○長谷川(保)
分科員 時間がありませんから詳しくはお伺いいたしませんが、まことにたよりない限りの対策です。そんなことでは
看護婦の充足は全然できませんし、医療センサスで実態がつかめると思ったらこれも間違いです。これはこの間も申し上げましたように、あの県の県
会議員が突如として全国の精神
病院を調べたら、
看護婦の数なんて医療法もくそもあったものじゃない。でたらめです。そういうのが一ぱいです。先ほども申しましたが、
東京のある
病院の人が私のところにやってきて、とても医療法なんて守っておれません。そんなことをしたら人件費なんか出やしません。もしそういうことをやって一応いてもらうような人件費を出したら、
病院の経費の六〇%は人件費になってしまう、できません、こういうように申しているのです。実際にやってみるとそうです。それがほんとうです。ですからとても今のようなことではできない。これは徹底的に
大臣、
一つ考え直しても
らいたい。
看護婦がいないと医療はできない。医者だけいればできると思ったら大間違いで、
看護婦がいなければ医療はできない。少なくとも
病院の医療というものはできない。これは徹底的に
考えても
らいたい。御参考までに私の二、三の思いつきをちょっと申し上げてみます。
一つは、今
看護婦が都会に集中して参ります。
東京に出てくる。これをやめるのには、
看護婦の給料に限って級地、一級、四級というのをやめる。そうしないとだめです。これは少し困難でありましょうが、特例を作ってやっても
らいたい。そうして都会に集まることをやめさせる。
もう
一つは、日
本人は学校が非常に好きです。
厚生省設置法を見ると養成所と書いてあります。これがいけません。なぜ
看護高等学校にしないか。
看護高等学校ということなら喜んで入ります。これで今の貸費
制度をやったらどうですか。貸費
制度はもう全国で相当やっています。二年を三年にしてもかまいません。二年でもいいんです。准看養成所を
看護高等学校という名前に変えたらどうですか。そうしたらうんときます。というのは、高等学校にやる資力がないけれども、何とか教育させたいというのが親心です。子供もそうです。ですから
看護高等学校という名前に変えますと、応募者がうんと出てくると私は見ておる。もう
一つは同時に高等
看護学院、これを
看護大学というふうにしたら、女の人は教育に非常に熱心でありますから、希望者がうんと出てくる。ことに准看が非常に足りないこともありますから、准看からの進学課程の
看護大学をもっと作ってほしい。それがないから准看にこない。進学課程に行けるという形、つまり今日の高等
看護学院の課程に、進学課程と普通課程の両方あるが、それを
看護大学にも作れば准看の志望者が入ってくる。これは文部省
関係があって、学校というのは困難かもしれない。しかしソ連を見てごらんなさい。ソ連は一九三〇年までは医者は全部文部省でした。けれども一九三〇年を境にして医者の学校は全部
厚生省にした、それでいいのです。当然
病院に付属しなければできないから、そうすればいい。これをやっても
らいたい。そうするとよほど違ってくるのではないかというふうに
考えるのです。今の貸費
制度は、
主計官の方で十分
考えても
らいたい。もしこういう
看護婦のことに力を入れてくれないと、大蔵省の役人や行政管理庁の役人が病気になっても、
看護婦を出さぬぞということを医療労働組合の方たちが冗談に言っておりました。そういうことでしたから、これは大蔵
大臣以下も命に
関係すると思って真剣に
考えても
らいたい。
それからこういうような困難なときには、民間の人間というものは頭を上手に働かして、いろいろな工夫をするものです。それだから民間の
看護高等学校とか
看護大学というものを作るものがあったら、どんどん補助をやって下さい。そういう
制度を作っても
らいたい。そうしますと、お役人の人はしゃくし定木の
考え方をしますけれども、民間の人はなかなか抜け目ないものを
考えますから、また困難は困難なりに、どこぞに突き破っていく道を
考えます。ですからそういうことを積極的に
一つ考えても
らいたい。
いろいろこまかいことを申し上げたいのでありますが、時間がありませんから、ついでにちょっと触れますけれども、神奈川の
療養所で
