○
政府委員(
前田光嘉君) お手元に配付してございます、
阪神高速道路公団法案参考資料に基づきまして、
阪神高速道路の
計画の概要、及び
阪神地区における
道路交通状況の
概略を御
説明申し上げます。
まず第一ページに「
阪神高速道路計画の基本的な方針」と書いてございます。まずこの
性格でございますが、これは
阪神地区を一体として
考えまして、特にその
阪神地区において必要な
都市高速道路というものを
考える、その場合に
考えられますのは、まずこの
都心部を中心とする
交通と、それから
都心部に対して
周辺部から入ってくる
交通というものを処理するという
考えで、これを
専用自動車道路として
設置しよう、という基本的な
性格を持たせる
考えでございます。こういう
考えから
路線といたしましては、まずこの
大阪とその
周辺地区におきましては、
大阪の
都心部における
環状線と、それから
周辺部と
都心部を
連絡する放射線と、こういう
考え方で、
大阪及びその
周辺地区の
路線を形成しようと思っております。
それから、
神戸地区におきましては
神戸の特殊の地形上から、
臨海部を
東西に貫通する
路線を
計画しておりまして、将来
明石方面、
港湾方面、
大阪方面との
連絡を勘案して
路線の選定を行なうことにしております。その
中間の
尼崎、西宮、
芦屋地区につきましては、これは
大阪と
神戸の
中間でございますが、現在そこには
名神高速道路と第二
阪神国道との工事が進捗しておりまして、すでに一部は近く開通できる
予定となっておりますが、その間にどういう
都市高速道路にするかにつきましては、今後十分検討した上で
計画をきめたいと思っております。全体におきましてこの
路線を
計画いたしますにつきましては、主要な
国鉄あるいは
私鉄等の駅とか、あるいは
駐車場、バス・ターミナルの
建設計画というようなものを十分
考えまして、そういうものとの
連絡も十分考慮したいと思っております。また、
都市内でございますので
建設をする場合には、なるべく
一般の民家の
密集地を避けまして、できるだけ治水、利水に支障ないという点を
考えながらも、
河川または運河を
利用しよう、やむを得ない場合には四十メートル
程度の
広幅員の
道路の上に
設置をしようと思っております。その
構造につきましては、大体
首都高速道路と同様の
考え方でございまして、すべての
交通路とは
平面交差をしない、
立体交差をする高架の
道路、
場所によっては
堀割式の
構造とするつもりでございます。
設計速度は、
都市内では
原則として一時間六十キロメートルというものを
考えております。
車線数は目下のところ一応四
車線——片側二
車線、片側二
車線というふうに
考えております。まあ
場所によって一方通行とする場合もありますが、そういう場合におきましても、二
車線以上はぜひとりたいと思っております。
そこで現在
考えております
路線でございますが、次の次のページに
大阪地区と
神戸地区の簡単な
図面がございます。非常に小さい
図面で
ごらんになりにくいと思いますが、この
路線の赤いところに、
斜線のある
部分と赤く塗った線とございますが、この
斜線を引いてある区間は、一応われわれが
考えておりますところの
大阪の
阪神高速道路の
予定計画でございます。線の塗ってない筋だけ入っておりますのは、将来の
延長計画でございます。そのうちまた赤く塗りつぶしてあります
部分は、この五カ年
計画におきまして完成のできる見込みのつきました分の
路線でございます。この
図面を
ごらんになりながら、その前に書きました
計画路線の表を
ごらん願います。
まず
環状線の起点は北区
梅田町でございますが、
大阪の
梅田駅の付近でございますが、この辺を出ましてそれから
堂島堀川を通り、
西横堀川を下りまして、この辺は川の上を通りまして難波を通り、恵美須町を通りまして、それから右のほうに曲がりまして、
東横堀川を今度北に上がりまして、堂島川を下って中之島に戻ってくる。これで
環状線になるわけでございます。
それからその次は
新駅線、これは
環状線の右の肩のほうから出まして、少しぐるっと回りますが、
国鉄の新幹線の
新駅の方に向かっていく
予定の
路線でございます。
それからもう一本、
守口線、これは
新駅線から分かれまして守口のほうに行く
路線でございます。
それからもう一本、
八尾線でございますが、
八尾線は浪速区
南日東町から出まして、
動物園前、
阿部野橋を通りまして、八尾のほうに行く
路線でございます。
それから
堺線は、南区高津町から堺のほうに向かっていく
