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永末英一君 私は、民主
社会党を代表いたしまして、ただいま上程されております二つの
法案について
反対の
意見を述べます。
第一は、本
委員会の
委員長が非常に公平に審議を進めているその最中、しかも十分審議が尽くされていない段階で、自民党の側から審議打ち切りの動議が出て、審議が十分されていないままでこの
法案審議の終結を見つつあるという事態を、非常に遺憾に存じます。なぜかならば、これはそれぞれの各政党の問題ではなくて、
納税者である
国民が、自分の財産等について国家権力によって制限をされてくる、その態様について非常に重大な
関係を持っている
法案を審議する場合には、審議だけは十分に尽くさねばならぬと
考えるからであります。たとえば、本
国税通則法が、その基本的な性格といたしております点がその第一条に盛られておるということでございますけれ
ども、その中には、この
法律には国税についての基本的な事項が盛ってあると、こういうのです。しかし、私
どもが
考えるところによれば、
国民は憲法によって納税の義務を与えられておりますが、その納税の義務の果たしようについては、今まではそれぞれのたくさんの
税法上の扱いが
規定されただけであって、その義務を遂行する場合に、一体
国民の
利益というものはどのように国が守らねばならぬかということを
規定した
法律はございません。しかし、問題は、昔のように、国と
国民とが上下
関係に立つのではなく、いやしくも財産に関する、あるいはまた経済的財に関する問題については、国と
国民とは同等の立場において行なわれるべく、取り扱われるべきだとわれわれは
考えるからである。すなわち、
言葉をかえていえば、昔の権力主義的な一つの租税徴収体系というものについて、
国民はこれを強く是正を望んでおったと思うのです。もしもこの
国税通則法がそういう点について新しく今まで雑多であったいろいろな
法律をまとめて、一つの基本的な通則を作ろうというのであれば、この点こそは見のがしてはならぬ最も重大な点であったと思うのです。ところが、残念ながらこの点が貫かれていない。たとえば、
国民が、各税の決定があった場合、それが不服と
考えた場合にいろいろな審査要求をしたりしようというようなことが、この
法律では他法の成立を待つがためにその施行期日が十月一日まで延ばされている。私
どもは、その不服審査等の件について十分にこれで
国民の
権利が担保されていると思いませんけれ
ども、今まで政府当局が説明したところでは、従来よりはいささか
国民の
利益が担保されているとするならば、他法の成立を待たずして、もっと早くからこの
法律案の中に施行期日をきめるべきが至当であったと思います。すなわち、これを半年も延ばしておるという一つの身がまえの中に、この
国税通則法自体が
国民の
利益についてはなはだ
考えるところが少ないということを暴露しておるものであると
考えざるを得ないわけであります。したがって、こういうものについて
国税通則法という名前を冠するのは、はなはだどうも羊頭を掲げて狗肉を売るものではないか、むしろ徴収
手続法、その程度のものであって、もしもこれをもって、
国民が国税に対するいろいろな
考え方に、一応これで終局的な筋道が立った、こういうように
考えるならば、とんでもないことだと思います。そういう観点から、この
国税通則法という名前、しかも
目的にあげられたことが満足せられていないという点に、私
どもはこの
法案に対して賛成できないという基本的な
考え方を持ちます。
以下、
国民の
利益がどのように担保されていないかということを、事例をあげながらわれわれの
反対の
意見を開陳したいと思います。
第一は、
最初この草案が出ましたときにいろいろな
意見が出ました。最終的には、実質課税の原則等五項目にわたって今回は
規定をしなかったということでございます。
規定をしなかったのが、一体今の観点からすればどうなっておるかと申し上げますと、これをもし何らか抽象的な
規定を設ける、あるいはまた何らかの
規定をもってこれを執行していくということになりますと、
国民が、この法文に盛られた文章だけでは推測、予知でき得ないような事態において、税務行政機関の判断によって措置せられる、こういうことが非常に
国民に不
利益になるのではないか、こういう判断が政府当局にもあったがために、これを今回盛らなかったのであろうと思う。しかも、将来の見通しにつきましては、この点について、ある部分については、相当長い間の成熟を待たなければできないという
考えもございまするが、ある部分については、何らかの契機があればこれを盛ろうというような感覚が政府当局にある。こういう点についても、
