○
参考人(宮崎吉政君) 私は、まずこの
法案を批判するにあたりまして、基本的な
考え方を先に申し上げます。
それは、第一番目には、
選挙とは、
政治におきまするところの、そのほかのいろいろな
国民作用の諸方式、たとえば請願デモ、交渉、圧力団体の働きかけといったようなものに比べまして、
選挙はその中心である、いわば唯一の表通りの行事でありますが、すべての
国民が漏れなく、公平に、かつ、明朗に参加することが大事だというふうに
考えております。にもかかわらず、最近
選挙が決してこうした理想どおりに行なわれないことから今日のように
選挙法の
改正が取り上げられたのだ、これをまず第一に
考えるのであります。
第二番目には、
選挙法改正というものは、これは場合によっては
政治制度をも変革するところの直接の契機となり得るものであります。ルネ・キャピタン教授あるいは宮沢俊義教授が言っておりますが、一種の革命さえ引き起こしかねないのが
選挙制度の
改正であります。同時に、
選挙法は、
政治家にとりましては、場合によって、それこそその死命を制するような事柄をも含んでおるのであります。したがって、私たちは、単に
選挙制度を
改正するといたしましても、こうした点を十分に
考えてから慎重に取り上げることが必要だ、これが第二番目に
考える点であります。
第三番目には、しかしながら、同時に、
選挙というものは民主
政治の根幹であることは言うまでもありませんし、
政治家同様にわれわれ
国民にとりましても、
選挙民にとりましても重大な問題であります。したがって、
選挙法あるいはそのほか
立法権に属する問題は第四権——
立法、司法、行政のほかに第四権的なものを置いて、こういうものを認めるべきだという
意見があるくらいでありまして、ただいま
久保田さんの言われました第三者的な機関というのも、その
意味かと思いますが、そうした
意味合いで
国民も十分にこの
選挙制度の
改正、
選挙法の
改正に参加しかつ参加するところの権限と義務とがあるんじゃないかというふうに
考えます。したがいまして、私たちは、
選挙制度が民主
政治の土台であるという限りにおきましては、まず第一に、基本的な人権としての
政治的な自由を侵害してはならないという点と、もう
一つ、抜け道を探すような現在の
選挙の
あり方、
選挙法の脱法行為というものは厳重に規制すべきだ、つまり
選挙の自由と、それから
罰則を強化するという二律背反の上でこの問題を
考えねばならぬというふうに
考えます。これが私の今度の
法案、
選挙法改正に関しまするところの基本的な
考え方であります。
ところで、
提案された
選挙改正案でありますが、これを見ますと、表面は、これは
選挙制度審議会の
答申から
政府案ができ上がりまして、自由民主党の
修正、そうして民社党と自由民主党との共同附帯決議をつけているということで、
衆議院を通過したものでありますが、内容におきましては、
答申案からまず
政府案になる段階、しかも、その
政府案になる段階におきましては、自治省案がいろいろな党内
修正によって
政府案に固まるまでの段階、さらに
衆議院におきましては、自由民主党による
修正という各過程を通じまして
修正されておりますが、何といっても一口に申しますと、この
修正は改悪と称して過言でないというふうに
考えます。もちろん、私たちはこの
答申の完全実施を今直ちにやれという強論を吐こうとは思いませんけれども、しかし、今申し上げたような
意味で、やはり社会党もしくは民社党の主張されておる点に重点を置きまして
改正されることが望ましいと、今日の段階におきましても
考えております。すでに社会党は、今度否決はされましたが、
修正案を
衆議院に出しております。民社党は今度は
提案はいたしませんけれども、一昨年民社党が発表いたしました
選挙法改正案要綱につきましては、ほぼ社会党と同様の主張をいたしておりますが、私どもは、こうした方向に従って本案をできれば
修正していただきたい、こういうふうに
考えております。
それでまず内容につきましては、時間がありませんから、簡単に触れることにいたしますが、まず、何といっても、本案の内容について問題にされておりますことは、現在の
国会とそれから
国民との間にギャップが多過ぎるのではないかという点であります。その
一つが、先ほどから阿部さん、
久保田さんによって主張された
選挙制度審議会の
答申無視という格好に現われているのでありますけれども、その第一番の点は、やはり言うまでもなく
連座制強化の問題であります。この内容も、時間がありませんから、ここでは触れませんが、これにつきまして、
政府あるいは党の御説明を聞きますと、たとえば
連座制におきますところの当然失格の
条項については、憲法違反ではないけれども、本人を
裁判に関与させないということは憲法違反の疑いがあるというふうなことを言っております。あるいはまた、実際上これは危険が多いのだ、兄弟姉妹は他人と同様である、
現実において、自由民主党と社会党とに兄弟が分かれて
