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参考人(
鈴木竹雄君) 今度の
商法の
改正は、ただいまお話のありましたように、
株式会社の
計算関係の
内容を改めるということと、
株式会社の
事務の
簡素化をはかるという
趣旨の
改正をその
内容としているものでございますが、まず第一の、
計算の
内容に関する点について若干私の
考えを申し述べます。
現在の
商法の
規定というものは、この
株式会社の
計算関係におきましては、非常におくれた
規定でございまして、
会計の実際と非常に離れております。ことに、
企業会計原則あるいは
財務諸表規則と、非常に矛盾をしている点が多々ございますので、これをそのような
会計の
実務、正常な
慣行というものに近づけていくということが非常に必要な点と
考えられるわけでございます。そういう
意味におきまして、今度の
改正というものは非常に大きな
意味を持っていると存じます。ただ、このようにいたしますと、
商法は、今までの
立場を捨てて、ただ
会計の要求というものにそのまま従ったものであるかというふうにお
考えになるかもしれませんけれども、やはり
商法の
立場といたしましても、それを正しく
考えました場合には、 このような
改正を行なって少しも差しつかえかないと
考えるわけでございます。
今までの
商法におきましては、
会計について
商法が
規定をするということは、もちろん
企業の勝手の問題じゃないので、それは
企業の
関係者というものがある。その
関係者の
利益を
考えるものであるということが
ポイントであることは申すまでもないのでありますが、その場合に、
債権者の
利益というものを非常に
考えていく、それももちろんけっこうでありますが、そのときに、
企業がかりにつぶれたならば、
債権者はどれだけの満足を得るかというような、そういう
考え方をいたしまして、そしてたとえば
評価につきましては、
時価による
評価というものを
基準にしていたのでありますけれども、しかし、
企業というものが、決算の場合を
考えますれば、継続をしている
企業であって、決してつぶれる
企業ではないわけでございます。そこで、問題になりますことは、やはりどれだけの
営業成績が上がっているか、
損益計算はどうであるかというところが
ポイントであって、解体したならばどれだけの
時価があるかというような問題をそこで取り上げるということがそもそも間違いだと言って差しつかえないじゃないかと思います。そこで、このような
損益計算の
立場からやっておりますのが
会計の
実務であり、
会計の正常な
慣行なのでありまして、そのようなことを
考えるということがむしろ当然のことだったんじゃないかと思われます。そして
会社の
債権者の
立場などを
考えましても、そのような
営業成績がどういう形になっているかということを知りますことによって、やはり
債権者の
利益というものは十分はかられているということになるわけであります。このような点から、
商法が自分の
立場を曲げて
会計に屈服をしたというのではなくて、やはり正しい形において
商法がその姿を改めたということであろうと
考えるわけでございます。その
立場におきまして見て参りますと、
評価基準について、
商法が今まで
時価主義を基調にしておりましたけれども、
原価主義に徹底していくという
立場をとりましたことも、あるいは
繰り延べ勘定について、今まで認められておりました
範囲を非常に
拡大をいたしまして、実際に合わせ、また
引当金の
計上を明文で認めたというようなことも、みな妥当と思われると存じます。
なお、この
改正法におきましては、直接、
計算の
様式についての
規定を置いておりませんけれども、これは、
商法施行法の現在の
規定によりまして、
省令でもって
貸借対照表、
損益計算書の
様式を定めるということにしておりますが、これも、
様式の点になりますと、
法律に書きますことよりは、
省令に書いたほうが実際的であるということを
考えますと、やはり妥当の策と
考えられるわけでございます。ただ、このようにいたしましても、やはり
会計の側から、まだ十分でないというふうなあるいは
批判があろうかと思われるわけでございます。しかし
商法の
規定が
会計の
方面で要求いたしますことよりもいわばゆるやかであるというふうな場合には、
企業会計原則なり、あるいは
財務諸表規制なりでそれをもっと狭めていけばいいわけでございますから、別にその点については差しつかえないんじゃないかと思われます。これに対しまして、
会計がそれを認めようとしても、
商法の
規定がじゃまになってできないというふうな点で、
