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角田参考人 ただいま御紹介いただきました、私、
原研労働組合の
執行委員長をやっております
角田道生と申します。
現在の
労使間の問題を非常に端的に示す例といたしまして、ことしの六月の
団体交渉に始まりまして、九月二十六日
協定書を調印するということで一段落いたしました
CP5型の
原子炉をめぐる
労使紛争の
内容、これについて少し
内容を御説明申し上げたいと思います。と申しますのは、これは
原研が今当面しております問題、抜本的な
解決を
要求されている問題というものを集約してここに含んでいるというふうに
考えるからであります。そして問題のつかみ方、
解決方向をめぐる
労使間のズレ、あるいはそのギャップ、こういうふうなものが、一方
出力上昇の
強行実施というふうな形、
他方スト権の集約というような不幸な対立を招く結果になったということがいえると思います。幸い現在
話し合いによる
解決を見まして、
出力上昇試験は進められておりまして、昨日十
メガワットの
出力に達しております。しかし、
紛争をもたらしました根っこの諸問題は、短期間では
解決できない性質のものであったと今でも
考えます。ですから、私は、この間
組合がその
紛争を通じて主張していたもの、その本質的なところは何かということを御報告して、この
紛争の真の
原因ということについてここで
考えていただきたいと思います。
まず、問題の
発端はどこかと申しますと、これは今春装荷した九〇%
濃縮ウランによる
出力上昇試験の
実施を前にしまして、この炉の
管理室の中でかなり前からいろいろな
意味でうっせきしておりました不満、抗議というようなものが爆発したというようなところが実際の
発端であったわけであります。
現場の彼らが申しますこと、特に
運転に携わっております
中堅研究員、若い
技術者は過去一年半にわたりまして九〇%
ウランの装填される前の二〇%
燃料による
断続運転の
経験を
現場で彼らなりに総括をいたしまして、以前から
問題点を提起していたわけであります。ところが、彼らの言わんと欲するところ、特に本質的と思われるところが、どうしても、何といっても
職制を通じては所にはわかっていただけなかった。そこで、彼らとしては、相談をもちかける場が
労働組合にしがなかったという結果になってしまった。これが今回のような
労使の間の
緊張状態を起こさざるを得なかったことの
発端であるわけであります。
現場の
要求は、単に金銭問題だけで割り切れる問題ではありません。
労働組合運動本来の姿からすれば、この取り上げましたテーマというものは、かなり異質なものに属すると思います。しかし、私
ども組合の機関におる者といたしましても、
職場は違っても彼らの言っているところは非常によくわかったのであります。そうして、
原研の
研究員、
従業員が意欲的に仕事を進めていき、
原子力の将来に
責任の一端を果たしていこうとするときには、こういう問題はどうしても取り上げて
解決をしなければいけない問題である一そういうふうに
感じました。特にこの問題は、
CP5の
運転開始をめぐって起こったものではありますけれども、ことしから来年にかけて
国産一
号炉、
動力試験炉、こういうものが相次いで稼働に入っていく、こういうことを
考えますと、この
CP5問題には、全所的な
解決せねばならぬ課題というものが含まれておる、そういうふうに
考えます。
では、ここで
現場が問題にした
内容はどういうことであったかということを申します。それは簡単にはまとめにくい問題ではありますけれども、大ざっぱに分けますと、第一に
原子炉の
運転、利用の
安全体制は、
現状のままでいいだろうかどうだろうかということが
一つ。第二に、高
出力の
研究炉の
運転体制というものは
現状のままでやっていけるだろうかということ。第三に、
勤務条件、
厚生面の配慮というものが非常に欠如しておるのではないかということであります。
ここで一言申し添えたいと思いますのは、問題の
発端として今申しました
現場の
組合員、それがいわゆる
原子力評論家というふうな感覚とは一番離れた
