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1962-04-27 第40回国会 参議院 外務委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年四月二十七日(金曜日)    午後一時十五分開会   —————————————   委員異動 四月二十六日委員戸叶武君辞任につ き、その補欠として佐多忠隆君を議長 において指名した。 本日委員佐多忠隆君及び吉田法晴君辞 任につき、その補欠として戸叶武君及 び森元治郎君を議長において指名し た。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     井上 清一君    理事            青柳 秀夫君            鹿島守之助君            木内 四郎君            大和 与一君    委員            苫米地英俊君            堀木 鎌三君            山本  杉君            戸叶  武君            羽生 三七君            佐藤 尚武君   国務大臣    外 務 大 臣 小坂善太郎君   政府委員    法制局長官   林  修三君    外務政務次官  川村善八郎君    外務大臣官房長 湯川 盛夫君    外務省アジア局    賠償部長    小田部謙一君    外務省アメリカ    局長      安藤 吉光君    外務省経済局経    済協力部長   甲斐文比古君    外務省条約局長 中川  融君    大蔵省理財局長 宮川新一郎君   事務局側    常任委員会専門    員       結城司郎次君   —————————————   本日の会議に付した案件日本国に対する戦後の経済援助の処  理に関する日本国アメリカ合衆国  との間の協定締結について承認を  求めるの件(内閣提出衆議院送  付) ○特別円問題の解決に関する日本国と  タイとの間の協定のある規定に代わ  る協定締結について承認を求める  の件(内閣提出衆議院送付) ○海外技術協力事業団法案内閣提  出、衆議院送付)   —————————————
  2. 井上清一

    委員長井上清一君) ただいまから外務委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  本日吉田法晴君が辞任され、その補欠として森元治郎君が選任されました。   —————————————
  3. 井上清一

    委員長井上清一君) 日本国に対する戦後の経済援助の処理に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件、特別円問題の解決に関する日本国タイとの間の協定のある規定に代わる協定締結について承認を求めるの件、以上衆議院送付の両件を便宜一括議題とし、昨日に引き続き質疑を行ないます。  この際、ただいま議題といたしました両件と、昨日衆議院から送付され本付託になりました海外技術協力事業団法案をも合わせ議題にいたしたいと存じますが、本法律案につきましては、予備審査中に提案理由及び補足説明を聴取いたしておりますので、ガリオア・エロア返済協定タイ特別円協定の両件と合わせ、本法律案をも質疑いたして参りたいと存じます。  それでは三案件につきまして、御質疑のおありの方は、順次御発言をお願いいたします。
  4. 戸叶武

    戸叶武君 世界世論核実験再開中止アメリカに対して要望しておったのにもかかわらず、ケネディ大統領は去る二十四日に大気圏内の核実験の開始を許可し、第一回の実験を、日本時間で二十六日早朝、中部太平洋のクリスマス島付近で行ないましたが、わが国世界ただ一つ核被災国として、朝野をあげて実験中止米国政府に要望しておったのにもかかわらず、この再三再四の抗議が遂に無視されるに至ったのでありますが、政府としては、これに対していかなる御見解をお持ちですか。
  5. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 私どもといたしましても、今回のアメリカ核実験再開に踏み切りましたことは、理由いかんを問わず、まことに遺憾千万でございまして、こういうことをやめてもらうようにしばしば注意を喚起しておったのでありまするが、はなはだ遺憾に思っておるのであります。  で、その後におきましても、この核実験につきましては、世界で唯一の被爆国であるわが国といたしましては、どうしてもこれをやめてもらうように、一回すでに行なったのでありますが、これをやめてもらうように翻意を促し、また強く抗議をいたしておるという次第でございます。
  6. 戸叶武

    戸叶武君 これをやめてもらうように翻意を促すということでありますが、ジュネーヴ関係国禁止協定実現のため努力している時期に、一方的に核実験をしたことは、国際的な不信行為でありまして、ソ連が先に実験をやったからとか、あるいはアメリカの主張する査察ソ連が応じなかったからとか、そういう理由だけでは問題にならないと思います。ジュネーヴ軍縮会議を中断させることなく、核実験禁止協定を即座に結ぶよう努力してもらうように、日本政府としては何らかの具体的な手を打つつもりでしょうか。
  7. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 私どもも実はジュネーヴ軍縮会議を成功させる、ここにおきまして核実験停止協定を結ぶということがこの解決の一番のポイントであるというふうに考えております。すでに核実験に対しましては査察の問題が焦点になっておるのでありまして、あらゆる査察スパイ行為であるというソ連考え方と、有効な査察が伴わなければ、停止協定を作っても意味がないというアメリカ考え方対立しているわけでございまして、何かそこに双方から考え方を歩み寄らせる方法はないものかということで、八ヵ国の案もすでに出されているようなわけでございまして、私どもとしては、何らかひとつここに歩み寄り可能性を見出すべく努力したいと考えておる次第であります。
  8. 戸叶武

    戸叶武君 アメリカ実験を即時中止させるとともに、ソ連がこれに刺激されて連鎖的に実験を再開せざるよう、政府としても厳重に申し込んでもらいたいのですが、そこで今外務大臣が言われたように、中立八ヵ国は具体的な案を持って米ソ歩み寄りというものに努力をしておるのでありますが、これに対して日本政府としての態度はどういう態度をもって臨もうとしておりますか。
  9. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) この問題につきましては、われわれ慎重にまだ検討の段階でございまするが、問題は、そうした査察は本来的には核実験を行なう国それ自体が、自分の国のやることのみならず、他国のやることもわかるのであるというソ連考え方と、やはりそうした機関があって査察して初めてそのことが実証されるというアメリカ考え方とが対立しているわけです。中立国案というのはその中間をねらっていくというふうな考え方でございまするが、これが現にそうした査察管理の方式についてのあるものを作る場合に、どういう形のものを作るか、あるいはそれに対して勧告が行なわれた場合に、それを聞かなかった場合にはどういう措置がとられるのかとか、そういった具体的な問題について、もう少し詰めてみる必要があるのじゃないかというふうに思うのでありますが、とにかく、この際核実験をやめるという方向で強く問題を解決すべく努力するという考え方の原則については、私ども非常にけっこうなことだと思っているわけであります。
  10. 戸叶武

    戸叶武君 アメリカの要人の中には、世界世論を無視して、核実験反対運動というものは一方的に偏しているというような感情論を出しておりますが、今までの運動個々の動きのいかんにかかわらず、これは世界的な一つ世論としての強力な背景があるということを、ことさらにアメリカの一部の人たちは無視しようとしておりますけれども、その場合に、先ほど外務大臣が言われたように、中立八ヵ国の中間的な案にしろ、歩み寄りによって問題を解決しよという努力は非常に貴重だと思うのです。この問題で、すなわちこの前の国会において池田さんなり小坂さんは、中立外交なんて一つ幻想だというふうに言い切って参りましたが、この国会に入ると、日本の場合には幻想だが、よその国においてはそうではないというふうに、ずいぶん譲歩してはきたようでありますけれども、今、核の被害を受けた国としての日本の動向というのは世界の注視するところになっているのですが、日本のこの核問題に対する発言というものが、世界の人々が耳を傾けるほど権威化さないのは、その外交の立っている基盤というものが自主性がなくて、そしてややもすれば一方に偏してしまって、アメリカの言うことを聞いては何かソ連にいやみでも言ってくるのではないかという警戒心ソ連にも与えていて、中立八ヵ国が持っておるような外交上における国際部隊の役割というものは日本から消えておりますけれども、この問題についての日本態度というものは明確な態度を持っていってもらいたいので、それにはやはり外交自主性中立外交に対する国際政治の中における理解というものが、もっと池田さんにしろ小坂さんにしても深められなければならないと思いますが、それに対して外務大臣はどういう御見解ですか。
  11. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 私は、外交の方針というのは、やはりその国の置かれておる立場からしまして、その国自身が最もよいというふうな方向できめられるべきものでございまして、いわゆる中立外交をとっておられる諸国においては、それなりにそのことは理由のあるわけなんでありまして、その立場からされる発言というものは、もとより貴重なものを含んだ発言というふうにわれわれ承知いたしまして、その方向で考えておるということであります。
  12. 戸叶武

    戸叶武君 その国の置かれておる立場というものは非常に重要であるということを外務大臣は説かれておりますが、自民党の中においても石橋湛山さんは、今度の中央公論におきまして、日米それからソ連中国平和同盟によって問題を解決しなければならないというまでの、かなり具体的な提唱を行なっていますが、同じ党内の、前に総理大臣をやられた方ですから、先輩に対する敬意を表する意味において、小坂さんもこの意見には、私はよし派閥は違っても、耳を傾けていると思いますが、どういう御見解ですか。
  13. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 私も石橋先生を個人としては非常に尊敬いたしておりますし、また派閥云々という問題は私あまり興味のないほうでございまして、尊敬する方の言説というものは尊敬して拝承しておりまするが、その論文そのものについては、私もよく拝見するひまを持ちませんので、よく拝見してから、意見を述べる機会があれば、申し述べることにさせていただきたいと思います。
  14. 戸叶武

    戸叶武君 今度の論文は非常に心を込めて用意周到に書かれた論文のように思われております。これは石橋さんだけではなく、アメリカにおける外交評論家としての権威者であるウォルター・リップマンのような人でも、明確に米ソ対立、特に太平洋におけるところのテンションというものを融和の方向に持っていくためには、米、ソ、日本中国、この四ヵ国がやはり不可侵の協定を結ぶなり、こういう平和条約を結ばなければならぬというような意見を出しておりますし、最近、私の親しい新進の、どちらかといえば保守的な政治学者ですが、小坂さんと同じような考え方を在来持っておる人でしょうけれどもアメリカウォルター・リップマンに会って、一緒にひざを突き合わせて話を聞いたときに、やはり日本政治評論家やいわゆる外交評論家というものと違って、歴史の流れ背景と哲学を持って、やはりアジアにおける危機をどう食いとめるかということに対しての考えを持っておられるというので敬意を表し、自分考え方もずいぶん変わったと言って報告してくれましたが、私はもっとこの日本外交というものが、総理大臣なり外務大臣においては、外交のテクニックだけじゃなくて、日本はどこへ行くか、世界史の変動に対してどう貢献していくかという、こういうかまえが必要だと思いますが、小坂さんはどういう御見解ですか。
  15. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) やはり外交というものは、私はその国の安全、繁栄という立場から、その国としての利益を守っていく、それをまた増進していくということがやはり主に考えられ、それと、もちろんその同様の次元において世界平和の問題というものも考えていかなければならぬと思っておるのであります。しかしながら、これはやはり世界人類考え方というものもそのときどきで進歩していくものであって、私は人類は決して退歩するわけじゃないと思っておるわけであります。したがって、こうした世界人類の進歩の流れの中で現実をいかにつかんで、先ほど申し上げたような二つの前提を満足させるという方向でどういう態度をとればいいか、どういうふうにそのときの事態を解決していったらいいかということであろうかと考えておる次第でございます。私も及ばずながらその方向で問題を処理して参りたい、こう思っておるわけであります。
  16. 戸叶武

    戸叶武君 昨日の本委員会池田総理大臣は、外交権政府にありという主張を非常に強く述べられましたが、小坂外相から、外交権についての憲法上の解釈を承りたいと思います。
  17. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) この外交権政府が持っておるということは、これは憲法上の規定——七十二条でありますかに、そうなっておるということで、これは当然さようなことだと思うのであります。しかし、もちろん、これは政府外交という問題を処理するにあたりまして、やはり外交本質から来る問題、たとえば相手方と話をしてものをまとめますには、やはり責任のある者がそれを処理しなければできないという問題、それから非常にタイミングという問題が重要であって、そのときどきの判断というものが、大衆討議的なものではなかなか出てこないというような本質から出てくることではないかと思うのであります。しかしながら、それを、政府がそうした外交権によるところの条約締結いたしましたならば、これが国会承認を得なければならないと、こういうふうになっておるのでございまして、この批准が行なわれる事前あるいは事後国会承認を求めるという規定がありますことは、やはり国民の全体の承認を得て外交というものはなさるべきだということになっておるんだと思います。
  18. 戸叶武

    戸叶武君 この憲法第七十三条の二号及び三号についての理解が、どうも最近の池田さんなり小坂さんのやっておる外交を見ると欠けておるんじゃないかと思うんですが、そこに、政府というものが外交権ありというような考え方の上にのみ立って、内閣国会との関係というものが憲法上明確な規定を受けておるにもかかわらず、この国会をないがしろにして政府が独善的に独断専行するような傾きが多いと思いますので、そのことはあとから具体的に述べますがこの憲法七十二条及び七十三条の二号及び三号について、林法制局長官がおりましたら、御説明を願いたいと思います。
  19. 林修三

    政府委員林修三君) 憲法の七十三条第三号、第三号、これはまあ特に御説明するまでもないと思いますが、要するに、一つ外交関係を処理すること、一つ条約締結すること、これが内閣権限であるということを規定したものでございます。まあ今の憲法は、御承知のように、大体いわゆる三権分立建前をとっておりまして、いわゆる行政権というものは内閣責任を持たせるという建前であります。外交あるいは条約締結ということは、やはり行政権に属する。したがって内閣権限です。しかし、これは今の憲法全体の趣旨ごらんになればわかりますように、三権分立建前とはいいましても、アメリカのような完全な三権分立ではございませんで、いわゆる議院内閣制をとっておるわけであります。内閣国会、特に衆議院における信任をその存立の基礎としております。衆議院あるいは国会が常に内閣やり方について批判を加える、そういう立場に立って、いわゆる一般的な判定と申しますか、そういう批判を受けておる、したがって、国会あるいは国会を通じての国民批判のもとに外交をやっていく、こういう建前だと思います。
  20. 戸叶武