看護婦さんが百十四名いるが、今月から来月にかけて五十名やめようという話が出ております。騒ぎになっている。事情を聞いてみますと、勤務評定をやったというのです。そして成績のいい人にたくさん金を出すから、もらわない連中が腹を立ててやめるということになっている。これは実にまずいやり方だと思った。それで
病院当局としては病棟を二つ閉鎖するという形にする、また
厚生省の方で調べに行くと、それは上手に
病院の当局は従業員を押えて、
厚生省に正しい把握ができないように努力するといううわさがあります。うわさですから、これはほんとうかどうか知りませんが、これは実にまずいと思うのだ。たださえ困っているところへ持ってきて、こういうことがあるということは非常にまずいと思う。
それでこの
国立の
療養所のことで
考えられますことは、
国立病院は恩給もあり、いろいろするものだから、割合人が集まってくるのですけれども、しかし今日
国立の
病院などに付属しております高等
看護学院で、その卒業生を自分のところが困るから締めてしまって、他に出さないというやり方、これも先ほどの民間の
看護学校を助成してもらうということと関連するのでありますけれども、これも困ると思う。私は最近幾つかの高等
看護学院をたずねてみました。そうすると、基
本人権の侵害でありますが、
方々から来ております
看護婦の募集の申し込みを、総務
課長なり業務主任が握ってしまって、
看護婦に渡さない、こういう事実を至るところに見ております。こういうことはいけません。そういうやり方が至るところに出てきて、
国立療養所におけるこういう大量の退職というような問題が出てくる。だからこういう問題は
一つ考え直して、よく監督して、それこそ指導してやっても
らいたい。あなた方直接の
仕事でありますから、こういうことのないようにしても
らいた
こういうようなまずいことが出て参りますその原因の
一つに、日本の
病院の管理者というものは医者でなければならないという、ここに問題が
一つあると私は思います。この問題をやはり根本的に
考え直す必要がある。御
承知のようにフランスへ参りましても、あるいは西ドイツへ参りましても、
病院の管理者はむしろ医者ではありません。日本の
国立病院等には庶務
課長という堪能な事務官もおりますけれども、しかし御
承知のように専門技術者というものは、政治家ではありません。経営者ではありません。政治家、経営者というものと専門技術者というものはおのずから違います。ことに日本の医事教育というものは、非常な封建制を持っている。大学の医局というものは封建制を持っている。もうそのことだけしかわからないようなかたわの技術者に、日本の医者というものはされております。これは私も大ぜいの医者を扱っておりますけれども、始終そう思う。これは日本の大学の医療教育というものの、根本的に
考え直さなければならないところでありますが、同時に順次変わりつつありますけれども、こういう育てられ方でできた全くの専門技術者の医者に、
病院の管理、運用をさせるということは無理であります。もちろん医者でもそういうことに堪能な人はけっこうでありますけれども、医者でなくて
病院管理者になれるということは、フランス、西ドイツあるいはその他の外国でも
幾らでもやっております。そういう
制度をこの際取り入れるべきだ。そうすると
病院の管理、経営というものは、よほど変わって参りまして、この神奈川の
療養所のようなばかげたことを、面と向かって、今日非常に
看護婦が動揺しているときに、勤務評定をやって、ある人によけい金をやるなんということはやりません。やるにしてももっと上手にやります。そんなやり方をいたしません。こういう点が日本の
病院の至るところに出てくると思う。そういう点を
一つ考えても
らいたいと思うのであります。
最後に、こういうような社会福祉法人あるいはことに医療事業というようなものには、医療金融公庫あるいは社会福祉事業振興会あるいは
年金事業団というようなものが出て参りまして、順次金融の道が開いてきておりますけれども、何しろ、たとえば医療金融公庫のことしの事業
予算を見ましても九十億円です。ちょっとした
病院を建てるとこのごろは一億円です。こんな九十億円はかりの金
