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政府委員(
福田繁君) 三重県の相生中学の統合の問題につきましては、御
承知のように、これは
昭和三十五年からの問題でございまして、三十五年の春に相生中学の廃止が議決をされまして、そうしてその廃校の問題から端を発して、いろいろ問題を生じたことは御
承知のとおりでございます。その後におきまして、鈴鹿市の
教育委員会、あるいは三重県の
教育委員会といたしましては、できる限り、残留生徒の父兄側に対しまして、いろいろ説得もいたしたようであります。再三再四説得をいたしまして、できる限り円満な
教育が行なわれるようにというようなことで参ったのでございますが、しかし、いろいろその間に変化はございましたが、要するに、廃校になりました相生中学のもとの生徒の中で、約六十七名
程度の者が
——これは三宅部落、長明寺部落の出身者でございますが、そういう者がこの廃止された中学の校舎にがんばっておったということでございます。これは義務
教育でございますので、こういう事態はすみやかに解消すべきでございますので、当時、新聞等にもいろいろ報道されましたので、
文部省としても、県の
教育委員会に対して、できる限り適切な措置を講じて、これを解決するようにという指導はいたして参ったのでございます。ただいまお話のございました点でございますが、父兄が負担をしまして、
教員の
給与を払っているということでございましたが、現在、
教育委員会のほうにおきましては、やむを得ず
教員を派遣いたしまして、この問題の解決までは、少なくとも正常な
教育が行なわれるようにというような、配慮を続けて参っておるわけであります。ところで、そういう状態のもとにおきまして、昨年の十二月に、できる限り話し合いを進めていきたいということで、県の
教育委員会が入りまして、その地区の保護者の代表者等々といろいろ話し合いをいたしまして、そして
一つのあっせん案を出したわけでございます。これは昨年十二月の二十八日であったと思いますが、その県のあっせん案なるものは、鈴鹿市の合川地区及び亀山市の昼生地区の
中学校生徒のうち、不就学の状態を続けていることにつきまして、非常にこういう問題は早く解消すべきであるという
建前からいたしまして、すみやかな解消をはかるということであっせん案ができたのでございます。それの内容を簡単にかいつまんで申し上げますと、県の
教育委員会は、相生
中学校の校舎に現在残留しておる生徒に限りまして、正規の授業が受けられるような特別な暫定措置を講ずるということが、そのあっせん案の
趣旨でございます。その措置と申しますのは、今年の三月三十一日までに、一応、鈴鹿市、亀山市両当局並びにその地区の関係者が互譲の
精神をもって、ひとつ円満な解決をはかっていくということで、話し合いをしたのでございますが、旧相生
中学校の校舎、これは二棟あるそうでございますが、この二棟のうち一棟は撤去して、鈴鹿市内に移築することでございます。この場合、鈴鹿市が買収する土地及び校舎の移築について地元側では全面的に協力するというような条件がついておりますが、残りの一棟は、これは四月一日になります。四月一日以降直ちに撤去する、こういう条件でもって、現在の校舎を一応撤去いたしまして、鈴鹿市内に今の一棟を移築いたしまして、そこで暫定的に今の残留しております生徒が正常な
教育の続けられるような措置を講じていく。そういうことでございます。四月一日以降は、これは旧相生
中学校の残留生徒のうち、昼生地区の生徒は亀山中学に、合川地区の生徒は鈴鹿市の分教場に通学する、こういう分教場という形で当分残しておくということが、その地区の住民の感情からいたしますと非常に必要なことであるように思われます。まだいろいろございますが、そういうことで話し合いをいたしまして、もし話し合いが円満な解決ができない場合は、県の
教育委員会に、この四月一日以降の問題はあげて白紙委任する、こういうように話し合いをいたしたようでございます。それによって代表者
——保護者の代表者でございましょうが、その地区の人と三重県の
教育委員会との間に誓約書が成立したようでございます。したがって、県の
教育委員会としては、今月末までにそういう必要な措置を、この協定の
——協定と申しますか、誓約書の内容に従って、このあっせん案に示したような措置を講じながら円満な解決をはかる、こういうことを県の
教育委員会としては申しております。したがって、今後の見通しといたしましては、三十五年以来のいろいろ困難な問題があったと思いますけれ
ども、その間に、市の
教育委員会あるいは県の
教育委員会、いろいろなあっせん指導によりまして、大体今のあっせん案の内容によりまして解決の方向に来ているというように
考えるのでございます。私
どもは、このあっせん案の具体的な実現をしばらく注目したいと思います。