    戸叶武君 外交行政権に属するということだけで、国の大事であるところの外交というものは、簡単に憲法形式的解釈で行なうべきことでないことは、憲法七十三条の第三号において特に「条約締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会承認を経ることを必要とする。」、この読み方は、御承知のように、力点は「事前に、時宜によっては」——時と場合によっては——「事後に、国会承認を経ることを必要とする。」というので、ウエートは「事前」にかかっておるのです。ところが、このごろの池田内閣というのは、物価を高くした勢いでもって、すべて高姿勢で、そうして高度成長、何でも高くさえあればいいと思って、外交の仕事も腰高で、腰高じゃ相撲だって負けますよ。そういう形で、政府は、これは外交権を持っているのだから、国会あと承認すればいいんだというようなことで、外に対してはとにかく腰抜けで、内に対しては腰高で、下手な相撲取りと同じですがこういうやり方で国の外交を持っていかれるところに、ガリオア・エロア、それからタイ特別円の問題、もろもろの問題すべてここから起きてきているのですが、この憲法七十三条の第三号について、今度は外務大臣から承ります。
  21. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 現在の池田政府が低姿勢であるということは、これによって非常に名前を売っておることは御承知のとおりでございまして、私はあくまでも国内の問題については姿勢を低く、いろいろ御相談をしながらやっていく所存でございます。ただ低姿勢ということは、何もむずかしい問題をよけて通るのじゃないのでございまして、むずかしい問題も腰を低くして、あくまで丁重に所信に向って邁進するということであるべきだと存じております次第で、これは外に対しても同様でございまして、あくまで丁重かついんぎんに、しかも、所信に向ってはあくまで強力に終始いたしますということでやりたいと存じておる次第でございます。  七十三条の後段の第三号の解釈でございますが、私ども条約締結するということは、条約締結され、批准がかわされる、条約が効力を発生する、このことの以前に国会承認を求めるという意味ではなくて、批准が行なわれたあとでも、「時宜によっては」——場合によっては批准が行なわれたあとでも国会承認を求める、いずれにしても国会承認を求める、こういう意味であると思います。
  22. 戸叶武

    戸叶武君 この三号をよく理解すればわかりますが、国の外交政策は、議院内閣制の国においては、できるだけ超党派的に諮らなければならないというふうになってはきているが、日本において与野党の対立というものが非常に激しいのは、その基本的な世界観に若干の相違もありますけれども、抽象的なイデオロギーの問題だけでなくて、個々外交上の問題にぶつかって、政府がこれを国会に諮って、事前にその内容をあるところまで示し、その方向について国会側了解を得るなり、あるいは政党間の話し合いをするなり、そういう順序を経ないで、吉田内閣時代の戦前の宮廷外交官の悪い流れ流れていて、外交というものは秘密で、国民にはわからせなくていいのだという考え方がこびりついているものだから、外交のほうは政府のほうにおまかせ願います、まかせておると、経済のことでも何でもむちゃくちゃにするから、外交の問題でも池田さんにはやはりまかせられないのですが、このガリオア・エロアの問題にいたしましても、今までのこういうふうにこんがらがってきてしまったというのは、占領下における吉田内閣時代からのこの秘密外交というもので、政府だけがのみ込んだのかのみ込まないのか、暗黙の間の取引を行なっていて、そうしてこの国会を無視し、今日まで、このどたんばまで引きずってきたから、ここでもっていろいろ問題の紛争が沸いておるのですが、現在このガリオア・エロアの対日援助につきまして、国民感覚政府感覚とが対立しているのは、国民の多くというものは、何といっても、これは日本が困っているときにもらったのだ、贈与である、だから国会ですらも感謝決議をしたのだ、だのに、今度突然政府のほうが債務であるという結論を出して、そうして四億九千万ドル支払い協定承認を求めるという態度は、もらったものに対して感謝し、あるいは場合においては何らかのお返しをするということも道義的な一つやり方かもしれないけれども、この順序が筋が通っていない。そういうところに私は非常に問題があるのだと思いますが、政府も、池田内閣になってからは「債務と心得る」というような表現国民を何とか納得さして、そうして国会承認を取りつけようとしておるようでありますが、この政府が公式に、「債務と心得る」というのを明確に打ち出したのは、いつからですか。
  23. 林修三

    政府委員林修三君) まあ今「債務と心得る」という言葉国会における答弁で使われましたのは、私の知る範囲では、昭和二十五年ころだと存じます。二十五年の三月ころの衆議院あるいは参議院において、当時、池田大蔵大臣でございましたが、そういう答弁をしておられます。ただしその前においても、ガリオア・エロアの問題が国会で出ましたことはあるわけで、御承知のように、二十四年の四月に、いわゆる阿波丸協定が結ばれましたあと当時の吉田総理国会において、国会の、両議院決議趣旨に従って報告をしておられます。その報告のときに、このガリオア・エロアの問題に言及しておられることは、御承知だと思います。
  24. 戸叶武

    戸叶武君 今、林法制局長官が言われたのには、昭和二十五年三月ころから池田さんがそういう表現をした、その前には昭和二十四年四月十四日の阿波丸協定の、阿波丸請求権の放棄に関する日米協定附属了解事項としてそれを国会報告したときに、吉田さんがそういうようなかまえで報告をされたと言っておるのですが、この附属了解事項内容を読んでみますると、「借款及び信用は、日本国米国政府に対して負っている有効な債務であり、これらの債務米国政府の決定によってのみ、これを減額し得るものであると了解される。」、こういう文字の表現になっているのですが、「了解される。」というのは、しまいのほうにくっつけたのであって、「有効な債務である」というふうに政府みずからがこれは附属了解事項であるからといって断定しておるのですが、こういうふうにこの外国と取りかわした文書の中において、「有効な債務である」というふうに断定をしておきながら、それは了解事項としての「有効な債務である」という断定であって、それは厳格な意味においては「債務と心得る」という内容だというふうな解釈政府はしておるでしょうか、これは外務大臣なり、法制局長官に。
  25. 林修三

    政府委員林修三君) このいわゆるガリオア・エロア問題のそもそもの根拠はこれは何回かこの委員会でも出ておりますと思いますが、二十一年の七月のスキャッピン一八四四が一つの基本でございまして、そのほかにもいろいろスキャッピンはございますけれども、それで二十四年の四月の阿波丸協定でこの了解事項がついておるわけでございますが、そのときの吉田総理国会における報告を見ましてもわかりますとおりに、これは、別にこのときに新しく債務と確認したわけではないということを言っておられます。とにかくああいうものについてはもらったものというような誤解があるので、そういうものではないということをはっきりさせただけであるということを言っておられました。創設的な問題ではないということをまず言っておられます。だから、この了解事項は、あくまで「了解される。」、でございまして、ただいま戸叶先生債務云々と言われましたけれども、この「了解される。」という言葉は全体にかかるわけでございます。これは英文をごらんになりましてもわかるのでありまして、イティ・イズ・アンダストゥッズという言葉は全体にかかって参りまして、したがってそういうことであるということをお互いが了解し合った、要するに、従来からそういう債務的な性質を持っておるということで、また、アメリカアメリカとして有効な債務自分のほうの一存によってのみ減額されるもので、そういう性質であるということを了解し合った、そういうものでございます。創設的なものではないとわれわれは考えております。
  26. 戸叶武

    戸叶武君 この債権債務というものは、一方的な考え方で押しつけられるものではないのでありますので、このスキャッピンとかその他の資料とかいうものは、参考資料として政府が出した程度であり、われわれも参考資料としてこれに目を通す程度の権威しかないと思うのですが、池田総理大臣衆議院段階における答弁において、私が債務と心得ると昭和二十四年以来申しておるのは、昭和二十一年にマッカーサー司令官より内閣に出された覚書と昭和二十四年四月両院で可決された同文の決議により、政府アメリカ政府協定を結び、そうしてこれを国会報告した、したがって、この協定は効力あるものと私は認める、こういうふうに答えているが、何が効力があるのです。ただ国会報告したというだけで、効力ありということを内閣総理大臣断定しておりますが、外務大臣も御同様な御断定ですか、これは速記録にありますが……。
  27. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) この阿波丸協定に関しましては、昭和三十四年に国会内容を明示しまして、かくかくいう内容協定を作れという御決議がございまして、政府はその御決議によって授権されましたことに基づいてこの協定を作り、了解事項を作ったわけでございます。したがって、院の意思に従って授権されたことに基づいて、政府のなした行為でございますから、報ずれば、それでもちろん有効であるというふうに私も考えております。
  28. 羽生三七

    ○羽生三七君 関連して。その阿波丸協定附属了解事項の中の「債務と心得る」という点は、あれですか、憲法八十五条を念頭に置いて、事前にそういうことを債務と決定的に確定してはいけないので、「心得る」という表現にしたのか、その辺の事情はどうですか。
  29. 林修三

    政府委員林修三君) 私、当時の事情をすべて知っておるわけではございませんけれども、これは結局何回かここでもお答えしておりますとおりに、ガリオアあるいはエロアの本質は、実はスキャッピン一八四四にありますように、要するに、これはアメリカとして贈与ではないということははっきりしております。「返還、支払いの条件及び計算は追ってきめるであろう」という言葉で、その言葉から出てくることは、将来返済を要することあるべしということでございます。そういう性質のものが、つまり二十一年に、当時の占領軍司令部覚書として日本に来ております。そういうことを了解して日本政府は品物を受け取っておる。そこで、そういう法律関係は成立しておるわけでございます。それが当時において、これは旧憲法時代のことでございますが、旧憲法下において、一体行政府限りでできたことか、あるいは占領下という特殊事情によって直ちにそういうことが発生することか、あるいは当時の帝国議会の承認を要することかという問題はございましょう。そういうときにきまった法律関係で、それを、実はそういうものだということをこの二十四年の阿波丸協定では引用しているだけで、ここで新しく債務と確認したというものではない、かように実は総理も言っておられます。したがいまして、当時新しく確認するとすれば、当時の新憲法に基づいて、あるいは八十五条という問題は起こりますけれども性質は実は前からきまっていることで、問題も旧憲法時代のことで、しかし、それが旧憲法時代でありましても、確定的な債務でないということは、スキャッピンの文言からもわかります。当時においても帝国議会の承認を経べきような事項ではなかった、私どもは、そう考えております。
  30. 戸叶武

    戸叶武君 池田さんの速記録を見ると、答弁は、政府アメリカ政府協定を結び、そしてこれを国会報告した、したがってこの協定は効力あるものと私は認める、こういう答弁です。国会報告しただけでもってこれが効力あるというのでは今羽生さんが指摘したように、憲法第八十五条というものは空文化されるのじゃないですか。「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。」、「国会の議決に基くことを必要とする。」という憲法第八十五条の明確な規定があるのに、これを無視して、国会報告した——冗談じゃない、切り捨てごめんですよ。こういうふうな越権行為が積み重ねられてくるところに、いつの間にか外交政府にあるのだという池田の高姿勢の淵源というものはこういうところから出てくるので、国会をないがしろにしたものだと思うのですがこういうふうに、報告すれば協定は効力あるものと私は認めるというような内閣総理大臣答弁というものは、そのままにしておいてよろしいのですか。
  31. 林修三

    政府委員林修三君) ただいまの総理の答弁でございますが、前後の関係をちょっと私も記憶しておりませんが、これはいわゆる阿波丸協定のことについて言われたことだと思います。
  32. 戸叶武

    戸叶武君 そうです。
  33. 林修三

    政府委員林修三君) 阿波丸協定は、当時の衆議院、参議院において決議がそれぞれございまして、これこれの内容の問題についてアメリカ政府協定を結んで国会報告すべし、そういう決議でございます。その内容に従って協定を結んで、それを国会報告した、したがって、これについては当然国際取りきめとしての有効な効力がある、そういう趣旨を言われたものだと思います。ただ、その了解事項があるわけでございますが、池田総理は、その了解事項があるから債務になったのだ、そういうことを言われたのでは私はないと思います。それはいわゆる了解事項了解事項であって、債務と確認したものでない、「債務と心得る」という従来からの性格のものをただここでもう一ぺん引用しただけだ、そういう趣旨を言われたので、この了解事項があるから憲法八十五条の承認を得ているのだと、そういう趣旨で言われたのではないと私は心得ております。
  34. 戸叶武

    戸叶武君 外務大臣からお答え願います。
  35. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 私も、全く同様な見解でございます。
  36. 戸叶武

    戸叶武君 同様じゃわからない。外務大臣の御見解を承ります。
  37. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) ただいまの戸叶委員の御質問は、池田総理の答弁に関連して、これは阿波丸協定のことを言ったのではないかと私も思うのでございます。したがって、阿波丸協定については、昭和三十四年国会の両院の御決議によって、かくかくいう内容のものをアメリカと交渉して協定を結んで、そうしてこれを国会報告すべしと、かような御決議がありましたので、政府はその御決議趣旨に沿うて協定締結してこれを国会報告したということでございます。附属了解事項は、これについては従来からあった考え方スキャッピン一八四四に言われておるところの戦後の対日援助についての考え方というものを、ここに附属了解事項として、国会報告する際に、さらに従来から言われていたものをまた述べたと、かようなことだと思っておるわけであります。したがって、そこに新たに附属了解事項によって債務が発生した、こういうことではないというふうに思っております。
  38. 戸叶武

