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国務大臣(
小坂善太郎君) 今度のドミニカの問題は、これは話ができましたのが昭和二十九年でございます。実際に移住を開始しましたのが三十二年からでございますが、その当時の情勢でございますると、
日本が敗戦を喫した、ようやく昭和二十七年に講和条約ができて独立を回復した、そこで何か行き詰まるような
気持から解放感があったところへ、また移住の天地が開けた、しかも
先方では月六十ドルも金を出して、そして国営農場を移住者に開放してくれる、こういう話だというので、非常に解放感から押しかけたわけですね。どうも移住というものはそう簡単なものじゃございませんで、
相当苦労をして初めて成功していくという問題でございます。たとえば、現在ブラジルのサンパウロ等では非常に日系人が活躍しておられるわけでありますが、これも移民史におきましては、全移住者がマラリアのためになくなったというような悲しい事例もあるわけでございます。しかし、われわれは、そういうことを今後の
政策としては見のがすわけに参りませんものですから、とにかくその人たちを国援法の適用で、七千七、八百万円かけ、希望者全体をこちらへ帰すということになっておるわけでございます。大体定住者のうち半分近くが帰ってくるということになっているわけであります。で、私
どもこの反省としましては、やはりその責任体制が不明確だったということがあげられると思うのであります。一応
外務省がやることにはなっておりますけれ
ども、実際問題としまして、最近まで、たとえば地方海外協会等はこれは農林省の所管であって、そうして予算は農林省を通していくというようなことで、やはり中央から末端に至るまで責任を持つのが
外務省であるならそういうふうにしてもらいたいということで、今度三十七年度の予算におきましては、これを
外務省につけていただいたような事情もございまして、その辺が非常にはっきりしなかったということが
一つと思えるのでございます。で、われわれとしては、やっぱり人が向こうに行くのですから、
先方の受け入れ国がその移住者をどう待遇するかという受け入れ国の事情を知ることが必要でございますので、これは
外務省が責任を持っていたそう、今後の反省としてはそういうことにいたしまして、さようきめたわけでございます。
なお、移住に関する基本法がないのです。御
承知のように明治二十七年の移民保護法というのがございまして、これが基本法になっておるわけでございますが、やはり今日の時代に適合したような移住基本法を作りたいということで
考えております。で、先般来移住審議会の人選も、今度一部の
委員を除きまして、変えました。東畑精一博士に
委員長になっていただきまして、ひとつ精力的に、しかもじみちにこの移住基本法の問題をやってもらおうということにいたしておるような次第でございます。