路線でございます。
尼崎伊丹線は、
梅田駅のところから
尼崎及び
伊丹のほうに向かっていく
路線でございます。
東西線は、
環状線の
まん中を
東西に走る
路線でございます。
それからもう一本、
神戸臨港線、これは将来は
阪神、
大阪地区の
路線と
連絡いたしますが、とりあえずは
神戸地区の
臨港における
路線でございます。
現在のところ、こういう八本の
路線を
考えております。全体の長さはこの表にございますように、五十八キロを
予定しております。このうちこの
路線が経過する
土地の
状況は、表−I−2に書いてございますように、全体で申し上げますと、この下の計にございますように、五十八キロのうち
河川の上を通りますものが二六・五キロメートル、大体全体の四五・七%に当たります。それから
街路の上、これは新しく
街路を広げる場合、及び既設の
街路と両方合わせまして一七・四二キロメートル、全体の三〇%強になります。
それから
一般の
宅地でございますが、
民有地の上を通りますのが六キロ、
公有地が八キロ、
合計一四キロ、
宅地の上を通るのが二四・三%、こういう工合にできるだけ
民有地の上を通ることを避けまして、
街路なり
河川ということに重点を置いて
計画を進めておるわけでございます。
その次の
図表、黒い
斜線と黒に塗りつぶした線は、今申し上げました下の
土地の
利用の
状況を書いてあるわけでございます。黒く塗りましたのが
河川の上でございます。それから
斜線が
道路の上という
関係でございます。こういう
程度に
公共施設の上を
利用しょうという意味でございます。その次は
神戸地区における同様の
河川あるいは
街路、
宅地の
利用の概況を図示いたしました。
それから、その次に十ページに
基準断面といたしまして、最もティピカルな断面の図を書いてございますが、大体
首都高速と同じでございます。一応目下
考えておりますのは、総
幅員を一六・四〇
メーターといたしまして、中央に
分離帯一・一〇
メーターをおきまして、左右に三・二五
メーターの
車線を二つずつ、それから路肩をとりましてこれを〇・四〇にしております。十ページの上の
図面はよくある型でございますが、
道路の上に作ります場合にはその下の図−I−5にありますように、
道路幅員を広げまして、
道路を一一・一〇
メーターほど、歩道及び車道をとりましたその
まん中に今申し上げました一六・四〇メートルの
高速道路をのせるつもりでございます。それから
一般民地を通過する場合には
道路とする必要はございませんので、この
高速道路の下の
土地はこれはあき地になります。
道路ではなくて
側道でございますか、七・五〇
メーター程度で通路的なものでございますが、こういうふうに、全体としてはそれほど広くなくても、この
程度のあき地をとって、一六・四〇
メーターの
高速道路をのせることに
考えております。それから川の上を通ります場合に、この次の図−I−7に書いてございますように、狭い
河川を通ります場合に川の両岸に柱を立てましてその上に
高速道路をのせる、川はふだんの流れそのままにしておこうという
考えでございます。橋はこの
図面では二本足を立ててございますが、
場所によりましては一本足の場合も目下検討いたしております。
そこで、こういうふうな
計画を立案するに至りました
基礎資料といたしまして、
大阪及び
神戸地区における
自動車の
交通の
状況を調査したのが十二ページ以下の
交通量推定の
図表でございます。この十三ページのまるい図で
ごらん願いますように、
昭和三十五年の
大阪の
都心部に対する
流出入の
交通量をこの図で表示いたしますと、たとえば左のほうを
ごらん願いまして、
阪神、
山陽方面、
尼崎というところに四八・五三八とございますが、
昭和三十五年の調査した日におきまして、この円の入口の
程度のところまでは四八・五三八台の
交通量がある、さらに円内に入ってきますと五七・三〇四台になった、その全体の数字というのはここにありますように二二%に相当するということでございまして、この
方面からも相当入ってくる、それからもう
一つ大きいのは、
大阪の東部のほうから東成区のほうに入ってきます七八・一一二台、こういうふうに入ってくる、それから和歌山のほうから入ってくるのがさらに大きく、
阿部野のほうには二一%入ってくるというふうに、
台数と
交通量の概況の調査をした結果でございます。
それで十四ページには、こういうふうに入ってくる多数の
自動車が、
高速道路ができた場合に、どういうふうに
高速道路に転換をするだろうか、という見当をつけたのがこの