    戸叶武君 了解事項という名のもとに、昭和二十四年に、政府がこれは「債務である」というふうに既成事実を作っておいて、今ごろになって国会承認を得るというところに時間的にいっても——先ほど外務大臣タイムリーと言うけれども、時はもっと貴重なんです。この間に施すべき順序を施さないでいるから、非常に問題がこんがらがってきていると思うのでありますが、この阿波丸協定が行なわれたのは四月ですが、その年の十月十九日に、ときの佐藤大蔵大臣は参議院の大蔵委員会で、明確な債権債務関係が生じているものではない、また贈与と心得るものでもない、文字どおり債務と心得るという言葉が当てはまるが、贈与とも債務ともはっきり言い切れない、そこに交渉の余地があるのではないかと、こういうふうに答えております。当時の内閣の閣僚の統一的な見解と思いますが、阿波丸協定ですべてこの線が引かれたように今外務大臣はお答えしておりますが、阿波丸協定が行なわれた後の十月十九日に佐藤大蔵大臣は、これは債権債務関係が生じているものでもない、また贈与と心得るものでもない、文字どおり債務と心得るという言葉が当てはまるが、贈与とも債務ともはっきり言い切れない、そこに交渉の余地があるのだと、いかにも思わせぶりの答えをしているので、これは政府国務大臣がこのような答弁をしておるのに、国民がこれをどうして割り切ることができますか、だから言うのです。いつから割り切ったのです。その「交渉の余地がある」という「交渉」の過程において、私は割り切ったのだと思いますが、いかなる交渉過程において「債務と心得る」というふうに割り切ったのですか。
  39. 林修三

    政府委員林修三君) ただいま戸叶先生が二十四年十月とおっしゃいましたのは、三十四年十月だと思います。佐藤大蔵大臣は三十四年十月じゃないかと思います。三十四年当時は池田大蔵大臣でございます。それで、いずれにいたしましても、先ほど申しましたように、阿波丸協定債務は確定したということは政府は一言も今まで言ったことはないわけです。先ほど申しましたように二十五年三月ごろから当時の池田大蔵大臣債務と「心得る」という言葉を使っております。で、阿波丸協定締結される、あれは前日だったと思いますが、二十四年四月に衆議院だったかの大蔵委員会で、当時見返資金特別会計法案が出たときにおいても、やはりこれはまだ未確定の問題であって、平和条約で決定されるであろうということを答えておられるわけであります。つまり、阿波丸協定附属了解事項に載ったので、確定的な債務と確認したということはないのです。その後の状態がいわゆる「債務と心得る」という状態であります。それが二十九年以来のいろいろ交渉がございまして、特に昨年の春以来の交渉によって四億九千万ドルという債務とはっきりさして、これの支払いについて国会承認を得る、こういうのが今までの過程だと思います。
  40. 戸叶武

    戸叶武君 二十五年ならなおけっこうなんですが、今の答弁におきまして、「債務と心得る」というのを政府側ではっきり決定したのは去年からのように今度は答弁されたような形ですが、どういう交渉の過程において政府がはっきりとこの「債務と心得える」と割り切ったのですか。その割り切って出たときの動機、その踏み切って立ち上がったときの動機——これは相撲でも大切ですから。
  41. 林修三

    政府委員林修三君) さっきから何回もお答えいたしましたが、「債務と心得る」という性格は、もう二十一年のスキャッピン以来の問題でございまして、それを国会ではっきり言ったのが二十五年の三月。「心得る」という言葉を使ったのがいつかとおっしゃいましたが、国会でそういう答弁があったのが二十五年の三月でございます。衆議院の予算委員会等においても、当時大蔵大臣は今の総理でございましたけれども、そう言っております。しかし、それのときに初めてそうなったわけじゃもちろんないわけで、その性格は、先ほど申しましたスキャッピン一八四四からきまっている法律関係をそういう言葉で表わしたということだと思います。したがって、「債務と心得る」という状況は、ずっと今回の返済協定ができるまでは続いていたわけでございます。その返済協定において、そのうちの約四分の一でございますか、強のものをはっきりした債務に確定しよう、そういう交渉が行なわれた、こういうことだと思います。
  42. 戸叶武

    戸叶武君 議院内閣制における国政の運営というものは、形式が非常に大切なんです。前からこれはもう種を宿していたのだから、できた子供はしようがないという論理は成り立たないので、いつその子供が生まれたか、その日付がやはり必要なんで、どういう動機でやはり子供が生まれたかというようなことが、やはりこの筋目を正しゅうする意味において必要なので、前にどういう因縁があって、こういう因果によってこういうことになったんだというその事情は、あとから聞くにしても、その「債務と心得る」という統一的見解に公式に政府が踏み切るのには、閣議なり何なり行なって、そのスタートを切ったと思うんですが、それはいつですか。
  43. 林修三

    政府委員林修三君) まあ私先ほど申しましたように、二十五年の三月に衆議院の予算委員会において……。
  44. 戸叶武

    戸叶武君 三月幾日ですか。
  45. 林修三

    政府委員林修三君) 三月二十二日でございます。衆議院の予算委員会において当時の池田大蔵大臣が、われわれは債務と心得ておるのでありますということを言っておられます。その前の二月には、債務と考えておりますということを言っておられます。しかし、「債務と心得る」という言葉それ自体が出ましたのは、二十五年の三月でございます。で、当時私、実はもちろん閣議に列席したわけでもございませんから、当時のいきさつは存じませんけれども、しかし、先ほどから申し上げましたとおりに、これは別にそのときに性格がきまったわけでも何でもないので、三十一年のスキャッピン日本が受領して、そういう条件のもとにこのガリオア・エロアを受け取って以来の法律関係はそういう法律関係でございます。そういうことをこの際に質問に応じて答えられた。こういうことだと私は思っております。
  46. 戸叶武

    戸叶武君 だから、私は先ほど佐藤大蔵大臣の答弁を引用しているわけです。池田さんが二十五年の三月——二十五年ですか、二十五年の三月に「債務と心得る」と言ったと言うけれども、佐藤大蔵大臣は二十五年の十月十九日に……(「三十四年です。」と呼ぶ者あり)これは、いや、法制局長官が二十五年と言っているから……(「池田さんはそうなんです。佐藤さんは……」と呼ぶ者あり)速記録を持ってきているのですが……(「二十五年には大蔵大臣じゃないですよ。」と呼ぶ者あり)二十五年じゃない。ああ三十四年か。四年の十月十九日に言ったのに、贈与とも債務ともはっきり言い切れない、そこに交渉の余地があるという答弁をしているのですね。これは速記録ありますから、とにかくきょう持ってきておりますから、参考に必要なら資料として差し上げますけれども、こういうような食い違いはどうして起きているのです。
  47. 林修三

    政府委員林修三君) その答弁の速記は私は拝見はいたしておりませんが、先ほど戸叶先生がお読みになったところから申しましても、それはやはり「債務と心得る」というものだということを言っておられると思います。したがって、決して政府答弁が食い違っておることではない、かように私は受け取ったわけでございます。
  48. 戸叶武

    戸叶武君 都合のいいところだけつまみ食いしないで下さい。(笑声)その債務と心得るという言葉に当てはまるがというが、その内容規定は贈与とも債務ともはっきり言い切れない、そこに交渉の余地があるのです、というのにウエートがかかっているのですが、どうもあなたはその都合のいいところにばかりウエートをかけちゃいますけれども、これはどうなんです。
  49. 林修三

    政府委員林修三君) その「債務と心得る」というのはつまり、ガリオア・エロア全額が確定債務という意味ではもちろんないわけでございまして、これは将来、阿波丸の協定の附属交換公文によれば、「米国政府によってのみ減額される」、つまり米国政府の意思によって減額されるという性格のものでございます。そこに米国政府の意思を促す意味において交渉の余地はもちろんある、そういう性質のもので、いわゆる十五億か十七億全額が日本債務になるというものではない、それを相当減らし得るものである。それからもちろんガリオア・エロアの中には初めから贈与であったものも若干含まれております。そういうものである。したがって、それは交渉によって初めて幾ばくの債務になるかが確定する、そういう趣旨で私は当時の佐藤大蔵大臣は言われたものだ、それを前提として池田総理の「債務と心得る」という表現は、そういうことを含んで言われたこと、かように考えております。
  50. 戸叶武

    戸叶武君 この「債務と心得る」というのは、どうもいろいろにひっかかりがあるのですが、去る二月六日の衆議院の本会議での戸叶代議士の質問に対しても小坂外相はこの協定の覚書の事項の中で債務となる性質を持っていることは双方で了解した、まあ取りつけたと言っているし、それから当時の吉田総理大臣も、現在の池田総理も、債務断定している。アメリカ側に対して債務断定しておりながら、国会報告では「債務と心得る」という報告ですが、もう向こうのほうを向いちゃ債務だということをはっきり言って、こちらのほうには、何かもう少しまだ形式は整っていないのだからというので「債務と心得る」という、こういう表現は、要するに、事後国会承認を取りつける場合に、承認を得さえすればそのとたんに債務になるのだという、非常に憲法解釈が官僚特有の形式主義であって、この国会了解というものを今まで十分取りつけておかないで、アメリカ側の了解はもう昭和二十四年ですかに取りつけちゃっておいて、そうしてこっちのほうはあと回しにして、多数を持っているのだから、まかり通ってしまえば、そのとたんに自動的に債権になるのだ、「債務と心得る」というのは、びたっとボタンを押しさえすれば債権になる。そういう国会運営における多数決主義の安易なる力を基礎とした国会無視の風潮が、吉田内閣から今の池田内閣に至るまで、この歴代の官僚内閣によってこういう弊風が積み重ねられているのですが、小坂さんは官僚上がりじゃないようですけれども、こういうやり方外交はいいのですか。
  51. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 実はこのガリオア・エロア解決の問題につきましては、この国会でこの協定が御承認をいただいて、そのことに基づいて両国が交換文書を交換するわけでございますが、そのときに債権債務関係が発生する、法律的にはさようなことだと思うのであります。で、国会に今御審議をいただいておりますのは、そのことがいいか悪いかということについて、そういうことになりまする事前にこうして御審議をいただいておるのでございまして、決してその官僚主義でも何でもない、議会主義の国がとっておりまする、一般に外交案件についてとっておりまするやり方と少しも変わらない一般の形であると考えております。
  52. 戸叶武

    戸叶武君 この点が、やはり先ほど羽生さんも指摘したような憲法八十五条にもひっかかってくることでありまして、私はこの国会承認を得なければならぬというところに重点があるんだが、事後承認を得れば、どんどん政府は先に独走してしまっていいというような今までの外交やり方というものは、議院内閣制というものを口にしながら、とにかくこれを翼賛議会にしようというファッショ的なやり方なんです。こういう形でもって一つの国の大事であるところの外交というものが運営されるということは、まことに嘆かわしいのであって、この点は私は池田内閣に強く反省を求める次第であります。しかも、この阿波丸事件の感謝決議に便乗して、国会了解を経たという名のもとに政府は勝手にアメリカ側と協定を結んで、それが池田さんの言うような、これで効力があるのだというこのやり方というものは、全くこれは昔のやくざがやる取引みたいなもので、とても油断もすきもあったものじゃない。うっかり感謝決議なんかするとどういう了解事項を取りつけるかわからない。こういう点はもうこりましたから、今後国会も十分道中で変なまねをされないように注意しなけりゃならぬと思いますが、それからガリオアの問題につきまして、米国の戦後対日援助の処理はまあ西ドイツでもやったのだから、それにならって日本もこれにやらなけりゃならぬというような政府側の答弁で、まあアメリカアメリカというが、日本人のアメリカはだいぶ不信感を買っているので、まあ西ドイツがやったのだから、日本もやってもいいんじゃないかというような、なかなかうまいP・Rで持ってきているのですが、これは西ドイツだけでなく、戦後の占領政策のもとにおける経済援助というものは、オーストリアもイタリアもその他ずいぶん各国が、中国もなされたのだと思いますが、この西ドイツと日本にしぼられているのはどういうところに原因があると思っていますか、外務大臣
  53. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) このガリオアの問題について解決を要する問題だということは、これは占領の直後に、まだガリオアができる前に、プレ・ガリオアというのがございましたが、そのときからスキャッピンで支払い方法や受け入れ方法は後日決定するということになっておりまして、政府はそれを承知で受領しておりますので、今日のような解決はいつかはしなけりゃならぬ、かように考えておるのであります。西ドイツもさような考え方で、今から九年前に解決をしたわけでございます。それで日独がなぜこういうふうな立場になっているかということでありますが、まあ旧連合国に対して敵対関係にあった国、こういうことでさようなことだと思います。それからイタリアとか、あるいはオーストリアとか、あるいは韓国とか、いろいろございますわけでございますが、イタリアの場合は三国同盟という関係もございましたけれども、イタリアのバドリオ政権が連合国側に寝返りまして、その大戦の終結当時は連合国側にあった、こういう状況にあるということが理由だと承知しております。なお、援助物資の金額も四億ドル台でございまして、全体非常に少ないのでございます。
  54. 戸叶武

