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1962-03-22 第40回国会 参議院 大蔵委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年三月二十二日(木曜日)    午前十時五十分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     棚橋 小虎君    理事            上林 忠次君            佐野  廣君            荒木正三郎君            永末 英一君            市川 房枝君    委員            青木 一男君            大谷 贇雄君            高橋  衞君            田中 茂穂君            西川甚五郎君            堀  末治君            前田 久吉君            山本 米治君            木村禧八郎君            平林  剛君            大竹平八郎君            須藤 五郎君   政府委員    大蔵政務次官  堀本 宜実君    大蔵大臣官房財    務調査官    松井 直行君    運輸省鉄道監督    局国有鉄道部長 高橋 末吉君   事務局側    常任委員会専門    員       坂入長太郎君   説明員    大蔵省主税局税    制第一課長   細見  卓君    大蔵省主税局税    制第二課長   志場喜徳郎君   参考人     音楽評論家  山根 銀二君     全日本芸術舞     踊協会会長 江口 隆哉君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○相続税法の一部を改正する法律案  (内閣提出衆議院送付) ○トランプ数税法の一部を改正する法  律案内閣提出衆議院送付) ○印紙税法の一部を改正する法律案  (内閣提出衆議院送付) ○入場税法の一部を改正する法律案  (内閣提出衆議院送付) ○通行税法の一部を改正する法律案  (内閣提出衆議院送付)   —————————————
  2. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ただいまから委員会を開きます。  まず、お諮りいたします。  本日は、入場税法の一部を改正する法律案審査を午後に行なうことといたしております。本案審査のため、午後一時に音楽評論家山根銀二君及び全日本芸術舞踊協会会長江口隆哉君の両君に御出席願い、御意見を拝聴いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 御異議ないと認めます。  なお、手続等委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 御異議ないと認めます。よって、さよう決定いたしました。   —————————————
  5. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) これより、相続税法の一部を改正する法律案議題といたします。  質疑のある方は御発言願います。
  6. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 今度のこの法の改正で、基礎控除を相当引き上げる、こういう措置をとろうとしているわけですが、その主たる理由ですね、これを説明してもらいたいと思います。
  7. 松井直行

    政府委員松井直行君) 相続税税制改正は、この前三十三年にやっておりますが、ご存じのように、毎年繰り返して課税されるというものとは違いまして、何年かに一ぺん課税原因が起こるというわけでありまして、相続税というものが納税者に与える影響というものは非常に大きいということが言えると思います。三十三年度のときにおきましても、普通の農家とか、あるいはこれに準ずる中小企業、いわゆる中小財産階級に普通の相続の場合には相続税がかからないということでもって、まあ生業の基盤を強化することに役立たせる意味におきまして、基礎控除額を三百万円というふうに規定したわけでありますが、その後の課税対象であります財産価格高騰といいますか、特に土地等価格騰貴は非常に大きいものが、ございます。で、そういう面から、このまま放置しておきまするときには中小財産階級を非課税にしておこうという趣旨に沿わない面も出て参りましたような関係で、この際遺産相続にかかる基礎控除を引き上げまして、先ほど申し上げましたような農家経営基礎を拡充し、これに類する中小所得階層の生計の基盤を確立するという意味におきまして、そういう人々がここ当分相続税課税が行なわれないようにするにはどうすればいいかという観点でもって遺産にかかる基礎控除の引き上げをやりたいというのが趣旨でございます。
  8. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それで、土地高騰という問題ですが、昭和三十三年からことしにかけてどれぐらい騰貴しているかですね。
  9. 松井直行

    政府委員松井直行君) 農家一戸当たり財産価格推移を、農林省の経済局統計調査部で作りました農家経済調査報告書というものを参考にいたしまして、土地につきましては、農家の一戸当たり平均所有面積相続税評価の場合の平均賃貸価格というものを乗じまして計算したところによって拝見いたしますと、一町五反から二町未満の経営面積のところで、田畑宅地、その他土地全般につきまして、三十二年におきましては唐十一万円という評価が、三十三年には百十二万円、三十四年度には百三十一万円、これを三十六年度の評価評価がえをして推定いたしますと百八十二万円、こういう形になっております。
  10. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 農家の所有している土地評価の仕方ですね、これはその土地から上がる収益というものが基礎になっているのですか、それともそのほかにどういうものが賃貸価格評価基礎になっていますか。
  11. 松井直行

    政府委員松井直行君) 毎年、相続財産評価方法につきましても、国税庁におきまして実地調査もやり、各種の資料も集めまして、全国的な権衡をとって評価倍数というものを決定しているのでありますが、主として売買実例と、それから勧銀中心といたしますああいう不動産関係評価に関します専門家精通者意見というものを聞きます。それから、特にまあ路線化方式といいまして、一本の道路に面して同じような評価が行なわれるところにつきましては、やはり売買実例精通者意見というものを参考にいたしまして、国税庁において全国的な統制をとりまして、年度々々の財産税評価基準というものをきめておるわけでございます。
  12. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そういうきめ方に私若干問題があるのじゃないかと思うのですがね。農家の所有している土地というものは、売買ということよりも、それから農産物を生産するということに使われているわけですから、その売買価格というようなものを基準にして土地評価をするということは、非常に無理があると思うのですね。土地を売り買いするとか、あるいはそれを他の工場とかあるいは宅地に利用するという場合は、売買価格というものも相当基礎にする価値はあると思うのですがね。純農家でずっと親代々そこで米や麦を作っているという田畑に対して、売買価格というものを基準にするということは不合理じゃないですか。
  13. 松井直行

    政府委員松井直行君) 今おっしゃいましたとおり、財産評価というのは非常にむずかしゅうございます。国税におきまして相続税評価、それから地方税におきまして固定資産税不動産取得税、その他一般不動産にかかります税の評価方法というものにつきまして、あながち統一ある、何といいますか、考え方、あるいはまあそういうものにのっかって整備されておるとは言いがたいと思います。固定資産に関します評価審議会というものが持たれまして、ここ数年間勉強して参りまして、たしか昨年、その中間報告ですか、報告が出ておると思います。自治省を中心にいたしまして、国税評価もどうあるべきかということについて、国税地方税を通じて統一した考え方でもって評価し直そう——これはたしか二年ぐらい先から出発するというような予定で、今着々準備が進められておるわけでございますが、今おっしゃいますとおり、農家の持っております田畑というものは、ある一部分だけ売ったその限界の土地値段が、全体の土地値段かどうか、それは非常に問題がございます。かといって、一体収益還元方法で全体を推しはかるのがいいのかどうか、非常に問題がございますので、今度は国税地方税を通じましてある一本の考え方に立った適正な方法評価しようということで、今検討が進められておるというところでございまして、おっしゃるとおり、売買実例だけでは非常に問題がございます。  ただし、三十六年度の相続税評価額国税庁が一体どういう評価をやっておるかという水準をながめてみまするときには、御存じのように、相続税評価は実際はその売買実例よりも相当低いところで毎年きめられておるという関係にございまして、三十六年度の相続税評価で申し上げますと、田につきましては、売買実例国税庁で調べましたところでは十六万五千円、これに対して評価額は九万二千円ということに相なっております。それから、畑につきましては、売買実例として国税庁で調べたところでは六万八千円というものに対しまして、畑で三万七千八百円という評価基準をとっておるわけでありまして、あながちその売買実例ばかりによってやったというわけではない。精通者意見をも勘案し、合理的なところで、従来からの課税水準というものもございますから、そういうものも勘案いたしまして、売買実例そのものをずばりとって課税標準としておるということはないと存じます。
  14. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 今お話がありましたが、国税、いわゆる相続税——国税の場合と地方税固定資産税あるいは不動産取得税、そういう場合、地方税国税との間に一貫した土地評価がないということは問題ですね。これを今そういう点検討しておるということですが、こういう同じ土地評価に対して国税地方税とによって評価が違うということはどこから来ておるのですか、その理由ですね。
  15. 松井直行

    政府委員松井直行君) 私、ここで厳密にお答え申し上げることは不可能かと思いますが、やはりそれぞれの税体系というものが何か独立に発達いたしまして、それぞれその税に特有な課税といいますか、評価方法をとってきて、その間に統一した考え方というものがとられていないままに今日までやってきたというのが実情ではないかと、こう存じます。
  16. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 で、土地評価ということは非常にむずかしい問題だと私思うのですよ。それは都会地における土地値段というものは農村における土地値段というのとは雲泥の相違があるわけですからね。それを正確にどういうふうに評価するかということは、非常にむずかしい問題であると思うのです。しかし、私は農村において相続される土地ですね、これは売買値段というものを基礎にして考えるよりも、その土地から上がる収益によって評価されるということのほうに重点を置くべきだと思うのですがね。この土地売買された場合は売買値段だけで課税したらいいわけですが、相続の場合は、その土地相続したからといって、別にそれによって大きな利益が上がるわけではないのです。そういう点、どういうふうにお考えになっておりますか。
  17. 松井直行

    政府委員松井直行君) 今おっしゃるとおりでございまして、私が私で農業経営をやっておりますときには、二町なら二町という一つ生産手段単位をもって農家経営をやっておるわけでございます。たまたま工場が進出するので、その一部を一割愛する、それは私の農家経営の全体にはたいして支障ないけれども、一部割愛と、こういう限界的な土地売買実例というものをもって全体を評価することはどうも間違いじゃないかということにつきましては、従来も議論がございますし、まさにおっしゃるとおりだろうと思います。そこで、一体その全体の収入還元と申しますが、それだけでいいのかと申しましても、なかなかそこに問題のあるところでございまして、一がいに何の方法がいいというのじゃなしに、やはり財産々々の種類によりまして、何を重点に置いて評価するかということは、おのずから課税財産種類によってといいますか、性質によって異なってきていいのじゃないか、こう存じております。
  18. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 これは少し問題がはずれるかもしれないのですが、最近の土地高騰ですね、特に都会地及び都会周辺地における土地高騰というのはものすごい値上がりですね。こういうものに対する土地評価ですね、あるいはこういう都会地及び周辺地土地売買、そういうものに対する課税ですね、いわゆる土地評価、地価ですね、あるいは売買に対する課税、こういうものは相当きびしくやらないと、幾らでも上がってくると思うのですがね。これは相続税とは直接関係がない問題ですが、やはり若干関係を持っていると思うのですが、われわれの考えとしては、これだけ土地が上がってきたら、住宅を作るといったって、とても高くてやりきれないですわ。そういうものの評価というものはどういうふうになっているのですか。
  19. 松井直行

    政府委員松井直行君) ちょっと今聞きのがしましたが……。
  20. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 あまり話をしないで下さい。  そういう都会地及び周辺地土地評価です、これはどういうふうにやっているのですか。これはまたべらぼうに安すぎるのじゃないかと思うのです。
  21. 松井直行

    政府委員松井直行君) 今相続税の問題とは別だとおっしゃいましたが、やはりそうした都会地及び周辺地にあります土地が非常に上がりまして、それを譲渡した場合の譲渡所得税という段階で問題になりまして、はたしてそれを確実につかんでおるかどうかというお問いだろうと思いますが、先ほど申し上げましたように、大きな都会地繁華街と申しますか、一つ路線に沿った土地を統一的に評価したほうがいいと考えられる一部の土地につきましては、そのものといたしまして、特別に売買実例その他によって確実な評価がえというものを毎年やりまして、相続税、それから譲渡所得税等につきましても、遺漏のないようにやっておるつもりでございます。それ以外の都会周辺畑地でございますが、もう畑地というよりも宅地といったほうがいい、あるいは将来宅地になるかもしれない可能性の多いところにつきましても、やはり売買実例というものをつぶさに調べまして、譲渡所得税課税上は遺漏のないようにやっておるつもりでございます。
  22. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私の言いたいのは、いわゆる勤労者といいますか、宅地一つ手に入れたい、家を一軒建てたい、そのために宅地がほしい、こういう場合に、宅地が非常に上がって手に入らない、これが都会周辺及び都会に働いている人たちの一番今苦しみじゃないかと思うのですが、やはり家が一軒ほしい。そのために宅地を購入したい、しかし、坪が二万円も三万円も五万円もする、とてももう手に入らない、これは押えなければいかぬという気持が私はある。これをどうして押えるか。だから、正しく土地評価することも重要ですが、どんどん土地値段ばかり上がっていく、こういうところに何か押える道がないのかというのが問題ですね。
  23. 松井直行

    政府委員松井直行君) 土地値上がり、特に堅実な市民が自分の家や土地を持ちたいというときに、非常に価が上がりまして、普通のことじゃなかなか土地が手に入らないほど値が上がった、これを押える方法はないかということでございますが、税の面から一体どんな打つ手があるのかということにつきましても、税制調査会で、おととしですか、相当いろいろ議論されております。たとえば休閑地を持っておる人たち休閑地税というようなものを取ったらどうかとか、あるいは土地を処分して譲渡益課税する場合に非常に重課する方法をとったらどうか、いろいろなこと、で考えておるのですが、やはり対象は、投機的方法でどかっと土地を買い占めまして、それを値上がりを待って売るという、そういう投機業者にまず目をつけるべきじゃないかということを中心にいろいろ考えておりますが、一体何が、どういう人の、どういう行為投機的行為かどうか、なかなか、判別がしにくいのでありますし、一方また、休閑地利用税とかいうようなものを創設をいろいろ想定して考えてみましたときに、買い主というよりも一売り主のほうが強い立場にあります場合には、売り手市場になりまして、将来の国税負担がそのまま土地価格に返って反映してしまうおそれがあるんじゃないか。今上がらなくてもいい土地価格が、売り手国税負担をそのまま上に乗っけまして、すぐに土地価格がかえって高騰するおそれもあるんじゃないかというようなことも懸念されまして、要は、税金だけではなかなか打つ手はないにいたしましても、建設省その他関係方面が一緒になりまして、まず新しい宅地造成等を国家的な事業としてやっていく。そうして宅地の供給をふやす。その場合に、税として、どういう面から援助ができるかどうかということで、総合的な対策の上に立って解決する以外に道はないのじゃないかというふうに、わがほうの税制調査会におきましても論議されたところでございます。
  24. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 政務次官に今の問題をお尋ねしますが、土地値上がりというものは今非常に重要な問題だと思うのです。大蔵省なり政府として、土地価案高騰を押えるという政策を進めなければいかぬ。この間新聞見ると、物価の高騰抑制するという一つの項目に、土地の問題が取り上げられていましたが、私はこれは容易でない問題であると思います。けれども、今のまま放置すれば、これは一般市民土地を手に入れることはむずかしいのじゃないかと思うのです。しかし、何としてもこれは押えなければならぬ。しかし、税の面だけで考えても、税金かけたらいいじゃないかといっても、今のお話のように、税金かければそれだけまたはね上がってくるという実情になるのじゃないかと思います。もっと広い立場から土地値上がりを押えるということを、政府ももっと真剣に考慮する必要があると思うのですが、どうでしょうか。
  25. 堀本宜実

    政府委員堀本宜実君) 適切な答えになるかどうか、たいへん心配しますが、今申しあげましたように、税だけで最近における都会の中あるいは周辺における土地高騰というものを抑制するということはなかなか困難だと思います。しかし、やはり税の問題からも抑制の方途を研究しなければなりませんし、私は常にこういうことを考えるのでございますが、たとえば都会周辺あるいは都会の中の土地を、一種のブローカーみたいな人たち値上がりを予測し、またそういうものがそれを計画的に引き上げるために投資をするというような面も相当あるのではなかろうか、こういうふうに考えるのでございます。こういうような、要するに投機的な行為によって土地値上がりを誘発するような行為については、別個何らかの法律的な抑制的な立場をとる、法制定等によって抑制でもしていく方法がいいのじゃないか。また、建設省あるいはその他の省においても、深くこれを研究いたしまして、そういう不必要な、直接持つ者でない第三者の、つまり投機的な商売人の行為というものは、いかにその価格が上がりましても、それを認めさせないというようなことも一つ方法ではなかろうか、こういうふうに考えるのでございます。しかし、それは今後のよほど慎重な研究に待たなければならぬが、私個人としてはそういうような意見もかつて持ったことがございますので、御参考までに申し上げた次第でございます。
  26. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 この問題をここで論議する、たけの私も考えもありませんし、資料のないわけですが、ただ、要望しておきたい点は税の面からでも土地高騰抑制するという方策について、なお十分の研究をしてやってもらいたいということを要望しておきたいと思います。
  27. 細見卓

    説明員細見卓君) ちょっと補足して申し上げたいと思います。本日は議題になっておりませんが、いずれ御審議願います租税特別措置法の中に、今おっしゃいましたように、市街地なり郊外の土地値上がりしていく原因一つに、既成市街地の再開発と申しますか、東京をごらん願いましても、都心というものば割合平屋が建っておったり、あるいは土地を必ずしも高い割に有効に使われておらない面があるわけでございまして、その辺を考えまして、租税特別措置法の一部改正の中に、俗称げたばき住宅と申しておりまする、防災街建築法で二階といいますか、六階とか、五階とかのビルを建てました場合に、土地権利移転関係ができて、その土地権利を移転いたしますと譲渡所得がかかるということで、それが障害になっておったわけであります。その点を、土地移転関係が、組合のようなものを作りましてやった場合に、土地移転関係ができましても譲渡所得はかけないという特別措置法を出したのでございますので、どうぞ御賛同を願いたいと思います。
  28. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 その次に、相続税をかけておる人数ですね、この推移。まあ最近の五カ年くらいの推移でいいですが、五カ年じゃなくても、昭和三十三年に改正があり、今度三十六年に改正がある、その三十三年と三十六年を比較してもいいと思うのですが、大体の推移はどういう傾向にありますか。相続税をかけておる人数推移ですね。それと、二月平均の、まあ一人平均相続額、そういうものはどういうふうに変わってきておるか、お聞きしておきたいと思います。
  29. 松井直行

    政府委員松井直行君) 昭和三十年、三十五年、三十五年をひとつ申し上げたいと思いますが、三十印におきまして、相続税課税件数、これが三万でございます。それから、三十四年が七千人。これは相続税課税件数でございまして、課税件数というのは、被相続人課税件数で言い表わしております。それから、三十五年が九千件。それから、今度は相続税財産評価額ですが、相続人一人当たりで申し上げますと、三十三年、三十四年、三十五年について申し上げますと、三十三年におきましては、一人当たり財産価格が二百五万八千円でございまして、三十四年が二百九万三千円でございます。三十、五年で二百三十七万六千円ということになっております。
  30. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 これは今の説明では、課税する人がだんだん減ってきていますね。この法案を提出する理由は、現行のまましておけばいわゆる相続税をかけなければならぬ人がだんだんふえて困るという理由で、改正するのでしょう。ところが、実際は三万からどんどん減ってきておるという傾向ですね。そうすると、改正する理由というものはなくなってくるのじゃありませんか。
  31. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほど申し上げました相続税課税件数というところで、三十年が三万、三十四年が七万、三十五年が九万と……。
  32. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 さっき七千と九千と言いましたよ。
  33. 松井直行

    政府委員松井直行君) 失礼しました。七千と九千でございますが、これは三士二年の改正が響いて参るのが大体三十四年以降でございまして、このまま放置いたしますときには、先ほど申し上げましたように、三十五年、三十六年、三十七年と財産価格騰貴がございますので、このまま放置いたしますと、七千人、九千人が三十六年以降どんどんふえてくるであろう、こういう考え方でございます。
  34. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 まあ農村農家の場合、今度の改正でなお課税されるという数ですね、どのくらいになりますか、わかりませんか。
  35. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほど申し上げましたとおり、われわれの試算では田一毛作の二町五反くらいの農家が三百四十一万円くらいの財産評価となるのじゃないかと、こういう観点で申しますと、もう大部分の農家はかからないということに相なりますが、このほかに山林とかそういう特殊な財産をお持ちになっておりますと、相続税にひっかかってくるということに相なりますが、そういう方々が何人いるか、そういう方々について何件くらい相続が発生するかということは、ちょと予測しにくいところでございます、
  36. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それから、相続税に関連して贈与税ですね、これの基礎控除というものは今度何か変わるのですか、変わりませんか。
  37. 松井直行

    政府委員松井直行君) 従来どおりでございます。
  38. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それは不均衡にならないですか。
  39. 松井直行

    政府委員松井直行君) おっしゃいますとおり、贈与税というものは相続税補完的役割をなす税金でありますから、この相続税負担との関連できめるということは必要であろうと思います。しかしながら、相続と違いまして、贈与というものは個人の自由な意思によりまして財産の分割が行なわれるということに相なりまして、まあ少し裏を一考えるということはいいかどうか問題があると思いますが、相続税の回避行為というものが比較的容易に行なわれるということが多い現状からいろいろ考えますときには、このたびは贈与税基礎控除を引き上げないほうがいいのじゃないかと、こういう判断に立ったわけでございます。
  40. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 その次にお尋ねいたしまするが、今度の改正によって相続税の減税額ですね、従来の税法でいけばどれくらいの収入があるとか、今度の改正でどのくらいの減収になるとかですね、その点お伺いします。
  41. 松井直行

    政府委員松井直行君) 三十七年度、初年度で十億、それから平年度で大体二十億ぐらいの減収を見込んでおります。
  42. 永末英一

    ○永末英一君 相続税基礎控除される額をきめるにあたって、その基礎控除するということはどういう理由基礎控除されるのですか、考え方として。
  43. 松井直行

    政府委員松井直行君) これは所得税等にも基礎控除の制度がございますが、やはり課税最低限というものを設けたほうがいいのじゃないかということから来るわけでして、じゃ、その課税最低限という考え方はどこから来るかと、この次に相なるわけでおりますが、やはり生活の本拠といいますか、根拠となる最小限度の財産というものについては、これは無傷で残しておきたい。それは基礎控除という形で非課税対象へ追い込みまして、それをこえるものについて初めて税を課そうという思想から来ているものと思います。
  44. 永末英一

