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佐多忠隆君 今の船舶
局長の
お話で、船籍が
日本にないので
日本の国旗を掲げてもらうのは困るというような口ぶりだったが、どうも
沖繩の人に対して非常につれない、非常に
沖繩住民に対する愛情のない答弁としか思えない。で、大体、もっと明瞭にしてもらいたいことは、船籍が
日本にあるのだということも言われておりますが、船籍は
日本には全然ないんだ、絶対にないんだ、ただ
沖繩にあるんだということは事実かどうかという点が一点。
それから、かりに
日本に船籍がなくて
沖繩にあるとしても、
沖繩に船籍があるとすれば、これは国籍は依然として
日本だということにならないかどうか。かつて、琉球人は国籍からいってどこなんだということを、いろいろわれわれが
論議したときに、その結論は、
潜在主権がこちらにあるのだから、国籍は
日本なんだということがそのときの結論であり、したがって、
日本人なんだということだったと思うのです。この点も
アメリカ側が了承しているかどうかは私は知りませんが、これもはっきりしてもらいたいが、少なくとも
日本側の主張としては、
政府自身が、
日本人であります。したがって国籍は
日本にありますということを言っておられたと思う。そうであるとすれば、やはり琉球に船籍があるということは、
日本に船籍があるということと実質的には同じことになるので、そういうものとして扱わなければならないのじゃないか。したがって、そういう点からいって、船舶法が今
沖繩には適用されないということは、国籍の問題等から
考えると、船舶法は当然
沖繩にも適用されるものだというふうに
考えて、そう主張してむしろ向こうと折衡することが必要なので、そういうところから
施政権の
返還の問題というものが解きほぐされてくる一つのことでもあると、そういう気持なりそういう
態度で問題を取り上げ折衝することが、
日本人としての、
日本の役人としての
態度でなければならないと思うのに、先ほどの船舶
局長の
態度たるや、まことにわれわれには了解に苦しむものがある。
それからもう一つ、かりにそれじゃ、船籍は
日本にないのだ、そうして
施政権が
アメリカにあるから、
アメリカのほうなんだとおっしゃるのなら、ほんとうに
沖繩の人の人権を保護してやり、あるいはそれらの生命財産を保障してやるという熱意があるのならば、そうして
施政権が
アメリカにあることをそんなに強く
考えるのならば、
施政権が
アメリカにあるのだから、その限りにおいては、生命なり財産を保障するためには、
施政権を持っているところの
アメリカが万全の貴任を負わなければならないし、したがって、
アメリカが、その限りにおいては、
アメリカの国旗を掲げることを許すということでなければならないのじゃないか。
アメリカ側が
施政権をがんばるのならば、あくまでも責任を持たす意味において、そういうことを強く主張して、船なり船の乗組員の生命を保障してやるという
努力をすべきだし、そういう気持なり
考え方で
アメリカと折衡してしかるべきじゃないか。そういうことすら
考えられないで冷然としておられる
態度は、われわれはまことに解せないし、けしからぬと思う。それらの点をあなた方はどういうふうにお
考えになりますか。