○滝井
委員 早く動けるためには、一体どうしたらいいかという答えを出してくれないと困る。だから私は、きわめて遠回しに、がんこに
医療協議会に入るまいとする人々を説得する材料を今いろいろ積極的に出してみておるわけです。政治というのは、昔の政治家が言っておりましたが、偉い政治家というのはできるだけ問題を延ばすことだ。こういうことになると、まさに
厚生省は偉大な政治家がおるらしい。足もとから火が燃えておるにもかかわらず、じんぜん
日本医師会と次から次とけんかする材料を出しながらうまく延ばしていく。これは、だれが一番困っておるかというと療養担当者が一番困っておる。自分の生活をやるのに、ほかのものは上がっても
医療費は上がらないのですから、その結果は一体どこにいくかということです。私は
医療担当者が困っておるだけなら目をつぶるのです。その結果は、そのしわが患者にいくということです。これは私のヒューマニズムが許さないのです。だから早くしてくれというのです。それを妨げるやつは一体何者だということを追及せざるを得ないのです。だから私はいつも言うのです。その
実態を私は今から少し簡単に言いますと、こういう
実態で
地域差もそのままだらだらと引っぱっていく、
医療費の改定についても三円にして下さい、三円が最小の要求ですといったのを一円五十銭ぐらいでお茶を濁している。従って、
病院というのは優秀な看護婦も集まらなければ、医者も集まらぬで、荒廃をするという
状態が出てきている。浜松かどこかにりっぱな
病院を建てたけれ
ども、看護婦が集まらぬで、
病院を建てたばかりというような
状態が出てきている。これはまさに
政府の低
医療費政策、
医療問題の引き延ばし政策というものにひっかかって一番苦労しておるのは、療養担当者も苦労しておるが、大衆も苦労しておるということです。そこでその
実態を見てみますと、もはや甲表の
存在の意義がなくなってきたのですね。
厚生省が、あなたではない、かつてのだれかがうまく甲表のようなものをつくった。当時あなたは次長だったのだけれ
ども、僕は反対した。つくった結果どういう
状態が今出てき始めたかというと、甲表の
病院が困ることが出てきた。これは
昭和三十三年の十月に甲表ができたわけですね、そうして三十四年の五月、六月、七月とあなたの方は統計をおとりになるのですから、これはあなたも統計をお持ちのはずですが、そうしますと、
政府管掌の健康
保険が一番典型的ですから、それの診療行為別の点数の百分比率をずっとごらんになりますと、甲表をつくる
理由としては、今の
日本の
医療というものは投薬、注射が多いから甲表のような合理的なものをつくらなければならぬということなんです。その根源は、サムスがやってきて
日本の医者は薬を売っておる、
日本の歯科医は金を売っておる、
日本の薬剤師は熊の胃を売っておる、こういうことではいかぬのだ、技術料を中心にものを
考えなければいかぬのだということで、その
体系を受けてできてきたのが甲表なんですよ。そこで甲表になれば投薬と注射がずっと減っていくというのが、当時の館林
医療課長の
説明だった。そこで私は、さあ甲表で投薬、注射が減ったら私があなたにひざまずく、しかしそうでなかったときには、これは間違っておったと言わせてあげますよと言っておった。ところがそれからしばらくたって、やってみたところが平均薬価が十七円、それから皮下注射が二十三円、静脈注射が三十四円というコンスタントのもので規定をされておるために、高貴薬ばかり使われた。そうして
医療費の中における投薬と注射というものが、むしろ上がる傾向が出てきた。そのときは一応中間報告だったのです。それで今度は私は、三十三年、三十四年、三十五年、三十六年、三十七年と五年たったので、そのずっと経過を出してみてもらった。ところが、どういう結果が出たかというと、これは小山さんが私にいつか
説明したように、
日本における入院料というものがぐんと下がってき始めたのです。すなわち結核がパス、マイシン等の抗生物質ができたために入院しなくてもいいようになった結果、自宅療養でなおるようになった、軽いものは通院でなおるようになってきた、そして入院が減ってきた。
昭和三十四年の五月から三十六年の五月を比べてみると、一割入院が減ったのです。この減った一割を
病院は一体どこで補ったかというと、投薬で四%程度補った、そして注射で三%補って、検査で二%補った。この検査はますますふえる傾向にあります。しかし幾らたくさん検査したって患者はなおらないのです。検査というものは病気を見つける手段にしかすぎない。検査料がどんどんふえていったって、病気はそれだれではなおらない。やはりそこに適切な治療が加えられなければならぬ。ところが甲表の
