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赤松分科員 今厚生省及び労働省が説明しましたように、
大臣あなたよくお聞きになったと思うのですが、これは地方自治体が行なう
ところの施策に対する補助金なんです。何分の一かの補助金ですよ。そうすると、池田内閣として、このスラム街対策としての総合的な国費による
ところの大規模な対策というもの、そういったものは全然計上されていないわけです。だからスタートが間違っているんです。つまり地方自治体がスラム街対策をやるべきものである、そういうスタートから出発して、従って
政府はそれに見合った補助金を出せばいいんだ、こういう
考え方が三十七年度
予算に貫かれておる。スラム街対策に対する
考え方が貫かれておる。私はここに問題があると思うのです。それならば池田総理などがああいう事件が起きた直後に、いや自治体にやってもらいます。
政府の方はそれに見合って補助金を出す
程度のきわめて消極的な防貧対策しか進められませんとはっきり言えばいい。当時はまるで
政府の手で一ぺんでスラム街がよくなるようなことを言って、ああいう事態が起きたのは、ひとえに政治の貧困にあるとこう言って遺憾の意を表しておきながら、三十七年度の
予算の中においては、
政府としての独自の政策というものは全然ない。たとえば建設省から出す
予算にいたしましても、きわめて
一般的な
予算であって、釜ケ崎とかあるいはどこどこというようなスラム街に対する特別な対策というものは見当たらないわけであります。この点は
一つ根本的に
考え直さなければ、もう参議院選挙なんかで大きなことを言ってもらっちゃ困る。私
どもはこういうような二重構造を何とかしますなんということは、以後あまり口にせぬようにしてもらいたい。二重構造など、たとえば、貧困対策とか防貧対策、福祉対策などはおおむね地方自治体にやってもらいます、
政府の方はそれに見合ってただ補助金を出すだけの
考えでございます、こういうふうに演説をやってもらわないと事実を歪曲することになるし、全く
国民を欺瞞することになる、こういうふうに思うのです。私は大阪の治安当局の
意見と全く一致しておるのであって、一度
大臣もごらんになればおわかりになりますが、こういう階段式の
ところへみな寝ておるわけです。シラミと南京虫に襲われながら寝ているわけです。夏はとてもとても寝ていられるものではない。むんむんいたしますから、つい外へ出る。外へ出て何かのきっかけでああいうような事件が発生する。これからおそらくこれは何度も繰り返される。だれが扇動しなくても何度も繰り返される。ただその場合に事件の本質というものを見きわめなければならないのは、あの群衆が、
政府は暴徒と呼んでおりますけれ
ども、先ほど言ったように暴徒といわれるのは全体の二〇%、しかもこの二〇%は、あの釜ケ崎の事件の際には権力側に回った、警察側に
協力したのです。群衆に向かって暴力をふるったのです。従ってその八〇%の人たちは善良な
国民なんです。善良な
日本人なんです。この善良な
国民がどこに向けてその不満を爆発させたかというと、権力に対してです。警察に対してです。あれがもし権力すなわち警察というらち外から出て、
一般民衆に対する暴力が行なわれたならば、おそらく群衆みずからの手でこれは克服されます。この点私は釜ケ崎の住民といえ
ども私
どもの同胞として十分に信頼していいと思う。平素から権力に対する不満が累積をいたしまして、あのように集中的に爆発したけれ
ども、これが大阪市民の手にこういうような暴力が加えられた場合には
——加えられることはありません。限界があります。しかし加えられた場合には、その住民みずからの手でそういう
方向は是正される、これは現地の学者が長い間スラム街に入って
研究したその
研究の結果実証しておる
ところの
結論なんです。私もこれを確信しております。従ってあの事件が発生した、暴徒に対しては何か断圧すればそれで事は足りるのだというふうな
考え方でなしに、あのスラム街の中にいろいろ重なり合っている
ところの諸条件というものをあらゆる角度から、つまり社会科学の
立場から十分にこれを科学的に
検討して、そうしてこれに見合う
ところの対策を講じなければならない、かように
考えるわけであります。
繰り返して申し上げますけれ
ども、なお神戸にもある、尼ケ崎にもある、東京の山谷にもある、全国至る
ところにこのスラム街というものがあるわけであります。これがまた例の差別をされる
ところの部落民、その部落民の差別観念、それに対する不平不満、そういうものとずっと結びついて、今、
日本社会の底辺にこういうものがあるということをよく
考えていただきたいと思うのであります。この諸君は政治に対しては無関心です。池田であろうと、水田であろうと、だれが総理
