○永井
分科員 私は、この問題は、
国会の論議が時間切れのために中途半端で切られて、そして
国民から見たって、時間がありませんから、これでやめますでは、院外における
国民の疑問に答えることではないし、それから正しい審議の仕方でもありません。私は
個人攻撃をするわけじゃないし、何もするのではない。ほんとうの
政治家としての姿勢は、過去のことは忘れてなんという、そういう虫のいい話は私は許されぬと思う。過去の事実は事実としてこれを確認する、しかし、もし過去に悪いことがあるなら、それを二度と繰り返さないようにするということが私は
政治家としての良心だと思う。
国会もそういう過去のことに触れるのは何かおとなげないように思ってはいかぬと思うのです。過去のことは事実として、消してはいけません。それはどこまでもその人の
政治家としてついて回りますから、だから悪いことはするものじゃない、こういう戒めにしなければいけないという、その
意味においてわれわれは言っているのであって、決して私は
個人攻撃や何かの材料にこういう問題を提起しているのではありません。従って、この砂糖の問題も、三十六年度以降はとらないというのですから、とらないならば、この
国会で、十八億をどこから出すのだ、こういう財源を明示しなければいけない。税金で納めている、税金で納めているというが、それだけの利益が何にも入っていないのです。そのもうけというものはどこへどう消えてなくなっているのか、わけがわからない。行政
措置だ、国内のビートを開発するためだ。何にもそういうところへつぎ込まれていないのです。結びついていないのですよ。そうして、二面は消費者の
犠牲、二面は生産者
農民の
犠牲で、中間にいる業者だけがぼろもうけをして、自由化に踏み切っていた自民党の
政策を、
政治献金の
金額によるのですか何ですか知らぬが、天から降ったように、自由化しないという
方向に変わった。こういうふうなぬくぬくとした
価格管理の中において、こういう砂糖の分野において、あまりにもひどい無法地帯が大手を振って闊歩しておる。これを見のがすことは断じて許せない。
政治家としても、
政府としても、もう少し——今に私は院外において消費者から声が起こってくると思うのです。それが起こる前に、与党であれ野党であれ、院内で解決できるものは院内で解決しなければいかぬと思うのです。そうでなければ、院外の
国民が院内の
政治に対する信頼をつなぐゆえんでないと思うのです。過去のものはそれだけの利益があるという計算をして出したのです。ところが、そこから出さないで、三十六年度以降の利益から出して損金に落としていく、そういうばかなことは恥の上塗りみたいなもので、私は断じて許せない。
主査がやめろというのですから、私も
主査の民主的な方式によって穏やかに引き下がりますが、この問題は消えてなくなる問題じゃないですから、私は十分明らかにして
国民の前に示さなければならぬと思う。私は大蔵
大臣の
政治家としての良心を高く評価します。どうか、そういう
意味において、くさい
政治家としての足跡を残さないで、後々あの足跡はくさいぞという足跡を残さないように、ぴりっとした
立場で善処していただきたい。国税庁に対する問題なんか、もっともっと追及すればいいのですが、
部長は困ったような顔をしていますから、これで私は
承知いたします。
部長を困らすために私は言っておるのじゃないですから、どうかそういう
意味において善処を期待します。
最後に、
大臣、これは私が言ったように、自由化しなければこういうことはできないんだというのではないのです。管理
価格の中ではちゃんと方式があると思うのです。定まった
一つの方式があると思う。その方式に従って超過利潤は法的にとるようにしたらよい、そうしてとったものをつぎ込めばいい。関税において五口億くらいとっておるのじゃないですか。関税が、三十五年度は五百億、三十六年度は五百十四億、こんなに関税をとっておる。消費税はやはり、二百八十五億、二百九十六億、砂糖の
関係で三百億に近い金をとっておる。これはみんな消費者の負担です。この金が一体どこへいっておるのですか。こういう形でとったものは、国内の甘味資源の開発なら開発の方に、きちっと
予算をとって公に議会を通してつぎ込めばいい。何が何だかわけがわからぬところで取引して、問題をあいまいに
処理しておるというところに、汚職、疑獄のにおいがぶんぶんする。これでは
国民は、何ぼ信頼せよといったって、信用できません。大蔵
大臣の最後の決意を伺いたい。