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永岡光治君 関連。ただいまの
光村委員の質問に関連して少しばかりお尋ねしたいわけですが、刑罰の目的と申しますか、いろいろ見方があると思うのですが、普通の場合における刑罰の対象になる者に対する考え方と、労働運動の範疇で対象となるべき問題の取り扱い方というのは、よほど観点を異にして私は考えていかなければいけないんだと思う、歴史的に見て。
昭和三十二年でしたか、三年でしたか、全逓の、田中角榮さんが
大臣当時に問題の端を発するわけですが、あの当時大量の本部初めとして首切りの
処分が出まして、それ以来というものは、現在の
法律、労働法の不備がありまして、なかなか正常な団体
交渉すら持てなかった不幸な私は労働運動の状態だったと解釈しているわけです。そのことが不必要に
事業を混乱さしている原因であったと私は解釈しているわけですが、そういうことから考えて参りますと、今度の
処分にしてもそうでありますが、従来しばしばその間行なわれた
処分にいたしましても、その原因となった問題については、多分に労使双方間において感情的に走ったものが私はずいぶんあったと思う。これは非常に私は不幸だと思うのでありますが、しかし、その過程でも、長い労働運動の経験から、やはり労使の
正常化ということは
国民全体からも要望され、私たちもそのことを念願しておったわけでありますが、幸いにして昨年の年末時の、言うならば闘争といいますか、そういう場面にぶつかった際における取り扱い方についても、非常に私たちは関心を持って、非常に
国民の中にも
郵便の遅配という問題が蔓延して、その
正常化に対しての切望が強かったと思うのですが、それが両者の理解ある態度で円満な解決を見て、
大臣のこの
所管事項の報告の中にもありますように、非常に円滑にいったと言うし、私たちも暮れの東京内の繁忙と考えられる数局を回って来ましたが、
局長さんのお話によりますと、それは
業務の取り扱いに対する事前の措置もよかったのでありましょうけれども、いずれにいたしましても職員の協力ということが非常にあずかって力になりまして、最近でなくて、
郵便事業始まって以来の非常ににスムーズにいった年だと、こういうふうに承っております。事実そのデータも拝見いたしましたが、そのとおりでございました。ところが、そういう状態であるのにもかかわらず、年が明けてこれは二月になりましてでありますが、
処分があった。しかもそれが懲戒免職、こういう記事を
国民が見たときに、何だろうと、どうしたんだろうという疑念を持つのが私はあたりまえだと思うのですね。お話に聞きますと、その
業務の
運行を阻害したというようなことが言われておりますが、しかし労働運動がそこまで円満にいけば、極刑はこの際一応見合わせて、刑罰の目的はいろいろあるでありましょうが、将来が円満にいくという、そういう方向に進みつつあるというのであれば、むしろ忍びがたきを忍んでも、私はそういう方向に協力するのが、
国民からお預りしている
郵政事業を円満にするゆえんのものではないだろうか、私はそういうふうに考えるわけです。かりに法に触れた者があったといたしましても、むしろそれは外部に出すのではなくて、内輪でその問題を解決していくということのほうがよほど信頼を高める筋合いのものじゃないかと私は思うのです。
ところが今の
処分の問題でありますが、聞いてみますと、三名の方をあげられておりましたが、私も現場を見たわけではありませんから、ここでいずれが正しいかどうかという判断は、この際下すことを一応保留いたしますけれども、しかしそれにいたしましても、以上申しました観点からするならば、非常に酷ではないだろうか、たとえば今、三重の問題を取り上げられましたが、
組合側のお話を聞きますと、これは人
事部長の今の答弁の中にもありましたが、非常勤の職員を時間外に集めて、そうしてお前たちはその仕事に協力しては困るのだ、というのは、今ちょうど規制闘争と申しますか、時間外勤務を、それをとめようとしている
状況なんだから、
組合の方針にも従ってもらいたいということで、説得をしたそうであります。こういう問題について考えましても、
組合の役員であってみれば、そういう一貫した目的のもとに、このトラブルが進んでおるとすれば、やはり
組合のその
指導者の立場というものも相当理解をしたあれをしなければならぬと思うのでありますが、ふだんのこの
処分であってみれば、今
