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1962-02-02 第40回国会 衆議院 本会議 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年二月二日(金曜日)     —————————————  議事日程 第七号   昭和三十七年二月二日    午後二時開議  第一 昭和三十六年産米穀につい   ての所得税臨時特例に関する   法律案内閣提出)  第二 昭和三十六年五月の風害若   しくは水害、同年六月及び十月   の水害、同年七月、八月及び九   月の水害若しくは風水害又は同   年八月の北美濃地震による災害   を受けた農林水産業施設災害   復旧事業等に関する特別措置法   の一部を改正する法律案内閣   提出)  第三 昭和三十六年六月及び十月   の水害、同年七月、八月及び九   月の水害若しくは風水害又は同   年八月の北美濃地震による災害   を受けた公共土木施設等災害   復旧等に関する特別措置法の一   部を改正する法律案内閣提出)  第四 昭和三十六年五月、六月、   七月、八月及び九月の天災につ   いての天災による被害農林漁業   者等に対する資金融通に関す   る暫定措置法適用特例に関   する法律の一部を改正する法律   案(内閣提出)  第五 昭和三十六年五月の風害若   しくは水害、同年六月及び十月   の水害、同年七月、八月及び九   月の水害若しくは風水害又は同   年八月の北美濃地震による災害   を受けた地方公共団体起債の   特例等に関する法律の一部を改   正する法律案内閣提出)     ————————————— ○本日の会議に付した案件  議員請暇の件  臨時行政調査会委員任命につき同   意を求めるの件  原彪君の故議員安井誠一郎君に対   する追悼演説  中山マサ君の故議員大矢省三君に   対する追悼演説  日程第一 昭和三十六年産米穀に   ついての所得税臨時特例に関   する法律案内閣提出)  日程第二 昭和三十六年五月の風   害若しくは水害、同年六月及び   十月の水害、同年七月、八月及   び九月の水害若しくは風水害又   は同年八月の北美濃地震による   災害を受けた農林水産業施設の   災害復旧事業等に関する特別措   置法の一部を改正する法律案   (内閣提出)  日程第三 昭和三十六年六月及び   十月の水害、同年七月、八月及   び九月の水害若しくは風水害又   は同年八月の北美濃地震による   災害を受けた公共土木施設等の   災害復旧等に関する特別措置法   の一部を改正する法律案内閣   提出)  日程第四 昭和三十六年五月、六   月、七月、八月及び九月の天災   についての天災による被害農林   漁業者等に対する資金融通に   関する暫定措置法適用特例   に関する法律の一部を改正する   法律案内閣提出)  日程第五 昭和三十六年五月の風   害若しくは水害、同年六月及び   十月の水害、同年七月、八月及   び九月の水害若しくは風水害又   は同年八月の北美濃地震による   災害を受けた地方公共団体の起   債の特例等に関する法律の一部   を改正する法律案内閣提出)    午後二時十四分開議
  2. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) これより会議を開きます。      ————◇—————  議員請暇の件
  3. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) お諮りいたします。  議員和田博雄君から、海外旅行のため、二月四日から二月二十三日まで二十日間請暇申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 御異議なしと認めます。よって、許可するに決しました。      ————◇—————  臨時行政調査会委員任命につき同   意を求めるの件
  5. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) お諮りいたします。  内閣から、臨時行政調査会委員安西正夫君、今井一男君、太田薫君、佐藤喜一郎君、高橋雄豺君花井忠君並びに蝋山正道君を任命したいので、臨時行政調査会設置法第五条第一項の規定により本院の同意を得たいとの申し出があります。右申し出通り同意を与えるに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 御異議なしと認めます。よって、同意を与えるに決しました。      ————◇—————