人たちである、こういうことをちょっと一言申し添えたいと思います。難航をきわめました
CP臨界から二〇%の
燃料、それを一年以上にわたって
運転して、それから
燃料を取りかえるというふうないろいろ問題のありました炉であっただけに、周囲からはいろいろな取りざたは確かにあったと思います。それをよそに、黙々として十
メガワットの
安全運転を目標にして
努力を続けてきた、こういうのが彼らであったわけであります。そこから問題が出されてきたということを
一つ考えていただきたいと思います。
先ほど申しました三つの問題の、第一の
安全体制で言いたいことは、一口でいえば、
原子炉事故対策は
機械の
固有の
安全装置だけでは不十分だということであります。このことは、具体的な
要求としましては、
事故を起こさぬようにする若い
人たちの
教育訓練を十分にやってほしい。
事故を起こしたときに機敏で適切な処置をとり得るような
判断力の
養成、
実地訓練というものを十分にやってほしい。第三に、現在解散したままになっている
防護隊を再編成して、
社会的責任をそういう形で果たしていく必要があるであろう。こういうふうなことが
安全体制での
要求であったわけであります。つまり、
組合の方が勉強さしてくれ、
訓練をさしてくれということを申しておったのであります。
それに対して、
職制を通じて、あるいは団交でしばしば言われますことは、
安全運転のテキストはちゃんと配ってあるはずだ、
保安規程がちゃんとあるじゃないか、それから今
理事長もちょっと申されましたが、
出力上昇では
事故はまず絶対
考えられない、というような返答になっているわけです。ですから、ここでは
機械の
固有の
安全装置だけでは不十分だということに対するほんとうの回答を出していただけなかったというふうにわれわれは
感じざるを得ない。
事故の問題で、たとえて申しますと、アメリカの最近のSLIの
事故にしても、これは
原子炉の
設計時におきます
考え得る最大の
事故というふうなもののいずれにも入っていなかった
突発事故が起こっております。
原研でも、ことしの
春CP5の
イオン交換樹脂が重水の中に混入したという
事故もあります。その
原因は、
一つは
設計変更と、
原因不明のバルブの
誤操作と二重に重なってあった。こういうふうな非常な予測しがたいようなことが現実に起こるということです。これは大
事故になりませんでしたけれども、大
事故になる
可能性はこういうふうに予測しがたいものがあるのだ、そこには常に
人間が関与しておるということが大事な点だと思います。
そうしますと、
安全対策というものは、処方箋を与えてやるとか、まして規則をつくったからということで確保される問題ではない。無意識のうちにも
誤操作をしないように
教育訓練を徹底することであり、
社会的責任の自覚と、意欲的な
研究室の零
囲気に支えられて機敏に対処できる、そういう零
囲気、そういう
人間の
養成だと思います。こういう点がなかなか理解していただけなかった。
第二の、
運転体制につきましては、これは
考えようによっては、
原子力開発の
創業期から
展開期へ移る際の
体制上の困難を典型的に示したものだというふうに
考えます。これはあとで、そういう
意味で詳しくこの掲げた図でもって触れたいと思います。
ただ、ここでも在来の火力、水力の
発電所などの例を導入して、安易に
三直制の二十四時間
連続運転をやっていけるというような
考え方では困るということを申しておったのです。
第三の、処遇の問題に関しましては、たとえば
放射線手当であります。
放射線手当で特にこの場合問題になりますのは、自分の
研究のためにやむを得ず
被曝するとか、不用意な
被曝というふうなことじゃなくて、
研究サービスとして
実験孔の出し入れをするという
実験上の必然的な
被曝というふうなものを受ける
研究員が一ぱいあると思います。そういうふうなことを
考えますと、
放射線手当が現在ゼロであるという問題。それから、たとえば
東海村というところの
夜勤の
状態というものを想定していただきたいと思います。東京でしたら、たとえば深夜喫茶もある、屋台もある、店も夜おそくまで開いているけれども、
東海村ですとまっ暗です。自家用車がない限り自宅に帰って飯を食うこともできない。こういうふうな