    ○永末英一君 課税最低限の場合、たとえば勤労所得者ですと、自分の労働力から生み出す価値に対して税金がかかってくる。それに対して、今度の税法では四十万円程度のところまでは最低限として課税しない。ところで、この相続税対象となる資産韻というものを、今度ですと四百五十万円ちょっとわかりませんが、相続人五人が相続税法では標準世帯、普通の税法では全部で一五人ですから、一人多いですな、こっちのほうが。その辺のところちょっと伺いたいですけれども、つまり四百五十万円程度のものを残しておいて、それがまあ均分さ、れるかどうされるかわかりませんけれども、大体そういうものがあるということが何らかの価値を生み出していくだろう。その何らかの価値を生み出すためには、この程度のものを残しておかなくちゃならぬという思想だと思うのです。ところが、所得税法において大体四十万なり四十一万なりのところを課税最低限としておる考え方と、相続税法、でこの程度の額をきめて、そうしてそれから生み出されている価値について、いわばこの程度から生み出される価値は税がかからぬのだ、所得税法にひっかけようとする場合ですね。そういうお考えになっておるのかどうか、その点を伺いたい。
  45. 松井直行

    政府委員松井直行君) おっしゃるとおり、所得税法の場合におきましては、これは月々あるいは年々新たに獲得するインカムについての問題でございまして、まあ最低生計費といいますか、生活費というものが基礎になってくるものと思います。ところが、相続税の場合は、それが生むインカムという考え方じゃなしに、何といいますか、家産といいますか、あるいは農家でいいますと生産手段の主たるものとしての土地とか家屋その他の財産というその財産というところに目をつけまして、現在の農家、普通の農家が生産手段を分散することなしに保持していける程度のものを考えるというところが、所得税におきますインカムという考え方と、それから生産手段と申しますか、生計の中心になる基本財産と申しますか、そこに少し相違があると思います  それから、五人というのは、これは御存じのように、農家中心にこの相続税の減税は考えておるわけでありまして、農家一般都会よりも扶養家族が多いという実績によって、一五人としてはじいたわけであります。
  46. 永末英一

    ○永末英一君 資産が所得を生み出す源泉になる、こういう考え方からいきますと、農家が持っておる資産の場合と、あなたの御説明によりますと、中小企業者についても相続税が大部分課されなくなるものと考えているらしいのですが、中小企業、いわゆる生産業なりあるいは流通業でもどちらでも、一年に与えられた資産から生み出す所得力というものは違うと思うのですね、農家の場合と中小企業者の場合。そういう点についての均衡といいますか、そういうことはお考にならぬですか。
  47. 松井直行

    政府委員松井直行君) おっしゃるとおりの問題もございましょうが、主として農民といいますか、財産分散による生産手段の分散というようなことが農家におきまして一番問題になってきておるところでございまして、相続税のこの課税の最低限というものにつきましても、主としてまあ農家中心にわれわれ考えて参ったわけでございます。で、むろん、都会におきます生産あるいは流通等の業務に属しております営業者、商業者等につきましても、まあ権衡をとらないというわけじゃございませんが、これはまあ千差万別でございまして、どの辺を基準に置いて見るのがいいかということはなかなかむずかしい問題であろうと思いますが、農家につきましてこの程度の基礎控除をはかるときには、大体まあ都会におきます中小企業についてもそれとほぼ同じような恩典が及ぶのじゃないかということを考えて、きめたわけでございます。
  48. 永末英一

    ○永末英一君 農家の場合ですと、たとえばその収入を生み出す力が四百五十万円で、一割とすれば、所得における課税最低限とほぼ見合うと。ところで、中小企業者の場合には、所得を生み出すカが相当多いと思いますけれども、一つの問題は、まあ今農家について大体相続税法の最低限を一考えてきたと、その考え方都会における中小企業者についても大体均霑するだろう、こういう考え方ですけれども、中小企業者の場合には、むしろその評価等が、土地、山林、ことにその土地価格の問題でも、農村部に土地価格高騰の問題が惹起しているのじゃなくて、むしろ人口集中の激しい都市部にそれが出ておるということを考えますと、相続税法が一律一体にこの程度の課税最低限を置かれても、それによってこうむる被害は農家よりはむしろ中小企業者に多いと思いますが、この点についてどうお考えになりますか。
  49. 松井直行

    政府委員松井直行君) 私、おっしゃるとおりの問題は現実にございましょうと思います。しかしながら、中小企業者というものの中にも、先ほど申し上げましたように、生産手段を非常にたくさん持っておる者と持っていない者と、特にまあ土地等につきまし  ては、何といいましても、やはりまあ農家がそういう土地を生産手段に、農家におきましては土地というものが生産手段の大部分を占めておるわけでありまして、まあ商工業者とはそこが幾分違うのじゃないかと。それから、的確に、じゃ商工業者についても何とか基準らしいものは求められないかということでございますが、非常にまあ千差万別でございまして、なかなかそういう基準的なものを選び出して判断することは非常にむずかしいのじゃないかと思いますが、一番価格騰貴して問題になっております土地につきましては、農家の生産手段の中に占める度合いが、やはり農家がはるかに大きいということは言えると思います。
  50. 永末英一

    ○永末英一君 都会地における中小企業者が相続税に一番困るのは、やっぱり家屋、施設の評価だと思うのですね。これは農家にあまり見られないところであります。その評価は非常にまたこのごろ高くなっておる。したがって、農家中心考えられた課税最低限という本のは、都会地へ持っていくとその意味では低きに過ぎるという議論も出てくるわけであります。こういう点についてどうお考えになりますか。
  51. 松井直行

    政府委員松井直行君) 都会地中小企業者の土地、家屋、その他生産手段の相続税評価も相当上がっているじゃないか、農家中心としたこういう評価がえ前に、やはり課税最低限の引き上げだけじゃ救われない面もあるのじゃないかというお話でありますが、場合によってはそういうこともあろうかとも存じますが、やはり農家だけじゃなしに中小商工業者もございます。それから、われわれ月給で生計を立てております勤労者というものもございますわけでありまして、いずれにも相続税の問題が起こってくるのでありますが、この際、農家中心として評価その他課税最低限度の基準を一応のめどとしてつける。この範囲内で中小企業も、あるいは勤労所得者も、それぞれの恩典を受けるんじゃないかということを考えたわけでございます。
  52. 永末英一

    ○永末英一君 特にこの新しい税法でいろいろ実施をしていく過程については、特に個人中小企業者がそれぞれの自己の施設を持って生産並びに流通過程に入ってやっておる。その人々が一体相続税にひっかかって非常に窮地に陥るというような例外が出てくるように私どもは予見するのでありますけれどもそういうことをひとつ十分に考えて、そして対策もひとつ考えておいていただきたい。これは希望しておきます。
  53. 松井直行

    政府委員松井直行君) 今おっしゃいますとおり、都会地中小企業者につきまして相当恩典が及ぶと思いますが、現実に相続が起こりましたときに一体どんな評価になって、はたしてこの程度でまた相当きつ過ぎるかどうかということは、国税庁におきまする相続税課税の今後の執行の実態、推移等をいろいろ検討いたしまして、十分考えてみたいと思います。
  54. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) この議案に対する質疑は、後刻一括することにいたします。
  55. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 次に、トランプ類税法の一部を改正する法律案議題とし、質疑を行なうことにいたします。  質疑のおありの方は御発言願います。
  56. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 トランプ類に対する課税ですね、これは物品税の中に一括しないで独立税としている理由は何ですか。
  57. 松井直行

    政府委員松井直行君) しかと正面からはお答えなかなか申し上げにくい、お答え申したことにはならぬと思いますが、本来トランプ類等は射幸的な遊びの道具でございまして、昔この製造業者等につきまして免許その他の規制があった時代がございます。そういうようなわけで、自然発生的に、歴史的に一般の物品とは別形想でこうした課税体系ができてきておったものと、こう申し上げる以外に方法はないと思います。
  58. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 現在もその考え方を持っているのはなぜかというのです。大体、競輪や競馬とどこが違うのですか。
  59. 松井直行

    政府委員松井直行君) なかなかむずかしい問題でございますが、今申し上げましたような沿革的な理由で区別をされておるということ、それからまた、マージャンとかトランプ等につきましてば普通の物品と違って射幸的な遊びに用いられる。これはどっちかというと、射幸的な遊びに用いられる種類の物品であるという性格がまだ残っておるということに着目されておるものと存じます。
  60. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうしたら、今度減税するというのは、射幸的な性格とい5ものが非常に少なくなったと、こういうことから、減税するということになったのですか。どういう理由で今度減税するようになったのですか。
  61. 松井直行

    政府委員松井直行君) 一般的な、間接税の減税という一般的なこういう考え方に立って、一部減税を行なわれ、これにつきましても減税は行なっておりますが、同時にあわせてその内部において調整もとったというところに、この税改正意味があると存じます。
  62. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私にはちっともわからないのですが、その説明は。減税をしたという理由は、ほかのほうの物品税等を下げたので、自然にこれも下げなければならぬということで下げたのですか。
  63. 松井直行

    政府委員松井直行君) 一般的な傾向考え方といたしましては、今おっしゃったとおりでありますが、中の個々の物品をごらんになりますとおわかりになりますとおり、低過ぎたものは上げるという面もございまして、一部この中において調整をとったということが言い得ると思います。
  64. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 しかし、このマージャンのパイ、それからトランプ、花札、これは全部税金が下がっているじゃありませんか。調整をとったというが、私どものいただいている資料では、全部にわたって減税しておりますね。
  65. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) トランプ類税などは物品税とは別個の独立の税法でございますのは、ただいま説明がございましたように、物品税法昭和十年代に戦費調達を主たる目的でできたのでありますけれども、トランプ類税は御承知のように骨ぱい税と申しまして、昔からあったのでございます。それは主として射幸的な遊ぶ道具であるということに着目した、そういった一種の社会倫理的な感じと申しますか、そういうものもあったと思うのでございます。むろん、それが今日においてもはたして、このたとえば物品税の対象になっております囲碁、将棋、チェスの用具のようなものと比べまして、はたしてこれがきわだったものがあるかどうか、いろいろ議論があったと思います。今回の間接税全般の減税にあたりましては、酒とかたばこというようなものは一応別といたしまして、通常の個別消費税におきましては、小売価格に対する負担割合を原則的には一制程度、それから特にぜいたくな奢侈品というような加重税率を設けるべきものにつきましては小売価格の中で大体二〇%程度、こういうものを一応のめどといたしまして、それによって税負担のバランスを間接税相互間ではかっていくというのを大きな一つの柱にしたわけでございます。  したがいまして、物品税におきましては、たとえばダイヤモンドというようなものは最も奢侈ぜいたく品の最右翼にあると思いますけれども、これが大体小売価格の二〇%ということでございまして、囲碁、将棋用具などは一割、小売価格の一割、こういうふうなことになっておるわけであります。そこで、現在のトランプ類税の中にございますマージャン及びトランプにつきまして、現行の税率はこれは従量税ではございますけれども、これを従価税に換算して考えてみますると、マージャンの中で象牙製のマージャンは小売価格の中で約一七%程度の負担率にとどまっておるのでございます。これに対しまして、牛骨製——牛の骨で作りましたものは、これはごくわずかの数量でございますけれども、小売価格の中で約二七%の税負担となっております。合成樹脂製のマージャン、これはマージャンの中で最も多く売れるわけでございまするけれども、これも同じく約二六%の税負担になってございます。これに対しましてトランプは小売価格の約二〇%、こういうふうなものが現在の大体の小売価格に対する税負担割合になっております。これを考えました場合に、ダイヤモンド等が物品税におきまして小売価格の二〇%である、こういうことから考えますると、牛骨製のマージャンなりあるいは合成樹脂製のマージャンというものが二六、七%の税負担になっておるということはいかにも高いんじゃないか。また一方、囲碁、将棋用具なり、チェス道具というようなものが小売価格の一割税度ということを考えますと、少し高過ぎやしないか。かたがた、またトランプにいたしましても、物品税の中ではおもちゃ、人形、飾りものというようなものが現在製造価格の二割の税率、今回の改正案で小売課税の一割の税率、こういうことでございまするが、トランプ類、花札等もございまするけれども、トランプ類税のトランプ類の中の大部分はいわゆるトランプでございまして、子供のおもちゃと考えていい面も相当あると思います。そこから考えました場合に、いかにも小売価格の二〇%というような税率は聞きに失しないかというようなこと。  それから、さらにもう一つ、大きな要素でございまするけれども、今回の物品税の改正でも、零細企業の税金につきましては、税の転嫁が非常に困難である。したがいまして、脱税等のおそれも多い、徴税上も困難であるというようなことも考えまして、零細企業につきましては、さほど税負担のバランスを破らないものにつきましては、かなり多くの課税廃止を行なう、また税率におきましても、大幅の軽減を行なうということを方針にしておるわけでございますが、トランプ類の製造業者はおおむね御案内のとおりきわめて、零細企業に属します。したがいまして、それが現在ただいま申しましたように、小売価格に対する二割六分とかあるいは二割というふうな税負担は、メーカーのところにおきましては非常に高い負担になって参ります。でありまするので、現在でも特に合成樹脂製のマージャンでございますとかいうようなものにおきまして、非常に税の転嫁に苦しみ、したがいまして、脱税等のおそれも多いということから考えまして、さような企業対策の面も考えました場合に、この現在の税率で据え置くということははたしていかがなものであろうか。したがいまして、今回の改正によりましては、象牙製のマージャンは、これは一七%では低いから、せめて二二%程度になるようにということで、八千円に引き上げ、牛骨製のマージャンは三千円に下げることによりまして、小売価格に対する負担率を約二一%台に落としてくる。しかし、それでも大体ダイヤモンド等と同じような税負担になるわけでございます。ただ、合成樹脂製につきましては、メーカー価格も安いわけでありまするし、また企業対策の面から考えまして、その消費の増加も考えました場合に、基本的な税率ということになりますと一割程度になりまするが、ただいま御指摘のような若干の非健全性と申しますか、さような意味の事柄もやや残っておるように思いますので、一割まではいかないが、約小売価格の一割五分程度の負担率にとどめるということで改正考える。トランプ類につきましても同様な、小売価格に対する一割五分程度の負担にならすということによりまして、物品税その他の負担のバランスを考えながらこの企業対策も考えて、妥当な合理的な改正考えることができるということになるのではないか、かようなところから実は提案申し上げておる次第でございます。
  66. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 射幸的なものかどうかということによって考え方が変わってくると私は思うのです。射幸的な性格が非常に強いということであれば、私は減税することに反対です。射幸的なばくち的な遊びというか、そういうものを助長することになりますからね。そこで、実際問題として、マージャンとかトランプ、花札等の遊びが射幸的なものから漸次変わりつつあるのかどうか。私はあまりよくこういうことは知らぬので何ですが、大衆化してきているのかどうかですね、それによって考え方が変わってくると思うのです。非常に射幸的な性格が強いということであれば、それは減税する必要は私はないと思う。そういうばくちを奨励するような必要は私はないと思う。しかし、そうでなしに、最近の傾向が大衆的な遊びに漸次移ってきておるのか、どうか、その実情をひとつ説明してもらいたい。
  67. 松井直行

    政府委員松井直行君) 実は私マージャンをやりませんので、身につまされた経験というものは申し上げるわけには参らぬと思いますが、私がまだ子供のころ等の印象から今日への推移をいろいろ考えてみますときに、やはりマージャンにいたしましても、特殊なグループで非常に大きなかけをやっておるという特殊な人々が、これを最初はもてあそんだという傾向が非常に強かったように思いますが、昨今におきましては、われわれ職場に勤めておりますものが、一種のリクリエーションとして、たまたま仲間が集まってやるとか、あるいは一泊どまりで旅行をしておるクラブの連中で好きな連中が集まってやるとかいう意味におきまして、非常に広い範囲において勤労者層にも一種のリクリエーション的な遊びという意味において広がってきておるのじゃないかということが言い得ると思います。これは間違いないと思います。それから、トランプにつきましても、非常にむずかしい遊びがございまして、また、高いかけをやっておる人々もまだおられることと思いますが、われわれ家庭の経験に徴してみますときには、われわれも帰りまして子供を相手にして、そうむずかしい競技じゃございませんが、遊び方の本もいろいろ買ってきてよく勉強してトランプで遊んでおるというわけでありまして、健全な家庭の遊びということにもなってきつつあるのじゃないかということが言えると思います。
  68. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 なかなか苦しい答弁のように聞くわけですがね。そういう判断に立てば、私、独立税としておく理由はないと思うのです。従来のいわゆる全く射幸的な遊技として独立税を課しておったそういう理由はないと、こういうように思うのですがね。この点はどうですか。
  69. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) 今回の税率改正は、ただいま調査官から御説明申し上げましたような、最近におけるトランプ類税の消費の態様の変化と申しますか、実情と申しますか、さような点に大きく着目して行なったわけでございます。税法一つのものとして、物品税に統合して課税するかあるいは独立のそれぞれ税法として課税するか、これは法律が一つであるか二つであるかというわけでございます。なるほど現在の税法が、骨ぽい税のあとを受けまして、独立の税法として沿革的に残っておるということはわかります。ただ、その場合に、消費の態様というものが、広く物品税体系の一部として考えられる方向にあるといたしますれば、これはたとえ税法が二つございましても、税率におきまして、物品税における考え方とバランスをとった税率を設けるといたしますれば、実体的には差異はないことだと思います。  ただ、その場合に問題は、物品税におきまして、将来これがどの方向になるか存じませんが、たとえば物品税が、先ほど申し上げましたように戦争中の税として起こってきたものだということで、早くやめるべきものだというようなことから、もし課税が、将来物品税法が廃止になったときになおトランプ類税も残るのかということになりますと、それはそのときの議論として、同じような消費の態様を考えれば、同時に廃止されるということになるかもわかりませんが、現在トランプ類税法として存在しますものにつきまして税率のバランスをはかっておけば、別段この二つの税法で規制するということは、それほどの障害、支障もないことだというふうに思うのでございます。なお、トランプ類につきましては、特殊の取り締まりの方法といたしまして、このトランプ類に包装をしまして蔵出しをせしめるというような特殊の規制を加えておるわけでございます。この点は、物品税におきましてはさような規制はございませんわけで、これまた沿革的な規制の方法かもしれませんけれども、さようなことを取り締まりの面から置いておる限りにおきましては、このトランプ類税法としまして残しておくということにも意味があるというふうに考えておるわけでございます。
  70. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) この議案に対する質疑はこの程度にいたします。
  71. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 次に、印紙税法の一部を改正する法律案議題とし、質疑を行なうことにいたします。  質疑のある方は御発言願います。
  72. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 通行税にも印紙税法にも両罰規定が入っておるわけですね。これは国税通則法の規定を受けて挿入されているわけですよね。前に須藤委員からも御質問あったと思うのですがね、この印紙税法においても両罰規定が人案なき社団について規定されておるわけですよ。これは国税通則法との関係はどうなんですか。
  73. 松井直行

    政府委員松井直行君) 入場税につきましてお答え申し上げましたと全く同一でございまして、きのう政府の法制局のほうからも見解の発表がございましたし、参議院の法制局のほうからも見解がございましたが、それとわれわれは同一の解釈を持っておりまして、国税通則法案の十三条でございますか、あの規定、通則法案が通らない限りにおきましては、それぞれの間接税における両罰規定は働かないという解釈をとっております。
  74. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 これもすでに議論は尽くされたものかもしれませんがね、まあ所得税法と、それからもう一つ何かありましたね。
  75. 松井直行

    政府委員松井直行君) 法人税でございます。
  76. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 法人税法でございますか、それは特別の法則として規定があるわけですね。それはそれで動いているわけですね。それで、この印紙税法も、あるいは通行税法も、現在すでに所得税法ではそういう規定で独立の法律として動いているのでしょう。この法案が通った場合に、それ自身として、通則法の十二条の規定を受けて人格なき社団について両罰規定を設けている、そういう規定になっていない。ただカッコして、人格なき社団のあれを含むと、こういうことだけになっているわけでしょう。ですから、普通に解釈すると、これは独立な法律なんですからね。そこで、これは裁判になってみないとわからぬ問題が起こるのですけれどもね。どうも私は理解に苦しむのですよ。通則法が通らなかった場合には、その部分だけが働かない、こういう今の御説明ですがね、その働かないというのはどういう意味なんですか。前に私は法制局のほうに聞きましたら、読めないとか言っていましたね。読めないのだ、そういう意味で働かないのだと言ったのですけれども。
  77. 松井直行