国民はひとしく非常に不安の念を持ってこれを見ておると私
どもは
考える。との政府の
考え方についても賛成をいたすわけには参りません。
第三の問題は、納税の態様を申告課税と付加課税と二つの方式に分けました。しかし、申告納
税制度が昭和二十五年以来、シャウプ勧告に基づいて設けられましたけれ
ども、その当時には片や申告納
税制度を設けながら、片や
所得税、法人税等におきましても、推計課税が白昼大手を振って堂々と行なわれてきておる。つまり、
国民には一応申告はさせるけれ
ども、政府のほうの見込みによって、行政機関の見込みによって推計をやってよろしい、こういうことが行なわれておる。もし租税
通則法が一応申告納税方式をとるいろいろな税目をきめまするならば、これを主軸にして物事の
手続をきめるべきであって、推計課税方式の残滓を残して、これを運用すべきでないとわれわれは
考えます。これが本
委員会におきましても、
規定には十六条等においてなおその遺物を残しておるがために、いろいろな疑義が出たと私
ども思うのであります。私
どもは、税務官庁が、たとえば政府が所得倍増計画によってかくかくしかじかの職業種には大体これくらいの所得の伸びがあるだろうというような、間接的な一般的な経済の成長発展の速度を片や
考えてやるが、そうしてこの世帯には大体このくらいの収入があるのではないかというような見込みを片や持って、もし一方的な判断を持って、調査をしたと称して申告納税の結果に対して違った
結論を出してくるとするならば、ゆゆしき重大事であると思います。しかも、そのゆゆしき重大事である見込みは、
通則法においては決してぬい去られておりません。私
どもは、この申告納
税制度が民主的な納
税制度として主軸として運用していくべきものであるというのならば、政府はこれまで行なってきた推計課税の方式を改めて、もしわれわれ主権者である
国民が申し立てておられる課税の態様についてはそれに即して、あるいはまた
国民が作り上げる租税
関係の
法律に即して、これを政府側が一々これに対して反駁すべき点があれば反駁をすべきである。それと無
関係な一般的な条件を理由にして、
国民の所得を勝手に推計してもらうのは、はなはだ迷惑千万であると私
どもは
考えまして、こういう点はもっと強く政府当局の
考え方をただしたかったのでございますが、先ほど申し上げましたとおりの事情によって、本
委員会で十分に尽くされておりませんことをはなはだ遺憾に存じます。したがって、またその点の不分明な点を残したままでございますから、こういうようなやり方については、われわれとしては
反対をせざるを得ないと申し上げざるを得ないのであります。
第四点は、新たに
納税者の概念が作られました。これは従来の納税義務者、あるいはさらにまた源泉徴収義務者であるとか、特別徴収義務者であるとかいうものを一緒にしました新たな概念でございます。憲法に認められている納税の義務、これを果たすべく直接国庫に自分の所得から支払わるべき納税義務者と、それから
手続上政府が何らそれに対して
反対給付を行なわないで単に税務行政の便益のためにいろいろな今まで納税をさせるものを作りました、こういうものを同じ概念に取り扱われて、そうしてこの
通則法によってはそれらがいろいろな税務行政上のルートに乗りました場合に、いろいろな問題を起こした場合に、一列平等にこれが取り扱われるということには、私は概念上も非常な不当な拡大であって、そうして実質的にはこれら納税義務者以外に新たに
納税者の概念に包摂されてくるところの人々に対して、非常な不便を与え、不
利益を与えるもとになっておると思います。この点につきましても、政府の
見解を十分に実態に即してただしたかったのでございますが、残念ながら時間がございません。こういう点についてはわれわれははなはだ遺憾である。これらの概念を、どうしてこれを作る必要があるかということについて
考えます場合に、私
どもは本
国税通則法のような姿でこれが出されてくることには
反対をいたします。
第五点は、
質問検査権に関する
規定を、本
国税通則法はいろいろな
論議の末書き上げるに至っておりません。しかし、各
税法にはこれが書き上げられておる。この点でございまして、
国民の
利益を守るというのならば、せめて、一番
税制の末端において日常
国民が突き当たる問題はこの問題でございますから、これについては特にやはり
法案の中に
規定すべきが至当であったと私は思います。他の
税法それぞれを検討いたしますと、その
質問の態様あるいは検査の態様、それにつけ加わる罰則の態様は種々まちまちでありまして、こういう点について
国民の
利益を担保するならば、その
国民の
利益を担保するという点において、やはり一般的な