選挙をやっている例があるではないかということを言っております。私もこれの例を知っておりますが、そうした実例をそのほかに知っております。しかしながら、この辺で
考えなければなりませんのは、やはり私は
連座制そのものは今日の段階において簡単に
罪九族に及ぶ、そういう思想が古いと言ってきめつけるべきものじゃないというふうに
考えております。やはりこれは今日の
現実を
考えますと、
連座制というものは、今日の
選挙でどうしても必要なんじゃないかという気がいたします。今日の
選挙というものは、しばしば、
選挙は
候補者一人でなくして、多くの人々と共同作業によって行なわれているという事実であります。したがいまして、私どもは、しばしば
候補者以外になお実力を持った側近者がいるというようなことを
考えますと、この
連座制の存在というものはなお必要じゃないか。さらにまた、
法律思想の点から
考えましても、他人の罪によって当然
責任を食わなければならぬということでありますが、これは今日の
候補者が運動員に対する管理もしくは監督、指導といったものの
責任の
意味合いからも、この
考え方は取り上げられてしかるべきではないかというふうに思うのであります。イギリスにおきましては、一切の
選挙が、この
選挙資金を扱うエージェントというものがおりますけれども、その
制度のことにつきましては、普通
選挙区の
責任者などが当たっております。そうしてこれは
候補者の
選挙違反は連鎖反応としてその地域のエージェントに及ぶということになっておりますが、こういうこともこの際一緒に
考えるべきじゃないかというふうな気がいたします。
それから第二番目には、同級公務員の立候補
制限であります。これは御承知のとおり、内容はすっかり変わったのでありますが、私どもは、これにつきましても非常なる不満を感ずるのであります。高級公務員の立候補
制限につきましては、理論的にもそうでありますけれども、実際問題として非常に多いのじゃないかという気がするのであります。皆さん御存じのとおり、昭和三十四年に
選挙制度調査会が
答申をいたしました際、各
新聞の社説は一様にこの問題を取り上げております。また幾多の事例が
新聞紙上に公開されております。当時の言葉といたしまして、高級官僚が政界に進出をねらう最短コースは、
参議院の全国区だというふうなことを言われておったのでありますが、過去四回の
参議院の全国区の当選者のうち、高級公務員出身と
いわれる方々は、昭和二十二年四月
選挙では十五人、二十五年六月
選挙では十人、二十八年四月
選挙では十四人、三十一年七月
選挙では九人、三十四年
選挙では十人ということになっております。その内訳はいろいろありますが、これは省略いたしますけれども、いずれも現業官庁の元次官とか
局長といったような人々が多いのでありまして、この人々の最短コースとして選ばれたということについては、何がしかここで
考えなければならぬのじゃないかという気がするのであります。そのほか、これにつきまして自治省や自由民主党内においては、しきりに
法律論を展開しております。あるいは法の下の平等の問題とか、職業選択の自由とかいったようなことを
いわれておりますけれども、これは私ども十九世紀的な権利義務の概念ではないかという気がするのであります。二十世紀の権利義務の概念といたしましては、国家のため、あるいは民主
政治を守るためには何らかの制約、
制限というものを甘受しなければならぬというのが、私は二十世紀の権利義務の概念だと思うのでありまして、そういう
意味合いにおきまして、高級公務員の立候補を
制限するということは、必ずしも憲法違反だとか、基本的人権を侵害するというふうなことには相ならぬというふうな気がしております。そのほか、これにつきましては、なお、この高級公務員の立候補
制限が形を変えまして、一切の公務員あるいは
政府機関職員、地方公共団体職員というふうに今度の対象が変えられました。これも私はずいぶん、まあ悪く言えば党利党略、それからよく言っても、物事のけじめを誤った
考え方というふうに断ぜざるを得ないのであります。つまり高級公務員とただいま申し上げました
一般行政職員とは、おのずから別な範疇に入るのじゃなかろうかという気がいたします。これは単に高級官僚が高文をとっていわゆる高級官僚となる者と、それからそうじゃないところの者というふうな分け方よりも、
現実に高級公務員と
いわれる人と地方の
一般行政職員との間には、行政に対する
責任におのずから違いがあろうじゃないかという気がするのであります。のみならず、
現実の問題として高級公務員と
いわれる人々が、これはひとり
参議院のみではありませんが、非常なる勢いをもって
選挙に出てきておることは、私どもも
現実に見ております。その人々は、ある人々は役所の看板を利用するでありましょうし、あるいは役所の機構、スタッフというものを十分に活用しておるのであります。そうした人々と、単にあるいは職員組合あるいは日教組の役員ということで出ておるのとでは、おのずから私は軽重の差があるのじゃないかという気がするのであります。のみならず、この高級公務員に対する
