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黒田寿男君 私は、
日本社会党を代表いたしまして、
日本国に対する戦後の
経済援助の処理に関する
日本国と
アメリカ合衆国との間の協定の締結について承認を求めるの件についての
委員長の報告に反対をいたします。これからその反対の理由を述べます。
政府は、本協定によりまして、
ガリオア・エロアを
わが国の
アメリカに対する債務として支払おうとしております。しかしながら、いかなる理由によって債務と見るかということについて、政府はこれまでわれわれを納得させる根拠を何一つ示しておりません。(拍手)元来
ガリオアについては、過去長い間、
政府自身が、それが債務であるか贈与であるかということについて、はっきりとした見解を持っていなかったというのが事実であります。
ガリオア・エロアは債務であるか贈与であるかという問題につきましては、過去長い間国会におきまして、あるいは
予算委員会において、あるいは
大蔵委員会において、あるいは
決算委員会等におきまして、質疑が行なわれました。私自身が
委員会議事録で調べただけでも、十数回にわたってこの問題についての質疑が行なわれております。それにもかかわらず、政府によって明瞭な見解は示されておりません。
池田首相自身、
大蔵大臣でありましたころ、昭和二十四年四月の国会の
委員会におきまして、次のように答弁をしておる。
ガリオアが債務であるか贈与であるか、依然としてきまっておりません、それは
平和条約のときにきまるべきものと考えておる、外国では贈与された例もある。このように答弁をしておるのであります。また最近、この国会の
予算委員会におきまして、こう答弁しておる。私は、その後ずっといろいろ研究したあと、昭和二十五、六年ごろから、
ガリオアは債務と心得ます、こう言っております、このように答弁をしております。しからば、昭和二十五、六年以前、
ガリオア援助が開始せられてから四、五年もの間は、
池田首相は
ガリオアを債務と心得ていなかったということになるのであります。だからこそ、昭和二十四年の国会で、さきに指摘いたしましたように、
ガリオアは贈与か債務かは依然としてきまっておりませんと答弁したのであります。
池田首相は先般の
外務委員会におきまして、この点についての私の追及にあって、合理的に弁解することができなかった。そこで、従来の答弁の内容を変更して、
ガリオア援助が始まったころから、その中に債務と心得るべきものと、贈与と解すべきものとがまじっておったと思っておった。こういうように答弁の内容を変更したのであります。しかしながら、今になって
答弁内容を変更いたしましても、昭和二十五年以前は、債務と心得ておらず、債務か贈与か依然としてきまっていないと考えていたという答弁をいたしましたその事実を変えることはできないのであります。(拍手)この一例をあげましただけでも、
ガリオアの
債務性について、
政府自身がはっきりした考えを持っていなかったということが証明せられるのであります。
次に、
池田首相は、昭和二十四年の
大蔵大臣としての答弁で、
ガリオアが贈与か債務かは
講和会議できまるべきものと考えておると答弁されておる。しからば、対
日平和条約ではどうであったか。対
日平和条約には、
ガリオアを債務として支払うべきことを義務づけた規定は全然見当たらないのであります。(拍手)また、対
日平和条約締結の
責任者でありました吉田元首相は、
平和条約締結後の昭和二十八年七月の
衆議院予算委員会におきまして、
ガリオアの問題に関する答弁を行ない、それは
法的債務ではないが、
独立国になれば、
独立国民の名誉から、援助を返したい、こういうふうに答弁しておる。緒方副総理も、それから約二週間後に、
ガリオアは法的に確立した債務ではない、道義的なものであると答えておるのであります。対
日平和条約の解釈は、この条約を締結した
首席全権である吉田元首相の解釈が最高の権威を持つものであると私どもは見なければならぬ。その吉田元首相が対
日平和条約で
ガリオア援助を
法的債務として支払う規定はないと認めておることが、前述の答弁で明らかになったのであります(拍手)
池田首相の
大蔵大臣時代の答弁を待つまでもなく、戦時中及び
占領期間中に生じました
わが国の
対外関係上の
支払いや
請求権の、
平和条約締結後の効力は、これを
平和条約において規定しておくというのが、