高速道路利用台数の予想というものでございます。この予想は、いろいろ検討して
首都公団の場合、あるいは諸外国の例によりまして研究したのでございますが、やはり経済的に見まして、そこに書いてございますように、
高速道路を
利用したほうが距離と時間が、
平面道路を
利用した場合よりも得をする場合、あるいはどちらかの一方が得をする場合とか、いろいろな場合を
考えまして想定いたします。その場合の条件を従来の
経験から
考えまして、交差点にぶつかって、ガソリンの消費あるいは車両の損耗する場合につきまして、損失をする場合と、それから時間の短縮することによっての利益、こういうものとの両者のバランスをとりまして、そのお互いの損得を差引きして
高速道路に乗っける
台数を
計算するわけでございますが、その
計算の結果、十五ページの表に書いてございますように、
環状線で
考えますと、
環状線のうちで
大阪駅前から
出入橋というところにつきましては、一応これは
昭和四十五年に完成した形における想定でございますが、一万七千台くらい通る。これはだんだん
場所によりましてふえてきまして、特にこの
環状線の中で濃人橋から中ノ島というところは九万六千台の多数の車が乗るようになります。一番大きいのは
新駅線、この
新駅線は
守口線とダブるところもございますが、その
関係で、
新駅線の中で樋ノ口から
長柄浜通りまでにつきましては十一万一千台という多量の車を乗っける
予定になっております。同様の
計算を各
路線につきまして
計算をいたしまして、十六ページに至る数字を書いたわけでございます。これを
高速道路全体について
計算いたしてみますと、十七ページの表にございますが、この
昭和四十年、これはまだ一部しかできておりませんので、この
高速道路が、先ほど申し上げました五十八キロ全体の
道路の中のごく一部しかできませんので、四十年にはわずか十万台しか
利用できませんけれども、結局四十五年に完成いたしますれば、四十六年には一応五十八キロ全体が使える、そういたしますと、四十六年にはここにありますように
大阪で三十四万六千台、
神戸の最高時におきましては六万六千台、こういうふうに多量の
高速道路の
利用が出てくるだろうという想定でございます。それで、ただいま申し上げました八
路線を一体どういう順序で作るのがよかろうかというようなことを、いろいろな角度から、あるいはその必要性から作ったというのが
建設の順位というところでございます。
十八ページの表を
ごらん願いますと、まずこの
環状線以下八
路線につきまして、
昭和三十五年の
交通調査による
交通量からみた順位と、それから同じように、その付近における
道路の飽和度と申しますか、これは
交通容量、一応
道路構造令できめられておりますところの
交通容量に対しまして、現在どの
程度に
交通が多いか、一〇〇であればそれは
交通容量と同じ
交通量でございますから、最も典型的と申しますか、理想的な
道路状態、四二八と申しますと、
交通容量の四倍以上に
交通が多いということでございますが、その
交通容量の多い順位から申しますと、こういうBのような順位になる。その次は同じ区間につきまして現在平面
街路がどの
程度できているか、平面
街路が相当築造が進んでおれば、その区間における
高速道路の
建設はおくらしていいという
計算をした順位がそのCになります。それから先ほど申し上げましたように、
昭和四十五年の
高速道路に転換する
交通需要量を
計算いたしました順序がD、いろいろ申し上げましたAとBとCとDと、この四つを総合いたしまして
計算をした順位が右から二番目に書いた順位でございます。そうなりますと
環状線が一番になる、それから
新駅線と
守口線が二番の順位になる、
八尾線が一応おくれるという順序でございますが、それを総合いたしまして、三つに分類して
考えたのが一番右の着工順位でございまして、一が
環状線、それから二が
尼崎−
伊丹線、それから
神戸の
臨港線が二、それ以外は三、大体この三段階くらいに分けましてわれわれは
考えまして、この五カ年
計画におきましては、この一の
環状線の一部とそれから
尼崎−
伊丹線、それから
神戸臨港線というものに着工したいと思っております。
それから五十八キロの
高速道路を
建設する場合の費用の概算を
計算いたしましたのが、その次の十九ページの表でございます。いろいろまだ綿密な
計算がございませんので、若干の異同はあると思いますけれども、一応全
路線につきまして
計算いたしますと、
高速道路だけの
建設費が七百七十一億五千二百万円で、一番下の欄でございます。それに関連
