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説明員(高柳賢三君) ただいまの御質問は、はっきりどういう点を申し上げていいんだか、ちょっとわからないんですけれ
ども、先ほどイギリスと
日本は非常に違うという御意見がありましたけれ
ども、私の見るところでは、イギリスの法制というものは、表面は非常に古いけれど、実体は非常に新しい。イギリス人は、形式はこれを変えることをしないが、実体はどんどん変えておる。ほかの
国民は形式だけ変えて実体はちっとも変えておらぬ、こういうことをいうので、私はそういう
見方は正しいと思っております。そこで、今のイギリスは、法律だけを読みますというと、ある人は、ルイ十四世を思わせる、レタ・セ・モアというあの言葉を思わせる、こういう人もありますが、これは極端でありましょうが、法律だけから見ると、非常に古い君主制のように見えますけれ
ども、実体は
国民、イギリス人は
国民主権ということを避けていますけれ
ども、つまり
選挙民、エレクトレート、これが
政治的主権を持つ。だから、つまりどういう
内閣を作るかどうかということは、これは
国民がきめる。そういう
意味では、いわゆる暗黙のうちに
国民主権を認めておる。こういう
意味で、イギリスの制度と
日本の制度、今の憲法の制度というものは非常によく似ているように私は思っておるわけであります。その
意味で、今の前文に書いてある趣旨は、イギリス人の、イギリスの憲法を解説したものとして、そういうふうにも解釈してもいいのじゃないかと思います。
国民主権ということを、非常にこれはルソーの使った抽象的な文句ですけれ
ども、イギリス人はそういう抽象的な文句を使うことをきらって、
選挙民に
政治的主権があるのだ、こういうふうに言葉を使っていますけれ
ども、同じ趣旨だろうと思います。実際的には。
そこで、この先ほどから問題になっております議院
内閣制なのかどうか、
日本の憲法というものは議院
内閣制と言えるのかどうかということが、背後に問題となっておったようでありますけれ
ども、これにつきましては、大体やはり閣員は、半数はまあ国
会議員でなきゃならない。つまり、超越的な、国会と切り離された
内閣は許されない、こういう趣旨を非常に強く出しておるので、やはりその点から、議院
内閣制的の性格を非常に濃厚に持っておるのだ、こういうふうに思います。だから、その
意味は、国会と
内閣というものは、全然別個の存在であると、こういう
考え方でなく、やはり国会内の国
会議員の意向によって
内閣総理大臣がきまるというのですから、やはり議院
内閣制的の性格を非常に持っているのであろうと思います。
そこで、先ほどの提案権になりますけれ
ども、まあ国会のみがこういう提案権は持つのだ、
内閣は持てないのだというのは、相当他人行儀じゃないか。そこでやはり、たとえば
池田さんが国
会議員としての資格において憲法改正を提案する、まあこれは必要なる賛成者がありまして、そしてそれを提案する、こうなれば、議員が提案したという形になるけれ
ども、
内閣が提案したとしても、それは実質的にはたいしてかわりはないのじゃないか。だから、かりに発案権は
内閣になしという解除がとられるとしても、やはり同じようなふうになっていくのじゃないだろうか。この前申し上げたように、この問題はいわば学府の論といいますか、ということであって、実質的には同じで、たいして重要性がない問題である、こういうふうに私自身は感じております。ただいま申し上げたのは、これは私個人の意見でありまして、憲法調査会とは何らの
関係がないことを申し上げておきます。