  7. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 御報告いたすことがございます。  議員安井誠一郎君は、去る一月十九日逝去せられました。議員大矢省三君は、同日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  安井誠一郎君に対する弔詞は、去る一月二十七日、大矢省三君に対する弔詞は、去る一月二十九日、議長においてそれぞれ贈呈いたしました。今これを朗読いたします。   〔総員起立〕    安井誠一郎君に対する弔詞  衆議院議員正三位勲一等安井誠一  郎君の長逝哀悼しつつしんで弔詞  をささげます     …………………………………    大矢省三君に対する弔詞  衆議院は多年憲政のために尽力され  た元地方行政委員長議員正四位勲二  等大矢省三君の長逝哀悼しつつし  んで弔詞をささげます      ————◇—————  原彪君の故議員安井誠一郎君に対   する追悼演説  中山マサ君の故議員大矢省三君に   対する追悼演説
  8. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) この際、弔意を表するため、原彪君及び中山マサ君からそれぞれ発言を求められております。順次これを許します。原彪君。   〔原彪登壇
  9. 原彪

    原彪君 ただいま議長から御報告がありました通り、本院議員正三位勲一等安井誠一郎君は、去る一月十九日の未明、病をもって東京都立大久保病院において逝去されました。  私はここに諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼言葉を申し述べさせていただきます。(拍手)  安井君は、長らく東京長官東京都知事に在職せられ、私どもにとってもきわめてなじみ深い方でありました。ことに、私にとっては同郷の先輩であり、中学校高等学校大学と学窓を同じくして、常に君の人格力量とには、深い敬意を抱いておったものでございまして、君のこのたびの訃報に接して、大きな驚きと悲しみに打たれておるのでございます。  安井君は、明治二十四年三月岡山県に生まれ、県立岡山中学校、第一高等学校を経て、大正六年三月東京帝国大学法科大学卒業せられました。  大学在学中に文官高等試験に合格されました君は、卒業後直ちに内務省に入り、茨城、神奈川、東京の各府県に勤務し、またドイツに留学せられまして、ひたすら政治法律学について研さんを積まれました。その後富山、兵庫、福岡の各県の警察部長に任ぜられ、昭和四年には堀切市長に迎えられて東京社会局長要職につき、迫りくる不況下にあえぐ恵まれない多くの人々の救済に日夜努力されたのであります。  次いで、郷土の先輩宇垣朝鮮総督に招かれて朝鮮総督府に入り、やがて京畿道知事となり、引き続き拓務省拓務局長新潟県知事を経て、昭和十六年再び東京市に帰られました。当時戦時下の困難な情勢の中で防衛局長電気局長の職を二年にわたって担当されたのであります。  昭和二十一年一月、安井君は厚生次官に就任されましたが、同年の七月には東京長官重職に迎えられたのであります。翌二十二年四月には初めての公選都知事に当選し、その後両度の改選にも連続当選して三十四年に退職せられますまで十三年の長きにわたって東京都の復興発展のために奮闘されました。(拍手)  昭和二十一年ごろの東京都は申すまでもなく、戦災によって一面の焦土と化し、庶民生活は極端に窮乏し、無秩序と混乱のみがいたずらに横行しておりました。このような状況のもとで都を再興し、庶民生活に安定をもたらすことが容易ならぬ事業であったことは、だれの目にも明らかなことであり、これに対処する安井君の決意は、またなみなみならぬものがあったことは察するにかたくありません。(拍手)  安井君がこの難局を打開するにあたって、まず念頭に置きましたことは、何よりも都民を飢餓から救わねばならぬということであったとのことであります。君は、そのためにはあらゆる努力を傾注されました。かつて君が知事として在任した新潟県にみずから出向いて米の出荷を要請し、地元農民に雪の降る中でひざを屈して懇願し、その目的を達せられたという挿話の伝えられましたのもこの当時のことであります。(拍手)これに見ても、君が都民生活の確保にささげた苦心と努力とは、常人の想像をはるかに越えた深刻なものがあったと考えられます。幸いにして君の努力は日とともに実を結び、かつての焦土は面目を一新することができました。多年にわたって苦心経営し、東京復興の大事業をなし遂げ、今日の発展をもたらし、進んでは首都圏の整備に関する総合的な計画の必要を提唱し、その実施を推進された安井君の功績はまことに偉大なものがあると信じます。(拍手)  また、安井君は、東京都と海外諸都市との提携に意を用い、しばしば欧米諸国に渡り、各国との親善、産業、文化の交流に大きな成果をおさめられたのであります。  三十一年にはメルボルン市におもむき、IOC総会に出席して、オリンピック大会状況をつぶさに視察し、オリンピック大会東京招致、またその準備にも大きな役割を果たして参られました。  東京都は、去る一月九日、多年都政のために尽くされた安井君に対して、特に名誉都民の称号を贈って、その功労を顕彰したのであります。(拍手)  安井君は、長年にわたって胸に描いていた福祉国家の実現と、大東京建設のために、政界に入ることをかねてから望んでおられたのであります。