    戸叶武君 これは第一次欧州大戦ののちにおいても、勝った国が負けた国からいろいろな賠償をむさぼり取ろうというような形でいったので、ドイツの復興もおくらせ、しまいには結局たいして何も取れないで、ロカルノ会議を見ても、ドーズ案、ヤング案というような形で、結局勝った国がそう無法なことはできなかったのですが、やはりアメリカとしては日本なりドイツから被害を受けている国々がだいぶあるので、第一次世界戦争のあとの終戦処理の段階のように非常に困ったような事態が起きてはいけないから、とにかく優先的な債務はわれわれが持っているのだぞというかまえで、牽制球としてそういう表現を使ったと見られる事態が非常に多いのでありまして、その点も非常にアメリカ側としても、この戦争が終わってから後の世界政策が三段階ぐらい大きく変わっているので、その段階々々を見なければならないのですが、日本はどうも今度のガリオア・エロアの問題を見ても、あちらまかせで、負けたのだから仕方がないという考え方かもわからぬが、何らの取りきめ、あるいはドイツのように自主的な取りきめもやらないで、あちらまかせにして、アメリカさんの言うとおりにいくのが、これがさむらいの道だ——吉田さんのさむらいの道は、ずいぶん日本の武士道の骨がなくなったさむらい、骨抜きさむらいですが、こういう情ないさむらいの道を今歩んでいるのですが、私はやはり債権債務、貸借関係の行為というものは、けじめが必要だと思うのです。段階々々のけじめが必要だと思う。そういうことをしないで、どんぶり勘定でやって、終戦後来ているいろいろな新聞記者や何かの日本の印象記を見ましたが、アメリカが、ともかく占領軍が日本に及ぼした被害というのは、いいこともあるが、悪いことがずいぶん多いのですから、日本が食うや食わずにいるときに、ゴルフ場を作れとか、家はこんなじゃだめだ、じゅうたんを持ってこい、高いじゅうたんでなければしない。それはアメリカだけでなくて、日本だって中国では悪いことをやっているので、お互いに戦争になればやる罪悪でしょうが、アメリカだけが悪いことをやったのじゃないのだが、しかし、そういうことをみんな負担している。全部かぶっているのです。それなのに、アメリカさんの言うことは御無理ごもっともで古証文を生かす、古証文がなくても向こう様の言うことは何でも承知しますという態度は、日本外交自主性がないと思いますが、ドイツがどうのこうの言いますが、ドイツよりも日本が低いのだ、高いのだと。——低いのだ、高いのだじゃなくて、ドイツの外交にはけじめがある。折り目正しい外交が行なわれている。日本のほうは全くそういう折り目正しい外交がなされていない。その原因はどこにあったのですか。これは小坂さんだけの罪じゃないが、あなたもかぶって下さい、少しは。
  55. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) ドイツの場合はこれは御承知のように、四ヵ国が占領行政をやったわけでございます。そのうち米英仏の三ヵ国の地域に分れておって、そこに援助物資が放出されたわけでございますが、それを受け取るドイツ国の側におきましては、いわゆる地方政権であったわけです。そこで、一九四九年にアデナウアー政権ができまして統一政権ができました機会に、これをひとつ確認しておこう、こういうことで協定ができたということを聞いております。一九五一年のこの債務支払協定というものはそこでひとつ今までのは請求権を構成するのだ、こういう協定ができましたわけでございます。われわれのほうは幸いにして、社会党内閣もございましたけれども、ともかく自由民主党内閣あるいは社会党内閣、あるいは自民党内閣ということで、一国一政府責任を持つ政府が継続しているわけでございます。したがって、そこに差異が生まれたかと考えておるわけでございます。ドイツの側においては、やはりそういう協定を結ぶことによってドイツ政府の主体性がそこにできてくるということで、非常に協定を結ぶことを歓迎されたという事情もあるようでございますし、それから当時フランス地区、イギリス地区、これらもやはり援助物資をそれぞれ英仏の関係で受け取ったものは、そのうち七五%は返還をした、こういうことでございます。アメリカの場合は三三・一七八%を返還するということで、これは非常に寛大だということで、当時共産党だけが反対しまして、社会党系統の方も全員賛成してこれを通過された。その後共産党は西独ではなくなってしまった。こういうことになっておると聞いております。われわれは相当この交渉については、いろいろな経緯を経たのでございますが、かなり強硬にものを申すべきものは十分申したつもりでございまして、今回の協定におきましては、アメリカのある有力な議員はこれは日本のほうがドイツに比べてあまりに有利じゃないかという演説をしたということも新聞にいつか出ておりましたくらいで、これは相当私どもは骨はあったつもりで考えております。(笑声)
  56. 戸叶武

    戸叶武君 アメリカの議員がそういうことを言うのは、この実態を知らないからです。日本のわれわれですらも実態がわからないようにこれは仕組まれているので、いろんなからくりがこの中に入っているので、知らない人がほめたってこれは何にもならないので、何ら権威がないのです。それでこの一九四七年の六月十九日の極東委員会の降伏後の基本政策なるものが「日本国の輸出品の売得金は、国民の最低生活水準を確保した後、占領に必要な非軍事的輸入であって、降伏以来すでに行なわれていたものの費用に対し支払いをするためにこれを使用することができる。」ということがあるということを、政府も資料に出しておりますが、この連合国最高司令官のマッカーサー元帥は、一九四六年の九月に米国議会に、これより先ですが、米国議会にメッセージを送って、「日本の輸出による収入は米国の援助資金に対する債務を履行するに十分となるはずである」と述べておりますが、ここで問題になるのは、この「日本の輸出による収入は米国の援助資金に対する債務を履行するに十分となるはずだ」と言っていますが、その当時の貿易の実態はそういうふうになっていたのでしょうか。
  57. 安藤吉光

    政府委員(安藤吉光君) 今のマッカーサーの話でございますが、この思想といたしましては、要するに、ガリオア等の対日援助というものは日本に対して優先的に確保される債権であるという思想を述べたものだと、こう解されます。  当時の外国貿易、一般商業貿易は、御承知のとおり、総司令部が管理いたしておりました。当時の資料、私持っておりませんが、記憶いたしておりますところでは、輸入が約十一億で、輸出がたしか五億だったかと存じます、あるいは数字が違っておりましたら訂正いたしますが。こうして輸出入がアンバランスになっていたわけでございまするけれども、実際は、この援助物資というものがいわゆる外貨を払うことなくして入って参りました。いわゆる援助物資を入れました輸入全体が輸出よりもはるかに上回っていたということは、すなわち援助物資だけがいわゆる現実に外貨を払わずに入っていたということを示すものでございます。で、ちょっと言葉が足りませんでしたが、いわゆる何と申しますか、対日援助を除きましたいわゆる一般の商業、——ここに正確な数字がございまするから、輸出が六億五千、これはちょっと時期をはっきり申し上げるのを忘れましたが、終戦直後から昭和二十四年三月まで、すなわち見返り資金を積み立てますまでのいわゆる合計でございます。これによりますと、輸出が六億五千四百九十万ドルになっております。輸入が、先ほど私ちょっと数字を不正確に申し上げましたが、輸入は援助物資が十一億九千七百万ドル。これには外貨は払っておりません。対価を払っておりません。一般の商業物資の輸入が五億四千三百九十四万ドル、合計いたしまして約十七億四千万ドルということになっております。これでごらんになりましてわかりますように、援助物資を含んだ輸入は総額で十七億というのに対しまして、日本の輸出は六億しかなかった。これはその十一億という対日援助の物資が、要するに外貨なしに入れ得たということによるわけでございます。
  58. 戸叶武

    戸叶武君 今の答弁は、マッカーサーの昭和二十一年九月のメッセージじゃなくて、その翌年の一九四七年二月二十日、米陸軍省の要請に基づいて米下院に送ったメッセージからの引用です。私がその一九四六年九月のメッセージを引用したのは、終戦のあとにおけるかまえというものは、「日本の輸出による収入は米国の援助資金に対する債務を履行するに十分となるはずだと、そういう方向一つ日本経済復興なり貿易を指導しようとするかまえであったのです。ところが、その翌年の二月二十日、米陸軍省の要請に基づいてアメリカ下院に送ったマッカーサーのメッセージは、米国予算からの支出は、日本債務となるが、これは第一義的優先債務として補償されなければならない、援助は慈善事業ではない、こういうふうに述べているのです。そこに同じマッカーサーのメッセージでも年代の段階において——だから、もう時はあまりずらしちゃだめなんです、その段階々々でびしっとした一つ姿勢というものは変わってくるのですから。アメリカにおきましても国内の納税者から不平不満が起きたのは、アメリカの防衛ということ、何としても、戦争に勝つと、軍部というものは言うことを聞かなくなるのです。あぐらをかいてしまっている。占領地に長くいる。そうすると必ず堕落する。ローマが滅んだのも、シーザーが遠征して、そうしてアントニオなんかがクレオパトラにほれちゃったりして、そうしてエジプトで占領軍が堕落しちゃった。こういうふうに、どこの国でも、大体外征でもって戦争に勝って、占領軍というのは、よその国にやっておくと堕落するのです。そういう悪いことをやるわけです。日本だけでもないわけです。アメリカの軍部でも同様です。それだから、税納者の金をむだづかいされちゃ困るということがアメリカ世論の中から出てきた。それに対する弁解として、今度自分のところのほうが文句を言われているのだから、それを問題を転嫁して、これはこうこうこういうわけでやるので、あとから日本から取ってやるのだから心配するな。——アメリカ世論は、私は三回ほどアメリカに行き、各界の人に会いましたが、とにかく戦争をやってみたが、日本とドイツはなかなか強い、あの三つはどんなことをしても離さない、そうでなければとにかくソ連、中共には対抗できないということが基本で世界政策を押し進めておったのですが、その中において、こういうふうに、取れるところから取ってやれという思想にだんだん変わってきたのですけれども、こういうふうに、今の報告は結局終戦後から昭和二十四年三月までの輸出入のその実績の報告だと思いますが、昭和二十一年度にマッカーサーが考えたような意図と違って、日米貿易というものはアンバランスになっていた。アンバランスになったことを、ここでこまかい数字をあげなくても、どうも衆議院段階でもだいぶ政府はこれには答弁に苦しんだようですが、アメリカの占領政策というものが、この為替レートがまだ十分定まっておらないようなときに、日本のほうから買うものは半値ぐらいでやって、そしてアメリカには三倍、四倍でアメリカへ持っていって売りつける、アメリカから買うものはその逆に非常に高く日本が買うように、しかもアメリカの意思でもってそれを日本は買わざるを得ない、こういうえこひいきのあるところの占領政策というものが日本の貿易というものをアンバランスにし、しかも戦前持っていた日本の貿易構造というものはアメリカとは三〇%程度、中国なり東南アジア諸国とは三、四〇%、その他ヨーロッパその他というふうに一つの均衡のとれた貿易構造というものが、アメリカの占領政策によって、ほとんど九〇%近く、アメリカの言うなりに従ってこいというふうにされてしまった。非常にゆがめられた占領政策の結果というものが貿易面におけるアンバランスとなって日本は非常な犠牲を払ってきたのです。アメリカに感謝する面もあるが、アメリカの占領政策の中においてはずいぶん手前勝手なことがあるので、そういうところに、国民感情としては、その期間に十分、この表面上の数字のアンバランスでなくて、アンバランスの数字の内容は占領政策の犠牲によって日本が支払っているのじゃないかというこの考え方というものは根強くあるのですが、小坂外務大臣はこれに対してどういう御見解ですか。
  59. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) まあ占領政策そのものは、これはアメリカの考えでございまするが、私どもがいろいろ先輩等からも聞きましても、当時一番心配しましたのは、日本において現地調弁をやるのじゃないかいうととが非常に心配だったというようなことを聞いております。それから見ますると、現地調弁どころではない、非常に多額の物資を持ってきて日本経済復興を助けた。しかも、先ほど御答弁申し上げたように、外貨なしでそういう援助物資を日本のほうに売って、売払代金を積み立てて、それが非常に日本経済の復興に寄与したという点は、大いに私どもは評価していいんじゃないかというふうに思っております。なお、講和条約におきまして、十四条でこの直接占領費、直接の軍費は棒引きになっておるわけでございます。一方、十九条でわれわれの負担した終戦処理費、これは払った。これは私どもに占領政策を通じてアメリカも相当に考慮した、こういうことだと思います。
  60. 戸叶武

    戸叶武君 先ほどの報告にあったように、輸出が六億五千四百九十万ドル、輸入が十七億四千万ドル、この輸入の十七億四千万ドルの内訳は、援助物資が十一億九千七百万ドル、それから商業物資が五億四千三百万ドルというような政府側の報告になっておりますが、正確には十一億九千七百四十五万ドルですか、と言われておりますが、通産省が計算した数字とは非常な違いがある。八億四千七百万ドルですか、とれと三億五千万ドルほどの狂いが生じておるんですが、これはどういうところからこの狂いは生じたんですか。
  61. 安藤吉光

    政府委員(安藤吉光君) 通産当局が来ておられませんので、便宜私から御答弁申し上げます。先ほど申し上げました数字は、当時外国貿易は総司令部が管理しておりました関係もありまして、この統計はいわゆるGHQ統計、総司令部の統計でございます。アメリカのほうの数字でございます。通産省がこのたび出しました、お手元にすでに提出してございますが、通産省の資料によりますと、今御指摘のとおり、ガリオア援助は、通産省の計算によりますと八億四千何がしになっております。相当差があるんじゃないか。ごもっともな次第でございまして、通産省がこの日本側の数字を出すに至りました経緯を御説明すれば容易に御了解願えると思うのでございますが、米側は要するに、米側の決算ベースの数字、これもお手元に配ってございますが、これの中からは見返り資金の前後の額の区別はつきません。ただGHQ統計によって二十四年の四月までのやつがわかっておる。それにいたしましても、わがほうとしては、それをそのままのむというわけには参らない。いろいろ交渉もございましたが、通産省といたしましては、当時総司令部が残置しておいた資料をたんねんに調べました。これは対日援助物資であるという明確な判定ができるもの、主としてそれにはTOGというマークがついておった。そういった資料を全部一件ごとに集めまして、これは対日援助物資である、確実なものであると認められるもののみを集めたわけでございます。あるいはまた、当時の記録によりまして、これは少しいたんでいたとか、あるいはいろいろのことが書いてございますが、それに当時の国際価格というものを勘案いたしまして作った数字でございます。したがいまして、言うなれば、通産の資料は、これだけは確かにあるということが言える、しかしこれ以上になることも保しがたい、そういった最小限度の数字でございます。したがいまして、この限りにおきまして向こうとの数字が違ったわけでございます。御承知のとおり、米側との交渉におきましては、この通産資料というものを向こうにも見せ、向こうも自分たちは決算資料というものやっぱりアメリカとしては米国会計検査院を通ったものがあるけれども日本のその努力を認めるということで、この通産の資料を基にいたしまして、いろいろ交渉して四億九千万というものを出した次第でございます。
  62. 羽生三七