考え方といたしましては、単に
日本のみではないのでありまして、外国におきましても、ハロルド・ラスキ教授なども、いやしくも
責任ある行政に携わった者は
政治に出てはいけないということをはっきりと言っております。これはひとり
日本のみではないのでありまして、私は、この
考え方はなお今後も生かしていかなければならぬ。したがって、この
考え方が否定されたことは非常に残念であるという気がいたします。
さらに第三番目には、
政治資金の規正の問題であります。これにつきましては、先ほどいろいろな方から御
意見がありましたから、私はここで詳しくは述べませんが、要するに、
選挙に金がかかる、したがって、
政治に金がかかり過ぎるというふうな実態を是正するには、やはり現在アメリカやイギリスか採用し——完全に採用しているとは申しませんけれども、採用する方向にありますところの個人献金ということに方向を向けるべきではないかという気がいたします。もちろん一朝一夕でできないといたしましても、これは段階的に取り上ぐべき問題であります。しかも、本
改正案のイニシアチブを終始とりましたところの自由民主党におきましては、いわゆる少額大量という
意味合いで
国民協会を結成しているのでありますから、今度の
選挙法の
改正にいたしましても、この点について、もっと抜本的な
考え方が必要だというような気がするのであります。これはすでに、単に
選挙だけではありませんで、
政党の資金源の構成の問題としても取り上げなければならぬと思いますが、この辺は、私は、やはりもう少し突き進んで思い切った
措置をとってほしかったということをまず申し上げておきます。
なお、
衆議院の最終段階で
修正されました自由民主党の
修正、これは全くまあむき出しの現
議員のエゴイズムと申しますか、
個人本位と申しますか、そうしたことが多かったような気がいたしまして残念であります。内容については詳しくは申し上げませんけれども、私どもは、たとえば
事前運動の削除でありますが、本来
選挙というものは、先ほど申したとおり、自由なるべき点。
言論文書に関する活動は自由に、できればもう無
制限に自由を許すべきだというふうに
考えます。わが国の
選挙の取り締まりというものは、これは明治二十二年、さらに二十三年ごろからのものがそのまま残っておるのであります。しかも、大正年間におきまして、普通
選挙が採用されましたときに、時の
政府がこの普通
選挙が、あまりにも燎原の火のごとく
国民の間に民主主義的な風潮を起こすだろうということを心配いたしまして、むしろこれを抑える
意味合いで、普選と引きかえに取り締まり法規ができたというのが、今日の
選挙、
言論の取り締まりの沿革であります。したがいまして、これはできるならば、こうしたものは徹底的に
制限を緩和するという方向に向けるべきであったというふうに私ども
考えるのでありますが、それがこのような、単に現
議員が
国会に縛りつけられている間に、
新人やあるいは元
議員などが出ていって、
事前運動をやるから困るというような小乗的な気持でこのような
修正をされたことは、はなはだ残念だという気がいたします。
それから例の労務報酬の問題でありますが、これは私どもは、私ども
自身が
選挙を
現実に見ておりまして、決して実際の
選挙運動というものは手弁当でやらなければならぬということは、必ずしもとるべきではないというふうには
考えております。そう簡単な
原則論ばかりは言っておられないと思います。したがいまして、むしろ私はこの問題は末梢的な問題とさえ感ずるのでありますが、ただ問題になりますのは、運動員の報酬という名目で、一体どの辺からあるいは買収が行なわれるか。つまり量が質を
規定するといいますとおりに、あまりにもこういったことが多くなって参りますと、どこかで本質的な買収、供応ということに転化するのではないかというふうな点が心配されるのであります。さらに後援団体の寄付の問題でありますが、これも後援団体の寄付を一定期間内だけとするという
考え方でありますが、これはちょうどこの
選挙資金と
政治資金とを分けまして、
選挙資金はいかぬが、というふうな言い方と同じだろうと思います。つまり抜け道をどこか設けて、それをだんだんこじりあけて大きくしていくという危険がこの
法律を
修正する場合の底流にあったのではないか。例外を認めるということが、例外がだんだん拡大して、その全部になってしまうというふうな危険を
考えますと、こうした一定期間だけとして
制限をつけたということは、はなはだ危険なことになるのじゃないかという気がいたします。
そのほかいろいろな点もありますけれども、私どもといたしましては、もちろんこの
法案の中に、今日よりも前進した点は多く認めます。たとえばポスターや
演説会、ビラなどに触れた点、
政党本位に進めようとした点、公営を拡大しようとした点、法定