会計のほうからもしこれに対する
批判がありといたしますれば、それはもとより
考えなければならぬものと存じます。そしてそのようなものとして
考えられますのは、先ほど申しました
繰り延べ勘定というものを、今度
開業費であるとかあるいは
試験研究費であるとかいうようなものに
拡大をして参りましたけれども、その場合に、
配当制限を行なっているということを
会計の
立場としては一貫しないものであるというふうに言われるかもしれないと思います。しかしこれは、
田中耕太郎博士の言われておりますことに、
法律の
妥協的性質ということを言っておられるのであります。つまりそれは、ある
一つの事項がいろいろな
目的というものにつながっていくというふうな場合に、ある
一つの
目的を貫いていけば、それは非常に徹底した形になりますけれども、もう
一つのそれと矛盾する、あるいはそれと衝突をする
利益というふうなものを
考えなければならぬときに、
一つのものだけに貫いていくわけにいかないで、そこに
妥協というものが出てくるほかはないわけなんだという議論をされておるのでありますが、この
繰り延べ勘定の問題におきましても、
期間計算という
立場からすれば、なるほどこのような
配当制限というふうなものは要らないと言われるだろうと思いますが、
他方、
会社の
財産というものを確保していく、
資本の充実を守っていくというふうな
立場から申しますと、必ずしもそう簡単に無
制限に認めるというわけにはいかない。そのためには、あるいはそのような
繰り延べ勘定を認めます場合あるいは
範囲というものを非常に正確に限定することができるのなら、それでも差しつかえないでありましょうけれども、それは
立法技術的にとうてい不可能であるということになりますと、
乱用が行なわれるかもしれない。
乱用が行なわれたらば、
会社の
財産というふうなものの確保がはかられないという
心配がある。そういう二つの
目的というようなものがここでぶつかって参りますと、おのずからそこに
一つのものに徹底できないで、
妥協をした形のものになってくるわけでございます。これは、
立案の過程におきましても、ある人は一方を重視し、他の者は他のほうを強調いたしました結果として、結局
妥協の産物として現われてきたものでございまして、この点は、やはりやむを得ない
立法ではないかと私は
考える次第でございます。
さらに問題になります点としては、この
改正法の
規定の
解釈というふうなものについて、いずれの点においても疑問が全然ないようなものではございません。多くの点におきまして、あるいは少なくとも幾つかの点におきまして
解釈が分かれる余地というふうなものが出てくるかと存じます。しかしこの点も、やはり
立法というものの
一つの宿命とも言っていいかと存じますが、いろいろな
考え方というふうなものをそこに持って参りまして、そしてそのいろいろな
立場からの主張というふうなものが、そこに結局、何と申しますか、凝結をした形のものというふうなものがこういうものであり、そしてまた、
法律でもってそうこまかいことまでは書けないというようなことから出てくる点でありまして、これまたやむを得ない点ではないかと存ずるのでございます。
株式会社の
事務の
簡素化あるいは
登記の
簡素化というものを期しました第二の部分でございますが、これらは、いずれもこれを改めれば
会社のほうにとっては非常に都合がいい。しかもまた、そのように改めたところで、
利害関係人、たとえば
株主あるいは
会社と取引をする者にとりましてその
利益を害するというような
心配もないものがそこにあげられているのでございまして、それらはいずれも妥当なものであることと
考えるのでありまして、細目の点については、御質問があればそれにお答えをするというふうにさせていただきたいと存じます。
このように
考えますと、私は、今度の
法律案というようなものは妥当なものであって、これが早急に
立法として実現することを希望するものでございますが、ただ、この
法律案につきまして遺憾な点が二、三ございます。
第一は、このような
計算の
内容を定め、あるいは
計算の
様式を先ほど申しましたように
省令をもって定めるというふうなことにしておりますが、このような
計算書類が
株主総会を通りましたときに、
公告をされるということが起こってくるわけでございます。
現行法によりますと、それは、定款の定めました
公告の方法、すなわち官報かあるいは
日刊新聞紙の中から出款が選びましたものに
公告をしなければならないということになっておるのでございますが、これは、
大会社では大体行なっておりますけれども、中小の
会社の中には、このような
公告をしないものが非常に多々あるわけでございます。しかも、その
