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池田国務大臣 タイ特別円の問題につきましての経過はお話の
通りでございます。
昭和三十年に、タイ国と日本国と特別円に対しまする交渉締結を見たのであります。そうして、その第二条には、九十六億円を投資またはクレジットの形式によって供与する、こういうことになっております。従いまして、お話のように、従来しばしばこの問題で交渉がありましたけれども、われわれはこれを譲らなかったのでございます。しかし、最近の状況から
考えまして、五十四億円はすでに支払いましたが、その後において、九十六億円の問題が両国の間に難問題として、常にこれによって交渉を重ねても
解決がつかない、これをこのままにほうっておくことが日本の外交として適当であるか、また、従来からの日・タイ
関係から
考えていいかという問題でございます。私も、お話のように、
昭和三十一年から二年の初めにかけまして大蔵大臣の職にありますときに再三交渉いたしましたが、どうしても
解決つきません。従って、最近に至りまして、タイ国との
関係を考慮の上、九十六億円をある程度減額させて払ったらどうかということをわれわれは寄り寄り協議をしておったのであります。私は、交渉に当たります前に、これを減額してやろうと、こう申しましたところ、向こうでは、それは困ります、この九十六億円というものは、われわれはもらうことに
考えておると言う。いろいろ交渉を重ねましたが、結局、向こうの言い分は、向こうは戦争中に相当の金額の物資を供出したのであります。日本に売りました。そうしてその代金は払ってもらったが、なお当時の金で十五億円に相当するものがあるのであります。そこで、その十五億円の
内容につきまして
検討いたしましたところ、これは今までたびたび金で返しております。金で返しておりますが、まだ十五億円のうちに金で返すべきものが四千四百万ポンドあるのであります。この分を金で返そう、そして、その他英国に返すべき——英国がタイにイヤマークしている〇・五トンの金も返します。その他のものは、やはり戦争中の一円は今の一円である、こういうことで話をしておったのでございます。しかるところ、向こうでは、あの当時の十五億円というものは、今の値段で換算すれば千三百五十億円になる、あの当時の物の値段、千三百五十億円を日本に要求すべきだけれども、これは少し大き過ぎるからということで、当初は向こうが四掛の五百四十億円に言ってきたのであります。それでもいかぬ、こういうので、結局百五十億円にいたしまして、そして、今の金の分を換算して、昔の一円は今の一円と同じようにして五十四億円、その他九十六億円、こういうのですが、向こうの
感情では、ものを供出させられて、その代金を日本が払うと言いながら、その金額を払うのでなしにタイが借金になる、こういうことはわれわれタイ国人として耐え切れないのだ、これが向こうの言い分であります。だから、向こうの人はそういう
感情になりましょう。相当多額のものを買い取られて、そしてその支払いとして一応百五十億円にきめた、そして、現金で払った残りは貸付の格好で、利益があったら払ってやろうというのでは、われわれタイ国人の
感情に合いません、日本はここまで来ておるのだから、何とか将来の日・タイ
関係を
考えて九十六億円を一ぺんに払ってくれ、それはできない、こういうので、実は交渉に入りまして、そういうことなら、将来の日本とタイとの
関係等々を
考えて、そして、昨日も申し上げましたごとく、タイという国と日本との
関係は御
承知の
通りでございます。そうして今も日本人が千人ほどおります。そして日・タイ
関係は非常によくいっておるのであります。この九十六億円の払い方によって、将来のタイと日本との外交
関係が冷却することは、日本としても東南
アジア政策上耐え切れません。ことに、タイと日本との貿易
関係は、十四、五年前は、あるいは十年くらい前までは、輸出入はバランスしておりましたけれども、三、四年前は、向こうが日本へ輸出するものが二千数百万ドル、日本から向こうへ出すものは八千万ドル、最近に至りましても、まだ、向こうの五、六千万ドルの日本への輸出に対しまして、日本は一億二千万ドル程度のものを輸出しておるのであります。とにかく、毎年五、六千万ドル、六、七千万ドルの日本の輸出超過です。こういうことから
考えて参りますと、私は、東南
アジアにおけるわれわれ活動の基点であります日・タイの
関係の過去と将来を
考え、そして、タイとしてはどこの国よりも日本との貿易が一番多い。アメリカやイギリスとの貿易額よりも日本の貿易額が一番多い。しかも輸出に対して輸入が倍額になっておる、五、六千万ドルも違う。こういう実情を
考えますると、私は、大所高所より、一ぺんには払えませんが、これを八年間にしよう、しかも、八年間も、当初額は十億円にして、一番しまいを二十六億円、日本の財政のこともあるからこれでいきたい、こういうので妥結を見たわけであります。現在価値にするとなんぼとかかんぼとか言いますが、私は、一ぺんに払うよりも、そしてまた、三、四年前の計画では、九十六億円の実際の利益をタイが享受し得るように、あるいは石油の精製工場とか、いろいろな工場を計画いたしました。百億とか百五十億出して、そして向こうで事業をして、その分の利益で九十六億円をなしくずしにしようかという
考え方も私は出したことがある。そういうことは、せっかく金を九十億も百五十億も出して、タイ人の好まないような日本独善の
考え方でいくよりも、向こうの好むようで、しかも日本がやり得るような格好でタイと日本との
関係をよりよくすることが私は外交であると
考えましてやったのでございます。事情は以上の
通りでございます。