    政府委員松井直行君) おとといですか、両法制局から法律的な解釈が示されたのでございますが、御存じのように、直接税、特に所得税、法人税のような場合には、納税義務者が一体法人なのか個人なのかということによりまして、法人課税するか個人課税するかというふうな課税の実体がキー・ポイントになって参るわけでございますので、それぞれの法規において自足的な規定を必要とし、その改正が早く行なわれたものと思います。ところが、間接税におきましては、たとえば物品税の場合には、課税の客体というのが一種の物税で、製造したものを製造者が移出したときに課税するということでありまして、消費税の性格から見て、納税義務者を法人、個人いずれに見るか、そうした人格なき社団の場合にどう扱うかということにつきまして、早いめに自足的にそういう法規を持つということが、直接税であります。法人税や所得税と比べまして幾分事情が違っておったというところに、その規定の仕方の相違の原因があろうかと存じますが、今回国税通則法におきまして、直接において基本的に考えておるのと同じような考え方を通則法に書きまして、書くことによって、間接税にそれぞそ独自の自足規定として人格なき社団というようなものについてこれを法人とみなすという規定を置かずに、通則法を改正して一本にしよう、通則法と合わせて一本に読むのだという考え方で、通則法のみにこれの規定を置く、こういたしたわけでございますので、この通則法自身が動かないときには、それを受けて立つ間接税諸法の両罰規定は働かないということに相なると思うのであります。
  78. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 これは両罰規定が働かないと——動かなくてもいいのですか。この印紙税法について動かなくてもいいのですか。
  79. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほども申し上げましたように、すでに法人税、所得税等につきましては自足規定を持っておりますし、人格なき社団に対する課税関係はむろんのこと、罰則規定につきましても、それぞれ整備された形をとっておりますが、間接税につきましては、非常に不備な点がございますし、現に両罰規定を働かして刑事訴追が行なわれたということも現実にないようでございます。非常に法文上不備であるというわけでありまして、間接税につきましてこのような不備なままで置くということは非常に不合理であるという立場に立ちまして、直接税と同様に、間接税におきましても税体系としてそうした人格なき社団等に対する考え方として課税並びに罰則関係の規定をこの際はっきりと整備することが必要である、違法がわかっていてこのままほうっておくというわけにはいかないという立場で、税法の整備をしたのがわれわれの考え方であります。
  80. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それはわかりますが、そうすると、通則法とその点については不可分の関係にあるわけですね。不可分の関係にあるのでしょう。その点ちょっと……。
  81. 松井直行

    政府委員松井直行君) おっしゃるとおりでございます。
  82. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 そうしますと、通則法がまだ何ら審議されていないのですよ。提案理由説明聞いただけです。通則法は広範なわけですね。ですから、通則法のほうがまだ何ら審議されておらないのに、これだけを上げるということは私はできないと思うのです。
  83. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 速記をちょっととめて。   〔速記中止〕
  84. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 速記を起こして。
  85. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 相談はあとで、その結果に基づいてやって下さい。それは筋が通らぬですよ。通則法と不可分の関係にあるのですよ。私は、通則法と関係なく動いてもいいというのならそれは了承できますが、しかし、やはり今の説明を聞きますと、今度間接税についても何罰規定を所得税と同じように統一的にしたいというのが、あなた方の提案の一つ理由になっているわけです。ですから、これは印紙税法通行税法も、相続税法もそうなんです。しかも、これは影響するところが非常に大きいですよ。たとえば労働組合その他のいろんな文化団体等が、この印紙税については、一般に何というのですか、そうきちんと法どおりに実行しているかどうか、これはうっかりしたりなんかしたりして、いろいろあると思うのですよ。それが今度厳重に課税対象になり、人格なき社団が課税対象になる、それでこれが調査されると、そういうことになってきますと、それは非常な問題が起こってくるわけです、新しく。ですから、そういう点は通則法の人格なき社団についての新しい規定をこれはもっと十分に審議して、その影響がどうであるかということをやはりよく検討してからでないと、これは影響するところ大きいわけなんですよ。ですから、不可分の関係にあるというのなら、まず通則法が十分にわからなければ、これは軽々にわれわれとしてはこれに結論を下すことはできないわけです。通則法を審議しておらないのでありますから、この関係はどうなんですか。私はそう思うのですよ。不可分の関係にあると思うのですよ。非常に急いで採決されるというお話を聞きましたから、これはたいへんだと、そういうので、私もきょうは少しかげんが悪かったのですけれども、出て参りまして、その点、そう早く採決されたら納得いかないまま採決では……。
  86. 松井直行

    政府委員松井直行君) 今おっしゃいましたような議論、すでに衆議院におきましてもいろいろ御論議があったところでございますが、通則法が通らなければ、今御提案申し上げています間接諸税の両罰規定のところのあのカッコ書きの規定が非常に意味をなさないことが書いてあるというだけでありまして、あれと全然……。ですから、国税通則法が通らないときにはこれが生きないものだという確認さえあれば、この間接税法そのものとして御審議願うことには少しもまあさしつかえないと、こういうまあわれわれで考え方もとって参っておりますし、そういう意味におきまして今まで御了解を得てきているところでございます。
  87. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 それはもうおかしいと思うのですよ。あなたのほうは通則法が通らなくてもいいのですか。
  88. 松井直行

    政府委員松井直行君) 両方提案申し上げているところによっておわかりのとおり、これはもう、ぜひ不即不離、一体のものとして成立させていただきたいと思っておるのでございます。
  89. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 今の説明ね、私も納得しないですよ。国税通則法が、題になっている点では母法ですよ、母法。もとの法律なんですね、国税通則法は。いわゆる法人でない社団の規定ですね、両罰規定。それが審議されないで、そうしてこの枝の法案が先にきまっていくということでは、これは審議としては前後を誤っておると思う。で、国税通則法が通らなければ、相続税なり、印紙税なり、トランプ税、通行税、全部この関係の条項が死文になるということであれば、これは私はやはりもとの国税通則法を審議しないと、これを通すということは理屈の上からいって筋が通らぬ。これは前から私主張しておる。独立した法律で関係ないという答弁は、私ども納得できない。
  90. 松井直行

    政府委員松井直行君) こちらへ御提案申し上げた以上は、この場における御審議をなさる方法につきまして、われわれはこれ以上あれこれ御意見を申し上げる筋合いでもないかとも存じますが、衆議院におきます論議をわれわれ聞いておりましたところを先ほど御紹介申し上げた次第でございますが、両法案を通したいという気持、希望と申しますか、強い希望だけを先ほど申し上げたわけでございますので、御了承願いたいと思います。
  91. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 私は、衆議院におけるそういう論議ですね、これを決して無視するわけじゃありませんし、それも尊重もいたしますが、しかし、われわれとしては、いずれにしても筋が通らなければ納得できないわけです。私は決してむちゃなことを一言っているわけじゃない。何もこの法案の審議をおくらして迷惑かける、そんな考えはない。しかし、だれが見ても、今荒木委員がいわれたとおりだと思うのですがね。一番肝心のほうの人格なき社団の通則法における新しい今度の規定、新しい規定ですからね。これは間接税については大きな問題ですよ。一番今通則法でまあ中心的な非常な大きな問題になっているのですが、それのほうがまだ審議されないで、はっきりされないで、それで一応それは通るものという前提で、今荒木委員がいわれたように、枝の規定として規定されておる。肝心の親のほうがまだはっきりしていないうちに、子供のほうを審議して、もしこれをきめてしまったら、賛成反対は一応別としても、筋が通らぬと思うのですよ。
  92. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちょっと速記をとめて。   〔午後零時十九分速記中止〕   〔午後零時三十二分速記開始〕
  93. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 暫時休憩いたします。    午後零時三十三分休憩    ————————    午後一時三十分開会
  94. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ただいまから委員会を開会いたします。  これより、入場税法の一部を改正する法律案議題とし、参考人方々から御意見をお述べいただくわけでございます。  その前に、委員長から二面、ごあいさつを申し上げます。  本日は御多忙中のところ御出席を賜わり、厚くお礼を申し上げます。時間の関係上、御一人十五分程度で御意見をお述べいただき、あとで委員の質問にお答えいただければ幸いと存じます。  では、山根参考人からお願いいたします。
  95. 山根銀二

    参考人山根銀二君) 今御指名をいただきました山根銀二でございます。この改正法案を一とおり読んでみました。もちろん、私は法律家ではありませんから、言葉の厳密なことはわかりかねるところがあったりいたしたのでありますが、まず全体の印象として、これは私はひどく驚いたことでございますが、これはこの改正案に限ったことではなく、前のもそうかと思いますが、こういう法律が、いかにも国民を取り締まる、あるいは国民が何かずるいことをするのをとっちめてやるというふうな精神によって書かれていることに、実はたいへん驚きました。これはこの法律を執行なさる方が国民より何か上におりまして、そして国民を上から監視して取り締まっているような印象を受けるのです。こういう法律が、私は法律家でないからそういうことを言うのかもしれませんが、現在の民主主義のときに、こういうふうな格調で、こういうような調子で法律が行なわれているということは、これはたいへんな間違いであろうと思って、私は大いに驚いたのでございます。  それから、そういうふうにして見ていきますと、たとえば何か罰則のようなところで、これは二十八条だったと思うのですが、人格なき社団に刑事訴訟法を適用すべきであるというようなことが書いてある。私は、しかし、刑事訴訟法というのは何だかよく知らないのでありますけれども、それはお金を取ったり納めたりという民法的な問題だと思っておりましたら、ここへ来てがぜん刑事訴訟法という刑法的なものが出てきまして、これは常識ではわからないのですけれども、何かうっかりすると手がうしろに回ってしまって、警察が来て引っぱっていくような印象を受ける。こういうことがこの法律の中に入っていて、たいへん全体の調子をおかしくしておるのであります。私はしろうとで、そういうところは非常に驚きました。国民の一人として、私の受けた感想を率直に申し上げるのであります。  それから次に、入場税全体について、私の日、ころ考えておりますことをちょっと申し上げたいのでありますが、大体文明国で、現在の地球上にあります文化を尊重している国家で、音楽や演劇や舞踊の催しをするときに、その場所に立ち入ったということだけで税金を取っておるような国家は一つもない。どこかにその例外はあるかもしれません。そういうようなのは文明国の中心の主要なるものじゃないのであります。  で、どういうことが文明国なら行なわれているかといいますと、国家の経費の、費用の中から莫大な費用がそういう催しに対して援助として与えられている。あるいは、国家が与えなければ、これは都とか市とかいうものが、たとえばミラノ市などでは、例のスカラ座、世界一のオペラ座でありますが、やはり莫大な援助を出しておる。もちろん、国家も出しております。そういうことによって文化を尊重し、育成していくのが、これが国家のとるべき文化の政策である。しかるに、日本においては、そういうものに、催しに援助を与えるどころの騒ぎじゃなく、まるで弾圧にひとしいような重税を課しているのです。こういうことは一体どこから出たのか知らないのですけれども、おそらく明治時代の専制政府のやったことがそのまま今日継承されて、税のほうではうっかり撤廃するとお金が入らなくて困るということから、延々今日に及んでおるのじゃなかろうか。これは私の推測であります。でありますから、こういうものは何しろ一刻も早く撤廃しまして、音楽会などに援助してくれとは頼みませんけれども、将来は頼みたいのですけれども、今は頼んでもしょうがないので頼みませんけれども、入場税みたいなものは、こういう企業をいじめ、音楽家をいじめ、聴衆をいじめるということは、一日も早く撤廃してもらいたいのであります。  それで、今回の改正案をそういう立場から私は見まして、若干これはお願いをしてみなければならないという気持になりました。それは、全体として前のよりも税率が下がっているということはたいへんありがたいのでありまして、これは一歩前進だと思います。どうかそのときにもう少し、せっかく税率を下げるのでありますから、その税の率の下がる範囲をなるべく拡大しまして、そして撤廃に一歩でも近づくようにはかっていただくのがいいのじゃにいかと考えます。そのことと、それから先ほどたいへん驚いたと言いました二十八条の刑事訴訟法を適用すべきであるという、ああいうことは御考慮願って、今のうちに何とかもっと体裁のいいものにしてもらいたいと思うのであります。  それで、つらつら考えますに、こういう税金はすぐ入場者にかかってくるものでありまして、それは国民一般の方にすぐのしかかってくるものであります。税をうんと取るから、興行者のもうけが少なくなるだろうとお考えになっては、これはいけない。興行者はそれをそのまま聴衆のほうに肩がわりさせればいいのですから、興行者は少しも困らない。それから、もう一つは、たとえば興行者がもうけても、興行者がもうけられるならば、それは興行者の所得税によって取ればいいのでありまして、それだから入場税をうんと取ってやれということは、ちょっとつじつまが合わない。われわれは資本主義の国にいるのでありまして、合法的な仕事においてうんと金をもうけるのは幾らもうけてもいいと思うのです。だから、音楽とか舞踊をやる、その興行によってたくさんもうけるということが税務署のにらむところになるのが、よくわからない。もちろん、税がきまっているのだから、それは取り立てるということは正しいと思いますが、どうも全体の調子を見ておりますと、興行者がたくさんもうけるというのは何かけしからぬことをしているように見ている傾きがある、そういう響きがあるんです。これはおかしいんですね。こういうことは非常に変だと思います。資本主義なんですから、大いに法律にかなっている範囲でもうけて、公の秩序、善良な風俗を乱さない限り、そういうことに干渉すべきじゃないのでありますが、ややもすると興行者を圧迫するような口吻が至るところにあるように私は思いましたので、こまかいことは私ここにちょっと書き抜いてございませんが、なるべく改正して、もっと品のいいものにしてもらったらどうかということを考えております。  それで、これはお話を連絡の方から伺いまして、問題点の主要なところを聞きました。ところが、現在のところまで改正案を煮詰めてくると、根本的にいろいろなことを作り直すひまがない、だから今回は部分的なところを直して、理想に一歩近づけばがまんをしろと私も言われました。それがいいかと思います。そうするとどういうところになるかというと、なるたけ税の適用されない非課税のところに多くのものが入るように御考慮を願うのが一番いいんじゃないかと思います。そして、そういうふうに問題を煮詰めて参りますと、いわゆる純音楽、純舞踊というようなものが、昔からいろいろな検討の結果、税率を低くしていただいておる傾向、方向がありますので、その方向をここでうんと拡大しまして、それに入るものの範囲を広くして、そうして非課税を増していくということ、これが今回のこの改正案のごく数日中にきめなければならぬ最も実際的な案でございます。  そしてみますと、ただいま純音楽というものと純音楽でないものという区別をすることができるかどうかという、たいへんむずかしい問題が出でくるのであります。これは実は純粋に半間的に検討すれば、それは必ずできるのでありますが、しかし、これを定義づけてどうこうといいますと、法律論の範囲では非常に複雑になりまして、それをうまく個条書きにしたり、法律の表現に当てはめていくことは、これ至難のわざじゃないかと考えます。しかし、常識的に見ますと、やはり純音楽というものと純音楽でないものという区別が確かにあるのでありますから、われわれの今の方針としましては、幾つかの音楽を個条書きにしまして、たとえば交響曲の音楽会、あるいはピアノのソナタをひくような音楽会とか、あるいは既成のイタリア・オペラの作品を上演するオペラの会とかいうふうに、そういうふうに総括的に曲種によりまして、そういうものを純音楽と称するというようにおきめになるのが一番早いんじゃないかと思います。そうしますと、問題は、たとえば民謡のようなものはどうするかとか、シャンソンのようなものをどうするかというような、限界になるところがございますが、それでもできるだけ、民謡もやはり音楽でありまして、民謡を歌うこと自体がその音楽を成立せしめているのでありますから、これもやはり純音楽に入れたい。純音楽に入らないものとしまして、たとえば社交ダンスをするとき伴奏に音楽を鳴らすのがございますが、これは社交ダンスをすることが目的ですから、まず純音楽に入れることは無理であるというふうな工合に、なるべく純音楽に入るものを広めて、そうしてここに規定することとして、今回はこれ、お通し下さって、理想のところへ一歩近づくということがいいのじゃないかというふうに私は考えております。  大体の意見はそんなことでございますが、御質問を得まして、また詳しく敷衍してみたいと思います。
  96. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 江口参考人
  97. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) 私、舞踊家の江口隆哉でございます。私たちが減税をしていただきたいといって叫んでおりますことは、舞踊家自体が苦しいからであります。ということは、入場税は入場する人に課ぜられるものだとなっておりますけれども、やはり五百円なり三百円なり、あるいは百円といった入場料をもらったときは、そのまま入るほうが大いに助かるからでございます。  ということは、実際問題を申し上げないといけないのでありますが、たとえば産経会館を借りますと、朝からけいこして夜一回やるのに三十五万円かかります。オーケストラを雇いますと、二十五万円かかります。それから、舞台装置は十万から十五万かかります。それから、照明が七、八、万かかります。衣装代が三、四十万円かかります。こういったようなものを計算していきますと、そのほかにまだ作曲料とか舞台監督料とか、マネージ料とか雑費とかいうものを入れますと、とうてい三百円や五百円の入場料それ自体では、頭から間に合わないのであります。腰かけるだけで、あそこは百五十円ぐらいかかることになるわけであります。  それでもなおわれわれはどうしてやるんだということを、よく税務署の人に問われますが、それでもやらなければならないのであります。でなければ、われわれの生きている生存価値がないからであります。それでもやっていきたいのであります。そこで私もおとといも質問されましたが、このごろは活躍されませんと言いましたが、去年はやりませんでした。できません。用意しなければできないのであります。用意とは、この前の欠損を小しずつ返していって、借金が少なくなったときに、また次を始めて、それでそれに追われているのであります。われわれどうしているかというと、舞踊家は全国に千五百人ぐらいいると思いますが、その人たちのおおむねは、子供やおとなの少数を数えることによって生活しております。芸術家ではないのであります。芸術教育家であります。そういうことが職業になっているのが実情であります。音楽のほうもそういうことが非常に多いのであります。私たちは、舞踊象として立つ以上は、舞踊を発表して、それで生活ができ、せめてとんとんになればいい、これを望んでいるのでありますが、どうしても会場興だ、衣装費だ、音楽の伴奏費だ、それから装置の費用だ、そこへ税金がまたもう一つ大きな問題として来るのであります。ですから、それを何とかして軽減していただきたいというのが私たちの願いであります。  それで、今山根さんの申し上げましたように、この早急な場合で、はなはだわがままなことを申し上げるようでありますが、早急の場合でありますし、この音楽全部、それから舞踊全部、能楽全部、そういうことがもし他との振り合い上そのほかのことでごめんどうのようでありましたら、今まで純音楽、純舞踊ということで、「純」という名前のついたものが特権を与えられております。それは十年前に、この部屋ですか、この参議院のこの大蔵委員会で、十割が四割になったのを私は傍聴して知っております。そのときもカッコを入れて、「及び純音楽」という五つの文字を入れて、それは通していただいたのであります。これは非常にありがたかったので、そのとき私のほうは、舞踊のほうは入りませんでしたが、とにかく音楽を通していただいてということで、それから何年かたって舞踊も入ったのであります。それで二割にさしていただいたのであります。非常に喜びましたが、今この一割という減税をなさるときに、このチャンスにもう一度ここで皆様の御配慮によって、純音楽、純舞踊及び能楽、そういうものを免税にしていただければたいへんありがたいと思います。  それで、今純音楽という、「純」という字はどういうことかと申し上げますと、純とは三つの方向からこれをきめております。一つは舞踊でいいますと、舞踊の種類、どういう種類は純に属し、どういう種類は純に属さないと、この種類から分けております。もう一つは、その舞踊を行なう人によっております。舞踊家がやるものかあるいは舞踊家ならざる者あるいは未熟な者がやるものかということで分けております。もう一つは、興行か興行でないか、つまりもうけ主義かもうけ主義でないかということ、研究発表会という文字を使っておりますが、その研究発表会であるかないかによって分けております。  そこで、その第一の舞踊の種類ということは、これは私がその当時、大蔵省主税局の課長さんの方でしたか、私が、ここへ書いてありますが、こういうものを差し上げて、舞踊の種類というものを差し上げて、大体それにのっとってやっていられるようであります。ただし、そのとき私は、民謡のほうは、つまり盆踊りのほうはあれはステージでやるものでないので、これは舞踊でないというふうに区別してありましたので、それが惜しいかな芸術のほうへ入っておりませんでしたけれども、このごろは民謡も盆踊りも舞踊化してりっぱな芸術舞踊として取り上げておりますから、この点を拾い上げていただければと思います。そういったような舞踊の種類のことは決してめんどうじゃないので、これははっきり分けられるものであります。で、それはまた後日詳しく、われわれがもっと大勢で審議すれば、完璧なものができると思います。  それから、もう一つは、舞踊を行なう人によっての種類ということは、芸術をやるんだから舞踊象でなければならない、相当修練した価値の商い作品を作らなければならないということになっておりますので、末端では少し問題が起きております。方の団体で、一人は舞踊家ではある、十年以上やった舞踊家ではあるが、そこに使う人間がそこのお弟子さんであった場合、あるいは十二、三才の中学一年ぐらいの子供も入ったような場合、これを芸術と認めない、だからこれは税金を下げるわけにいかないんだということで、摩擦を生じたようなことでありますが、たとえばべートーベンの曲を中学一年生が奏しても、これはべートーベンの曲というりっぱな音楽をやろうとしてやっているんだから、そこの精神にかんがみてこれは無税であるというふうに、種類でそれを分けていただければたいへんけっこうだと思います。  それから、もう一つは、興行性ということで分けて、研究発表会ならば二割にしてあげようと、この前の規定ではそうなっておりましたが、その研究発表会を大体われわれがやるときには何日もできません。そこで、たいがい二日三回とか、そういったような、あるいは一日一回、一日二回、そういうのがたいがいの限度であります。たいがいの舞踊家の限度であります。ただし、都民劇場とか労音とか、そういうたいへんな数の五方とか七万の数を擁しているようなところは、会員に同じものを見せなければなりませんので、それは五百、七日続いても興行とは認めないでやっていただく特例を設けていただければ、これも簡単に解決することだと思います。  つまり、純ということを、分けることによって繁雑であるということによって、今度一律にされたという傾向がありますが、それは今言ったようなことから、純、純ならざるものは分けられることでありますから、純を分けていただいて、この場合純音楽、純舞踊、それから能楽及ば狂言、そういうものを免税ということにしていただければ、たいへんけっこうだと思います。  簡単でありますが、終わります。
  98. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 参考人方々に御質疑がある方は、御発言を願います。
  99. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 お二人にちょっと伺いますが、大蔵省は、納税をする根拠として、こういう二つの意見をかけておるのですよ。一つは、音楽会や舞踊を見にいく人は担税能力があるから課税をするのだ、こういう意見。それからもう一つは、これは大蔵省内の意見が分かれていると僕は思って、あとで確かめなければならないと思っておりますが、展覧会など、これは従来展覧会も音楽会などと一緒の課税だったわけです。ところが、今度は展覧会は課税対象から省いておるわけです。その点なぜだと言ったら、娯楽性が違う、こう言うんですよ。私も芸術家の端くれですが、この間もベートーベンの音楽を聞くのと、ミケランジェロの展覧会を見るのと、娯楽性においてどう違うのだという点を私は尋ねたのです。僕は娯楽性によって課税するということはおかしいと思うんです。それじゃ、どう違うのだということが議論になってくると思うんです。こういう点をひとつ私は伺いたい。  それから、もう一つ、高い入場料を払って行く人には担税能力があるからだ、こういうことなんですがね。私は。今も江口さんの話を聞いていまして、舞踊会は、ほんとうにそろばんのとれるような入場料にしようと思ったら、千円、二千円という入場料を取らないと、ほんとうのそろばんはとれないのじゃないかと思うのです、今の話を伺っていると。しかし、遠慮して、そういう入場料を取ったらお客さんは来ないから、だから五百円どまりでやって、その赤字を自分たちで何とか苦労して埋めていこうという形になっていると思うんですね。これも非常に  一つの不合理だと思います。それから、五百円の入場料を払って音楽会を聞き舞踊を見にいく人たちが、担税能力があるということで片づけていいものかどうかと思うのです。私は、これを見にいく人は若い人たちが非常に多いと思います。この人たちは、決して担税能力があるというふうに私は判断していけないと思う。この人たちが無理をして、財布の底をはたいて、実際は大蔵省の言うような担税能力を持っていない、資格を持っていないのにかかわらず、商い料金を払って音楽会に行き、舞踊を見にいくということは、これは芸術に対する要求、そのために行くのであって、担税能力があるから行くという言葉で片づける性質のものじゃない。  この二つについて御両者の意見を伺いたいと思います。
  100. 山根銀二