光村委員からも言われましたが、朝飯前と言えば、あるいはあまりオーバーな言い方かもしれませんけれども、大体従来の例からすれば、他の
組合の
状況にいたしましてもそうであります。極刑をもって臨むには、少し酷ではないだろうか、むしろ刑罰の目的、
事業の
運行を将来に託すというのであれば、この際反省を求めるという程度にとどまるのがいいのではないだろうかと私は思うのです。言うならば、郵政当局の非常にある一定の方針のもとに、こういう私たち感じを強く抱くわけでありますが、そういう方針のもとに、これらの三名の諸君が流れだまに当たって、犠牲を受けたのじゃないか、ふだんの場合ならば、懲戒免職百点——悪いところで百点という、そういう基準があるとすれば、この際は、六十点ないし六十五点くらいのものじゃないだろうかという気がするわけです。ところが、これは首になった。私は後ほどまた申し上げたいと思うのでありますが、
大臣に特に御考慮をいただきたいと思うのでありますが、私たちが知っておる専売の労働
組合、あるいは国鉄の
組合、あるいは
電電公社の
組合のごとき
処分につきましても、もうすでに過去に
処分されたものも復職されておりますし、また年次を分けて順次もとに
処分を戻しておる、という事態がある中に、なんでその全逓だけをこの際取り締まらなければならぬだろうかという、そういう感じが強いのであります、非常に強くするのであります。だから、その全逓が
処分をされて、それはまあ
正常化になったとかりにいたしましても、それは
処分によって
正常化したのでなくて、
組合の何と申しますか、
事業に対する態度といいますか、労使慣行という観点から、私はみずから自主的な立場に立って、積極的な観点からの
正常化と私は解釈するのでありますが、どうしても、考えますと、この
処分が、せっかく
組合が
正常化にいこうという矢先に、そういう意欲をそぐ、労働運動というのは非常にむずかしいのでありまして、私から申し上げるまでもないのでありますが、幹部の諸君の気持というものは非常につらいわけでありまして、非常に大ぜいをまとめて、つらいわけでありますが、その際に、大ぜいある
組合員であるから、中には若干の行き過ぎがあるでありましょうけれども、そのことを物指ではかって、これは首だという、そういうやり方をされますと、今まとめて、新
郵政大臣になりましてから、特に
正常化の方向に踏み出す動きが強くなっておる矢先に、また
処分される。
組合員の諸君にしてみれば、お前たちはいいかげんなところで妥協するから、こういうことになってしまったのだ、やはり戦わなければだめなんだということで、よけいに何といいましょうか、よけいに当局の態度に対して反感を持った行動に出がちなのであります。それは広い、長い目で見ていいかどうかということになると、私は決していいものでは私はないと思うのですが、そういう観点から、この際私は
大臣、あるいはまた人
事部長あたりの労働行政——こまかい問題は、個々の例は取り上げることを差し控えますが、労働行政というものの長い間続いて参りましたところの冷戦というのですか、それを解消するために、取るべき手段は一体ないのか、どういう方針でいくのかということをただしてみたいと思うんです。
なお、それにつけ加えますが、先般来、「新しい管理者」といいますか、何かそういうパンフレットが出たそうでありまして、私たちも全部読んではおりませんが、若干の抜き書きを拝見いたしましたけれども、何か反動呼ばわりされるような管理者というものがほんとうの管理者なんだ、全逓というのは暴力団なんだ、そういう暴力団という認識のもとに管理体制を確立すべきなんだ、こういうものの言い方をしますと、これはどうしても正しい労働慣行というものは生まれないと思うんですね。だから、この際明確にしていただきたいのは、そういう個々のいろいろな問題があったにいたしましても、広い、長い目から見て、
郵政事業の
正常化ということを考えます際には、もっと忍びがたいものが、かりにあったにいたしましても、忍んで、百年の大計を立てる必要があるのじゃないか、その時点が今じゃないか、私はこう思うんですが、そういう新しい労働行政という観点と、今回行なわれました
処分を対比して参りますと、この
処分は苛酷だ、その苛酷が、むしろ
事業の
運行や、
組合のあり方についてマイナスを及ぼす結果になるのじゃないだろうか、このように私は考えるわけです。
こういう問題について、どういうようにお考えになるのか、その点を私は
大臣及び人
事部長から承りたいと思うんです。