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政府委員(
瓜生順良君)
皇太子殿下の
東南アジアの御
旅行につきましては、その
計画を立てる際には、これは出先のほうの大使館から、先方の国のいろいろな
事情も聞きまして、で、一応の
意見が出て参りますと、それに対しまして、外務省、
宮内庁、そういうところで十分検討して、
部分的にはいろいろ直してもいただきまして、これならよかろうというところで、
内閣へ
提出いたしまして、で、
内閣のほうでそれではこの
計画でよかろうということで、閣議の決定をいただいて、そして実行に移っているというようなことでございまして、
内容については、まあ一部には少しくその
日程が詰まり過ぎていて無理だったんじゃないかというような御批判もあるようでありますが、しかし、われわれ検討したときには、そうは思わなかったのであります。で、それぞれの国では、
国賓がお見えになりますると、大体どういうような
行事をして、どこへ御案内して、というようなのが、おおむね御定食のようにきまったような形のものがあるわけでございまして、それを基礎にして、幾らかずつ直して
計画を固めるというようなことをいたしたわけで、特にその
内容は御無理であったとは考えないのでありまするが、しかし、
パキスタンで
かぜを引かれて、
パキスタンで
かぜを引かれた場合は、半日くらいで一応
かぜを押えられて、それからずっとあとを続けて
インドネシアに行かれた。
インドネシアも、前半は悪くなられなかったのですけれども、ボゴールへ
おいでになってから、また
かぜの熱が出てこられた。で、それから幾らか養生していただいて、それでまたよろしいというので
バリ島へ行かれた。
バリ島でおもな
行事が済んだところで、高い熱を夜中にお出しになった。これはどうも御無理だというので、
フィリピンに御
旅行になることを、これは無理だということで、一応先に延ばすことで、一応中止をするということになったわけであります。で、その御
病気というのは、やはり
東京でも非常にはやりましたが、
流行性の
かぜであったようであります。お供していた人の若干の人も、同じような形のやはり
かぜを引いたわけであります。一種の
流行性の
かぜであったようでありまするが、不幸にしてそれにかかられたということのために、
計画が完全に果たすことができなくて、
フィリピンの御
訪問は他日にということで、お帰りになった。非常に残念ではございましたが、これはそういう次第であったわけであります。で、
フィリピンのほうの
関係は、そこでできるだけ早い機会に
フィリピンを御
訪問になって、このお約束を果たすということをされようというので、
フィリピンのほうの
事情もいろいろ、
殿下が元気になられてから内々に打ち合わせをいたしたわけでございます。で、こちらのほうの意向としては、三月の中旬ならば、
おいでになることができるのだが、どういうものだろうということで、打診をいたしましたが、
フィリピンのほうでは、現在の
マカパガル大統領は、この一月一日に
大統領に就任しておられる。前の
ガルシア大統領と選挙を争って、勝利を得られて、一月一日に新しい
大統領として立っておられるのですが、いろいろそういう新しい
大統領として国内を治める上に、いろいろ
国事多端で、ちょうど三月のそのころはいろいろ問題も控えているから、ひとつ先に延ばしてほしい、これも、できるだけ近い機会の先にひとつ延ばしてほしいというような御意向が伝えられまして、それで、今
フィリピンの御
訪問はなさられないで、そのままになっております。
フィリピン側の国内
事情もありましょうから、どうぞこの次
殿下に
おいでいただきたいというような御意向が
フィリピン側からございますれば、こちらとしても御
都合がつき次第、いろいろ打ち合わせされて、あらためて
フィリピンに御
訪問になることと思うわけであります。