○森元治郎君 私は
日本社会党を代表して、ただいま
議題となりました
タイ特別円の
経済協力の
解決に関する
協定、及びガリオア、エロアなど、いわゆる戦後アメリカの対日
経済援助費の返済
協定の二つについて、
政府の所信をただしたいと存じます。
今度の
タイ特別円の
処理くらい暗い影のある不思議な交渉はありません。九十六億円の
経済協力は、
日本・
タイ両国が条約によって厳粛に投資及びクレジットの形式で融資を供与すると、明々白々な取りきめをしておりまするのを、池田
総理が昨年暮れ東南アジア訪問の際、
タイのサリット
総理大臣と二人きりで、しかも、たった一回の会談でこれを廃棄し、無償供与と改めることに合意してしまったのでありまするが、あまりにもこれは勝手過ぎるのであります。これまでの
政府答弁では納得が参りません。条約を誠実に履行できなかった真相を、ここにすべて明らかにしていただきたい。同時に、今後かかることなしと断言できるかどうかを、あわせて
総理大臣から伺いたいと思います。
政府は、これまで、有償の協力とあるのを無償だと解釈するのは、
タイ側の誤解もはなはだしい、条約の
実施ができないのは
タイ側の横車だという態度をとって参りました。それをなぜ一挙に譲ってしまったのか。
総理の説明によれば、これは衆議院でありまするが、押し問答ではラチがあかない、東南アジアにおける
タイの地位、伝統的日
タイ親善
関係、
タイの国民感情などを考慮して、大所高所から事の
解決をはかったというのでありまするが、はたしてそうでありましょうか。そもそも
タイ側は、物資などを徴発されたほうが借金を払うというような理屈はないという立場から、自分の思いどおりに
解決を見たことを喜んでおりましょうけれども、
政府の言うように特別の恩恵とは思っておりますまい。あやふやな大所高所的
処理について
総理から伺いたいと思います。
私は、日
タイ交渉を見て、物がわからないのは、はたして
タイ側だけであるのか、こちら側には何も云々されることはないのだろうか、若干の疑問を持たざるを得ないので、お伺いしたいことがあります。
特別円協定が調印された
昭和三十年ごろを思い出してみますると、当時の
日本は、賠償問題は未
解決であり、対外債務の全貌のはっきり見通しがつかない事情にあったので、
タイとの取りきめにあたっても、当時の自民党鳩山
内閣も渋い態度をとったことは、うなずかれると存じます。しかし
タイ側は、たとえ有償の形式でも、無利子とか無期限とか、贈与に近いものを欲して頑強にがんばったから難航したのであります。そのときの
政府のある
責任の地位におられる人が、作為か不作為かは知りませんが、
タイ側に、有償とはいってもこれは息の長いものであるかのごとき思わせぶり、ヒントを与えたということであります。だから
タイ側も、投資及びクレジットの形式で
日本の
資本財及び
日本人の役務を受けることに同意したのではないかと思われるのであります。さもなければ、いかに
タイ国でも、あれだけはっきりしている条約の文言を取り違えるはずがないと思うが、どうでありますか。当時
タイ国駐在大使は太田一郎さんでありましたが、
協定ができた翌年の春、任地を離れましたが、その理由は、いろいろな苦情を聞いて、いづらくなったためであるということを私は聞いております。一時のがれの小手先外交が禍根を残す好例であると思うので、
総理、外相から、それぞれ御答弁を承りたいと思います。今かりに百歩を譲って、無償とした場合には、供与額の減額は当然ではないか。事務当局のほうは、大体この線で交渉を進めていたと聞いております。なぜ
総理はこれを取り上げなかったのでありますか。
タイ国及びサリット
首相からの手厚いもてなしに、つい気を許してしまってお忘れになったんではないかと存じます。また、小坂外相は、
総理のこの新しい取りきめの場合に、相談に乗っておられたのか、つんぼさじきであったのか、減額交渉について
総理にどんな
意見を具申したのか、その間の事情を明らかにしていただきたいと思います。
われわれは、かかる不明朗ないきさつを持った
協定、しかも
内容が
内容だけに、これこそ
国会に事前に諮るべきものであるのに、その
措置もとらず、憲法や条約を軽視しているこの
協定を認めるわけには参りません。
次に、ガリオア、エロアなど、戦後アメリカの対日
経済援助の返済についてお伺いをします。
これは、
タイ特別円同様まことにはっきりしない問題であります。
政府は、対外信用上返済することは当然のことであると言っております。問題は、なぜ返さなければならないかにあると思います。
そこで、一番初めに
日本が占領地救済ないしは
経済復興援助が与えられたとき、これをどういうものだろうというふうにお受け取りになったのか、