国際法上の原則であります。(拍手)しかるに対
日平和条約には、
わが国が
アメリカに対し将来
ガリオア援助を支払うべき義務がある旨の規定は、先ほど申しましたように、全然ないのであります。
池田首相自身も、とのことを昨日の
外務委員会におきましてはっきりと認められております。ただし、
池田首相は、同時に、弁解してこう言われた。
ガリオアについては後日話し合うつもりであった、こうつけ加えられたのであります。しかしながら、われわれの常識をもってして、
ガリオアについてだけ他の
債権債務の処理に関する
平和条約上の取り扱いの原則の例外とする理由はないのであります。また、政府の
高級官僚の人々、そういう人々は、ややともすれば
秘密独善外交を好むという欠点を持っていますが、こういう
政府部内の
高級官僚が
腹の中で何を考えておりましょうとも、それによって、国民は何らの拘束をも受くべき筋合いのものではございません。(拍手)
池田首相がその
腹の中で、将来
ガリオアの
支払いについてどう考えていたかということによってではなくて、文字の上に現われた
平和条約の字句とその厳格な解釈、世の中には何かためにするところがあって、ある条文の
反面解釈を行なったり、
拡張解釈をしたりするようなことがありますけれども、そういうことによってではなくて、条約の条文の厳正な解釈と
国際法及び
国際慣習の原則に従って物事を判断すべきであります。そして、対
日平和条約には
ガリオアの
支払いに関する規定はない。このことは、
池田首相自身も、先ほど申しました通り、昨日はっきりとそう答弁しておられる。
池田首相が
腹の中にどういうことを考えておいでになったといたしましても、対
日平和条約には
ガリオア支払いの規定はないのでありますから、この一点をもっていたしましても、
ガリオアの
債務性を主張する政府の考え方が、いかに根拠のないものであるかということがわかるのであります。(拍手)
政府は、
ガリオアの
債務性の根拠を
スキャッピンに求めておる。
連合国総
司令部の
日本政府あての覚書に求めております。この覚書に、
援助物資の
支払いについて、後日これを決定する旨のただし書きがついていた、こう言うのであります。しかしながら、これがはたして
ガリオアの
債務性の根拠になるかどうか、私はこれに関する見解をこれから申し述べてみたいと思います。
ガリオア援助が債務か贈与かが、本協定における論争の
中心点と、現在なっております。それを決定するための根本的な基礎的な判断の資料となるものは、
ガリオア援助が行なわれました時期におきまして、
わが国がいかなる
国際的地位に置かれておったかということを明らかにすることである。(拍手)特に
アメリカと
わが国との
国際的地位を比較して、
わが国がいかなる立場に置かれておったかということをはっきりとつかんでおく必要があります。現在、
わが国が
アメリカに対し、軍事的にも経済的にも政治的にも、文字通りに対等平等の関係にあると考えることには無理がありますけれども、しかし、今は一歩譲って、一応常識に従って、
独立国同士の関係と見られておるといたしましょう。しかしながら、
ガリオア・エロア対
日援助が行なわれておりました時期は、対
日平和条約締結前の時期でありまして、日本は
連合国軍の、実質的には
アメリカ軍の
占領下に置かれておりまして、
わが国の主権は
連合国総
司令官マッカーサーの超
憲法的権力のもとに置かれ、国の独立は残念ながら奪われ、
外交権は全面的に停止せられ、貿易は全面的に管理せられておったのであります。要するに、
アメリカに対する
わが国の当時の
国際的地位は、対等平等の立場で、自由な意思に基づいて取引ができるというような関係ではなかった。絶対
権力者としての
支配者と、その意思に従うほかない被
支配者との間の関係であったのであります。
そのことから次のことが言える。
アメリカと日本とは
契約的基礎の上に立つ
国際的取引、これを
輸出入と言ってもよろしいでしょう。そういう
国際的取引によって
債権債務を発生させるような関係にはなかったというととであります。(拍手)
ガリオア援助は、
債権債務などの観念を超越した環境のもとで行なわれたものであります。それではどういう援助であったか、それは
アメリカの
占領政策として行なわれた援助であったのであります。ここに
ガリオア援助の本質があるのである。従って、同じ
アメリカの
わが国に対する援助と申しましても、