かくて、三十五年に自由民主党に入党し、第二十九回衆議院議員選挙東京第一区から立候補して、全国最高の得票をもってみごとに当選せられたのであります。(拍手)  君は、みずからも誇っておられましたほどの健康の持主でありましたが、十三年もの長い間、複雑多岐にわたる都政に打ち込まれた心労のためでありましょう。都知事を退かれてから間もなく病床に親しむ身となられ、総選挙にも病床から立候補されたのであります。その後一度は幸いにして回復され、昨年の春ころには登院をされて、いよいよ本院議員として君の目ざましい活躍が期待されたのでありますが、その後もとかく健康がすぐれず、昨年十一月再び入院加療のやむなきに至りまして、不幸にしてついに御本復を見ることができませんでした。  思うに、安井君は、きわめて清廉潔白の人であり、しかも穏やかな情誼に厚い人でありました。これが安井君のだれからも信頼せられ、また親しまれたゆえんでもございます。また、君は、事を処するにあたっては、すこぶる慎重であって、自分の納得のいくまでは徹底的に熟慮するという人であり、一たび決意するや、その目的に向かって断固として所信を貫くきぜんとした性格の持主でありました。  今、こうして安井君の一生を回顧するとき、君は、行政官としては、いわば功成り名遂げた人であります。享年七十才といえば、日本人としては天寿を全うされたとも言えるでしょう。しかし、晩年、衰えていく肉体の中になお烈々として燃える憂国の至情と闘魂とは、さらに政治家としての新生命を開こうとして病床からふるい立たれた君の姿は、まことに壮烈で、とうてい凡人の企て及ばぬところであります。(拍手)しかも抜群の成績をもって本院に議席を得られ、政治家としての活躍が今後に期待されるとき、ついにみずから経綸の一端をも述べる機会を持たれないままゆかれたことは、君の心情察するに余りあり、痛惜の情ひとしお深いものがあります。(拍手)  しかしまた、ひるがえって思うに、安井君は、一つ宗教的信仰に生きた人でもありました。従って、君が生前政治家としての生命は短くはかないものではあったが、死を見ること帰するがごとく、いかなる場合にも安心立命の境地に立っていた安井君在天の霊は、今や安らかにあの生前の温顔そのままに長くこの議場を見守っていられるに違いないと信じて疑いません。(拍手)  ここに君が生前の業績を回顧し、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りいたしまして、追悼言葉といたします。(拍手)     —————————————
  10. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 中山マサ君。   〔中山マサ登壇
  11. 中山マサ

    中山マサ君 ただいま議長から御報告がありました通り、本院議員正四位勲二等大矢省三先生は、かねて御病気療養中のところ、去る一月十九日朝、大阪市立桃山病院において逝去せられました。  大矢先生の温厚なお人柄敬慕してやまなかった私は、今にわかに先生を失い、限りない悲痛と哀惜の念が胸に迫るのを覚えるのであります。  私は、ここに皆様方の御同意を得まして、議員一同を代表し、つつしんで哀悼言葉を申し述べさしていただきます。(拍手)  大矢先生は、明治二十六年三月、三重県志摩郡阿児町にお生まれになりました。郷里の小学校を御卒業になった後、朝鮮に渡られましたが、大正元年大阪に居を定め、その後は終始大阪の地を離れることなく、ここが大矢先生生涯の活躍の本拠ともなり、第二の故郷ともなったのであります。  大矢先生は、当初、旋盤工として大阪砲兵工廠に就職し、後に、住友製鋼所に転じ、激しい労働に従事されました。しかも、向学心に燃える先生は、激務のかたわら、大阪府立西野田職工学校機械科に学び、身心両面にわたる非常な労苦を克服して、技術の練磨、教養の修得に努められました。  大矢先生は、みずからの職場を通じて、労働階級の実情に深く考えられるところがあり、大正元年、鈴木文治氏を中心にしてかの友愛会が創立されまするや、進んでこれに参加し、先生の畢生の事業となった労働階級向上労働組合の育成のために、苦難の第一歩を踏み出されたのであります。(拍手)  申すまでもなく、当時の労働運動は、世間の無理解を乗り越え、弾圧に抗して戦われた、文字通り生命をかけた戦いであったのでありまして、大矢先生もまた、組合運動に入られたその事柄のゆえに職を奪われ、古新聞を売ったり、屋台を引く等のことまでして、ようやく生活をささえつつ、奮闘を続けられたのでございます。  やがて、先生は、偉大なる活動家として世間の注目を集め、住友製鋼所豊田織機京都奥村電機別子銅山大阪発動機等多数の争議を指導し、その解決に尽くされました。  かくて、先生識見実行力とは同志の高く評価するところとなりまして、大正の末年、大阪金属労働組合が結成されますると、その主事となり、その後、引き続いて日本労働同盟大阪連合会主事全国労働組合同盟の初代の委員長、あるいは日本労働組合同盟本部役員等に推され、組合運動指導的地位にあって、ますます活発な活動を続けられたのであります。  