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天田勝正君 じゃ聞きます。私はまず指摘したいのは、どだいこの問題では水産庁も海上保安庁もてんと本腰を入れてないと思う。それが問題なんだ。本腰を入れておれば、もう今の何が、法律が不備ならば応接にいとまないほど役人は法律を出してくるんだ。不備なのはとっくに知っておりながら、知らぬふりしてたというところにまず問題があるんだ、法律でできませんと言うならば。実に私は勉強不十分とか何とかじゃない、ふまじめだと思うがね。この出された
資料を見ればよくわかる。不まじめなんですよ。皆さんもずっと見ておられるけれ
ども、これの、どこにどういう被害がありました、どの船が座礁してどの船から油を出した、みんな原因が書いてある。それで今度はそのほかに
対策のところを見てごらんなさい。
対策の中の一番ひどいのは何も書いてないところがある。何も書かない
対策というのは、私はもうじき五十六になるはずだけれ
ども今まで見たことがない。
対策というのは何かやって
対策なんですよ。一言も書いてない
対策というのは世界広しといえ
ども、あるかといえばないのです。それから、それよりもずっと軽いけれ
ども、どこへ行って陳情したの、どこへ要望したのというのがある。これは被害者が要望するので、何も
政府側へ求めた
資料の
対策じゃありやせん。陳情がわれわれのところへも来た。そんなものは
対策にはなりませんよ。その陳情を受けたからどうかしたというのが初めて
対策なんだ。
政府にせよ、県庁にせよ、そういうものでなければならない。それから、実にしばしば決定的な結論は出ないと、こう書いてある。これが実によけいにある。結論が出ないというのが
対策か。これもまた聞いたことがない。こういうわけで全然もう……。あれを見るというと、まだ一番いいほうが「両当事者目下交渉中」と、これが一番いいやつなんだ。これはあんまり、これも
対策のほうでは普通の常識からすれば入らないけれ
ども、せめて交渉中、それも三十二年ころ起きたのが交渉中なんだから、およそこれはあいまいになるのは見通しが立ってるけれ
ども、それにしても交渉中が一番上等、この
対策の中で。あとは結論が出ませんの——何ら補償措置は講じていない。補償措置はちっとも講じないというのが
対策だというんだ。たとえばこの21のところにありますよ、愛知県の被害、これには「補償等は行われていない。」補償してくれといったのをちっとも行なわないというのは
対策じゃない。そうかと思うというと、「海上保安部に取締強化を要望」そんなのは初めっから要望しているんですよ。これも
対策じゃない。よって、
対策じゃないものばかりだ。しかも自分の、
政府側の
対策じゃない。被害者自体が要望したのを、交渉中というのが一番上等な
対策、不まじめなんですよ、これは。だからこういうことになる。今度の場合だって、さっきから各
委員から言われておりますから、私は重複は避けます。どっちにしたって油というものが天から降ってくるのを見たこともないし、風で吹き寄せられたということも空からはない。そうだとすれば、それはどの船かから流れ出たことだけは間違いないんですよ、これは。あるいは海岸のタンクから流れ出たとかね。今度のイーグル・コリア号というものだって、
清澤君が指摘したとおりなんです。こういうのを、私はわざわざ加害者側に何というか、味方をするというような格好で行方不明に終わらしてしまっているんだろうと思う。時間をかけると油だってどっかへしまいには行ってしまう、年限かければ。もっともこのうちにありますよ、さっきの
対策の中に。さっき私は見たからついでに申し上げておくわ。これも不まじめきわまる
対策の例だから言うが、9です。これもちょうど千葉。これはアメリカ国籍の貨物船アラスカベア号という七千六百四トンの座礁沈没に伴う流出油だ。今度それの
対策のほうを見ると、こういうふうに書いてある。「海岸汀線の岩礁間に滞溜した重油量は
相当多く」という「
相当」というのはどうだか知らないけれ
ども、とにかくかなり多いと思うという
意味だろうと思う。「かなりの層をなして浮游していた。しかし、その後のシケにより自然に他へ流出除去された。」こういうのが
対策なんです。天然自然にどこからか風が吹いてきてしけになってどこかへ行ってしまった、これが
対策だという。実に不可思議しごくなことなんでありまして、今度の場合もちょうどイーグル号から出たということだけはこれはもう認めているけれ
ども、そっちへ零細な漁民がじかには訴訟だの何だのもできないし、交渉もできな
いから、そこで
政府が何とかして下さい、向こうへ交渉するのは国民の代表としてやって下さいというのが最初要望すべき
対策でなければならない。そういうことを要望しておるのです。そこで、そういうことをちっともやらない、こういう不まじめな
資料を出してきたというのは一体どこに
責任があるのです。まずこれを聞かなければならない。
その次に、さっき海上保安庁のほうから言われた、私のほうのやることは故意の場合でございますと、その他のことについてはどうも云々というので、あとのことはよくわからなかりたけれ
ども、しかし、故意だか、ほかの理由だかかけつけてみなければわからぬでしょう。そんなもの、そうでしょう。南海丸が沈没した場合には、あの荒天の中を冒して現場へかけつけているのですよ。第五何というのですか、あすこは、かけつけている。そうしてあの荒天の中でもその原因をちゃんと調べているのですよ。やればできるということなんです。今度だって時間をえら
いかけていないで直ちにそのときに何すれば、その
責任だけはもう明瞭なんです。何か水産庁のほうでは、当事者を決して押えるものではございません、どんどん民事訴訟でも何でもおやりになってと、それもどうだという場合には話し合いでと、その話し合いも別に私
どもは押えることはありません。まことにこれは四角四面なかみしも着た
答弁なんです。ところが、それができないのが零細漁民の零細漁民たるゆえんなんだ。そこのところを
政府がやってくれなければだめだ。また、元へ戻るような話で済みませんからやめますが、そこで海上保安庁のほうは、どうして故意だの故意でないのということをどこで判定するのですか。この場合は故意ではありませんと、行ってみなければ何だかわかりゃしない。どういうのです、それは。故意でない場合はかまわないんだ、そういうふうな海上保安庁なんというものはあってもなくてもよろしい。どうですか、それは。