○長洲
公述人 長洲でございます。私は
経済一般について話をしろというふうに伺っております。三十分で
日本経済一般について、
予算との
関係でお話を申し上げることは大へんむずかしいのでございますが、ごくおもな点、感じました点だけを一、二点拾って申し上げたいと思います。
まず
日本経済全体の
動きに対する
政府の
財政政策のいわば基本的な
方向でございますけれども、御
承知のように、
日本経済は最近非常な勢いで高度
成長を遂げております。しかし、この高度
成長を遂げております実際のにない手は、言うまでもなく
民間の
企業でございます。
民間産業でございます。そういう
民間企業が
中心になりまして、どんどん高度
成長を遂げている。そういう高度
成長の
経済と申しますのは、現在の
経済体制のもとでは、
かなり激しい優勝劣敗の過程、あるいは栄枯盛衰、非常に激しい浮沈交代の過程を含んでいるような構造変化をどうしても含むと思います。従いまして、そこからいや応なしにいろいろなアンバランスやらいろいろな不安定な要素やらが、どうしても出てこざるを得ない。
政府の
財政金融政策というようなものは、そういう
民間企業が生み出していく高度
成長の中でいや応なしに出てくるアンバランスやら不安定といったものを調整していくことにぜひ重点を置いて考えていただきたいように私は思います。
政府の方が、
民間の激しい勢いでがむしゃらに進んで参ります高度
成長政策の先頭を切って旗を振るような
財政金融政策をとりますと、実際には、高度
成長に伴って生ずるアンバランスやら不安定やらというものがますます倍加されて現われてくるようになる。この点は、
財政金融政策というものが、むしろ
民間の行き過ぎを押え、不足を補うといったような補正機能を重点に考えていただきたいと思います。誘導機能というような名目で、
政府が
民間の
動きの先頭に立って旗を振ってしまうといったような
方向に走りがちではないだろうかという感じを、私、日ごろ持っております。そういう
意味で、
政府は、
民間企業の
動きのむしろ逆をいくような勇気と英知を発揮していただきたいように思います。
これが
一般的な私の考え方でございますが、そういう高度
成長経済の中でいろいろな問題が生まれて参りましたことは、ここ半年ほどの間のいろいろな
経済界のできごとで皆様方十分御存じの
通りだと思います。それを一々数え上げますればきりがないわけでございますけれども、私は、そういう角度から、高度
成長経済が生み出したさまざまなアンバランスというものの調整を
政府が重点的にやっていくという場合に考えられます点は、大きく言って三つの点があるのではないかと思います。
一つは、何と申しましても、
あまりにも激しい勢いで行き過ぎております
設備投資でございます。言いかえますならば、これは
日本の貨幣
資本と申しますか、
国民的な資金の運用の仕方、資金の使い方というものをもう少し効率的に安定のとれた形で上手に使っていくような、そういう誘導措置を、ぜひ
財政金融政策の中で考えていくべきではないだろうか、そういう点で、もう少し
投資の
合理化でございます。個個の
投資は
合理化投資でございますけれども、
国民経済全体として見ますと、
合理化投資という名前で、全体としての
投資は
かなり大きな不
合理化効果を生んでいるように思います。そういう
合理化投資全体の
国民経済的な合理的な調整といったような問題に、
政府の
財政金融政策が、あるいは
日本銀行との
関係もあると思いますし、あるいは
財政投融資の
関係もあろうかと思いますけれども、そういう点でもう少し調整機能を発揮していただきたいという点がまず第一点でございます。
それからもう一つの点は、御
承知の
国際収支の問題に関連いたしまして、
日本の
貿易構造を一体これからどういうふうに考えていくのかという問題でございます。この点は
自由化の問題もございますし、あるいはアジア
市場を一体どう考えるのか、あるいはすぐお隣に人口七億の広大な
市場を持っている中国
市場との
関係を一体どう考えていくのか、こういう点で
日本の外交政策の問題とも関連するかと思いますけれども、現在の高度
成長が生み出しましたいろいろな問題を解決して参りますためには、どうしても
貿易構造の問題をここで木枠的に
政府及び議会の方々が検討していただきたいように私は思います。
以上二つの点、これは時間もございませんので、本日は
あまりこまかいことは申し上げないつもりでございます。
高度
成長経済の中で生み出されました大きな問題、アンバランスとして、私三番目に、特にきょう取り出して申し上げたいと思いますのは、一口に申しますと、