日本国と
アメリカ合衆国との間のいわゆる
MSA小麦の
輸入協定のような一定の国際的取りきめがあって、それに基づいて援助が行なわれるというようなものとは本質的に違っておったのであります。すなわち、
ガリオア援助は、物資の輸入の形式で行なわれはいたしましたけれども、それが通常の
商業輸入といかに異なったものであったかということは、われわれの記憶に今なお新たなところであります。(拍手)
わが国には
輸入物資の種類あるいは
品質等についての
選択権はありませんでした。価格に関する何らの協定もなくして輸入せられたのであります。
支払い方法も何ら協定されておりません。物資を入手してもその自由な処分は許されなかったのである。国民に物資を売りつけた代金は、
見返り資金として積み立てられましたけれども、その使用についても、一銭一厘に至るまで総
司令官の
指令通りにするはかなかった。こういう状態であった。
援助物資のこのようないわゆる買付が、法的な契約に基づくものであり得るはずはなく、従って、法的な
代金支払い債務の発生するというような余地はなかったのであります。すなわち、
ガリオア・エロアは
法的債務ではない、こういう結論に到達しなければならぬ。(拍手)
しからば、
ガリオア援助は一体何であったろうか、これを考えてみなければなりません。
アメリカの
ガリオア予算は本来
アメリカが
外国地域における占領に関し、
アメリカの責任と義務に応ずるために必要な経費として支出したものであります。これをいま少し砕いて申しますならば、
アメリカが占領しておる地域の住民が飢餓や病気で苦しむようなことになると、そこに社会不安の状態が発生する。そのことは直ちに
占領軍の不安となるのであります。このような不安から米国の軍隊を守るために、必要な
最小限度の供給として物資を供給したのであります。このことを最もよく表わしておりますものが、
極東委員会の
食糧輸入に関する決議であります。この決議は、日本に食糧の輸入を許可するについての根本的な原則を示しております。それは次のようにいっておる。
連合軍の当座の安全にとって必要不可欠と認めるもの以外は、日本に対しそれ以上の待遇を与えてはならない、こういうように決議をしておるのであります。これによって日本への
食糧輸出は、当時の食糧の事情からいたしまして、
日本人への
食糧援助にもなりましたけれども、しかし、根本的には、
日本人の
食糧欠乏によって社会不安が発生すれば、それが
アメリカの
占領軍に不安を与えることになるので、その不安が発生することを防ぐことによって、
アメリカ占領軍を守るということが、根本の目的とされておったのであります。すなわち、
アメリカ占領軍の安全にとって必要不可欠として、食糧についても、その輸入を許可したものである、こういうことがわかるのである。
ガリオア予算は、ある外国に対する借款として用いらるべき性質のものではなかったのであります。
ガリオア物資の輸入は、それによって通常の輸入の場合のように、先ほど申しましたように
法的債務を負担するということになるような性質のものではなかったのであります。それは
占領軍が
占領政策として、それ自身の責任とし、義務とし、利益として、日本に供給した援助であるということができるのであります。
ガリオア援助は
占領政策でありますから、
占領期が経過し、
占領政策が終了するとともに
スキャッピンの効力も消滅するのであります。占領中に行なわれた援助について、将来その取り立てを留保しておこうと思えば、
平和条約締結の際、これを明記すべきものであったのであります。(拍手)しかるに、このことは明らかになされておりません。占領中にのみ効力を有する総
司令部の覚書を今ごろになって持ち出してきて、これを
ガリオアの
債務性の根拠とするというようなことは、われわれの絶対に承服しがたいところであります。(拍手)
ガリオア援助の本質を全面的に、かつ正しくとらえるためには、その
法的解釈の面から見るほかに、経済的な面からも、また政治的な面からも、これを見る必要があります。
ガリオア援助に対し
支払いをしようという考えの中には、これを
法的債務として支払おうというものと、道義の問題、名誉の問題として支払おうというものとがございます。その立場に相違はありますけれども、しかし、
ガリオア援助を、本来の意味の援助と考えておるという点では、両者は一致しておるのであります。すなわち、援助によって
アメリカはそれだけ損をする、そして