    ○羽生三七君 関連して。私が昭和二十九年の五月七日に参議院の本会議でこのガリオア・エロアの緊急質問をした際に、小笠原当時の大蔵大臣の答弁が出ておりますが、それによると、アメリカのほうの総司令部経済科学局の統計によると、一応二十四年以前、見返資金特別会計設置前は十一億八千四百万ドルとなっておりますから、今の数字とほぼ似たようなものです、ところがその総計が、通産省企業局長が出した決算委員会での資料によりますと云々として、合計二十億五千四百万ドル、こういうことになっております。ところが、今度のやつでいくと十七億九千五百万ドル。どうして同じ日本側でこう違うようになったのでしょうか。
  63. 安藤吉光

    政府委員(安藤吉光君) これも通産の方がいらっしゃいませんので、私の持っております資料で御説明いたします、二十九年五月七日の参議院の本会議で小笠原大臣が、数字として二十億五千四百万ドルをおあげになっておることは承知いたしております。そうしてその数字は司令部の統計資料でございまして、それが見返り資金積み立て前が十一億八千四百万、以後が八億七千万ということになっております。それから今お話しの通産の企業局の資料というのは、ちょっと私承知いたしませんが、あるいは中間的な報告的なものじゃないかと思いますが、ちょっと私承知しておりません。
  64. 戸叶武

    戸叶武君 政府側の委員が審議の過程において答弁された中に、当時日本の為替レートであれば十億ドルに相当する円貨が特別会計の資産として残るべきであったと言っておりますが、その第一の理由としては、二十四年四月二十五日に三百六十円レートが設定されるまで為替レートがなかったこと、それから第二の理由として輸入物資を割安に国内に払い下げた、第三に輸出物資に対しては割高で特別会計が買い上げしており、貿易資金特別会計が二十四年三月末に四億ドルの赤字となった、そういうようないろいろな何か説明がありますが、やはりその貿易関係のアンバランスというものは占領政策によって導かれた。すべてあちらまかせだったんですから、貿易は。その結果は、日本側が相当に犠牲を払っておったということは、政府側もこれは認めるんでしょうか。
  65. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 政府側が犠牲を払っていたということはよくわかりませんですけれども、今お話の中にもありましたように、当時非常にインフレーションが高進しておって、国民に対してその生活を安定させるためには、できるだけ安く物を配給したい。したがって、価格安定帯というようなものを作ったり、それからマル公を非常にたくさん作りまして、公定価格程度のものを出そうということに努力したわけでございます。一般物資のほうといたしましては、非常にやみ物資が横行しておった。こういう情勢の中でもって、安い物資を国民に配給する。ことに生必物資でございまするから、援助物資を安く放出するということのためには、やはり輸入したものよりは補給金を出してその分だけ安いものを配給するということが必要だったわけでございます。それから、当時いわゆる複数レートと言っておりましたけれども、陶磁器が六百円、絹物が四百七、八十円だったと思うんですが、そんなようなレートがあるというようなことで、その複数レートによる差損をやっぱり補てんしなければならない。まあこんなようなことがございましたのだと思います。
  66. 戸叶武

    戸叶武君 今、外務大臣説明されたように、昭和二十四年の一般会計の歳出面を見ると、七千四百億の歳出面で二千三十億の価格補給金が組まれているというふうに、貿易で非常に日本が犠牲を払ってきたのは事実で、その後昭和二十八年の十月における池田・ロバートソン会談のときにも、池田さんが、ガリオア・エロアについてはわれわれはいまだに当時の援助を感謝しているが、日本に現在及び将来にわたって幾多の債務があるので、そちらを優先せざるを得ない、現在また防衛のための支出が問題になっておるんだからなおさらだというようなことで、そのときも話が結論が出なかったというぐらいで、ここに至るまでにはいろんないきさつが私はあったと思うのですが、今日本が外貨不足で非常に困っているような、しかも片貿易でアメリカとの貿易の不均衡というものが日本の危機を招いているようなときに、アメリカのドル防衛の必要に応じて日本から吸い上げなければならないというアメリカの政策にだけ応じてこういうことをやっていって、これで日本の貿易というものが将来有利に展開されますか。
  67. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 池田・ロバートソン会談は昭和二十八年でございますが、その当時まだ日本の国力というものはこうしたガリオア問題を解決するに適当でないという判断で、池田現総理はそのとき話を先に延ばされたわけでございます。当時としては、私直接伺ったわけじゃございませんが、一つのうわさで七億二千万ドルというふうなオッファーがあったというような話も聞いておるわけでございます。その後いろいろな経過をたどりまして、日本経済も非常によくなった。私が交渉しております当時は、たしか十七億ドルくらいの外貨があったわけでございます。好況になって、いつまでも逃げ回っているといいますか、いずれ債務と心得てこれを解決するという話をしながら、やれ安保条約の審議をやっているからとてもだめだというような逃げ廻っているような格好でいつまでもいるのはおもしろくないということで、今のお話のドル防衛というのとは別の観点で、払えるようになったのだからひとつ交渉して払おう、こういうことにいたしたわけでございます。最近の対米貿易の実績が非常に好転してきておりまして、LCベースで申しますと、一月などは前年同期の四割増しというふうに輸出がふえておりますので、これは一見、とにかく金を出すことでありますから、不利なように思われる方があるかもしれませんが、私は、大きな目で見て、やはり非常に日本に有利に物事が展開するきっかけになっているというふうに思うのであります。
  68. 戸叶武

    戸叶武君 今の国際貿易の中でも、日本の輸出輸入のアンバランスの主たる原因は対アメリカ関係ですが、これは今始まったことじゃなくて、戦後の占領政策の中にそういう構造が組み立てられてしまったので、一九五七年の六月に岸さんがアメリカを訪れましたときにも、アメリカ国会アメリカ側に訴えたのは、当時の輸出五億ドル、輸入十億ドル、この日米貿易の不均衡を是正してくれと訴えたが、アメリカ側からは反応がなく、しかも岸さんは続いて、日中関係の貿易が現在輸出が六千万ドル、輸入が八千万ドル程度だが、これをおのおの一億ドル程度拡大しても何らこれは警戒する必要がないのだからというふうに力説しても、アメリカ側ではこれに応ぜず、中共貿易をやると中共に政治的に引きずり回される危険性があるというような警戒心を持って、それよりは東南アジア貿易をやれというような意向のようでしたが、岸さんも、その時分韓国、インドネシアの焦げつきでやけどをしているときなんで、その韓国なり東南アジアでもって日本のものを買いたいが、向こうでは払う能力がないので、東南アジア貿易を拡大しろといっても、令すぐにやれるのじゃなくて、もう少し東南アジアの復興のために国際連合なりアメリカが協力しなければ、日本単独では東南アジアの開発というようなことも、貿易拡大ということもできないというような主張を述べておったようですが、その当時から貿易のアンバランスがあった。その後日米間の貿易というものは、この不均衡というものは是正されなかった。しかし、その当時においてもアメリカ側の民間人が言っているのは、貿易外収入、あるいは船賃、特需、そういうようなものを入れるとまあ何とかかんとかそうひどい不均衡じゃないという言いわけはしておりましたけれども、このごろは船もアメリカ、それから特需のほうもそうない、そういうふうな形になって、不均衡というものが目立ってきたのですが、政府は、このガリオア・エロアのほうは、アメリカへ言うなりに御無理ごもっともで払いさえすれば、アメリカだってやはりこれは反省して、もっと日米貿易の均衡のために責任を負うのじゃないかというような甘い考えを持っているんでしょうか。
  69. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 決して私どもは、アメリカに対して、ガリオア問題を解決すればアメリカは喜んで日本のものをいくらでも買うというふうに甘くは考えておらぬわけでございます。もとよりそれとこれとは別でございますけれども、やはりこうした問題の解決というものも全体の対アメリカ政策というものには有効に作用するであろうというふうには思っております。日米間の貿易につきましては、昨年非常に逆調でございましたので、昨年非常に強くこの問題を先方に話しておりまして、私はその影響が昨年の十二月以降非常に顕著に現われてきているというふうに考えておるわけであります。
  70. 戸叶武

    戸叶武君 アメリカの占領政策の変化でありますが、やはり第一次欧州大戦が終わったあとで、ノルマン・エンゼルが新しい戦争の結果というものを予見しまして、もう過去の戦争と違って、戦争に勝ったからといって、相手の国から賠償金をたんと取れるのじゃなしに、負けた国をいじめつければ、その国の生産が麻痺し、復興がおくれ、そうして結局は勝った国が負けた国をいじめて得とるというようなことができてないので、ドイツならドイツが落ち込んでしまうと、その穴の中にやはりみんなが引きずり込まれてしまうというような批判をしておりましたが、第一次欧州大戦後における戦後処理の理想というものは、やはり占領政策というものが、その国の経済を復興させ、そうして生活の安定をはかっていかなければならぬというので、マッカーサーが終戦後アメリカ国会にメッセージを送ったように、日本のドル貿易の均衡をはかって、そうしてそれでアメリカ側への支払いができるようにしていくのだというふうに、私はスタートは切ったのだと思いますが、そのうちに、何といっても、戦争に勝って、占領軍というのがおると、それに結びついて、日本が満州でも中国でもよくないことをやったと同じように、どこの国でも、変な利権屋みたいなのがくっついてしまって、どさくさに一もうけしようという考え方から、やはり負けた国をうまいことを言いながら、しぼり取っていくという仕組みができ上がってしまったのですが、アメリカだってやはりそれと違わないのです。そういう形で日本が、戦後において大きな犠牲を払ってきたのだというのは事実なんで、事実上においても、アメリカガリオア・エロアに匹敵する以上の支払いを——支払いというか、アメリカ側のふところのほうには流れ込んでいったというような仕組みになっているので、これはなまはんかに、三分の一にまけさしたとかいう、博労の取引みたいなことを言わないで、これはほんとうに、私は、占領政策においてどういうふうに日本が被害を受けたかということも、率直にこの機会に、いやみじゃなく——日本人の正直というのは、向こうの言うのは御無理ごもっともというのは、正直じゃないのです。これは奴隷の正直というのです。やはり奴隷の正直はよして、さむらいなんだから、やはり一つの、こういうこともされたと、今さらいやみを言うのじゃなくして、これだけの犠牲を払っていたのだから、これはアメリカさんもひとつ考えてみてくれと、それで考えられないならば、やはり、私のほうはさむらいだけれども、あなたのほうはゼントルマンとして、一つの作法があるだろうからというくらいにやらないから、アメリカが誤っているのです。今アメリカの政策を誤っているのは、アメリカが悪いからじゃない。アジアの苦悩を代表して政治家が正直にほんとうのことをアメリカに告げていないからです。アメリカの有識者が一番望んでいるのは——アメリカの政治家もこれはなかなか圧力団体に抗しかねるところがある、アジア、アフリカのすぐれた指導者の声をアメリカの大衆の中に投げつけてくれ、その反響において、自分たちだけがよくなっていけば世界は平和だと思うようなアメリカの夢を破るし、アメリカ世界に対する共同の責任を持とうという感情が民衆の中に入ってくるだろう。今アメリカが望んでいるのは、金を日本からしぼり取ろうというような態度ではなくて、そういう、アメリカ人たち世界連帯の思想を持って、ほんとうにアジア、アフリカを腹から理解できるような声を求めているのです。私は、今われわれがこのガリオア・エロアの問題でも政府のいくじのない外交に対して腰をけ飛ばしているのは、腰を抜かしているのでは、腰抜けではとてもほんとうのことが言えない、やはり国民の中に、敗れたけれども、とにかく、いやみでなく、こうこういうことをわれわれも中国やその他で悪いことをやった、また犯した、だから、あなたたちはとにかく、タイの言うことなら、ああそのとおりと言って、まるで何でもOK。アメリカに、タイ日本が行なうような思いやりのある態度はどこにあるのです。日本は戦争で戦ったのだからというけれども、戦後におけるところの日本アメリカに協力し過ぎるほど協力していながら、いまだに真珠湾のことを忘れないで、われわれに対してこういうようなことをやるというなら——アメリカが悪いのじゃない、日本政府国民アメリカの指導者の中間に立って変なまねをしているからこういうことになる。これはよく池田さんや吉田さん好みの、ダレスさんのウォー・オア・ピースというものの中にも率直にアメリカ外交の間違いを告白しているので、アメリカ人はそういうところ正直ですよ。ソ連の悪口を言ったって、やはりヤルタ協定アメリカがやって、国民政府の主権というものを無視して、突っ放して、そうして満州、蒙古にも出てきなさい、樺太、千島にも出てきなさい、日本をやっつければ日本の持っていた権益はやりますと、中国の宋主権があった外蒙に対しても、その宋主権を奪って、そうして独立という名でモンゴール人民共和国というような地帯を生み、それからある段階までは経済援助をしていながら、これは経済援助をしたら得にならぬといった形になれば、国民政府からぐっと引き抜いてしまって、共産党に結果的には引き渡すというようなどんでん返しの外交政策をやる。これは私は、アメリカにチャイナ・ロビーといわれるほどの、蒋介石から金をもらっていた圧力団体までもあったが、アメリカが今、国民政府というよりは、むしろ中国に不信感を買っているのは、アメリカ本位の利己的な外交政策が極東に混乱を巻き起こした。ヤルタ協定以後におけるやることなすことすべて、善意から発足したか知らないが、アジアの実態というものを把握しない、アジアの憂いというものを理解しないアメリカ本位の一つ外交をやってきた。これが一番最後——最後かもしらぬ、この一番醜態がガリオア・エロアの処理だと思うのです。私は、政府の今までの交渉過程というものは、ある段階々々に国会でも説明し、了解を求めてなかったということより、非常に不満なのは、やはり国民がどういう反応を起こすかということを見ないで、世論というものと密着しないで、外交というものは外交権を持っている内閣が相手の国とうまく取引すればいいという、こういう外交職人の手に渡ったものだから、変な料理の仕方でもって、私たち国民が非常な被害を受けているのですが、私はやはり今後における外交というものはもっとオープンに、特に私は、国会が国の最高機関だからといって、内閣をしり目にかけようというのじゃないのですが、最高機関であると言われるのは、われわれは段階的に最高だというのを主張するのではなくて、主権者として、人民の意思なり感情なりというものを国会が盛り上げてきているのだから、こういうところで率直に、外交の基本的な考え方、それから段階々々における処理というものをやはり報告して、あとの仕上げの技術的なものだけは別だけれども了解を取りつけるという方法をしてもらいたかったのです。そういうことを今までやらなかったのも、われわれは非常な不満なんだ。この段階に入っても、政府はそういう面においてはまだ何らの反省もないと思いますが、小坂さんは若干良心を持っておりますが、どういうふうに考えますか。
  71. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) この問題が処理を要するものである、すなわち債務と心得ておるということを、国会に歴代の政府が申し上げております。終戦以来この問題の解決努力してきたことは、戸叶さんも御承知だと思うのでございます。その交渉の過程、過程を一々御報告申し上げて御承認をとりつつ次の交渉に進むということはこれはちょっと外交には普通世界中にそういうやり方をしている国はないと私は存ずるのでございまして、やはり話をまとめる段階までは、これは外交権の行使として政府にそれをさせる。しかし、まとまったものについて、これがいいか悪いかということを判断して、いいとなったら、そこに効力を発生する、こういうことが通常ではないかと思っているのでございまして、できるだけ国会の御意見を伺い、国民の意思に沿う外交をやれという御趣旨は、もとより私はさようなことでなければならぬ、こう考えますけれども、現実の手続といたしましては、かようなことになるほかはない、かように思うのであります。しかもなお、先方は約二十億ドルと言っておりますもののうち、約五億ドル払うのでありますが、十五億ドルというものはこれはアメリカがこちらに贈与した、ギフトしたわけでございます。なお、私ども意見をいれまして、その四億九千万ドルというものは低開発国、ことに東南アジアの開発のために使おう、こういうことをアメリカは約束をしている次第でございます。
  72. 戸叶武