また、大正十一年には、産児制限運動借家人運動を起こし、社会大衆生活の安定と福祉増進に挺身されました。  第一次大戦の終了後、各地にデモクラシーの思潮が高まり、労働問題の解決普選実施を要求する運動が起こり、無産政党組織の機運が生まれるに至りました。大正十五年に社会民衆党が結成されるに及んで、先生はこれに入党して、その役員に推され、縦横の活躍を示されました。昭和七年、社会民衆党全国労農大衆党と合同し、社会大衆党が成立するとともに、先生は同党の重要な地位に迎えられ、ますます大衆政治意識の高揚と労働者地位向上に、献身的な努力を続けられたのであります。  これよりさき、大阪市民大衆は、平素から大矢先生大衆に対する烈々たる愛情に深い敬慕の念をささげていたのでございますが、昭和四年六月、限りない信頼と期待をもって、先生大阪市会に送ったのであります。先生もまた、市民諸君の支持にこたえて、連続四期にわたり、十数年の間大阪会議員として、大阪市民福祉増進大阪市の発展に大きね寄与をされたのであります。(拍手)  昭和二十年十一月、終戦直後のこんとんたる世情の中に日本社会党が誕生するとともに、先生はこれに参加し、翌二十一年四月の第二十二回衆議院議員選挙には、同志に推されて大阪府第一区から出馬して、みごと初当選をかち得られ、引き続きまして、現在まで連続当選すること八回、本院議員としての在職期間は、実に十五年九カ月の長きに及んでおります。(拍手)  昭和二十三年四月、大矢先生は、芦田内閣の成立に際して労働政務次官重職につき、加藤勘労働大臣を助けて、困難な戦後の労働行政に参画されました。みずから労働者の辛酸をなめ尽くしてこられ、大衆の中にあって、大衆とともに労働運動一筋に生きてきた先生にとっては、まことにふさわしい地位であったと申さねばなりません。(拍手)はたして、先生は、多年にわたる苦闘の体験につちかわれた実力を遺憾なく発揮し、著しい業績を上げられたのであります。  また、大矢先生は、内閣、商工その他の委員会委員または理事として多方面にわたって活躍され、特に、地方行政委員として地方自治確立発展警察消防行政民主化のために多大の貢献をされました。第二十二回国会昭和三十年三月には、推されて本院地方行政委員長要職につき、約二年にわたってこれに当たり、きわめて公平、厳正な委員会運営ぶりをもって、与野党委員の深い信頼の的となり、名委員長とうたわれたのであります。  このように、長年にわたる議員在職中を通じて国政審議に尽くされた先生功績は、まことに大きなものがあると信じます。  先生は、また、日本社会党にあっては、中央執行委員政治局長代議士会長地方議会対策部長等要職を歴任し、すぐれた力量を十二分に発揮されました。  一昨三十五年、民主社会党の結成にあたっては、西尾末廣先生ら同志とともに、大いに尽力され、結党の後はその顧問に推されて、名実ともに党の長老として、広く党内外の信望を集めておられました。(拍手)  思えば、大矢先生は、苦難の中から身を起こして、ついに国会議員栄任についた、いわゆる立志伝中の人であったのでありました。先生は、まことに温厚篤実で、人格者というのに最もふさわしいお人柄でありました。先生の温容に接し、先生国民大衆に対する熱い愛情に触れる者すべてが、先生に対して深い敬慕の念を抱いていたのでございます。しかも、先生のとうとい生涯をささげた、労働大衆向上労働組合発展のための骨身を削る戦いの間に体得された激しい気魄と、信ずるところを率先遂行する強い信念実行力とに対しては、だれもが尊敬を禁じ得なかったのであります。(拍手)  今や、わが国は、内外に大いなる問題をかかえ、そうしてまた一つの転換期に立っておるとも言えるこのときにあたり、大矢先生のごとき、豊かな経験と高い識見を持っておられる信念の人を失いましたことは、本院にとり、国家にとり、この上もない不幸であり、一大損失であると申さなければなりません。(拍手)  今、この壇上に立って、先生の生前をしのぶにつけても、ありし日の先生のお姿が私の目に浮かび、痛恨の情、切々として新たなるものを覚える次第であります。  ここに先生の生前の功績をたたえ、お人柄をしのび、心から御冥福をお祈りして、もって追悼言葉といたします。(拍手)      ————◇—————  日程第一 昭和三十六年産米穀に   ついての所得税臨時特例に関   する法律案内閣提出
  12. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 日程に入ります。  日程第一、昭和三十六年産米穀についての所得税臨時特例に関する法律案議題といたします。
  13. 清瀬一郎

  14. 小川平二

    小川平二君 ただいま議題となりました昭和三十六年産米穀についての所得税臨時特例に関する法律案について、大蔵委員会における審議経過並びに結果を御報告申し上げます。  本案は、昭和三十六年産米穀について、従来と同様に、事前売り渡し申し込み制度に基づき政府に米穀売り渡した者に対し、昭和三十六年分の所得税を軽減しようとするものでございます。  その軽減の内容もまた従来と同様でありまして、売り渡し時期の区分に応じ、玄米石当たり平均千四百円を非課税とする措置を講じようとするものであります。  本案は、審議の結果、去る一月三十一日、質疑終了採決の結果、全会一致をもって原案通り可決されました。  以上、御報告申し上げます。(拍手)     —————————————
