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門司分
科員 消防関係は、これだけしか聞きませんが、これを総体的に見ましても、さっきの
お話のように、施設あるいは器材費が非常に少ない。外国の場合は逆で、非常に
人件費が少なく、器材、設備費にかなりの金を使っているが、こういう姿でなければならぬと思う。だんだん
消防が機械化されてきて、それから
消防の施設というものが充実してくるという形をとらなければならぬと思うが、遺憾ながら、日本の場合は逆であって、施設費が非常に少ない。こういうことをぜひ思い切って改めてもらいたいと思う。そしてそういう問題が、
地方財政を策定する場合の
一つの大きな変わり方というようなことに使われなければ、いつまでたっても日本の
消防というものは昔の火消しの範囲を出ないと思う。今日こういう点で、案外当局もゆっくりしているし、また世論も割にやかましく言わないで、火事があったことだけを新聞もいろいろ書き立てている。しかし、実際には昔の火消しのようなものの
考え方が非常に多いのではないか。これを改めようとするのには、やはり
消防庁の方で、火消しというような根性でなくて、機械化していくということに重点を置いて、そして
消防というものは、あくまでも機械的に、科学的に操作をし、行動するんだというようにしむけてもらいたいと思う。
消防団員だけを幾らふやしてみたところで、これはどうにもならないと私は思うのです。だから、いいかげんな——いいかげんという言葉を
速記録に書かれるとどうかと思うが、昔の火消しの
考え方を改めて、そして
消防はあくまでも科学的に機械的に
消防施設というものを行なわれるべきだということに、
一つ切りかえてもらいたいと思う。そうするには、やはり
消防庁自身がそういう立場に立って、財政
措置その他について思い切って
一つやってもらわぬと、いつまでたったって
消防の発展というものは私
どもは望み得ないのではないかということが
考えられる。悪口を言うわけではありませんけれ
ども、たとえば、まだ残っておるものの中に、
消防の大会など東京で開かれると、依然としてしるしばんてんを着てくる人がかなりたくさんあると思うのです。どうもしるしばんてんでわらじをはいてねじりはち巻をしていなければ火消しでないような気分が横溢している間は、なかなか近代的な
消防施設にならぬと思うのです。この辺で
一つ消防当局で
考えてもらいたいと思います。
その次に聞いておきたいと思いますことは、これは
大臣に
一つお聞きをしておきたいと思うのです。これは
消防関係ではありませんが、しばしば問題になるのでありますけれ
ども、国と
地方との会計年度を変えるということは一体できないものかということです。これは大蔵省にも
関係があろうかと思いますが、私は、
自治省としては、やはり会計年度を変えた方がよろしいという態度をおとりになることの方がいいんじゃないかと
考える。それは御承知のように、会計年度が同じですから、今国会で
予算を審議する。
地方の自治体も大体今月の末から三月にかけて開かれる。しかし、国からくる補助金あるいは交付金というものはほとんどまだきまっておらない。従って、
地方の
予算というものは、大体骨格
予算が組まれておる。そしてすべてが追加
予算で事業
予算というものが組まれる。だから
地方予算の都道府県や
市町村の
予算を見て参りましても、
実態は明らかにならない。同時に、一番大事な事業
予算というものが当初
予算に出てきませんから、結局そのつど補助金がきまったとか、あるいは交付金がこのぐらいくるようになったとかいうようなことで、追加更正
予算できておるから、結局
地方の自治体の
予算の性格というものが無性格になってしまう。急いでやるべきもの、あるいは重要なものがあと回しになって、
予算のついたようなもの、あるいは補助金のついたようなものが、結局先回りをするという
地方の
行政の混乱を導いておるのは、私はここにあると思う。同時に、もう
一つの問題は、
地方には
予算執行の面で非常に大きな無理がある。同じように十二カ月の一年を勘定いたしておりまするが、同じ時期にきまってきたものが、四月に国の
予算が確定しても、それが
地方に配分されてほんとうに使えるようになるのは大体八月か、おそければ九月になる。そうすると、
地方の自治体がそれを受けて立って
仕事をするということになると、
地方の自治体の実際の
仕事というものは、九カ月かあるいは八カ月にしかならない。その間でとにかく
予算をこなさなければならない。特に十二月から二月一ぱいぐらいはほとんど
仕事のできない東北、北海道のようなところは、もっと縮めなければならない。これでは
予算にかなり大きなむだがありはしないか。
地方の
行政の混乱と同時に、
予算の執行に対するむだというものはかなり大きなものがあろうかと私は思う。特に
地方の自治体というものが場当たりの、さっき混乱と言いましたが、場当たりの
予算が組まれて、はっきりした性格が失われておる、これを改めようとするには、どんなにやかましいことを言いましても、私は会計年度を改める以外に手はないと思う。そうして国の
予算を暦年にするか、あるいは
地方を暦年にするか、手っとり早く言えば、国の
予算が暦年になって、
地方が四月からという方が、会計の始末としては私はやりいいと思う。その点の
考え方は、
自治省としての御答弁でけっこうですが、これは閣議にかけてなどと言っていると、大蔵省なんかはかなり
反対をしますから、
自治省の
大臣としての立場から、どうすればよろしいかということをこの機会に聞かしていただきたいと思います。