    参考人山根銀二君) 今、須藤さんのお話、私初めて聞きまして、これもまた驚いてしまいましたが、担税能力があるから税を取るというのだったら、その税がたとえ正しい正しくないにかかわらず、税を取れるのだから取るという程度のことにすぎないので、そういうことが課税の動力になっているということを聞きまして非常に驚いてしまいました。このことも、原案の調子が国民というものを何か上から取り締まっていくというような観念の表われと同じでありまして、たいへん間違っているということは言うまでもないのであります。この担税能力があるかないかということを、大蔵省がどういうふうな標準をもってやっているのか。たとえば、私たちが年間収入何万円あったら担税能力があるかということを、私はむしろ聞きたいくらいであります。それはもちろん、音楽会へ行けるのだから切符が買える。切符が買えるのだから担税能力があるのじゃないかというのだったら、これは子供の議論でありまして、政治家あるいは官吏のなすべき議論じゃないと思います。ですから、その点で、こちらから大蔵省のほうに、一体担税能力があるというのはどのくらいかということをお聞き申し上げたいと思うのでして、それからまた私の意見を申し上げたいと思います。  それから、もう一つの、展覧会と音楽会とは娯楽性が違うという意見があるようでございますが、今須藤さんがおっしゃったミケランジェロの絵を見て楽しむのと、べートーベンの音楽を聞くのと、ベートーベンのほうが楽しいから娯楽性が多い。確かに娯楽性が多いと思うのですね。だから税をかける。これは二重に間違っていると思うのです。娯楽性が多かったからといって、なぜ税をかけるのかということです。娯楽性があってもいいじゃないですか。これはやはり国民を下に見て取り締まってやろうという警察的精神の現われじゃありませんか。娯楽性けっこうです。大いに娯楽をとって、そして国民は休養して、大いに働かなければなりません。そういう意味において、娯楽性が多いから税を取ってよろしいということは暴論もはなはだしい。  次に、ミケランジェロとべートーベンを比べてみて、音楽のほうが娯楽性が多いということは、音楽を知らないから言っておるのであって、音楽とは何となく耳から聞いて楽しいから感覚に合っているように思い、絵だと、目で見て一応知的な要素が多いから、何となく高尚のように思うというにすぎません。べートーベンのシンフォニーは、そのようにしていいかげんに娯楽性という面でだけ聞き終おせるものじゃないので、人類の持った最も大きな崇高的なものであります。こういうものを真に理解することこそ、日本国民として必要であります。これに対して重税をかけるという、こっけいなことになるのです。ですから、今須藤さんからお聞きしたことに対しまして二つとも反対でありまして、もう少し詳しく大蔵省の方の意見があればお聞きしたい、そうしてもう二度お答えしたいと思います。
  101. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) 担税能力ということでございますが、担税能力で税を課するならば、展覧会の入場者もやはり担税能力があるので、そこも当然かけなければならないのじゃないかと思うのであります。金額から申しましても何か矛盾を感ずるのは、展覧会はたとえば五十円か百円だというよに通例なっておりますけれども、外国から来た展覧会はもっと高いと思います。ところが、舞踊の場合の免税点は三十円になっております。それならば、展覧会も三十円までは免税というならばわかりますが、展覧会は幾らであっても無税であって、舞踊は三十円までは無税であとは税が課せられるというのは、少し違うのじゃないかと私は考えます。  それで、今の展覧会と舞踊会、音楽会等の娯楽性というようなことは、山根さんがおっしゃったことでありますから触れませんが、そういう点でもし担税能力ということだけで入場税を課するならば、展覧会であろうが何であろうが、千円以下はどうするとか、七百円以下はどうするとか、そういう取りきめが初めからあるならば、またこれは納得がいくものではないかと私は考えます。
  102. 永末英一

    ○永末英一君 この音楽のことですね、純音楽というジャンルを設けるとしますと、われわれのようにクラシック時代に暮らしてきた者の考え方と、このごろの非常に戦後の若い人々が音楽を楽しむ場合の受け方というのは、非常に違うわけですね。われわれからいえば、このごろはやっている軽音楽、一口に申しまして音楽じゃないのじゃないかという感じがしますが、あの人たちはあの人たちで、やはりそれで非常に、芸術みを満喫しているかどうか知りませんが、楽しんでおる。たとえばスペインのフラメンコこしましても、盆踊りの進化したような気がしますけれども、もしそういうものが日本へ来た場合に、外国から来たからといって、純音楽に舞踊も入っておりますけれども、あれはなるかどうかというようなこと、今までわれわれがクラシックに属するものは純音楽であって、新しいもの——年代的に新しいというよりは、日本人が新しく取りついた外国のものなりあるいはそれを翻案して日本のものになるというもののけじめですね、こういうものについて、何かそういう性格の差異から区別をつけるということについての可能性はどういう工合にお考えでしょうか。
  103. 山根銀二

    参考人山根銀二君) お答えいたします。ごく常識的に見ました純音楽、それから純音楽でないものという区別は、確かにあるのですね、それで、昔はその区別が非常にはっきりしておりました。たとえば、おっしゃったように、ベートーベンの交響曲というようなものとそれから何かダンスに関係のある音楽というものは、だれが見ても明らかに区別がつきました。ところが、特に今度の戦争後になりますと、その垣根がかなり融通自在になりまして、ダンスのたとえばジャズのリズムを使って、ガーシュインという人が交響的な作品を書いておりますね。これを聞くと、ジャズの節やリズムはたくさん出てくるのですけれども、同時にそれがりっぱな演奏会用の作品になっております。これを純音楽と考えないわけにはいかないわけです。それから、それではダンスに関係のある音楽はジャズ的なそういうものばっかりかというと、これもそうではなくて、たとえばヨハン・シュトラウスのワルツなんというものは、これは日本ではあまり踊っていないかもしれませんが、外国へ行けばダンスといえば必ずそのようなワルツが出てくるのがあたりまえでありまして、この曲はダンスで踊ってもおもしろいし、音楽会で聞いてもりっぱな芸術作品になっております。そういうようなものはどっちに入れるかということになると、たいへんそれは困ることは困るのです。しかし、困るのは、こまかく言葉で規定しようとするときに、なかなか美学上の規定の仕方というものは的確にいかないために困るのでありまして、むしろそのときには、常識的に、われわれの生活の中に占めている役割のようなところから判定をしますと、大体片がつくんじゃないか。ですから、そういう観点で、大きく、どういう曲種は純音楽に入れる、どういう曲種は入れないというふうに検討なさっておいて、それで実際に適用のときに非常にあいまいだったらば、なるべく純音楽に入れることにして、なるべく税を課さない精神で運用するいうことをおきめになれば簡単ではないかと思います。  たとえば、非常にむずかしい例として、ここにさっきから読んでいるのでございますが、改正後のいろいろな運用の仕方を書いたものを見せていただきますと、純音楽の中には民謡が入らないというようなことを書いている。ところが、ボルガの舟唄だとか、サンタ・ルチアなどは、民謡なんだけれども純音楽に入ると、こういう規定をされておりますね。これは、理論としては間違いです。しかし、民謡の中の一部のものを、サンタ・ルチアやボルガの舟唄だけでもいいのですが、とにかく純音楽の中に入れたということはやはりプラスですから、もっと一ぱい入れたほうがいい。理論としては間違いだけれども、実際には一つでも入れるものが多ければいいと思います。だから、こんなけちなことを言わないで、ひとつ、民謡は民謡として成立している以上、民謡としての音楽会である以上は、純音楽に入れるべきです。そうすれば、ボルガの舟唄も日本の民謡も同じような扱いで、理論的にも正しくなるし、運用もうまくいくのではないか。そういうようになると、もう少し整理して、たとえば邦楽のところで、富本とか清元は純音楽に入るが、小唄、端唄、その他これに類する俗曲は該当しない、これはたいへん間違いだと思います。小唄、端唄は純音楽でない、なぜ俗曲は悪いか、なぜ上野の音楽学校で教えていないものは純音楽ではないか。これもおかしいですから、やはり小唄も純音楽であって、小唄の音楽会であっても純音楽の音楽会であっても、少しも差しつかえない。そういうふうに個々に当たって良識をもって判定していただいていったらどうでしょうか。そうすることが現在一番実際的だと考えます。そういうふうに思います。
  104. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 今、端唄、小唄の話が出ましたがね。私も実は小唄、端唄が日本のりっぱなリードだという感じを持っているのです。ですから、山根参考人意見に賛成なんですが、そこで、先ほど江口さんが、入場料金の多寡によって課税をされるようにしたらどうだというふうな御意見があったわけです。これも一つ考え方だろうと思うのですよ。それから、音楽会、舞踊会を主催する主催者によって課税対象を免税するか課税するかというふうな見方ですね、それから演奏会なり舞踊会の持たれる会場の場所ですね、場所によって、主催者か場所か、それとも入場料金によって課税対象するか、こういうような意見もあるようなんです。それで、もしもそういうことが皆さんの考えで妥当だとお考になるならば、入場料金はどのくらいの高さから課税対象として差しつかえないと皆さんお考えになるのか。場所はどうか、主催者はどうかという点についても、この際参考意見を伺っておきたいと思います。こう言うからといって、私はそれに賛成する立場ではない。私は入場料は撤廃すべきものだという立場に立ってこういう質問をしているわけですから、誤解のないようにしてお答え願いたいと思います。
  105. 山根銀二

    参考人山根銀二君) 今のお説、よくわかりまして、実は私も入場税というものは完全に撤廃すべきものだとい5.原則論は持っております。ですから、それは初めに申し上げたとおりであります。しかし、それに今一歩でも近づくものなら近づきたいという、現実的な局面に今来ておりますので、それで先ほどのような議論をいたしました。それで、そのときに、問題の焦点を、どうも純音楽というところにしぼらないと、四月一日とかから施行するとかいうので、間に合わないので、そこに問題をしぼって理想に近づいていくのが、今一番現実的だということですから、純音楽についての区別のことを私申し上げたわけですが、しかし、理論的にはなかなか規定するのがむずかしいということは先ほど言ったとおりでありまして、もう一つ考え方としましては、入場料の高さが非常に高いものには、まず理想に近づく、撤廃に近づく一つの段階として、高いものにだけかけるというのは、純音楽と怪音楽というものを分けるよりも簡単じゃないかと私は実は考えているわけです。そっちのほうに転換して御研究願えれば、もっと簡単にいい結論が出るのじゃないかと思います。  そのときに、御質問の、一体幾らぐらいか、これもたいへんむずかしいが、高いものにかけるのはぜいたく品に課税するという精神だと思います。国民の大多数の者が、勤労によって生活して、ごく貧しい質素な生活をしておりますときに、特にぜいたくをしていくことは、やはりあまりいいことではありませんから、それに対しては税をかけることが現在正しいことだと思いますので、そういう意味から、やはりかけるべきだ。そうすれば、その免税点というものはずいぶん高くしなければいけないと思います。音楽会のほうでいいますと、大体、そうですね、一番高い音楽会が三千円ぐらいのことがありましたか、そんなことだと思います。免税点をそれ以下にして下されば、これはいいと思います。事実これからの音楽会は、たとえばアメリカでやっている一流の人なんかが参りますと、実際のところ三千五百円、四千円ぐらいの入場料を取らないというとペイしないというような音楽会がたまにはあると思います。そういうものは、やむを得ないから少し税をかけていただいて、三千円以下、二千五百円以下ぐらいのところは、少し高くても、まあこれはやはりイタリア・オペラなんか来ましたときには、あのイタリアのすばらしい芸術が一本でも聞けるということで、特にNHKあたりがあれを一億ぐらいの赤字を出してやっている犠牲的な仕事でありますから、それで値段も二千五百円か三千円近くになっても、これは、ぜいたく品というよりは、むしろそういう政策的な意味を加えて、免税のほうに入れなければならないのではないかということです。そうしてみますと、だいぶ免税点が高いというような御印象を受けるかもしれませんが、そのくらいにしておいて、大部分のものが非課税のほうに入らしていただく、これが理想に近づくほんとうの正しい一歩前進じゃないかと私は思います。
  106. 平林剛

    ○平林剛君 参考人の御意見も伺えればけっこうですが、委員長にお願いしておきます。従来この純音楽、純舞踊という問題については、現行法において一応区分して税率をきめてきておったわけです。そういう意味で、法律の施行にあたっては、税務署のほうも国税庁のほうも、家際実務として取り扱う場合の通牒、あるいは国税庁長官かあるいは関係者の通達文書などがあると思います。多分今日まで長い間その実務上の区分が、通牒等によりまして支障なく税務行政が行なわれておったものと判断をします。一応区分されたものはあると思います。それを今後の参考のために委員会に提出してもらうように、委員長において取り計らってもらいたい、それが一つ。  それから、私も、皆から純をつけるつけないということは、理論的にむずかしく考えれば、なかなか議論のあるところだと思いましたが、常識的に判断すれば、ある一つの線が引けるという考えを持っておったのです。今日参考人の御意見を聞きましても、たとえば舞踊でいえば、種類とか、行なうものがあるとか、あるいは興行、研究会というような一つの分け方でもできるのじゃないかという、たいへん参考になる御意見を聞かしていただきました。従来税務署との間において、これは純であるとか、いやこれは純でないよというような争いといいますか、トラブルといいますか、そういうようなものがあったでしょうか。過去における実例についてもし知るところがあったら、この際どちらでもけっこうですから、御意見を聞かしていただきたいと思います。
  107. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) やはり産経会館で、ダナムという人が来てやったことがありますが、これは土人のダナム、その人はあいのこでしたが、タンゴとか、それからそのほかの土人の踊りをやって、中には鶏を使っての、こう何か非常にグロテスクで神秘的な感じのものもあったのですが、それが芸術であるか芸術でないかということが問題になって、その当時は五割か三割かということになったのですが、それで国税庁のほうから私のところへも電話が参りましたが、私も見にいって非常に感動して、それは非常にいいものでございました。ですから、私は率直にいって、これは確かに二割であるというとを申し上げました。それは方々に問い合わせて、大体みな二割だ、三割だということになって、二割になったんですが、期間は五日間だと思いましたが、ですから、これは研究発表会ということのほうから見ると抵触するからというので、二日間は二割にして、あとの三日間は五割にしてやりました。これも僕は見事に解決していると思います、つまり問題点としては。それから、もう一人、やはり土人で、名前はちょっと忘れましたが、これもやはり二割か五割かで問題がありましたが、それも結局は二割にしていただきました。ですから、そういう今まで集まってできた問題点を調べてみますと、きっとどの点が引っかかったかというところがあると思うのですが、一番多いのは舞踊の種類ではないかと思うのですが、それを的確にさえすれば、純、純ならざるものを分けるのに決してめんどうはないと思います。
  108. 堀末治

    ○堀末治君 江口さんにお尋ねしますが、実は私も能のほうに関係がある。宝生のほうは水道橋のほうに会館があるのですが、それで御承知のとおり、あの辺は年に二回の別会があったり、あるいは月並能があったり、あるいは若い楽師の連中の奨励の五雲会というものが毎月催されておる。そんなのはどっちかというと、われわれのほうは全部会員制度になっておりまして、その先生のお弟子方のわれわれみたいなものがそれぞれ適当に負担するのですね。たいした謡でなくても、舞台に立ってやるとなれば、あなたは何ぼ出せ、一つ仕舞を出せば何ぼ、舞囃で何ぼということで、そういうことでどうにかこうにか負担してしまっているのです。しかし、今あなたのお話を聞きますと、一回の発表会をするとずいぶん大きな費用がかかるのですね。今の能なんかのごときは、あんな古いものですから、御承知のとおり水道橋なりそれぞれ舞台を持っていますから、舞台では金はあまりかからない。今承ると、産経でやれば二十五万円かかる。それぞれ、これはざっと百万円かかるのですね。それをどうにか、多少入場料を取って、おそらくその入場料では何分の一にも間に合わないだろうと思う。あとは皆さん方が何とかして一年のうちに返せれば返す。またあと借用してまたやるということで、毎年やれないというお話でしたが、一体その入場料をどう見て税務署は入場税を課しているか、それからまた、あなたのほうではかかった費用を翌年のうちにどういうふうにして埋めているか、その辺の状況をひとつお話し願えませんか。
  109. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) 大体産経でやると百万円欠損、それから日比谷公会堂あたりでやると四十万円、第一生命とか飯野ホールとか、これは六、七百名入ると思いますが、そこでやると二十万円、大体相場がきまっております。ですから、発表会があるというと、その人は欠損したものだと、こう見ております。  それで、それをやるのに、その準備を先にすぱっとやってからやることもあります。それは大体二十五才ぐらいまでやった人が、今度一本立ちになろうというときには、最初ですから、親御さんが出してくれます。親御さんが、お父さんが三十万円、お母さんが十万円出してくれる。そういうことで一回は間に合います。そうすると、しばらくはできないんです。大体そういう方は二年くらい休んでからまたやります。ですから、私たちとしても、私は一番多くやったのは百万円くらいやはり欠損しましたが、そのときはもうなかなかできませんでした。あとが続かなかったです。長年続きませんでした。ですから、やはりわれわれが働いているのは、さっき申しましたように、子弟を教えていること。それから私は大学へも行っていますが、安い給料ももらっておりますが、それから何かを書いてもらったり、それから何かでお礼をもらったり、そういったようなことでちびりちびりためて、それを解決しているわけであります。ただ、これが、一回やったものがうまく当たって、どこかに売れると、それがだんだんなしくずしにやっていけるということもあるわけです、つまり作品が当たれば。ところが、それがこのごろはなかなかめんどうになっておりますから、あとがなかなか続かないのです。一回こっきりであれば絶対損ということになります。あとどこかで五万円でも十万円でも買ってくれて、それを再演することができれば、少しは損の埋め合わせができる、こういうような状態であります。
  110. 堀末治

    ○堀末治君 やはり出演のお弟子というか何かが、何ぼかずつ、出演するときは負担するというようなことになっているのですか。
  111. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) 私のほうでは一切やっておりません。衣装でも、すべて私の責任においてやります。
  112. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 今、純音楽とそうでないもの、あるいは純舞踊とそうでないもの等については、税制調査会というのがあるんですよ、ここでも非常に問題になって、やはり取り上げているわけです。そういう場合に皆さん方から意見を徴したかどうか。それから、今度の入場税の改正にあたりまして、そういう純舞踊家、純音楽、その他のそういう今まで人場税に苦しんでいる、改正してもらいたいというという御意見を持っている人に意見を徴されたかどうか、あるいは税務署あたりからも。そういうことが一つ。  それから、税制調査会で、第一回の答申というのがあるんです。これでやはり純音楽、純舞踊の問題が取り上げられております。そこで、さっき須藤さんからもちょっと御質問あったのですが、一つはこういうことが問題になっているのです。純音楽あるいは純舞踊とそうでないものとの区分をしないで、相当入場料の高いものについては区分をしないで、同率の税率を課してもいいのではないかという意見もすでにあるわけです。これはすでにそういう問題になっておりますか、こういう点も問題になり得ると思うのです。この点、やはり料金によって、それは純音楽であろうが、そうでないものであろうが、一本の税金をかける。この点について、もうすでにそういう意見があるのでございますから……。それから、税制調査会の答申ですと、こういうふうになっているのです。この点について、もしそれでは不十分であるというふうにお考えになりましたら、補足して御意見願いたいと思います。  純音楽等とその他の音楽等との区分の現行取り扱いにおける例示というのが出ております。まず、純音楽の区分を見ると、たとえば民謡または侵曲は純音楽ではないとしている。しかし、一般に民謡といわれるものでも、たとえばサンタ・ルチアとか、ボルガの船唄等の歌曲の範囲に属するものは純音楽の取り扱いいたしております。また、小唄とか端唄、その他これに類する俗曲は純音楽とは取り扱っていないが、長唄、謡曲、常盤津、清元、新内等は純音楽としている。この点について御意見を伺いたい。  純オペラとその他のオペラとの区分を見ると、グランド・オペラは純オペうであるが、オペレッタ、ジャズ・オペラ等は純オペラではないとして取り扱っている。第二の質問、これでよろしいですか。  第三は、純舞踊とその他の舞踊の区分を見ると、民謡舞踊、郷土舞踊、ジャズ・ダンス、タップ・ダンス等は純舞踊ではない。しかし、歌舞伎舞踊、大和舞は純舞踊であり、またバレー、現代洋舞のうちでも、一般通念上特に文化的、芸術的価値が高いと認められるものは純舞踊と認められている。こういう現在の取り扱いなんです。  私はこれを見ますと、大体入場税ばかりではないのですが、その他今日の税法には戦時中の戦費調達的観念から制定された税制が多分に残っておる。いろいろな税で、物品税でも入場税でも、あるいは通行税でもそうです。あるいは源泉徴収という制度もそうです。みな残っておる。これを見ますと、たとえば戦意高揚的なものについては、同じ舞踊でも何か優先的に純舞踊みたいに投われておるような、何か西洋的なものはそうでないようにどうも区別するようなあれがあるように考えられます。さっき山根さんが言われた何か非常に割り切れないものがあるというのは、戦時中に制定されたなごりがまだ多分に残っておるのがあるのです。いろいろな税制におりてそういう点を感じるのでございますが、私は芸能方面全くしろうとなんです。こういう税制調査会の答申を見まして御質問するわけなんでありますが、この点について御意見承って、こういう現在の取り扱いについてもっとこういうふうに取り扱うべきだという御意見ございましたら、伺わして下さい。
  113. 山根銀二

