○帆足
委員 夏目漱石という文豪が、人は腹の減る動物である、こう言いましたが、もう時間も過ぎましたので、実は問いただしたいことはたくさんあるのですけれ
ども、十五分か二十分くらいできようはやめておきたいと思います。
私
たち国
会議員としまして、
国民の気持を代表して
政府に問いただすのは、
政府が何を考えておられるか、そして、国の羅針盤を握っておられる当局として、その羅針盤に少なくとも大きな狂いがないかどうか、狂っているとすれば、その理性がどの程度狂っているか、それを確かめて、災いを未然に防ぐ、これが私は外務
委員会の任務であろうと思います。
外交と経済と軍事とは、最近は
一体として審議すべき性質のものでありまして、私は、今
防衛局長の話を聞いておりますと、全く現代の矛盾と苦悩をそのまま反映されておられる答弁であると思って伺いました。いわば、セコハン、古物回収業の会長さんから話を聞いたような思いすらいたします。というのは、現在は、原子力、ロケット、人工衛星の時代でありまして、防衛という定義そのものがもう変わりつつある時代でございます。従いまして、
防衛庁の諸君の苦悩のほ
ども、ばかな役人でない限りは、賢い良心的な役人である限りは、その苦悩のほ
ども察せられる次第でございます。顧みましても、十七年前はB29の全盛期で、太平洋を
往復してなお数時間の余裕があるという空の要塞が大量生産される見込みがあり、そして
アメリカがただ
一つの原爆所有者であったころは、マッカーサー元帥は、その
距離の勝利に安心して、ソ連、中国に近いところに
基地を置こうなどとは思わずに、
日本よ、アジアのスイッツルたれ、
日本は、ソ連についても
アメリカについても、火中のクリを拾わされるならば防衛という概念自身がもはや成立しない、
日本国民が誠実に余に問うならば、
日本よ、中立を守れ、アジアのスイッツルたれ、これは有名な
言葉で、リーダース・ダイジェストの当時の五月号に載せられた文章そのものです。今にして思うと、その文章だけ見ますると、これは河上丈太郎先生の演説ではなかろうかと錯覚を起こすほどでありますけれ
ども、そのB29は、時移り星変わって、音より早い
ジェット機にかわりました。
ジェット機の時代になりますと、もうやむを得ません、
距離の勝利の時代は過ぎて、速力の勝利の時代に移りましたから、敵に近いところに相互に爆撃
基地、防衛
基地、出撃
基地を設けるということで、
基地闘争に明け暮れした数年が続いたことも御承知の
通りです。しかし、やがてミサイルの時代が来ました。それで今過渡期にあるわけです。兵器の技術と立地条件に思いをいたすことなくして防衛ということを論ずることはナンセンスです。従って、
防衛局長のせっかくの御勉強も、私
ども、良識ある、しかも平凡で着実なわれわれ議員が承りますと、古物回収業の同業組合
委員長さんの話を聞くような思いがする。まさに、大東亜戦争が起こりました今から二十年前のことを思っても、あのときに、
日本の鉄は六百万トン、
アメリカの鉄は六千八百万トンでした。しかし、大量のくず鉄を
アメリカから輸入しておりましたから、おおむねの自給能力は三百五十万トン。
昭和十九年八月、
日本の鉄は二百万トンを切れようとし、
アメリカの鉄は九千八百万トン、一億トンです。一億トンの鉄と二百万トンの鉄の争い、サンフランシスコから東京までの
距離五千
キロを考慮に入れましても、もはや問題の所在は明らかでありました。軍事の問題でなくして、問題は政治と外交と人間の理性の問題であった。それは明らかであったわけです。十二月八日に起こった
事件は、これはあとは歴史の事後処理のような問題でありまして、むだな事後処理によって、私
どもは貴重な多くの命を失いました。今日の事態はまさに原爆とロケットの時代で、原爆も御承知のように水爆に移りつつありますし、それから、ソ連の原爆は、御承知のごとく、射程
距離一万四千
キロです。そして、これには核弾頭、場合によっては水爆核弾頭も乗せられ、最近弾頭が七トンないし十トンに達するといわれておる。その射程
距離の正確なことは、十
キロ離れて青バエの目を射抜く、こういう工合にいわれておるわけです。こういう時代に国の
ほんとうの安全ということを考えるとすれば、これは総合的に考えねばなりません。従って、
防衛庁という
一つの職業的性格を持っておる団体というものが、時勢の推移から激しくおくれて、それに苦しまねばならぬということは、私はよく了察し得る問題でございます。時間がありませんから、
一つ二つだけきょう聞きまして、あとはいずれまた機会を得て伺うことにいたします。