街路費の分担金を入れまして予備費を入れますと、一番右にございます九百十二億四千万円という費用で、一応五十八キロの先ほどの
図面の
路線を完成できるということでございます。その内訳がその二十ページ以下に書いてございますが、これは省略さしていただきます。
その間にはさんでありますところの
図表は、今
計算いたしました工区をわかりやすいために書いた図でございます。
そのうち、二十八ページには、全体事業九百十二億あまりのうちで、との五カ年
計画でどれだけやるかということでございますが、財政五カ年
計画では実は四千五百億円の有料
道路のうちで、二百億円を
阪神高速道路に向けるようにきめておりますので、そのうち
建設費に相当する分は、そこにありますように全体で百八十八億でございます。できます分量は、先ほど申しました赤く塗りつぶしたところでございまして、一二・八四キロメートルというふうになっております。これはまだきまっておりませんけれども、一応工程から
考えましてどの
程度の事業でいけばいいかということは、その次の二十九ページに書きましたように、相当尻上がりに事業費を出しまして、
昭和四十二年、四十三年度にピークに達しまして、四十四年、四十五年で完成しよう、こういうふうに出すことによって完成しよう、という一応のこれは
考えでございます。
三十ページには、このできます
高速道路によってどの
程度の経済効果があるかということを、時間の短縮及び金額の面から
計算してみた例がございます。三十ページの一表は、一応
高速道路の完成した場合の予想でございますが、たとえば一番上にありますように、堺港を出発いたしまして
大阪駅前に来る場合には、
高速道路は時速六十キロで一応行ける
予定でございますので、一六・二六分で行ける。ところが
一般道路はそのときには大体
交通が相当多いので、一時間当たりのキロが二十五キロないし十八キロ
程度に落ちておりますので、それで
計算いたしますと、三二・四六分かかる。そういたしますと、差引一六・二〇分の節約ができるという意味でございます。
昭和五十五年になりますと、
高速道路も相当混んできますので、
高速道路の時速が四十キロ
程度になりますが、そのために二四・四二分かかりますが、その反面
一般道路がさらに混んできまして、
一般道路は一時間当り十二キロから十七キロしかスピードが出ませんので、
一般道路はそのときには四八・七二分かかる、二四・三〇分の節約ができるというふうになります。こういうふうに各おもなる区間につきまして節約できる時間を
計算したのがこの表でございます。
今度はそれを
高速道路全体につきまして、
昭和三十五年における一応
規定をいたしました。
環状線を通って、
環状線のうちで
梅田の駅から恵美須町まで
環状線の西側の線を下ってくる想定でございますが、
高速道路では、その区間は五・五五キロメートルでありまするが、下を同じく通っておる
一般道路は五キロであります。それを
高速道路で行けば一時間六十キロで行きますと五・六分で行ける。ところが
一般道路では、距離は少し短かいのでありますが、一時間二十キロしか走れませんので、これは十五分かかる、約九分あまりの節約ができるという意味でございます。これを各
路線の主要な区間につきまして同様な比較をしたのがこの表でございます。
これを金銭に一応評価してみますと、その次の三十二ページの表にございますように相当の経済効果であります。との経済の効果は、実は日本ではまだ例がございませんので、アメリカの学問の成果を借りて来まして、一応
計算いたしました。この一番上の表にございますが、二つの
計算方法がございまして、一応念のために二つの
計算方法をしてみましたが、(1)の
計算方法、これはやはり大体よく似ておりますけれども、走行経費と、あるいは時間の節約による利益とそういうものを
計算したものでございますが、ここに書いた意味は、
大阪におきまして、上の表はこの
高速道路を全面的に
利用して、われわれが想定した当時の数字の車が通る、その通った車の平均した
利用の
状況から、今申し上げました節約の金を
計算いたしますと、
昭和四十年においては、(1)の
計算でいけば九億九千二百万円の得がある。(2)の
計算でいけば七億九千三百万の得がある。それが全部
利用することは
考えられませんので、八〇%
程度車が乗るというふうにしますと、その下にあります七億九千三百万円と六億三千五百万円の得がある。
神戸につきましても同じような
計算で、そこにあげたような数字の
計算ができます。このうち低いほうをとりまして、
大阪につきましては、(2)の欄のところの下のほうの八割
程度利用した額を