    参考人山根銀二君) 私から……。一番最初の御質問は、私に関する限り一ぺんもそういう諮問を受けたことはありません。ほかの方が受けておりますかどうか知らないものですから、何とも申し上げられないのです。  それから、第二の御質問で、邦楽の中で、長唄とかそういうものは純音楽だけれども、小唄、端唄それに類する俗曲は純音楽に入らない、そういう答申が出ておるということも、私は……。
  114. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 現在の実際の取り投いです。
  115. 山根銀二

    参考人山根銀二君) それはたいへんおかしいことでありまして、端唄小唄というものの中にもいろいろな種類がありますから、一がいには言えませんけれども、それは長唄が長いうたであるのに対して小唄は小さいうた、長いうたと小さいうたとどうして区別するかということなんです。これを突き詰めますと、りっぱな音楽で、りっぱな日本人の日常口ずさんで楽しむ音楽なんですから、片一方は高尚で片一方は俗であるというふうに考えることはいけない。最も民主的な最もいい音楽だとわれわれ専門家は見ております。ですから、その別はたいへんおかしいと思います。  特に先ほどお話に出ましたように、日本の民謡を非常にさげすんで見て、これが芸術的価値の低いものであるというふうに判定しておる。ところが、西洋のボルガの舟唄、サンタ・ルチアは非常に価値の高いもののように見ていて、自分の民族の音楽を低いように見ているのは、たいへんおかしいと思います。ナンセンスであります。サンタ・ルチアはイタリアの民謡でありまして、一本の民謡とどうして区別するかということであります。民謡というのはあらゆる芸術音楽の基礎になっている根幹の音楽でありますから、これは大事なものであります。その音楽会をするときにそれぞれが悪い音楽会だという観念で何か変な取り扱いをするということは、原則的に間違いであります。これは純音楽の中に大事に入れなければならないと思います。  それから、オペラもそうですが、流行歌の中でもシャンソンというのは日本の流行歌と、だいぶ違いまして、日本でシャンソンということでたいへんなものを作っていることがありますが、これはフランスの。ハリあたりで歌っている町のりっぱな民謡です。やはりりっぱな芸術の種類としましてシャンソンというものは取り上げなければならない。たとえばドイツの国民がリードを歌うように、フランス人はシャンソンを歌う。ところが、ドイツ人の歌っているリードは芸術であるが、フランス人の歌うシャンソンは芸術でないということは、絶対に言えないわけでありまして、これがこういうところに入っているのはおかしいと思います。  それからオペラですが、オペラの分数というのは、これもだれが書いたか知りませんが、おかしいと思う。ジャズ・オペラとグランド・オペラ、ジャズで書いたタルトワイルのオペラがあります、ジャズのリズムを使って。そんなものは全部いけないことになる。そんなことはナンセンスだ。たとえばジャズの「ポギーとベス」ですか、ガーシュインの書いた、これも全部ジャズで作られたものです。これはりっぱな大オペラです。これは世界どこでも上演されております。そういうものがありますから、音楽の手法の問題に立ち入って、どういう手法を使うか、ジャズの手法を使うか使わないかということで、その作品に税をかけるかかけないかということを区別するのはナンセンスに近いと思います。もしこういうふうに分けるならば、もう少しこまかく規定を作りまして、たとえばオペラというのはグランド・オペラ、ミュージカル・オペラ、コミカル・オペラというふうなことを言わないで、ミュージカルというようなものも、少女歌劇というものがここでは問題ないでございますから、その内容によってたとえば少女歌劇だっていいオペラを作るという可能性があると思いますし、ミュージカルにしても、くだらないものばかりでなしに、最近はミュージカルにもいろいろりっぱなものができておりますから、ミュージカルを課税対象にするならば、よほど慎重にそのときの度合を規定しておかないと矛盾してしまうのじゃないかと思います。  したがって、音楽というものについてもっと詳しい知識と、研究会などをお聞きになって徹底的に御研究なさるようお勧めいたします。かように考えます。
  116. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) 第一の御質問の、諮問を受けたかということについては、私は受けておりませんし、もちろん舞踊界全部も諮問を受けておりません。  それから、民謡というものが税がかかるほうになっておりますが、それで民謡を削るとすると、たとえばこの前中国から来た中国歌舞団というのはほとんど中国の民謡を芸術化したものでありますから、それはおかしなものになります。ですから、私は民謡といえどもそれをちゃんと舞台にかけるような、あるいは必ずしも舞台ではなくても、それを芸術家の手を通して芸術化してやった場合には、こういうものは民謡舞踊であっても税の対象になさらないようにしていただきたいと思います。  それから、今の音楽のことで、ちょうどボルガの舟唄、サンタ・ルチアというのが出ましたが、日本の木曽節やおけさ節がなぜ悪いかということでありまして、それをやったら税をかけるということはほんとうに間違っていると思います。ボルガの舟唄というのは労働歌であり、それからソーラン節も労働歌でおります。そういうものを堂々と日本のものをこそ奨励しなければならないと私は思います。今、小、中、高、みなフォーク・ダンスをやると同時に、日本の民謡を取り上げています。それはおけさ節も木曽節もやっております。そういう場合でもあり、民謡をその中に含めるということは非常に間違っておるのではないかと思います。
  117. 大谷贇雄

    ○大谷贇雄君 さっき江口さんのお話に関連しての御質問があったのですが、そして山根さんから入場料の多寡によってかけたらどうかということですが、二千円とか三千円とかいうような入場料を払う場合は、非常な経費がかかっておると思うのです。ですから、やむを得ずそういう高い経費を取っても、NHKがさっき引き受けたように相当主催者には欠損があるんじゃないか。私は先般ロイヤル・バレー、三千円だというので、これはたいへんだと思いましたけれども、しかし、もうなかなかめったに見ることができないので、一世一代のつもりで実は行った。そうすると、これは大蔵省の言う担税能力があるから、取ってやれということとは、ちょっと違うと思うのです。そういう非常にすぐれた芸術は、貧乏しておるけれども、ひとつぜひ見にいきたいという気持だと思うのです。だから、高いからそれについては税金を取ってもいいということは、私は芸術を広く鑑賞させて国民の芸術意識を高揚するという意味においで、ちょっとどうかと思うのですが、その点と、それから、さっき江口さんから研究発表会というお話があった。バレーにしても、そのほかの舞踊にしても、立町楽にしても、研究発表会をやる。それは無料で招待券を出してやる。こういう場合に、今まで末端では相当トラブルがあったように私も二、三回経験がある。そういうことを痛切にお感じになっているような御経験はございませんか。二点伺いたいのですが。
  118. 山根銀二

    参考人山根銀二君) お話趣旨、私も大賛成でありまして、入場料が高いから、担税能力があるから課税をしていいという考え方は、やはり私は間違いだと思います。おっしゃったとおり、音楽学校の生徒などは、たいへんお金がないのでありますけれども、世界の一流の演奏家が来てやるときには、勉強のためにどうしても聞かなければならないというような場合には、やはりなけなしの財布をはたいて、借金をもう一ぺん質に人れてでもお金を作って、みんな行っております。ですから、そういうときには、その税が三千円なら三千円の中にどれだけ入っているかということによって、入っていなければ吹くなるわけですから、なるべくそういうふうなときにも税がなくて安く聞かせて、あげなければ、やはり国民に対して申しわけないとわれわれ考えるわけです。  しかし、その場合と、それでは純音楽であるとかあるいは純音楽でないとか、たとえばジャズのあれだとか民謡だとかいうことで課税をするばからしさと、どっちが悪さが少ないかということです。つまり、ほんとうからいえば、これは明らかに課税すべきじゃないのです。ですが、今はどうしても税を取りたいとおっしゃる力が強くて、税を取ることが一つの必要悪みたいになっていますね。何か取られなければならないのですね。そうしたときに、どっちのほうが国民は被害が少ないか、という予防的な、防衛的な考えからいいますと、まずちっとのぜいたくということに少しかけて、旭段の荷いときに少し税を払わされるほうがまだましだというのじゃないでしょうか。しかし、そうじゃなくて、先ほどから問題になっておりますように、純音楽の範囲というものをどんどん広げて、そうしてほとんど大部分のいい音楽が非課税対象になるなら、それはもちろんそのほうがいいかと思います、そういうふうに私は考えているわけです。
  119. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) 入場料のことは、今山根さんから三千円くらいというので、非常に高いというような——実際高いわけですけれども、印象が強いわけであります。が、今のわれわれがやっておりますのは、大がい五百円が最高で、それから若い舞踊象の人たちがやっているのは三百円から二百円、このころ二百円ではとうていやっていけないというので、五百円ぐらいになっておりますが、それでも何かはかのものに比べて高いように感じますが、実際は私たちは戦前は一円と二円でやっていたものです。そのときにはコーヒーが十銭で、ブラジル・コーヒーが五銭であります。そのコーヒーに比べますと、コーヒー十銭としても十倍、二十倍ですから、今でいうと五百円、千円が一発当なのでありますが、それをやりたいのですけれども、そうすると切符が売りにくいということから、やむを得ず三百円とか四百円とか、最高五百円としているので、もうすでに半分以下になって、もうがまんしてやっているところなんで、ほんとうはもう少し高くあって、さて今二千円とか三千円とかいう問題がでてくれば、これはそう問題にはならなかったことじゃないかと思うのでありますが。ですから、私の舞踊のほうとしては、国内のものでやっているものは、大がい千円どまり、千五百円という方がたった一人ありました。最近たった一人あっただけで、本舞踊も含めて十円どまりであります。それで、外国から来た方の場合は、経費が非常にかかる。あれは入場料というよりも一種の寄付行為みたいなもので、ああいうような価格が出ているのだろうと思います。それは山根さんが申し上げたとおりであります。  それから、仕込み課税のことでありますが、入場無料としてやった場合も税金が課せられておりますが、ある特定の人間をその会場に入れた場合は、その特定の人から反対給付をもらうのではないかというような考え方もあって、それがその入場税をかけていることになっているのだろうと思いますが、ですから、全然開放して入場無料とした場合は、もちろん税金は今まででもかかっていないと思いますので、そこのところが微妙なあれがあると思いますが、私たちのほうで入料無料とするときは、もうほんとうに入場無料ということをやっているのが実情でありますが、ですから、そこからまた反対給付をどうしたというようなことはないのでありますが、それでもやはり無料であっても入場税を課せられていたというような妙な現象があったと思いますが、しかし、もし一部にでも、その特殊な関係でどうしたというようなことがあれば、これはやむを得ないと思いますけれども、ですが、そういうようなものを含めて、今度はもう仕込み課税とかそういうことも一切なしに、この場合金額でなり、あるいは純舞踊、純音楽、能、狂言というようなところで免税にしていただければ、たいへんありがたいと思います。
  120. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 江口さん、みなす課税について、ちょっと、あなたたちが家際にぶつかった例をあげて、少し説明願いたいと思います。
  121. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) 私は、みなす課税のことでやった経験がありませんので、あまり詳しく知りませんが、つまり入場無料でやってどうしたというようなことが、私自身の経験がないので、したがって、そういうめんどうなことにぶつかっていないのですが、ただほかからは聞いておりますけれども……。
  122. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それでいいです。その、ほかから聞かれた話を、ひとつ参考までに聞かして下さい。
  123. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) それはやはり実際に入場無料でやっていても、反対給付があるとみなされて入場税を課せられている、こういうことですね。それはどういうふうにしてかけるかというと、大体経費をその入場費をその入場者の数で割って、それを入場料とみなして、それに対する二割というような計算になっているんではないかと思います。
  124. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 そうすると、その主催者は無料でやりながら、なお税をその上に取られるということになりますから、非常に大きな赤字が出るという結果を招来するわけですね。
  125. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) そうです。
  126. 大竹平八郎

    大竹平八郎君 江口さんにちょっと伺いますが、今お話の中に、入場料を、かりに無税の舞踊会であっても仕込みに税がかかる、こういうお話ですが、それはどういう場合ですか。仕込みというと、どんなものですか。
  127. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) まず、会場費がかかります。それから装置がかかります。舞台装置ですね。それから、衣装がかかります。それから、照明がかかります。それから、音楽がかかります。日本舞踊だと、地方さんを並べる。われわれのほうだと、オーケストラを頼むとか、楽士を何人か頼むとかというような、古楽ですね。それから、プログラムとか、そういうものを作る費用。それから、当日、幕のきっかけを渡したりなんかする舞台監督、これも一人では足りません。そういうものがさっき申し上げたように非常にかかるわけですが、その金額も場所やなんかによって違いますが、高いところから安いところまでありますが、相当な金額がかかるわけです。  なぜそういうことをやるかというと、そういうことをやっても、舞踊家なら舞踊家の存在価値を訴えるためにやらなければならない場合が多いわけであります。ですから、無料で招待してでもやるというような場へ口があるわけです。
  128. 大竹平八郎

    大竹平八郎君 それで、同じ舞踊の会でも、あなたがさつき述べられたような、何といいますか、西洋舞踊というのですか、そういうもののあなた方の場合、それから同じ入場無料でも、日本舞踊ですね、日本舞踊の会なんか、これはわれわれもよく知りませんが、かりに入場無料であっても、主催者の家元に入るいわゆる不特定の収入というのは相当大きいのじゃないでしょうか。
  129. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) それは、家元へ入る不特定の収人というものはなきにしもあらずだと思います。ただし、それはそういう会をやったから入るとか、それをやらないから入るとかいうことの、それが単にチャンスになったかもしれませんが、そうでなくても入るときは入るような仕組みになっておりますから、それは入場税とは全く関係のないことのように思いますが、そのときに持っていって、どうするというのではなくて、それは一つにはお師匠さんに対する儀礼であり、それでまた、それによって自分も仕事ができているということの利益配分的なしきたりというか、そういうふうになっているのだと思いますが、しかし、そういうものは、それじゃ、もしかりに日本舞踊で、しかも入場無料であった場合、入った人が全部持ってくるかというと、そんなことはもう決してないと思います。あり得ないことであります。これはもう、もし反対給付があったとしても、ごく一部分だと思います。
  130. 大竹平八郎

    大竹平八郎君 それから、いま一つですね、これはとっぴなお伺いですがね、たとえば赤坂に昨年ミカドなんというやつができましたね。三千円か五千円か知らぬけれども、取られる。しかし、入って、出る料理はそこらのレストランで五百円か六百円という料理だ。あすこで評判になったのは何かというと、バリの一流の舞踊だとかなんとかいうことがひとつの特徴ですが、これらはあなた方から見て、純芸術品として見ているのですか、これはあくまでも一つの娯楽の対象として見ておりますか。
  131. 江口隆哉

    参考人江口隆哉君) それはちょうど、新橋のまり千代がお座敷へ来て踊った場合は、たとえば道成寺を踊っても、それは、それ自体は芸術品であっても、お酒を飲んで見るときは、それを楽しみとして見るということと同じであって、ミカドは芸術を公演する場所ではなくて、食事をしたりお酒を飲んだりする場所であって、それに余興として添えるものであって、あれがどんなに芸術品であっても、それは芸術として見るのではなくて、その場合は余興として見るというふうな考え方になるのではないかと思います。
  132. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 参考人方々に申し上げます。本日は、本委員会のため時間を差し繰り御出席を賜わり、有益なる御意見を拝聴いたしましたことを、厚くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。  本案について、政府側に質疑のある方は御発言願います。
  133. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 私は、前回の大蔵委員会で、入場税法第二十八条のカッコ内の規定につきまして、内閣法制局と参議院法制局長の正式の見解を聞いたわけです。その確認の上に立ちまして、さらに少し質問をしたいと思うんです。  今までに、このカッコ内の規定——罰則の規定ですが、このカッコ内の規定がない現行法で、梶際に、人格なき社団等の管理人及び従業員等が刑罰及び罰金刑を課せられた事例があったかどうか。もしそういう事例があったなら、改正案のカッコ内の規定が動かないとしても、従来どおり、刑罰及び罰金刑を課すことができることになるのを私はおそれて、質問するわけです。
  134. 松井直行

    政府委員松井直行君) 従来、刑罰法規の適用を受けた事例は全然ございません。
  135. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 そういう事例が全然ないとおっしゃいますが、労音が裁判所に訴訟を起こした原因ですね、今、労音は裁判所に、税金を取られるべき立場にないにもかかわらず税金を取られているのはけしからぬといって、訴訟を起こしているのは御存じだろうと思うのですが、税務署が人格なき社団等に不当に課税したから、こういうことで裁判を起こしておるのです。したがって、現行法のもとでも、刑罰及び罰金刑を課すことができるという前提をとっておるのではないだろうかと私は考えるのですが、どうですか。
  136. 松井直行

    政府委員松井直行君) 罰則規定の適用につきましては、先日以来御説明申し上げているとおりでありますし、法制局の見解と全く一致いたしておりまして、その点は疑念のないところでございます。
  137. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それでは、労音が税金を取られたのはけしからぬといって異議を申し立てておるわけですが、もしも労音が税金を払わなかったらどうするのですか。そういう事例はないとあなたは言うわけですが、それじゃ、労音が払うべきじゃないから払わないといって払わなかったら、どうするのですか、これまで。罰則を適用するのじゃないでしょうか……。調査官たる者がそんなこと知らぬでどうするか。人の意見なぞ聞いていないで、答弁なさい。
  138. 松井直行

    政府委員松井直行君) 実は、現行のままの罰則の適用につきましては、二つの解釈がございます。で、この二十八条に関連いたしまして、現行法の二十五条に罰則がございます。この中で、二十五条の一項一号には「詐偽その他不正の行為によって入場税を免がれ、又は免がれようとした者」とございますが、この二十五条と二十八条との関連におきまして、この二十五条の一項一号の「免がれようとした者」というのは、一体どういう対象者を言うのかという問題につきまして、いろいろ法務省関係とそれから法制局関係意見の違いがあるようでございますが、刑罰法規を適用いたしております法務省関係におきましては、この二十五条一項一号は、個人事業主であると同時にそれが納税義務者である人間でないと、この適用はない、こういう解釈をとっておりまして、したがって……。(須藤五郎君「重大なところだよ」と述ぶ)ええ、ちょっとゆっくり考えさせていただきます。これは非常にむずかしいと思いますから、ゆっくりやらしていただきます。  この二十五条ですね、この規定は、業務主体が個人である場合に、その個人である事業主体が違法行為をした場合に限って適用される。ところが、その従業者等が違反行為をした場合にはこの適用がない。で、この従業者等の行為者に対する罰則は、一体どこで読むのか。これは三十八条におきまして「行為者を罰する外、その法人又は人に対して当該各条の罰金刑を科する。」という、この場合の「行為者を罰する外」というこの「行為者」のところで読むのであるという解釈をとっております。  で、このような解釈をとるにいたしましても、「その法人又は人」ということに二十八条は相なっておりますが、これにつきましては、まあ行為者が罰則されることには差異はないことになっております。しかし、人格のない社団等につきましては、この入場税法、物品税法等に、これは罰則は特に明記がされておりませんから、今のような解釈をとる場合におきましても、このような解釈をとる場合には両罰責任者としての人格のない社団法人というものに責任罰が課せられないことはむろんのことでありますし、その違反行為者である従業員というものをも処罰されないという解釈に和なりまして、人格のない社団、財団等につきましては、一切罰則の適用がないという一つの解釈がございます。これは、法務省系の実際刑罰法規を扱っております主務者の解釈がこうなっております。  で、これに対しまして、もう一つの解釈がございまして、この二十五条のほうの規定は、これはその使用人とか従業者等の違反行為者に対し、直接これは適用されるのであって、二十八条のこの両罰規定である「行為者を罰する外」というこの規定を待つ必要はない。まさに、この二十五条の本条だけによって業務主体たる人または法人を罰することができるのである、まあこういう解釈になっておりまして、こういう解釈によりますときには、人格のない社団等の脱税行為につきましては、現行法のもとでは少なくともその行為者はこの二十五条の本文によって罰することができる、こういう解釈がとれるわけでございますが、ところが実際の告発とか刑事訴追を扱っております法務省関係におきましては、私が最初に御説明いたしましたところによりまして消極に解しておりまして、人案のない社団等については一切の罰則の適用がないという立場をとっておるものですから、税官庁が告発その他で持って参りましても受理しないということで、事実上刑事訴追を行なったことはございません。
  139. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 なかなか回りくどい説明で、僕のような頭の悪い人間にはちょっとのみ込めないけれども、僕は簡単にいいますと、それじゃ従来労音が税金を納めなくても、労音に働らいている人たちは罰則の適用は受けられないのだ、こういうふうに理解していいのですね。
  140. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほど申し上げましたとおり、二つの解釈がございますが、事実の刑罰法規を……。
  141. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 法務省の解釈はそうじゃない。罰金はできないということじゃないか、法務省のほうは。あなたの説明聞いていると。
  142. 松井直行