規定をこの
通則法に盛るべきが筋道であったのではなかったかと思います。しかも、この点につきましては、当
委員会におきまして、たとえば物品
税法あるいは酒
税法等の点において取り扱いが一致していない、こういう点について私は
質問を試みましたけれ
ども、戦前の国税犯則取締法におきましても、規則を犯す者についてこれをやる、こういう
考えである。いわゆる刑訴法におけるような犯罪の観念は使っていないように私は受け取っております。したがって、その規則を犯した者については犯則嫌疑者という名前が使ってありますけれ
ども、それを犯人であるとか、犯罪を犯した者というような一方的なきめ方をとっていないとわれわれは了承いたしております。ところが、このごろは行政罰と司法罰と二つある。どちらも加罰の対象になる。その対象になる一つの事案というものは、これは犯罪と呼んでもいいのだというような非常に
法律用語上の混乱が整理されずにまだ残っているのではないか。こういうことを
考えました場合に、たとえばよりうらはらを
考えますと、その具体的な事案に突き当たった場合、
納税者がこれに対してどの程度対応しなければならないか。刑事事件につきましても、
国民は黙秘権が憲法で認められている。ところが、行政事件についてはその黙秘権があるのやらないのやら、行政上の都合からいえば、ないといったほうが都合がいいかもしれませんが、その相手方になる
国民のほうからいえば、一体どの程度協力をしておればいいのか、どの程度からは協力でないとみなされるのかというようなことがはっきりいたさぬのに、加罰されてはたまったものではない。こういう点についての取り扱いの原則というものがはなはだ不分明でございます。したがって、私
どもはそういう片手落ちなこの
法案に対しては賛成をいたすわけには参りません。
第六には、延滞税の新しい制度ができました。この延滞税が今までの利子税、
加算税と合体して作られました新しいものではございますけれ
ども、たとえば法人の損金不算入という制度が、
個人の損金に算入しないのであるから法人も算入しないというような一部分かえられた面がある。こういうかえる面についての
考え方は、私
どもは、もし片一方損金算入をして
納税者の
利益を保つというのなら、平等に法人にもそれを均霑すべきであって、
納税者の不
利益のほうにしわ寄せをするというような
考え方がわれわれには納得できません。さらにまた、納税の督促をやって十日過ぎれば納める金は二倍になります。二銭が四銭になる。ところが、一方
国民が納税をいたしました場合に、余ってくる還付金を出さなければならないというような加算金は、
国民が要求いたしまして何日たっても二銭であって、ちっとも上がらない。これまたはなはだ片手落ちではないか。国と
個人とは経済的な
関係においては平等であるという法則を租
税法規でも貫くべきであって、断じて国のほうが主であって、
国民の
利益というものはちっとも
——不
利益でもかまわないのだ、こういうことにならぬと思います。こういう点に対する考慮が今回の
通則法では払われていないということをはなはだ遺憾に
考える。この点についても賛成するわけには参らぬというのがわれわれの
考え方でございます。
最後に、不服審査の点でございますが、この点、先ほど申し上げましたとおりに、一応この
法案に書きながら、これをもし
国民の
利益を保つためにこれがぜひとも必要だというなら、早い
機会にこれを実施すべきである。半年もおくらせてぼやっと待っているという態度には、私
ども承服できません。しかも、協議団の
内容、さらにまた行政訴訟を起こしました場合は挙証の責任の所在がどちらにあるかということについては、法文に照らしてみました場合にその
解釈が、政府当局からの
答弁がございましたけれ
ども、はなはだ不十分ではないか。訴訟を起こすのは
国民です。しかし、その処分をしたのは行政機関であって、その行政機関がなぜその処分をしたということを証拠をあげてまず裁判所に言うのが至当であって、それが処分をやったという行政
手続の合理性だけを申し述べれば、すぐに挙証責任が
納税者側にあるというような事項をこの
通則法で設けてございますが、こんなものが一体
納税者の
利益を保つゆえんになるかどうか。こういうことを
考えました場合に、私
どもはこういう
考え方に対して
反対をせざるを得ないと
考えるのでございます。
その他、法文に盛られましたいろいろな点について私
どもは
反対の点もあるのでございますが、以上申し述べました重要な諸点についてなお整理することなく、疑点を解明することなく、これを議了しようというのが現段階でございまして、民主
社会党はこれらの諸点を勘案し、
反対の
意向を申し上げる次第でございます。