現状の中での直
手当、それから食事、
仮眠室、こういうふうな問題であります。直
手当の場合
一つの例を申しますと、今その
運転をやっております
管理室全体の平均で申しますと、
一晩の直で三百円にしかなっておりません。これは
超過勤務はそれにはつきません。深夜
手当が五十円つくぐらいで、三百五十円です。それが
相互にからみ合って影響を及ぼしてくる。
ただいま三点申しましたけれども、たとえば
被曝を避けるために、
実験孔のそばで
被曝時間を避ける機敏に動いて
放射線量を防ぐということをやらざるを得ない。非常に緊張した
労働であり、
夜勤である。そういうことは
安全性の方に対する
注意力がどうしても欠如してしまうというふうな問題にはね返ってくるというふうに、
相互に関連してくると思います。
以上のような実態の中で、
組合が主張しておりましたのは、
現状で抜本的なメスを入れないと、今この炉に全国から
要求されております十
メガワット、二十四時間の十日間の安定した
連続運転というものは、このままでは
組合が騒ごうと騒ぐまいができないのではないかという問題です。
組合が何も言わなくても、このままだったら非常に危険になる。二十四時間
運転ができるかどうかということが問題になるという点が含まれていると
考えます。これはいろいろな要素がからみ合ってそう申せるわけでございます。たとえば
運転体制、その人員構成の面から見ましても、そのことがはっきり出てくる気がするのです。そのことはうしろの表でちょっと見ていただきたいと思います。
〔
角田参考人、図表を示す〕
右の表はウオーター・ボイラー型のJRR1と
CP5のJRR2、この二つを比較してみたものです。五十キロワットのJRR1の実際の
運転員が十人、一万キロワットの2が二十一人、
運転員の実態がこういうふうに現在なっております。これから将来増員するとどうかは別にしまして、一応
団体交渉で初めて言われましたのは、四班で三交代というふうな説明であったわけであります。1の方の
運転員というものが現在十名、それから外来
研究員を現在二名含めております。2の方が二十一名。実際の
運転時間を見ますと、1の方は一週四日
運転して二日整備という形になっております。四日は一日五時間でシャット・ダウンしております。2の方は、十日
連続運転を目標にしておるわけであります。四日間整備をする。十五日間は一サイクルという形で
運転をいたします。毎週当たりの時間に直しますと1、が一日五時間で、二十時間になるわけです。ですから定時内で五時間ずつやっていくという形になります。2の方は百二十時間平均という形になります。これだけの大きな差が出ているわけです。それに対して一班当たりの
人間がそれぞれ両方とも五名になるわけです。1は二班、2は四班ということになります。そして実際の
運転班の構成としましては図のようなことになります。これを大体無限時間ずっと連続して
運転するわけでありまして、平均をとって、そしてたまたまの二日間が一サイクルになりますから、これを合わせますと、一人当たりの
運転時間は、1は二日当たり五時間、2は十七時間になる。こういう
状態になってくるわけであります。
これだけ比較しましても、たとえば、2が日本で初めての高
出力の
研究炉として、これで十分に利用に供し得るだけの
運転ができるということをお約束できるかどうかという点で、深刻な問題が出ていると思うのです。問題はこの
CP要員です。新しい
原子炉のための要員確保にあたっての
訓練、こういう余裕は全くない形でしか直を組むことができない、これでは
安全運転さえあぶないということにつながってくるのではないかと思います。そのJRR2の
運転員二十一名の
内容はこういう形になって参ります。
運転員が現在までに受けております
訓練は、
所内研修機関まで含めまして、残念なことに一人も受けていなかった。これは
原子炉の建設期間が不幸にも三年間おくれたわけですから、その間にほんとうにやろうという点で一致しておれば、これはゼロということがなくて済んだであろうと思います。内部の非常に言いたくない事情をあえて言うことは、
CP5の問題が単に
CP5だけではなくて、3やJPDR
動力試験炉、これらの