生産と消費のアンバランスと申しますか、別な言葉で申しますと、
国民経済の中で個人消費の比率が異常に下がってきたという最近の
日本経済の実態でございます。きょうはむしろこの点を
中心にしてお話し申し上げたいと思っております。
最近の高度
成長経済、岩戸
景気以来の大へんな好
景気の中で、確かに
国民の消費生活
水準は上がって参りましたけれども、しかし、総
生産の伸びに比較いたしますと、
国民の
消費水準は、相対的な割合としましては、目立って低下しております。このことを私、企画庁その他で発表しております
国民所得統計で一、二計算してみましたので、それをまず最初に申し上げてみたいと思います。
かりに名前を消費率というふうに呼ばさせていただきます。これはどういう数字かと申しますと、
国内の総需要、需要の全体、すなわち個人消費と、
政府の財貨、サービス購入、
政府の
財政購入、それから三番目には
民間の総
資本形成、
民間の
投資でございます。それから四番目に
輸出、この四つの有効需要の項目を全部合計いたしましたものを総需要と名づけます。その総需要の中で個人消費支出がどれだけの比率を占めるかという数字を、私簡単な計算をしてみました、その結果は次のような事実が現われて参りました。
まず戦前と比較いたしますと、総需要の中で個人消費支出が占める比率は、
昭和五年から
昭和十一年まで、ちょうど戦争以前と申してよろしいかと思いますが、この時代は大体五割から六割でございます。この七カ年の平均の数字は五六・六%になります。それが中国との戦争が始まります
昭和十二年以降は、すなわち戦時
経済になりますと、これが四割台に落ちます。さらに
昭和十六年、太平洋戦争が始まりました以降は、十六年が三九・八%、十七年が三九%というように、これが三割台に落ちて参ります。すなわち、ここで申し上げたいことは、戦争
経済になればなるほど、個人消費の比率は五割台から四割台、さらに三割台へ落ちてきたということでございます。
戦後の数字で申しますと、終戦後、
昭和二十一年から二十四年までの戦後の復興期は、個人消費の比率は大体六割台でございます。
日本経済がようやく復興を遂げまして安定し始めました二十五年から三十三年まで、この九カ年は大体五割台以上になっております。この九カ年の平均は五三・五%になります。ところが
昭和三十四年、すなわち岩戸
景気で大へんな好
景気になって、総
生産もぐんぐん伸びていく、総需要も非常な勢いで伸びていく、この
昭和三十四年以降、ただいま申しました総需要の中で個人消費支出が占めます比率、すなわち消費比率は四割台に落ちます。三十四年が四八・七%、三十五年が四六・七%、三十六年が四六・三%、三十七年の先般の
政府の
経済見通しによりますと四七・九%、いずれにしましても五割を割っております。これはもし類型を求めるならば、あの
国民の生活
水準が低くて
国内市場が非常に狭かったと言われました戦前でも、消費比率は五割台を絶えず維持しておった。五年から十一年までの七カ年平均が五六・六%であります。それが四割台に落ちますのは日中戦争、支那事変が始まりました
昭和十二年以降四割台に落ちているわけでありまして、そういう点で考えますと、この大へんな好
景気、そして一部には消費ブームというようなことが言われている中で、実は
生産あるいは総需要との比較で申しますと、戦時
経済一歩手前のところまで
国民の消費比率は落ちたというのが、数字で見ます限りでの事実でござります。この点は、私ども
日本経済を考えます場合に、ぜひ大いに注目しなければならない問題だと思っております。
もとより個人消費の絶対
水準は言うまでもなく上がっております。絶対
水準が最近上がっておりますのは、ある
意味で言うまでもないことでございますけれども、問題は、総
生産あるいは総需要の伸びと比較しての個人消費なり、
国民の生活
水準の伸びでございまして、そういう点で申しますと、総
生産の伸び、総需要の伸びが非常に著しいにもかかわらず、個人消費の伸びはそれに比べれば相対的におくれ、しかも逐年その比率が下がって、ついに五割を割ったという事態、これは私は
国民経済の姿としては
かなりアブノーマルな状態ではないかというふうに思います。この点は欧米
諸国の詳しい数字を十分に調べるいとまがございませんでしたけれども、最近の五0年台後半のころの欧米
諸国の数字を見ますと、大体今のような計算で数字をはじいてみますと、個人消費比率は、大体
アメリカは六一%、イギリスが五四%、フランスが五九%というように、総需要のうち大体六割前後が
