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平岡忠次郎君 ただいま
議長から御報告のありました
通り、本
院議員従四位勲二等
山口六郎次君は、去る十一月二十八日早暁、
病気のため逝去せられました。まことに
痛惜の念にたえません。私は、
諸君の御同意を得て、
議員一同を代表し、つつしんで
哀悼の
言葉を申し述べたいと存じます。(
拍手)
私は、
山口君とは
所属党派こそ異にはしておりましたが、日ごろ何かとごじっこんに願っており、
山口君の円満なお
人柄には深く敬服していたものであります。十一月末、たまたま
委員会から派遣されて
関西方面に
旅行中でありました私は、京都の宿舎で思いもかける君の御逝去を知り、がく然としてしばし暗涙にむせんだのであります。
山口君は、明治二十九年七月二十一日、
埼玉県南
埼玉郡白岡町にお生まれになりました。長じて
大正九年
明治大学政治経済科を御卒業になり、報知新聞社に入社し、
新聞記者としての体験を通じて後年御
活躍の素地を養われました。その後における君の
活動は、
政治、
経済、文化、その他各分野にわたって実に目ざましいものがあったのであります。
君はまた、
学生時代から
スポーツに親しみ、特にマラソンの選手として
活躍しておられました。次いで、
大正十一年に大
日本体育協会評議員に就任されたのを初めとして、
大正十二年のマニラにおける
極東オリンピック大会日本代表役員、
全日本陸上競技連盟常任理事、
昭和七年の
ロスアンゼルス・オリンピック後援会幹事等を歴任され、また、終戦後は、
郷土埼玉県において県の
体育協会長、
自転車競技連盟会長等の職につかれるなど、その生涯を通じてわが国並びに
郷土の
体育の
振興に貢献されたのであります。
山口君が本院に席を占められたのは、
昭和二十二年の第二十三回
衆議院議員総
選挙に際し、衆望をになって
埼玉県第二区より出馬され、
みごと当選の栄を得られたときであります。以来、
衆議院議員に当選すること前後五回、
在職期間は十年十ヵ月に及んでおられます。
この間、
山口君は、常に熱心かつ真摯に国政の
審議に当たられ、きわめて著しい功績を残されたのであります。昨年は選ばれて本
院法務委員長の重職につき、たまたま
浅沼委員長刺殺事件に際会し、本
事件の究明に尽くされるところが多かったのであります。また、さきには第三次
吉田内閣の
行政管理政務次官に任ぜられて
行政の
適正能率化に力を尽くし、今年七月以降
建設政務次官の
栄職におつきになり、
建設行政に参画し、多年の
抱負経綸を生かすべく努めておられたのであります。
自由民主党にあっては、その
識見を買われて
全国組織委員会、
広報委員会の副
会長、副
幹事長等の要職を歴任され、党務に縦横の
活躍を示されたのであります。
君の態度には、常に
誠実味があふれており、しかも、ねばり強く事に当たられたのでありまして、ただに
自由民主党のみならず、私
ども野党の
議員からも厚い信望を受けておられました。(
拍手)
また、わが国民の
海外移住問題について、かねてより深い関心を払っておられましたが、昨年二月以来、
海外移住審議会委員として本問題に熱心に取り組んでおられました。昨年夏、同
審議会が答申した
海外移住に関する当面の
振興方策の作成にあたっても大いに寄与され、さらに、昨年七月末から九月にかけてローマの
オリンピックを視察するかたわら、ブラジル、アルゼンチン、パナマ、
メキシコ等をめぐり、中南米における
日本人移民の生活の実情その他をつぶさに視察し、
海外移住問題についての見識をますます深めて帰朝されたのであります。
思うに、
山口君は、まことに明朗な
人柄で、人情に厚く、きわめて庶民的で、心から親しみ、信じ合うことのできる人でありました。また、君は、まれに見る
活動家であり、高い
理想を掲げ、正しいと信じる道をあらゆる障害を乗り越えて実行し、いかなる些事をもゆるがせにはされなかったのであります。これは、君が愛好してやまなかった
スポーツの精神をそのまま体現しておられたものと申すべきでありましょう。君が、院の内外を問わず、多くの人々から厚い信頼と好意を寄せられたことは、けだし当然と申さなければなりません。(
拍手)
山口君は、よわい六十五才、
政治家としていよいよ
識見を高め、ますます円熟の境地に達して、今後一そうの御
活躍が期待せられていたのであります。しかるに、今年八月末ごろから
病気のため入院されるに至り、療養に努められることになりました。去る
臨時国会には、
国会議員としての強い
責任感から、
召集日に病を押して登院されたのであります。(
拍手)
その後は、君のお姿を
国会にお見かけすることができず、私は、心からさびしさを覚えるとともに、一日も早く御全快になることを切に祈り上げていたのでありまするが、御家族の手厚い看護もむなしく、ついに不帰の客となられました。
今や、わが国内外の
政治情勢は、なお多事多端であり、解決さるべき幾多の
重要課題が山積しております。このときにあたって、
山口君のような練達にして、しかも有為の士を失いましたことは、本院にとり、国家にとり、まことに大きな不幸でありまして、痛恨限りないものがございます。(
拍手)ことに、高邁な
理想を抱きながら、雄図半ばにして倒れられた君の心情を思うとき、哀惜の情いよいよ深く、霜枯れの武蔵野の風物に一そうの
寂蓼を感ずる次第であります。
ここに、
山口君生前の業績の一端を回顧し、その人となりをしのび、御冥福を心から祈って、もって
追悼の
言葉といたします。(
拍手)
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