    政府委員松井直行君) 法務省の刑事局関係は、私が最初に述べましたような意見を持っているわけでありまして、人格のない社団等に対する規定を……。まあ法務省の刑事局の考え方が最近、私が述べましたような考え方をとっているものでありますから、事実上そういうものを受理もないし、処罰もされていないというのが実情であります。
  143. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 法務省内に二つの意見があるということですね。だから、実際には受理もしていないし、罰則も科していない、こういうことなんですね。私は、現行法のもとですら人格なき社団等に課税することは憲法八十四条に規定されている租税法定主義、これに違反するものだと考えるのです。刑法で罰金刑を科すことは憲法三十一条罪刑法定主義に違反するものだと私は思うのです。そこでそういう質問をしたわけなんです。だから、改正案のこの「(法人でない社団又は財団で管理人の定めがあるものの管理人を含む。)」というこのカッコ内の規定が動こうが動くまいが、現行法であろうが改正案であろうが、同じく憲法八十四条、憲法三十一条違反の理論外貫かれていることでは私は同じであろうと思うわけです。これに対して意見を伺っておきたい。
  144. 松井直行

    政府委員松井直行君) この人格のない社団というものをどう扱うかという問題でございますが、従来一般には民法上の組合に近いものとして、これを適用すべきであるという意見がございました時代もありますが、それは民法山の組合のように、単にばらばらの個人が集まっておる単なる集合ではない、何といいますか、一つの集合体といたしまして統一した意思のもとに一つの社会的な価値を認められた独立の存在であるということが、一般的に認められていることでもあり、新しい法規等についてもそういう趣旨考え方が明らかにされておるものも相当あろうかと思います。ところが、税法におきましては、今申し上げましたとおり、人格のない社団と申しましても、それが社会的に存在する統一的な実体といいますか、としての価値を持ち、いろいろな統一的意思のもとにおいて活動しておると、こういう実体に着目いたしまして、これに納税義務を負わせるということは当然であるというふうに考えられるわけでありまして、ただ、これが法人か個人かということが分明でないときには、たとえば直接税におきましては法人税を課していいのか、所得税を課していいのか、いろいろ問題があるわけでございまして、法人税法、所得税法、それぞれ三十二年の税法改正におきまして明文の規定を設けたということに相なっております。
  145. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 さっき法務省内に二つの異論があるとあなたおっしゃいましたね。そういうことのために現行法では不備だというので、それで今度こういう改正案の中に二十八条という項目においてカッコ内の規定を設けたということなんですか。
  146. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほども申し上げたかと思いますが、間接税、特に消費税のような物税につきましては、物品を製造した者なら者ということだけの規定が必要であり、またそれがポイントになるわけでありまして、あながち人格なき社団自身につきまして、直接税、特に所得税、法人税と同様にこれを法人とみなすとか、あるいはまた相続税法の場合におきましてはこれを個人とみなすとか、特別の規定を置いて税体系を整備するという必要性からいいますと、幾分違った性格を持っておったものだということで、この三十二年に直接税関係が整備されたときに同時にされなかったんじゃないかと私想像いたしますが、今回の税法改正にあたりまして、いずれの法規におきましても、そうした一つの解釈によれば全然罰則の適用を受けないという部面が間接税のこういうところで残るということはいかにも不合理である、税制全般の立場から見てこの際整備する必要があるというわけで、税制整備の必要上明らかに規定したいというのが今回の改正であると思います。
  147. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 ちょっと関連。先ほどの答弁の中に、法務省の中に見解が二つある、こういうお話のようでしたがね。それは間違っておるんじゃないかと私は思うのですがね。法務省の中の見解は、人格なき社団に対しては罰則規定は適用されないという態度をはっきり堅持していると思うのですよ。これは法務省関係ですね、検察庁についてはそういう議論が分かれていない、一致していると私は聞いている。むしろ罰則規定が適用されるべきじゃないかといってるのは大蔵省です。だから、その点あいまいにしないではっきりして下さい。
  148. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほど申し上げました第一説、今荒木委員がおっしゃったことは、法務省、特に刑事局を中心にしたものの考え方でありまして、第二の意見と申し上げましたのは法制局の考え方でございます。
  149. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 そうすると、僕に対する答弁は違っておったということか。あなたは僕に、法務省内において意見が二つ分かれているという答弁だった。
  150. 松井直行

    政府委員松井直行君) 最初の意見と申し上げましたのは、刑事局を中心とした法務省の意見でございまして、あとの意見は内閣法制局の意見でございますから……。
  151. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 違っているじゃないか。
  152. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 その点はっきりしておきたいので……。
  153. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 そうすると、そういう点で不備な点があったので、今度法改正をしてカッコ内にはっきりそういう条項を入れた、こういうことなんですね。
  154. 松井直行

    政府委員松井直行君) 今おっしゃったとおりでございます。
  155. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 ところで、入場税法で、人格なき社団というのは、これは納税義務者か、どうなんですか。
  156. 松井直行

    政府委員松井直行君) 現行の入場税法第三条に納税義務者の規定がございます。「興行場等の経営者……又は主催者……は、興行場等への入場者から領収する入場料金について、入場税を納める義務がある。」、そこで、この納税義務者につきまして一体今おっしゃった人格なき社団等をどう考えているか、人格なき社団、財団等についてどう考えているかということの考え方の一端が、免税興行の主催者というものをあげました別表に、やはりその人格なき社団と思わせるようなものがここに入っているわけでありまして、この法を流れる基本的考え方といたしましては、人格なき社団も納税主体になるのだという思想が現行法にははっきりあると、こう申し上げられると思います。
  157. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それならば、はっきりなぜ第三条に人格なき社団というものを納税義務者の中に明確に入れておかないのですか。それはあなたたちの解釈であって、納税者立場に立てば非常に迷惑千万な法律ですよ。人格なき社団というものは何も人っていない。あとでそう思われるようなというようなのんきなことで、そんな法的解釈でやるというのはおかしいじゃないですか。
  158. 松井直行

    政府委員松井直行君) 現に人格なき社団に属すると認められるような団体が免税を申請し、免税を受ける団体としてあがっておりますから、現行税法の納税義務者の中にはそういうものが入る、基本的に入っているものだという考え方に立っております。
  159. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) ちょっと補足的にほかの法律の例を申し上げたいと思ったのですが、罰則のところで、両罰規定のところで、たいていは法人または人の代表者あるいは代理人、使用人、こういう方々が普通の両罰規定の中にございまして、そこで初めて「法人又は人」という言葉ができてくるわけであります。その際に、たとえば私的独占禁止法を見ますと、第九十五条の両罰規定におきまして、その第三項で、法人でない社団または財団の規定が設けられております。ところが、それまでの各実体の規定におきまして、たとえば第二条の定義で、「この法律において専業行とは、商業、工業、金融業その他の事業を行う者をいう。というわけであります。したがいまして、その罰則の両罰規定が出てきますまでは、個人、法人、あるいは人格なき社団というような使い方をいたしませんで、何々をする者をいうという「者」ということで一括して規定しております。また、銀行法におきまして、第三十四条の三の両罰規定のところで、「法人」とありまして、カッコして、(法人ニ非ザル社団又ハ財団ニシテ代表者又ハ管理人ノ定アルモノヲ含ム以下本項ニ於テ同ジ)」、こういう今四税法で設けようとして、おりますと同じような規定が入っておりますが、これまでの各実体法におきましては、たとえば第一条におきまして、「左ニ掲グル業務ヲ営ム者ハ之ヲ銀行トス」ということでございまして、個人、法人、あるいは人格なき社団の点を区別しませんで、「者」として規定してきております。ただ、税法におきましては、人場税のようないわゆる間接税、物税におきましては、その営む主体が個人、法人の差によって税率が変わったりするわけじゃございませんので、特段の規定をしておりませんが、所得税法は個人に探する、法人税法は法人に課する、相続税法は個人に課するという、個人と法人の差によりまして課税が違うという現行法におきましても、個人と法人及び人格なき社団に基づきまして手当てをしておるわけでございまして、各罰則以前の実体規定につきまして、はたして者として規定するか、あるいは個人、法人というような工合いの書き分けをしながら規定をするか、それはそれぞれ規制せんとする実体の法規のねらいというものが個人、法人の区別によって差があるべきものかどうかということの判断から、さような書き分けができておるものと考えます。
  160. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 しかし、法体系として、やはり第三条に、むしろ人格なき社団が納税義務があるならば、納税義務者として第三条にちゃんと明記したほうがよいのじゃないですか。そこに明記しないで、第二十八条の罰則のところに突如として人格なき社団が現われたのはどういう理由ですか。
  161. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほどお答え申し上げましたように、法人税、所得税におきましては、法人とみなし個人とみなして、法人課税、個人課税をやる必要がございますので、それぞれの法規に明定したわけでございますが、間接税は課税物品が製造されるあるいは販売されるという場合に一定の税を課するいわゆる物税的な性格であるということから、直接税と幾分性格が違うと思います。本来、そうした製造業者とかあるいは販売業者がどういう性質のものであるかということは、別に税負担には関係がない。したがって、人格のない社団等がそういう地位にあれば、これ夕個人とみなすか法人とみなすかというのは、そうたいした問題でも一ないというので、いずれにしても納税義務を負うべき者とは書いておったのですが、三十二年の税法改正におきましても、今申し上げたようなわけで、間接税諸法には特に規定を設けておりませんでしたが、この際間接税につきましても納税義務を明足したほうが税体系全体としてより合理的であるというわけで、特に通則法にうたいまして、各租税、間接諸税それ自身にはうたわないという立法技術士の手続をとった、こういうことでございます。
  162. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 関連して。どうも納得がいかないのですが、入場税法というのは一つの法律です。そうでしょう。ですから、入場税法において納税義務者というのははっきり規定されなければならぬのです。所得税法、法人税法においては人格なき社団がある。入場税法については、それはさっきのような御説明で、人格なき社団を含まなかったわけなんです。ですから、入場税法は独立の法律ですからして、さっきいろいろ独禁法とか銀行法などの御説明がありましたが、それはちゃんと法律に規定いたしてある。だから、入場税法自体に規定しておかなければならない。租税法律主義の建前からいえば、独立の法律じゃありませんか。特に今度の場合は通則法においては、さっきのお話では、親法を設けて、それの規定を受けてこっちの入場税法の低うに規定を設けることになったわけなんですけれども、それ自体から見ても、実際に現行の入場税法においては、人格なき社団は課税対象からなおされていると見るべきじゃないか。そうじゃないと、どうもつじつまが合わない。入場税だって独立の一つの法律ですよ。そういう法律にかかわらず、今のようなあいまいな解釈で、これは行政府でそういうように解釈するのでしょう。そういう解釈で納税義務者が規定されていいのですか。これは租税法律主義に反するものですよ。これは重大な問題だと思いますが、納税義初音になるかならぬか、そういうあいまいな行政府の勝手な解釈で納税義務者がきまっていいのですか。
  163. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) 先ほど私的独占禁止法を申し上げましたので、関連で御説明申し上げますが、先ほどの須藤委員のお聞きになった憲法八十四条、それは租税法定主義をうたったのであります。律律の建前からいうと、私的独占禁止法、あるいは現行法とも、それぞれ独立の法律だと、思うのであります。そこにおきまして、先ほど私が申し上げましたのは、たとえば私的独占禁止法におきましては、第三条で、「事業者は、私的独占又は不当な取引制限をしてはならない。」という規定がございます。だれだれは納税の義務を負うというのと同様に、業務の行為を規制する意味におきましてまことに重要な条項であろうと思います。ところが、これについて、「事業化は」ということを第三条で、定義しております。その「事業者とは、商業、工業、金融業その他の事業を行う者をいう。」と書いているのです。そこで、要するに私的独占禁止法というのは、その事業者の人案が法人であろうが個人であろうが、とにかく同様に禁止すべきであるという建前から、それを一々法人とか個人とか書き分けませ叫んで、「事業を行う者」ということに統合して規定しているのです。ところが、罰則の規定になりますと、先ほど調査官からるる御説明いたしましたような解釈の向きもございますので、これも先ほど申しました両罰規定のところが初めて法人の代表者とかあるいは人の代理人とか、法人と人との書き分けが法律の中に初めて出てくる条文でございます。そこにおきまして人案なき社団が者、人か法人かいずれかにここのところは書き分けておく必要があるということで、初めて両罰の規定のところで、法人と個人と出てきたところで、人格なき社団の手当てをしているわけでございます。だから、その法律の体裁というのは、ほかの一つの法律、その法律たる意味におきましては上下の価値判断はないと思うわけでございますけれども、そういう一般に法人と個人を各実体におきまして区別して考える必要はなく、ひとしく規制すべきだというものにつきましては、行なう者とか何々をする者ということで一括して規定しているのが通常の立法形態の形だと思います。  したがいまして、税法もそれにならいまして、同様に「主催者」とか「経営者」ということで書いておきまして、初めて罰則のところで法人と個人と使い分けをされている。それで人格なき社団をどちらに含めていくかということになっているのでありまして、それは別段ほかの立法形態と変わった形態はとっていないと思います。
  164. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 次に聞きますが、人格なき社団の財産権というのは認められるのですか。
  165. 松井直行

    政府委員松井直行君) これは法律の専門家から厳格な御意見をお聞きになる必要はあるかと思いますが、総社員の総有財産じゃないかと私は個人的には考えております。ただし、登記、登録等の登録者の関係においては代表者の名前でやるということになっているのが現在の扱いじゃないかと思います。
  166. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 その人格なき社団の財産は登記権がないのじゃないですか、認められていないのじゃないですか。
  167. 松井直行

    政府委員松井直行君) おっしゃるとおりでありまして、だれか代表者個人の名前を使っておると思います。
  168. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) まあ登記法等におきましては、おっしゃるとおり、人格なき社団の名義での登記はないと思います。ただ、銀行預金等におきましては、何々組合でございますとか、あるいはそういった団体の名前で預金するということは、別段法令上の制限もございませんわけで、だれそれという区別がつけばいいわけでございましょうから。そういう例もあるように承知しております。  それから、なお、現行の国税徴収法、これは昭和三十四年に全文改正されました国税徴収法でございますが、その第四十一条には「法人が人格のない社団等の財産に属する権利義務を包括して承継する場合」云々ということがございまして、この現行国税徴収法におきましても、先ほど調査官から申しましたその関係を総有と見るかなんかの議論はございましょうけれども、要するに、実質的に各組合員等の個人のものではない、団体のものだとしか考えないということを前提にしまして、国税徴収法では「社団等の財産に属する」ということを規定いたしまして、さような財産の所有形態というものがあるという前提で税法がありますので、念のために申し上げておきます。   〔委員長退席、理事上林忠次君着    席〕
  169. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 財産権がない法人に対して課税するということはどういうことですか。財産権は認められない、登記権もない、人格なき社団には。あなた今言ったでしょう。登記する権利もない、こういうことでしょう。それに課税するということはどういうことですか。
  170. 松井直行

    政府委員松井直行君) 財産権の対抗要件と、課税上社会的存在として収益をあげておる、そういう団体に課税する、課税するのが適当かどうかということは、一応別の観点から考えられる問題だと思います。
  171. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 僕の質問とぴたっとした答弁でないと思うのですがね。要するに、課税というのは財産に対する課税でしょう。そうじゃないのですか。ところが、財産権がないというものに課税するということはどういうふうなことでいけるのですか。財産権を認めていない人にその財産に対する課税をするということは、できるのですか。
  172. 松井直行

    政府委員松井直行君) この財産権があるかどうかということですが、これは今……
  173. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 あなた、ないと言ったでしょう。
  174. 松井直行

    政府委員松井直行君) いや、申し上げましたとおり、総社員の総有と見るのか、何か一体として見るのか、いろいろ考え方がありますが。財産があればやはり財産権というものはあるかと思います。ただ、それがほかのいろんな法規上、登記登録ですかの対象になるかどうかということは、私詳しく法規は知りませんが、そういう対象になるものかどうかについては疑問がございますことが一つと、それから財産権に対して課税するとおっしゃいましたが、それでは入場税のような場合、別に財産権に対し課税するのではなしに、主催者、興行者として入場者が入場料を払うときに入場税相当分を徴収している、それを国に納付するという関係でございまして、その団体の個有の財産権といいますか、財産それ自身とは、租税のねらっております課税客体とは別個のものだと思います。
  175. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 法律論になりますがね、僕は一度法律の専門家を呼んでこの点ゆっくり確かめなければならぬと思っているのですよ。私どもは大正十五年かなんかのときに、この問題を衆議院のほうで何かあったらしいのですが、それから裁判なんかも、何か要するに人格なき社団の財産は会員の総有であるという結論が出ているようです。共有というのではなしに総有というような結論が出ているように私も聞いているのです。しかし、私もそこまで調べる機会がなくて詳しい調べはついていないのです。そういうことを聞いているわけです。そういう不確かなもやっとしたようなものの財産に対してかけるというのはおかしいじゃないか、税金をかけることはおかしいのじゃないかということ。何かあなた、今、人格なき社団は課税対象にはならないけれども、今は課税することはできないけれども、何か個人的な代表者を選んで課税すると、こういうふうな意見だったが、それじゃ人格なき社団がそういう代表者を作らなかった場合どうなるのですか。
  176. 松井直行

    政府委員松井直行君) その中の人格なき社団を代表する個人に課税をすると、こう申し上げたのではございません。この財産権を登記ですか何かする必要があるときには、たしか私はそういう団体の代表者名で登記しておったと思います。というのは、人格なき社団として登記できない法律的理由があるのじゃないかと思いまして、対抗要件を受けるときの登記がそうであったように私記憶しております。
  177. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 ところで、質問はあとに至りますが、入場税で例をとりますが、管理者の定めある人格なき社団または財団の管理者というものは、的にはどういうものをさすのですか。
  178. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほど申し上げましたとおり、単なる個人のばらばらの個人の集まりではない、統一的な社会的活動を営む社会的存在であるという認識をいたしますときには、そういう存在を代表する人間がやはり選ばれると思います。全体を代表する権限を与えられた者があって、それを代表者という名前がつけられたときには、これは代表者でありましょうが、はっきり代表者としてのそういう団体を代表する権限がなくても、その団体全体の事務の運営について主催するといいますか、そういう責任のある少数の人が選ばれておるときには、そういう範の者を管理者と言っておるものと思いますが、具体的な事例にあたってみないと、なかなかその辺の的確な区分はいたしかねると思います。
  179. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 たとえば、水田大蔵大臣の後援会があると仮定するわけです。大臣が外国に公用で旅行して、旅行中その大臣の随員が十六ミリの映写機で大臣を映写して帰ってきた。選挙運動に使うために、そういう映画をとった。そのフイルムを、水田後援会がある会場で後援会員だけに限って、たとえば第七条一項の二に該当するようなやり方で映写会をやったとする。そして二十五条から二十七条に違反した場合には、水田後援会の映写主催者及び管理人は刑罰及び罰金等に科せられるということですか。
  180. 松井直行

    政府委員松井直行君) 今おっしゃいました例示、もう少し詳しくお伺いいたしませんと、誤った判断をすると思いますが、無料で見せるのですか。——今そういうこまい規定がなかったと思うのですが。それから、何何後援会というものの組織を規定した規定その他を拝見しませんと、誤ったお答えをするおそれがあるかと思いますが。
  181. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 詳しく述べていますよ。水田後援会が、ある会場で後援会員だけに限って、たとえば第七条一項の二に該当するようなやり方、これにちゃんと書いてあるでしょう。それで映写会をやったとする、そうして今度の改正法案の罰則規定の二十五条から二十七条に違反した場合には、水田後援会の映写主催者及び管理人は刑罰及び罰金刑に科せられるかどうか、こういうことです。   〔理事上林忠次君退席、委員長着席〕
  182. 松井直行

    政府委員松井直行君) もう少し詳しく条件を確定いたしませんと、誤るかとも思いますが……。
  183. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 今大臣がやっているというのではないのだから、遠慮なしに答弁していいんですよ。
  184. 松井直行

    政府委員松井直行君) 一応仮定の場合であればあるほど、条件といいますか、具体的に事案を判断する都合がございますので、いいかげんな答弁を申し上げて失礼になりはせぬかという心配から、申し上げているのですが、今おっしゃるような範囲内においての問題でしたら、おっしゃったとおりの罰則適用になるんじゃないかと考えます。
  185. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それは同じようなことを総評がやったときも、やはり刑罰の対象になるわけですね。  もう一つ、続けて聞きましょう。自民党の資金ルートだといわれている国民協会が、資金集めの手段としてやった場合はどうか。また、同じく原水協や安保共闘会議や平和委員会が、こういう水田大蔵大臣がやったと同じようなことをやった場合にはどうか、こういうことです。
  186. 松井直行

    政府委員松井直行君) 条件が同じであります限りにおきましては、同じような考え方をとるべきものだと思います。
  187. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それでは、自民党がもしもこういう資金集めに映画会をやる——映画会のみならず、いろいろな会合を催した場合、必ずそういうふうに税金の申告をして、きちんと納める。もし納めなかった場合は、必ず自民党の連中を処罰するということなんですね。
  188. 松井直行