国民の消費生活の中で占められている。それに対して
日本ではそれが四割台に落ちたということは、私は、
国民経済の状況としては
かなり異常な状況ではあるまいかと思います。言うまでもございませんが、個人消費
市場というのは、もちろん
景気の
動向によって多少の変動はございますけれども、比較的安定しているマーケットでございます。そして言うまでもなく、その
水準が上がるかどうかということが、言ってみれば
経済の究極の
目標でございます。高度
成長経済あるいは所得倍増計画というようなことがいろいろ言われておりますけれども、その究極の目的が
国民性活の向上にあることは、これは申すまでもないと思いますが、そういう
生産の究極の
目標であり、かつまた
経済構造としましても
かなり安定的な
市場であります個人消費の比率が五割を削ったというこの状況、これは私は
日本経済を考えていく場合に最も注目すべき現象の一つではないかと思います。
先ほど申しましたように絶対
水準は上がっております。従いまして、確かに私どもの生活はある
程度年とともによくなっておりますけれども、しかし問題は、何度も繰り返しますように、
生産力との比率でございます。
生産力は一流でありながら生活
水準が三流のままであるというような、そういう
経済構造は非常に不安定な
経済構造であると言わなければならぬ。そういう点で考えますと、ごく最近の数字は、まだ正確な数字がわからなくて利用できませんでしたので、ちょっと前の数字になりますけれども、三十五年、一昨年の数字になりますが、これで比べてみますと、確かに
消費水準は上がっておりまして、それに伴いましてやはり個人の可処分所得もふえております。個人の可処分所得は、三十五年には前年に比べまして約一一%増大しております。
かなり大幅な増大でございます。これはまことに喜ばしいことでございます。今申しましたのは全都市勤労者の個人可処分所得でございますが、同じように農村も約一%ちょっと
上昇しているようでございます。しかし問題は、先ほど申しました全体との比較でございます。そういう点で申しますと、総需要の伸びはこの年一五%をこえております。従って、個人可処分所得はふえておりますが、総
生産あるいは総需要の伸びに比べると、個人可処分所得の伸びは逐年おくれている。従って、リラティヴな割合は次第に下がっている、こういうことがまず注目されます。
さらに二番目に、個人の可処分所得の伸びと個人の実際に消費に使いました消費支出の伸びとを比べますと、可処分所得の伸びよりも個人の消費支出の伸びはまた一段と劣っております。先ほど申しましたように、全都市勤労者可処分所得が、三十五年は前年に比べまして二%の増大でございますが、消費支出の方は九%ちょっとの増でございます。つまり、総
生産、総需要の伸びよりも個人可処分所得の伸びがおくれ、さらにまたその個人可処分所得の伸びよりも個人消費支出の伸びがおくれる。こういう形で、高度
成長の中で全体の消費支出の比重は逐年下がってきてしまった。そして先ほどから申し上げておりますように、ついに五割を割り、この四年間は四十数%というきわめて、諸外国にも例を見ない、あるいは戦前の
日本でさえない、いわば戦時
経済以外にはなかったような状態になってきたというのが数字の示すところでございます。
そこで私は、この問題は何とかして解決しなければいけない。先ほど申しました高度
成長の中で生じましたいろいろな不安定、不
均衡要因、それを調整する機能が特に
政府の責任として大きいとするならば、この消費比率の異常な低下を
財政なりあるいは政治の手で調整し、直していく。消費比率を何とかして高めていくということが
財政金融政策の一つの重要な力点にならなければいけないのではないかというふうに思います。
そういう点から考えて参りますと、先ほど申しましたように、まず一つは、個人可処分所得の伸びが、総
生産あるいは総需要の伸び、いわゆる
成長率に比べておそい。これは言いかえれば、いわゆる分配率が次第に低下しているということでございます。従いまして、この点はもう少し個人可処分所得を何とかしてふやしていくということが、消費比率を高めるためのまず第一に打つべき手であろうと私は思います。
では、いかにして分配率を
改善し、あるいは個人可処分所得を増加していくか。これは具体的には、雇用者の場合であるならば賃上げとかあるいは月給を上げるとかいう問題も出て参りましょう。あるいは農民の場合であるならば、やはり農家の所得をいかにふやしていくか、こういう問題にもなろうかと思います。さらにそうい第一次的な所得分配の問題に加えて、ことに
