○天田勝正君 どうもばかに競馬局長みたいに弁護論をやるのだけれ
ども、これは私は
政府が一つの政策を作る場合は、やはり国民性というものも
考えてもらいたい。私
どもも、ギャンブルには違いないけれ
ども、世の中全部そういうものをなくしてしまったら索寞たるものになる、そういうこともありますから、全否定の立場には立っていないのです、実際は、それで、
内容は私にはわからないのだけれ
ども、七、八年前かな、一ぺんギャンブル全体の売り上げを計算したことがあるのですが、何んでもそのときに、戦前における二億円という数字が出たのです。それを物価
水準で割り出したところが。ちょうど昔はほとんど競馬一辺倒で、ほかのものはなかったのですが、戦後になってから、いや競輪もあれば、モーター・ボートもある。何かいろいろなものがある。とにかくいろいろなものを合わせて、ちょうどその当時で八百億か
幾らで、要するに昔の貨幣価値にすればちょうど二億くらいに当てはまる。数はふえたけれ
ども、貨幣価値における修正をすれば同じようなものであるが、これはどうもこのぐらいのことは
幾らとめてもやるのだ、私もそういうふうな感じをしたことが実際なきにしもあらず。ところが、私が唐突のように国民性ということを申し上げるのは、実ば日本人の多くは、戦時中中国に行っておったのですけれ
ども、中国などに行きますと、銅幣かけて盛んに日常ばくちをやっておるけれ
ども、負けたからといって、日本人のように目の色を変えないのです。知らぬ顔をしてお茶を飲んで、それで
一定額負ければさらりときれいにしてしまう。日本人は自分が負けたって目を皿にして人のことにくちばしを入れたり、要するに気違いになるのですよ。この証拠が、外国に行った場合に非常におそるべき事態となって実は現われておる。それは、たとえばアメリカで今市民権をとって、六十五ですか、になれば何人も老後の保障がされておる。そこで、戦後非常に市民になる
資格を落としまして、ほんの日常の片言会話ができて、自分の名前が書ける
程度の者までどんどん市民権を与えるようにしている。ところが、それをとれないで、今でも麻袋をかついで農場から農場へ渡り歩いているのはどこの国民かというと、日本人なんです。三十年いてそうして英語が全然できない。実に驚くべき——僕らのように英語のわからないような者でも、あんな試験なんかできそうなものだというものでもできないのです。これはもうその他の国の入にはまず絶無といってよろしい。これは何かというと、全部要するにギャンブルです。それでその同じところに1
質問じゃなくて話が長くなるようで、同僚諸君には恐縮ですけれ
ども、そういうふうに渡り歩いている反面、同時に、私がちょうど行ったときに、カリフォルニアだけでも千五百人くらいの例の農林省のお世話をしておる六カ月の短期移民。そうして六カ月おると三十六万円は持って帰れるのだ。千ドルは、ちゃんと食って寝てそうして現金として持って帰れる。六カ月で三十六万円持って帰れるものが、三十年いても一銭もない。麻袋をかついで農場から農場へ渡り歩いて、市民権さえとれない、こういう状態。私は、まことにいい例ではございませんけれ
ども、ここにあの競馬場の気違いざたという、目の色の変わった状態を、映画などで見ておそるべきものだ、
競馬法たった一つといっても、政策をきめる場合にはやはりそうした国民性を見ていただかなければならない。ですから私は単にひやかしで議論しているのではありませんで、連勝式をやめるならやめるでけっこうだ。しかしその目新しい連勝単式などということなどは、なぜされるのか、これがわからない。だから私はこれが今議論しても結着つくことではありませんけれ
ども、ギャンブルの性質上、新しい仕組みというものをそこへ持ち来たしたら、必ずこれで売り上げが多くなるということだけは間違いない。パチンコだってあの何というんですか、バネを引っぱって玉をころがすの、あれ何というのか知らぬけれ
ども、台が新しくなったというだけで人が行くのですから。それが事実でしょう。ですから私は何もこの
法律改正にあたって、新しいこれからそのわれわれみたいな者にでも
説明しなければわからないような連勝複式ですか、そういうよけいなものはやめることにはならぬのですか。どうなん、です。やめたっていいでしょう。どうしてもそのほうがいいというのなら、一ぺん連勝式だけやっておいて、新しい競技方法は作らずにおいて、この次の機会ということでもよくはございませんか。