選挙費用を合理化した点、そのほか
罰則の面などにおきまして、
選挙秩序維持のために、重複立候補や郵便立候補を禁止した点は、私はやはりかなりの成果を上げると思います。しかしながら、そうは申しましてもなお、この点にも、
政府がそう申しました中にも、非常なる不満な点もあるのであります。
政党本位の
選挙といいましても、現在の中
選挙区のもとでもって、一体同士打ちが避けられるかどうか。そうしますというと、結局やはり
政党本位の
選挙ということはどうも望まれないのではないかという気もいたします。公営の拡大といたしましても、もっと思い切って、たとえば立会
演説会一本にしぼるとか、
選挙事務所を一個所に集中するといったふうな点にならなければ公営の拡大ということもおのずから限度があるのではないかというふうな気がいたします。
私は
結論的に申し上げますと、本案は、決してせぬよりましな
程度の
改正とういふうには思いません。しかしながら、といって、
審議会の成立の過程あるいは
政府の公約、池田総理大臣のしばしばの約束、
国民世論といった観点から
考えますと、決してこのままで
法案が通るということには満足できないのであります。今度の
参議院選挙は、もちろんこの
改正案でやってもらいたいと思いますけれども、なお、このような不満があるのですから、時間はもちろん迫っておりますけれども、やはり三党の間で十分な話し合いをやって、できれば社会党、民社党の主張しているところに近づけていただきたいと思っておるのであります。
ただ私は、この際もう
一つ申し上げたいのは、幾ら
制度や法規というものを
改正いたしましても、これが守られなければ
意味がないのであります。私の友人の杣正夫君などは、その「
選挙」という書物の中に、
選挙法は、現在わが国におきましては、独禁法、食管法、売春法と並んで、四大ざる法というあだ名が進呈されておるというようなことを言っております。このように抜け道ばかり探されて、これが実施されないならば、いかにりっぱな
改正が行なわれましてもそれは
意味がないのであります。
さらにもう
一つ、私は、この
選挙法の
改正があまりにも今日のような
政党の運動の面だけに集中されましたために、根本的な問題において幾らか注意がそらされたというふうには感じております。先ほど阿部さんが冒頭に申されましたとおり、
選挙制度審議会自身が今日その
答申をちゅうちょしておりますのは、
人口アンバランスの是正の問題と、
選挙区制の点であります。私は
選挙法の
改正というような問題は、
区制改正を含むような抜本的なこの
制度改正ということを契機として、初めて実施されるのではないかという気がいたします。つまり
選挙制度の中心的な二の改革を行なうことによって、一切の部面に改革を与える、そうして
候補者はもちろんのこと、
国民も一緒になって新しい気持でこの
選挙に臨むということによって、初めて今日われわれが期待しております公明なる
選挙、粛正
選挙ということが期待されるのではないかという気がいたします。また、
区制につきましては、小
選挙区制もあります。比例代表制の主張もあります。あるいはまた、両者の混合方式ということも言われておりますけれども、私どもは、そのいずれでもいいんでありますけれども、ともかく、今後は
区制改正の問題に取り組んでいただきたいということを感ずるのであります。
最後に一言申し上げますが、私たちの世代というものは
政党政治の時代に成長いたしましたので、
政党政治以外によりよき
政治運用の方式はないという信念に一貫していたのであります。しかるにもかかわらず、中途にして、私どもが戦争におりました間に、
政党政治というものが
日本において崩壊する時期を迎えたのであります。しかし、私どもは今日
政党政治以外によりよき
政治の運用方式はないと思います。それがまた今日腐敗
選挙によってゆがめられたり、あるいはそのために左右の暴力を招くということになりましたならば、これはまさに私たちは再び千年の悔いを残すことになるのであります。したがって、私たちは、この際、三党いろいろの
立場もありますし、いろいろの主張もありましょうが、
選挙制度の
改正なんという問題は、何もその主義主張とか、あるいはその立党の精神とかに関する問題ではなくして、もっと
国民と密着した
意味合いで取り上げれば、おのずから妥結点、妥協点も出てくると思います。その
意味で、日にちは少ないですけれども、やはりもっとわれわれの
世論の一番最大集約的表現であった
選挙制度審議会の
答申、これに近づけるように、ひとつ三党で
修正に努力していただきたい。もし時間がないといたしましても、そうした例はすでに皆さんも御存じのはずであります。たしか芦田内閣のときでしたか、一日で予算ができたということもあります。そういうふうにやろうと思えばできないことはないのでありますから、日にちがないというようなことを言わないで、ひとつ三党間でなおも再
修正の話し合いをしていただきたい、こういうことを要望いたしまして私の公述にかえます。(
拍手)