考えますと、大億三千五百万円、
神戸ついても同じように一番少ないのが一億五千万円でございます。この両者を合わせましても、
昭和四十年につきましては八億
程度の得があるという意味でございます。
昭和五十五年にはその一番下の欄にございますように、
大阪地区においては八十一億、
神戸地区においては三十一億、
合計をいたしまして百十億
程度の便益があるという
計算でございます。
高速道路は、このように非常に金銭に換算いたしましても便宜が多いということを示したものでございます。
それからその次の(3)は
高速道路の
利用の一応の推定の数でございますが、現在の
大阪における
自動車の
状況、あるいは
交通の
状況から
考えまして、三十三ページに書いてございますように、バスと
自動車と両方を使ってラッシュのときの
計算をいたしますと、バスで六十人乗りのバスが三千台通れるということを
計算いたしまして、それで乗用者につきましては四人乗りの車が三千台通れるという
計算です。
合計ラッシュ一時間につきましては三万七千人というものが運べるというようなことで、相当な輸送量があるというようなことが
考えられます。
三十三ページの下の表は、これは
阪神地区における輸送の
状況でありまして、この表で示しておりますのは、それぞれ
昭和二十八年以降三十三年までにおきまして、いずれの
交通機関とも量がふえておりますが、特にこのバスの
利用がほかのものの増加に比べて大きい、それだけ最近の
交通はバス
利用、
自動車利用の方向に向いておるということの証明であります。
それから
高速道路につきましてはいろいろ心配があるかもしれませんけれども、アメリカの
経験その他によりまして、非常に安全であるということをここに書いてございます。死者の発生事故におきましても、
高速道路は、発生では
一般道路に比して二分の一、事故の総数では五分の一という安全度だという数字が出ております。
それからその次に書きましたのは、
阪神地区における
高速道路の必要性ということにつきまして表をあげたのであります。
まず人口であります。人口につきましては、
阪神地区は東京と同様に毎年どんどんふえてきております。しかもそれがその下のほうに書いてございますように、約一年間二十万人
程度、あの付近で言いますと豊中市
程度のものが毎年ふえてきておる。しかもそのうち社会増十七万人ですね、こういうふうに
交通需要を直接必要とする人口がふえてきておるのが三十五ページ及び三十六ページの表でございます。この表は多少古いのでございますが、東京などにつきましては、もうすでに一千万人をこしておりますが、日本におきましては、東京
地区と並んで
阪神地区の人口の急激な増加があるということでございます。これに伴いまして、
自動車の登録
台数が非常にふえて参ります。そのふえた
台数の表が三十七ページから三十八ページの表でございまして、三十八ページの表で
ごらん願いますように、
阪神地区の登録
台数、三十八ページの表の上のほうの三十六年三月末現在の表を
ごらん願いますと、全国で三百五十四万三千台という数字でございまして、
阪神地区におきましては四十一万三千台というふうに大きく
自動車がふえております。これが将来相当急激にふえるという想定ができます。
それから次の三十九ページ以降には、これらの
自動車、人口の増加によりまして、
交通事故の相当ふえてきておるということを書いた表でございます。外国におきましては、ニューヨークのように非常に
自動車が多い町におきましても、千台あたりの死者がわずか〇.四七人でございますが、残念ながら日本では、
大阪におきましてはそれが三・四六人というふうに非常に多いという
状況でございます。
四十ページの表は事故の表でございます。それから四十ページのその下のほうからは
道路の
状況でございまして、四十一ページの右の丸
図表にございますように、市街地の面積に対する
道路の面積というものが非常に日本では少ない。最も世界で
道路の面積が多い、
道路率が一番多いのはワシントンでございますが、ワシントンでは四三%が
道路面積率でございます。ニューヨークで三五%、残念ながら日本ではまだぐっと下でございまして、ここに書きました東京
都心部、あるいは
大阪都心部と申しますのは、
大阪及び東京の一定の
区域でございまして、東京で申しますと千代田区、中央区、台東区、こういう
程度のところを
都心部と称しております。こういうところは割合
道路がよくできております。しかしその付近の郊外を入れますと非常に
道路率が悪くなりまして、東京では一〇%、
大阪につきましても
大阪都心部は東区、西区、南区、北区という
