○小松
分科員 法律を
改正してまで、そういう公社が電電公社という
性格を持って投資をしていくということになれば、事は
相当問題がある。だから、現状そういう派生的なことを考えないで、もう少し別な
考え方に
一つもう一回考え直すべきじゃないか。それを無理押しに、しゃにむに
——どの
程度大蔵省と話が進んでいるか、それはわかりませんけれども、
郵政大臣の政治力で無理やりに大蔵省を説得してというふうに聞こえますが、大蔵省も大蔵省で筋を通してというところになって一その点はわかりませんが、私なりに考えた場合に、それはそういうことでもっと完璧にできれば、あなたがおっしゃるようなことによって、そして電電債のあれが
大衆のために役に立つようになれば幸いですけれども、実際はそうではなくして、派生的な一ほかのところに金は出したわ、実際はまじめに
郵政省当局なり、電電公社の考えなり、意図
通りにやれば、結局は運用の妙味がなくなって、しまいには赤字になる。されば、それを補っていくのには、電電公社から次々に追い討ちをかけた出資をしなければならぬ。そうやらせないためには、当初の目的からはずれて、思い切った別個の証券市場の買いあさり、あるいは
ほんとうの証券界の切った張ったの生きた中にいかなければならぬという結果になる。それはすべての、たとえば信用組合にしても、農業協同組合にしても、協同精神によってやらなければならぬ。その協同精神によってやっておれば、しまいにその信用組合はどうにも運用ができなくなる。結局、企業として成り立っていくことが先決か、協同組合の精神にのっとって
大衆のために生きるのが先決かという問題にみなぶち当たる。それは農協にしてもみなそうです。
最初の振り出しがそういう振り出しで出たものは、当初しばらくの間は当初の精神でということでやっていくけれども、しまいには、それでは身の振り方をどうするかと開き直ってしまう。実際のところ、あなたの言うような協同精神にのっとってやれば、おれのところは赤字の連続じゃないか、赤字を補てんしてくれればやりましょう。赤字を補てんしてくれなければ、おれの思う
通りにやるよりしようがない。これは常に農協系統の言い分です。信用組合あたりはすべて
——あるいは労働金庫でもそうです。労働金庫では、零細な労働者の資金を集めて
——当初は非常に零細な気持で、とにかく労働金庫というのは運用の資金は最小限でいいのでありますから、労働者の金を集めて、労働者に
ほんとうにサービスするのだということで発足した労働金庫すらも、今日、労働金庫が普通の銀行と少しも変わらなくなって、むしろ普通の銀行よりも利子をよけいとって、はね返りが大きくなる場合もあるわけです。これでは当初の目的がはずれてきておる。その金庫などの機関を運営するためには、結局はどっちかになってくる。そういううまいことを言うて、おれに電電公社の債券のお恵みだけやらせれば、赤字になるじゃないか。それで、お前の方からもう少し資金を投資してくれということになる。そんなことを言ったって、毎月々々できるじゃないか。お前の方は独立採算制でやってくれということになれば、当初の見込みは薄れてしまう。こういういろいろのものがあるわけであります。そういう面からすれば、電電債の声やよし、その意図やまことに悪いとは言わぬけれども、証券市場、債券市場の中に、そういうささやかな
郵政大臣の希望がはたして具体的にどう生かされるかということを考えたときに、これはどうもたよりない
構想だと見るから、あなたも内閣の一員でありますから、池田内閣は、
責任をもって公社債発行の起債市場ももちろんであるが、流通機構を抜本的に
改正する、そのために金融制度をもう少し考え直そうじゃないかという大きな見地で、内閣自体が政治的に動くということが先決であろうと考えるわけです。これから先は私の愚鈍な
意見かもしれませんが、そういうような感じを持っているわけです。
もう時間過ぎましたか。