政府の場合には、そういう個人消費用の個人可処分所得をふやすような減税措置を
かなり大規模に考えていただくことが重要なのではなかろうか、こういうように私は思います。この点、今度間接税を
中心にしました減税がある
程度行なわれましたこと——私は、減税の規模としては非常に小さい、もっとできるのではないかと思いますけれども、間接税を
中心にしました減税が行なわれましたことは、ある
程度けっこうなことだと思います。ただそれが実際に個人可処分所得の増加を現実に生み出すように、減税分だけきちんと値段が下がるような、そういう措置を必ずあわせて考えていただきたいと思います。
さらに二番目でございますが、先ほど申しましたように、個人可処分所得がふえまして、それよりもまた実際にそれを支出に使ってしまう個人消費支出の伸びは、また一段とおくれてしまうというのは一体どういうわけであろうか、これが私は問題であろうかと思います。この点はこまかい数学的な分析を必要とするかもしれませんけれども、、簡単に申し上げます。
まず私は、そういう点で二番目に強調したいと思いますことは、個人の所得の中でも、特にやはり消費比率を高めるために重要なのは、低所得者層の所得をふやしていくということだろうと思います。御
承知のように、所得が高ければ、それに伴いましていわゆる消費性向と申しますか、所得のうちで消費に使う金の部分は相対的に減って参ります。所得の低い層ほど、所得があればそれを一00%消費支出に回していく。そういう
意味で、低額所得者ほど所得がふえればそれだけ消費
市場を
拡大して参ります。そういう点で
日本の所得構造を考えてみますと、御
承知のように、例の二重構造という
かなり大きな所得格差がございます、しかし、最近の数字を私つまびらかにいたしませんけれども、一昨年でございましたか、企画庁の発表いたしました
国民生活白書によりますと、
昭和三十五年の初めごろの数字だと思いますが、あの当時でもなおかつ年間所得二十万円以下の世帯が全世帯の二八%を占めているといったような数字が出ておりました。この数字の厳密な正確さということは一応別にいたしましても、とにかく
かなり分厚い低額所得者層がいるということは間違いない。この層の所得を
かなり大幅にふやすことなしには、全体としての個人可処分所得がふえましても、なかなか消費支出そのものをふやしていくということにはいかない。そういう点で、やはり
生産と所得のアンバランスを調整していく上でも、何とかして二重構造を解消していく。そのためには特に低頭所得者の所得を何とかして高めていく、こういう手を
かなり思い切ってとっていただく必要があるのではないかというふうに思います。
この場合に、やはり私が注目しなければならないと思いますことは、ただ単に低額所得者に社会保障的なことで金をやるということだけではやはり不一分なのではないだろうか。先ほどから農業の問題で、離農農家のお話なども、私かたわらで伺っておりましたけれども、最近の離農される第二種兼業農家の人たち、あるいは農村から出てくる若い
労働力なども、その行き先を見てみますと、非常に
一般論でございまして、個々の例外はたくさんございますけれども、ごく
一般に申しますと、そういう農村から出ていく人が都会の中での日陰の部分、中小
企業あるいは零細
企業の部分に就職したり、あるいは臨時雇用といったような非常に不正常な雇用形態でわずかな賃金で働くといったように、なるほど高度
成長の中で二重構造の底にある人が一部上に
上昇していくことは確かにございますけれども、しかし
上昇する者があれば、また
他方では二重構造の底を絶えず補っていくような人たちもいる。こういう底辺を絶えず補っていくような、あとからあとから底辺に人が補充されるような、そういう機構そのものを何とか
制度的に抑えていくということがなければ、この低所得者
対策というものは十分なされないのではないだろうか。そういう点で、この点は最低賃金制だとか、家内労働法をもっときちっとしたものを制定するとか、あるいは臨時雇用といったような不正常な雇用について、もう少し何とかして規制をできないであろうか、そういう問題をぜひ考えていただきたい。
さらに同じように教育、このごろは自営業者が次第に被雇用者に変わって、勤め人なり労働者なりサラリーマンになる場合が多うございますが、その場合に、非常に自営業者——農民やらあるいは小さな商人の方やらが、特殊な技術も身につけずに、非常な不安定な雇用形態になっていくために・労働条件が非常に悪い。そういう人たちに対する職業再訓練の問題、これも今度の