大臣になろうと、そんなことは関心はありません。河上になろうと、池田になろうと、別にそんなことは彼らの重大関心事ではない。だから選挙の際にはおおむね棄権してしまう。共産党が行っても喜びません。自民党が行っても悲しみません。政治に対しては無関心であるだけに、われわれはこの底辺に泣く
ところのこういうような貧民階層、ボーダー・ライン以下の諸君に対しましては、特別に愛情の手を差し伸べなければならぬ、そういう責任がある。あなたたちのように、池田もそうだけれ
ども、皆東大をぬくぬく出て、そうして官僚畑を歩いて、けっこうなお給金を国家からちょうだいして、出世街道をひたすら歩んできた者にはこのスラム街の人たちの気持はわからぬ。幾ら私がここで説明してもあなたたちにわかるものではない。百万べん、千万べん私が言を費やしましてもそれはわかるものではない。ただ私は多くのことを望みません。母親が行商のため、あるいは日雇いのために
自分の子供に五十円を渡して働きに行かなければならぬ、その母親の気持、あるいは夕方から売春に出かけなければならぬ、その場合に子供を二百五十円で他のうちに預けなければならぬ母親の気持、こういったものだけでも十分に
一つ考えてやってもらいたいと思うのであります。その一点だけでも
考えてもらえば、立ちどころに、福祉対策としてはもっと愛情のある
予算が組めるのではないだろうか、たった三千万円くらいの金を、しかもアイヌ、同和事業を含めて、
日本全国のスラム街でこれが福祉対策でございます、これが三千万円出しましたと、今厚生省の説明によりますと、去年の
予算よりは何か一千万円ふえてはおりますとかなんとかいう説明なんです。そんな説明だれがまともに聞きますか、そんな説明を釜ケ崎でしてごらんなさい、ぶんなぐられてしまう。だれがそんなものをまともに聞きますか。一千万円ふえたといっていばっているのはあなたたちだけなんです。そういうことでは問題の処理はできないということをよくお
考え願いたいと思うのであります。
私はなお釜ケ崎の資料につきましてはたくさん持っております。先ほど申し上げましたように、われわれ自身も反省しなければならぬ。それは
国民の血税を使って国政調査に出かける。出ていって帰ってきて何をやるかといえば、
通り一ぺんの報告書をこの
委員会に出して、それをぺらぺらと
委員会で五分ほど読んで、それで万事終わりなんです。毎年々々国会議員が国政調査に出かけていくけれ
ども、それが
予算のしに一体現われたことがあるのかどうか。現実に政治の上に生かされたことがあるかどうか。こんなことを繰り返しておったのでは国会の権威は地に落ちます。どんなりっぱな憲法を持っておっても、国権の最高
機関なんと言っておったって、言っているのは国会議員だけで、おれは最高
機関だなんて言えるのは国会議員だけで、
国民から見れば、最高
機関でもない、最低
機関だということになる。ですから、われわれ自身もそういう点を反省しなければならぬということから、法務
委員会に対しましても、あるいは社会労働
委員会に対しましてもこのことを申し上げまして、従来の惰性を一掃して、国政調査をやった場合、私
どもがそれを忠実に
委員会で報告すると同時に、
委員会は与党、野党を問わない、
政府に対してその結果を十分に政治の上に、
予算の上に反映させるという措置を講じようではないか、こういうことを私は強調して参りました。
政府の方も、ああ、あれは恒例の国政調査という
考えでなしに、衆議院から三
委員会を特に釜ケ崎を指定してそこに調査に行った。その調査の結果も
委員会で報告されておる。その
委員会で報告されました報告書をせめて
通り一ぺんでけっこうだ、ばらばらっと目を通すだけでもけっこうだから一ぺん目を通してもらいたい。そうして、その中から、たとい
一つでも二つでも
予算の上に生かしてもらいたい。そうしなければ池田、水田を含めて、あなたも国会議員だ、池田総理も国会議員だ、国会議員全体の権威を落とすことになる。三
委員会が足並みそろえて、一地区に国政調査に行ったという前例はありませんよ、それほど当時国会も
政府もこの事態を重要視しながら、三十七年度
予算では三千万円、アイヌ、同和も含めて去年よりも
予算がふえております、こんなことでどうして
国民に申しわけが立ちますか。
財政投融資も大事でしょう。しかし、
財政投融資を受けるのは独占です。食うに困らぬ連中です。
政府から投融資を受けられない
ところの階級、特に底辺にうごめいておる
ところのわれわれの同胞に対して、もっと思いやりのある政治を
一つ考えてもらいたい。いわゆる補助金
制度にたよってすべての責任を地方自治体に転嫁して、てんとして恥じないという態度は改めてもらわなければならぬと思いまするが、この点について水田
大蔵大臣並びに国務
大臣水田三喜男としてどう
考えておられるのか、明確に
一つ御
答弁をお願いしたい。