    戸叶武君 この見返資金特別会計設置後は、援助額の数字というものはほぼ明らかになったのだが、終戦直後の貿易資金特別会計に繰り入れられた、貿易の価格差補給金に入れられた当時の援助額はどれほど援助代金があったか、実情不明なので、そういう金額が明示されていないのだから、そういうことは、差引いろいろな点からいっても、日本が取り上げる必要はないと思うのだが、政府はその段階のものをどのくらい数字的には今度の支払いに取り上げておるのですか。
  73. 安藤吉光

    政府委員(安藤吉光君) 米国側が交渉の際提示してきました向こうの決算ベース、すなわち会計検査院で会計検査をした支出ベースで出してきたもの十九億五千万ドルというのは、これは日本の見返資金の設置の時期を境とした分け方をしておりません。したがって、見返資金設置前の数字としては、ジエス統計の先ほどの十一億何がしと、それから通産のほうで算出になりました八億六千万ですか、そういう数字があるわけであります。
  74. 戸叶武

    戸叶武君 タイの問題に入る前に、ほかからも呼びに来ているようですから、東南アジアにおける援助といっても、どっちかといえば、インド、パキスタンを除いたそれよりこっち側のほうというふうな考え方アメリカは今度はきているようですが、韓国でも、今後私はタイでもなかなかむずかしい段階に入ってくると思うので、経済援助という名のもとに、事実上軍事的な共同防衛の責任というものをずるずるに負担させられる方向へ、経済というみこしでよろい、かぶとを用意しなければ踏み込めないような状態に引きずり込まれるおそれがあると思いますが、外務大臣はそれに対してどういうふうなお考えですか。
  75. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) インド、パキスタンについては、債権国会議というものがございまして、われわれもそれに加盟し、相当の金を出しておるわけでございます。したがって、アジアのそれ以外の地区ということを考えておるわけでございますが、これはインド、パキスタンに対する経済援助、これが行なわれておりますると同様の趣旨で、あくまで経済的な援助ということを考えております。
  76. 戸叶武

    戸叶武君 今東南アジアにおいても、特にこのタイとビルマに対する日本経済協力なり援助の仕方というものが、片方が中立国であるから、片方が反共軍事同盟に入っているからというので、どうも差別感が非常に強いように思われるというような批判がありますが、それに対してはどうですか。
  77. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) この批判は、もう全く当たらぬと思います。われわれ、経済的な問題に関しては、同様に考えておるのでございます。ただ、経済協力の場合、やはり受け入れ国の希望とわがほうの考え方が一致しないと、なかなかそこで問題が具体化しないわけであります。それから、おそらくそういう今戸叶さんのおっしゃいましたような批判は、ビルマの賠償再検討条項に関しては話が煮詰まらない、タイ特別円の問題は解決したじゃないか、こういうことに対してのものだと思いますが、これは実態は、ビルマは、御承知のように、昨年秋の交渉では、賠償総額一億ドル、さらに経済協力二億ドル、こういうような話がございまして、その後いろいろ折衝いたしておりますが、何分にも金額が非常に大きいので、わがほうの考え方と食い違いが大きくて話がまとまらない、こういうことでございます。それからタイ側は、九十六億円、すなわち二千八百万ドル、この問題につきましては双方で合意がなされたというだけのことであります。
  78. 戸叶武

    戸叶武君 東南アジア諸国が、どこの国でもと言ってよいほど、軍部が中心になって、クーデターを行なったり、政治権力を握り、経済行為もやっていくというような風潮が強くなりましたが、特にタイとビルマを比較したときに、タイは非常に安穏のように見えておるが、やはり軍や警察の派閥的な勢力を背景として実力者が政治を動かしておるので、内部的には華僑の経済実力者としてのふんまんも非常にあるし、やはり問題が起きたときにはなかなかむずかしい面が内在しておるのじゃないか。特に、政治面における腐敗というものもいろいろ指摘されております。ビルマにおいても、政治腐敗というものを粛正するために、近代的装備で訓練された軍の若手がクーデターを行なって、そうして政治粛正を行なって、みずから経済行為を行なっていくというように聞いておるのですが、私は外務大臣にお聞きしたいのだが、表面非常にタイの政情というものは安定しておるように見えておるが、周辺が非常に変わりつつあるので、私は不気味な安定が今作られておるのじゃないかと思いますが、政府としての見通しはどうですか。
  79. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 私は、こういう公式の席で他の国の政治を批判することは一切差し控えさしていただたきたいと思います。
  80. 戸叶武

    戸叶武君 これは、外務大臣がそういう遠慮をするのも一つのかまえかと思いますが、今の韓国なり、台湾なり、あるいは東南アジアの国々なりの政治を見ると、アメリカ側の意図に反して、非常に私は不安定なものがあるので、アメリカ自体としては、みずからがそれに突っ込むといろいろな批判も受けるし、今まで失敗もやっておるし、むしろ肩がわりして、アジアの問題は日本にさせて、その背後にアメリカが隠れたほうが、よし失敗をしても傷が少なくて済むという形で、隠れみのに使って、アメリカアジア政策というものがやはり今度は変わってきたのじゃないかと思われるのですが、あまり調子に乗ってしょい込むと、私は、アメリカが失敗したが、日本なら成功するというものじゃないので、そういう点では、非常に注意を要すると思うのですが、外務大臣は、東南アジア経済援助というものの趣旨はけっこうと思うが、よほど慎重にやらないと悔いを残すことがあると思うのですがこれに対してどうお考えですか。
  81. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 私はまあ、日本外交日本自身の判断で自主的にやって参りたい、すべての問題をそこから出発させたいと、かように考えております。
  82. 戸叶武

    戸叶武君 時間がないから、タイのほうは残しますが、とにかく今度のガリオア・エロア等の金を東南アジアのほうへ振り向けるという場合に、日本独自というけれども、これは何といったってアメリカのひもがついちゃうので、日本だけの意思でもって今度は動きがとれなくなってくるのじゃないかと、思うのですが、やはりどこまでも日本独自の意思でもってやるというかまえでやっていきますか。
  83. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 私は日本外交政策全般について申し上げたのでありますが、このガリオア返金の使途の問題でございますと、これはアメリカの金であります。日本が返しますと、アメリカの金になるわけでございます。しかし、日本については十分、このアジアの国としての日本アジアの情勢について十分な関心を持っておることはアメリカ承知しておりますから、その情勢については、日本考え方も十分アメリカとしては聞いて参りたいと、こういうことを先方も申しておるわけでございます。
  84. 戸叶武

    戸叶武君 これは一九五四年の十二月の九日のマーシャル記念日のときだったと思いますが、スタッセンが、アジア問題の解決はきわめて困難である、アジアの問題はアジアをして自主的に解決させなければならぬ、これがためにわれわれは協力を避けるというのでないが、われわれは西欧とともに協力するけれどもアジアの問題はアジアで自主的に解決しなければならぬということを力説されたことがあるので、私はその段階からアメリカにも若干反省が沸いてくるんじゃないかとも思っておったのですが、しかし、アメリカ自体の、率直に言って、世論というか、ほんとうの苦労してないところのアメリカの民衆の考え方というものは、アメリカの安全を防衛するための軍事援助みたいなものならば使ってもいいが、よその国の貧乏をなくさせるために使うような余分な金は納税者は払えないというような感情が非常に強くあるので、これをどういうふうに、アメリカ世論というものを、世界と共同の若干の責任が持てるような態勢を作り上げるかということが、アメリカの私は政治家の苦悩の限りを尽くしておる点だと思うのですが、これは私はやはり、今のケネディだってやれない、ライシャワーだって日本中国を相当理解しておるようだけれどもやれない、これをほんとうにアメリカアメリカのエゴイズムを捨てて、アジアの立ちおくれておる諸国がどんなに苦悩して自分たちの国を建てようとしておるかということを理解しない限りにおいては私はだめだと思うので、それをほんとうに果たし得るものは、アジアにおいて、インドのネールさんなり、日本にもしほんとうに見識ある政治家が出るならば、ネールさんよりももっと具体的な政策を通じて、アメリカの反省と国際協力、それは反共というような感情的な軍事防衛第一主義でなくて、それに従属する経済政策でなくていけるような道を私は導き出せば一番いいのだと思いますが、日本においては、安保条約以後、結局アメリカの感情的なアジア政策の中に巻き込まれて、そうしてこの軍事防衛第一主義、それに従属する経済政策というものに引きずり込まれているのですが、そういう点において、私は今度の話ははなはだよさそうに見えるが、ガリオア・エロアによる返済金が、これは結局アメリカのものだからといって、アメリカの意思で使われ、それに日本が引きずり込まれ、結局は、経済援助という名のもとにおいて、反共軍事同盟の腰抱きをやるような使い方をすると、アメリカ以上に日本が前から警戒されているので、非常に私はアジアから孤立して憎まれっ子になる危険性があると思うのですが、外務大臣はこういうことに対する何ら心配はないと見ておりますか。
  85. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 私どもは、このガリオアの金は返す、これだけのものは返すけれども、しかしアジアの一国として、アジアにおいてまだ貧困の度が強いので、この開発を要望している国々に対して有効に使ってもらいたいという希望を強く述べたわけでございます。アメリカも、それはもっともであるということで、低開発国の援助に使おう、しかしアジアについての問題についてはよく日本の御意見も伺いたい、こういうことを言っておるわけでございまして、御心配のような点はないと思います。
  86. 井上清一