外交と軍事を切り離して考えるということは、私はできないと思うのです。何しろ、外交はやはり軍事と経済の上に乗っております。従って、
先ほどアメリカ局長のお話を伺いましたが、U2機の
性能とか、ロケット、ミサイルの
性能、原爆、水爆の
性能など、その初歩的
知識のない者が外務
委員になる資格もなければ、
外務省の幹部職員になる資格もないものである。私
どもも、大いに、
資料をいただいて、この夢のような技術の進歩、それが人類に及ぼす影響、それをはっきり把握する必要があると思うのです。こいねがわくは、自衛隊の諸君は、この激しい人類の夜明け前ともいうべき時代にまだ鞭声粛々のような伝統を持っておる職業に従事しておられるわけでありますから、
自分たちの職業的限界がどういうものであるかということを謙虚にお考えになり、一職業より
日本民族の運命というものがどれほど重大であるかということをお考え願いたいと思います。
私は、先日ある一青年が自衛隊の方針についてまことにかわいらしい論文を書いたものを週刊誌で読みました。通読いたしましたところが、近代青年らしい愛らしい一文でありましたが、その青年はそのために懲戒処分になったように伝えられております。
一体、自衛隊の根本の精神を、私は、
国民の福祉に奉仕する公僕の一環である、こう考えておりますが、
国民の公僕として自衛隊は
国民の福祉に奉仕するようなお考えで貫かれておりましょうか。それともまだ多少天皇の軍隊というような過去の錯覚をお持ちでありましょうか。あるいはまた、新憲法に対して役人は憲法を守らねばならない義務がある、こういうふうになっておりますが、そういうような精神の一端でも自衛隊の諸君に教育しておりますかどうですか。実は、国
会議員というものは、役所の首脳の人
たちをときどきテストして、機械が狂っていないかどうか。はなはだしく狂っているとすれば取りかえねばなりませんし、また、機械が狂っている、狂い始めたということを
国民にぼつぼつ知らさねばならない。
先ほどナイキ・アジャックス等の論議がありましたが、ちょうど今から四十年前に、日露戦争の戦勝のあとに、三八式機関銃のやり場に困りまして、これをシャムにたくさん売りつけたことがございます。グラマン、ロッキードがその後の運命がどうなったか知りませんけれ
ども、最近の
アメリカが
日本に小型ミサイルを売りつけようとする姿を見ましても、ちょうど三八式機関銃をシャムに売りつけたときの物語を思い出して、まことにさながらのことを感ずる次第でございます。従いまして、
防衛庁といたしましては、やはり、民主憲法、平和憲法下における
防衛庁のあり方について、まず
国民福祉に奉仕する公僕としての精神に徹せられておるか、これが
一つ。すなわち、天皇の自衛隊でなしに、
国民の福祉に従う自衛隊であるかどうかということ。第二には、
日本の新憲法を守る自衛隊であるかということ。それから、社会党は今第二党でありますから、時が来れば政権を握ると思います。野党が政権を握ろうと、革新政党が政権を握ろうと、これが憲法と法律の条章に従って投票の多数を得て内閣を握りましたときは、すなおにその方針に従うべきものである、そういう精神で貫いておられるかどうか。この三点についてお尋ねしたい。
と申しますのは、一部自由主義者の方々の中からも、自衛隊というものが時代におくれてくると、やがてファッショ化することはあるまいか。職業軍人の心理というものはまことに微妙でありまして、今日原爆とミサイルの
性能を知っておる者がオイチニ、オイチニの軍隊に対して懐疑の念を持ち、特に賢い青年
たちがほとんど軍隊というものを信じない。これは無理からぬことである。この困難と苦悩の中を歩んでおる自衛隊のよき青年
たちに対して、私は一抹の理解と同情の念をすら禁ぜざるを得ない。
防衛局長さんもさぞかし苦しい御職業であるが、これも人類進化の一こまであろうかなどと考えておる次第であります。これは非常にむずかしい課題だと思う。その課題の中に公務員として処して参りますのには、第一に、今の、
国民の福祉に奉仕する自衛隊、第二には、同時に憲法に奉仕する、第三には、いかなる政権ができようと、その政権が合法的にできたものであるならば、その命令に絶対に従うということ。淡々として
国民の意思に従っていく自衛隊というならば、私はむしろ過渡期の自衛隊の性格や心境や苦しみも多少はやわらぎ得ようと思うのであります。これは長官にお尋ねすべき問題ですけれ
ども、しかし、局長さんは、やはり直接第一線の指導の任に当たっているわけですから、現在どういうふうになっておりますか、一言だけでも伺いたい。