——もちろんこればかりではありませんけれども、このようなことでやれるはずがないし、ことに先ほど来申しておりますような非常な低位診療報酬
——国立療養所、
国立病院の会計を
主計官の方でごらんになったらわかります。私が先ほど申したことは、決してうそではありません。こういうような国でやっておるものでさえもこういう事態になっておるのに、それを診療報酬基準として押しつけておる。その中でもう特別な融資をしなければ、日本のそういうような医療施設の
改善はできません。しかも医療というものは日進月歩する、こういうことでありますから、このワク自体がこんなことではだめです。こんなことでは何もできません。このことを根本的に
考え直しても
らいたい。ことに医療金融公庫でも
年金事業団でも同様だと思いますけれども、窓口が市中銀行です。その市中銀行は二〇%責任を負わされる。このことから、つまりその事業が黒字になる事業でなければ金を貸さないのです。しかるにほんとうに営利を離れて医療の本質を実現をしていこう、ことに
病院には、申し上げるまでもなく単に医療だけの責任があるのではありません。社会的な通念といたしまして、
病院は地域社会の予防衛生事業あるいは医療事業のみならず、研究の
仕事、あるいは医療
関係の従来員の訓練、こういう少なくとも三つあるいは四つ、五つの
仕事、任務を持っておるのです。
厚生省の方でもそういう御指導をなさっていると思う。そういうことで、営利事業だけやっておるのではないのです。そうなりますと、今のような窓口銀行というものが二割の責任を持たされるということになると、営利でもうかっていなければ貸さないのです。ここに大きな問題が出てくるのです。
もう
一つは、八分の利息です。これはもうだめです。先ほど来申しておりますように、今の診療報酬ではもうかりはしません。ことに従業員の待遇をどんどんよくしていかなければなりません。そうしなければ
看護婦が集まらないという事態、そういう事態に、こんな八分なんという利息はとてもだめです。だから今やっております六分五厘に全部下げるということと、二千万円のワクなんて、そんなものでは役に立たない。医療金融公庫の二千万のワクなんてとってしまわなければいけません。そのワクをとれば、おのずから全体の総額も大きくしなければ、今の
状態の日本の医療の役には立たぬ。こういう点を十分研究して、理解してもらわなければならぬ。いつも
厚生省の悪口ばかり言っておりますが、
厚生省の悪口を言っても、大蔵省がきついからどうにもしようがないというのが私どもの
考え方なんです。
幾ら申し上げても切りがありませんし、時間がありませんから、ごく簡単にいたしましたが、そういう点をほんとうに
考えてもらわぬと、実際直接人間の生命を相手にしている問題でありますから、もう基
本人権の一番根本の問題でありますので、この点は大蔵省の方でよほど大きな理解を持って、今の保育所の問題にしろ、その他の社会福祉施設の問題にしろ、医療施設の問題にしろ、十分
考えてもらわぬと、ほんとうに
看護婦なんかなくなってしまいますよ。やる者はありません。これは世界的な傾向なんです。私が昨年
厚生省に注意したのは、世界じゅう歩いてみて、どこへいってもそうなんです。なり手がない。こんな責任の重い、夜も働かなければならぬ、こういう
仕事をやろうなんという娘さんは、今の享楽の
時代に、世界的にないですよ。それが日本も
一つの傾向になってきておる。今年は募集してもうまくいかぬように言っていらっしゃいますが、昨年は募集すればよくいくような
お話だった。ところがどういう点を見のがしておるか、応募者はあるのです。ありますが、高等
看護学院を幾つかかけておる。それを全部計算に入れている。それから入るときには、土浦の高等
看護学院でも三十三人入った。出るときは二十二人だ。途中でこんな
仕事はいやだとやめてしまう。そういうことを
厚生省は把握しないから、こういうとんでもないことになる。いずれにしてもこれは待遇問題なんです。いずれにしても、これらのことについては
予算をつけて金を出してもらわなければどうにもならない。ですから大蔵省はこれらの点を十分
考えても
らいたい。
大へん時間が超過いたしまして恐縮でございましたが、時間がありませんから、あとはまた社会労働委員会でいろいろ申し上げます。