予算案の中でもいろいろ項目は出ておるようでございますけれども、訓練を受けている間の生活保障も考えてやるような、
かなり手厚い援護をした形での職業再訓練といったような問題を考えませんと、絶えず底辺が補充されるという機構を作り変えていくわけにはいかない。そこのところの矛盾をせきとめて、低額所得者層の
対策というものを考えていただきたいように思います。
さらに三番目の問題でございますが、これは先ほど申しましたように、個人の所得がふえましても、なかなか消費はふやしていかれない。それは別な言い方をいたしますと、これはよく問題になることでございますけれども、
日本の庶民が、所得は非常に低いにもかかわらず、諸外国に比べまして、たとえば西
ヨーロッパに比べまして、賃金
水準は平均して二分の一あるいは三分の一であるにかかわらず、貯蓄率は
ヨーロッパの大体倍に上っている。昨年のごときは、都市勤労者は大体所得の一五%を貯蓄したことに数字では出ております。
ヨーロッパの場合には大体七、八%の貯蓄率でございます。こういうように所得が非常に低いにもかかわらず、なぜこんなに高い貯蓄をやっているのか、これはいろいろ
調査もございますけれども、一口に申しますならば、これは決して楽だから貯金しているわけではなくて、生活の不安、病気のときどうするか、あるいは老後になったらどうするか、不時の災害に備えてどうするか、こういう生活の不安に対する備えと、それからもう一つは子供の教育費、子供だけはせめて高校へやりたい、あるいはできれば大学へやりたい、こういう教育への
投資と、それから生活不安を社会保障でなくて個人保障でやっている。こういうことと、そしてさらに一部つけ加えまして、住宅のために、何とかしてせめて小さくとも自分の家がほしいという形で一生懸命貯金をする。こういう非常に社会保障の欠除やら不十分さやら、あるいは教育が非常に金がかかるということのために、どうしても
かなり涙ぐましい、泣きの涙で貯金をしている。そのために所得がふえてもなかなか現実の消費がふえていかない、こういう構造になっているように思います。そういう点で、社会保障といったふうなものがきちっとでき上がっていて、病気のときの心配やら、あるいはさらに教育にもう少し金がかからないような体制になっていなければ、なかなか個人消費比率を高めるということはむずかしいのではないかというふうに思います。
その点で最近の個人生活でございますが、確かにいろいろな形で個人生活が
合理化され、近代化されて参りました。個々の家庭の中でも、
かなり電化製品がふえてきたり、あるいは家の中にはじゅうたんを敷くといったような生活がだんだん出て参りましたけれども、しかし、そういう個人生活の
合理化というものも、ある
程度限界といったふうなものが、最近は
かなり出ているのではないだろうか。そういう点で、私はこの消費生活について、単なる社会保障だけではなくて、社会保障というのが狭い
意味での救貧
制度のようなふうに考えられるだけでなくて、もっと
国民の消費生活を社会的に考えていく、いわば社会的消費の手段をもう少し豊かにしていくことなしには、これからの
国民生活の向上ということはなかなかあり得ないのではないかというふうに思います。そういう点で考えますと、たとえばこれはいろいろ
調査もございますけれども、諸外国に比べまして、
日本の場合には
かなり、たとえば家庭の電化製品といったような点では、普及度は高くなっております。
ヨーロッパでも一流でございます。次いで衣料、着物といったような点では、
ヨーロッパでも一流の下と言いますか、二流ぐらいになっている。食事がまた悪くなっている。さらに住宅となると四流ぐらいになる。さらに社会環境施設、道路、上下水道、病院とか学校の文教施設とか、レクリエーションの施設とか、こういう点になりますと、
世界で有数の工業国であり、非常に大きな
国民所得を出している大工業国でありながら、これほど貧弱なところはないのじゃないか。そういう点で、私は、社会的消費の手段をもう少し充実するということが、これからの
国民生活にとっては非常に重要であろうかと思います。ところが、この点が、高度
成長経済の中で、ある
意味ではますます、ことに、たとえば都会の生活をごらんになればわかりますように、数字に現われて参ります総
生産の
成長率はなるほど高くなって参りますけれども、しかし、こういうように次第に緑の地帯も都会の中から失われていく、うっかり安心して外も歩けないといったような、
経済学の方でよく外部不
経済と申しますが、個々の
企業の内部
経済は
経済的に非常に
合理化されましても、
国民経済全体としての
