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1961-12-09 第40回国会 衆議院 本会議 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年十二月九日(土曜日)     —————————————  議事日程 第一号   昭和三十六年十二月九日    午前十時開議  第一 議席指定     ————————————— ○本日の会議に付した案件  日程第一 議席指定  議員請暇の件  検察官適格審査会委員選挙 平岡忠次郎君の故議員山口六郎次   君に対する追悼演説    午後二時六分開議
  2. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 諸君、第四十回国会は本日をもって召集せられました。  これより会議を開きます。      ————◇—————  日程第一 議席指定
  3. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 衆議院規則第十四条によりまして、諸君議席は、議長において、ただいま御着席の通り指定いたします。      ————◇—————  議員請暇の件
  4. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) お諮りいたすことがあります。  議員壽原正一君から、海外旅行のため、十二月十三日から二十日まで八日間、議員西村関一君から、海外旅行のため、十二月十三日から二十九日まで十七日間、右いずれも請暇の申し出がございます。これを許可するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 御異議なしと認めます。よって、許可するに決しました。      ————◇—————  検察官適格審査会委員選挙
  6. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 検察官適格審査会委員が一名欠員となっておりますので、この際、同委員選挙を行ないます。
  7. 田邉國男

    田邉國男君 検察官適格審査会委員選挙は、その手続を省略して、議長において指名されんことを望みます。
  8. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 田邉國男君の動議に御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 御異議なしと認めます。  議長は、検察官適格審査会委員中垣國男君を指名いたします。  なお、塚田十一郎君の予備委員である飯塚定輔君は、中垣國男君の予備委員となられました。      ————◇—————
  10. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 御報告いたすことがあります。  議員山口六郎次君は、去る十一月二十八日逝去せられました。まことに哀悼痛惜のきわみにたえません。  同君に対する弔詞は、議長において、去る一日贈呈いたしました。今これを朗読いたします。   〔総員起立〕  衆議院は多年憲政のため尽力された元法務委員長建設政務次官議員従四位勲二等山口六郎次君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます      ————◇—————  平岡忠次郎君の故議員山口六郎次君に対する追悼演説
  11. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) この際、弔意を表するため、平岡忠次郎君から発言を求められております。すなわちこれを許します。平岡忠次郎君。   〔平岡忠次郎君登壇〕
  12. 平岡忠次郎

    平岡忠次郎君 ただいま議長から御報告のありました通り、本院議員従四位勲二等山口六郎次君は、去る十一月二十八日早暁、病気のため逝去せられました。まことに痛惜の念にたえません。私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)  私は、山口君とは所属党派こそ異にはしておりましたが、日ごろ何かとごじっこんに願っており、山口君の円満なお人柄には深く敬服していたものであります。十一月末、たまたま委員会から派遣されて関西方面旅行中でありました私は、京都の宿舎で思いもかける君の御逝去を知り、がく然としてしばし暗涙にむせんだのであります。  山口君は、明治二十九年七月二十一日、埼玉県南埼玉郡白岡町にお生まれになりました。長じて大正九年明治大学政治経済科を御卒業になり、報知新聞社に入社し、新聞記者としての体験を通じて後年御活躍の素地を養われました。その後における君の活動は、政治経済、文化、その他各分野にわたって実に目ざましいものがあったのであります。  君はまた、学生時代からスポーツに親しみ、特にマラソンの選手として活躍しておられました。次いで、大正十一年に大日本体育協会評議員に就任されたのを初めとして、大正十二年のマニラにおける極東オリンピック大会日本代表役員全日本陸上競技連盟常任理事昭和七年のロスアンゼルス・オリンピック後援会幹事等を歴任され、また、終戦後は、郷土埼玉県において県の体育協会長自転車競技連盟会長等の職につかれるなど、その生涯を通じてわが国並びに郷土体育振興に貢献されたのであります。  山口君が本院に席を占められたのは、昭和二十二年の第二十三回衆議院議員選挙に際し、衆望をになって埼玉県第二区より出馬され、みごと当選の栄を得られたときであります。以来、衆議院議員に当選すること前後五回、在職期間は十年十ヵ月に及んでおられます。  この間、山口君は、常に熱心かつ真摯に国政の審議に当たられ、きわめて著しい功績を残されたのであります。昨年は選ばれて本院法務委員長の重職につき、たまたま浅沼委員長刺殺事件に際会し、本事件の究明に尽くされるところが多かったのであります。また、さきには第三次吉田内閣行政管理政務次官に任ぜられて行政適正能率化に力を尽くし、今年七月以降建設政務次官栄職におつきになり、建設行政に参画し、多年の抱負経綸を生かすべく努めておられたのであります。  自由民主党にあっては、その識見を買われて全国組織委員会広報委員会の副会長、副幹事長等の要職を歴任され、党務に縦横の活躍を示されたのであります。  君の態度には、常に誠実味があふれており、しかも、ねばり強く事に当たられたのでありまして、ただに自由民主党のみならず、私ども野党議員からも厚い信望を受けておられました。(拍手)  また、わが国民の海外移住問題について、かねてより深い関心を払っておられましたが、昨年二月以来、海外移住審議会委員として本問題に熱心に取り組んでおられました。昨年夏、同審議会が答申した海外移住に関する当面の振興方策の作成にあたっても大いに寄与され、さらに、昨年七月末から九月にかけてローマのオリンピックを視察するかたわら、ブラジル、アルゼンチン、パナマ、メキシコ等をめぐり、中南米における日本人移民の生活の実情その他をつぶさに視察し、海外移住問題についての見識をますます深めて帰朝されたのであります。  思うに、山口君は、まことに明朗な人柄で、人情に厚く、きわめて庶民的で、心から親しみ、信じ合うことのできる人でありました。また、君は、まれに見る活動家であり、高い理想を掲げ、正しいと信じる道をあらゆる障害を乗り越えて実行し、いかなる些事をもゆるがせにはされなかったのであります。これは、君が愛好してやまなかったスポーツの精神をそのまま体現しておられたものと申すべきでありましょう。君が、院の内外を問わず、多くの人々から厚い信頼と好意を寄せられたことは、けだし当然と申さなければなりません。(拍手)  山口君は、よわい六十五才、政治家としていよいよ識見を高め、ますます円熟の境地に達して、今後一そうの御活躍が期待せられていたのであります。しかるに、今年八月末ごろから病気のため入院されるに至り、療養に努められることになりました。去る臨時国会には、国会議員としての強い責任感から、召集日に病を押して登院されたのであります。(拍手)  その後は、君のお姿を国会にお見かけすることができず、私は、心からさびしさを覚えるとともに、一日も早く御全快になることを切に祈り上げていたのでありまするが、御家族の手厚い看護もむなしく、ついに不帰の客となられました。  今や、わが国内外の政治情勢は、なお多事多端であり、解決さるべき幾多の重要課題が山積しております。このときにあたって、山口君のような練達にして、しかも有為の士を失いましたことは、本院にとり、国家にとり、まことに大きな不幸でありまして、痛恨限りないものがございます。(拍手)ことに、高邁な理想を抱きながら、雄図半ばにして倒れられた君の心情を思うとき、哀惜の情いよいよ深く、霜枯れの武蔵野の風物に一そうの寂蓼を感ずる次第であります。  ここに、山口君生前の業績の一端を回顧し、その人となりをしのび、御冥福を心から祈って、もって追悼言葉といたします。(拍手)      ————◇—————
  13. 清瀬一郎

    議長清瀬一郎君) 本日は、これにて散会いたします。    午後二時十八分散会      ————◇—————