    政府委員松井直行君) 具体的な税務執行の問題に入る範囲の問題かとも思いますが、先ほど公述人というのですか、参考人からの公述を私もいろいろ聞いておりましたが、この税法をいかにも、一般納税者がルップ・ホールをねらっているものに違いないという立場で税務当局は臨んでいる、そういう立場税法が書いてあるというふうにおとりになったという話を聞きました。私といたしましては、立場といいますか、思想といいますか、全然変わった考え方をする場合もあるんだと、私自身非常に驚いたわけでございますが、この申告納税制度の建前をとっておりますというのは、一義的には、納税者税法の規定に従って公正な申告と、かつ納税を行なう、申告によって納税が完遂されるということ、そういう納税者の信頼の上に立っているというのが申告納税制度をとっている税法の建前であろうと私思います。翻って、そういう一般の大衆が間違いのない誠実な納税者であるという信頼に立つ以上、一部のそういう信頼を裏切る者に対しましては、調査をやって税金を取るなり、あるいはそれが刑罰法規に触れるときには刑事訴追するということが例外としてあり得るわけでありまして、これはとりも一なおさず、なぜかといいますと、大部分の正直な納税者の信頼をりっぱなものにし、それを維持し、それによって納税秩序が確立される担保として、やむを得ず一部に実行することであろうと思います。したがって、何か臨時興行なり何かがあるつど、刑事訴追をもって臨むべきかどうかという目で税務職員が見るのも誤りでしょうし、また納税者自身がそういうふうな目で税務署から見られているとお感じになるのも誤りであろうと、こう思います。
  189. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 冗談言っちゃいけないよ。税務署はしょっちゅうそういう立場納税者を見ているじゃないか。第一、国税通則法でも、申告ということを一面うたうと同時に、その申告を絶対信用しないという条項をすぐつけているでしょうが。そうして、それで申告は認めない。税務署長の判定のほうに重点が置かれているじゃないですか。そんなことを言ったって、申告申告とえらそうなことを言うけれども、申告は形ばかりなんです。中身のない申告であって、実際は税務署長の認定ということに重点が置かれているのが国税通則法の精神じゃないですか。
  190. 松井直行

    政府委員松井直行君) 私自身の経験を申し上げますと、終戦当時、税務署長をやっておりました。その当時から申告納税制度が採用されたわけでありますが、最初は今おっしゃるとおりです。納税者からの誠実な申告というものは、なかなか事務に不なれであるという、納税者の不なれという点にも原因があったかと思いますが、大部分公正な措置、決定といいますか、今おっしゃったように、税務署長が調べたところによって決定をするという形がとられておったのでありますが、その後、税務執行自身につきまして税務署長自身も大いに反省するところもありますし、課税関係全体につきまして従来秘にしておった通達も公開するという面もございますし、それから納税者自体の中にも納税意識の高揚もございますし、それから納税を適実に行なうために納税者の中に組織された団体がございまして、これが納税の啓蒙をするということでもって、大いに効果を上げてきている現状でありますので、十何年前に私が一線の署長をやっておりましたときと比べますと、泥の差で、申告納税制度というものはやはり地についてきたという感を私自身深くするわけでございまして、終戦後の混乱時代のままであるという認識は少なくとも私にはございませんです。
  191. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 冗談言っちゃいかぬ。税金を取る技術がだんだん上手になってきたんですよ。それじゃ、何で、それほど申告を信用するなら、もっと信用するような立場をとらないのですか。そうじゃない。申告を信用しないで、ただ形の上において、言葉の上で信用しているけれども、すぐそれを打ち消すような法律を、ちゃんと条項を設けているのですよ。最後は税務署長の認定だ。それなら、税務署長の認定のほうが正しいので、申告は信用できないということになるのじゃないですか。そういう申告だから、僕は文句を言うわけだ。
  192. 松井直行

    政府委員松井直行君) まだ一部におきまして、今おっしゃるような非難を受けざるを得ないような事案が間々あるかとは思いますが、税法も、それから国税庁の税務執行の基本的態度それ自身は、先ほど私が申しましたとおりのことでございまして、やはり納税者を信用する、いい申告を出していただくことに専念いたしまして、いい申告はそのまま信用するということをもって、税務執行の基本といたしていることには変わりはございません。
  193. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 ちょっと関連して。そういうような御答弁があると、もう少しこれに対しては、これは徴税に関することですからね、税務行政に関するお話ですがね、実際はそうなっているのですか、実情は。あなたは、立場として、建前としてはそうでしょうけれどもね、たとえば入場税についても、その他の諸税についても、これまでのずっと経過から見まして、実際は、私は、あなたも納税者を信用していると言いますけれども、税務を実際に担当している第一線の人に聞いてごらんなさい。あなたは税務署長をやったから御存じのはずですよ。そんなものじゃないですよ。そんなものじゃありませんよ、実際は。われわれ、もうここで税法を主として今お尋ねして、税務行政についての具体的なそういうまあ検討は、今まであまりなされていなかったのですが、たまたまそういうお話がありましたけれども、実際はそんなものじゃないと思うのですよ。問題は、この通則法はまあ出て参りましたけれども、一説では、もう通則法みたようなことはみんなやっている。前に五項目削りましたが、五項目削ったのですけれども、あれに近いようなことは、もう実際にはやっているといわれているくらいですよ。ですから、私はそんなあなたの答弁になったような、納税者を信頼してやっているというような、そういうなまやさしいような現実ではないと思うのです。それは第一線の問題ですよ。もっと現実に近く、かなり深刻なるものであるということをやはり認識されて御答弁願いたいと思うのですが。
  194. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほどまあ私の少ない経験を申し上げたわけでございますが、終戦直後の私が税務署におりますときの時代と、それから五、六年前、国税局におりましたとき、  一、二年前にも国税局におりましたが、申告を全部、ほとんど全部否定して、政府が決定ないし更正をやるという時代は、なるほど申告納税制度がとられた当初にはございましたけれども、そういう弊風といいますか、状態は、納税者のこの納税義務心の高揚という、まあ納税者の納税協力ということの成果が大いに上がったからであろうと思いますが、やはり今昔の感があるほど改善されておる事実は、私身をもって経験いたしておるということを申し上げたわけでございます。
  195. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 簡単、関連ですが……。それは今昔の感があるとあなたは言われるが、それは確かでしょう。しかし、それは当局が納税者を信頼しているということから来たのではない。納税者のほうの納税に関する考え方も変わってきたこともいろいろあるでしょう。しかし、過去において非常にひどかったということは心理的に影響しているのですよ。非常に苛烈であったというとが間接的に心理的に影響して、恐怖感を与えている。そういう面もある、確かに。ですから、そういうただ納税思想がよくなったとか、納税思想が非常に改善されたとか、あるいはまあ徴税当局のほうの——納税者の態度がよくなったとかということでなくて、やはりまだ恐怖感というものが、過去において非常にひどかったという、そういうものもまあ間接に影響しているのじゃないかと思うのですよ。ですから、そういう点もやはり頭に入れられませんと、入れて考えませんと、いけないのじゃないかと思うのです。関連質問ですから……。
  196. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 まだ少し質問が残っておりますので、少し急いでやっていきたいと思います。  今まで、管理者の定めのある人格なき社団または財団、これを具体的に実は聞いたわけですが、第三条の納税義務者には、経営者または主催者の規定だけがあって、その経営者または主催者が法人か自然人か、人格なき社団等がはっきりしていないわけですね。人格なき社団はこの中に入るのか入らないのかということを、一ぺん確認しておきたいと思います。
  197. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほど申し上げましたうに、納税義務者の中には入れて考えております。
  198. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 人格なき社団等には根拠法規がないと思うのですね。株式会社、有限会社、協同組合、個人については、それぞれ根拠法規があるのに、人格なき社団等は根拠法規がない。それにもかかわらず、人格なき社団を納税義務者に含ませるのは、行政官の判断が立法権の優位することになるのではないか。だから、むしろこの際はっきりと明文化すべきだ、こういうふうに私は思うのですけれども。
  199. 松井直行

    政府委員松井直行君) 今の御質問は、非常に広範な日本の民事法体系全般の問題であろうと思いまして、単に税法の問題だけじゃないと思いますが、税法につきましては、少なくとも今回の通則法以下の改正によってこの点整備をしたい、こう思っておる次第でございます。
  200. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 私はさっきからずっと、要するに、はっきりと明文化するのがいいという意見を立てておるわけですよ。ところが、あなたは明文化しないでいいという意見なんですか、どうですか。根拠法規がないわけなんですよ。だから、はっきりしたほうがいいと思う、私たちは。
  201. 松井直行

    政府委員松井直行君) 法人とみなすか個人とみなすか、いずれにするかということで、税法関係ははっきりしたいと思いまして、今度その税法におきましては人格なき社団は法人とみなす。その一般的な民事法現には、個人の集団ともなんともこれに関する規制はございませんが、税法体系のもとにおきましては、法人としての納税主体であるということをこの際明示したい、こういうわけでございます。
  202. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 次に、管理者の定めのある人格なき社団または財団の管理者をだれが法律的に拘束できるのかということです。
  203. 松井直行

    政府委員松井直行君) 先ほどもおっしゃいましたとおり、法規範の規制というものがない団体でございまして、なかなかその点は容易でないことと思いますが、具体的事例に即しまして、その団体の目的が何か、どういう構成員か、やはりそれぞれの団体の存在の理由とその行動の内容とをつぶさに検討いたしました上で、・判断できることではないかと存じます。
  204. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 入場税法の一部改正案は、質疑はこの程度にいたしまして……。
  205. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 質問する条項がまだたくさんありますよ。そんなことを言われちゃ困る。今打ち切られては……。
  206. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) これで打ち切るのじゃないのです。まだあと続けるのですから。ただ、ほかの法案を先やろうということなんですから。
  207. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 きょうこれは続けて、もう三十分ほどでずっと終わりまで行きますが、どうですか、続けてやったら。
  208. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) これはもう、しかし、それはまた時間がありますから、あとでもってやっていただいたら……。  ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  209. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 速記をつけて。  それでは、入場税法の一部を改正する法律案の質疑を続けます。
  210. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 今答弁のあったようなそんな手続上のことを私は言っておるのじゃないですよ。人格なき社団または財団そのものをどう法律的に捕捉できるか、こういう点を聞いているのですよ。
  211. 松井直行

    政府委員松井直行君) ちょっと、法律的に捕捉できるかという御質問を、もう少しくだいておっしゃっていただきたいと思います。
  212. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 私は最初のときに、管理者の定めのある人格なき社団または財団の管理者はだれが法律的に捕捉することができますかと質問したのに対して、あなたは答えたわけですね。そういう手続上で捕捉するということを答えているわけですな。僕はそういう意味でははなしに、社団または財団そのものをどう法律的に捕捉することができるのかということを質問しているわけです。人格なき社団等には根本的な根拠法規がないわけですよ。だから、法律的に捕捉できないわけですよ。
  213. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) 確かに、まあ法人と自然人とに限って考えてみますると、法人は、登記がございますから、登記所に行って調べますれば、客観的にその存在はわかるわけであります。自然人はそこに生きて動いております。これは裏長屋のほうに住んでおった者をいかに発見するかということを別にいたしまして、とにかく生きておる人間でありますからわかるわけあります。しかし、人格なき社団につきましては、そういう登記というものがございませんし、絶えずそういう集団が集まってぞろぞろ動いておるわけでもございませんから、そういうような意味では確に一つの問題が残るというお尋ねであろうと思いますが、しからば、そういうことをおっしゃいますと、一つの民法上の組合というものがございます。組合は組合として任意組合というものが存在するわけでございますけれども、それではそれをどうしてつかまえるかという問題になるわけでございますが、たとえば、民事訴訟法の第四十六条をごらん願いますと、やはり非法人の当事者能力という規定がございます。「法人二非サル社団又ハ財団ニシテ代表者又ハ管理人ノ定アルモノハ其ノ名ニ於テ訴へ又ハ訴ヘラルルコトヲ得」という当事者能力ついて、人格なき社団につきまして民事訴訟法で設けておるわけでございます。ということは、民事訴訟でございますので、その訴訟当事者になることは、ある契約行為があった、あるいは財産に関する損害賠償とか、先ほど須藤委員のおっしゃったような財産権に影響を及ぼすような行為というもの、あるいは事実関係というものを前提にして初めて、この民事訴訟というものが提起されるわけでございますけれども、そういうふうなその原因になるような、訴訟の原因になるような行為、事実関係というものがある。それがあって初めて人格なき社団というものが当事者能力になってくるわけでございまして、たとえば入場税におきましても、したがいまして、ある演劇、催しものというものがあって、これは普通の映画館以外のたとえば臨時開催の場合におきましても、これは把握できるわけであります。そういう演劇行為があった場合にその主催者はだれであるかということになりますと、それがその面から、その当時者が、たとえば労音ならば労音、あるいは先ほど例にあげられましたような水田大蔵大臣の後援会ならば後援会というものがそこで出てくるわけでございまするから、そういう事実行為、取引行為的なものがあって、それが社会上の当事者として出て参りまして、それにフォローした税法上の規定でございますので、そういうところから主催者というものは客観的に定まってくる、こういうふうに考えております。  なお、現在法人税法におきましても人格なき社団等で収益事業を営む者、これはやはり課税対象になっておりまするけれども、その収益事業はたとえば物品販売業であるとか、あるいは図書を出版する出版業でありますとか、料理飲食業でありますとか、たとえばゴルフ場の経営でございますとか、さような事業がございます。そういう事業があります場合におきましては、その主宰者はおのずから客観的に定まってくる。かようなところから法律的に存在が予定される、かように考えておるのでございます。
  214. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 憲法八十四条は「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」、こういうふうに規定しておりますね。「法律又は法律の定める条件」、税法ではいわゆる属地主義を原則としておる。所得税法では第一条第一項、法人税第一条などがそうだと考えます。だから、自然人は戸籍法、法人は法人の登記規則、外国人は出入国管理令で法律的に捕捉できると考えるのです。ところが、人格なき社団は所得税法第一条、法人税法第一条二項に属地規定がなく、法人登記能力もないということは先ほどはっきりした。中途半端なものだと考えるのです。だから、幾ら法人とみなしても、法律的には捕捉できないはずだと私は考えるわけなんです。人格なき社団を捕捉するのに申告誰だけの手続によるならば、納税義務者であるかどうかわからない人格なき社団等が申告書を出さなかった場合どうなるか。これを罰するのは私はいわゆる租税公平の原則に反すると思うわけです。第二十八条のカッコ内の規定では明文化し、納税義務者には明文化していないのは、これは片手落ちだと私は考えるわけです。これはずっと私が今まで言ってきた点なんですが、どうですか。
  215. 松井直行

    政府委員松井直行君) 登記その他法律的な手段によって捕捉できないのじゃないかとおっしゃることは、まさにこれが人格なき社団のそれ自身の性格であろうと思いますが、今説明いたしましたように、組織なり組織の動き、団体的な行動、契約、販売、その他の社会的な活動と社会的存在というものは、これは認知できるわけでありまして、その行為自体が課税の客体になる場合が、たといそれが自然人でなくても、法人でなくても、納税義務を負わされるという解釈を、とっておるわけでございます。
  216. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 きょうは僕は調査官と、その娯楽性の問題、芸術性の問題についてひとつ議論しようと思って、実は用意をしてきたわけなんです。しかし、先ほど山根君が来て、いろいろ意見を述べて、調査官もよくわかったろうと思うのです。そこで、その点はきょうははずして、少し私は労音のことについて僕は質問したいと思います。  全国に勤労者音楽協議会という音楽を聞く勤労者の組織のあること、知っていますか。
  217. 松井直行

    政府委員松井直行君) 私、課税関係で面接触れて経験したことはございませんが、そういうものの存在することは知っております。
  218. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 こういうことを尋ねたいのですが、要するに、音楽が非常に好きな人がある。で、仲間の中には大きな部屋を持っている人がある。そこで十人なり二十人集まって、そこで有名な音楽家を呼んできて、そして自宅で演奏会をやってもらう。しかし、ただでは済まぬというので、皆がお互いに金を出し合って、そうしてその演奏家に謝礼をする。税金対象になるのですか、その行為は。
  219. 松井直行

    政府委員松井直行君) 今のような御設例ですと、催しものを催すところでない、自分の家あるいはだれか、組合員といいますか、そういう関係者の一人の個人の自宅で行なわれたという点に着目いたしまして、課税対象にはならぬと解釈される事案だろうと思います。
  220. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 そうすると、課税対象は、その催しものの場所が一つ課税対象を決定することになるのですか。そんなこと、どこに書いてあるのですか。
  221. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) 入場税法をごらん願いますと、第二条に定義がございまして、第一項で「興行場等」というのが出て参るわけであります。それは、第一種または第二種の場所、これを「興行場等」と言っております。この第一種または第二種の場所というのは、第一条に戻るわけでございまして、ただいまの例から引用しますと、第一種だけを読み上げますと、「映画、演劇、演芸、音楽、スポーツ又は見せ物を多数人に見せ、又は聞かせる場所」、競馬場、競輪場は特別でありますが、三号で「前二号に掲げる場所に類する場所で、政令で定めるもの」とございますけれども、要するに、多数人に映画とか音楽を見せたり聞かせたりする、そういう場所、これを「興行場等」という言葉で受けまして、そうしてそれは普通の場合入場料金を取りまして、切符を売って、主催者なり経営者がその演劇を売っていくわけでございますが、この第七条におきましてはこういう規定がございます。第一項第一号で「経営者等が興行場等への入場について入場料金を、定めている場合において、」とございますので、その場合に、その御設例のような場所が、第二条に規定しますような、つまり第一種の催しものを行なう、そういう場所でないということになりますると、第七条第一項第一号は、その意味では動かないわけでございます。さような意味におきまして、この場所という概念がやはり現行の法律では一つ意味を持っております。それからまた、第七条第一項第二号、これは経費課税と言われるものでございますが、「入場につき、通常、入場料金を領収して催物を行う第一種の場所において、」とございますので、ここにもまた場所という観念が課税一つの判定上の問題として出てくる場合がございます。こういうことでございます。
  222. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それでは、最初は個人の家庭においてやっておった。十人、十五人で演奏を聞いて、そうして演奏家に謝礼を払っておった、会費のようなものを徴収して。ところが、同好者がだんだんふえてきた。五十人になった。五十人ではとても個人の家の部屋では間に合わぬというので、どこかのクラブを借りた。そこで五十人がみな集まって音楽会を開いた。そして持ち寄りの会費を払って、そうして演奏家に謝礼をした。そうなると、税金がかかるのですか。
  223. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) それは、ただいまの御設例ではちょっとはっきりいたしませんでしたが、おそらく、「経営者等が興行場等への入場料金を定めている」という場合ではなくして、経費を各人が持ち寄って支弁するというケースだと思いますが、そうすると、第七条の第一項第二号に来るわけでございまして、その場合、「入場につき、通常、入場料金を領収して催物を行う第一種の場所」でございますので、それがたまたま他の大きなやかたを借りたとかいうことであった場合には、それは通常そこでそういうふうな催しものを、しかも入場料金を取って催しものを行なっているという場所であるかどうかということが問題であるわけでございまして、これがたまたまそういう場所でないということになりますれば、第七条第一項第二号の規定の適用はないわけでございます。
  224. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 そうすると、人数によって、聴衆の人数によって税金をかけるというのでもないし、場所によってかけるというのでもない。結局、それが営利を目的とした興行そのものである場合に課税する、こういうふうに理解していいのですか。十人か二十人ならいいけれども、それが百人なり千人となれば、人数が多いから課税するのだ、こういう意見なんですか、どうですか。
  225. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) この経営者、主催者等の収益目的、営利目的というようなものは直接出てこないと考えます。入場税法は、催しものに対する入場について入場者に実質的な税負担を及ぼす、こういうものでございますので、要するに映画館に映画を見に行こうじゃないか、音楽会に音楽を聞きに行こうじゃないか、そういう場所として観念をされている、たとえば日比谷公会堂のように、あそこではよく音楽会があるとか、日比谷劇場のように映画をやっておる、そういう場所に入ること、しかも中身が音楽会なりあるいは映画の会、演劇の会である、そのときにおきましては、入場により催しものを観賞するという同じ行為でございます。しかも、場所的には、中身が営利を目的としているかどうかは存じませんけれども、普通そこに行けば入場料金を払ってそういう行為が楽しめる、行なえるという場合におきましては、そこに同様な負担のバランスという面から課税するのが第七条の趣旨でございます。
  226. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 労音というのはこういう建前でできた団体なんですよ。だから、これに課税するのは私は不当だと思うのですよ。入場税なんというものはもちろん全部撤廃すべきものであるけれども、特に労音に課税しているのは不当だと思うのです。労音というのはこういう建前で戦後できた。要するに、戦後荒廃した生活の中で勤労者が何か精神的な慰安を要求したのです。ところが、普通の音楽会に行けばかなり金が商いのです。二百円とか三百円とかの金を、取られる。それでは自分たちは音楽を聞くことができないというので、同好者が集まり、五十円の会費を出し合って、そして演奏会を開いて、そして音楽を今日に至るまで聞いてきたわけです。今日も同じことだ。会員がどんどんふえた。したがって、だんだん大きいホールで聞かなければならぬようになって、今では厚生年金会館とか文京公会堂とかいうところでやっている。しかし、その精神というものは小さかったときも大きくなったときも同じで、みんな会員が百円なり百五十円を払って、そして演奏会を聞いて、そして演奏家を呼んできて謝礼している。利益を得る者はだれもいない。利益を得るのは会員自体が安い金で音楽を聞くという、会員全体の問題なんで、だから、こういうことは当然僕は租税の対象外になるべき性質のものだと思う。ところが、それを苛酷に扱ってどんどんと課税しておる、そういうことは私は不当ではないかと思うのです。普通の演奏会と特にこういう労音の演奏会なんというものは区別されるべき性質のものじゃないかと私は思うのです。どうですか、調査官、どういうふうにあなた考えておりますか。
  227. 松井直行