お尋ねをしたい。最初にもらった去る二十一年、総司令部は、返済方法は後日決定をすると言った。また同じく二十二年には、マッカーサー元帥が、アメリカ
議会に対して、アメリカ
予算からの支出は
日本の債務となると言いました。このことを聞いて
政府当局者は、なぜか、どれが一体それにあたるのか
考えるいとまもなく、ただ一途に債務と心得てしまって国民に押し付けたところに、この問題混迷の発端があったと思うが、どうでありますか。
われわれは、アメリカ側が、戦後
わが国が苦しみのどん底にあったときにいろいろな援助をしてくれたことに対しては、心から感謝をいたしております。しかし実は、その援助の代金はちょうだいするのだと聞いては、国民も釈然とするわけには参りません。しかし、債権だ、債務だと、むずかしいことになりますれば、われわれも西洋人のように合理的な基礎で問題を
考えなければなりません。はたして債務であるのか。その総額は——、その
法律的根拠は——、また
日本はアメリカの援助に全然報いるところはなかったのか等々、たくさんの疑問が出て参ります。そこで、これらの疑問をこれから
一つ一つお伺いをいたします。
第一に、このような問題には国民の納得が前提だと思いまするが、国民はただ、あっけにとられているのが実情であります。これをいかにごらんになるか。(
拍手)また債務という
法律的根拠は何であるかであります。
政府の
趣旨説明によりますれば、さきに引用したマッカーサーのアメリカ
議会へのメッセージにしても、占領地行政の遂行にいかに
経済援助が有効であるか、国民の税金はいかに有効に使われているかを、
議会と国民に知らせようというゼスチュアが見られたと思いますが、どうお
考えでしょうか。
次に、アメリカは、援助によって、
日本を自分の政治的影響下につなぎとめることができまして、アメリカの利益になっているとすれば、援助は当然無償の代価であるかとも
考えられますが、どうでありますか。
その次は、
日本は援助の代償として、終戦
処理費四十七億ドルを負担しております。これはポツダム宣言の被占領国の負担する終戦
処理の範囲をこえておるのではないかと思いまするが、どうでありますか。
第四点は、債権債務は対等の国家間で起こるものであります。占領国、被占領国間にはありません。占領国は、当然占領地援助の
責任があるとされておるのが通説でありまするが、どうでありますか。援助
資金が債務なら、当然自由に使用できるはずでありまするが、実際はただ与えられるだけで、自分の好きなものすら手に入れることができなかったではありませんか。これをどう解釈されるか。債務ならば、憲法、
財政法によって、
国会の
承認を受けるべきであるのに、
政府が勝手にこれをきめるのはおかしいと思います。
総理は、大蔵
大臣当時の去る二十六年九月十四日、これはサンフランシスコ講和
会議の当時でありますが、新聞
記者会見で、対日援助は債務でないということがアメリカ当局者との話し合いで確認されたと言っておりますが、今日では債務と心得ると言っておりますのは、この矛盾をどういうふうにお話になりますか。われわれは、理由の明らかなものを拒否するというものではありません。
政府提出の根拠資料なるものもはなはだばく然としていて、これだけでは実態をつかめません。しかし、これは
関係委員会の討議に譲ることにします。
政府はまた、返済額はアメリカ援助の全額ではなく、その三分の一に満たないと自賛しています。返済の可否が問題であるとき、こんなことは全然問題になりません。私は、
政府が無理押しして成立をはかろうとするのは、究極のところ、アメリカのドル防衛の協力をあせる一方、お体裁の大国主義の自己満足というほかはないと思います。今なすべきことは、債務の返済を急ぐことではなく、もう一度出直して、本問題の善後処置についてアメリカとじっくり話し合うことであります。
それから、
タイとの交渉でもそうでありますが、あやしげな腹芸という芸当は間違いのもとであります。国民の税金を使うにあたって、政治家はもっと
責任を感じて、じっくり、かつ堂々と進退すべきものであると思うが、
総理の見解をただしておきたいと思います。
なお、交換公文によれば、
日本の支払金の大部分を、アメリカは、自国の低
開発国の
経済援助に使用すると言っておりますが、そのアメリカの
計画なるものは
承知しておられるかどうか。また同公文には、「適当な立法
措置をとることを
条件として」とあるが、
日本の意向はこの使途について考慮されるのかどうか。また、この援助には、韓国というのは対象に入っているかどうか。
次に、日米間の教育文化交流に二千五百万ドル相当の円貨を充当する
計画となっているそうでありますが、その
内容もあわせ御答弁を願いたいと思います。これは外務
大臣からお願いをいたします。
終わります。(
拍手)
〔
国務大臣池田勇人君
登壇、
拍手〕