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春日委員 この資料1、2ならみな読みました。けれどもこんなものは贈与と言明したことはないと書いてあるだけですね。何も債権債務の
関係をここに明確に出してはおりません。贈与でないけれども、贈与でない援助もあるしいろいろあると思う。だから贈与でないものは全部債権債務だということはない。(
小坂国務大臣「英語で書いてあります」と呼ぶ)英語だろうと何であろうと、この英語を翻訳したものが
日本語じゃないのか。ばかなことを言うな。(笑声)
それからしばしば述べられている
通りに、マッカーサー元帥が米国議会に発したところのメッセージ、これも強く強調されておるが、これを読んで見ると——別添2の参考資料でありますが、ここでは債権債務ということは浮かんでこないのですね。マッカーサーの表現も救済は慈善ではないと言っている。けれどもここには、救済するということは相手に貸し付けることである、債権を後日に確保するものであるということを言ってない。救済は慈善ではないと響いてある。これは救済は贈与ではないという意味ではない。それからいろいろずっと読んで参りまして、慎重に考慮すれば米国の納税者は、この処置によって一ドルたりとも損をすることはないと書いてある。ほんとうにこれが債権債務の考え方なら、相手方がその確信の上に立ってこの
処理がなされておるならば、慎重に考慮しなくても小麦の一袋でも、ミルクの一かんでもみな債権債務で、何も慎重に考慮する必要はない。それから、あと読んでいってみると、これは勝利者がもたらしたところの明瞭な
責任を果たすための暫定的な
処理にすぎない。これはまあいうならば、ヘーグ
条約でありまするか、戦勝者というものが被占領地域において、その
住民の日常飢餓、これを救済することのための
責任が、これはやはり国際慣例として成り立っておるのでありまするが、そういうような一連の事柄をうたっておるのであって、債権債務を立証する文章ではありません。それから二十四年の阿波丸請求権放棄のときに、
日本側の何か覚書が出されておるようではありまするけれども、それもその当時の
政府の独断専行によるところの越権行為であって、このようなことは何ら
国会も
国民も関知したことではございません。こういう意味において、マッカーサー最高司令官が、ほんとうに債権債務の
関係でこれをやるんだということならば、こんな
アメリカの
国会でいろいろなことを言ったり、それから議会に向かってさまざまな証書をしてみたり、対日基本政策がこれであるというようなことを言ったりしないで、
日本政府に対して断定的に明確にこれはやるものではないんだ、結局あなたの方から代金の支払いを後日受けるものである、こういう意味の明確な文書があってもいいはずです。そういうことについては有権的な文書は何
一つもない。しこうして、さらにこの
アメリカにおけるいろいろな
政府要人の機関に対して発言されておるところを読んでみますると、すなわち、ドッジ予算局長が
アメリカの
国会でこういうことを言っております。ドッジ氏は「対日援助の主要な内容をなす食糧と綿花は、いずれも過剰物資であり、商品金融会社によってすでに買い上げられているが、これは現行立法によって買わなければならないものである。その限りでは、これは現在も将来も
政府支出の増加を意味しない。対日援助計画の実質は、このように主として過剰物資であることを十分考慮すべきである。一九五一年度の
日本向け経済援助総額二億七千一百万ドルのうち八七%は、米国内の過剰物資の購入と輸送に当てられる」と述べておる。またドッジ氏は次のようにも述べておる。「さらに重要なことは、本年度
日本に与えられる援助が、
日本が占領軍に与える費用よりも少ないという率直な事実である。本年度の
日本に対するガリオア援助資金要求額は二億七千一百万ドルであるに対し、占領軍のための
日本政府の支払い額は一億七千九百万ドルになるであろう。駐留米軍のための
日本政府の支出は、もしそれがなかったら、国防省の軍事予算等から三億四千五百万ドルの支出を必要としたであろう」こういうことで対日援助というものは、物を相当やるけれども、しかし米軍が
日本において占領に要する費用の多くのものを
日本から取っておるのだ、取り越しになっておるのだ。しかもやるものは、いうならば、
アメリカが国内法によって買い上げなければならないから、予算措置としてすでに買ってあるところの——私はロスとは言いません。けれども、そういうような、すでに買い」げたところの、どこかへ放出せなければならない余剰農産物である。八十何%までがどこかへ処分せなければならない余剰農産物、それを
日本にやって、占領費を
日本からもらっておって、勘定というものは非常に合っておるのだ。ドッジ氏によれば、対日援助は他の地域と比較して割のいい投資である、そろばんに合った援助であったのである。また同
委員会でヴォリーズ陸軍次官は、「
日本は次の会計年度において、われわれの軍事支出の軽減の点で、
アメリカの対日経済援助額よりも約二〇%よけいの金を出している。これは意味深い数字である」と証言をいたしておるのであります。以上でガリオア・エロア援助の性格は、ほぼ明らかになったと思いまするが、こういうようなわけで、米国
政府諸機関で買い上げた過剰物資の、これはいうならば——私はそんなことは言いませんけれども、論証するために言葉を使うならば、廃物利用みたいなものである。こういう形であがなわれたことがドッジ予算局長の証言に徴して明らかである。こういう意味でガリオア資金が正式に米陸軍省の特別予算に計上されたのは一九四七米会計年度であります。エロア資金のそれが一九四八米会計年度で、いずれも援助開始のときからずっとおくれている
関係も、これによって立証されると私は思うのであります。こういうような
関係から申しますると、
アメリカはほんとうに債権債務という考え方であれを放出しておったのかどうか。
アメリカ国会におけるこういうような有権的な証言、その他いろいろな文書の判断、これは大いに判読しなければならぬと思う。マッカーサー文書だって、おれは払いたい払いたいという気持で読めば、それはどうも債務性を濃厚に浮び出させることもできるだろうけれども、しかし、少なくとも
アメリカにおけるこの各種
委員会において、
国会においてドッジ予算局長の立証したところによると、すでに
アメリカ予算で買い付けた余剰農産物、これを
日本にやって、そうしてその飢餓と窮乏を救い、かたがた
日本政府に占領の費用を出させるのだ。実に割の合ったことだから、そんなにやかましくおっしゃるな、こういう解釈がついている。だから、そういう
意味合いにおいて、マッカーサー将軍の
アメリカ議会に対するメッセージを判読するならば、慈善は、これは贈与ではないと書いてあるが、慈善は債権であるとは書いてない。そうしてこれは当分やらなければならないところの戦勝者の義務である。それを裏づけるものはヘーグの
戦争条約である。かくのごとく一連の判断を加うるならば、これは債務じゃないのだと思うが、いかがでありますか。いつごろから一体
日本で債務だ債務だと言ってわめき出したのですか。片山
内閣も芦田
内閣も、その当時の
内閣でありますけれども、片言隻句もそんなばかげたことを言っておりませんよ。いつごろからそんなばかなことを言い出したのですか。