○
高木政府委員 ネイバの
移住調査について、この前決算委員会で農林省中田技官がお答え申しましたように、中田技官は、
現地へ参ります前に、ドミニカ
政府からあらゆる詳細のデータを得て、
日本でそれを検討し、
最後に疑問の点を
自分は
現地に行って見たのであって、
自分としてはあれが不十分であるとは思わないということを申しております。それからドミニカの問題が、いつごろから問題になったかということを私も書類によって探してみますと、結局
昭和三十五年八月ごろからでございまして、ネイバの
移住者も入りまして一年あるいは二年半、当時の故郷へのたよりは相当明るいのでございます。この点先生にもぜひ御披露をいたしたいと思います。それによってあれも若干違うかと思いますが、先般決算委員会へ証人として呼ばれました久保文雄氏自身が、この方は徳島県出身の方でございますが、
現地へおいでになってまる一年を経てからお出しになっている手紙がございます。ちょっと御披露申し上げます。
「早くも丸一年を迎え感無量なものがあります。さてこのたびは絵と共に当コロニヤ(開拓者
移住地)の模様などをお報らせして少しなど後々の
移住を志される人達のために参考ともなれば幸いに存じます。この絵をごらんの様にこんな美しい家に住んでおります。小生宅よりお隣りを望んだ絵です。」として、この絵のこまかいことを書いて、「こんな具合に総ての家が目もさめる様な美しさにペンキで化粧されています。少し離れた耕地から望むと巨大な花園の様です。台所、便所、別棟室は四部屋、そして家族数だけの上等のベットが置かれ、勿論蚊帳、枕、純白のシーツ及びマットが付いており、屋根及び台所周囲は熱にたえる特殊な材料が用いられて、一戸当り五〇〇ドル掛けたと言われるだけに立派なものです。
移住者の住むには過ぎたる感があります。入植当時は未だ水道工事の最中で、新築のホヤホヤでした。住宅三〇戸、学校、教会、倉庫、事務所、
管理官住宅(我々の世話をしてくれるドミニカ人の長)、以上の建物がネイバ山脈の麓、目の前にはネイバ市、バウルコ平原を望む景色の良い緑の丘に建っていて、其の周りが耕地になっております。」こうこまかく書いていて、「丁度御伽話の中に居る様な雰囲気に包まれます。最寄りのネイバ市迄道程二キロ、募集要領にありました様に、
約束通り立派な直線のアスファルトの道路が最近に出来上り、益々便利になりました。」ということで、
現地では映画をやったり、踊りをやったり、「八月十五夜の茶屋」を見たとなって、「うちでは今バナナ園とブドウ園の建設に力を入れており、バナナは一本分上物で一ドル、下ツツ込みで七〇セント、
アメリカの大きなフルーツ
会社が買取りに耕地迄トラックで積みに来ての相場です。とにかくドルとペソと同値なので有利です。次にドミニカから飛行機で旅行するとすれば、旅費は左の
通りです。
アメリカ、フロリダ半島のマイアミ迄大人往復一〇〇ドル、 ニューヨーク往復二〇〇ドル、米領プエルトリコ島迄往復四一ドル、これで旅行出来ますから、我々にも手の届かぬ夢ではありません。」ということを言っておられます。
また今度お帰りになっておられる小市さん、これは神奈川県の方でございますが、この方も同じように「昨年、御便りを差上げた頃植付けたギネオ(バナナ)がその後順調に発育致し、此の五、六月よりドミニカ・フルーツ
会社へ毎週四、五〇本づつ出荷して居り、
金額にして月一〇〇ドル前後の収入があり、今では苦しかった過去一年が夢の様で、入植第一段階をどうやら突破出来ました。」云々と書いてあります。
それからネイバからの手紙でございますが、小田原の日下部弘という方ですが、「横浜出港致しましてより二年半、この間何の御便りも致さず」云々、「現在、面積、品種共にド国一番のブドー園です。現在農務省も大変ブドーに力を入れ、アルゼンチンより専門家をまねき、小生の所有地の一部(三町歩)に二〇〇種のブドーの苗木を南米、ヨーロッパ等より輸入致し、試植致して居り、品種を見定めて後、小生に下さる事になって居ります。只今本年第一回目の出荷も終り、第二回目の収穫も二十日後には初まる
予定です。当地方では品種により一年三回の収穫が有ります。小生のは大半がマーラガ種で、年三回の収穫です。販路も現在は業者の買附がはげしく、畑売にて代金も前払する故、全部買い取らせて下されなど申出る業者も有り」こういうふうに、これはネイバでございますが、ハラバコアその他からも来ておりまして、私はかなりこれは故郷に対する、少しオーバーの手紙ではあると思いますけれ
ども、帰られて
お話しになったような悲惨な状況では、とてもこういう手紙は書けないと思うのであります。
こういう点を考えまして、実際事態が変わったのは
昭和三十五年八月、ドミニカが汎米諸国から国交断絶を受け、経済封鎖をされ、従来輸出できたバナナも輸出できなくなり、国内のマーケットも観光客が来なくなり、市場が狭隘になった。従って値も下がったというようなことが
事情である、こういうふうに思います。こういうことを申し上げるのは、決して
移住者に冷淡だということではございません。われわれといたしましては、
外務省といたしましては、在外邦人のめんどうを見るのが
外務省の責任であり、特に
移住局長のポストにいる者は、
移住者の安全その他については十分の責任を持たなければいかぬというふうに感じております。それがためにネイバに参りまして、私は
移住者の方々に、皆さんを国援法のラインに乗せてお帰しすることにいたしました。しかし皆さんが
政府に損害賠償というようなことで
法律上の義務まで言われると、非常にむずかしくなると思います。見たところ、皆さん三十才前後の非常にお若い、元気な方ですから、お帰りになって前向きで
一つ就職その他をお手伝いするというふうにさしていただきたいと申し上げたのであります。そのとき一番
最初に、名前は覚えがないのですが、色の白い、感じのいい方でございました。われわれは
自分らの意思で来たのであって、今度帰してもらうことは感謝しているという
お話でございました。こういう
事情でございます。