    委員長井上清一君) 実は時間が……。
  87. 戸叶武

    戸叶武君 それじゃ時間がないから、最後に一つやりますが、やはりダレスさんがアメリカ外交で反省した言葉の中に、マーシャルが中国へ乗り込んで行って、あの最終段階において失敗したのは、中国がヤルタ協定を——戦時中において軍事謀略協定ソ連と取りつけて、中国の主権をないがしろにして、しかも宋子文がダレスさんのところにかけつけてきたときに、ルーズベルトの周囲の人に聞いてみても、そういうことはないと言う。そこで今度は、宋子文がソ連のほうへかけ込んで行ったら、あるということがわかって、えらい苦境に立ったので、そういういきさつがあるので、それに対する不信感というものが、これは結局マーシャルをして十分の手腕をふるわせなかった、失敗に終わらせたのだということを言っていますが、これは当時の国務省の中国白書を見てもわかりまするように、私は政府アメリカと親しくしていくのはおかまいしませんけれどもアメリカ外交政策というものは若いのです。非常にあぶないのです。真珠湾の問題でも、アメリカは感情的に真珠湾のことだけを攻撃しますけれども、やはりシカゴ・トリビューンに、ルーズベルトの奥さんと仲が悪かったマコーミックが暴露しているのは、アメリカを戦争に巻き込むためには日本に攻撃させてからでなければ戦いに入れないので、握りつぶして攻撃させて、それはあとで百もわかっているがやったのだというふうな、アメリカですらもそういう意見もあり、ほかの来栖さんなんかの文書を見てみても、ずいぶん戦争に入るときの段階というものは、お互いに相互不信というものがやはり戦争になる。心ある人は、入るまい入るまいと努力してもどうすることもできなかったということを告白していますけれども、私は今の段階のこの東西の不信感というものはほんとうにあぶないと思うのです。非常な心配なんです。だれが言っても、良識の中においては、戦争が始まったらたいへんだ、戦争になったらたいへんだし、戦争になんかなりっこないというふうに言い聞かせていますけれども、こういうふうにソ連も抜き打ちの核実験をやり、今度はアメリカも、ソ連がやったのだから世界世論がどうだろうとおれのほうもやるのだ、そういう形、そういうときに、日本外交が自主的だと言っているけれども、実際は自主的でなくて、アメリカの今の、客観的に見れば、アメリカの政策としては、日本が満州国を作ったような形で、日本を極東政策に据えようとしておるのではないかと思われるような危い面も私はあると思う。全く、この三国軍事同盟を、松岡さんが反共軍事同盟を作った、それを今度は小規模にしたような韓国や台湾と抱き合い心中をするような軍事防衛体制の中に日本がだんだん追い込められていったとするならば、私はほんとうにこれはたいへんだと思うんです。で、今どういうところでそういうふうにいくかというと、最近の池田さんの足どりを見ると、低姿勢と言っているが、どこか地獄への道へ案内されているんじゃないかという不安感が非常にあるんです。松岡さんのようなはったりはないけれども、どうも陰気くさい私は地獄の使者のような感じがするんです。(笑声)これはやはり私は、外務大臣は少し陽性のようですが、(笑声)やはり私は、十分自分で知らないで地獄の道行きをやっているのかもしれませんけれども、私は日本外交が一歩々々何か不気味なものにのめずり込んでいく感じがしているんですけれども、私は戦争の危機というものを強調するわけじゃありませんが、こんな形じゃあ私は戦争への誘発が起きた場合には、すぐその火の中へ飛び込んでいってしまう危険性があると思うんです。  最後に私は、アメリカであろうが、ソ連であろうが、核実験やったら、今なかなか小坂さんやっているようですけれども、どうもみんなから見るとアメリカとなれ合いで、この程度やらなくちゃいかぬという程度でやっているようにしか見えませんから、もっとしっかり私はこの戦争を食いとめるための外交国民と一緒に、アメリカであろうが、ソ連であろうが、相互不信感から戦争への道を歩む行き方に対してはこれをわれわれは食いとめるんだという決意を示してもらいたいと思うんですが、きょうはよけい、きょう、あす、アメリカ大使館にもいろいろなデモも起きると思うので、政府もデモをやれとは言いませんけれども、やはり具体的な私は策を持って、献策を持って、そしてアメリカ側にもものを言ってもらいたいと思います。これは小坂さんも少し何か具体的に局面を、これから非常に国際政治が暗くなっていきますが、あなたの明るいところで、ひとつ明るくして下さい。
  88. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) このガリオア返金の問題に関連しての御質問でございましたけれども、私どもはこのアメリカに返すつもりだと思っているものをいつまでもほうっておきますとやはり日本も対等な顔をしてアメリカに口をきけぬという場合もあるんじゃないか、したがって、もうそう思っているものはちゃんと交渉して、こちらがいいと、国民の諸君が納得して下さる額のものはきちんと払ったほうがいいと、こういう信念に立っているわけなんでございます。したがって、このものは返します。同時に、アメリカに対して言うべきことはちゃんと言う立場において外交を間違いなく進めたいとこういう気持を持っておるわけでございます。  最後にお話のございました核実験の問題に対しましては、われわれもわれわれなりに努力しているつもりでございますが、なかなか実効の上がっておりませんことは非常にお恥ずかしく思っております。何とかひとつ核実験の停止というものに成功させたいという私どもも強い念願に燃えておることを申し上げさしていただきたいと思います。
  89. 木内四郎

    ○木内四郎君 私もガリオアの協定タイ特別円協定について数点についてお尋ねしたいと思うんですが、きょうは外務大臣、時間の御都合もおありになるようですから、それは後日に譲ることにしまして、きょうは海外技術協力事業団の法案について二、三お伺いしたいと思います。御都合で途中で御退席になってもけっこうです。  まあ従来、この海外技術協力というものは、まあこういう事業団というものがなくてやって参っておったのでございますが、それについて一体どんなふうな点が工合が悪かったか、こういう事業団なしにやることが。言葉をかえて言えば、どういう理由で事業団を必要とするか、こういう点について、大臣なり事務当局なりから御説明をお願いいたしたい。
  90. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 海外経済協力の重要性につきましては、私から申し上げるまでもなく、非常に木内委員におかれても痛感しておるところだと思います。国によりましては、これを一つの独立の省にしているというところもあるわけでございます。で、しかしながら、そういう海外技術経済協力に対しましては、やはり資金の面が非常に大きな要素を占ますけれどもわが国におきましては、資金的には非常に十分なものを持っておるわけじゃない。したがって、技術的に協力する分野が非常に多いと思うのでございます。ことに、近隣の諸国におきましては、ほとんど農業国でありまするし、農業に関する技術、あるいは中小企業に関する技術というようなものは、非常に効果的にわが国独得の方法において行なわれておると考えておる次第でごさいますが、まあ従来いたしておりまする技術協力が各種各様に行なわれておりますのを、一応この際政府ベースでいたしておりまする事業を一本化して、これをさらに能率的にいたしたい、かように考えまして、今回御審議をいただきます事業団を作ることにいたしたのでございます。この内容は、アジア協会、それからラ米協会がございまするが、これは技術協力の部門だけを取りのけます。それから国建協、これも民間の分は残るわけでございます。さらにメコン調査会、これも任意団体でございまするが、政府の委託しておりまする事業のみを吸収いたしまして、ばらばらに各協会でやっておりましたのを一本化いたしまして、さらに効率的に強力に行ないたい、かような趣旨でございます。こうした事業は、やはり相当に事業的な勘とか、タイミングとかというものも必要であろうと存じておりまするので、さような点にも留意して行ないたいと考えております。
  91. 木内四郎

    ○木内四郎君 今大臣の御説明によりますと、そのうちにはあるいは通産省のほうに関係のある問題もありますし、またあるいは農林省のほうの関係のあるものもあると思うのですが、この事業団の所管は外務省ということになっていますけれども、そういう通産省あるいは農林省その他にも関係がある。そういう方面の関係はうまくいくでしょうか。従来どうも各省との関係がうまくいかないので、いろいろ問題を起こしておったと思うのですが、そういう点について伺いたい。
  92. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) ただいま木内先生の御指摘のとおり、各省でみな権限がきめられております。ところがなかなかこの権限というのは必ずしもはっきりと分けられない、いわゆる重複するといいますか、分解もむずかしい点もございます。そのために各省間に権限争いというものが起こってきているわけでございますが、この事業団の運営に関しましては、特にそういう点を避けていきたいということで、関係各省と十分よく協力してやるというつもりでしております。また、人事の面におきましても、関係各省から適当な方にこの事業団に入っていただきまして、各省との関係を円滑に運営していきたいと考えておる次第でございます。
  93. 木内四郎

    ○木内四郎君 今政府委員のお答えになったことまことにごもっともです。そうなくちゃならぬと思うのですが、外務省でそういうふうにお考えになっておっても、その他の役所との話し合いが十分についておるのかどうか。もちろん政府の提案として出される以上は、そういう点についても話し合いも行なわれてきたと思うのですけれども、外務省でそう考えておられただけでは、これはうまくいかないと思うのですが、十分な了解の事項、そういうものもうまくいくというお見通しでしょうか、どうでしょうか。
  94. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) この事業団法を作るにあたりましては、ただいま御指摘のように、関係各省との間に相当いきさつがあったわけでございますが、いよいよこの法案がまとまりますまでに、すでに各省との間に意見の調整をすっかり終えて、ただいま提出になっておるわけでございます。もちろんこれからの運営につきましては、ただ紙にかいただけではうまくいかないので、これは事務的関係と相互に緊密に連絡をとっていくということが非常に必要なことであると考えております。幸い関係各省とはうまく話を進めて、何事によらず十分協議をしてやっていくという態勢ができておりますから、御心配の点は万が一にもないと考えております。
  95. 木内四郎

    ○木内四郎君 先ほど外務大臣から、事業の二、三についてお話しがあったのですが、この事業の対象になる地域ですね。どういうところを大体考えておられるか。また、この対象になる地域は、こちらだけで考えただけではいけないのでありまして、向こうのほうの受け入れの感情が一体どうであるか、これも非常に大事なことだと思うのですが、そういう点についておわかりになっておったらひとつ御説明願いたい。
  96. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) 事業団法の第一条には、「アジア地域その他の開発途上にある海外の地域」とその地域を書いてございまするが、いわゆる発展途上にある、開発途上にある地域というものは、国際連合あるいはOECDなどで一応の定義がございまするが、概括的に申し上げますると、結局日本を除いたアジア諸国、それから中近東、アフリカ——アフリカでは南ア連邦などは入っておりませんが、中近東、アフリカ、それから中南米諸国というものを含んでおるわけでございます。特に「アジア地域」と第一条にうたってありますのは、何と申しましても、日本としてはこれらの世界全域にまたがる地域のうちで、特にアジア地域に重点を置いていきたいということで特記しておるわけでございます。  第二に、ただいま御指摘の受け入れ国側の感情はどうであるかということでございまするが、これはアジア地域はもとより、中南米、それから中近東、アフリカ各地から、その日本の技術協力に対する強い要望をわれわれは受けておりまして、これらの要請全部にむしろこたえ切れないというのが現状でございます。
  97. 木内四郎

    ○木内四郎君 この際、ついでに伺いたいのですが、外務省では何かこういう事業団、あるいはこの特殊会社というものを所管のうちに持っておられるのがありますか。
  98. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) 移住局で移住振興会社、それからこれは外務省だけの専管ではないと思いますが、海外協会連合会、こういうものがやはり移住局の監督のもとにございます。
  99. 木内四郎

    ○木内四郎君 今お話しになったのは海外移住振興会社と協会ですか、この二つについてはいろいろな問題が過去においてあって、何とかしなければならぬというような議論をよく聞いておったのですが、ことに海外移住振興会社のほうは、人事とか能率、あるいはまた資金運用の面、こういう方面においてとかくのいろいろのうわさがあったのですが、今度のこの事業団に対してどういうふうな監督方法をとられておるか。移住振興会社に対するようなことのないようにしてもらいたいたと思うのですが、どんなようなことを考えておられますか。
  100. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) この事業団の行ないます事業は、ほとんど全部がいわゆる国の委託を受けまして行なう技術協力の仕事でございまして、まあ簡単に申しますと、いわゆる利権にからむというような問題はほとんど起こり得ないというふうに思いますので、その点では監督は比較的やりやすい。もっとも、いかにして能率を上げていくかということにつきましては、これは十分外務省といたしましても、関係各省と緊密に協議をし、連絡をとりまして、この事業団の円滑な運営を期していきたいと思っておる次第であります。
  101. 木内四郎

    ○木内四郎君 今までも、この事業団がなくても、技術の専門家を海外に派遣したり、あるいは研修生を受け入れしたりしておったと思うのです。そういう過去における専門家の派遣とか研修生の受け入れ、そういうものに対する実績を伺いたい。と同時に、今後この事業団ができたらどういうふうにやるかという具体的なお考えがあったらお聞かせ願いたい。
  102. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) ただいまの御質問でございまするが、すでに外務省におきましては、従来、コロンボ計画、あるいは中近東計画、あるいは国連専門家の受け入れ、それからまた日米合同第三国計画等によりまして、すでに過去におきまして約三千五百名程度の研修生を受け入れております。また諸外国からの要請に応じまして、約五百名近い専門家を派遣しております。またそのほかに、海外に技術訓練センターを作っておるわけでございますが、これまでに予算的にはすでに十ヵ所も予算がつき、そのうち三ヵ所はすでに現実に動いております。その他のものにつきましても、センター設置の協定締結いたしまして、着々開所の準備をいたしておる次第でございます。  昨年度の予算の総計は大体八億二千万円でございましたが、このたび事業団の新設に伴いまして、これらの技術協力に必要な経費といたしまして五億三千八百万円増額をしていただきまして、約十三億六千万円という予算がついたわけでございます。先ほど外務大臣から御説明申し上げましたように、従来これらの技術協力の事業は、アジア協会、あるいはラテン・アメリカ協会、あるいは国際建設技術協会、あるいはメコン河調査委員会、ばらばらに分かれておりまして、また、これらの団体があるいは任意団体でありますし、あるいは社団法人ということでございまして、何といいますか、まあ必ずしも法的性格がはっきりしない。あるいは法的性格がはっきりしておるものにつきましても、どちらかというと養老院的なものでございまして、あまり能率は上がっておらなかった。今回これを事業団として、特殊法人として発足させることになりましたのはこれに活を入れるためでございます。また政府との関係も一そう密接になりますし、それから職員の身分保障もできる、どんどん大学新卒の優秀な人を入れて、将来のわが国の技術協力の尖兵を養成していくというつもりでございます。特に従来一番悩みの種でありましたのは派遣専門家を長期に出します場合に、身分保障の問題がない。これではせっかくいい人が海外に出ようという気持がありましても、二年なり、三年なり日本を離れておりますと、その間に自分の帰ってからの立場が悪くなるというようなことからちゅうちょされるということが多かったわけでございますが、そういう点も今度特殊法人として運営していきます場合にはそういう障害も取り除かれる、また研修管理につきましても、一そう従来より万全を期し得るということが今度の特徴でございます。
  103. 木内四郎