  15. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 採決いたします。  本案委員長報告通り決するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  16. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 御異議なしと認めます。よって、本案委員長報告通り可決いたしました。      ————◇—————
  17. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 日程第二、昭和三十六年五月の風害若しくは水害、同年六月及び十月の水害、同年七月、八月及び九月の水害若しくは風水害又は同年八月の北美濃地震による災害を受けた農林水産業施設災害復旧事業等に関する特別措置法の一部を改正する法律案日程第三、昭和三十六年六月及び十月の水害、同年七月、八月及び九月の水害若しくは風水害又は同年八月の北美濃地震による災害を受けた公共土木施設等災害復旧等に関する特別措置法の一部を改正する法律案日程第四、昭和三十六年五月、六月、七月、八月及び九月の天災についての天災による被害農林漁業者等に対する資金融通に関する暫定措置法適用特例に関する法律の一部を改正する法律案日程第五、昭和三十六年五月の風害若しくは水害、同年六月及び十月の水害、同年七月、八月及び九月の水害若しくは風水害又は同年八月の北美濃地震による災害を受けた地方公共団体起債特例等に関する法律の一部を改正する法律案、右四案を一括して議題といたします。     —————————————
  18. 清瀬一郎

  19. 古川丈吉

    古川丈吉君 ただいま議題となりました昭和三十六年五月の風害若しくは水害、同年六月及び十月の水害、同年七月、八月及び九月の水害若しくは風水害又は同年八月の北美濃地震による災害を受けた農林水産業施設災害復旧事業等に関する特別措置法の一部を改正する法律案外三案につきまして、災害対策特別委員会における審議経過並びに結果について、簡単に御報告申し上げます。  各案の要旨を申し述べますと、御承知の通り、昨年十月上旬の台風第二十四号、さらに同月下旬の集中豪雨及び台風第二十六号等全国各地にはなはだしい被害を与えたのであります。この状況にかんがみまして、これらの災害復旧についても、同年五月から九月までの災害と同様に特例法による特別措置適用されるよう所要の改正を行なおうとするものであります。  以上四案の特例法の一部改正によりまして、農林水産関係については、農地農業施設、林道、共同施設等補助率引き上げ、並びに災害関連事業についての特別の助成、また、天災融資法に基づく貸付限度額引き上げ償還期限延長等特別措置を講じ、建設関係につきましては、公共土木施設災害復旧事業並びに災害関連事業についての国庫負担率引き上げ等を行ない、また、起債関係につきましては、災害を受けた地方公共団体地方債発行特例を設け、さらに公共土木施設及び農地等の小災害復旧事業のため発行した地方債に対しては、国がそれぞれ一定率元利補給を行なおうとするものであります。  以上の特別措置は、いずれも政令をもって指定された地域に適用することといたしております。  以上が各案についての要旨の概要であります。  本特別委員会において、四案につきそれぞれ提案理由を聴取した後、去る一月三十一日質疑終了し、同日採決の結果、右の四案は、いずれも全会一致をもって原案通り可決すべきものと決した次第であります。  以上、御報告申し上げます。(拍手)     —————————————
  20. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 四案を一括して採決いたします。  四案の委員長報告はいずれも可決であります。四案を委員長報告通り決するに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  21. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 起立多数。よって、四案とも委員長報告通り可決いたしました。      ————◇—————
  22. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 本日は、これにて散会いたします。    午後二時四十八分散会      ————◇—————  出席国務大臣         大 蔵 大 臣 水田三喜男君         建 設 大 臣 中村 梅吉君         自 治 大 臣 安井  謙君         国 務 大 臣 川島正次郎君  出席政府委員         農林政務次官  中馬 辰猪君      ————◇—————