実態を見ると、結局投薬と注射が減るどころじゃない、ふえてきておる。これを見ると、
厚生省が金科玉条として甲表をつくったその理論が実質的にはくずれたのですよ。入院の減ったものは何で補ったか、
病院としては生きていくためには投薬と注射で補わざるを得ない、最近流行の検査で補わざるを得ないという
状態が出てきつつある。そこであなたの方が
医療監査その他でだんだんすると、どこに逃げていくかというと、検査で逃げていく、こういう形が出てきた。検査がふえたって病気はなおらない、こういう
実態が出てきた。統計的に見ると、
実態としては中表の合理性はくずれたのです。乙表は、これは投薬、注射が初めから多いということで、入院が減っても今までの理論からいえば当然です。小さい
医療機関は投薬、注射以外にないのだから当然です。従って、乙表は依然としてそうだけれ
ども、乙表にかわる甲表というものがそうじゃなくなったということは大問題です。しかも甲表を採用している乙地区の
病院というものは、だんだんやっていけなくなりつつある。こういうところにもう甲表の矛盾が徹底的に出てきたわけです。だから、やはりこれを統合せざるを得ないという、こういう形です。甲乙二表を一本化の
方向に持っていかざるを得ない、同時に、これが医界をきちっと戦線を整理することにもなる。目病、新目病、あるいは医師会、歯科医師会と、あなた方がみずからまいた種でさんざん苦労したものを、因果はめぐる小車ですか、というように、あなたの上役である高田さんがおつくりになったものを、その当時協力しておつくりになったあなたが刈り取らなければならないという運命になった。ちょうど
昭和二十五年の単価を上げるときに、橋本厚生大臣が、何年かして後に厚生大臣になって紛糾しなければならぬという、そのまいた種がちょうど五年にしてあなたに出てきたわけです。だから、これは
一つあなたの在任中に甲乙二表を一本化して、そうして乙地区における甲表の
病院がやっていける、生きていかれる姿をつくらなければならぬ、ストライキが起こらぬ姿をつくらなければならぬ、争議行為に大きな制限を加える通知を出す前に、こういう点のはっきりした態度が必要になってくるわけです。そこで、こういう形を見ると、甲乙二表の一本化も速急にやらなければならぬという事態が出てきた、矛盾が出てきた。これもやはり
医療協議会が必要になってきた。そうしますと、
医療協議会の
必要性の問題というものは山積をしておるわけです。そのほか、ガンの治療の薬等も緊急を要するといわれておる。それで、じんぜん十カ月ですからね。だからここらあたりでやはり
——私が主張すると、それをあなたはねじ伏せるとおっしゃるけれ
ども、ねじ伏せるのではなくして、こういう客観的な情勢があるんだから、
一つがんこなことを言わずに入ってもらいたいということを言うのが当然です。しかしそれは、あなた方がなお偉大な政治家として
存在したい、物事はどんどん伸ばしたいというお
考えならば、これまた話は別です。しかし、お互いにヒューマニズムを持って、この一番困っている
日本の患者大衆、貧しい
国民大衆を救おうとするならば、一日も早く発足せしめる努力をすることです。これは、していないとは言わない。していないとは言わないけれ
ども、十カ月も結果が出ないから、していないと言われても仕方がないじゃないか、こういうことなんです。これはどうです。これはあなた一人を責め立てても、時間もだいぶ過ぎましたし、言いたくないけれ
ども、しかし非常に言いにくい言葉ですけれ
ども、大臣はしろうとです。一人でなかなか決断を下せません。やはりあなたが客観的な諸情勢、過去から現在までの歴史的経過、そしてそれらの歴史的な経過と客観情勢に踏まえて、その足場に立って、そして将来の
方向をきちっと決断を下させる
方向に大臣を補佐する以外に、
方向はないと思うのです。それだけに、扇のかなめはあなたが握っておると私は思うわけです。あなた以外にだれも握っていないと思うわけです。どうですか。これはあなたの気持は私もわからぬことはないけれ
ども、支払い基金の
理事をああいう方式で御任命になったのですから、何かそこらに、私たちもこれが早くできさえすれば、そう
法律のことはやかましく言いたくないのです。問題は大衆が幸福になれば、幾分
法律の運用にそれることがあっても、これは目をつぶらなければならぬ問題があると思うのです。これは人間の命にかかわる問題ですから。どうですか、そこらあたりの
考えは。