    ○木内四郎君 今お話しになりました海外へ派遣した専門家が帰ったあとの待遇の問題ですね、これが従来から非常なガンになっておったと思うのですが、今のお話によれば、事業団に切りかえてやれば、その点は何とかなるのじゃないかと言われているのですけれども、それは大丈夫ですか。
  104. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) 私どもがその事業団を作ります二つの大きな動機となっておりますのは、ただいま御指摘の専門家の身分保障の問題でございます。今度の事業団におきましては、特にその点に重点を置いて改善策を講じておるわけでございます。
  105. 木内四郎

    ○木内四郎君 今の改善策なんですけれども、事業団でこれは引き続いて雇っているわけのものじゃないと思うのですが、帰ってくれば、やはりもといた会社にどうとかするとか、また適当なところに入れるとかいう点についてはやらなければならないと思うのでありますが、そういう点についても今後事業団でお世話をしていこう、こういうことになるわけですか。
  106. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) 今度われわれが派遣専門家をお願いいたします場合には、官庁関係の方とそれからまた会社、私企業から来ていただく方もあるわけでございますが、官庁関係の場合には、今度の事業団になりますると恩給を継続してもらえる、そういう点で非常に有利になる。それから海外から帰りましたときに、本省に適当なポストがないときは、半年なり一年なりあるいは二年なり事業団に籍を置いてその間待つ、あるいはまた、この際むしろ事業団にかわりたいという方があれば、それを受け入れる、また他の地域にあらためて出かけていただく、あるいは本邦におきまして海外から来る研修生の研修に当たっていただくということを考えているわけであります。それから民間からの場合には、従来待遇が、社団法人アジア協会などに参りますと、非常に待遇が悪くなるというきらいがあったわけでありますが、今回事業団になりますと、もちろん民間の一流会社に比べますと月給は若干減ることになると思いますが、その差額は一応親元の会社で見ていただくということにいたしまして、ただいまの官庁から来る方と同じように、やはり帰られてしばらく適当なポストがないというときには、引き続いてこの事業団で待っていただくということができるかと思います。
  107. 木内四郎

    ○木内四郎君 これまで研修生を、さっきのお話だと、相当数入れておられるのですが、過去においては研修生の指導あるいは待遇という点について非常に遺憾な点があったと思います。新聞その他にもこれに対する非難が相当あったようですが、場合によると、日本に来て研修を受けて帰ってかえって日本に対して反日の人になるというような例が少なくなかったというふうに聞いておりますが、そういうことがあっちゃ、困ると思うのですが、私どもも今後そういう点についてやはり十分配慮をしていただかなければならぬと思うのですが、どんなことを考えておられるのですか。
  108. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) ただいま御指摘の、在日研修生の不平不満でかえって外交上まずい結果を来たしている場合があるのではないかという御指摘でございますが、先般新聞をにぎわしたのは実はこの研修正ではございませんので、いわゆる文部省関係の国費留学生と称する連中でございます。幸いにして研修生は従来もあまり新聞をにぎわすような問題になったものはございませんが、しかし、確かに、せっかく日本に連れてきて、待遇が悪いためにかえって反日的な感情を持たして帰すということになっては、この目的に沿わないのでございまして、私どもも今回事業団の発足にあたりまして最も考慮いたしました点は、予算をいただくときに、ただこの人数のワクをふやすということでなくて、むしろ待遇改善という点に重点を置いて今回の予算の増額を要求いたしております。一例をあげますと、従来は最低の人は一日千二百円しか予算がなかったのでございまするが、これを今度は一日千八百円ということに値上げをしてもらいましたので、そういう点では待遇の点、物的待遇の点につきましては、かなりよくなるのではないかと思っております。なお、もちろん先方から来られて、遠い異郷の地で勉強、研修される方々に対して大事なことは、ただ物質的な待遇をよくするばかりでなく、何といいますか、愛情を持って接するといいますか、そういうことが非常に大事なことであると考えておりますので、その意味からも職員の質の向上ということに特に力を注いでいるわけでございます。
  109. 木内四郎

    ○木内四郎君 会社でも、事業団というようなものでも、それを動かす人がやはり一番大事だと思うのです。ことに幹部、そういう人たちが一番大事だと思うのですが、さっきのあなたのお話だと、従来はどうもとかく養老院的のものにとってしまった、こういうような言葉もあったのですか、そういう非難も私どもも耳にしないではないのでありまして、今度の事業団というのは、この法律にも書いてあるように、目的からいっても、ほんとうにこの事業団のために働く、じみに建設的に働く、一身をなげうってやっていくというくらいの心持のある人でなければならぬ。ことに現地の人たち、あるいは向こうから来る人たちも、今もお話がありましたように、物的の関係だけでなく、精神面においてもよく解け合っていくような人を選ばなくちゃならぬと思うのですが、役所の余った人というか、余った人ならばいいけれども、養老院的のものになっても困ると思いますから、そういう点については十分さっきのお話で配意しておられると思うのですが、どうですか、そういう点は。
  110. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) 先ほど各省との関係を緊密にするという意味から、できるだけ関係各省からこの事業団に入っていただくようにしていきたいということを申し上げたのでございますが、ただ、御指摘のように、これが養老院的なものにならないために、できるだけ優秀な方を往復切符で来ていただくという点に重点を置いて、関係各省の御協力を得ていきたいと思っております。
  111. 木内四郎

    ○木内四郎君 もう一つ、三つ伺いたいのですが、これからのことはとにかくとして、過去においても相当研修生がこちらへ来て、そうして向こうへ帰った人もあるのですが、こういう人たちはヨーロッパあるいはアメリカのほうへ行って研究してきた人です。こういう人たちのその取り扱いにおいて、現地で、向こうのほうの国と差異かあるでしょうか、どうでしょうか、待遇とか地位とか。
  112. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) 留学生などにつきましては若干そういう問題があるということを聞いておりますが、私どもの従来引き受けております研修生というのは、すでにこれらの国々において政府あるいは民間において相当の地位を占めておる方が来て研修を受けられるのでございまして、むしろこれらの方々が日本に来られるというととは、従来欧米のことしか知らなかったのが、日本にも欧米以上にすぐれた技術があるのである、欧米以上に産業が発達しているということを見て帰られるという意味で、非常な好成績を上げておるというのが現実でございまして、ただいま御指摘のような御心配は、研修生に関する限りは、あまり起こっておりません。
  113. 木内四郎

    ○木内四郎君 技術はこちらのほうも相当進歩しているから、そういう点においては遜色はないかもしれませんが、その待遇あるいは給与とか、そういうものは向こうでどうでしょう、欧米のほうに行った人たちに比べて、同じ待遇あるいはそれ以上の待遇を受けるとか、何かそういう点はどうでしょうか。
  114. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) われわれは努めて欧米諸国でこれらの研修生の方々に与えておると劣らない待遇を与えるように努めております。
  115. 木内四郎

    ○木内四郎君 努めておるじゃなくて、向こうの国は一体それをどういうふうに受け入れてくれるかということですね。
  116. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) われわれの承知している範囲では、もちろん国によって違います。たとえば、アメリカなどは相当われわれがとても追いつかないぐらいの、金額の面では待遇を与えておるようでございます。しかし、アメリカの物価高……。
  117. 木内四郎

    ○木内四郎君 アメリカじゃないので、こっちから研修生が研修を終えて帰った場合に、向こうで欧米のほうに行って研修してきた者に比べて遜色がない待遇、給与を受けているかという問題ですね。
  118. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) その点に関しましては、全然遜色がございません。これは大体その先方の政府あるいは企業におきまして、日本に研修生として、すでに地位についておる方をこちらに派遣するわけでございまして、日本に行って研修を受けたために、欧米諸国で研修を受けた者よりも不利になるというようなことは全然ございません。
  119. 木内四郎

    ○木内四郎君 私の聞いておるところとはどうも少し違うらしいのですが、欧米のほうへ行った者は上の部長になり、こちらから帰った者はその下の課長になるという、そういうふうに、向こうのほうは幹部になるが、こちらで研修を受けて帰った者はその下につくというようなことがたまたまあるというようなことを聞いたのですが、そういうことはないのですか。
  120. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) 学生などは、日本で勉強して帰った者よりも、どうもやはりドイツであるとか、アメリカであるとかイギリスであるとか、フランスであるとか、そういうところで勉強して帰った者のほうがいい地位につける。それは一つ言葉関係もございまして、日本に来て四年間勉強いたしましても、まず日本語に相当の精力を取られる。したがって、十分実際の実質的な勉強のほうに時間が足りなかったり、したがいまして、帰って実際に比べてみますと、実際問題としまして日本留学生よりは欧米留学生のほうが力があるというような場合も起こり得るというようなことを聞いておりますが、それからまた、伝統的に従来やはり欧米諸国の植民地であった国、あるいは特別の関係にあったところにおきましては、どうしてもそういう開きが出てくるということを聞くのでありまするが、しかし、その点もだんだん改まりつつある。しかし、ただいまの研修生については、そういう差別は全然ないとわれわれは信じております。
  121. 木内四郎

    ○木内四郎君 それから、こちらから専門の技術家を派遣する。そういう人が気候風土の違ったところで病気になったり、あるいは傷害を受けるというような場合があったら、それはどこが責任を持つのですか。日本国ですか、それともあるいは受け入れ国のほうでその補償をするのですか。
  122. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) この事業団で派遣されていく方々につきましては、これはすべて日本側においてごめんどうを見ることになっております。もっとも、その専門家として招聘される方には、先方の政府あるいは先方の会社あるいは公共団体等で招聘される場合もございまして、そういう場合には、契約条項によりまして、先方でめんどうを見るという場合が多いのでございます。
  123. 木内四郎

    ○木内四郎君 それからもう一つ伺っておきたいのですが、こちらから海外へ派遣される技術家、これはごく短期間の人もあるかもしれませんが、相当、二、三年という人もあると思います。そういう人を遠いところへ単身でやっていくことはどうかと思いますが、家族を連れていくような経費は、今度の事業団からは出していただけるのですか。
  124. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) 御指摘のとおりでございまして、長期に滞在される方は、できるだけ家族同伴ということが望ましいことでございますので、今回の予算におきましては、全部とは言えませんが、相当数の家族の同伴が認められるような予算を取ってございます。
  125. 木内四郎

    ○木内四郎君 ひとつできるだけ向とうで落ちついて仕事ができるように、家族同伴の経費もひとつ出していただきたいと思います。  今度わが国でこういう事業団をこしらえたのですが、それについては私ども参考に、ほかの主要国は一体どういうようなふうにして海外の技術の指導、こういうことに対してやっておるのか、またこの種の事業団というような、名前は変わるかもしれませんが、何かそういう機関を設けておる国があるか、あるならその活動状況をお聞かせ下さい。
  126. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) 諸外国の例を見ますると、政府が直接やっておる、つまり政府機関の一部としてやっておるというところは相当多いのでございます。ただ、わが国の場合には、なかなか政府機関にするということは必ずしも適当ではないということで、実は事業団という半官半民といいますか、半ば政府的な機関をとっております。
  127. 木内四郎

    ○木内四郎君 ほかの国のことはあまりこまかに調べておられないのですか。
  128. 甲斐文比古

    政府委員甲斐文比古君) アメリカは御承知のように、昨年秋に従来ございましたICA、DLF、それから平和のための食糧計画、輸出入銀行の現地通貨業務というものを全部統合しましていわゆるAID即国際開発局というのを作ったのでございます。このAIDというのは、アメリカの技術協力関係の総合的政策を統合しておるばかりでございませんで、同時に、実施機関なのでございます。たとえば、この機構は非常に大きなものでございまして、アジア、中近東、アフリカ、ラ米、という地域局、そのほか計画局三つ、また四つの管理部局、膨大な機構でございまして、完全な政府機関として、これは御承知のように、大統領、国務長官に直属いたしまして、AIDの長官は国務次官待遇となっております。英国の場合には、昨年の七月二十四日に技術協力省というのができまして、この技術協力省におきまして、英連邦関係、それから植民省関係、それから一般のいわゆる諸外国といいますか、これらの関係の全部の技術協力関係の仕事をここで統括して実施しておるわけでございます。また西独におきましては、従来この技術協力関係は外務省がやっておったわけでございますが、昨年の総選挙で、いわゆるCDUとそれからFDPの三つの政党が連立内閣を作ることになりました結果、閣僚のポストをふやすため、一つの独立した経済協力省というものができまして、技術協力関係の仕事もその独立した省で全部実施しております。カナダにおきましては、大体外務省の中に海外援助局というのがございまして、そこで技術協力関係を全部政策並びに実施ともやっております。このように、諸外国におきましては、大体政府機構がみずから技術協力をやっておるわけでございますが、わが国においてはただいま申し上げましたように、特殊の事情から、別に公団的なものを作ったというわけでございます。
  129. 木内四郎

    ○木内四郎君 まだ、ほかにもちょっと質問したいこともありまするけれども、本日は時間の関係上、この程度にしておきます。
  130. 井上清一

    委員長井上清一君) それでは、本日はこれにて散会いたします。    午後四時三分散会    ————・————