    政府委員松井直行君) その団体の成り立ち、それからねらい、運営方法、そういうもののいかんによって考え方が変えられるのじゃないかという御質問かと思いますが、今この課税要件を二課長から御説明申し上げましたとおり、通常興行場といわれるところ、通常入場料を払って入るようなところ、それと同じような形態、要件にお  いて、そうした場所への入場者にはその法律によって入場税々課すという、やはり法律要件に該当することになるのじゃないか。今おっしゃるのは、その団体の成り立ちの趣旨が違うのじゃないかということにポイントを持ってお話しになりましたが、その点からは区別されるべきものじゃないのであって、やはり税法にきめた課税要件に当たるかどうかということを法律的に読むという立場をわれわれはとるものでございます。
  228. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 あなたは先ほど、戦後だんだん徴税法が非常に公平になってきたと言って、自画自賛をしておったけれども、だんだんえげつなくなってきた。税の徴収のやり方がだんだんローマの貢取りのようなことになってきた。労音だって最初は税金をとらなかったのです、できた当時は。だから、戦後のときのほうがまだ理解があるのですよ。最近は遠慮会釈もなく税金を取り立てられる。あなたのさっき言ったのと全く反対です。全く国民のそういう文化運動に対する理解なんていうものはゼロです、大蔵省は。そんな頭で日本の文化などは指導できませんよ。それはおかしい。だから、よほど反省してもらって考え直してもらいたいと思うことが僕の意見なんです。その意見は幾ら理屈を言い合っても、こうなっちゃイスカのくちばしになっちゃって、討論にならぬと思うから、もっとあなたたちが文化運動、特に労働者が、低収入の労働者たちがよい音楽を聞きたいという一念から、自分たちの人格を向上したいという一念から、そういう便法をとってやっているという、このことに対して理解と同情を持たなければいかぬ。そういうことを僕は申し上げる。この辺で次に移りましょう。  そこで、聞きますが、今度の減税法案で大体、映画、職業野球、ボクシング、競輪、競馬、こういう連中はどのくらいの利益を得るのですか。減税になるのですか。
  229. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) 今回の減税によります減収額は、平年度計算で約八十四億七千万円でございます。その中で催しものの種類によって入場者の多い少ない、したがって入場料金の多い少ないがございますわけで、それをおもなものについて減収の内訳を申し上げますと、映画は約七十億七千九百万円、演劇等——演劇とか演芸とか見せものとかそういったものでございますが、これが約九億九千三百万、それから税率の特例のございます純音楽等でございます。これは三億六千五百万円、その他が三千万円、第一種合計でほとんど全部を占めておりまして、八十四億六千七百万円、こういう減収見込みでございます。
  230. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 職業野球、ボクシング、プロレスはどのくらいになるのですか、今度減税になるのは。
  231. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) ただい京おあげになりましたような、そこまでの内訳は実は資料はございません。
  232. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 今度減税される。それで、映画界などは、まず減税の半分は自分たちがもらいたいと言っておる。大蔵省はそれに反対はしておるようですけれども、これは僕はなれ合いの反対だと思うのだ。それで、おそらく直後は税金を取らないよりに、入場料金は下がるかわからぬけれども、これは必ず値段を上げてもとのとおりになりますよ、税金を含んだ金を含んだ金額に。そういうことは大蔵省は百屯承知で減税をやっているのだろうと思うのです。  それで、これらの減税から来る利益というものは非常に大きいのです、映画界、野球、プロレス初めこういうものは。ところが、今免税にせいといって皆が言っている純音楽、純舞踊などというのは、一年見積もってもごくわずかですよ。だから、今度の減税論なんていうのは、僕は、自民党の諸君に言うと怒るかも知らぬけれども、自民党の基盤である映画界やそういうところに減税をずっと恩恵を与えるのであって、ほんとうの日本の青年たちが文化的な要求で音楽を聞きに行ったり、舞踊を児に行こうというそういう面の減税にはほとんどなっていないのです。それはほんの申しわけ的でちょっとのもので、大きな利益はこういう映画界などがうんと得ていくという結果になるだろう。そういう目的で今度の減税が仕組まれているのではないか、こういうことを疑うことができると思うのです。だから、もし僕の言うことがそうでないというなら、音楽や舞踊などというのは、あんな赤字を出している研究会なんていうのは免税にすべきです。労音なんか、勤労者が自分のポケットマネー出し合って、わずかのお金を出し合って、そうして自分たちの人格の向上のために聞こうとする、こういう管楽会などに対して税金をかけるなんていうのはおかしいですよ。だから、そういうものは当然免税にすべきである。そういうふうに私は考えるわけです。  それから、一点だけ聞いておきますが、先ほど税制審議会に純音楽、純舞踊に関して出しているあの諮問ですね、あの諮問の、審議会の出している資料の中に、純音楽、純舞踊とはこういうものだと出している。あれを諮問したのはだれなんです。だれに諮問したのですか。それをちょっと参考までに聞かして下さい。
  233. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) 先ほど木村先生が引用されました税制調査会の純音楽ないしは純舞踊等に対する可否の判定と申しますか、その文章は、実はあの中にも読み上げ上げられたと思いますけれども、現在国税庁のほうにおきまして、現行の税法の規定を受けまして、そうしてこういうふうに国税庁としては解する。そうしてそういうふうに扱うという、その通達を、あの調査会の答申の審議過程の中で引用された文章だと承知しております。
  234. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それでは、審議会が引用したというわけですか、諮問しないで。
  235. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) 調査会といたしまして、純音楽等に対する特例税率というものを存続すべきかどうかという審議をする際に、一体その辺現在の解釈、見解というものはどうなっているのだ、その線の上に立って審議する必要があるというところから、現行の扱いはこういうふうになっているようである、こういうことで、あとそれに対して調査会はどう判断するかはまた別の文章で書かれたと思いますけれども、その前提としての現在の取り扱いをまず皆にわかるように掲げておいた。そういう趣旨の文章であろうと、そこの分は考えます。
  236. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 それでは、そこの部分だけですが、それはだれの資料に基づいたのですか。大きな間違いがあるわけですよ。
  237. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) それは、ですから、国税庁の通達を引用しているわけです。
  238. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 関連。須藤さんが伺っているのは、国税庁があれを実施するにあたって、純音楽、純舞踊とそうでないものと区別して実施しているが、その実施する場合の判定を通達で出しておる。それを調査会で引用したのですけれども、国税庁ではああいう区別をするときに何を根拠にしてああいう区別をしたかということを聞いておる。
  239. 松井直行

    政府委員松井直行君) 国税庁の通達でございますから、むろん長官の責任で出したものでございますが、私が聞いておりますところによりますと、文部省のその方面の担当者の意見を十分尊重して作ったものだというふうに聞いております。
  240. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 文部省がもしもやったとしたら、大きな問題ですよ、あれは。日本の民族音楽に対する理解なんというのはゼロですよ。民族音楽に対する理解ゼロで、どうしてこの民族問題を解決することができるのですか。重要な問題だと思う。これは自民党の諸君にもよく考えてもらわなければならぬ。われわれの日本の民族音楽を、民族を、外国の民族以下につけて、どうしてこのりっぱな日本民族を発展さすことができるのですか。だから、ああいう考え方をもしも文部省が持っておるとするならば、これは大きな問題で、これは文部省を呼んで、一ぺん文部省の責任者をここに呼んで、私は議論をしたいと思います。それは私は非常に心配になります。ああいう考え方をもしも文部省が持っておるとするならば、大いに議論しなければならぬ。
  241. 志場喜徳郎

    説明員志場喜徳郎君) ただいま国税庁のほうからその間の事情を伺ったのでございますが、昭和三十年四月、文部省社会教育局長からの国税庁長官あての、こういうふうに扱ってもらいたいと申しますか、そういうふうな文書に基づきましてそのとおり実施しております。なお、そのような内容と申しますか、考え方を文部省としましてとるにつきましては、あらかじめ業界の中から三、四十人を集めまして、それぞれ意見を聴取した上でさような見解を国税庁のほうに申し述べられてきた、こういうふうに伺っております。
  242. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 これは文部省の社会教育局長を一ぺんここに呼んで下さい。これははっきりこの際さしておく必要があると思います。大蔵委員会でも、こういう問題がある以上、やはりはっきりさしておく必要がある。日本国家のために必要だと思います。僕は日本民族のために必要だと思います。だから、次の機会に文部省の社会教育局長を呼んで、そしてこの点はっきりさせましょう。私はやはり芸術家の一人として、非常に責任を感じます。この点でどうぞそういうふうにお取り計らい願いたい。
  243. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 関連して。先ほど音楽評論家の方、それから舞踊家の方から、意見が述べられました。たまたまあそこで、お聞きになったと思うのです。私は全然しろうとなんですけれども、ああいう御意見伺って、今やっておる、実際に流しておる通達、現実に通達によって行なわれておるわけですけれども、あの通達についてはやはり問題があるとあなたはお考えにならなかったのですか。ですから、文部省のほうの問題は一応聞くとしましても、そのいかんにかかわらず、ああいう専門家意見を、国税庁としてもやはり権威のある人の意見を聴取されて、通達に妥当を欠く点があったら、やはり通達は直される必要があるのじゃないですか。どうも私はそういう気がするのですが。
  244. 松井直行

    政府委員松井直行君) 私も参考人お話をいろいろ伺っておりました。参考人はあの方面の専門家でしょうが、常識的にある程度割り切れるにしても、これを法律的に書き分けるといいますか、はっきり区別して規定することは非常にむずかしい。まさにおっしゃっておるわけでありまして、われわれが現在の税務執行上大きなる混乱といいますか、ああいう区分をすることにまさにはっきりした基準を求めがたいので悩んでおったという実情を、そのままお聞きしたような感じになっております。そこで、今度一律一〇%にする機会に、ああいう区分を廃止しようとしたこともまたそこに一つ理屈があったものとお考え願いたいと思います。
  245. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 今度の場合だけじゃないと思います。通達を出される場合に、今一般に税務行政は通達行政といわれております。だから、法律よりも通達のほうが実際には大きな影響を与えるわけです。また、権威を持っているようになっちゃっているのです、実際は。だから、通達を出される場合には、よほどそういう専門化の意見も十分聞いて、そうして法律にもとらないように。たとえば純音楽と純舞踊と法律で一応区別いたしましたね。それで、通達を流す場合に、先ほどの参考人お話を聞くと、これが正しく理解されていないと思います。だから、国税庁としてはそういう場合には専門家意見を開いて勉強すべきだと思います。ほとんど不勉強ですよ、お話を伺っていると。この問題ばかりでない、通達については非常に問題があるのです。法律では規定されておりますが、実際に権威を持っているのは通達なんであります。私はもっと法律でこまかく規定すべきじゃないかと思います。あまり通達に重要な部分をまかせてしまうのは問題じゃないかと考えられるわけです。だから、本来ならば法律に純音楽とか純舞踊ということを区別したときに、法律にもう少し詳しく書くことがあれば、そういうあやまちを犯さなかったのじゃないかと思います。そういう点、われわれにも責任があると思いますが、税法が制定されたときに通達の内容ぐらいまでは一応ここできめて審議するとか、そういうくらいまでやる必要もあると思うのですが。
  246. 青木一男

    ○青木一男君 関連して。今、木村委員の最後に言われたことは非常に同感なんです。通達によって法律を曲げるようなものは、これは法律の範囲を侵すことになる。そこで、問題は、一体純音楽、純舞踊ということだけで、概念として一定の概念があって、それを適用する場合の細則について通達するというのが普通の例だと思います。そうでなく、今木村委員の言われたような、これは法律で件かなければ概念として疑義のあることを通達できめるということは、非常にに問題だと思います。  それで、先ほど参考人意見を聞いておりまして、私も調査官の印象と同じように、ああいう専門家が見ても結局ほんとうの客観的に正しい区別はできない。だから、法律でもってきめてもらわなければいけないということを言われたのであります。それは非常に見方が主観的に違う問題であります。だから、それをやるならば、法律で書けるならば書く、法律で書けないならば通達にまかせるという行き方は、国会も非常に考えなければならないと思います。その点は通達に委任されたことは、これは僕は政府としても非常に迷惑じゃないかと思うのです。今のようなこまかいことは、概念としてきまったことの適用細則を通達でやるのはいいが、本質でやるということは、よほど立法として国会も考えるが、政府考えなくちゃならぬことでありまして、今のような点の木村委員の御意見は同感です。その点に対する所見をひとつ。
  247. 松井直行

    政府委員松井直行君) まさにおっしゃいますとおり、基本的な法律関係課税要件等につきましては、法律でもって明確にできるだけやるのが本筋だと思います。まして、それを実施する場合の取り投いの仕方といたしまして、全国的な行政執行の統一をとる必要上、長官名で一種の通達を出しているわけであります。むろん、今おっしゃいましたとおり、法に書いてないこと、あるいは法の趣旨に違反するようなことは、通達でもって法を曲げる、これはもうとんでもない間違ったことであろうと思うのであります。できるだけ法律で明確にそうした重要な要件等を明記すべきものでありまして、通達等にまかすものは、やはり税務行政の統一をはかるという必要の限度において行なうのが、おっしゃるとおり本来のあり方であろうと思います。  ただ、今問題がありました純音楽とか純舞踊というような問題につきましては、これははたして法律で最後まで書き切れるものかどうか、最初から問題があります。問題があったものですから、これを通達にまかしたというところで、実際の課税実務上非常に大きな困難がございましたので、少なくともこういう混乱を排除しようと、したいというところに一つのねらいがあったわけでございますが、現在におきましても、おそらく純舞踊、純音楽ということは、法律の中で最後まで書き切れるかどうか、私自身非常に大きな疑問を持っております。
  248. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 今、通達の点について、青木委員からも同窓児が述べられたわけですが、これは今、現にもうすでにたくさん通達を出されているわけですよ。われわれはやっぱり再検討しなければならぬと思っているのですよ。通達行政については、最近ようやくわれわれも、それから一般の国民もこれは重要な問題だということを関心を持ち出しているわけですよ。ですから、この問題だけでなくって、今後やはり通達行政について、現在やっている通達について再検討をしていただきたいと思うのですね。われわれもやらなければならぬけれどもね。
  249. 松井直行

    政府委員松井直行君) まことにごもっともなことをおっしゃっておるものと私考えますが、昔は通達の主秘第何号といいまして、私たちの若いころには、外部に公表しないで、税務官吏の内部だけが持っておるという時代もございました。そうなると、税法上のおもなる解釈、あるいは税法上の不備を補うという点もあったかと思いますが、その後民主的な行政という線に沿いまして、基本的な通達は一般に公開する。公開することでもって一般に周知していただくと同時に、批判といいますか、これも十分受け入れるという公開の能度をとっておりますので、今おっしゃったような趣旨は今後も十分生かされるものと思っております。
  250. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  251. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それでは速記をつけて。   —————————————
  252. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) これから、相続税法の一部を改正する法律案印紙税法の一部を改正する法律案通行税法の一部を改正する法律案、以上三案を一括して議題に供します。
  253. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 若干通行税法について質問をしてみたいと思います。政務次官にお尋ねいたします。  今度の減税分ですね、汽車の一等、それから汽船の特等、それから寝台料金、それから急行料金に対する通行税の減税がありますが、その減税分は、その分だけ料金が下がるのかどうか。政府は行政指導でやると、こういうお話でしたが、そういう行政指導が完全にできているのかどうか、それを第一点にお聞きしたいと思います。
  254. 堀本宜実

    政府委員堀本宜実君) ただいまの御質問でございますが、やはり税率が下がっただけ完全に行政指導で下がりますることは当然でございまするし、またさような確信を持って当然料金が下がりまするようにいたしたいと、かように思っております。
  255. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 国鉄の場合は比較的簡単だと思うのですが、汽船ですね、船会社ですね、これとの話し合いは完全にそういう方向で了解されているのかどうかということを、お伺いいたしたい。
  256. 堀本宜実

    政府委員堀本宜実君) ただいま、運輸省を通じまして元金に話し合いができて、やはり認可事項でございますので、完全に下がるという確信を持って対処しております。
  257. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 もう一つお尋ねしておきたい点は、通行税と遊興飲食税の問題について、政府の方針は遊興飲食税については本年の三月限りで外人の観光客に対する扱いを非課税の恩典からはずすという方針が、政府としてきまっているわけなんです。また、通行税についても、外人の観光客に対して特別な待遇はしない、こういう政府の方針であると思うのですが、この点はっきりおっしゃっていただきたい。
  258. 堀本宜実

    政府委員堀本宜実君) ただいまのお尋ねの問題、政府といたしましては、通行税に対しましては今適当でないと思っておる次第でございます。
  259. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 この点ははっきり言っておいてもらいたいと思うのですがね。外人の観光客に対して通行税を課さない、あるいは料理飲食税を従来非課税にしておったですね、それはことし限りで廃止になるわけです。それは政府の方針であって、今後特別措置はしないということをはっきり言っておいてもらいたい。
  260. 堀本宜実

    政府委員堀本宜実君) 政府といたしましては、特別な処置はやらないということに方針を決定いたしております。
  261. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 まあ通行税については、今政府の提案にわれわれ賛成して、これの成立をはかろうとしているわけですね。ところが、最近入ってくるいろいろの情報は、議会の中の二部に、通行税とそれから料理飲食税に対しては外人の観光客に対して非課税措置をしようという動きがあるわけです。そういうことになれば、せっかくこの法案を賛成して通しても意味ない。そこで、政府の態度を私は確かめておくわけです。これは大蔵省の見解としても、そういう非課税にするという考え方は全然ないと了承してよろしいですか。
  262. 堀本宜実

    政府委員堀本宜実君) お説のように、大蔵得といたしましては、これを非課税にする意思はございません。さように決定をいたしております。
  263. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 政務次官はこういう聞いていませんか、この料理飲食税等の非課税の問題について、通行税等の問題について、大蔵委員会で審議しないで、国立観光ホテル特別措置法というのがあるのでか、そういう面で非課税措置の議員立法をしようという動きがあることを聞いていませんか。
  264. 堀本宜実

    政府委員堀本宜実君) 私はそういうことを承知いたしておりません。聞いておりません。
  265. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 まあ、そういうことであればいいんです。しかし、非常に不明朗な話をいろいろ聞くものですから、この法律を上げる際にはっきりしておかなければいけない。政府はそういう措置は反対である、同意しない、それをはっきり私はさしておきたいという意味でお尋ねをしたわけです。
  266. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ほかに御発言もなければ、これにて質疑は尽きたものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  267. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 御異議ないものと認めます。  これより討論に入ります。御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べを願います。
  268. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私は、ただいま議題なりました三法案には賛成の意見を表明します。  ただ、しかし、問題はこの法案の審議の過程において政府側にただした点であります。それは相続税法については七十一条、通行税法については十五条、印紙税法については十四条の二に、われわれとしては非常な疑問を持っているということです。その点は、人格なき社団に対して罰則規定を適用するという問題です。で、これは委員会で各委員からいろいろの形において質疑をされましたが、これは私どもの見解では、非常に法解釈が拡大されて、そしていわゆる民主団体のそういったいろいろの催しに対して法解釈を拡大して徴税が強化され、あるいは罰則が適用されるという心配があるのじゃないかというふうに考えておるわけです。また、これらの人格なき社団に対して、法文の上からいっても納税義務者という明確な規定を一欠いておる、そういう点であいまいな点があるというふうな点を、われわれとしては問題にしてきたわけです。ただ、この問題については、大蔵大臣を初め大蔵関係当局から、国税通則法が成立しない場合はこの条項は死文になるという説明があったわけですね。まあ一応それを了承して、そして国税通則法の審議において、この法人でない社団、財団等については十分審議したいと考えております。まあ大蔵大臣等の政府の正式な答弁で、国税通則法が成立しないときにはこの条項は死文になるという説明を一応了承して、私どもはこの三法案に賛成をする。
  269. 須藤五郎

    ○須藤五郎君 私は、今上程されました三案に反対をするものなんです。  今、荒木委員も問題にされましたいわゆる罰則規定の中に、「法人ニ非ザル社団又ハ財団ニシテ……管理人ノ定アルモノ」の「管理人」、これに対しまして罰則規定が適用されることが明文化されているからであります。国税通則法が成立しなければ、このカッコ内の規定が動かないといいましても、法律論としてはともかく、実際には信用できないと思うのです。なぜなら、従来の規定でも罰則がかけられる立場課税されてきたのであるから、国税通則法が成立しないという実際の保証は、何もないからであります。このカッコ内の規定は、従来からも法律的に自然人か法人かあいまいな人格なき社団等を、何ら法律的に明らかにせず、一方的に政府が法人とみなす結果、出てきた条文であります。そういう政府の態度は、憲法八十四条租税法定主義に違反するものであると考えます。また、刑罰、罰金刑を科すことは、氏名のない人間に逮捕状を出すようなもので憲法三十一条罪刑法定主義に違反するものであると考えます。民主主義の原則を踏みにじろうとする政府の態度は、とうてい許されないものと考えます。こういう建前から、私たちはこの一案に反対するものであります。
  270. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ほかに御意見もなければ、これには討論は終結したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  271. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 御異議ないものと認めます。  これより採決に入ります。相続税法の一部を改正する法律案印紙税法の一部を改正する法律案通行税法の一部を改正する法律案を問題に供します。以上三案を原案どおり可決することに賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  272. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 多数ございます。よって、三案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  なお、諸般の手続等につきましては、先例により、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  273. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 御異議ないと認め、さように決定いたしました。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十九分散会