アメリカは損をするだけである、日本はそれだけ得をしておる、そして得をするだけである、こういう関係になるのが本来の意味の援助であります。かような意味での救済を受けたのであると考える者には、債務の弁済として、あるいは恩に報ゆるという意味において、これを返そうという考えが起こってくるのであります。
しかしながら、
アメリカの戦後の対
日援助の実体は、決してそのような単純なものではありません。それは深刻な内容を持っておったのである。
アメリカは戦後の対
日援助政策によって、決して、われわれの目から見れば、物質的に損をしておるものではありません。その政策を通じて
アメリカは、国家としても、また
アメリカの資本としても、十分な利益をあげておるのである。
ガリオア援助に見合うだけの利益は、日本からすでに取り戻しておる。(拍手)もっと率直に言えば、それに見合う以上の利益を、すでに日本から取り戻しておるのである。これが私は
ガリオア問題の実体であると考える。
これについて、私は若干の説明をつけ加えてみましょう。
第一に指摘したいのは、
ガリオア物資は、その大部分が
アメリカの
過剰物資であったということであります。たとえば食糧について申しますならば、これを日本にでも送らなければ、腐って使いものにならなくなってしまう、そういう状態にあったのであります。
ガリオア食糧については、動物の飼料用のものもあったのでありますけれども、これを贈与と思ったからこそ、国会は
感謝決議をしたのである。これは率直な事実である。今ごろになって、感謝にいろんな理屈をつけておる者がありますけれども、事実は、あの当時そうであった。また国民もそう思っておったのであります。それを今さら
アメリカが有償であるというならば、
ガリオア援助によって
アメリカは非常な有利な輸出を日本を相手としてなしたことになるのであります。
第二に、
ガリオア援助による輸入は、日本が
アメリカの
占領下にあるという
特殊事情のもとで行なわれましたために、他国の
商品輸出が
わが国に入り込むすきを与えないように利用せられていたのであります。
管理貿易を媒介にして、
わが国の対
米偏重の
貿易政策という、
アメリカにとりまして非常に有利な貿易を将来作り出す、その出発点を作ったのが、
ガリオア援助の対
日輸出であったのであります。(拍手)こういう利益を
アメリカはあげておる。
第三に、
ガリオア援助を通じて当時
アメリカの資本がいかに利益をあげたかということにつきましては、これは多くの人がすでに指摘しておるところであります。計数的なことは
外務委員会において
井手委員などが詳細に論じられておりますので、私はここでは概論的に申し上げるにとどめます。昭和二十四年四月、
見返り資金特別会計設置までの
輸出入は、
複数レートで操作せられておりまして、これは多くの人が指摘しておりますように、
アメリカからの輸入は不当に高く計算され、日本の
輸出品は不当に安く買い付けられ、それによって
アメリカの資本は大きな利益をあげておる。これは動かすことのできない過去の事実であります。また、
輸出入の差額は、
見返り資金特別会計を通じて、
援助物資の
払い下げ代金でまかなったのであります。このような事実は、日本への
援助政策を通じて
アメリカの資本がいかに利益を獲得しておるかということを示すものであります。
次に、第四に、私は
終戦処理費との関連から
ガリオアを考えることができると思う。
ガリオア援助もいわば
間接軍事費であります。
終戦処理費も同じ性質のものであることは、だれも疑う者はございません。われわれは
ガリオア援助の金額が
アメリカの計算する通りであるといたしましても、その倍額以上の税金を、国民は
終戦処理費として取り立てられておるのであります。
ガリオア援助のおつりは十分以上に出ておる。これは理屈では反駁のできぬ
国民感情であります。今さらながら
ガリオアを支払えとは何事であるか。これがこの協定に対して国民の抱いておる率直な感情である。このことを政府は知るべきである。(拍手)以上の事実によって見ても、
ガリオア物資に対し、
アメリカはすでに十分な利益を取り戻しておる、今さらこれに対し支払う必要は私どもは断じてない、そう考える。
次に
アメリカは、占領、被占領という関係の中で、
ガリオア援助という政策を発端といたしまして、
わが国を経済的に従属さしたのでありますが、当時の
経済的従属を通じて日本を政治的にも従属さしたという利益を