程度の統計を取っておりますが、こういうところは
街路が割合
整備されておりますが、その
図表にございますように一九%でございますが、
大阪全体を入れますとぐっと下がりまして、一〇%未満ということになるのでございます。いずれにいたしましても、比較的
整備されておる
都心部におきましても、こういうふうに低い
道路率でございますので、今後は平面
街路及び
高速道路がふえまして、
道路面積をうんとふやす必要があるということの
図表でございます。
四十二ページはその各区ごとの詳細な
道路率の表でございます。
神戸も大体同様の表でございます。
それから四十四ページの資料は、交差点における
交通の混雑
状況でございます。御承知のとおり
道路交通は交差点におきまして渋滞が生ずる、
道路交通がうまくいかなくなる
一つのポイントでございますので、
大阪における主要交差点の渋滞
状況を示したのがその四十四ページの表でございます。四十四ページにおきましては、交差点の中でどれだけの
交通容量が通っておるかという調査でございます。
昭和二十四年におきましては、交差点総数四十七のうちで、一番多い一万台から二万台通る
程度の交差点が一カ所しかなかったのが、それがだんだんふえてきまして、一番最後の
昭和三十六年になりますと三十九交差点、もちろんこれはおもな交差点でございますが、ほとんど大
部分が左のほうの
台数の多いほうにいきまして、九万台以上の交差点二、九万から八万の交差点が一というふうに、もう相当
台数の多い交差点になってきております。現在の
交通の
状況あるいは
大阪の
道路の
状況から見まして、三万台以上通る交差点はちょっともう
交通上支障があるわけでございますが、そういうふうなものは相当ふえておるわけでございます。
四十五ページには
大阪における最も混雑の多い交差点をあげてみたわけでございます。本町四丁目というのが一番
大阪におきまして交差点の
交通量が多い。これが
昭和三十五年には、九万九千台という多量の
自動車を通過させております。同じような交差点の調査をいたしましたのが四十六ページ、四十七ページの表でございます。
四十九ページには、今申し上げましたようなことで、現在ある
道路構造令によりまして認められた交差点の
交通容量を越えて限界にくる年度を、一応
計算をいたしました。これによりまして
ごらん願えますように、もう交差点によりましてはすでに
昭和三十五年にも限度を越しているのがありますし、あるいは
昭和四十二、三年というころには、相当各種の交差点が限界に達するという
状況が出ております。四十二年ころが一番交差点の
交通限界にきますので、そのころが
大阪における
交通麻痺の最も危険な時期じゃないかという見当をつけたわけでございます。
五十一ページ以下には、こういうふうな
道路の
状況に対しまして、
大阪の
関係者及びわれわれのほうで、
高速道路を立案しようという
考えを持ちまして、検討してきた経過の概況が書いてございます。まず
昭和三十四年に
阪神地区高速道路協議会というものを設けまして、
都市高速道路の
計画を検討してきました。その際には
大阪の府、市、兵庫県、それに
神戸市、近畿
建設局あるいは日本
道路公団
大阪支社、第二
阪神国道事務所というものの
関係者が集まりまして、一応協議会案というものを作ってみました。その協議会案というのが表に書いてございますように、1から9までの
路線でございまして、作られましたときには百四十二キロという相当大
規模な案を一応立案したわけでございます。その当時の案の表が五十二ページに掲げた一応の案でございます。現在われわれが
考えております案は、この協議会で
考えた案をその後さらに検討いたしまして、多少縮小した案でございます。
五十三ページには、そういうふうな調査に関連して
交通関係の調査をした概況でございます。
五十四ページには現在の段階でございますが、結局こういうふうに調査の結果、
高速道路の必要予算及び五カ年
計画……今回の
阪神高速道路公団法を提案するに至りましたが、これを
都市計画として
計画する必要がございますので、現在
大阪府におきまして、
都市計画地方審議会におきまして、
大阪都市計画高速道路技術
委員会というものを設けまして、先ほど
説明いたしましたような案を中心にいたしまして、具体的にどういうふうにすべきかということについて、目下慎重に検討いたしております。この
道路技術
委員会の検討の結果を待ちまして、
都市計画を決定いたしまして、その案に従って工事を進めたいと思っておる次第でございます。
以上簡単でございますが、
説明を終わります。