公告をしたかしないかということについて、これを追究していくということが困難なために、罰則の定めがあるのにかかわらず、これを実際においては
制裁を課するというようなことがなく、言いかえれば、法がじゅうりんされたままで済んでいるという状態があることは、きわめて遺憾に存ずるわけでございます。そこで、
法制審議会の
商法部会におきましては、このような
計算書類というふうなものは、
登記所にこれを配備させまして、そしてだれでもそれを見ることができるという形にしたらどうか。そうすれば、
登記所においてそのような
提出があったかないかということはきわめて簡単にチェックできるわけだから、したがって、
制裁を課するというふうなこと、言いかえれば、そのような形において
計算書類を公示させることが可能である。こういうふうに
考えたのでございます。しかしそのためには、
登記所の人的、物的の設備もしなければならない、予算も要るというふうなことで、折衝いたしたらしいのでございますが、それができなかったために、この
法律案の中には結局姿を見ないで終わってしまったわけでございますが、しかし、
株式会社というふうな
有限責任の
会社というものが、それがその
財産だけしか
債権者のカタになるものはない。こういうものである以上は、やはり
経理内容というものを公開をするということが必要でございますし、またそうすることが、この
改正案の定めておりまする
計算の
内容に関する
規定を順守する、
様式を順守するということの保証にもなるわけなんでございまして、したがって、このような形における
立法がやはり早急にできなければならない。それが盛られていないということについて私は遺憾を感ずるのでございます。
もう
一つの
ポイントは、この
法律案は相当大きな
内容を持っているように見えますけれども、しかし、
商法全体から見ますれば、
株式会社法に関するものにすぎない。しかも、
株式会社法の中の
一つの
計算関係の
規定、そうしてまた、
他方におきまして
事務の
簡素化、
登記の
簡素化というふうなものが盛られておりまするけれども、いずれもそれはきわめて簡単な事柄にすぎないのでございます。で、
商法全体にいたしますれば、もちろん
株式会社にいたしましても、もっと改めなければならないところが多々あるわけでございますが、その点から
考えますと、きわめて小規模の
改正にとどまっているということは遺憾なことだと存ずるのでございます。
商法が終戦後、
昭和二十五年に
改正をされ、さらに
昭和三十年に小さな
改正がございましてから、すでに七年たったわけでございます。その間、この
立案に当たっておりまするのは、
法制審議会の
商法部会でございますが、
商法部会としては、三十年の
改正の
あとで、三十二年に制定になりました
国際海上物品運送法の
立案というものをやって、それが終わるとともにこの問題にかかりましたのでございますが、結局、それから以後四年を費しております。四年の間にこれだけのことしかできなかったかというふうに思われるかもしれませんけれども、それは現在の
立案機構というものがはなはだ徹底していないということによるのではないかと思います。
法制審議会の
商法部会というふうなものも、結局、
委員はみんな臨時に集まってくるものでありまして、それを
専門としているものではございません。もちろん、
法務省に優秀なスタッフを備えて、若干の人が当たっておるのでございますけれども、何といっても人が非常に足りないということから、大規模の
立法というものをやるにふさわしくないのでございます。しかし、このようなことをしておりますと、ほかのところをいじっておりまするうちに、一ぺん改めたものがまた時期おくれになってしまうというふうなことで、やはりこの点におきましては、
政府あるいは
国会におかれましても非常に思いをいたされまして、やはり
立案の
機構というふうなものについて、もっとしっかりした形のものをお作りになるというふうなことが必要なのではないかというふうに
考えるのでございます。
結局、そのような点におきまして、今度の
法律案というふうなものが、先ほど申しました
計算書類の公示というふうな具体的な
提案があるものを盛ることができなかったという遺憾、あるいは大きな目から見ればやはり小規模の
改正にすぎないのじゃないかというふうな遺憾はあるわけでございますが、この
法律案自体にいたしましては、先ほどから申し上げましたように、このように
商法を
改正していただくならば、それは非常に大きな改善というものがそこにあるということは申すまでもないわけでございますので、そういう
意味におきまして、今度の
改正法律案に対しては、私は賛成したいと存ずるのでございます。