい
産業秩序の
方向としてあるべきでない。ところが
政府の
協調方式というのは、この私的な面と公共的な面と混同しておって、そこで両方へ
政府の干渉を持ち込もう、こういう形をとろうとしておる。だから
責任がはっきりしなかったり、とらないと言っておるけれども、とらないのでは、これは
企業だってあまり大して魅力がないということになるでしょう。だから、いわゆる混合
経済といわれるように、公共的な面に社会主義的要素を入れる、
私企業的なものは資本主義的ないいところを牛かす、こういう形の中に新しい
産業の
秩序方向というものがあるべきではないか。ところが
日本はそうじゃなくて、電力、私鉄等に見られるように、公共的な面で
私企業的な要素があり、
私企業にまた公共的な要素を要求するという形で入り乱れておるところに
産業秩序の非常にめんどうくさいといいましょうか、やりづらい点があるぜろうと思うのです。ですから、
政府のいう
協調方式というのは、そういう
意味では決して新しい
産業秩序ではない。これはいわゆる
池田総理も言っておりますように、官僚が新手の若手財界と結びついた
統制経済への復帰だ、こういうことを
池田総理でさえ言っておるのですから、そういう
統制のにおいがどうも強くなる。しかも
協調会議では、カルテルは自由だ、これは
独禁法なんかどっかへやっちゃへというような形になってしまう。
独禁法は全く有名無実化しておる。そうしてお互いにカルテルを好きほうだい結んで、
経済が硬直
状態になった場合に、この
責任は
政府は負わないという。それじゃ国民が困る。そういう
建前からいいましても、
産業秩序としては、
政府の
協調方式というのはこれは問題があると思う。そういう
方向でなくて、いわゆる社会主義的な
計画経済的なものを公共部門に大いに取り入れ、
私企業の面は
私企業のよさを生かして
競争さして、そして
競争の中から
国際競争力を養わさせる、こういう形にあるべきじゃないでしょうか。
政府が中に入って
合併集中をあっせんしていくという
やり方は、私は戦時中の
企業合同と非常に共通しているものがあって、これは決していい
秩序の
方向じゃないと思うのですが、いかがですか。