アリメカは得ておる。対
日平和条約を
全面的講和としなかったことにそれが現われております。この条約と同時に
日米安全保障条約を締結して、
アメリカに対する日本の
軍事的従属関係が
アメリカによってかちとられたのであります。
ガリオア援助が終わった
あとMSA軍事援助がこれにかわって
従属的関係をさらに一そう深めました。その上に新
安保条約によって
アメリカへの
軍事的従属の
体制固めをしたのである。
ガリオア援助はこのような
アメリカの対
日政策の体系の中でこれをとらえ、そのような
アメリカの対
日政策の一環として、そしてその発端としてとらえるときに、その
政治的本質をはっきりととらえることができるのであります。
アメリカは今深刻な
ドル危機の中で
ガリオア返済を求めてきており、
池田内閣はこれに応じました。
池田内閣は、私どもから見れば、支払わなくてもよい金を
アメリカに支払おうとしておるのであります。これが今回の協定であります。これを支払うならば、私は二重にも三重にも支払うことになると思う。このような
支払い協定にわれわれは承認を与えることは断じてできないのであります。(拍手)
次に、本協定の
付属交換公文について簡単に申し述べてみたいと思います。この二つの
交換公文にも重要な問題が含まれておる。
交換公文の一つは
返済金の一部を日米の教育、文化の交流のために使用することに関するものであります。これは
アメリカが、政府対政府の政策によってだけでなく、さらにそれ以外の方法によって、
日本国民の精神の奥底にまで
アメリカ文化の腐敗した
資本主義的精神を植え付けようとする意図に基づくものであると私は考える。これはいわゆるディプロマシィ・イン・デプスの実行を企図するものであります。われわれは、日本の
勤労者の健全な文化の維持、擁護、発展のために、このような政策に対し反対せざるを得ないのであります。
第二の
交換公文は、
ガリオア返済金をもって東アジアの低
開発国を
アメリカの計画に基づいて援助するために使用することを予定しております。
アメリカのこの政策に応じて
池田内閣は
アメリカに資金を支払おうとしておる。その上、
池田内閣は、この国会におきまして御承知のように
タイ特別円協定の改定について承認を求め、正当な理由なくして
タイ国に九十六億円を贈与しようとしております。一方は国民に贈与と思わせていたものを債務として支払おうというものである。他方は債権としてやがては弁済してもらえる関係のものを贈与に変えてしまったのであります。この二つの協定は奇妙なコントラストをなすものでありますが、同時に
わが国が払わなくてもよい金を外国に支払うという点では共通のものを持っておる。その上韓国からも現在理由不明な金を要求せられておるのであります。
私は、こういうことだけを見ても問題の
重要性を知ることができると思いますけれども、さらに重要な他の問題がひそんでおります。
ガリオア援助の
支払いを通じて
アメリカに返済される金は、東アジアにおける
アメリカの戦略基地への援助として支払われるということは明らかであります。
タイ国への
支払いが、SEATOの中心に立つ国の政策を強化することに役立つことは明らかである。日韓会談が中止されぬ限り、
池田内閣は、日韓会談を通じて、韓国の凶悪な軍事ファッショ政権の強化に協力することになることも明らかであります。
池田内閣の
アメリカへの
ガリオア支払いとタイへの贈与と日韓会談は、それぞれ個々別々に、相互に無関係の政策として遂行されようとしておるものではありません。これらの政策は、その背後に
アメリカの東アジア政策があり、それに推進せられて行なわれておるものであります。(拍手)これらの政策には内面的なつながりがある。これらは、すべて
アメリカの東アジア戦略への追随として行なわれるものである。
池田内閣は、これらの政策によって、
アメリカの東アジア政策に追随するとともに、
わが国の独占資本の東アジアへの進出をもあわせて意図しておるのであります。
池田内閣の政策は、アジアの平和に役立たぬだけでなくて、アジアの緊張を激化するものであります。
アメリカの東アジアにおける危険な戦争政策に追随することによって、
わが国を戦争の危機にさらすものである。われわれは、
池田内閣の外交政策それ自身に全面的に反対し、その池田外交の一つの現われである本協定の承認にも、断固として反対するものであります。
以上をもちまして、私の反対討論を終わります。(拍手)