運転のときにも必然的に起こってくる。日本の
原子炉が
創業期から開発期に入るときに、どうしてもこういうことを一ぺん経なくてはならぬジレンマがあるということを申し上げたわけであります。
問題は、そういうジレンマの
解決の仕方だと思います。研修機関は、
原研の中に二つあります。その研修機関は、こういうふうな形でわれわれの今つくっております
原子炉の
運転要員の
養成ということには間に合っていなかった。他方、この炉に課せられた任務というものは非常に大きいわけです。と申しますのは、この炉を動かすだけではなくて、他の高性能の
原子炉の
可能性をフルにくみ尽くすように
研究が行なわれなければならないわけです。それは外部からの利用者がこの炉についてどうすればいいかという
研究をするのではなくて、当然
現場の
研究員が
運転しながら探求していかなければならぬ問題だと思います。どこにそういう余裕があるかということは、やはりここで問題になるわけです。時間的な余裕だけではありません。やはり
安全運転体制、処遇等、先ほど三つあげました問題に対する回答から、結局ことごとく
研究員が意欲を磨滅させられる方向に向かっていかざるを得ないという実態を申し上げたわけであります。つまりこういう
現場の
人間を計器盤のスイッチ・マンで終わらせて使ってしまえば、この
原子炉は非常に高価な買いものについてしまったという結論しか出ないと思います。この点、これから十一月までに整備していけば、今一応定常
運転を十一月ないし十二月と
考えているわけですけれども、そうすれば要員の確保ができるかという問題になりますが、これはまず本質的な矛盾としまして、先ほど申しましたように最初の本格的
研究炉の要員を、でき合いの要員を外に探しても、ほかにそういう
原子炉がありませんので見当たらないわけであります。逆にそういう定数を上回る
研究員を
原研の中に配置さして、
訓練をして外に送り出す。それが
原研の役割になっているわけです。こういう大きな矛盾があるわけです。これに対して
事態は全く反対の方料当時んでおります。つまり二〇%燃向に進の外来
研究員——これは中堅層の
研究員でございましたが、これが八、九月以来六名の方がもう帰社されてしまっておる。そうしますと、二〇%
燃料当時から、ふえるのじゃなくて減っていったという事実があるのです。これは要員を確保しようといたしますと
給与面でも十分な
考えが要ると思いますが、その
給与面での配慮がどうしてもいろんな
意味で制約があってできないということになる。それから、探求心が、
現場の
運転ということだけに限られてしまってスポイルされていくということになりますと、要員の確保というものはほとんど絶望的ではないかというふうに
考えざるを得ないわけです。ですから、このままの
事態で何とかやりくりしようということでは、十一月ないし十二月の定常
運転というものは、この炉の本来の目的に沿ってやることはできなくなるというふうに
考えるわけです。
こういうふうな現実に対しまして、
労働組合としては、それではどういう中心的なスロー・ガンで闘争せざるを得なかったかと申しますと、
研究炉としての機能を発揮し得る
条件を今つくることである。これが
一つです。二番目に、
放射線から住民と
従業員の安全を守ることである、というのが
一つであります。これが私どもが
考えます直接の今回の闘争の本質だと思っておる次第でございます。
考えてみますと、そういうふうな問題が起こってくるのには、やはり歴史的な背景があったと思います。それはJRR2というのは、前から問題を始終起こしていた
原子炉であった。本
委員会におきましても、契約問題とか
燃料問題などで、議事録を繰りますと十回以上もこの
CP5については討議がなされておったと思います。大体昭和三十年、三十一年にこの炉の設置が最初に計画された当時目的とされましたことは、この炉は本格的な基礎
研究とデータの集積であるということが第一点。第二点が
国産一
号炉の建設の
経験を積むということであったわけであります。結果はどうであったかといいますと、残念なことに建設の完成が予定よりも三年おくれてしまった。その結果十
メガワットは
国産一
号炉の臨界にすら間に合わなかったという
事態が出てきたわけであります。