経済生活は、目に見えない、数字ではかれない形で非常に不
経済な状態が広がってきている。こういうことを何とかして解決していくということがこれから非常に重要であろうと思いますが、そういう点で、公共
投資をもう少し社会的消費手段の
投資に重点を移していただきたい、民生用の公共
投資をもっと充実していただきたいように思います。最近の公共
投資の
予算を拝見いたしましても、あるいは
財政投融資の
予算を拝見いたしましても、
かなり次第に民生用の
投資がふえつつあることは、私は喜ばしいと思っておりますけれども、しかし、まだまだ全体の比重としてはやはり低いのではないだろうか。これも私ある人に聞いたわけでございますけれども、
日本では、公共
投資の中では、特殊な
事情もございますけれども、大体半分近くは道路・輸送
関係でございます。あとの一割くらいが電力、水道。住宅
関係は今のところは四%くらい。文教施設については五%くらい。これが、イギリスの場合には、住宅がむしろ第一位で三一%を占めている、こんなような数字が出ております。もちろん単純な比較はできませんけれども、とにかく、民生用の公共
投資をもう少し充実していただきたい。この点は、
一般会計の公共
投資につきましても、またあるいは
財政投融資の面につきましても、いろいろ御配慮をいただきたいように思います。
さらに、それに加えまして、先ほど申しました社会保障あるいは民生用のいろいろな公共
投資、さらに、先ほどもちょっと申しました学校、文教施設、これは、私が学校におりますので我田引水のようになるかもしれませんけれども、文明国で、池田首相のいわゆる大国で、
日本くらい貧弱なボロ校舎で子供が育てられているところは私はないのではないかと思います。さらに、御
承知のように、最近は高校生が猛烈にふえてくる。この高校生の問題は、義務教育ではないということで、国家
予算の中では、私の感じでは、今度も非常に冷遇されているように思います。たしか、私の記憶では、十五億円
程度のお金がおもに工業高校用の国家補助として出ているだけで、一体、この調子でいけば、来
年度からは中学浪人が二十万人以上出ることは必然だというようなことを文部当局が言っているということを伝えている新聞記事も読んだことがございます。私は、二十万人が正確であるかどうかは別といたしまして、明らかに、中学浪人が、あるいは高校へ進学できない子供たちが大ぜい出てくる、これはほぼ間違いないことだろうと思います。この点、よほど文教施設についても金を回していただきたい。私は、そういうような
意味で、民生用の公共
投資を充実することで
国民の生活
水準を高めていくという、消費生活、
国民の生活というものについて、個人的な消費生活のやりくり算段ではなくて、国家的な社会的なやりくり算段をもっと考えていくことが文明国の
一般的な趨勢であるので、そういう
方向にぜひ
予算を配慮していただきたい。その点が幾分見られますけれども、しかし、まだまだ不十分ではなかろうかというのが私の感想でございます。
さらに、それに加えまして、先ほど来申しておりますような、個人消費が五割を割ったというような異常な状況を何とかして
財政金融政策の中で是正するような、そういう
予算の組み方、これを社会保障
予算なりあるいはその他減税についての配慮なりというところで十分に払っていただきたいように思います。
以上、私が最近自分で数字をいじってみましてこの異常な消費比率の低下という事実にあらためて驚かされましたので、そういう点から特にその点を本日は申し上げたわけでございます。もちろん、そういう点で、民生用の、個人生活用のウエートを高めれば、
投資の比重が減ってくることは当然出て参るかと思います。一体どこから金を生み出すのか、こういうことが当然問題になって参りますけれども、従いまして、これは、当然、資金について、一体現在の資金の使い方が
国民経済的に見て全体的に合理的であるかどうかということをもう少し再検討することが必要ではないだろうか。今日のように、いわゆるコンビナートというのが、
日本全国の中に、この狭いところに二十カ所近くもできるといったような形が、はたして
合理化投資と言えるのかどうか。こういう点で、資金計画そのものについても配慮をしていく、こういうことも必然的に随伴してくるだろうと私は考えております。そういう点で、いろいろ問題は広がりますし、私の
意見は本
年度の
予算のこまかい数字にわたることはできませんでしたけれども、大まかな
方向について、私の感じを、ちょうど時間一ぱいになりましたので、以上申し上げた次第でございます。(拍手)