○瓜生
政府委員 高輪南町の東久邇さんの今お住みになっている御用邸の
関係は、今ちょうど裁判になっているものですから、いろいろ慎重にお答えしなければならぬ点もございますが、お尋ねの点は、週刊新潮か何かに書いてあったと思います。私も拝見いたしましたが、
宮内庁が非常に冷たい、だからこういうふうなことをするのだというふうな記事があったのを拝見いたしました。
宮内庁としては、私は直接申し上げに行ったことはありませんけれ
ども、宇佐美長官は直接会って
お話ししているし、今ここにいる管理部長も直接
お話ししていることがございます。その場合において、東久邇さんは、
昭和三十一、二年くらいまでは、あそこの土地を縁故払い下げをしてほしいというような願い出をしておられたのです。その当時も、大蔵省の方とわれわれの方もいろいろ相談をいたしまして、縁故払い下げができるだろうか、縁故払い下げをする手続といいますと、皇室用財産になっておりますから、皇室用財産を解除して、そして大蔵省所管の普通財産になる。そこで大蔵省が普通財産として縁故がある人に随意契約で縁故払い下げをするということになるのですが、これは大蔵省の
見解としては、縁故払い下げの縁故の中へは入らない。といいますのは、以前、終戦前に東久邇さんがお住みになっておりましたのは麻布市兵衛町ですが、そのお屋敷に関して縁故払い下げの願い出があってしておる。その前縁故払い下げは済んでいるのだ。今の場合、お入りになっているのは、戦後の、特に先日おなくなりになられました元の照宮様、東久邇さんのお子さんの御夫妻も、お住居がなくて非常にお困りでそれであそこへお入りになることになった。その当時は、占領下ですから、占領軍は、皇室用財産は凍結しろとむずかしいことを言っていたが、お子さんがお入りになるならよかろうということで、当分の間ということでお入りになった。その後にお父さんの東久邇さんもお入りになったわけです。そのお届けがあってそれを認めておりますから、結局その承認の上でお入りになった。そのあとに、あのところが新しい憲法によって、皇室財産はすべて国有とすというような条文によって国有財産になったわけですが、その後も引き続きお住みになっておったのであります。大蔵省の
見解では、どうも一時的にお入りになることを認めたことであって、これはずっと前から住んでおられて、縁故払い下げということを言われるのとちょっと違う、だから、縁故払い下げということに入らないということを言っておられた。そういうようなことも申し上げたのでございますけれ
ども、そういうのも冷たいとお
考えになったかもしれませんが、その後主張をお変えになりまして、あそこの土地は終戦後陛下からいただいたものだというふうに主張をお変えになってきたわけです。自分のものだというふうな主張に変えておいでになった。その前には、あそこの御用邸なんかを管理部で管理しておりまして、修繕なんかしておったのですが、その主張をお変えになって、あとからは修繕なんかに行ってもお断わりになるわけです。これは、いろいろ主張される場合に、修繕してもらいますと、自分のものだという主張が弱くなりますから……。非常に荒れていますから、われわれもお気の毒なんですが、特にお断わりになるものだから非常に困りまして、昨年の十一月ごろでしたか、雨が非常に漏るものですから直してほしいということを、そちらの方の世話している人から
宮内庁に言ってきましたから、お
気持がお変わりになったから直してあげようというので、木のワクを組みましていよいよ直そうとしたときに、友人から、直してもらってはいかぬと言われたから、やめてくれと言って、またワクをはずしたこともあります。また、やれお粗末な住居だといって非難をわれわれ受けたこともありますけれ
ども、お断わりになるものですから、どうもそれができないということで、それも非常に冷たいという例の中に入るのかもしれませんが、けんかするわけにもいきませんし、そう言われれば無理にもできませんものですから……。そういうこともございます。
なお、あの土地は確かにいただいたのだ、
宮内庁に何か証拠があるはずだとおっしゃるものですから、一生懸命探しましたけれ
ども、その証拠がないわけです。そして下賜願を出したとおっしゃるのですが、その書面というのは下賜願ではない、下賜願を含んでおりますけれ
ども、ちょうど終戦の翌年の五月ですか、総司令部から、皇室の御料地は皇族に貸してはいけないというきびしい指令がきたものですから、その際に、各宮家でどういうふうに使っておられるかということを相談したわけです。東久邇さんも引き続きあそこにおりたいということで、下賜して下さるか、または何らかの方法で下付
——下付というのは縁故払い下げですが、何らかの方法で下付を願いたいという書面が出ております。そのことをおっしゃっておるわけで、それはありますけれ
ども、しかし、これは下賜だけではないので、両方含んでおる。それに対して、それじゃどうしますという書面はいっていないわけです。書面がいっていないのは、下賜または何らかの方法で下付
——下賜は、その当時はGHQの方から、皇室財産凍結令が出ておりますからできないわけです。何らかの方法で下付というのは、随意契約の方で払い下げをする、この方が問題として残ったわけですが、しかしこの方も、先ほど申したように、実際問題としてそれを扱う大蔵省の
見解は、どうしてもむずかしいというので、そのままになっておる。だから、お答えをしていないのも、どちらも、下賜では実際問題としてできない。何らかの方法で下付というのも、縁故払い下げの方の目安がつかないと、何とも申し上げかねるわけですから、そういうような
事情も、宇佐美長官も高輪の御用邸に行かれていろいろ話をされたり、使いの者が長官のところに見えたり、私も会ったこともありますが、いろいろ見えておりまして、最近のある時期においては、
宮内庁のこともよくわかったというようなお電話が、何か長官のところへあったりしておったのですが、それからしばらくしてまたああいうふうに急にお変わりになったのですが、いろいろあそこの土地は、場所としてもああいう繁華な土地でありますし、区画にしても相当の区画でありますし、これらについては、いろいろ目をつけておる方もあるかと思います。そういういろんな方のいろいろ横からの話に動かされておられるのではないかと、われわれは想像しております。